85歳の三上義弘さんに 写真集のお礼の電話を差し上げた際 写真家としての腕前と 当時金華山に棲んでいた鹿や猿の生態をダイナミックな見事なシャッターチャンスで捉えていたことをお話しました。 三上さんのこれまでが 写真集という形で残ることが 東日本大震災直後から8年間 黄金山神社にご奉仕してきた”集大成の賜物”である。ともお伝えしました。
東日本大震災で故郷が壊滅。 8年の”魂彷徨い旅”を終えて 人生もブログも”next stage”へ。
生粋感覚を活かして 第二の故郷・北海道の”美味しいもの 美しい景色 ”を綴ります。 たまに妖しい話なども・・・
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85歳の三上義弘さんに 写真集のお礼の電話を差し上げた際 写真家としての腕前と 当時金華山に棲んでいた鹿や猿の生態をダイナミックな見事なシャッターチャンスで捉えていたことをお話しました。 三上さんのこれまでが 写真集という形で残ることが 東日本大震災直後から8年間 黄金山神社にご奉仕してきた”集大成の賜物”である。ともお伝えしました。
札幌は 日中気温が低くて肌寒い日が続いた翌日に 突然23°の暑さになったりしています。 雪が融けてから 私は「天使が遊ぶ庭」の作業に追われて 気がつけば地元局の情報番組で 様変わりした「札幌の街の景色」を 地元の”(仮)札幌村”から観光客の気分で眺めてました。
ことの発端は 先週のPCデスクトップから 会社メールとアドレスが消えたことで 何がどうなってこうなったのかも判らず 途方にくれました。。。 どうやらWindowsの”oneドライブ”とうのを同期させて アップロードしたものだから そういうトラブルに見舞われたらしいのですが・・・。 私なりにできるで限りに ”日付けを遡ってファイルの修復”を試みたのですが 復活せずで そこに至るまでの理由も経過も知らな過ぎて 誰かに言葉で説明すらできませんでした。
ヒーラーと言ってもHさんは 元々私がスピ系のお茶会を開いたときの参加者でした。 別件相談ごとで来ていたのですが "妙に引っかかるモノがあり” 会の終了後”不穏な箇所”を具体的に伝えて 祓いを勧めた方でもあります。 その後霊感体質でもあったHさんはスピ系に目覚めて 震災時に私の故郷鹿折地区の写真を撮り JR駅「鹿折唐桑」の看板を持つカメラマンとと結婚して 北海道を離れました。
出張用の「航空券+宿泊」パックツアーをWEBでカード決済しようとしたら エラーではじかれました。 そもそも航空系のカードであり その空港会社のパックツアーを購入するためなのに 何度試みてもエラーとなり 航空便の空席も残り少なくなったので カード裏の窓口先に問い合わせして無事に購入できました。
今年のGWは 円安の影響もあり巷では「安・近・短」で楽しむ人たちが多いみたいですが シニアの私たち夫婦は「安・留・長」。 かれこれ20年以上 夏だけ使っている庭の白柵の塗装が剥げてきたので 気温20度以上が2日続いたらペンキ塗りしようとお天気待ちをしてました。 私の「天使が遊ぶ庭」は この白柵を設置しないと始まらないので・・・
札幌市内で新桜の名所となっっている新川沿いの桜並木。 2日間だけライトアップされたのですが 夜の外出は苦手なので気温の高い日の午後 初お花見に行ってきました。 道民が好む濃いピンク色のエゾヤマサクラとソメイヨシノとが 混じって植えられてます。 こちら小さな川のほとりに咲く 見事な枝ぶりの桜。 札幌のシンボル山・手稲山と桜が撮影できる場所の桜は 残念ながら散っていました。 静かな住宅地の中にある桜の名所で こちらもエゾヤマザクラとソメイヨシノの混合植え。 北海道は桜の花が終わり これから色々な花が一気に咲き始め ようやく長い冬が終わったことを実感するのです。 ランキングに参加しています。 ポチ押…
長男家の花ちゃん(7歳)は 先日小学校に入学したけど 先週の土曜日夕方から熱を出していたようです。 月曜の朝 キャンセルができない会議がある長男から「当番病院ではコロナ・インフル・溶連菌の検査結果は陰性。熱は解熱剤で下がったけれど 学校は休むので預かってほしい」の連絡があり 平熱の花ちゃんと健保書・母子手帳・お薬手帳の入ったフォルダを置いて 引継ぎ病状を語って仕事に行きました
先日 2年ぶりに”大腸検査”を受けて異常無なしの結果に 一安心しています。 2年前の年末 右脇腹の内側に痛みを感じて 評判の良い内科クリニックを受診してもレントゲン撮影で原因不明。 翌日再受診しても痛みは増すばかりで その足で泌尿科に行きCT検査をしても不明のままでした。 その際に最初に内科クリニックの先生から 5年前に大腸検査をしたきりなら「検査をしてみては!!」と勧められて この際だからと正月明けの予約を入れたのです。
長い北海道の冬を無事超えられたことに感謝して 春の陽気に誘われてドライブで フゴッペ岬へ。 シリパ岬の上に ハート型の桜の花びらが一枚浮かんでました。 東京では桜の花が散ってしまったけど 北海道では春一番に咲くクロッカスやトクサがようやく咲いたばかりです。
初孫の花ちゃんが 先日小学校に入学。 保育園のお友だちと一緒の学校なので 花ちゃんは不安よりも楽しさの方が大きく ピンクのランドセルを背負って張り切ってました。 花ちゃんの学校は 郊外の比較的のんびりした校区なので セミフォーマルな服装をした新入生のパパママたちが 我が子の姿を写真に納めている様子を 体育館の入学式には参列できた祖父母の私たち夫婦は 通り過ぎた自分たちの思い出を重ねながらほほえましく眺めてました。
目の前の雪ちゃんは「サーテイーワンのカップアイス」で 私はCMで見て食べたかった「アズキミルクフラッペ」。 するとバトル後の雪ちゃんが 小さな真珠のような涙を頬っぺに付けたまま 雪ちゃん「ばあば それね!! 蓋を取って食べるんじゃないんだよ」。 私「えっ!! 蓋を取らないの?」と。。。
本州では”桜の満開だより”も聞かれているのに 当地は今冬の降雪量が多かったせいかまだ雪が残っています。 我が家の庭もいつもより雪解けが遅く 私は1週間かけてレンガの小道をようやく掘り出しました。
仙台旅の目的は 私・娘・孫(4歳♀)3世代と老父親(94歳)との面会で 昨秋に面会可能人数が1名から2名になったと仙台の妹から知らされてから タイミングを見計らっていました。 2月末にようやく コロナやインフル感染での面会が可能となっても 15分の面会時間はそのまま。 今回の面会でネックは”ひ孫の雪ちゃん”で 病院も高齢者施設はいずも幼児の面会NGを承知で施設側にお願いし 接触できない無い場所での面会許可を得てました。 出発当日の札幌は雪で飛行機は遅れ 施設の到着は予約時刻ギリ1分前。 私の面会時間は お土産と来月の誕生日プレゼントを渡すだけの8分間。 父親と誕生日が同じ娘と交代し 娘は可愛がってくれたお礼とプレゼントを渡して7分。 ひ孫の雪ちゃんの 離れた場所から”おいとまバイバイのみ”の予定。
今回の仙台旅の目的は 私・娘・孫(4歳♀)3世代が 市内施設に入居する私の父親(94歳)と15分間の面会をするため。 出発当日の札幌は雪。 早めに着いた最寄りの空港バス停には 雪害による交通事情で「本日運行中止」の貼り紙がひっそり貼られてました。 急ぎ足で孫の手を引いて 地下鉄からJRまで乗り継いで着いた千歳空港は 機材遅れでこちらも遅延。 気がかりは デイの都合もあって週2・午後のみの面会予約で 時間的に間に合うかどうかでハラハラドキドキ。 高齢でめっきり衰えた父親と 北海道のひ孫雪ちゃんとチラッと遭遇する一期一会の瞬間は たぶん今回のみ・・・。
先日の11日は 予定を入れず家で静かに黙祷をするつもりでいました。 午後になって 長女が仕事用PCを持参して来て 保育園をおさぼりした雪ちゃんも一緒でした。 そのタイミングで長女に長男から電話があり 兄妹で「自分は仕事で行けないけど 母が暇そうだから 母を連れて行けば」となってました。 どうやら長男がセミナー講師をした際のSNS画像が おしゃれ番長と自認する長女の元友人より回って来て 「兄のメガネは顔に対してフレームが太い。 レンズが大き過ぎる!!」と評したらしいのです。
あの日から13年。 この日は私にとって忘れられない大事な日。 先日 気仙沼に住んでいる同級生と電話でオシャベリしていたら 地元に住んでいると 当たり障りの無い話でお茶飲みをすることがあるようで 遠方に住む私なら話が漏れず無いと思われていて 自分の本音を友人たちがいます。 高校時代の友人3人は 「大震災で3人とも家を流されたけど 自然が起こした災害で 人生を恨んでも仕方が無いから 明るく生きて行こう」と誓ったのに その中の1人が違う考えになってしまった。と語ってました。
長男家の結婚6年目に生まれた孫・花ちゃんは 私たち夫婦の初孫で 4月になったら小学校の新一年生になります。 昨年のうちに 机かランドセルのどちらかを入学祝いでプレゼントするつもりと伝えたら お嫁さん側で買うことになっていました。 では私たちは”お祝い金”をと申し出ると 「お金では味気ないので 『花ちゃんに入学に使う必要な品々を選ばせて それをじいじとばあばが買ってくれた!!』の体験させたい」と 言われました。
久ぶりの穏やかな日だったので 買い物がてら散歩にでかけたら こんなメッセージが 積もった雪の上に書いてありました。 雪が降っても消える。雪が融けても消える 雪に書いた儚いメッセージ。
前の記事からの続きです。 我が家の黒猫りぃちゃん”の犬版”みたいな黒ワンちゃんを連れた女性から ”収拾がつかなくなった庭へのアドバイスを頼まれたけれども インテリアのことなら多少知識はあるけど ガーデンやエクステリアは全くの素人。 それに震災後 故郷の実家が更地になった消失感から 明確なテーマを決めて園芸本やら園芸セミナーを受け その通りに花苗を植えたけれど 好きな感じに仕上がらなかった。 それならと 持てる知識(インテリア・色彩・ディスプレイ・景観)を駆使して自分の感覚が気に入るように植え直して作ったのが「天使が遊ぶ庭」。
2月頃に 優良栄養食材の卵の価格が安すぎると全国ニュースで流れて 生活者としては値上げは困るけど 養鶏場の方々の手間や暇や 爆上がりしている飼料や電気代などのコスト面を考えれば仕方がないことかも・・・とそう思ってました。 1か月も経たない内に 鳥インフルエンザが千歳方面に何度か発生して 鶏が計120万を殺処分されました。 徐々にスーパーに並ぶ卵の数は減ってたのですが 近くの八百屋さんで売っていたので シニア夫婦の我が家では あまり気にませんでした。 4月に入って 有名サンドイッチ店の”卵サンド”や うどん店の美味しい親子丼メニューが消え 身近な人たちが「卵が買えない!!」と言い出して ことの深刻さを実感。
長男家の孫・花ちゃんの薄い髪の毛用に 春の冷たい風が触れぬように緩く編んだ”帽子&マフラー”の黄色い毛糸の残ってました。 同じく長女家の孫・雪ちゃんも髪の毛が薄く 外出先や 夜の冷えの備えて 昨年秋に可愛いニット帽を編むつもりでいたら 長女から”シンプル”にと言われ 意欲を削がれて帽子作りを中断してました。 春になって雪ちゃん本人から「雪ちゃんの黄色い帽子は まだできないの?」と言われて再開したのものの 半年以上空いた網目は不揃いとなり気にいらず ほどいて最初から編み直し。
先日の朝7時 突然ガタンという大きな音がして 布団の中だった私が慌てて飛び起きると 夫が痙攣した高齢猫・りぃちゃん(17歳♀)を抱えてオロオロ中。 原因が分からずとも ガクガク痙攣している人間年齢なら80歳を越えているりぃちゃんを 夫の手から静かに絨毯の上に降ろしてもらい 名前を呼びながら 私の手の平で静かに身体をさすりました。 そのうちだらりと開いていた口元が閉じられて 約2分後にはガクガク痙攣が治まって まずは一安心。 夫に直前の様子を聞くと 餌を食べようとして前方を見た途端 怯えた様子で走り出し 勢いで椅子を倒して壁にぶつかり痙攣した。とのこと。
5月に入って庭作業に励む私の要望で 花苗やら肥料購入時に車を出してくれる夫は 園芸には全く興味がないので いつも駐車場で待っています。 行けばつい時間が長くなり「待たせてごめんなさい」と思っていたら 「余市・丸福にナポリタンを食べに行かないか」と夫から誘われて 2人で行くつもりが長女家族も「車を出すから」と一緒に参加。
旧友S子ちゃんからのその電話は 日ハムの新球場・初エスコンで応援で 観戦応援中にかかってきました。 急ぎの要件じゃないとのことで 帰宅後に電話をかけると 「K(息子の名前)がね.。 何かのイベントで札幌に行くみたいなんだけど 良かったら行ってくれないかしら」の嬉しいお誘いで 二つ返事で快諾。 親同志が詳しく知らなくても 子どもたちがネットリサーチすれば たちまち情報が送られてきて「トークイベントショー」は札幌市内でスポーツカメラマンと行われるらしい。 現在K君は現役を退き ラグビー解説や広報活動をしているけれど 高校・大学・社会人・全日本と常勝ラグビーチームに所属して来たこれまでと 最後のアメリカチームを通したこの先の日本ラグビー界のことを カメラマンのイワモトアキトさんと掛け合いで話してくれました。 中学2年生のとき K君の母親S子ちゃんが鹿折中学の同じクラスに転校してきました。 帰る方向が同じ私と仲良くなり 同じクラスの男子も交えて3人で楽しく遊んでました。 50年以上前 宮城県の高校は男女別学多く 仲よし男子は男子高のラグビー部に入部して 田舎の女子高の暇な部活に一緒に入部したミーハー女子2人はいつも一緒で 仲よし男子のラグビー部を勝手に応援してました。 そのうちラグビー競技そのものが大好きになり テレビで観る早稲田ラグビーの宿沢さんや藤原さんのファンになってました。
今年は全国的に桜の開花が早く 札幌も例年より2週間早い4月中旬に開花。 開花後に急に気温が下がって肌寒くなり 右足の痛み残る私は「今無理をしたら この先庭作業ができなくなりますよ」の整体先生にお言葉で 自重をしてました。 ガーデニング仲間たちは きっと私が庭作業を始めているだろうと見込んで見学に来てましたが 逸る気持ちがあっても草花が内蔵しているシステムプログラムに合わて作業をしたいが私流。
近所の八百屋さんの店内で 36年前長男の小学校入学して以来のお付き合いで 近くに住むママ友Nさんと久ぶりに会いました。 別なママ友から昨秋 「コロナ禍が明けたらNさんと3人でお茶しよう!!」と誘われていたけど N宅に足が向かず”件のお誘い”を伝えたのが今回。 仕事をリタイアした夫が在宅するようになると 妻の外出に良い顔をしない場合もあるので「我が家の夫は いつでも外出OKだけど お宅のご主人はどう」と訊きました。 するとNさんが「夫は 亡くなったの」と言うではありませんか。 〇さんのことなんだけど(ご主人の名前)と重ねて尋ねると 同じ返事が。。。 4年前に亡くなったけど 夫の死が受け入れられずに 親しい親戚以外には話していない。 自分の頭で何も考えられなくなって 4年間をそのまま過ごしていたとのこと。
日本ハムファイターズの拠点 エスコン球場に行った翌日昼前に 長男から「仕事で円山公園に行くけど 花見に行くかい?」のメールが届きました。 一緒にエスコンに行った長男家の孫・華ちゃん(5歳)と 浮かれ気分で散財した私たちに 小学校の高学年に親孝行の漢字が書けなくて満点を取り損ねた長男が 珍しく気を使って誘ってくれたのかもしれません。
今回 日ハム対ロッテ戦のエスコン試合に行く我が家の先行メンバーは 長男とその娘(華ちゃん・5歳)そして私たち夫婦の4人。 試合時間18:00でも 新球場内を見学したいからと 保育園の華ちゃんを早退させて 高速道路で北広島まで30分。そこから 球場までの田舎道を20分。 結果2時間20分の短い時間で 日ハム11連敗が止まった日に 観戦できてよかったです。
仕事の合間に唐突に 彼女から「私 今月で会社を辞めるんです」と言われて 思わず「何でっ?!!」と訊ねると「上司のモラハラが もう耐えられなくて・・・」と。 誰からも頼りにされている40歳過ぎた彼女が そこまで言うのだから「辛かったんだろな」と思うと いい年をして不甲斐ない私はウルっとしたのです。
3月末のある朝 目が覚めて歩こうとしたら右足に力が入らず 足が床に付いただけで飛び上がるように痛い。 「怪我でも 何処かに打ちつけた訳でもないのに この痛みは何だっ??」と 首を傾げるばかり。 そう云えば 寝ているときにも右膝が痛くて 眠りが浅くなったことを思いだし 膝に力が入らず抜けた感じがして 歩くのが困難でした。
3年半ぶりの出張は 2日間に渡るものと思っていたら 「長丁場になるけど 丸一日で作業を終了します」の知らが入ったのが1週間前。 2日目も仕事のつもりで帰りの便を取っていたので 余った時間を自分の研修に使うことにして 長男家族が先月行った「新豊洲・チームラボ・プラネッツ」に決めました。 6年前に チームラボの札幌イベントのにも行ったのですが 当時はアートも運営も慣れてなくて 物足りなかったのです。 デジタルアート界の先駆者「チームラボ」が 日進月歩したその後を見たかったので 公式は完売でも 別サイトから残り枠2つで滑り込み入手。
コロナ禍で 旅行も出張も避けていたけど 先日出張で行ったのが元町・中華街の現場立ち合い。 本州進出を願うリフォーム業者の知人が手掛けたお宅に 我が社の商品を設置することになり 本来は本社の先輩コーディネーターだけの立ち合いだったのですが 2月に社長が来札した折「札幌では珍しい現場なので 今後のために是非立ち合いたい」と直談判して 許可を得たのです。
本日は 日ハムファイターズの「エスコン」開幕戦。 「エスコン」とは エスコンフィールドHOKKAIDOの略称で 北海道北広島に新しくできたFビレッジにある 日ハムファイターズの新球場です。 私が住む地域からは札幌ドームより更に遠く ファイターズファンと道民の関心が覚めたころ 一度は行こうと思っていました。 そんな所へ先日夜遅く 長男から「チケットが取れたから行かないか」と誘われました。 長男の送迎車付きで 席は別だけど内野席観戦で 早めに行ってテーマパーク並みに趣向を凝らしたFビレッジ内を色々探索しようとのこと。 千歳から30分の立地場所にあるので 道外からも「エスコンツアー」が来る程の人気ぶりだとかで 夫は間髪入れずに「行く!!」と返事。 対戦相手はロッテで 朗希君の投球を エスコンの醸造ビールを飲みながら応援できたら 良いな。と思っています。
八百屋さんのレジ近くに置かれていたのが 小さな段ボール箱に入った気仙沼産・ハチヨウの「いか塩辛」。 震災前は 気仙沼は塩辛生産が日本一でしたが 東日本大地震時に 多くの工場と同じく八葉水産も被災して甚大な被害を受けたと聞いてました。 私が気仙沼出身とは知らずに 美味しくて食べやすいパックの説明をしてくれたのですが 「私のソウルフードです」と伝えて 塩辛談義となりました。
孫預かりのあい間に 宿根草の芽吹きチェックのために庭に残る雪をかき出して 自分で敷いたレンガを小道を開通させました。 花を育てて愛でるのも楽しいのですが 敷き詰められたレンガの小道を眺めているだけで私は嬉しいのです。 昔から仙台青葉城址後の石垣や小樽の軟石の建物を 写真に撮る程好きだったのを思い出しました。
東日本大地震から気仙沼市・鹿折地区に生まれ者として 「3月11日 午後2時46分」に 三陸から遠い札幌で祈りを捧げることを 自分に課してました。 震災から12年目にして 本日は仕事だったので 社員食堂にある映りの悪いテレビを観ながら 2時46分に鎮魂の祈りを捧げました。 去り際 食堂に入ってきた年配男性に「気仙沼出身なので ・・・」と声をかけると その男性が 「自分も単身赴任中に仙台で被災して カーラジオでしか情報収集ができず 2週間後に津波の全容を知り 3週間後に山形経由で北海道に帰省した」と話しました。
その日はほぼ冬眠中の私が 夏場の庭作業でできた日焼け・シミ抜きエステの日。 終れば直ぐ帰るつもりの会計時 電話が鳴って知人・Sさんが「約束の時間から30分も待っているけど 今どこにいるの?」と慌ててました。 「えっ?!」です。 Sさんとの共通知人・Yさんが内装を手掛けた高級マンションを内覧した後に 3人で10年ぶりに「ランチ会」をするのは 「来月のはず・・・」と思いながら 先日スケジュール間違いをした私は弱気で 勘違いしているのはこちら側という風向きに。
今年も ”虹りんごキッチン”恒例の ひな祭りちらし寿司・テイクアウト用を作りました。 事前に「ひな祭りちらし・テイクアウト用」注文メールを送信して お皿も持参するよう言います。 長男家に結婚6年目にして 花ちゃんが生まれた初節句のとき 生後10か月の花ちゃんのために 仕事で遅くなったがお嫁さんが スーパーのちらし寿司を買って 祝ってあげていたのです。 そのうちに長女家にも雪ちゃんという女の子が生まれて 働くママ世代をお助けするつもりで 私が”ひな祭りちらし”を作ることに。 と言っても じゅうぶん美味しい”五目寿司の素”を使った手抜きちらしで 私の負担を軽くしています。
バイトにでかける夫を見送った後 私の目の端に札幌水道局の水色の車が横切って 水色の車は隣家の玄関前に止まりました。 これは”何かのお導き”かも・・・と閃いて 車から出て来た方に 事情をお話して「似たような事例が無いか」を尋ねました。 「自分たちは 水道関係者だから」と言いながらも 足を運んで穴を見てくれた方が 「管轄の下水管支部に連絡してみたら」と教えてくれました。 アスファルトに空いた穴が 下水管と関係あるとも思えず渋る私に 「まずは連絡を・・・」と 背中を押してくれたのです。