武衛原館西辺の土塁北東から武衛原館は西辺の土塁、東辺の堀と土塁等が茶畑などによる開墾の改変を免れて残存していました。武衛原館と藤丸館茶畑等の開墾で改変を受けた部分が多い武衛原(ぶえばら)館は静岡県菊川市東横地にあります。藤丸館は横地城落城の際に城主の横地氏の遺児が移り住んだと伝承されます。武衛原館は1400年代半ばに斯波氏が今川氏を抑えるために斯波武衛が構えた館跡の伝承がありますが、いずれも不詳の部分が多いようです。今回の参考資料は(1)「静岡県の中世城館跡」静岡県教育委員会1978(2)「静岡県の城跡西部・遠江国版」静岡古城研究会2022などです。武衛原館と藤丸館車の道が敷設され見学は容易になったが遺構の改変にもつながっている藤丸館は開墾によって遺構は消滅したようです。武衛原館は西側の土塁Dと東側の土塁...武衛原館と藤丸館遠江改変を受けながらも土塁と堀切が残された貴重な城館遺構