chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • ローマ帝国の誕生と死(前編)

    ローマ帝国が後世のヨーロッパの文化を形成するに与えた影響の大きさは、今さら説明の必要はない。私は、この記事では、ローマがどのようにして生まれ、物語し、死んだ。という事実を淡々と書くことにする。ロムルスとレムスROMULUS &REM

  • 中世における交通インフラ(水路編)

    中世の交通は陸の上よりも河川や海の方が、断然早かった。大型船を作って、貴族や商人が異国の地へ目指したのである。とはいえ、危険はつきもので、彼らは常に難破や海賊の危険を覚悟しなければならなかったのだ。海上貿易の成功者は巨万の富を果たした。

  • 中世の聖職者

    中世ヨーロッパの聖職者とは何者なのかと尋ねられたら、日本風に言えば端的にお寺の坊さんというのがふさわしい。ただRead More...

  • 中世の法(農村編)

    中世という遠い昔であろうが、法は確かに存在していた。しかし、その法は完全に公正で公平であったかと言えば、道半ばもいいところだった。裁判は証拠を追跡する科学的な技術も確立していない。彼らが注視したのは紛争を辞めさせる事だけだったのだ。

  • 中世の税

    中世における税は農民の場合と、市に住む都民の場合とで、重さが全く異なっていた。農民は基本的には領主の所有物、奴隷みたいなものなのでやりたい放題にされていたのである。といっても、そんな農民たちの間でも地域によって貧富の差はあったのだ。

  • 中世の金融

    中世初期においてはまだ貨幣という手段は確立されていなかった。金や銀などの希少鉱物を切り分けたの物々交換の手段とし、ローマ人は貨幣という手段を東方の賢者から習ったのである。そして彼らはその後、手形を発明し、より金融と経済を発展させるのだ。

  • 中世の市場

    中世の市場も現代の市場も大きく変わることなんてない。みんなでわいわいと集まって楽しく食べ物を食べたり、買い物したり、演物を見たりしたのである。外国商人たちにとってはある種戦場であって、両替商とはしばしば喧嘩していたのではないだろうか。

  • 中世都民のファッションセンス

    中世後期の庶民の服装はある程度においてファッションショーだった。カラフルな色合いの服に、左右で色の違うズボン。お金があれば要らないアクセサリーも身につける。もっと昔時代であれば、ブリオーと呼ばれるゆったりした衣服を着ていた。

  • 中世の台所

    中世当時の台所は火の元を暖炉の火や囲炉裏などに頼っていた。何でも自分で作るのが常の時代だったので、キッチン道具は割合豊富。比較裕福な人達は銅製などの金属製の調理具を使い、農村部や貧しい人たちは木製の食器などを使っていた。

  • 中世における交通インフラ(陸路編)

    中世前期の交通道路は非常な悪路だった。そのうえに、道を渡るのに交通税をも取られるという話なので、お金のない人はもっと悪い道を選んだのだろう。狼や野盗にも気をつけねばならなかったし、外国との交流は今に比べ大分乏しかったのだ。

  • 中世居酒屋

    中世農村の居酒屋ではビールやエールなどの酒類だけではなく、食糧品や、雑貨、農具など、様々な物を販売しており、また村のコミュニティーセンターみたいなものだった。旅の者も宿泊客として利用するので、外国や他の町の様子なども聞き出すことが出来た。

  • 中世における非市民層

    中世には平民以下と言える身分の者たちが多数存在した。彼らの多くは農村出身者や外国人であり、日雇い働きにその身をやつしていたのである。その他には、ユダヤ人や娼婦、病気患いの者がいて、危ない目に遭わされたり、本人が犯罪に加担する者にもなり得たのだ。

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、Taro083さんをフォローしませんか?

ハンドル名
Taro083さん
ブログタイトル
中世ヨーロッパ備忘録
フォロー
中世ヨーロッパ備忘録

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用