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  • ストレスによる衝動買いからみるサンクコストバイアス

    朝一の会議のために早朝から資料を準備し、会議が終われば次の会議へ。慌てて昼食をかっ込み、午後の会議の準備。午後の会議が終わったら夕方の会議へ。それが終わればメールの処理や会議で生じた宿題事項の処理を行う。 まだご飯を食べる時間があるだけマシですが、なんとも諧謔味のない一日です。そもそも会議が多すぎます。なにより勤務時間外のインプットとアウトプットが私の楽しみなので、その時間が取れないことはしんどいです。 ヘヴィなテーマの思索をまとめる気力が会議に吸い取られてしまったので、今日は雑談をしましょう。 最近、漫画を買い過ぎている 読んでる暇もさほどないくせに、近頃はやたらと漫画を買っています。電子書…

  • 仕事を依頼する行為と、丸投げの違い

    人に仕事を上手く頼めるようになってこそ一人前。 上手く頼めるようになりたいものです。 丸投げと、そうではない依頼 ビジネスとは人と人のやり取りであり、大抵のビジネスプロセスでは誰かが誰かに依頼をする行為が発生します。 もちろん特殊なパターンとして、ゼロから一人で作り上げるような生産物を作る人は他人から依頼を受けませんが、それもある意味では内的な依頼、自身で自身に依頼を行っているとも言えます。 何はともあれ、ビジネスにおいて「仕事の依頼」は極めて一般的な行為です。誰もが日々依頼をし、依頼をされて仕事をこなしています。 仕事の依頼においては概ね2種類のパターンがあります。 一つは普通の依頼であり、…

  • 次世代の社会運動に必要な正義の視座

    朝田理論や権力勾配論について。 階級闘争の焼き直し 朝田理論とは「差別かどうかを決めるのは当事者自身」とした理屈です。 苦しめられた当人にしかその気持ちが分からないことは事実ですし、これは一見すると被差別者の声を尊重しエンパワーメントするための道理が通った理論に見えます。 しかしながら、この理論には客観性がありません。 客観的な判定ではなく当事者の主観の強弱で「何が差別か」が決まるようになり、この理屈が普遍化すると必的に言ったもの勝ちで声の大きい人、もっと悪く言えば暴力なり権力なりを持ってして他者の声を封じられる人の主張が通るようになります。 それによってもたらされるのは差別の解消ではなく差別…

  • しばらくは「小説を書かせる」ことを趣味にしたいくらい面白い

    これはなかなかに面白い。 小説を書かせる試みは面白い まず、この記事が面白いです。 作家が小説を生成AIに書かせる、そのやり取りがすでに物語となっています。むしろ出力された小説そのものよりも作家と生成AIのやり取りのほうが面白いとすら感じるほどです。 これは自分でやってみても面白いのではないかと思い立ち、ちょっと生成AIと遊んでみたのですが、いや、たしかにこれは相当に面白いです。 自分が読みたいプロットやキャラクターを対話によって構築し、徐々に肉付けしながら文章を構築していく作業は単純なコミュニケーションとしても面白く、さらにはクリエイティビティの愉悦も感じられます。製造業の設計者がブレストや…

  • 指示しないでも勝手に仕事をするAIが欲しい

    人間が指示せず自律的に動くAIが生まれたとしたら、それはアンコントローラブルなので危険と判断されるでしょう。 でも、言ってしまえば人間は皆そうなのですから、意外となんとかなるのかもしれません。 適当にやれば適当な結果となる 常にchatGPTやCopilotをブラウザのタブで開いている程度には生成AIを使っています。先日も思い付きと手抜きで生成AIを主に使ったブログ記事を書いてみました。 今回もまた思い付きで、何か記事テーマを出力させてみようと試してみました。 https://www.external-storage-area.com/ このリンク先のブログに沿った記事のテーマをいくつか出力し…

  • 忙しくてブログ活動が上手く回らないモード

    設計者や企画者を有識者で囲んでボコボコにする会、もう少し穏当な表現を用いると設計審査(デザイン・レビュー)が行われる日はなかなかに疲労困憊となります。 メーカーにとって設計審査は蔑ろにすべきでない極めて重要なイベントです。新製品の商品企画は適切か、コンセプトや強みはどこにあるか、ちゃんと商売になるか、要求仕様を満たしているか、品質に懸念は無いか、量産の準備は整っているか、原価は適切か、販売はどのように行うか、そういった様々な側面はそれぞれの有識者が批判的思考を持って厳しく審査することでのみ担保されます。 ただ、設計屋側では何度も設計審査を乗り越えてきましたが企画屋としてはまだまだ素人に毛が生え…

  • 陰謀論に気を付ける必要はあるが、ノスタルジックになることはない

    検査技術が発展して病名が付いたからその病気と診断される人が増えたのと同じ現象かな、と思っている話。 ラベルの有無 昨今は右を見ても左を見ても「陰謀論」の言葉が飛び交っています。 この右と左は「世を見晴るかせば」と「政治的左派右派」のダブルミーニングです。 なんてどうでもいいジョークはさておき、「現代は無数の誤情報が飛び交っており多くの人が陰謀論に陥っている」と警鐘を鳴らす人が増えつつあります。 ただ、個人的にはそこまで心配していません。 フェイクニュースや陰謀論が昔よりも増えたかどうかは証明されていないためです。現代のフェイクニュースの総量は各所で観測されていますが過去のフェイクニュースは検証…

  • 個人主義と利己主義の違い

    特に統計的なデータがあるわけではありませんが、個人的な感覚として利己主義が蔓延しつつあるように思えます。 もちろんそれは過去の全体主義に対するバックラッシュではあるのでしょうし、個々人の主義主張に口を挟むつもりはありませんが、度が過ぎるとあまり宜しくありません。 そんな、ちょっとした個人的な見解を記録していきます。 全体主義VS個人主義 世の中は様々な切り口で主義主張が整理されており、そのうちの一つに全体主義(Totalitarianism)と個人主義(Individualism)があります。 それぞれは読んで字の如く、全体主義は個人の自由を抑制してでも国家や集団を優先する統制的傾向を持つ思想…

  • あの手この手でストレスを抱え込まないようにする

    当ブログは方向性の無い雑記ブログとしてベクトルの違う記事を好き勝手毎日投稿していたいと思っています。 そのため、あえて政治経済などのテーマで似たような話をする時は投稿日を離しています。逆説的に、似たような傾向の記事が続いた場合は願望や習慣を曲げてでもそうなっていることの表れであり、そこそこにそれらへ囚われていることの証とも言えるかもしれません。 要するに、ここのところ仕事の話がちょこちょこ続いているのは、仕事に囚われているためだという言い訳です。 まあ、忙しい時は仕方がないのですが。 久しぶりに休んだ気がする 土日を潰してまで週7日ペースで仕事をしているとメンタルが徐々に荒みますので、さすがに…

  • 期待は軽く、信頼は重い

    先日もまた、今や偉くなった昔の上司に会議の場でこれはどうだあれはもっとこうならないかと詰められました。 いや、まあ、相通じ合っていて遠慮もなく丁々発止ですし、敵意ではなくむしろ元部下への親愛がありますので、こちらとしても怖いとか苦しいとかのネガティブな感情が沸き上がるわけではないのですが。 ただ、手の内がバレているので駆け引きが通用しないと言いますか、このレベルなら求めても問題無いだろうといったギリギリのラインで的確にダンスされるので逃げ道が無いと言いますか、まあ率直に言えば仕事が増えるので大変です。 上から理解されないよりはマシですが、ほどほどにお願いします。 期待と信頼 会社で期待されてい…

  • 最近はスーツを着ていても違和感を感じなくなってきた

    約1年2ヶ月。ようやく東京での仕事にも慣れてきたサラリーマンの日記。 これが相談です 酒の席からの帰宅中。 私「今は休日も全部仕事に使ってて、それでもおっついてないです」 部長「そういうのはちゃんと相談しないと」 私「課長には相談したんですけどね、そして今のこのトークも相談なんですけどね」 相談どころかもはや直訴。 新人や若手よりは仕事が難しくて忙しく、管理職のように部下へ分配することもできない、中堅社会人の悩みです。 いや、ホント、常々思っていますけども「仕事は抱え込まず分担しましょう」の絵空事感。それが出来るならば誰も苦労はしないという話です。誰でもできる代替可能な仕事なら人さえいれば分担…

  • 議論が成立するための条件

    議論はとても難しい。 議論が成立するための条件 民主的な集団において意思決定を行う際には話し合いが不可欠です。 ただ、一口に話し合いと言っても様々な形態があります。例えばコミュニケーションを取ることを目的とする会話、それぞれの主張や価値観を共有し合う対話、具体的な方策を検討して双方の合意を目指す議論、などです。 意思決定においては話し合いの深度を議論まで深める必要があり、話し合いの深度を深めて議論を行うためには様々なハードルを越える必要があります。 まずは【目的の明確化と共有】として、テーマや辿り着くべき目標が明確となって参加者全員がそれを理解していることが不可欠です。なにを目的とし、なんのた…

  • 政治活動における攻撃的な言説の無意味

    当ブログで何度も繰り返してきた話題。 政敵の攻撃は効果が薄い 参院選が近付いているためか、またぞろインターネットの政治界隈が荒れているように思えます。政敵を貶めるための攻撃的な言論が飛び交っていて、あまり宜しくない言論環境です。そういうところが一般の人々を政治から遠ざけている元凶の一つなのですが。 ヤジや悪口、人格否定や罵詈雑言が当たり前のように飛び交うことが当たり前だと思っているのであれば、それが如何に幼稚であるかを理解するためにも少し政治から距離を置いた方がいいと思います。まだ小学校の学級会の方がお行儀が良いことに気付くでしょう。 残念ながら言論空間を正常化する特効薬は存在しないでしょう。…

  • 学校の先生には向いていないが、お勉強会の先生は頻繁にやっている

    電車に揺られて出張。 埼玉の事業所勤務時代は会社の車で出掛けることが多かったが、東京は公共交通機関が充実しているため今はほとんど電車や飛行機で移動している。 もちろん製造業の宿命として出掛ける先は地方の人里離れた工場であることも多く、車の機会が一切無くなるわけではないが、そのための本社にある足は営業部隊が優先である。私のような企画屋はさほど慌てることもないので、マッタリと時間をかけて電車で移動する。それに、今日は駅で営業マンと合流して結局車で移動する予定だ。 朝の通勤と違い出張時は時間が変わるため毎度悩ましいものだが、今回は幸い空いている時間帯に移動ができている。座れるほど空いてはいないが、押…

  • ブログについて聞いてみよう

    思い付き。 生成AIに聞いてみた 生成AIは毎日使っています。 調べものには使わないのですが、例えば外部に出すメールをざっと書いて「もう少し丁寧な敬語に変換してみて」と頼んだり、面倒な時は「これこれこういう目的で送るメールの文章例を出力して」と任せたり、読むのが面倒な長文英語を「翻訳して」と依頼するような用途です。 出力結果は結局自分でチェックしたり修正する必要があるのですが、その途中経過の部分を委託しているといいますか、要するに部下のような使い方です。 ふと、自分のブログのことを聞いたらどうなるかと思い立ったので聞いてみました。 とりあえずのお試しとして、「うちのブログが政治的にどう見えるか…

  • 犯人探しと原因探しは別物

    ミステリーやニュースの見過ぎ症候群。 善悪の切り口は必ずしも必要ではない 何か社会的な問題が起きたり事故が起きると、人々やメディアはつい犯人探しをしてしまうものです。それこそ例えば社会問題に対して「〇〇〇の犯人」とした煽りの見出しを書くようなネットニュースがあるように。 しかし犯人探しと原因探しは別物です。 確かに事件であれば犯人は存在します。 しかし社会問題や事故は必ずしも誰かしらの悪意によって生じるとは限らず、原因はあっても犯人は存在しない、そんなパターンも当たり前のようにあります。 犯人とは悪です。 しかし原因は悪とは限りません。意図せぬ過失の場合もあればちょっとしたすれ違いや失敗の場合…

  • 自由に関する自由な思索

    近代的で、原始的。 社会的な自由の近代性 「自由」の言葉や概念自体は遥か昔から存在していたものの、その区分と定義は時代によって変化します。特に古代より存在した元々の自由(freedom)に対して、後天的に生まれる社会的な自由(liberty)の概念は啓蒙時代以降の近現代に人工的な概念として固まったと言ってよいでしょう。 「自由」というごく当たり前に存在していそうな概念の中でも、現代人にとって社会的な自由とは比較的新しいものです。 ただ、概念が近代的であっても構造が近代的とは限りません。 抑圧の歴史や啓蒙思想が自由の概念に新たな側面と社会的価値をもたらしましたが、そもそも人は反抗期を代表例として…

  • 自責的であることの意味

    とても辛辣だが、盤面に文句を言うのは大抵の場合で愚かである。 自責と他責 一般に、「他責的であるよりは自責的であったほうが良い」と言われています。 それは妥当な考え方でしょう。変えられない他人や周囲をどうこうしようと考えるよりは変えられる自分を変えたほうが合理的です。 また広い視点で見ても、他人や周囲を変えようとすることが常に正当化される他責的な社会では個人が80億以上からの変化を強制されることが認められる状態となり、個人が個人を強制する自責的な社会と比べて遥かに身動きの取れない窮屈な社会となることは必定です。他罰が推奨される社会は無数の他者からの他罰をも許容しなければならない弱肉強食となりま…

  • 「忙しさ」の捉え方

    いつものように社会派風味で語りたいテーマはストックしているのですが、書く余裕がありません。 ここはブログなのだ 「忙しい」と言うべきではないとした社会人の法則は私も重々理解しています。 「忙しい」と他者へ語ることは基本的にポジティブとはなり得ず、むしろ余裕の無さや協調性に欠けるネガティブな印象を他者へ与える結果となります。 また時間管理能力、自己管理能力が欠如していると取られるリスクもありますし、それによってチャンスを失うことにも繋がりかねません。 そもそも「忙しい」と口にすることは集中力やリソースがそちらに向いてしまって心理プレッシャーを自己実現させます。これは言霊的なものではなく実際的なも…

  • 仕事中に「仁義」を久々に聞いた

    仕事がおっついてない話ばかりしているのは、仕事がおっついていないからです。 ふと気になって調べたところ、「おっつく」は方言のようです。へえー。忙しい中にも小さな学びはあるもんだ。 腰を据えている時間もない 仕事に引きずられて気持ちが急いて急いて仕方がないので、ブログを書くために腰を据える時間もなかなかありゃしません。 このブログは閑居な時間に零れた思考の集合的なところがありますが、昨今は気が付いたら仕事のことばかり考えて気が休まらないったらありゃしない、ブログに割く時間までも仕事に割いている現状は健全かと問われれば、あまり宜しくはない傾向にあると言えるでしょう。 手を動かす時間はある意味で有限…

  • 人手不足に関する雑感

    ピンチな時は休みが必要だが、休むとピンチがさらにピンチになる悪循環。 人手不足 根本的な原因はバッファ不足でしょう。より率直に言えば人手不足です。 昨今人手が余っている業界などそうそうありませんが、人手不足は実に致命的です。人手が多すぎることによるコストよりも人手が足りないことのほうが遥かにデメリットが多く、様々な業界が人手不足に喘いでいるのもむべなるかな。 交代人員がいなければ仕事の量も責任も全て個人に多い被さり心身に宜しくありません。 交代人員がいなければ仕事のマニュアル化も技能伝承も積極的に行われず、仕事の属人化が進みます。 大抵の仕事は常に一定量のタスクが生じるものではなく、必ず波が生…

  • 夜に書いたら日記ではなくて夜記になるだろうか

    夜にふと目を覚ます。今日はほぼ一日中寝ていた。 どうにも近頃は無理がきかない、ラインを超えるとすぐに体調が崩れる。 正確に言えばそこまで体調が崩れている訳では無いのだが、念の為にアクセルを緩める習慣がついたようだ。これを精神的に弱くなったと捉えるか、限界をちゃんと把握できるようになったと捉えるかは人それぞれだろうが、まあポジティブに考えておこう。 とかくまだ0時まで2時間はあって助かる。もう一眠りする前にルーチンをこなしておこう。 まずは英語アプリを起動して適当にレッスンをこなす。せっかくの連続学習記録を途絶えさせるのは惜しいと感じてしまう、そんな私はアプリ開発者の手のひらの上だ。なに、目的は…

  • 率先垂範こそがリーダーの仕事

    リーダーとは、リードする人を指す。 なんとも当たり前のことを言ってみたり。 企画屋とリーダーのお仕事 私は現在企画部署で働いています。 企画と一口に言っても多岐に渡りますが、製造業の企画はまず社内状況の把握と市場調査から始まり、自社のシーズと市場のニーズを理解した上で新商品のアイデアを出して企画書にまとめ、書類の回議とプレゼンを経てお偉いさんの承認を得たら関係部署と連携して商品化を進めます。 要するに基本的には新商品立ち上げプロジェクトのプロジェクトマネージャーのような立ち位置です。人事も予算も権限を持っていない下っ端のため、マネージャーというよりはただのリーダーですが。一応、日程表にはPMと…

  • 仕事が無いより有る方がいいだろと言っても、限度もある

    今年度に入って明らかに仕事が純増した。 うへぇ 不思議なことに、仕事が凄く忙しいです。 本当は不思議でもなんでもないのですが、現実逃避をさせてください。「人数据え置きで仕事を倍増してみよう」的なキャンペーンが始まった現実を正面から受け止める勇気はありません。普通に無理。 まあ愚痴っても仕方がないので出来る範囲でやりますが、物理的に終わる仕事量じゃないので諦め気味です。上司も同僚も無理なことは重々承知しているため、職場でキツく言われることはありません。むしろ皆同じようにキツい顔をしています。 ただ、内情を知らない他部署からはちょっと攻勢を食らっていて困ります。後工程からすれば前工程の都合なんて知…

  • 信念と人権のアンマッチに関する小考

    信念と争いは不可分。 信念の良し悪し 一般に、信念は[良いもの/必要なもの/重要なもの]だと考えられることが多いかと思われます。人生の困難へ立ち向かい前進するために信念は役立ちますし、人は信念に則った一貫性のある行動を好むものです。信念はリーダーシップの一要因であるとも言えます。 ただ、信念、すなわち「それが正しいと堅く信じ込んでいる心」は必ずしもポジティブな結果だけをもたらすわけではありません。実際には信念を持つことそれ自体が「良い」「悪い」で区分されるものではなく、信念の中身こそが重要です。 同じように信念を持った人がいたとしても、その信念の中身次第で結果は大きく異なります。 信念のために…

  • 寛容の本質と善意の差別

    海外から宗教的な理由に基づく厳格なヴィーガンの来客が来る度、営業担当者が食事のセッティングで毎度大変そうにしているのを見かけます。相手の好む食事を用意することも接待の一環ですのでこちら側があれこれ配慮することは否定しませんが、相手方がその配慮を受け入れている点は気になるところです。 個人的な見解として、少し厳しいですが「そういったことは自前でなんとかすべき」と思っています。私だって海外へ行った時に「私は日本食しか食べない、なんとかしてジャポニカ米を用意しろ」とは求めません。同じように、郷に入っては郷に従うか、せめて自身の信仰や信念は自身の努力で貫き通すべきだと思っています。 強者の慈悲的差別 …

  • 責任を追及する側の責任

    これと、 これの、 複合的な話。 説明責任の範囲 accountability(説明責任・答責性)は健全な社会集団の持続にとって必要不可欠な要素です。個人や組織は自らの行動や決定に対して関係者に説明する義務を持っています。 この義務が順守されなければ個人や組織はそれこそやりたい放題になってしまうため、行政に限らず医療・金融・不動産などなど様々な分野における法律で契約相手への説明責任が義務付けられています。 もちろんこの義務は無制限のものではありません。 説明責任は法律や契約上の義務であり、道義的責任のような曖昧なものに基づく説明責任は本来強要されるべきではないものです。世間を騒がせた人はその騒…

  • 悪いやり方を覚えた

    先日、日曜日にカフェで仕事をしてみたらやたらと捗りました。 といった雑談を書き始めたのですが、根本的に労基法的な意味で宜しくないシチュエーションであり、取っ掛かりが引っ掛かってしまう感じで意外と難しいなと思いました。 成果主義は自主的に過重労働をしてでも結果を出す人が評価される修羅の世界であり社会の健全性を阻害するのですが、まあ『社会的バグである自主的なサービス残業』については別記事で語ることにしましょう。 今回はカフェの話がしたいのです。 ロジカルとフィーリング 企画書と一口に言ってもこの世には種々の企画書がありますが、要するに企画書とは『何かしら新しいアイデアやプロジェクトを始めるための説…

  • 公共的理性を損ねた政治活動が民主主義を阻害する

    特定の政治家を見てストレスを感じるのは赤信号。 今回は極めて辛口です。 政治の本質 「政治とは妥協の産物であり、可能性の芸術である」とは、ビスマルクが言ったとされた言葉です。 実際は微妙に違うらしく、以下が正しいとされています。 Politics is the art of the possible, the attainable — the art of the next best. 政治とは、可能なことを実現する技術であり、次善の策を見極める芸術である。 政治は常に理想を実現できるとは限らず、最善で不可能な理想ではなく次善でも可能な現実に根ざして合意を形成することが政治の本質であり、「落と…

  • 1500日連続投稿となると、さすがに節目感を覚える

    なんと、本日のこの記事を持って1500記事目となりました。1日1記事を毎日投稿してきましたので、これで1500日連続投稿です。 1500日となるとさすがにキリがいいような気がします。なにせ2で割れますので。 いや、まあ、その理屈だと2日に1回はキリがいいわけですが。 毎日寝る、毎日ご飯を食べる、毎日ブログを書く 書いてきた内容の質はさておき、なんだかんだ4年ちょっとの間毎日ブログを更新し続けてきたということになります。思い付きを適当に文章化したり、ふとした思考を整理したり、日記ライクなことを書いてみたり、唐突に専門的な話をしてみたり、実に自由奔放に続けてきました。 続けること自体はさほど難しい…

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