今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
当ブログは、近年着物に興味を持つようになった着物初心者さんや若い世代向けに書いているブログです。 着物の知識・情報のメモ&お買い物&着物ファッションをアルバム風にまとめてみました。
パーソナルカラーと似合う色の話① 人種・文化・時代に関係なく適用できる理由
今回は、着物の見立て方とパーソナルカラー理論の違いのお話です。近年、洋服ファッションやヘアメイクの世界では、パーソナルカラーで判断することが流行っていますね。<参考記事>若者の買い物動向を変える「パーソナルカラー」はなぜ人気なのか?|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社 (newswitch.jp)パーソナルカラーとは?【春夏秋冬4シーズンの分類と特徴】 (sachiel-chan.net) 2000年代前半にファッション誌でパーソナ...
モンゴルの民族衣装はイベントやお祝いで気軽に着る ~モンゴル人の友達の話~
(前回からの続き) 私:「モンゴルの伝統服はいつ頃まで日常的に着られていたの?」友人H:「モンゴルで伝統服を毎日着ていたのは1930年代くらいまでで、そこで一度途切れているの。 旧ソ連の支配下に置かれてからは、政治的な影響があって、1950年代からはほとんどのモンゴル人は冠婚葬祭でもデールを着るのを一切やめて、全て洋服を着るようになったらしい。 ネットによると、国家的・政治的な影響で、1950年代以降はモンゴ...
モンゴルの民族衣装にも着物と同じ色と年齢があった。~モンゴル人の友達の話~
今回は、昔はモンゴルにも着物と同じ色と年齢の色彩感覚があったというお話です。 大学時代の同級生のモンゴル人の友達に、モンゴルの伝統服について聞いてみました。私:「着物には色と年齢というのがあって、若い時は赤やピンクや黄色などの明るい色を着て、年齢を重ねるごとに地味にしていき、高齢になると灰色や茶色や紫色を着るという風習があったらしい。 大阪の中古着物屋さんの話では、そういう色彩感覚を自然に持って...
草木染めには伝統がある×→草木染めという言葉は昭和7年に作られた○ ~昭和後期のおかしな言説~
今回は、草木染めという言葉は昭和7年に作られたというお話です。 和裁士さんを通して呉服の世界を見ていると、昭和後期は、「草木染めの地味で渋い色調こそ日本的な色彩感覚だ。日本人なら草木染めの渋い色を美しいと思うべきだ。」「色と年齢の色彩感覚は草木染めの色彩感覚であり日本特有のものだ。」「草木染めの淡い色や渋い色は上品な色だけど、化学染料の鮮やかでカラフルな色は下品で悪い色だ。」「草木染めなら高級品...
92歳のお婆さんの話 戦前の庶民の履物は千日草履やワラ草履やあさぶら。草履は一つのものを訪問着や紬まで様々な着物に合わせた。
今回は、92歳のお婆さんのお話シリーズで、戦前の庶民の履物事情と草履の格とTPOの感覚のお話です。私:「戦前の草履の種類と合わせる着物の格はどのようなものでしたか?留袖用、訪問着用、紬用と細かく分かれていましたか? 草履の格とTPOについて調べてみると、戦後に今の着物の決まりごとを作る中で、着物の格ごとに使える草履を限定し、訪問着用・小紋用・紬用…と商品ラインをたくさん作って販売促進していたということが...
今回は、袋帯の中には、筒状に織られた「本袋帯」があるというお話です。 服部織物の帯を見ていた時、両端の縫い代がなく、軽くて薄手でしなやかなで不思議だなと思って見ていたら、店員さんが、「これは本袋帯という筒状に織られた帯で、こういう帯は良いものが多いですよ。(本袋帯は特別な技術だから、安物は作らない)」と教えてくださいました。 ネット情報によると、一般的な袋帯は表生地と裏生地の2枚を縫い合わ...
洋服に年齢はない④ 洋服売り場やブランドは、年齢を重ねるごとにステップアップしないといけないわけではない
(前回からの続き) 今回は、洋服売り場のディスプレイやコンセプトの話題の続きとして、消費者は、洋服の売り場やブランドを年齢ごとにステップアップしていかないといけないわけではないというお話です。 もしかすると、呉服関係者さんの中には、「安い商品=若い世代が買うもの」「収入が増えれば年齢ごとに相応しいブランドにランクアップしていくべきだ」「洋服は年齢ごとに買う店を変えていくものだ」という考えの人がいる...
前回からの続きを書きたいところですが、まだ書けないので、今回は別のお話にしたいと思います。 京都・大阪の着物上級者さんのブログで知ったのですが、関西は厄年に七色のものを身に付ける風習があり、着物では七色の和装小物が知られているのだそう。<参考記事>ひぐちゃんのお遊びBlog 七色仮面参上 (fc2.com)ひぐちゃんのお遊びBlog ワンコーデでイルミネーション見学ツアー (fc2.com) 船場センタービルの和装小物のお店...
洋服に年齢はない③ 呉服的価値観と洋服的価値観の違い、最高峰のファッション誌に年齢はない
(前回からの続き) 前記事でも書いた、呉服の世界にある、「女性は年齢を表すために衣服を着ないといけないから、集団で階段を上るように、同年代はみんな似たような着こなしをしないといけない」「自分が年を取って先輩世代と同じ世代になったら、自分も型や様式を引き継ぎ、先輩世代と同じ格好をしないといけない」「着物は10代、20代、30代、40代、50代、60代…と、年齢ごとに相応しい色柄が固定されていて、あたかも中身の人...
洋服に年齢はない② 日本の百貨店がフロアを年齢・立場で分けていたのは呉服屋が前身だったから?/ヨウジヤマモトの片腕だった斎藤統さんの西洋の洋服文化の話。
(前回からの続き) 和裁士さんの話を聞くうちにわかってきたことは、呉服の世界には、「女性は年齢ごとに着こなしが定められており、それを守らないといけない(=年齢相応の格好をすべきだ)」「女性は年齢を表すために衣服を着ているから、集団で階段を上るように、同年代はみんな似たような着こなしをするものだ」「着物は年齢に相応しい色柄や着こなしが予め決まっていて、外的な基準に従い、機械的に着こなしを変えていかな...
洋服文化をよく知らずに議論している人がいる?洋服に年齢はない① 西洋では18世紀まで子供服の概念がなかった。子供服は大人服をミニチュア化したものだった。
今回は、呉服の世界には年齢ごとに形態・色柄・着こなしを変えるという考え方がありますが、洋服文化には年齢階梯性はないというお話です。 呉服関係者・着物愛好家さんの中には、洋服文化のことをよく知らない人が着物と洋服を比較して説明していたり、本場の洋服文化をよく知らない人が女性の着こなしを批評していたり、漠然としたイメージや思い込みで、女性の服装のあり方・望ましさについての勝手な持論を展開...
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今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
(前回からの続き)私:「和裁士さんによると、昭和後期の着物の世界では、黄八丈は町娘が着る若向きのイメージがあるから年配は着れないとか、格子は若づくりだという説が流布されていたらしいです。 Fさんは(本場)黄八丈にどんなイメージがありますか?」 Fさん:「黄八丈は年配世代が着るものというイメージだし、黄色が若い人しか着れないという話も聞いたことない。 誰がそんなこと言ってるのかしらね?? ...
今回は、Fさんのお話シリーズの第一回です。 (過去に一度公開した記事ですが、差し障りがある箇所があったため非公開にしており、今回再掲させていただきました。) ご実家が明治初期からの呉服屋だったというFさんに、大島紬の話や戦前の宮崎県の庶民の衣生活の話を聞かせていただきました。 Fさん(2018年現在で78歳)のご実家は、お父方が江戸時代に大名の馬廻り役だった武家のご家系で、明治以降は商家に鞍替えし、...
今回は、帯締めの話に続き、帯揚げについて調べてみました。 帯揚げは、お太鼓結びが生まれた後に、帯回りの付属品・装飾品として生まれたものの、帯締めのように組紐の文化や伝統技術などの背景があるわけではないためか、帯揚げを専門的に調べた本はほとんどないようです。 時代考証家の山田順子さんによると、「文化年間(1804~1818)にお太鼓結びが考案されると、帯がずり落ちないように、帯締めだけでなく、背中の折山に...
(前記事で、「組紐の帯締めの普及は、月印という帯締めの問屋が仕掛けた」という説を載せ忘れたので追記しました。よろしければご覧ください。) 今回は、夏用の帯締め・帯揚げのお話です。 戦後の呉服の世界では、季節柄や衣更えをうるさく言っていたので、「夏には夏用の帯揚げ・帯締めにしないといけない」と思う方がおられるかもしれませんが、夏用の帯締めは衣更えのしきたりでも何でもなく、戦後の昭和後期に商業的に作ら...
🎍新年のご挨拶申し上げます🎍 今年は元旦から地震・事故・事件など様々なことがありました。 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 当ブログの新年の抱負は、昨年は更新が少し滞っていたので、今年は着物の理論のほうに力を入れ、もっと多くの記事を投稿できる一年にしたいと思います📒🖋~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 今年の初記事は、特にお正月らしくもないのですが、帯締めと...
今回は、麻の着物の話に続き、芭蕉布の着物の格についてです。(画像参照元:芭蕉布 - Wikipedia) 戦後の呉服の世界では、芭蕉布は帯も着物もカジュアル着着として知られ、とても高価で希少性の高い商品となっていますが、琉球王国時代は古くから王家の夏の礼装として用いられ、戦前でもフォーマル着として着られていたようです。 『図説琉球の染めと織り』によると、琉球王朝では古くから芭蕉布が存在し、王族から庶民に至る...
今回は、戦前までは麻の紋付礼装があったというお話です。 結論から先に述べると、麻についても、昔は紋付の礼装があり、夏場はフォーマルで着られていましたし、同じ麻でも上質なものは上流階級の礼装や日常着として着られ、質の劣るものは庶民が日常着・労働着として着ていたということがわかりました。 戦後の着付け教室の教本や着物雑誌を読むと、「麻は素材からして格が低い」「麻は農家が自家用に作る自然布が起源で格が...
今回も前回に続き、紬や木綿は格が低いという言説についてです。 結論から先に述べると、「紬はとにかく格が低い」というような言説は、戦後の昭和後期に高級紬ブームになった時に、高級紬のライバルであった友禅の産地が紬を下げるような言説を流布したのが原因という説があったり、歴史的には高級紬は別格に扱われていて、地域によっては正式な礼装として着られていたという事実があるようです。 紬については色々な種類があ...
今回は、前回の木綿友禅の話に続き、「紬は紬というだけで格が低い」という言説は誤解であり、戦前までは紬の礼装があり、着物の格は素材よりも紋の有無と色柄で判断していたというお話です。 戦後の呉服の世界では、「紬はどこまでいっても格の低い着物(カジュアル着)だ。」「紬の訪問着は戦後に作られるようになった邪道の商品だ。紬の訪問着をフォーマルな席で着るのはおかしい。」「紬はいくら高級品でも格の低い着物だか...
今回は、「木綿は木綿というだけで格が低い」というのは誤解であり、大正時代までは木綿の礼装が作られていたし、着物の格は紋の有無と柄ゆき(裾模様・絵羽)で判断していたというお話です。 戦後の呉服の世界では、「木綿着物は着物の中でも最も格が低い」「木綿の着物はカジュアルな格だから部屋着として着たり、働く時に着るものだ」「隣人や極親しい人と会う時、近場の買い物で着る」「木綿の着物は格が低いからマフラーや...
続いて羽織のお買い物の話です。 ↑小紋の羽織、中古品、324円。 こちらは、和裁士さんが小物作り(つるし飾り)用に買ったもの。 茶色でこういう小さな柄は、雀などの小鳥の素材に使えるのだそう。↑バティック調の型染めで、羽裏もアジアンテイストです。 羽裏の下の表生地の折り返しが多いので、羽織にしては生地がたくさん取れたそう。 ↑小紋の羽織、中古品、324円。 こちらも和裁士さんがリメイク用に購入。 羽織紐が...
前回に続き、羽織のお買い物の話です。↑寿光織の絵羽織、未使用品、仕付け糸付き、108円。 こちらは知人のNさんが買ったもの。寿光織でこの価格はびっくりです😧 上品な糸菊が描かれていて、絵羽なので、関西の感覚だと、紬の着物ではなく、格のまあまあ高い垂れ物に合わせるべきものなのかも? 金糸・銀糸と白糸で立体的な糸菊が抽象的に表現されています。 「大小あられ」のような地紋があり、光の加減で浮き立ってオシャレ...
今回は、羽織のお買い物の話です。 今は長羽織が流行なので、昭和の短い羽織は流行遅れになりがちですが、とはいえ昔のものは良いものが多いので、そこまで短くなければ今着ても恥ずかしいわけではないと思いますし、生地や加工が良いのでリメイクにもオススメです。(過去記事→今の流行と昭和の着物のイメージあれこれ② ~着物を着るうちにわかってきたこと~)↑刺繍入りの絵羽織、未使用品、仕付け糸付き、108円。 手刺繍と...
今回は、地方の呉服屋さんでは、京都のネームバリューを都合のいい時だけ利用していたり、本当は田舎の趣味なのに、自店が京都のセンスであるかのように販売しているというお話です。 今まで呉服の世界を見ていて、着物で嫌な思いをしたり、着物離れが起きる大きな要因は、消費者と直接関わる販売現場が原因ではないか?とわかってきたため、今回は地方の呉服屋シリーズ第一弾として、愛知の田舎好みの呉服屋さんの話を例に挙げ...
今回は、はんなりという言葉は京都人でもあまり使わないという話と、地方の呉服関係者さんの中には、はんなりの意味を誤解していたり、江戸好みの着付けや趣味なのにそれが京好みだと勘違いしている人がいるのではないか?というお話です。 和裁士さんと話していて気が付いたのですが、和裁士さんが習った着付け教室では、「うちの教室でははんなりした着付けを目標にしている」と言っていたり、和裁士さんのお店の社長が、...
(前回からの続き) 呉服の世界では、伝統工芸の藍染めの浴衣だけをホンモノとし、他の安価な浴衣をニセモノとする風潮があるようですが、アパレルの世界では、藍染めの浴衣は、品揃えやカテゴリーとしては単に「紺色の浴衣」として分類されるということをもっと理解する必要があると思います。 紺色の浴衣は、伝統工芸の高級品だろうが、プリント印刷の安価なものだろうが、色柄のカテゴリーとしては単に「紺色の浴衣」に分...
今回は、前回の話の続きで、藍染めの浴衣に関するお話です。 昭和後期の呉服の世界では、「浴衣は藍染めが正統派で正しい浴衣で、日本人なら藍染めの浴衣を良いものだと思うべきだ」「藍染めの浴衣こそ伝統的な本物の浴衣だ」「昔ながらの紺地や白地の藍染めの浴衣こそ日本人らしい趣味だ」というような価値観が流布されていたようです。 現在でも、呉服関係者さんの発言やテレビ番組の日本の浴衣文化の紹介を見ていると、さり...
今回は、昭和後期のおかしな言説シリーズで、浴衣の格と絵羽柄についてのお話です。 浴衣についてよく耳にする話として、昭和後期の着物世界では、「絵羽の浴衣は近年作られるようになったもので、いくら絵羽でも格は低い。(=絵羽の浴衣は邪道だ)」」「浴衣を長襦袢と足袋で夏着物として着るのはいかがなものか。」「浴衣は湯上りに着るバスローブだから、昼間から着るのはおかしい。」「浴衣はオシャレ着や外出着には...
今回は、男性の和装は今でも慶事と弔事が同じ格好になるというお話です。 男性の和装の喪服について、「慶事では羽織紐と草履の鼻緒は白、弔事では黒にする。(中には半衿も足袋も黒にするという説もあり)」という言説が昭和後期に流布されていたようですが、これについても昭和後期のおかしな言説の一つのようです。 結論から先に述べると、和装では戦前までは慶事も弔事も同じ格好で、男性は白喪服の場合と黒紋付羽織袴が混...
今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
(前回からの続き)私:「和裁士さんによると、昭和後期の着物の世界では、黄八丈は町娘が着る若向きのイメージがあるから年配は着れないとか、格子は若づくりだという説が流布されていたらしいです。 Fさんは(本場)黄八丈にどんなイメージがありますか?」 Fさん:「黄八丈は年配世代が着るものというイメージだし、黄色が若い人しか着れないという話も聞いたことない。 誰がそんなこと言ってるのかしらね?? ...
今回は、Fさんのお話シリーズの第一回です。 (過去に一度公開した記事ですが、差し障りがある箇所があったため非公開にしており、今回再掲させていただきました。) ご実家が明治初期からの呉服屋だったというFさんに、大島紬の話や戦前の宮崎県の庶民の衣生活の話を聞かせていただきました。 Fさん(2018年現在で78歳)のご実家は、お父方が江戸時代に大名の馬廻り役だった武家のご家系で、明治以降は商家に鞍替えし、...
今回は、帯締めの話に続き、帯揚げについて調べてみました。 帯揚げは、お太鼓結びが生まれた後に、帯回りの付属品・装飾品として生まれたものの、帯締めのように組紐の文化や伝統技術などの背景があるわけではないためか、帯揚げを専門的に調べた本はほとんどないようです。 時代考証家の山田順子さんによると、「文化年間(1804~1818)にお太鼓結びが考案されると、帯がずり落ちないように、帯締めだけでなく、背中の折山に...
(前記事で、「組紐の帯締めの普及は、月印という帯締めの問屋が仕掛けた」という説を載せ忘れたので追記しました。よろしければご覧ください。) 今回は、夏用の帯締め・帯揚げのお話です。 戦後の呉服の世界では、季節柄や衣更えをうるさく言っていたので、「夏には夏用の帯揚げ・帯締めにしないといけない」と思う方がおられるかもしれませんが、夏用の帯締めは衣更えのしきたりでも何でもなく、戦後の昭和後期に商業的に作ら...
🎍新年のご挨拶申し上げます🎍 今年は元旦から地震・事故・事件など様々なことがありました。 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 当ブログの新年の抱負は、昨年は更新が少し滞っていたので、今年は着物の理論のほうに力を入れ、もっと多くの記事を投稿できる一年にしたいと思います📒🖋~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 今年の初記事は、特にお正月らしくもないのですが、帯締めと...