還暦前後から老後の暮らしを豊かにするための東洋、西洋、仏典などの古典の紹介。
示衆(17)「境即萬般差別、人即不別」(境はさまざまな現れ方をしても、私はいつも同じなのだ)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の17回目です。 ここでは、そこになにか真実がちらちらと見え隠れしていそうな言葉に引き摺り回される修行僧たちに説いています。 それは、方便だ、そんなものではなにも得られない、そんな無駄なことをして日を過ごすな、と。 臨済録の原文全...
示衆(16)「五臺山無文殊」(五台山に文殊なし)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の16回目です。 修行僧たちが探し求めている文殊について、臨済が説明しているところです。 ここでも、やはり、自分自身をしっかりと理解しろ、と言っています。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が...
示衆(15)「為達四大如夢如幻故」(四大、すなわち地水火風はみな夢のごとく幻のごとしとの境地に達しているからだ)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の15回目です。 ここでは四大(世界を構成する地水火風の四つ)との向き合い方について語っています。 人間を含めた世界は地水火風が混じり合ってできたもの。 しかし、臨済は、地水火風は夢だ、幻だ、といいます。 臨済録の原文全文は以下の...
示衆(14)「無形無相、無根無本、無住處、活撥撥地」(形も姿も無く、根も本も無く、定まった在処もないのに、生きた魚のようにピチピチとしているではないか)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の14回目です。 真正の見解を求める修行僧に対し、臨済の説明が続きます。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に響いた 臨済の生きた時代 學人不了、為執名句、被他...
示衆(13)「唯有聽法無依道人、是諸佛之母」(ただ、今そこでこの話を聞いている無依の道人、君たちこそが諸仏の母だ)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の13回目です。 修行僧が「真正の見解とはなにか」と問います。 それに対して臨済は答えます。 「この世のものはことごとく仮の姿だ、実体などないのだ」と。 そして、さらに言葉を続けます。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認くだ...
示衆(12)「直是現今、更無時節」(今のそのままで良いのだ、まさにたった今のその状態だ)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の12回目です。 修行僧たちがあちらこちらの「偉い」和尚のいるお寺を巡って、お墨付きを得ようとします。 いつまでもうろうろとし続ける修行僧たちに、そんなことは無意味なのだと臨済は説きます。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認...
示衆(11)「然佛與魔、是染淨二境」(つまりは仏と魔とは、清浄なものと疑いの汚れに染まったものなのだ)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の11回目です。 臨済のもとで学ぶ僧たちは、さまざまな疑問をいだきます。 今回紹介する箇所では「魔とは、仏とは」について改めて一人の僧が問い、それに答える形で臨在が説明しています。 この「魔」と「仏」は、前回のところから引き続き説か...
示衆(10)「如明眼道流、魔佛俱打」(しっかりとした眼を持つ修行者であれば、魔も仏も一度にやっつけてしまう)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の10回目です。 臨済の頃の唐では、修行僧が集まる人気の寺があったようです。 そこに仲間入りして、自分は出家したと考える僧がいたのでしょう。 臨済はそのような僧に向かって、それは真の出家ではないと言います。 臨済録の原文全文は以下...
示衆(9)「屙屎送尿、著衣喫飯、困來即臥」(大小便を排泄し、服を着て飯を食い、疲れたら座ればいい)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の9回目です。 ここでも臨済は繰り返します。ことさらなことなどしなくていいのだ、と。 普段通りに生きて、ヒトとしてすることは当たり前にやって、無理なことはやらない。 その日々がそのままで解脱なのだ、と。 臨済録の原文全文は以下のリ...
示衆(8)「外不取凡聖、內不住根本」(外では凡や聖の区別をせず、內は根本の教えのようなものに落ち着いたりせず)「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の8回目です。 臨済が自らの説いているところをさらに踏み込んで語ります。 世間の人のしている物事の格付けと、「かの人」の行う格付けとはそもそも違うのだ、と言います。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!...
示衆(7)「無事是貴人」(無事であること、これすなわち貴人なのだ): 臨済の四照用 「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の7回目です。 ここでも繰り返し、余計なことをしなくていい、と臨済は言います。 臨済録の原文全文は以下のリンクからご確認ください。 「喝!!」の声が戦乱と混沌の世に響いた 臨済の生きた時代 師示衆云、道流、切...
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還暦前後から老後の暮らしを豊かにするための東洋、西洋、仏典などの古典の紹介。
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「臨済録」原文全文とその現代語訳を紹介しました。 仏教や禅に関する書籍ですが、純粋に東洋思想の書物としても読むことができます。 そこに書かれている言葉は、現代に生きる私たちにとって、自信を持ち、より心穏やかに暮らすための導きとなるものばかりです。 「臨済録」が、より多くの人たちに読まれることを
臨済は、自らの法を伝えた慧然に、最後の問いかけをします。 それに対し、慧然は一喝で答えます。 臨済はその答えに満足したのでしょうか。 それとも大いに不満だったのでしょうか。 自分の法は、目の見えない驢馬のところで滅んでしまう。 そう言って亡くなりました。 臨済が亡くなった後、慧然らは師の
金牛和尚は臨済の振る舞いを無礼であると咎めます。 しかし臨済はまったく構いません。 そして、さらになにか言おうとする金牛和尚に一棒を加えます。 溈山に、さてこの二人、どちらが勝ったのだろうかと問われた仰山は答えます。 勝ったとしたらどちらも勝ち、負けたとしたらどちらも負け。 勝ち負けは、こ
溈山は、古人たちの教えは電光石火のようなもの、誰も追い切れないが、そもそもそんな言葉には意味などなかったのだ、と言います。 それに対し、仰山は言います、表向きには誰も通さないが、裏ではこっそりと馬も車も通り抜けています。 言葉の上での厳しさはあっても、通り抜ける術はあるものだ。 そう言っている
明化は臨済に、どうして歩き回っているのかと尋ねます。 臨済は、ただ歩いて草鞋をすり減らそうとしているだけです。 あるいは、ただ草鞋がすり減ってしまうまで歩いているだけです、ということかもしれません。 明化はさらに問います。 それはどういうことか、と。 臨済はそれに答えるのではなく、ただつぶ
臨済は凡でもなく聖でもないところを象田に尋ねます。 それに対し象田は、まあ自分は見たままの、このままのものだよ、と答えます。 臨済は一喝して、ここに集まっている僧たちは、象田から何を学ぼうとしているのか、と言います。 その言葉の意味は、何通りかに解釈できるかと。 ここには学ぶべきものはない。
翠峰の問いかけに対して、臨済は、黄檗には特別な言葉などありません、と答えます。 そうだとしても、何か言ってごらんと翠峰はさらに問いかけます。 それで、臨済は、矢のように、あっという間に西に向かって飛び去った。 もうここには痕跡も残っていないのだ、と言います。
とても短いやり取りの中で、華厳和尚と臨済はお互いの力量を計りあっています。 そしてそれぞれを認めているのでしょう。 臨済録の中に出てくる人たちは、懸命に経典を読むことよりも、むしろ居眠りをするような状況を評価しているようです。 そこから私たちはどのようなことを読み取るべきでしょうか。
大慈和尚は臨済に答えて言います。 冬の寒さの中でも松は変わらず、千年経とうとも他のものとは同じではない。 しかし、世の中も春ともなれば、老人は花を手にもて遊ぶのだ。 それは大慈和尚のそのままの現状を言ったものかもしれません。 それに対して臨済は言います。 古くから完成された知恵といわれてい
臨済は、師である黄檗の教えを、その痕跡を見ることもできない、と言います。 それは形を変え、臨済自身の中に流れ込んだものということかもしれません。 黄檗の教えが、笛に流れ込む爽やかな風であれば、きっと清々しい音を出すはず。 その笛の音を聞いている者はどこにいるのか、と平和尚は尋ねます。 その問
剣先を交えることなく勝ちを得るにはどうしたらよいか、どうかその方便を示してほしい。 臨済はそう問います。 それに対して龍光は剣で相手に切り掛かるときのかけ声を発します。 咄嗟の方便ではなく、追い詰められたときに発する一声のように聞こえます。 臨済は遠慮することなく言います。 龍光は負けた、
住職は、仏陀のお墓に礼拝しますか、それとも祖師のお墓を先にしますか、と聞きます。 臨済は、どちらにも礼拝しない、と言って、立ち去ってしまいます。 では臨済は何をしにそこに行ったのでしょうか。 仏教や禅の修行者を縛り付けているものの張本人たちを確認しに行ったのかもしれません。 そして、それらの
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