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【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (七)①
祖父母に連れられて、よく親戚の家に行きました。 その親戚の家は、多くが旭川や鷹栖の周辺。 広い田圃の中に家がポツリポツリとあるようなところでした。 旭川の駅前は、子供の目から見ると大都会。 砂川とは比べられないほど大きな街でした。 そこで僕は、初めてカウンター...
2022/07/31 17:00
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (六)②
小学校くらいまでの頃の僕の北海道観は、ほぼ祖母から聞いた話で出来上がっていました。 祖母が子供の時に奉公に出ていたという話は何度も聞きましたが、それがどこのことだったのか聞きそびれているのが残念です。 北海道への入植の時期を判断する重要な情報になったはずです。 ...
2022/07/30 17:00
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (六)①
僕はいわゆる「お婆ちゃん子」で、いつも祖母と一緒にいました。 母が外に働きに出ていたからかもしれません。 祖母と話をすることが多かったので、考え方も影響を受けています。 北海道を移住し続けたこと、アイヌの人、朝鮮の人、中国の人などのこと。 道路工事や炭鉱で働いて...
2022/07/29 17:00
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (五)②
昭和40年代、深川の町外れ、国道12号線沿いに温泉施設がありました。 そこに家族で何度か出かけています。 その大浴場でも深みにハマって溺れかけたことがあります。 家族で出かけられる温泉施設はたくさんありましたね。 奈井江、浦臼、上砂川、深川などへはよく出...
2022/07/28 17:00
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (五)①
子供の頃は、よく水に落ちました。 いつも近くに誰かがいてくれて助かっています。 もし一人きりだったら、ダメだったかもしれないと思われることもあります。 水の中から明るい空を見上げていた記憶があります。 他の時の記憶と混じっているのかもしれませんが。 ...
2022/07/27 17:00
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (四)②
母親の実家は、冬には暑い雪に埋もれていました。 雪が積もると自動車は使えなくなって、足で雪を踏み固めた細い道を伝って行き来をしていました。 広い田圃が一面の雪原になってしまいます。隣家はずっと遠くに見えるだけ。 開拓で入植したての頃は、さらに隣家は遠かったのかもし...
2022/07/26 17:00
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (四)①
妹が生まれたとき、1週間ほど母の実家に預けられていました。 一人きりで母方の祖父母や叔父叔母、従姉妹達と過ごしていました。 みんな優しい人たちだったので、とても安心していたように思います。 寂しがる様子もあまり見せなかったようで。 冬だったので、家は深い...
2022/07/25 17:00
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (三)②
季節ごとの畑の様子を覚えています。 夏にはたくさんの野菜が実っていて、毎日収穫したての新鮮なものが食卓を飾りました。 そして、お盆が近づくと、トンボがたくさん飛んでいましたね。北海道のお盆は旧盆の時期になります。北海道の学校の夏休みの終わり頃です。 秋になると収穫...
2022/07/24 17:00
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (三)①
父母が結婚して、祖父母と一緒に住むことになったので、新しく家を建てたようです。 それも、やはり自分達の手で建てたとのこと。当時はそれが普通だったみたいで。 入植者、開拓者って、自分でなんでもできないといけなかったのかもしれません。 今回は、自分が子供の頃の...
2022/07/23 17:00
【個性的+美しい】ガラスペン対決(後編) ~有隣堂しか知らない世界120~
YouTubeの共有機能を見ていたら、Bloggerへのリンクがありました。 実験も兼ねて、投稿します。 有隣堂の岡崎さんが面白いです。 ブッコローと岡崎さんがそろうと最強の回になっているような気がします。 ぜひご覧ください。
2022/07/23 08:43
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (二)④
母の家系も北海道入植者です。 南北に流れる石狩川を挟んで、砂川の西側にある地域です。 水田が広がる、のんびりとした土地でした。 現在の新十津川もあまり変わりません。道路は広くなったかな。 母の実家は、今も規模の大きな水田経営をしています。 新十津川町HP ...
2022/07/22 17:00
【多摩丘陵からお出かけ】茨城県近代美術館 「どっちがどっち? いわいとしお✖️岩井俊雄展 100かいだてのいえとメディアアートの世界」展に行って来ました
2022年7月9日(土)に茨城県近代美術館に家族で行ってきました。 他の用事を兼ねていたので、車で出かけました。 中央道から首都高、常磐道と抜けて水戸まで。 スピード控え目で、途中SAに寄ったりもしたのですが、3時間くらいで到着しました。 茨城県近代美術館に立ち寄った目...
2022/07/12 17:06
【穏やかに暮らすために】選挙のたびに思う 税金の使い道を指定できないか
選挙での投票は、はっきりと民意を示す方法だとは思います。 しかし、選挙での投票だけで民意がしっかりと示されたとは言い切れないかも。 不満なら投票に行けばいいじゃない、と言われるかもしれません。 しかし、しっかりと投票に行っても、それだけで自分の意志が伝わっていると...
2022/07/11 21:21
【昭和の名曲、名盤】増田俊朗 「GOOD BYE」 追い求めたロックの真髄
増田俊朗さんの「GOOD BYE」、何度も繰り返し聴きました。名曲揃いです。 今でも、時々「昼も夜も」のメロディーや歌詞が、増田俊朗さんの声で頭の中を流れていきます。 「本当の意味もわからないくせに、気安く自由なんていわないでくれ」 今でも、その通りだよなあ、なん...
2022/07/09 05:00
【読書記録】浅田次郎 「黒書院の六兵衛」 なにもかもが中途半端な、片付かない時代に
コロナがなかなか終息しません。多大な税金をかけて対策をしていますが、その効果を検証することなく、新たな予算が立てられ、それが使われていっているように思えます。 ロシアが始めた戦争も、終わり方が見えません。戦争を始める前に、どのようになったら戦争をやめるのか、その見通...
2022/07/08 15:54
【歴史と古典】「坂東」、「武蔵」、「相模」という呼び方はどこからきたか
平治物語絵巻断簡より「東国へ落ちゆく義朝の一行」 関東地方に住んでいると、坂東、武蔵、相模という呼び方を耳にしますね。 これらがなにに由来するものか、ご存じでしょうか。 「坂東」(ばんどう)の呼び方の由来 坂東は「坂よりも東」の意味であることは、すぐにわ...
2022/07/07 07:33
【ブログ】ヨーロッパの家 日本の家 メンテナンスについて思うこと
バルセロナのサグラダファミリアの塔から撮影した街は、どこまでも石と煉瓦と瓦で出来ていた。 建物自体は100年以上使われているものが多いのだろう。 そもそもこの写真を撮影したサグラダファミリアは着工が1882年というから、100年経ってもまだ出来ていない。 完成後も使...
2022/07/06 06:03
【転勤、引越し】海外駐在の終わり タイからの本帰国
2年半のタイ駐在を終えて帰国したのは2012年の梅雨時期。タイでは雨季の曇りがちの天気が続いていたが、日本は梅雨空で気温は低めだった。 タイではホテルが提供していたサービスアパートメントを利用していた。広めのゆとりのある部屋だったが、収納が少なかったので、日本からはあまりもの...
2022/07/05 05:00
【北海道のこと】アイヌ語由来の地名を最初に網羅的に研究した人って誰?
北海道大百科事典 北海道新聞社 昭和56年 より 興部は「オコッペ」、秩父別は「チップベツ」。 読めますか? 漢字を見ただけでは通常は読めませんよね。 読みにくい理由があります。 それは、これらの地名がアイヌ語の音を漢字にしているから。 このような地名は、アイヌ語が...
2022/07/04 06:23
【海外出張のこと】スペイン カステジョン 2012年冬 石と煉瓦の街並み
スペインに初めて行ったのは、2001年の10月頃。アメリカでの大規模なテロがあった少し後のこと。 イタリアまでは会社の他の部署の人たち数人と一緒だった。ラベンナにある会社を訪問した後、一人でスペインに移動した。 一人で移動していたためか、スペインの空港で何度か警備員に声をか...
2022/07/02 08:48
【臨済録】原文全文に補足しました 臨済の四照用
唐の時代の禅僧臨済の語録「臨済録」は、弟子の慧然が記録したものをまとめたのが始まりです。 その後、他の文献などからいくつかの文章が補われ、現在の「臨済録」の形になっています。 本ブログのページに掲載しているのは、宋代になって円覚宗演が重刊したものをベースにしています。 「...
2022/07/01 09:08
2022年7月 (1件〜100件)
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