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前回の続きでタバコの歴史について。今回はタバコという新大陸発見以降の新商品のおかげで、どれだけヨーロッパ各国の王室が金儲けを成功したか、また、その当時の重商主義政策が成功してしまったせいで、現在の甚だ強大すぎる国家権力の仕組みが出来上がって
今回はタバコの歴史について書いていきます。タバコの原初である新大陸アメリカから、中世ヨーロッパのタバコ文化や法の仕組みについてなどなど。それから、我々がよく知るような紙巻たばこだけでなく、世界には今でも色んな種類のタバコがあるのだということ
今回は中世の賭博場がどんな感じだったのか、どんなゲームが人気だったかを書きます。古代のギャンブルこの歴史上最も古いギャンブラーを呪術師の中に求めるのを、多くの人は不審に思うかもしれない。しかし、まちがいなくギャンブルの歴史というのは占星術師
今回の記事は再度コロナ問題についてです。現在のコロナ問題はもはやのっぴきならない犯罪レベルにまで現状が悪化してきましたので、犯罪行為を行い続ける日本政府とマスコミを糾弾するために再び重い筆を取ることにしました。各国の接種率と感染率から見たコ
前回の記事では建築屋さんの労働事情などを書いたので、今回は純粋に石工が現場で構造物を造るのに使っていた道具と、実際の当時の仕事風景を再現した動画を紹介します。石工の道具まずは中世当時の石工が使っていた道具でも、特に中心的だった物を羅列する。
今回は中世の建築屋さんを通じて、彼らの労働環境や生活っぷりを書いていきます。中世建築の主役石工最初に、職業の細分が著しかった中世において、建築という事業においてどんな種類の人達が集まったのかを純粋に羅列しようと思う。石工・大工・鍛冶屋・遠心
前回からの続きで今回はルネサンス建築からです。ルネサンス建築15世紀頃に都市フィレンツェで起こった古典回帰の建築ブームをルネサンスと呼ぶ。この動きは街がどんどん裕福になっていく過程で、人々がクソ教養を身につけていったことが理由と思われる。歴
今回は西洋建築の歴史を追っていきます。題材とするのは西洋建築を西洋たらしめる、ロマネスク時代からバロック時代までのです。もっと昔からだとメソポタミアやギリシア時代からの建築まで遡ることが出来ますが(何故なら文明の数だけ発掘できる建築があるの
前回の続きで騎士の話についてです。中世における実際の戦争歴史教科書があまりにも歴史上のイベントで戦争を紹介しすぎたため、私たちの昔は年がら年中いくさをやっていたような印象を受けるが、実際には我々の祖先はそれほど常に野蛮であり続けたということ
今回は騎士について書きます。騎士は中世の象徴的存在だったわけですが、実際にはどんな存在で、どんな風に生活していたのかに焦点を当てて紹介します。騎士と非騎士騎士のことを書く前に騎士の定義をはっきりさせなくてはならない。騎士 = 中世の軍人とす
今回の記事は古代宗教であるゾロアスター教から、他の様々な宗教の流れを追っていきます。ゾロアスター教ゾロアスター教というのはゾロアスターという預言者が、イランの東部地域を中心に流行させた宗教である。イランと言っても、現在の地図上にあるようなイ
今回の記事は、例外的に現代の問題について書きます。本来、中世ヨーロッパの文化の考察がこのブログ記事のメインコンテンツですが、現在の国連、西側先進諸国の露宇戦争の対応の仕方があまりにも悪いものなので、コロナ対応問題について書いた時と同様にここ
今回は修道士と修道院についてのお話です。前回の記事は教会関係者を中心に書いたので、今回は修道士と修道院オンリーで話をまとめます。修道院の役職最初に修道院での役職から説明する。修道院は教会に比べれば世俗的な性質は薄そうにもみえるかもしれないが
今回はギルドのお話です。ギルドと言えば、異世界アニメでモンスターを討伐するお仕事を斡旋するなどでおなじみですが、現実中世世界においてのギルドもハローワーク的な役割も果たしていました。つまり人々の職の面倒を見ていたのです。商業・労働組合として
今回は中世のお風呂事情についてのお話。中世人は不潔だったという言説は、お風呂に入らない=身体を洗っていない、という単純等式になぞらえることは多くありますが、果たして当時の人の清潔観念は実際どうしたものだったのかを探ってみましょう。公共入浴施
今回はYoutubeにある動画を観ながら、中世の平民の家がどんな風だったのか考察していきます。中世の建物内部は、城や聖堂・修道院といった建物はおおむね資料が豊富にあります。建築構造自体が耐火性のある石造で長期保存可能であったのと、権力崇拝者
今回は復活祭と過越祭について、書きます。ヨーロッパ世界にとって伝統ある祭りで、中世と今とでどんな風に違ってたりするのかを見ていきます。イースター(復活祭)の由来日本では復活祭という訳語されることの多い、Easterという語源は実はキリスト教
ゆるキャンやヤマノススメなどに代表されるように、最近は人々の間で山がブームになりつつある良き傾向があるので、今回は中世の森で働く人々について書いていこうと思います。森は貴重な資源であるまずは、中世においては森がいかに貴重な有形資産であったの
今回の記事もいつもとは趣旨のちがうものを書きます。今や我々の社会の一番の関心事と成り果てたコロナについての記事です。コロナを取り上げようと思ったきっかけは、やはりブロガーとして話題性があるからという助平心を否定できませんが、真剣には、現在の
中世の墓地に思いを馳せてみる。前回の記事があまりにもハレ内容だったので、今回はアメ的な位置づけの話になる。みなさんの趣向はどこ向きなのかは知れないが、私は墓地などの神聖で静かな場所にこのうえない魅力を感じるのだ。水木しげるなども、奥さんの初
中世の娼婦と娼館の内部描写について書く。例によって、こういったセンシティブな内容はネットで調べても、悲惨の歴史ばかりが閲覧者の眉間の前に迫ってくるので、自分が満足いく程度には調査できなかった。本当は、娼館内や外見構造がどうなっているかを追究
中世のユダヤ人の歴史を書こうとすると、ネットで文献を調べるにあたっては、読む人を辟易させるレベルで悲惨の歴史ばかりを前面に押し付けてくるきらいがある。私のこの記事では、なるべくそのような色合いは抑えて、あくまでたんたんと中世期のユダヤ民族の
iDeCo(イデコ)について知らなくてはいけない事(ETFの個別買との比較)
前回に引き続いてイデコの記事になります。今回はイデコとETFの個別買を比べて、それぞれにどのような短所・長所があるかを見つけていきましょう。楽天・全米株式インデックス・ファンドとVTI(Vanguard Total Stock Market
前回の記事続きです。今回はイデコによる節税効果について中心に紹介します。所得税と住民税の節税効果イデコで積み立てたお金は、全て所得控除の対象となります。所得控除というのは、所得税を減らしてくれるシステムです。所得控除の話をするために、まず所
今回の記事はiDeCo(イデコ)についてです。私のサイトとの関連はうすいのですが、身内がマスコミの喧伝に流されるままに、考えなしに中央政府がコマーシャルする金融商品に手出ししようとしている現状に見かねて、ここに筆を取ることにいたしました。率
Medieval Furnishings of the Common People
Let's think about the products we, as modern people, use in our daily lives. What kind of tools do we have in our h
前の記事からの続編です。退役軍人への報酬ローマが仮にイタリア全土を手中に収めたと言っても、互いに異なる民族同士がその翌日から手を取り合って笑ったり、商売したり、愛し合ったりするだろうか?ひとつの国を統一するのがそんなに簡単な話だったら、日本
古代から中世時代までの平民階級の住居について書く。都市部と農村部で住居環境が異なってくるので、今回は都市部を中心に書いていきます。ローマの遺産ローマ帝国は諸々の事情で瓦解したわけだが、ある文明圏が破壊されたとて、まるごとその記憶が後世になん
ローマ帝国が後世のヨーロッパの文化を形成するに与えた影響の大きさは、今さら説明の必要はない。私は、この記事では、ローマがどのようにして生まれ、物語し、死んだ。という事実を淡々と書くことにする。ロムルスとレムスROMULUS &REM
中世の交通は陸の上よりも河川や海の方が、断然早かった。大型船を作って、貴族や商人が異国の地へ目指したのである。とはいえ、危険はつきもので、彼らは常に難破や海賊の危険を覚悟しなければならなかったのだ。海上貿易の成功者は巨万の富を果たした。
中世ヨーロッパの聖職者とは何者なのかと尋ねられたら、日本風に言えば端的にお寺の坊さんというのがふさわしい。ただRead More...
中世という遠い昔であろうが、法は確かに存在していた。しかし、その法は完全に公正で公平であったかと言えば、道半ばもいいところだった。裁判は証拠を追跡する科学的な技術も確立していない。彼らが注視したのは紛争を辞めさせる事だけだったのだ。
中世における税は農民の場合と、市に住む都民の場合とで、重さが全く異なっていた。農民は基本的には領主の所有物、奴隷みたいなものなのでやりたい放題にされていたのである。といっても、そんな農民たちの間でも地域によって貧富の差はあったのだ。
中世初期においてはまだ貨幣という手段は確立されていなかった。金や銀などの希少鉱物を切り分けたの物々交換の手段とし、ローマ人は貨幣という手段を東方の賢者から習ったのである。そして彼らはその後、手形を発明し、より金融と経済を発展させるのだ。
中世の市場も現代の市場も大きく変わることなんてない。みんなでわいわいと集まって楽しく食べ物を食べたり、買い物したり、演物を見たりしたのである。外国商人たちにとってはある種戦場であって、両替商とはしばしば喧嘩していたのではないだろうか。
中世後期の庶民の服装はある程度においてファッションショーだった。カラフルな色合いの服に、左右で色の違うズボン。お金があれば要らないアクセサリーも身につける。もっと昔時代であれば、ブリオーと呼ばれるゆったりした衣服を着ていた。
中世当時の台所は火の元を暖炉の火や囲炉裏などに頼っていた。何でも自分で作るのが常の時代だったので、キッチン道具は割合豊富。比較裕福な人達は銅製などの金属製の調理具を使い、農村部や貧しい人たちは木製の食器などを使っていた。
中世前期の交通道路は非常な悪路だった。そのうえに、道を渡るのに交通税をも取られるという話なので、お金のない人はもっと悪い道を選んだのだろう。狼や野盗にも気をつけねばならなかったし、外国との交流は今に比べ大分乏しかったのだ。
中世農村の居酒屋ではビールやエールなどの酒類だけではなく、食糧品や、雑貨、農具など、様々な物を販売しており、また村のコミュニティーセンターみたいなものだった。旅の者も宿泊客として利用するので、外国や他の町の様子なども聞き出すことが出来た。
中世には平民以下と言える身分の者たちが多数存在した。彼らの多くは農村出身者や外国人であり、日雇い働きにその身をやつしていたのである。その他には、ユダヤ人や娼婦、病気患いの者がいて、危ない目に遭わされたり、本人が犯罪に加担する者にもなり得たのだ。
中世都市の町並みについて、当時の肉屋・パン屋、屋台から想像していく。肉屋は中世当時強い立場を得ており、かつ嫌われ者でもあったようだ。パン屋は都市の洗練されたパンと田舎からやってきたパン屋さんがいたよう。屋台で焼き肉を売る店もあったらしい。中世当時のファーストフードだろう。
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