今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
当ブログは、近年着物に興味を持つようになった着物初心者さんや若い世代向けに書いているブログです。 着物の知識・情報のメモ&お買い物&着物ファッションをアルバム風にまとめてみました。
ファッションは西洋社会で生まれた概念?江戸時代の小袖が西洋に先駆けてモードを作っていたのは本当か?(中編)
(前回からの続き) 丸山伸彦教授は、17世紀後半以降の江戸時代において、世界に先駆けて小袖雛形本というモード誌が市民階級の不特定多数の人まで広がっていたことに注目し、西洋よりも100年早くモードが成立していたと分析しておられるのですが、個人的には、識字率の高さや読書文化が大衆に広まっていたことと、高級呉服のモードの広がりとはまた別の話のような気もしています。 確かに、江戸時代の日本は同時期の外国と比べ...
ファッションは西欧社会で生まれた概念?江戸時代の小袖が西洋に先駆けてモードを発展させていたのは本当か?(前編)
今回は、前々記事の丸山伸彦教授の「江戸時代の小袖は西洋より100年早くモード(ファッション)を発展させていた」という説を受けて、従来はファッションが西洋社会特有の産物だったと考えられているという話について書きたいと思います。 丸山伸彦教授がこの説を研究発表されたのは、ご著書の『江戸モードの誕生』にその経緯が書かれており、ある出版社の方から、「小袖を中心とした江戸モードを見直すという視点から、構成を...
呉服の世界では着物のことをファッションだと認識していない?ファッションという言葉の定義の誤解(後編)
(前回からの続き) 続いて、呉服の世界で勘違いが生まれた理由の③と④になります。【再掲】①ファッションという言葉の定義を呉服の世界だけが誤解・曲解して使用している②戦後になっても江戸時代の封建制と衣服規制から卒業できず、着物が自己表現としてのファッションになれなかった③歴史的に日本では高級呉服を着れる階層でも着物をファッションにまで高められる人が少なかった④戦後は着物離れが進み、着物が衣服・ファッション...
呉服の世界では着物のことをファッションだと認識していない?ファッションという言葉の定義の誤解(中編)
(前回からの続き) さらにファッションという言葉の定義について続けます。 『洋服を着る近代』には、衣服と衣装とファッションの違いについて、「ファッションとは上流階層で見られる装い」とあります。↑『洋服を着る近代』ロバート・ロス著、平田雅博(訳)、法政大学出版局(2016)より。洋服を着る近代 帝国の思惑と民族の選択 (サピエンティア) [ ロバート・ロス ]価格:3,960円(2022/12/14 14:11時点)感想(0件) これに...
呉服の世界では着物のことをファッションだと認識していない?ファッションという言葉の定義の誤解(前編)
今回は、「呉服の世界では着物のことをファッションだと認識していない?」シリーズの第一弾です。 私が呉服の世界を見ていてわかったことの一つとして、どうやら呉服の世界では、着物のことをファッションだと認識していなかったようなのです。これは本当に驚きでした😱。 呉服の世界では、「着物=嫁入り道具」「着物=和のマナー、お稽古事、花嫁修業」「着物=伝統を守るために着るもの」「呉服屋=通過儀礼の指導者、文...
良い染め帯は絵柄に伸びがある。京好みのお太鼓結びにも最適?!
今回は、良い染め帯にはお太鼓柄でも絵柄面積が大きいものが多いというお話です。 石川あきさんの『昔のきものに教えられたこと』で知ったのですが、良い染め帯は「絵柄に伸びある」と言われ、隠れてしまう部分にも絵柄が広がっているものが多いそうです。↑『昔のきものに教えられたこと』石川あき、草思社(2006)【中古】 昔のきものに教えられたこと /石川あき(著者) 【中古】afb価格:1,045円(2022/12/11 03:06時点)感...
92歳のお婆さんの話 戦前は黒留袖に赤い帯揚げ・赤い帯締め・赤い長襦袢・カラフルな袋帯を合わせていた。赤はお祝いの意味がある。
今回は、92歳のお婆さんのお話で、戦前は黒留袖に金銀以外のカラフルな帯も合わせていたし、帯揚げ・帯締めには必ずお祝いの意味を込めて赤色を使っていたというお話です。私:「今の着物のルールは1970年代に作られたものということがわかってきたのですが、黒留袖については、今の着物本では、金銀の袋帯しか合わせられないかのように書かれていますし、帯揚げ・帯締めについては白の帯揚げ・帯締めのみという決まりになってい...
今回は、Mさんの叔母様が営んでいた染物屋のお話です。 幸運なことに、Mさんの叔母様が染物屋を経営されていたそうで、誂友禅についての有用な情報を教えていただくことができました。 Mさんの叔母様のお店は隣市に住む私の大叔母も知っていて、割と大きい染物屋さんとして知られていたそうです。(染物屋の叔母様が作ってくれたMさんの嫁入り道具はこちら→Mさんの京好みの嫁入り道具の話) Mさん:「私の嫁入り道具を誂え...
誂友禅を企画・生産する「誂染屋」と流通を担う「誂悉皆屋」と消費者の窓口の「京染店」について
今回は、京都のセミオーダー友禅と染工場と流通業者と小売店の関係についてのお話です。 前記事の話を受けて、「じゃあ、何でBtoCの悉皆屋という言葉が消費者に定着したの?」と思う人もおられると思いますが、『京都の染め職人』の誂友禅(あつらえゆうぜん)の流通システムを見るうちにわかってきたのは、呉服の世界には生産・流通の色々な段階で似たような仕事をする業者さんがいて、京都のBtoBの「悉皆屋(染匠)」と流通業...
京都では着物作りの総合プロデューサーを悉皆屋と呼ぶ。他県では着物のお手入れ・お直しを請け負う店を悉皆屋と呼ぶ。
今回は、「悉皆屋」という言葉の定義が、京都と他県では異なるというお話です。 京都の染色の本を見ていて、「これは意外だな~」と思ったのは、京都で「悉皆屋さん」というと、色んな工程の現場・職人さんと相談して、全てを統括して着物を作り上げていく総合プロデューサーのことを指すそうです。 全国的には、「悉皆屋さん」というと、洗い張り・お直し・お手入れを請け負う店であり、消費者と直接やり取りするいわば「B to...
今の流行と昭和の着物のイメージあれこれ② ~着物を着るうちにわかってきたこと~
(前記事からの続き)○「道行は室内では脱がないといけない」という話は、臨機応変でいい。 着物本には、和装マナーとして、「道行は室内では脱がないといけない」「羽織は室内で脱がなくてもよいが、道行は室内(=美術館や飲食店)に入ったら脱ぐべきだ」と書かれていますし、呉服関係者さんも盛んに言っていますが、私はそこまで気にしなくていいと思います。 私が気が付いたのは、そういうことを言っている人ほど、ご自身...
着物を着るうちにわかってきたこと 今の流行と昭和の着物のイメージあれこれ①
今回は、「着物を着るうちにわかってきたこと」シリーズの第一弾で、今の流行と昭和の着物のイメージについてまとめてみました。 着物にもそれなりに流行があり、ずっと着物の世界を見ている人は、色柄を見ればいつ頃作られたものかだいたいわかるそうですし、昭和~令和の間にも、羽織丈や八掛やコーディネートに変遷があるようです。○昭和の道行・羽織には、赤系・オレンジ系が多い。 今の中古市場にある着物や帯は1970~1...
「ブログリーダー」を活用して、有松なるみさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
(前回からの続き)私:「和裁士さんによると、昭和後期の着物の世界では、黄八丈は町娘が着る若向きのイメージがあるから年配は着れないとか、格子は若づくりだという説が流布されていたらしいです。 Fさんは(本場)黄八丈にどんなイメージがありますか?」 Fさん:「黄八丈は年配世代が着るものというイメージだし、黄色が若い人しか着れないという話も聞いたことない。 誰がそんなこと言ってるのかしらね?? ...
今回は、Fさんのお話シリーズの第一回です。 (過去に一度公開した記事ですが、差し障りがある箇所があったため非公開にしており、今回再掲させていただきました。) ご実家が明治初期からの呉服屋だったというFさんに、大島紬の話や戦前の宮崎県の庶民の衣生活の話を聞かせていただきました。 Fさん(2018年現在で78歳)のご実家は、お父方が江戸時代に大名の馬廻り役だった武家のご家系で、明治以降は商家に鞍替えし、...
今回は、帯締めの話に続き、帯揚げについて調べてみました。 帯揚げは、お太鼓結びが生まれた後に、帯回りの付属品・装飾品として生まれたものの、帯締めのように組紐の文化や伝統技術などの背景があるわけではないためか、帯揚げを専門的に調べた本はほとんどないようです。 時代考証家の山田順子さんによると、「文化年間(1804~1818)にお太鼓結びが考案されると、帯がずり落ちないように、帯締めだけでなく、背中の折山に...
(前記事で、「組紐の帯締めの普及は、月印という帯締めの問屋が仕掛けた」という説を載せ忘れたので追記しました。よろしければご覧ください。) 今回は、夏用の帯締め・帯揚げのお話です。 戦後の呉服の世界では、季節柄や衣更えをうるさく言っていたので、「夏には夏用の帯揚げ・帯締めにしないといけない」と思う方がおられるかもしれませんが、夏用の帯締めは衣更えのしきたりでも何でもなく、戦後の昭和後期に商業的に作ら...
🎍新年のご挨拶申し上げます🎍 今年は元旦から地震・事故・事件など様々なことがありました。 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 当ブログの新年の抱負は、昨年は更新が少し滞っていたので、今年は着物の理論のほうに力を入れ、もっと多くの記事を投稿できる一年にしたいと思います📒🖋~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 今年の初記事は、特にお正月らしくもないのですが、帯締めと...
今回は、麻の着物の話に続き、芭蕉布の着物の格についてです。(画像参照元:芭蕉布 - Wikipedia) 戦後の呉服の世界では、芭蕉布は帯も着物もカジュアル着着として知られ、とても高価で希少性の高い商品となっていますが、琉球王国時代は古くから王家の夏の礼装として用いられ、戦前でもフォーマル着として着られていたようです。 『図説琉球の染めと織り』によると、琉球王朝では古くから芭蕉布が存在し、王族から庶民に至る...
今回は、戦前までは麻の紋付礼装があったというお話です。 結論から先に述べると、麻についても、昔は紋付の礼装があり、夏場はフォーマルで着られていましたし、同じ麻でも上質なものは上流階級の礼装や日常着として着られ、質の劣るものは庶民が日常着・労働着として着ていたということがわかりました。 戦後の着付け教室の教本や着物雑誌を読むと、「麻は素材からして格が低い」「麻は農家が自家用に作る自然布が起源で格が...
今回も前回に続き、紬や木綿は格が低いという言説についてです。 結論から先に述べると、「紬はとにかく格が低い」というような言説は、戦後の昭和後期に高級紬ブームになった時に、高級紬のライバルであった友禅の産地が紬を下げるような言説を流布したのが原因という説があったり、歴史的には高級紬は別格に扱われていて、地域によっては正式な礼装として着られていたという事実があるようです。 紬については色々な種類があ...
今回は、前回の木綿友禅の話に続き、「紬は紬というだけで格が低い」という言説は誤解であり、戦前までは紬の礼装があり、着物の格は素材よりも紋の有無と色柄で判断していたというお話です。 戦後の呉服の世界では、「紬はどこまでいっても格の低い着物(カジュアル着)だ。」「紬の訪問着は戦後に作られるようになった邪道の商品だ。紬の訪問着をフォーマルな席で着るのはおかしい。」「紬はいくら高級品でも格の低い着物だか...
今回は、「木綿は木綿というだけで格が低い」というのは誤解であり、大正時代までは木綿の礼装が作られていたし、着物の格は紋の有無と柄ゆき(裾模様・絵羽)で判断していたというお話です。 戦後の呉服の世界では、「木綿着物は着物の中でも最も格が低い」「木綿の着物はカジュアルな格だから部屋着として着たり、働く時に着るものだ」「隣人や極親しい人と会う時、近場の買い物で着る」「木綿の着物は格が低いからマフラーや...
続いて羽織のお買い物の話です。 ↑小紋の羽織、中古品、324円。 こちらは、和裁士さんが小物作り(つるし飾り)用に買ったもの。 茶色でこういう小さな柄は、雀などの小鳥の素材に使えるのだそう。↑バティック調の型染めで、羽裏もアジアンテイストです。 羽裏の下の表生地の折り返しが多いので、羽織にしては生地がたくさん取れたそう。 ↑小紋の羽織、中古品、324円。 こちらも和裁士さんがリメイク用に購入。 羽織紐が...
前回に続き、羽織のお買い物の話です。↑寿光織の絵羽織、未使用品、仕付け糸付き、108円。 こちらは知人のNさんが買ったもの。寿光織でこの価格はびっくりです😧 上品な糸菊が描かれていて、絵羽なので、関西の感覚だと、紬の着物ではなく、格のまあまあ高い垂れ物に合わせるべきものなのかも? 金糸・銀糸と白糸で立体的な糸菊が抽象的に表現されています。 「大小あられ」のような地紋があり、光の加減で浮き立ってオシャレ...
今回は、羽織のお買い物の話です。 今は長羽織が流行なので、昭和の短い羽織は流行遅れになりがちですが、とはいえ昔のものは良いものが多いので、そこまで短くなければ今着ても恥ずかしいわけではないと思いますし、生地や加工が良いのでリメイクにもオススメです。(過去記事→今の流行と昭和の着物のイメージあれこれ② ~着物を着るうちにわかってきたこと~)↑刺繍入りの絵羽織、未使用品、仕付け糸付き、108円。 手刺繍と...
今回は、地方の呉服屋さんでは、京都のネームバリューを都合のいい時だけ利用していたり、本当は田舎の趣味なのに、自店が京都のセンスであるかのように販売しているというお話です。 今まで呉服の世界を見ていて、着物で嫌な思いをしたり、着物離れが起きる大きな要因は、消費者と直接関わる販売現場が原因ではないか?とわかってきたため、今回は地方の呉服屋シリーズ第一弾として、愛知の田舎好みの呉服屋さんの話を例に挙げ...
今回は、はんなりという言葉は京都人でもあまり使わないという話と、地方の呉服関係者さんの中には、はんなりの意味を誤解していたり、江戸好みの着付けや趣味なのにそれが京好みだと勘違いしている人がいるのではないか?というお話です。 和裁士さんと話していて気が付いたのですが、和裁士さんが習った着付け教室では、「うちの教室でははんなりした着付けを目標にしている」と言っていたり、和裁士さんのお店の社長が、...
(前回からの続き) 呉服の世界では、伝統工芸の藍染めの浴衣だけをホンモノとし、他の安価な浴衣をニセモノとする風潮があるようですが、アパレルの世界では、藍染めの浴衣は、品揃えやカテゴリーとしては単に「紺色の浴衣」として分類されるということをもっと理解する必要があると思います。 紺色の浴衣は、伝統工芸の高級品だろうが、プリント印刷の安価なものだろうが、色柄のカテゴリーとしては単に「紺色の浴衣」に分...
今回は、前回の話の続きで、藍染めの浴衣に関するお話です。 昭和後期の呉服の世界では、「浴衣は藍染めが正統派で正しい浴衣で、日本人なら藍染めの浴衣を良いものだと思うべきだ」「藍染めの浴衣こそ伝統的な本物の浴衣だ」「昔ながらの紺地や白地の藍染めの浴衣こそ日本人らしい趣味だ」というような価値観が流布されていたようです。 現在でも、呉服関係者さんの発言やテレビ番組の日本の浴衣文化の紹介を見ていると、さり...
今回は、昭和後期のおかしな言説シリーズで、浴衣の格と絵羽柄についてのお話です。 浴衣についてよく耳にする話として、昭和後期の着物世界では、「絵羽の浴衣は近年作られるようになったもので、いくら絵羽でも格は低い。(=絵羽の浴衣は邪道だ)」」「浴衣を長襦袢と足袋で夏着物として着るのはいかがなものか。」「浴衣は湯上りに着るバスローブだから、昼間から着るのはおかしい。」「浴衣はオシャレ着や外出着には...
今回は、男性の和装は今でも慶事と弔事が同じ格好になるというお話です。 男性の和装の喪服について、「慶事では羽織紐と草履の鼻緒は白、弔事では黒にする。(中には半衿も足袋も黒にするという説もあり)」という言説が昭和後期に流布されていたようですが、これについても昭和後期のおかしな言説の一つのようです。 結論から先に述べると、和装では戦前までは慶事も弔事も同じ格好で、男性は白喪服の場合と黒紋付羽織袴が混...
今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
(前回からの続き)私:「和裁士さんによると、昭和後期の着物の世界では、黄八丈は町娘が着る若向きのイメージがあるから年配は着れないとか、格子は若づくりだという説が流布されていたらしいです。 Fさんは(本場)黄八丈にどんなイメージがありますか?」 Fさん:「黄八丈は年配世代が着るものというイメージだし、黄色が若い人しか着れないという話も聞いたことない。 誰がそんなこと言ってるのかしらね?? ...
今回は、Fさんのお話シリーズの第一回です。 (過去に一度公開した記事ですが、差し障りがある箇所があったため非公開にしており、今回再掲させていただきました。) ご実家が明治初期からの呉服屋だったというFさんに、大島紬の話や戦前の宮崎県の庶民の衣生活の話を聞かせていただきました。 Fさん(2018年現在で78歳)のご実家は、お父方が江戸時代に大名の馬廻り役だった武家のご家系で、明治以降は商家に鞍替えし、...
今回は、帯締めの話に続き、帯揚げについて調べてみました。 帯揚げは、お太鼓結びが生まれた後に、帯回りの付属品・装飾品として生まれたものの、帯締めのように組紐の文化や伝統技術などの背景があるわけではないためか、帯揚げを専門的に調べた本はほとんどないようです。 時代考証家の山田順子さんによると、「文化年間(1804~1818)にお太鼓結びが考案されると、帯がずり落ちないように、帯締めだけでなく、背中の折山に...
(前記事で、「組紐の帯締めの普及は、月印という帯締めの問屋が仕掛けた」という説を載せ忘れたので追記しました。よろしければご覧ください。) 今回は、夏用の帯締め・帯揚げのお話です。 戦後の呉服の世界では、季節柄や衣更えをうるさく言っていたので、「夏には夏用の帯揚げ・帯締めにしないといけない」と思う方がおられるかもしれませんが、夏用の帯締めは衣更えのしきたりでも何でもなく、戦後の昭和後期に商業的に作ら...
🎍新年のご挨拶申し上げます🎍 今年は元旦から地震・事故・事件など様々なことがありました。 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 当ブログの新年の抱負は、昨年は更新が少し滞っていたので、今年は着物の理論のほうに力を入れ、もっと多くの記事を投稿できる一年にしたいと思います📒🖋~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 今年の初記事は、特にお正月らしくもないのですが、帯締めと...