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  • 恐れるべきは間違えることではなく、間違いを認めないこと

    人は必ず間違えます。悲しいことに必ずです。これはマーフィーの法則なんて持ち出すまでもなく自明なことです。なので間違えることは恐れる必要なんてありません。貴方も、私も、隣のこの人も、有名人のあの人も、誰もが間違えるのですから。 問題となるのは間違えることではなく間違いを認めないことです。認知的不協和に陥って間違いを認められなくなるとロクなことになりません。 認知的不協和とサンクコストバイアス 認知的不協和とは自身の認知に矛盾を抱えた状態を指す用語です。人はこの矛盾による不協和を解消するために様々な意識の変更を行います。対象となる認知の定義を変更したり過小評価する場合もあれば、自身の認知を変更する…

  • アラーミストが時に忌避される理由

    物事に対して警句を発する人をアラーミスト(Alarmist)と言います。文字通りAlarm(警報)を発する人という意味です。アラーミストは他にも”人騒がせな人”や”心配性な人”という意味を持っています。 世の中には様々な物事に対するアラーミストで溢れています。政治や経済、環境や健康、戦争や将来、ありとあらゆる物事に対して存在すると言ってもいいでしょう。代表的なアラーミストと言えばノストラダムスの大予言やY2K問題で騒いでいた人々でしょうか。 もちろんリスクに対して注意喚起をし将来に対して備えを怠らないようにすることは悪いことではありません。アラーミストの存在は漫然と日々を過ごしがちな普通の人々…

  • 外国人にはどの程度忖度するべきか

    少し過激な記事タイトルですが、そこまで内容は過激ではない・・・はず。 日本における在留外国人の人数は他の先進国と同様に年々増加傾向にあります。また昨今では減る一方の労働力を補填する目的で移民政策をどうすべきかという議論もなされています。 移民政策についてはまあ各所で議論を深めていけば良いと思いますが、少し気になっていることがあります。それは文化的な側面に対する論調です。 相手に合わせる?相手が合わせる? その代表的なものは「外国人は別の文化で育ってきたのだから、日本人の考え方を押し付けず彼らの考え方を尊重しなければいけない」という類のものです。 もちろん現実的な問題として文化的側面の擦り合わせ…

  • 私のブログの書き方

    この駄ブログでは毎日愚にもつかない駄文を公開しているわけですが、一応私は8時5時の勤務かつ毎日残業しているしがないサラリーマンのため、毎日記事を投稿するにはほどほど効率的に文章を書かないといけません。 というわけで誰の役にも立たないであろう私なりの記事の書き方を書いてみましょう。何がどういうわけだかはイマイチ分からないですが。 ある日の朝 目覚ましのアラームが機能する前に目を覚ます。 アラームに起こされるなんてごめんだ、私は私のリズムで起きる。 カーテンを勢いよく開き、眩く差し込む朝日を浴びてゆっくりと身体を伸ばした。 全身の細胞が日差しによって活性化し徐々に目覚めていくのを感じる。 今日も良…

  • 敵を減らすのではなく味方を増やすほうが合理的

    保守と革新、急進と穏健 世の中には変化を好む人と嫌う人がいます。政治や経済の世界では保守(コンサバ)と革新(リベラル)という固い言葉で分類されることもあります。互いに相手を抵抗勢力として認識しておりそのせいで争いが起こる場合がありますが、実際はどちらかが絶対的に正しいということはありません。適材適所、状況に応じるべきです。保守的な維持が必要な局面もあれば革新的な変革が必要な場合もあるでしょう。コンサバとリベラルは車の両輪のようなもので、どちらが欠けても物事は上手く回らなくなります。 正確に言えばコンサバとリベラルが存在するから争いが起こるというわけではありません。異なる意見だからといって必ずし…

  • 若者よ、他責思考を使いこなせ!

    自責・他責という言葉があります。失敗や過ちの原因を自身に求めるか他者に求めるかの違いです。 基本的には自責思考が望まれる 社会的には自責思考のほうが良いものとして好まれます。なんでもかんでも他責で考えていては自らをより良くしようとはならず成長に繋がらないからです。内省し、自らに不足しているものを考え、次はどうするかを検討し、必要なスキルを身に付ける。自責思考は自らを成長させる原動力となります。 他責思考のメリット しかしながら若者は時に他責思考になることも必要だと考えます。なんといっても他責思考はメンタルに優しいのです。なんでもかんでも自分の責任であり自分が悪いと思っていては心が摩耗してあっと…

  • ベテランが若手に配慮してあげましょう

    「あれ、今日は道が空いているな、どうしてだろ。まあ通勤が楽でいいけど。あ、世間は祝日か・・・」と察する瞬間が辛いです。私は仕事が好きですが、お休みだって当然好きなのです。休みが嫌いな人なんてこの世に居るだろうか、いや居ない(反語)。いや、居るかも・・・自信が無くなってきました。というか居た、居ました。嫁さんと年頃の娘さんに邪険にされるから家にあまり居たくない、職場の方が良い、というおじさんがうちの職場に居ました。うへぇ、辛い。 さて、勤労感謝の日にちなんで仕事の話でも書こうと思います。記事の投稿日は勤労感謝の日に間に合っていませんが。 若手のメンタルがピンチ テレワークによる対面コミュニケーシ…

  • ハラスメントのループは避けたい

    ハラスメント 相手を不快にさせたり傷つけたり、不利益や脅威を与えることをハラスメントと言います。Harassmentは直訳すれば「迷惑行為」ですので、まさに文字通りの意味です。発信者の意図に関わらず受け取り手がどう感じたかによってハラスメントになります。昨今では様々なハラスメントが独自に定義されており、パワハラ、セクハラ、モラハラ、ドクハラ、ロジハラ、アルハラ、他にも様々なハラスメントが存在します。調べてみると、え、そんなハラスメントもあるの?となるのでオススメです。何をオススメしているのでしょうね。 当然ながら相手が不快に思うことは出来る範囲で避けるべきでしょう。誰だって不快になんてなりたく…

  • 精神論・根性論は使いどころによる

    精神論(根性論)は賛否両論であり、毀誉褒貶、相半ばするものです。これは単純に議論の土台が異なることが問題です。精神論についての土台を整理してみましょう。 個人・現場においては有用である 世の中には様々な手本や傾向、パターンやタイプ、好例や定番、手段や手法があり、それぞれの事象において適した教科書的な方法というものが概ね確立されているものです。多くの人々がそれを学んでいます。そのため競争で圧倒的に勝つためには教科書よりも優れたことをしなければいけません。しかしそれを見つけ出すには並外れた才覚が必要でしょう。 よって多くの人は定型の範囲内で競争することになります。その場合どこで差が出るのか、それは…

  • 申し訳ないけど、歯医者さんには当たり外れがある・・・と思う

    不定期で軽めの話をしたくなる症候群に罹患しているので、今日は軽い話。いや、ホント油断すると真面目で堅苦しい話を延々としだすので、意識して軽く明るい話をすべきだと思っているわけなんですよ。人間疲れていると暗くなりがちです。そこで逆転の発想、明るい気持ちになれば疲れが無くなるのではないかとそう愚考するわけです。無くならないんですけどね。疲れ。わぁ現実って厳しい。 歯医者は敵か味方か 歯医者に行くと敗者のような気持ちになります・・・・・・もう今日は何も書かないほうがいいんじゃないかな。モルダー、貴方疲れてるのよ。今日歯医者に定期検診へ行った、というだけなんです。ただ歯医者が苦手なので、どうにも精神的…

  • 社会人人生の中で一番しんどかった時期の話

    技術者3年生 あれは社会人になってから3年目、まだまだ1人前とは言い難くも多少は仕事が出来るようになり、タマゴの殻を頭に被ってフラフラと危なげに独り歩きが出来るようになった頃のお話です。 技術者にとっては3年くらいが独り立ちの目安です。3年くらい仕事をしていれば技術者の仕事における一通りの工程を経験することになり、まあなんとか右と左の違いを理解してえっちらほっちらヨチヨチと進むことができるようになります。もちろんまだまだ先輩や上司のフォローは必要ですが、まあ客先に出すには多少恥ずかしいものの出せない程ではない、若いから許してくださいねテヘペロ、というくらいには成長します。 忙しかったけどやりが…

  • 楽しく勉強するにはどうすればいいかと聞かれると、困る

    私は勉強が好きです。技術屋はそういう人が多いと思います。というよりも勉強が嫌いな技術屋は残念ながら技術屋を長く続けることは難しく、何処かしらで知識の壁を乗り越えることができずにリタイヤせざるを得なくなる場合があります。そういう人を幾人も見てきたからこそ少し厳しいことを言いますが、技術に興味が無いなら技術屋なんて商売はやらない方が良いです。 技術と技能の違い 技術屋が用いるのはハード・ソフトを問わず工学技術(エンジニアリング)と括られています。工学の定義は「数学と自然科学を基礎とし、時には人文社会科学の知見を用いて、公共の安全、健康、福祉のために有用な事物や環境を構築することを目的とする学問」で…

  • 心の洗い方

    美しいものを見たり素敵なもので感動した時に心が洗われるようだと表現することがあります。心に堆積した淀みが流され、清々しい気持ちになることを比喩的に表現したものです。そう、純粋な子どもがいずれ私のようなひねくれた大人になるように綺麗な心は俗世の穢れによって汚されてしまいますが、それを洗浄することによって清浄で正常な心を取り戻せるのです。 しかし、具体的にどんな感じで洗えばいいのでしょう? 流水で流す 洗うというくらいですから水やお湯を使って汚れを落とすことをイメージするのが良さそうです。清々しい気持ちになるということはやっぱり溜めた水でゴシゴシとこするよりも流水でさっと汚れを流すようなイメージで…

  • 理屈があろうがそれは行動を正当化するものではない

    たまには過激なことを言ってみる 通り魔事件で被害にあうのは大抵が女性や子ども、高齢者のような身体的に弱い立場の人々です。犯人にも何らかの理屈があるのでしょうが、申し訳ないことに私にはさっぱり理解できません。そんなに人に危害を加えたいのであれば弱い人を攻撃なんてせず、ヤの付く自由業の方々の事務所でも襲撃すればいいじゃないですか。 犯罪心理学の観点からすれば通り魔事件の犯人は子ども時代の環境や教育に問題があり社会に適合できていない可哀そうな人であることが多いとされています。よって「だから社会を改善しよう」なら分かります、それは皆で考えるべきことです。しかし「だから犯人にも同情の余地がある」は納得が…

  • 他者への攻撃性に関する考察

    攻撃性の発現は損失が大きいと思っている どうして世の中には他人に対して攻撃的な人が居るのだろうと常々不思議に思っています。何の得があるのだろう、自身の溜飲が多少下がったとしても相手が嫌な気持ちになる分プラマイゼロじゃないか、特に不特定多数が見れる環境で他人を攻撃するような行為なんてマイナスのほうがよっぽど大きくなって大変な損失じゃないか、とか思うわけです。 物事はプラスになることをしたほうがお得だと考えます。発信者は楽しんで発信し、受信者は楽しめる物事を選択して楽しむ、楽しめない時はマイナスにならないよう離れる、そうすれば全体的にプラスになるので皆ハッピーでしょう。 まあ、しかしながら他者を攻…

  • サボるのではなく、手抜いて省く

    「適当」という言葉はややこしいですよね。ちょうどいいくらいという意味といいかげんという意味があります。いい加減なのか、好い加減なのか、使い処によって意味合いがほぼ真逆に変化してしまいます。 手抜くという言葉も同様です。辞書的な意味では必要な手順を省く、いい加減な仕事をするというマイナスな言葉ですが、本来的な意味としては囲碁や将棋で用いられる攻め込まれている場所ではない良いところに手を指すという前向きな意味を持っています。駒がぶつかったり石を取り合っている戦場に手を入れるのではなく、戦局全体を見渡してより有利になる地点に手を入れるということです。初級者は目先でぶつかり合っている地点にだけ戦術的に…

  • 趣味の話~将棋がアツい

    藤井聡太三冠が竜王戦を制し、四冠になりました。その偉業に、にわかではありますが将棋ファンとして年甲斐もなく興奮しています。時事ネタとしてCOP26の話でもしようかと思っていましたが、私の中では藤井竜王誕生のほうが圧倒的にビッグニュースなので、趣味を優先した記事を書きます。ええ、ただ好きなものを紹介したいというだけです。オチも何もなく、ただ将棋の話をします。 どのくらいの偉業か 正直なところ最年少四冠を含めて何もかもが偉業すぎて、何をどう説明すれば将棋を知らない人に藤井竜王の凄さを伝えられるかが分からないです。はっきり言えば「凄すぎて意味が分からない」のです。普段であれば将棋の勝敗なんてそこまで…

  • 久しぶりの出張

    たまには日記のような記事を書きましょう。 コロナ禍によって対面自粛のムード漂っていた昨今の状況も変わりつつあり、世間では少しずつ対面でのやり取りが戻ってきています。もちろんまだまだ油断はできないでしょうがこのままコロナ禍が鎮静化することを祈るばかりです。リモートワークやWeb会議のメリットデメリットも充分に周知されたと思いますので、リモートと対面それぞれのメリットを生かせる世の中になると良いですね。 打合せ前 先日、弊社の営業さんから素敵なお誘いを受けました。 「明日、顧客の所に謝りに行くんだけど一緒に来てくれない?」 「ふぁ?」 エンジニアが居たほうが厳しい詰問を受けた時に盾にできるからとい…

  • 時事ネタをあまり取り扱えない理由

    ブログやYoutube、SNSやWebサイトなどの媒体で毎日何らかを発信するのであれば時事ネタを取り扱うのが一つの道です。なにせ何もない日というのはまずありえないので、少なくとも寿司屋の大将よりはネタ切れの心配が無いでしょう。何より新鮮なネタは多くの人が求めるものですので集客力にも期待できます。 私自身も【時事】という記事カテゴリを作っているくらいには時事問題を取り扱いたいと思っていたりするのですが、実のところほとんど時事に関連した記事を書けていません。なぜ時事ネタに関する記事を書けないのか、自己分析しつつ時事ネタについて思うところを記録してみます。 時間が無い 根本的かつ圧倒的な理由なのです…

  • 面白いブログとは一体何なんでしょう

    インターネットで検索をかければ正しい情報も間違った情報も役に立つ情報も役に立たない情報もごった煮で手に入る昨今の情報化社会において、ブログはどういうポジションなんでしょう。情報量や分かりやすさで言えば動画サイトが優越していますし、手軽さで言えばSNSのほうが圧倒的でしょう。ブログがオワコンだとは思わないですが、ポジション的には中途半端な位置にいるような気はします。 逆に言えば個人や集団の情報発信ツールとしては手頃な感じです。動画は作るのが大変ですしSNSでは情報量が足りない。Webサイトやブログはその中間として良い具合の情報発信ツールだと思います。この二つのうちテンプレートが揃っていて始めやす…

  • 組織が願望に基づいて計画を立てることの危険

    当ブログでは【目標】と【願望】を明確に分類して、混同してはいけないと幾度か記事にしています。目標とは具体的で確実に達成できるものを指し、願望とは方法が曖昧で達成できるかが不確実なものを指します。 ビジネスフレームワークとしてよく用いられているギャップ分析、現状と「あるべき姿」のギャップが課題だというものがありますが、あるべき姿に到達できるかどうかは具体的で合理的な手段が明確でない限りは誰にも分かりません。重要なのは方法の有無であり、方法が無い限りあるべき姿はただの願望に過ぎないということです。 あるべき姿の問題については過去にも記事を書いています。 今回は良い目標設定の方法ではなく、願望に基づ…

  • 月日が経つのは早いものです、200記事とキリがいいので備忘録

    200記事200日連続投稿 驚いたことに本記事で200記事目、はてなブログを始めてから200日連続投稿となります。つい昨日始めたばかりのような気持ちなのに驚きです。ええ、さすがに嘘です。そこまでボケてない・・・はずです。先々週、炊飯器のボタンを押した30分後に「腹減ったなぁ、外に食べに行くか」と出掛けたくらいにはボケていますが。どうでもいい思い付きですが、炒飯器って作ったら売れないですかね?年に3回くらいは使えると思うんですけど。 うーん、適当に書いているとすぐに話が逸れていく。さて、話を戻して、半年以上前に始めたというのはどうにも実感が沸かないのも事実ではあります。月日が経つのは早いものです…

  • 生産性は高ければいいのか

    ビジネス系のサイトを見ていると週に一度は目にするのが生産性に関する記事です。一昔前は「どうして日本の生産性は低いのか」「本当に日本の生産性は低いのか」というような方向の記事が多かったですが、最近では「生産性を高めるにはどうすればいいか」という記事が主になってきています。日本の生産性が低いことはすでに常識となったようです。 日本の生産性に関しては過去にも記事を書いています。 今回は、生産性とはなんぞやというよりも、生産性を高めれば万事解決何もかもハッピーなのかということを考えてみたいと思います。 仕事の効率を上げても生産性は上がらない ビジネス記事では「生産性が低いのは効率が悪いからだ、業務効率…

  • 人と同じことをすべき?違うことをすべき?

    よくビジネス書とか自己啓発本で 「成功者は〇〇をしている!」 「成功したければこうしろ!」 みたいなことが書いてありますよね。成功者はどんな考え方だーとか成功者の生活習慣はこんな感じだーとかが代表的です。しかしそれとは反対に、 「人と同じことをしていては成功できない!」 「成功したいなら人と違うことをしろ!」 みたいなことも見かけるわけですよ。これはどう解釈すればいいんでしょうね。真似をすべきなのか、すべきではないのか。それが問題です。 守破離 若手には守破離を理解して、まずは形を覚えるように常々指導しています。基本を守り、ルールを守り、先人のやり方を理解し、書籍から学ぶことを優先すべきで、オ…

  • 心に注がれる液体

    人の思考回路は千差万別であり、それぞれに異なるものです。よってどうにも伝わらない話だとは思いますが、私の思考回路について少し書いてみます。 2つのコップ 時々、頭の中にコップをイメージしています。コップは2つ、片方には論理、片方には感情とラベルを貼っています。そのコップには自らの手で液体を入れることもあれば、人の言葉や行動が液体となって注がれることもあります。 コップから液体が溢れると片付けが大変になりますので、溢れないように中身を飲まなければいけません。論理のコップは私にとってほどほどに美味しく、コーヒーのように鎮静作用があります。感情のコップは炭酸水のようなもので、刺激が欲しい気持ちの時に…

  • なぜ集団は知性を喪失しがちであるのか

    どれだけ理性的で高い知性を持つ優秀な人が集まったとしても、集団ではその才覚を発揮することが難しくなります。集団はどうしても生物本来の獣性が強く表れる本能的なものに変貌しがちです。だからこそそれを避けて能率的に運営するための組織論が様々な媒体で謳われています。 なぜ集団は知性を喪失しがちであるのか、その対策は無いのか、少しばかり考えてみましょう。 集団的知性 集団的知性とは集団そのものに知性や精神があるように見えることを指します。社会学や計算機科学では一般的に用いられる考え方です。SFでもハイブマインドや集合精神のように集団的知性を取り扱うことがあります。映画マトリックスのエージェント辺りがイメ…

  • 四者面談の思い出

    自分のブログを読んでいると時々、なんだこのクソ真面目なブログ、どの面下げて書いてるんだアホか、という気になります。お口が悪う御座いますね。まるで真面目な人間が書いているかのような錯覚を覚えてしまい、僅かばかり残っている羞恥心が内なる心の言葉遣いを荒くするのです。まあ意味がわからないですし、真面目というのは錯覚なんですけど。 せっかくこの駄ブログへ訪れていただけた方に誤解を与えてはいけません。私の正体?を書いておいたほうがいいんじゃないかと実に余計なことを思い立ったため、若き頃のしょうもない思い出話を恥ずかしながら公開します。いや、本当に余計な、公開する意味も無いただの恥ずかしい話なのですけども…

  • 怖れるものから耳を塞ぎ目を閉じるのではなく、学んで理解する

    私のいくつかある趣味のうち一つは歴史を学ぶことですが、歴史の中でも特に科学技術史と戦史を学ぶのに時間を掛けています。理由は単純で、科学技術史はエンジニアとして好きだからであり、戦史は戦争が嫌いだからです。 世の中に戦争が好きな人は、まあ一部を除けばほとんどいないと思います。しかし戦争は病気と似たようなもので、嫌いだからといってただ遠ざかればいいというわけでもありません。ガンを避けるにはガンを忌み嫌うのではなく、ガンになる原因を理解し、それこそを避けなければいけません。戦争も同様です。戦争そのものを忌避するのではなく、戦争原因こそを理解して回避する努力が必要だと信じます。だからこそ民主主義国家の…

  • 考え方の参考になる概念【ローカルミニマム】

    組み合わせの種類(変数)が多く、どの組み合わせにすれば最適かという問題を「組み合わせ最適化問題」と言います。 もちろん全部の組み合わせを試せば最適解を見つけることができます。しかし変数の数が多くなればなるほど計算量は膨大となり、現実的では無くなっていきます。 勾配法 そのような場合に用いられる考え方が勾配法です。大雑把に言えば、「全パターン計算なんかやってられっか!もっと簡略化して計算量を減らしてやる!」という方法です。ちゃんとした説明は関数とか微分とかが出てきてややこしくなるのですが、そういうのは専門書でも読んでもらうとしてここでは図で見てみましょう。 黒丸のボールは計算結果です。一番低いと…

  • 合理性は何を信じるかによって変化する

    格言 最後の木が切り倒され、最後の魚が食べられ、最後の川が毒されたとき、あなたはお金を食べることができないことに気付くだろう。 When the Last Tree Is Cut Down, the Last Fish Eaten, and the Last Stream Poisoned, You Will Realize That You Cannot Eat Money. ネイティブアメリカン、オーセージ族の格言 何をもって合理的というか 以前に職場の若者と再生可能エネルギーについて語り合った際、化石燃料の今後の処遇について議論になりました。私は直ちに現文明を放棄することはできないと考え…

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