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渡波 (JR東日本) 1613年伊達政宗によっては派遣された慶長遣欧使節は、牡鹿半島の月の浦から出航し、3か月の公開の末アカプルコに入港します。 その後スペインの艦船に乗り換えて、ヨーロッパへ。スペイン国王、ローマ教皇との謁見ののち、マニラ経由で帰国しています。 wikipediaによれば、「日本人が初めてヨーロッパの国へ赴いて外交交渉をした」画期的な出来事であり、副使の支倉常長らは「初めて太平洋・大西洋の横断に成功した日本人」となりましたが、江戸幕府によるキリスト教の取り締まりと鎖国政策が始まるタイミングであったことから、その成果が生かされることはありませんでした。 渡波駅から、万石浦にかか…
気仙沼線を前谷地で分岐、石巻では石巻臨港線を分岐、女川駅から更に奥の女川臨港線ヘと、石巻線の貨物列車の運行はとても変化に富んでいました。鉄道輸送は面白いです。 小牛田駅を出発して田園地帯を進むC11牽引の貨物列車。小牛田駅出発時点では、気仙沼線の三陸方面と、石巻港、女川港方面の3方向への貨車が併結されて、C11としては目一杯の長編成です。シンガリの車掌車の中では、車掌さんが各駅での入換指図書を作るのに大忙しだったことでしょう。 陸前稲井は石巻から女川方面の最初の停車です。ここまで平野を抜けて来た列車は、山をトンネルで抜け、いよいよ海岸へと向います。 汽車の駅は子どもたちの遊び場でもありました。…
石巻線の東北本線側起点であった小牛田駅は、陸羽東線も分岐する大きな規模の駅でした。津波被害で線路が流失し、今はBRT運行になってしまい、バスが走る気仙沼線も石巻線の前谷地駅から分岐していましたから、旅客列車は気仙沼行も発着していました。 引上げ線の脇を石巻へと向かうC11牽引の貨物列車。前谷地までは気仙沼方面行きの貨車も加わって長編成です。 小牛田駅には、陸羽東線と石巻線を担当する小牛田機関区の転車台と、東北本線の機関車を転向させる転車台があり、多くの待避線と側線を持つ大きな駅でした。 東北本線からの乗り換え客だけでなく、陸羽東線からは山形県からの貨物が、石巻線からは三陸海岸地域からの貨物が小…
東日本大震災で水没した女川港への鉄路をC11が通っていました。女川には臨港線があり、C11の引く貨物列車の終点は女川駅を経て、貨物専用の女川港駅でした。 万石浦沿いを女川へと急ぐC11。冷蔵車を連結して向かう先は女川港駅でした。 万石浦は石巻の東方、牡鹿半島の付根にあり、仙台湾の魚の産卵場所となっています。こうした浦を海の生態系を顧みずに、浅いから簡単に埋立られると考えて、日本の近海の漁業資源に打撃を与え続けてきたのはたいへん残念です。万石浦はマハゼの大型が釣れる好場所でしたが、津波の後は姿を消しました。今は回復しつつあるようで嬉しいです。仙台の御雑煮に使うハゼの焼干しの産地でもあります。 女…