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 着物ファッションと買い物のアルバム日記 part2 http://arimatunarumi.blog.fc2.com/

当ブログは、近年着物に興味を持つようになった着物初心者さんや若い世代向けに書いているブログです。 着物の知識・情報のメモ&お買い物&着物ファッションをアルバム風にまとめてみました。

有松なるみ
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2021/10/13

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  • 着物でお花見に行ってきました。

    近場の公園や神社の桜を見てきました🌸↑公園や神社のソメイヨシノやシダレ桜です。 着物と桜の写真は、他の方が大勢写ってしまうので控えさせていただきます💦 ↑母は白大島に蝶々と花の染め帯。 ↑私は白大島(色大島?)に博多の斜子織。 ↑この日は横双の大島紬に真綿紬の帯。 ↑母は泥大島の横双に市松の博多?の半幅帯。この日は親子で横双にしてみました。 母は運転のため半幅帯にしたのですが、お腹のせい...

  • 西洋の大青の「パステルブルー」と日本の藍の「甕覗き(かめのぞき)」

    今回は、西洋の天然染料のパステル(大青:たいせい)と、日本の藍染めの色調のお話です。 NHK『世界ふれあい街歩き』のフランスのトゥールーズの回(2017/10/17放送)で、天然染料のパステルが、中世~フランス革命まで一大産業だったという話がありました。<参考記事>NHK 世界ふれあい街歩き これまでの街歩き フランス南西部の中心都市、トゥールーズは、赤レンガで統一された街並みが「バラ色の街」と呼ばれ、旧市...

  • 縞の着物×縞の帯のコーディネートは江戸時代からあった?

    今回は、縞×縞のコーデの話と、江戸時代は帯合わせの格とTPOが今とは違っていた話についてです。 この江戸小紋の単衣の縞の着物と帯のセットですが、買ったはいいものの、実際にセットで着てみるとなんだか合わない感じがしたので、別々に着ていました💦 ↑子持ち縞の単衣の江戸小紋。↑帯は斜め縞です。↑着物と帯のセット。(過去記事はこちら→江戸小紋の話とお買いもの@大阪/ ②縞の着物と帯、内田秀一、関正三郎、鈴木秋治、単...

  • 海外のミシン仕立てと手縫いの国内仕立てについて ~和裁士さんのお話~

    今回は、和裁士さんのお話シリーズで、ミシン仕立てと手縫い仕立てについてです。 着物のお誂えでは、海外のミシン仕立てとハイテクミシン仕立て、国内のハイテクミシン仕立てと国内の和裁士による手縫い仕立て等、色々な選択肢があり、それぞれメリットとデメリットがあるようです。<参考記事>1604.お仕立て - きものカルチャー研究所 (kimonoculture.com)形骸化を容認できるか(1) 和裁職人存亡の危機(前編)形骸化を...

  • 着物の時は内股にするのがマナーだ×→大正時代は政府が内股を直す改善運動をしていた。戦前・戦後すぐの雑誌でも外股で颯爽と歩くのを推奨していた〇。(後編)~昭和後期のおかしな言説~

    (前回からの続き) 次に、大正時代に政府が内股を不健康・不格好であるということで、改善運動をしていたという話ついて。 日本は明治維新以降、洋装の推進と欧米列強へ追い付こうとしていた時期であり、大正時代には国家的に女性の運動能力・基礎体力向上を目指した政策を行い、内股についても改善しようと啓発していたことがわかってきました。 まず、国立民族学博物館の身装電子年表を見ていきます。参考URL:近代日本の身...

  • 着物の時は内股にするのがマナー×→戦前は玄人さんのイメージもあった、昔の風俗画は内股をしていない○(前編)~昭和後期のおかしな言説~

    今回は、昭和後期のおかしな言説シリーズで、戦前は着物の時に内股をするのがマナーではなかったのではないか?という考察です。 前記事でも触れましたが、呉服の世界では、「せっかく着物を着ても、内股歩きができないようでは着物が着こなせない」「内股で楚々と歩けないようでは着物が似合わない」「着物を着る時には内股で歩くのがマナーだ。素人を教育していかないといけない。」という着物警察的な考えを持っている人が...

  • 92歳のお婆さんの話 内股は垂れ物を着る時だけで、マナーでもなかった。

    今回は、92歳のお婆さんのお話シリーズで、戦前は内股はマナーのようなものではなかったというお話です。私:「今の着物本では、『着物の時には内股をするのがマナーだ』と書かれていますが、戦前の女性は、内股歩きを常にしていたのですか?マナーのようなものでしたか?」↑『着物のマナーお手本帖』五藤禮子、成実堂出版(2008)より。お婆さん:「着物の時の立ち居振る舞いだとかは母親から習うものだったけど、母の話では、...

  • 中国人の色彩感覚も戦後に大きく変化している。中国人=赤い服が好きというイメージは1990年代以降?

    今回は、中国人の色彩感覚も戦後に大きく変化しており、中国人=赤い服が好きというイメージができたのは1990年代以降ではないか?というお話です。 和裁士さんの話を聞いていて気付いたのですが、呉服関係者さんの中には、鮮やかな赤い服や鮮やかな緑(黄緑)やショッキングピンクの服を着ている人を見た時に、「赤い服を着るなんて中国人みたいだ。」「鮮やかな黄緑やショッキングピンクの服を着るなんて韓国人みたいなセンス...

  • 着物の色彩感覚に縛られるとパーソナルカラーの似合う・似合わないの判断ができない?~パーソナルカラーと似合う色の話⑥~

    (前回からの続き) 今回は、呉服の色彩感覚で縛られてしまうと、心にブレーキがかかってしまい、パーソナルカラーでいう似合う・似合わないの判断ができなくなったり、色を使いこなせなくなってしまうのではないか?というお話です。 和裁士さんばかりを事例に挙げて申し訳ないのですが、和裁士さんは呉服の色彩感覚を習ったために、パーソナルカラー理論でいう似合う・似合わないの判断ができなくなっているのではないかと思う...

  • 着物の伝統色とイエベ秋について ~パーソナルカラーと似合う色の話⑤~

    (前回からの続き) 和裁士さんを見ていると、呉服の世界では、「草木染めの渋い色こそ日本的な色彩感覚であり、日本人に似合う色だ」「日本人なら洋服の色彩も着物の色と年齢の日本的色彩感覚で着るべきだ」という価値観を持っている人がいるようです。 しかし、『新はじめてのパーソナルカラー』によると、着物の伝統色のような渋い色は、パーソナルカラーではイエベ秋の人に似合う色であり、シックでオシャレな色彩ですし、イ...

  • 呉服の世界の見立てとパーソナルカラー理論の違い、淡い色とブルべ夏について ~パーソナルカラーと似合う色の話④~

    (前回からの続き) 今回は、淡い色とブルべ夏についての呉服の見立てとパーソナルカラー理論の違いについて書きたいと思います。 前記事では戦前で時が止まっていると書いてしまいましたが、近年の着物雑誌は、呉服の世界もパーソナルカラー理論でアドバイスする方向へシフトしているようです。(昭和後期~平成にかけて、売り手主導で買うものを決めつけたり、色と年齢をうるさく言ったことで着物が売れなくなり、反省したのか...

  • 呉服の世界の見立て方は戦前の価値観で止まっている!?小麦肌ブームについて ~パーソナルカラーと似合う色の話③~

    (前回からの続き) 前記事で触れましたが、洋服ファッションの世界では、昭和後期~平成にかけて何度か小麦肌ブームがあったという話について書きたいと思います。 城一夫教授の『日本の色彩百科』によれば、1960年代以降、高度経済成長によって生活にゆとりが生まれ女性の社会進出が進むと、スポーツや娯楽などでアウトドアを楽しむ活発な女性が増えてきて、「色白は七難隠す」というの日本人美意識を根底から覆す小麦肌信仰...

  • 呉服の世界の見立て方は戦前の社会的価値観で止まっている?色白至上主義と赤やピンクについて ~パーソナルカラーと似合う色の話②~

    (前回からの続き) 今回は、呉服の世界の色白至上主義について、パーソナルカラーとの比較で考察したいと思います。 前記事に書いたように、呉服の世界では、「色白さんはピンクが似合うけど、色黒さんはピンクは似合わない。」「色白さんは透明感のある淡い色(パステルカラー)が似合うけど、色黒さんは似合わない」という特殊なモノの見え方があり、これは和裁士さんだけでなく他の呉服関係者さんの発言にも見られることで...

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