多賀城跡あやめ園の小さい池に野鳥のバン親子が住み着いていました。
【多賀城政庁跡正殿3Dホログラム】南門ライトアップ 宮城県多賀城市
『多賀城政庁跡正殿3Dホログラム「HOLOREVIVE」』というのを見に、多賀城跡へ。とてもきれいな光の風景に、癒されてきました。多賀城創建1300年を記念したイベントのひとつとのこと。南大路を登った所にある政庁跡で、正殿風の形になった高さ10m位の鉄骨とスクリーンが設置され、開催時間中、15分毎に約6分の映像を上映していました。
ちょっとドライブ気分で「北海道」へ といっても、ここは宮城県大崎市にある地名が「北海道」の場所。札幌市や本土最北端・宗谷岬などがあるあの北海道と同じ地名が、宮城県にもあったんです。写真の奥の方が「北海道」という地名の辺り。 珍しい地名ですよね。
【御前浜】大震嘯災記念碑「地震があったら津浪の用心」宮城県女川町
女川町(おながわちょう)の御前浜(おんまえはま)。 海側の道路を車で通ったら、石碑やお地蔵さまを並べて置いてある場所がありました。昭和八年三月三日大震嘯災記念 (だいしんしょうさいきねん)地震があったら津浪の用心と刻まれている「昭和三陸地震(しょうわさんりくじしん)」での津波の教訓を伝える石碑です。
「釜房湖(かまふさこ)」沿いの道路。車の多い国道286号じゃなく、裏道的な県道160号の方を車で走っていたら、「蛙石橋」という小さい橋のたもとに脇道があって、その道のすぐ先に、何やら案内板らしきものが。何が描いてあるのか気になったので、ちょっと見てみることに
【星あかり】やくらいガーデンのイルミネーション 宮城県加美町
このまえ、「やくらいガーデン」でやっているイルミネーションイベントの『星あかり』を見に行ってきました。広いガーデンに、たくさんのイルミネーションとライトアップ。すごくきれいでした。
東日本大震災(2011年)の後、津波を経験した女川町(おながわちょう)の子供たちによって、その教訓を伝えるために建立された21基の「女川いのちの石碑」というのを少しずつ見て回っています。今回見たのは、尾浦(おうら)という地名の場所で、保福寺(ほふくじ)というお寺にある「女川いのちの石碑」です。
【川内小学校】廃校校舎のカフェと廃体育館のスケートボード練習場
宮城県じゃ知れた湖の釜房湖(かまふさこ)、そこよりももう少し山の方にある川内(かわうち)という地名の辺りを車で走っていると、道端に、カフェの文字がある小さな看板が。もしかしたら、古民家カフェ的な場所があるのかなと思って、どんなかんじか見に行ってみることに。
道の駅村田で買った【唐辛子】でペペロンチーノを作って食べた 宮城県村田町
道の駅「村田」に行ったとき、直売所を物色していたら唐辛子がたくさんありました。鮮やかな赤でとてもきれい。 ちょっと、どこかへ飾りたくなるほど(笑)。もしかしたら、これって観賞用? いや、そんな唐辛子、聞いたことないな…。お店の人に尋ねたら、──────ふつうに食べる用のでした。 そりゃ、そうですよね(汗)。値段を見たら、あまりに安いので、勝って帰ることに。
女川町(おながわちょう)で、石浜の集落から山を越えて御前浜(おんまえはま)の集落に行く道路があるらしい───普通だったら国道398号で海沿いを通って行くんだけど、この山越えの道路は、それをショートカットする形になる。道のりは4km程で、途中、見晴らしのいい場所なんかもあるそうな。おもしろそうだから、どんな道路か探検気分で車で走ってみることに!
【デコトラ】東日本大震災復興支援秋祭りin川崎で撮った写真! 宮城県川崎町
川崎町で開催された『全日本アートトラック連盟 舞姫一族 東日本大震災復興支援秋祭りin川崎』を見に行ってきました!大型トラックから小型まで、様々なデコトラが200台くらい集結していました。いやあ、すごい光景だった!
【宮城県女川町】 2024年5月のこと女川町(おながわちょう)をあちこち行った時に、牡鹿半島(おしかはんとう)にある塚浜(つかはま)という地名の場所で見かけたお堂です。[01] 海沿いの道路から見える場所に、ぽつりと建っていました。 気になったから、ちょっと見てみ
「女川(おながわ)いのちの石碑」は、東日本大震災(2011年)で津波を経験した女川町の子供たちが、津波の教訓を後世に伝えるため、自分たちで募金活動などもして、町内に21基建立したものだそうです。僕はその石碑に興味があって、女川町に行った時に、少しずつ見て回っています。
蔵王町(ざおうまち)にある「我妻家住宅」。 僕も詳しく知らないけど、約270年前に建てられた古い建物を見学する場所です。2年くらい前に、すごく久しぶりに見に行ったら、「重要文化財 我妻家住宅主屋ほか5棟 保存修理(災害復旧)工事」となっていて入れませんでした。なんでも、その2、3年前にあった複数回の強い地震によって被害があり、保全修理・復旧工事をしているのだとか
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多賀城跡あやめ園の小さい池に野鳥のバン親子が住み着いていました。
「朴島」にあった「神明社」という神社と「八大龍」と刻まれた石碑。
白菜の採種で栽培されているという浦戸諸島「朴島」のナノハナ畑の風景です。
浦戸諸島の朴沢島で島歩きをしながら「弘安十年銘供養碑」というのを見に行きました!
政府備蓄古米のアイリスオーヤマ―「和の輝き」をダイシンで買いました。
浦戸諸島の朴島。島の北東では防潮堤そばにナノハナ畑がありました。
浦戸諸島の有人4島のひとつ「朴沢島」へ上陸!浦戸諸島巡り2島目をはじめました!
寒風沢島散策で島歩きをしながら撮って来た島の風景の写真です。
寒風沢島の北東にある美女浦の辺りを歩いてみました。極たまに海の景色も見えたりして意外とおもしろかった。
寒風沢島と宮戸島の間にある鰐ヶ淵。ここを寒風沢島側から見てみたかったんです!
【宮城県塩竈市】2023年5月に浦戸諸島(うらとしょとう)にある「寒風沢島(さぶさわじま)」を散策したことを書いています───「寒風沢島」にある「六地蔵」。 初めて島を歩いた時もじっくり見たけど、また近くを通ったし、印象に残った場所だったから今回も見て行くこと
【宮城県塩竈市】2023年5月に浦戸諸島にある「寒風沢島」を散策したことを書いています───[02] 島歩きの続きをしに「寒風沢島」へ船で渡り、最初に見たのはこのレプリカ「十二支方角石」。船着き場のすぐそばなのに、前回島を訪れたときは、この存在に気付かなか
浦戸諸島の寒風沢島。1度目の島歩きで全部行けなかったので、再び島へ渡りその続きをしました。
坪沼八幡神社から大仏岩へ向かう道路に水が出ている場所があった。湧き水ではなさそうだし、何だろう?
坪沼八幡神社の近くに大仏岩という道しるべがあったので見に行ってみました。
宮城県庁の県政広報室でやっていた「みやぎ絆大使」の展示を見てきました。あと18階展望ロビーからの眺めも。
新庁舎建設中の仙台市役所。工事見学スペースに工事のようすを見に行ってきました。
伊具三十三観音霊場「武士沢観音」というお堂。
レディーガガの直筆サインとキスマーク入りティーカップが宮城県庁に展示してありました
このまえ「勾当台公園」を歩いて通り抜けようとしたら工事が終わっていて何もない白いコンクリートの広場みたいになっていました。
歴史の道「おくの細道」 芭蕉(ばしょう)と弟子の曽良(そら)は、元禄二年(1989)旧暦五月十日(太陽暦6月26日)松島を出発、小野を経て、石巻へ向かった。梅雨のあい間のむし暑い日であった。 ここ町頭から七十七銀行のあたりまでを新田町といった。新田町で二人は急に咽が渇いたので湯をもらおうと頼んだが、家ごとに断られたと曽良の随行日記(ずいこうにっき)に書かれてある。
【宮城県女川町】昔デジカメで撮ったある写真を探していたら、2007年に女川町に出かけた時に撮った写真がいろいろ出てきました。その時の女川町でのことはブログに書いて写真も載せたけど、使っていないものがたくさんありました。女川町には何度も行っていて、東日本
「せんだい農業園芸センター」にバラの花を見行ったら、入口の前にある畑で、一面に白い花が咲いていました。これってたぶん、ジャガイモの花ですよね。宮城県内でもジャガイモ畑を見かけたことはあるけど、このように広い畑で花が咲いている風景を見たのは初めてです。きれいなもんですね。
誰かの銅像が。「伊丹栄三郎翁像」と書いてあるようでした。あとからネットで検索すると、七ヶ浜町関係の伊丹栄三郎氏という人物は、七ヶ浜町第14代町長として名前が残っていました。100年ちょっと前で、まだ七ヶ浜村だった時代だろうから、当時の村長さんということになります。
『マツコの知らない世界』で取り上げていた「須賀神社(すがじんじゃ)」を見に行ってきました!"開運神社の世界" で、神社ソムリエとうい方が紹介した2024年に行くべき最強スポット神社の1ヶ所として「須賀神社」が紹介されていました。
「利府町(りふちょう)郷土資料館」に行ってきました。場所は、JR利府駅(東北本線利府支線)の300mくらい西にある「利府町中央児童センター」の3階。 入館無料。展示は、利府町内にあるいろんな古墳の解説、多賀城創建期(1300年前)の窯跡の大きな模型と解説、利府城の解説、古い時代の農具などでした。
サザエさん達が来て、多賀城市民のみなさんと一緒に「多賀城あやめ音頭」を踊っていました。なんでも、3ヶ月くらい前にTV放送されたサザエさんスペシャル『宮城・多賀城へ美味しい考古学の旅』で、サザエさん一家が多賀城跡を旅行で訪れたのが縁での参加だそうです。そのアニメでは、多賀城跡の政庁跡、復元南門、多賀城碑などを見て歩いていました。サザエさんたちが多賀城で輪踊りに参加するなんて、きっと今年限りの貴重な光景!
七ヶ浜町の湊浜にある砂浜に行ったら、変な形の植物が生えていました。どうやらハマボウフウというらしいです。希少な植物だとか。七ヶ浜町や、同じ宮城県内の名取市の方では、以前からずっとハマボウフウの移植や種まきなどの活動をしている方たちがいらっしゃるようです。たぶんこの砂浜のも、その方たちの活動によるものなんでしょうね。
「割石(わりいし)」という幽霊のイワレがある石があるそうです。以前、多賀城市の観光情報サイトで見かけました。場所は多賀城市を流れる七北田川のそば。昔、川に堤防を造るときに、人柱にされた女が幽霊になって現れたという曰く付きの石。どんな石なのか実際に見たかったから、このまえ近くを通った時に見てきました。
ついこの間、復元工事中の築地塀を覆っていたものがなくなって、その形があらわになりました!「多賀城跡あやめ園」であやめ祭りが始まったところだったので、それに間に合わせたのかもしれませんね。築地塀はこの後どうなったら完成なのか僕ではちょっとわからないけど、とりあえず外から見られるようになったので、周りをグルッと歩いてそのようすを撮ってきました。「多賀城南門」の2024年6月半ばの風景です!
草むらの細道を数メートル進んだらこんな洞窟が。きっと、これも「旧鮫ヶ浦漁港」付近にいくつかある特攻艇「震洋(しんよう)」の格納庫だった洞窟だろう。 と思いきや、この洞窟、向こう側に出口がある。どこかへ通じているトンネルのようでした。無骨なトンネル。 人が歩いた形跡もあるし、向こう側がどうなっているのか見たいから、トンネルを進んでみることに。
奥松島にある「旧鮫ヶ浦漁港」へ───。奥松島は、日本三景松島の東側にあって、風情ある自然風景が見られる地域。そのなかでも、奥の方にあるのが「旧鮫ヶ浦漁港」。太平洋戦争中、震洋隊(しんようたい)の基地があった場所だそうで、「第146震洋隊基地跡」でもあるそうです。日本が太平洋戦争をしていた今から80年近く前、第146震洋隊の基地があったそうです。 洞窟はその痕跡。宮城県には戦争の痕跡を簡単に目にすることができる場所が少ないので、ここは貴重な場所です。
多賀城市にある「志引石」を見に行った時、近くに公園があったので、何か花でも咲いていないかと、ちょっと見てきました。公園の端には「志引集会所」というのも建っていました。多賀城駅の西方約500mといった位置。 車通りの多い道路から離れた住宅街のなかにあって、きっとこの辺に住んでいる人しか知らないような公園じゃないかなあ。
仙台第一高校の南側に広がる一方通行だらけ住宅街。道端に何かの説明板が!なんだろう?と気になったから、じっくり見てきました。『林子平(はやししへい)ゆかりの地』という説明板でした!林子平は、仙台人なら名前を聞いたことがある人も多い人物。
これが「下がり松」だそうです。 太い枝を横に伸ばし、丸太の支柱も組まれた立派な松。町指定文化財(天然記念仏) 下がり松正確な樹齢は不明だが、樹高5.4m、幹囲2.1m、最長樹枝9.15mのクロマツである。明治時代以前に植えられたとされ、その枝ぶりから「下がり松」の名で知られている。
伊達家当主・伊達泰宗(だてやすむね)さんの火縄銃演武「仙台青葉まつり」本祭に行ってきました!火縄銃の音がでかい! もちろん空砲だったけど、ズドン!と鳴り、定禅寺通りにとどろいていました。
久しぶりに「おはじきアートよがさき」を見に。防潮堤におはじきを貼り付けて描かれたモザイク画。太陽の光をキラキラと反射させてきれい。前に見に来た時よりも増えていた。おはじきで描いたブルーインパルス。
仙台駅に行った時、藤原屋の「100円日本酒試飲自動販売機」で、「天上夢幻(てんじょうむげん)」を飲みました。仙台駅の「S-PAL伊達のこみち」2階にある藤原屋。 東北の地酒を売っている日本酒好きな観光客が立ち寄るお店。ここにあるのが、ちょっと珍しい100円で日本酒の試飲ができる自動販売機。その時によって違う日本酒が置いてあっておもしろいから、何度か飲んだことがあります。
航空自衛隊松島基地の近くにある「矢本海浜緑地パークゴルフ場」の前を車で通ったら、サンドアートを発見。 ちょっと立ち寄ってみることに。
こんなところにきれいな風景のパークゴルフ場が!野蒜(のびる)のKIBOTCHA(キボッチャ)の辺りです。青空の下、美しい緑の芝生が広がっていました。いつできたのかな?野蒜の方にはたまに行っていたけど、全然気づかなかった。東名運河沿いを通る宮城県道27号から外れた辺りだから、なかなか目に留まることがなかったのかも。