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近江・東迎山城 甲賀の五十三家の雄族 伴氏の城塞群の一つ 方形単郭モデルを踏襲し残存状態が良い
東迎山城は滋賀県甲賀市水口町下山小字迎山にあります。甲賀の城郭によくある一辺が約50mの四方の土塁囲みの単郭で一部に水掘が残っていました。水口工業団地の縁辺部にあり一部分が改変をうけていましたが、原形をよく保っていました。伴氏は甲賀五十三家の中でも勢力が大きく、下山城を中心にいくつもの城塞が付近に残されていました。今回の参考資料は(1)「甲賀市史第七巻甲賀の城」甲賀市史編さん委員会編2010(2)Website、マイ広報紙の「広報こうか」などです。※下山城と伴屋敷城は→こちら東迎山城野洲川の支流・思川の河岸段丘上に築かれ、道を挟んで西側には西迎山城がある思川と泉川が削り残した段丘上は、近年大規模な工業団地として開発され周辺まで改変の波が迫っていましたが城址はほぼ残存している状態でした。東迎山城方形単郭の遺構があ...近江・東迎山城甲賀の五十三家の雄族伴氏の城塞群の一つ方形単郭モデルを踏襲し残存状態が良い
近江・下山北城 主郭の四周を囲む土塁と二つの虎口が完存し見ごたえがある城郭
下山北城は滋賀県甲賀市水口町下山にあります。谷を挟んだ西には津山城があり、恩川の南側対岸には伴氏の下山城、伴屋敷城があり、集落ごとに小領主の城館がある甲賀の典型的な地域で下山北城は伴氏の支城といわれます。城は地形を利用して築かれたためか北に向けて土塁や堀切が高所にあり、南端部は集落との高低差がほとんどない構造でした。今回の資料は「甲賀市史第七巻甲賀の城」甲賀市史編さん委員会編2010です。※下山城・伴屋敷城は→こちら下山北城野洲川・泉川と思川に挟まれた段丘は工業団地の造成で削り取られている下山北城は甲賀群中惣の雄族伴氏の支城とされ、伴氏は一帯を広く統治していたとされます。下山北城のある恩川の北側は造成工事も少なく改変が少ない地域のようです。下山北城単郭の典型的な甲賀の城郭Ⅰ郭の四周には土塁が築かれており、虎口A...近江・下山北城主郭の四周を囲む土塁と二つの虎口が完存し見ごたえがある城郭