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大河ドラマのゆかりの地の紹介、歴旅の記録をアップしています。今年のテーマは、「光る君へ」「どうする家康」京都の寺社巡り

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2013/09/04

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  • 土佐の旅(120)若宮八幡宮 槍通す輪~天神宮

    槍通す輪お正月の三ケ日だけ拝殿横に「槍通す輪」が設けられます。これは元親公初陣銅像が右手に掻い込む長槍に見立てた長さが4mの木製の槍で、これに願い事や今年の目標を書き込んだ紙を竹の輪に巻きつけ、投げこむ輪投げの装置です。運と根性を試す縁起物になっていますが、かなり難しいため、どうしても輪を通すことができない人のために「一度竹お助け申候」と書いた「いちどだけ」を用意してあり、今までの記録は1投で成功...

  • 土佐の旅(119)若宮八幡宮 手水舎~拝殿

    若宮八幡宮の境内を進んで行きます。手水舎拝殿トンボは一名、勝虫ともいわれ、戦には縁起のよい虫とされたので、元親公が神社の本殿をしっぽに見立て、トンボが飛び立とうとしている姿になっている建築様式と定めたそうです。若宮八幡宮 御由緒御祭神 誉田別命 (応神天皇) 、息長帝比売命 (孝功皇后) 、市杵島姫命、たぎ津姫命、田心姫命、相殿に高おおかみ神 (雨の神)御創建 文治元年 (平安末期、西暦1185年12月30日...

  • 土佐の旅(118)若宮八幡宮 鳥居のいわれ

    長宗我部元親の初陣の像から若宮八幡宮の境内へ。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』の記述によれば、源頼朝は平氏を討ち果たした文治元年(1185年)に京都六条にあった祖父源為義邸跡に石清水八幡宮を勧請し六條若宮八幡宮を創建。この時、土佐国吾川郡一円を六條若宮八幡宮の神領とし、鎮護のために同年12月30日、当地にも若宮八幡宮を分祀したとされています。 永禄3年(1560年)長宗我部元親は初陣に臨み、若宮八幡宮馬場先に陣を構え...

  • 土佐の旅(117)長宗我部元親の初陣の像

    高知市長浜の若宮八幡宮にある長宗我部元親初陣の像です。長宗我部元親公銅像この銅像は元親公没後四百年に当たる平成十一年(一九九九)五月に、地元有志の発案により建立されました。元親公は永禄三年(一五六〇)五月、二十二歳の折り、本拠地の岡豊城を進発し、宿敵、本山氏の守る長浜城を陥落させ、初陣を飾りました。その際、若宮八幡宮の社頭に陣を張り、戦勝を祈願したことから、この地に初陣の雄姿を再現したものです。そ...

  • 土佐の旅(116)長宗我部元親の墓

    長宗我部元親公のお墓に向かいます。慶長4年(1599年)上洛した長宗我部元親は、まもなく病に倒れ、伏見の邸で同年5月に61歳で死去しました。長宗我部元親公墓長宗我部元親は、天文八年 ( 1539 ) 岡豊 ( おこう ) 城に生まれ、戸 ( と ) の本 ( もと ) 初陣以後次々と宿敵を降 ( くだ ) し、天正三年 ( 1575 ) には土佐を統一、天正十三年 ( 1585 ) 春には遂に四国全土を制圧するも秀吉の南制にあい、同年夏にはその軍門に降り土佐...

  • 土佐の旅(115)兵士の塚

    「愛馬の塚」から長宗我部元親の墓に向かう途中にあるのが、慶長5(1600年)浦戸一揆の戦死した長宗我部氏の家臣を祀ったものと古くから伝えらてきた兵士の塚です。兵士の塚兵士の塚は、慶長5年(1600)12月 浦戸一揆の戦死した長宗我部氏の家臣を祀ったものと古くから伝えられてきたものである。 元は、この地から100m程の天甫寺5086池上家の畑の中に、いつの頃からか祀られてきたものであり、歴史的な文献等は確認されていない...

  • 田畑政治ゆかりの地(7)山崎プール跡・古橋廣之進顕彰碑

    古橋廣之進の自宅からほど近いところの公園に、山崎プール跡があります。田畑政治が惚れ込んだ古橋廣之進の水泳のルーツは、地元の篤志家である江馬氏が浜名湖畔の一角を板で仕切り、岸にスタンドをつけたの50mのプールにある。当時4年生の廣之進は、父に連れられてプール開きに行った際、突然「お前も水泳選手にならんか」と勧められたことで水泳を始めた。フジヤマのトビウオを顕彰した碑には、廣之進の自署による「力泳三十年」...

  • 土佐の旅(114)愛馬の塚

    「元親公史蹟前」で下車、長宗我部元親の墓へ向かう途中に、長宗我部元親の愛馬を祀った「愛馬の塚」があります。長宗我部元親が秀吉から拝領した『内記黒』の墓であると伝えられている。『土佐物語』によると、戸次川合戦のとき、四国勢は作戦の失敗から、薩摩勢の猛攻により指揮系統は分断され、乱戦の中で信親の生死も分からず、主従わずか21騎となった元親は、武運もこれまでと馬を捨てて戦い、敵陣に斬り込もうとしていた。こ...

  • 土佐の旅(113)桂浜編 高知県立坂本龍馬記念館

    高知県立坂本龍馬記念館は、1991年11月に開館した坂本龍馬をテーマにした博物館で、2018年4月21日に新館の新設と本館を全面改装しリニューアルオープンしました。 記念館の建つ場所は、戦国時代の長宗我部氏の城であり、江戸時代に土佐に入った山内氏が居城とした浦戸城跡です。常設展示では、龍馬が設立に関わった海援隊約規など龍馬の思想が現れたものや、龍馬が兄や姉・坂本乙女に宛てた手紙など、暗殺二日前に書かれた陸奥宗光...

  • 土佐の旅(112)桂浜編 国民宿舎「桂浜荘」でランチ!

    ランチは、桂浜荘でいただきました!桂浜荘の「きてみいや」ここでも、土佐名物の鰹タタキ丼をオーダー😄土佐の名物「鰹のタタキ」が、たっぷり漬けしょうゆで丼に。ご飯には、ゴマだれでアクセントが!漬物、吸物 付で、860円でした。桂浜荘からの眺望は、桂浜が見渡せて素晴らしいですよ~にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加していま...

  • 土佐の旅(111)桂浜編 浦戸城の石垣

    国民宿舎「桂浜荘」の右手の道を奥に入って行くと、浦戸城の石垣の一部が保存している場所があります。桂浜荘桂浜荘の改築工事の際、発掘された石垣なのだそうです。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記 ブログランキングへ...

  • 土佐の旅(110)桂浜編 浦戸城天守跡

    坂本龍馬記念館のすぐそばには、浦戸城という城の天守跡があります。浦戸城は、高知市浦戸(土佐国吾川郡浦戸)にあった城で、戦国時代に長宗我部元親が居城とし、山内一豊も高知城に移るまで居城としました。現在は県の史跡に指定されています。 天守台へのi入り口の横には、浦戸城址碑と案内板が立てられ、移築された石垣の一部があります。この階段を上っていきます。天守台跡には大山祇神社と城八幡の祠があります。現在地は浦...

  • 土佐の旅(109)桂浜編 桂浜を散策

    龍馬像がある高台から降りて、浜辺を散策しました。桂浜は、浦戸湾口、龍頭岬と龍王岬の間に弓状に広がる海岸で、高知県を代表する景勝地の一つです。古来より月の名所として知られ、浦戸をあけて 月の名所は 桂浜 よさこい よさこいと「よさこい節」にも唄われています。海浜一帯は「桂浜公園」となっており、水族館などもあります。歩いてきた海岸を振り返ると青い空と白い砂浜が広がっていました。にほんブログ村 歴史ブロ...

  • 田畑政治ゆかりの地(6)古橋廣之進の生家跡

    浜松市西区雄踏町山崎のとあるマンションの前に、古橋廣之進の生家跡の案内板があります。田畑政治と師弟関係の古橋廣之進は、昭和3年(1928)9月16日、9人兄弟の長男として誕生。普段から弟や妹の面倒を見たり、家の手伝いを積極的にする少年だったそう。父親は体格が良く、力持ちで廣之進も相撲取りを目指していたそうです。「フジヤマのトビウオ」の異名をもつ水泳選手、水泳指導者。静岡県浜名郡に生まれる。浜松二中(現浜松...

  • 土佐の旅(108)桂浜編 龍馬に大接近!

    龍馬像の横に期間限定で設けられた高さ約13mの特設展望台に上って、龍馬に大接近してきました。展望台から、龍馬の目線で太平洋を一望できます。普段は見ることができない龍馬像の貴重な横顔と並んで記念撮影も楽しめます。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記 ブログランキングへ...

  • 土佐の旅(107)桂浜編 坂本龍馬の銅像

    お待たせしました!桂浜の坂本龍馬の銅像です。坂本龍馬の横顔 坂本龍馬は高知の城下町に住む郷土の次男として生まれ(1835年)、青年時代江戸に出、千葉道場で北辰一刀流を学び剣士として知られているが、 文久元年(1861年)、いち早く武市半平太(瑞山)の土佐勤王党に参加した。 後、脱藩して勝海舟に師事して海軍建設を計画し又、 長州(山口県)の桂小五郎(木戸孝允)、薩摩(鹿児島)の西郷隆盛を説いて慶応2年(1866年)薩長...

  • 土佐の旅(106)桂浜編 吉井勇の歌碑

    龍馬の像に向かう途中、ここで吉井勇の歌碑を発見!大土佐の海を見んとてうつらうつら桂の浜に我は来にけり 吉井勇は歌集『人間経』の詞◇ ( 判別不能 ) に「昭和 6年 5月、われははじめて土佐の国に遊びぬ。海は荒かりしかども空あかるく、風光の美そぞろにわが心を惹くものありき」と記している。碑の歌はこの旅を詠んだ「土佐百首」の一つ。 吉井勇 ( 1886 ~ 1960 ) は歌人・劇作家。東京生まれ。祖父は薩摩藩士・伯爵。勇は...

  • 土佐の旅(105)桂浜編 浦戸砲台場跡

    桂浜に到着!どこを見渡しても、龍馬の文字が!着いた途端に龍馬に囲まれた気分です(^^ゞそして、龍馬の像に向かう途中、最初に目に入ったのが、この浦戸砲台場跡です。浦戸砲台場跡 であったことを示す石垣などの遺構が残っていいます。嘉永元年(1848年)2月、沿岸防備のため坂本龍馬の父・八平は、浦戸湾岸の長浜守備の「駆付」を命じられていました。浦戸砲台場跡この場所には、万治年間(1658~1660)に建設された浦戸の灯明...

  • 土佐の旅(104)高知名物アイスクリン

    竹林院の山門を出て、バスの停留所に向かいます。石段を降りたところには、赤い前掛けをかけた可愛らしいお地蔵さんが並んでいました。竹林院の山門の横には、牧野植物園があり、その前にバス停があります。時間の都合で、植物園には寄れませんでした(;_;)MY遊バスの時刻表通過した時間には「通過しました」という札がかけられています。たまに、行ってしまったのか、遅れてくるのかわからないことがありますから、こういうサービ...

  • 土佐の旅(103)竹林寺 名勝庭園

    竹林寺の名勝庭園の入り口です。書院江戸時代後期・文化13年(1816年)、藩主参詣の際の接待殿として造営された書院は入母屋で室町時代の様式をもつ書院造の主屋、切妻造りの玄関、そして唐破風造りの車寄せからなっています。 平成27年(2015年)、国重要文化財に指定されました。 名勝庭園鎌倉後期、文保2年(1318年)に土佐に来錫(らいしゃく)し、五台山西麓に吸江庵(ぎゅうこうあん)を結んだ禅の高僧・夢窓国師により作庭...

  • 田畑政治ゆかりの地(5)雄踏尋常高等小学校

    浜松市立雄踏小学校の前に雄踏尋常高等小学校の案内板があります。古橋廣之進は、4年次に雄踏尋常高等小学校山崎分校から本校に通うことになり、浜名湖のプールで毎日泳ぎ続け、6年次に自由形で全国学童新記録を樹立。雄踏尋常高等小学校は全国競泳最優秀校の表彰を受けました。田畑政治が目をかけた古橋廣之進は雄踏尋常高等小学校山崎分校に通っていたが、4年生から本校に通うことになった。学校でも体格にたがわぬリーダーシッ...

  • 土佐の旅(102)竹林寺 山門~鐘楼堂

    山門に向かって歩いて行きます。山門 重厚感のある入母屋造楼門。金剛力士(仁王)像を安置しています。鐘楼堂にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記 ブログランキングへ...

  • 土佐のr旅(101)竹林寺 鹿の象~親子狛犬

    ここに行ったのは、11月でしたので、紅葉があちこちに見られ朝一だからか、人がほとんどいないので、ゆったり散策できました。鹿の象少し前まで、境内にはたくさんの鹿がいたそうですが、病気で死んでしまったそう。日吉神社親子狛犬通常は、雌雄一対ですが、こちらのは親子になっています。正面から見るとこんな感じです。我が子をしつけているのでしょうか。可愛らしい狛犬ですね。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加し...

  • 土佐の旅(100)竹林寺 一言地蔵~大師堂~本堂

    一言地蔵ミニチュアの可愛いお地蔵さんがたくさん並んでいます。大師堂弘法大師をお祀りする大師堂は、寛永21年(1644年)土佐二代藩主・山内忠義によって建立されました。面の長押(なげし)にはその昔、お遍路さんが巡礼の証として打ち付けていった木礼が数多く残っています。本堂とは対照的に簡素な趣のお堂です。本堂(文殊堂)文殊菩薩を本尊に祀ることから文殊堂とも呼ばれる本堂は、寛永22年(1644年)、土佐二代藩主山内忠...

  • 土佐の旅(99)竹林寺 五重塔

    寺伝によれば、神亀元年(724年)に聖武天皇が唐の五台山で文殊菩薩に拝する夢を見た。天皇は行基に五台山に似た山を捜すように命じたところ、この地が霊地であると感得し栴檀の木に文殊菩薩像を刻み、山上に堂宇を建立して安置したという。その後、大同年間(806 - 810年)に空海(弘法大師)が滞在、瑜伽行法を修法し、荒廃した堂塔を修復したと伝えられる。 実際の創建年代等について不詳である。中世以降は武家の信仰も厚く寺...

  • 土佐の旅(98)竹林寺 船岡堂~善財童子像

    五台山公園から竹林寺へと続く小道を進むと、竹林寺の西口から入ることができます。竹林寺は、高知県高知市五台山にある真言宗智山派の寺院。山号は五台山(ごだいさん)。院号は金色院(こんじきいん)。本尊は文殊菩薩。 切戸文殊、安倍文殊とともに日本三文殊の一つに数えられる。四国八十八箇所霊場第三十一番札所。当霊場のうち文殊菩薩を本尊とするのは本寺だけである。 (Wikipediaより)西口から入ると、すぐ見えてくるのが...

  • 遠州七不思議「 浪小僧」

    田畑政治ゆかりの地をまわっている途中、舞阪町の旧東海道と国道1号線が交わるところで「浪小僧」の像に会いました。舞阪宿松並木公園に設置されている「浪小僧」の像ちょっとふっくらしていて可愛いでしょう?波小僧(なみこぞう)は、遠江国(静岡県西部)一帯に伝わる妖怪で、遠州七不思議の一つに数えられています。浪小僧と表記される場合も。 浪小僧 むかし、遠州灘の浜では、地引網漁が行われていました。魚がとれ...

  • 田畑政治ゆかりの地(4)弁天神社

    弁天島に行ったついでに、JR東海道線弁天島駅前にある弁天神社をお参りしてきました。弁天島と天女 昔、弁天島のこの辺りは砂洲が新居の橋本辺りまで続き、白砂青松「天の橋立」のような風景が広がっていました。そんな弁天島の美しさに誘われてか、ある日天女が舞い降りました。村人は大変喜び、社を立てるからここに留まってほしいとお願いしました。ところがどういうわけか、天女は駿河の三保の松原へ立ち去って行きました。...

  • 土佐の旅(97)五台山公園

    JR高知駅からMY遊バスで約25分、「五台山展望台」で下車し、五台山公園へ。浜口雄幸の像高知市の標高146mの五台山の頂上近くにある五台山展望台。ここからは眼下に高知市街や浦戸湾、高知港を一望できます。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記 ブログランキングへ...

  • 土佐の旅(96)丹中山墓地(3)勤皇志士ほかの墓

    勤皇志士ほかの墓真邊栄三郎正心中老、仕置役、大目付。山内容堂の御供役となり、後藤象二郎、福岡藤次 ( 孝弟 )、寺山左膳、神山左多衛らと協力して大政奉還を推進するなど、幕末土佐藩の重鎮として活躍した。山地多嘉尾山地介寿の妹。山内家から眉寿 ( みす ) 姫が三条実万 ( さねつむ ) に輿入れしたとき、老女として三条家に仕え、王政復古後に大政奉還となった三条実美 ( さねとみ ) ら子女の教育にも当った。楠山庄助・同妻...

  • 土佐の旅(95)丹中山墓地(4)柴田家の墓

    丹中山墓地には、坂本栄さんの嫁ぎ先の柴田家の墓もあります。坂本栄坂本龍馬の次姉栄は、柴田作衛門と結婚したが、子がないまま離退 ( 病死 ) し、この墓によると弘化 2年 ( 1845 ) 9月 13日没している。龍馬は天保 6年 ( 1835 ) 11月 15日に生まれているので、栄が死去したとき、満 9才であったことになる。しかし、坂本家墓所に昭和 45年に建てられた墓碑によると、栄は龍馬が脱藩した文久 2年 ( 1862 ) 3月没とされている。柴...

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