2010年前後の話。モンサンミッシェルとロワールを周ってパリに戻ってきた。ツアーの最終日は終日自由行動。朝、フロントエリアの一角を貸してもらい、ツアーデスクを開催。前日に承ったディナー予約の結果、目的地への地下鉄などのアクセス等自由行動の相談をしながら、次
添乗員のドキュメントストーリー。 いいことも悪いことも、いいツアーも悪いツアーも、いい客も悪い客も満載。 業界の裏話も時々出ています。現地の美しい風景も掲載。
バルトより お一人専用ツアーは出会いの場ではありません(笑)
順調に行程を終えて帰国日を迎えた。現地ガイドに案内されて、タリン国際空港でチェックインカウンターに並んだ。手続きを一人一人済ませていく。すると、ガイドが僕に話しかけてきた。「どうして皆、一人ずつチェックインいているのですか?夫婦やお友達同士なら、一緒
「ヴィリニュスの案内は不満でした。ガイドの言っていることが二割くらいしか分からなかったです。」ある日のランチの時、複数のお客さんたちとの会話の中で、一人の女性客が言った。「そんなに分かりにくかったかな・・・。」僕は、首をかしげた。ガイドの日本語は、
この時に楽しんだバルトのグルメ。ゼペリーニ。旅行会社のパンフレットや添乗員の案内では「じゃがいもだんご」と紹介されることが多い。イタリアのニョッキを田舎くさくした料理。ドイツでは、付け合わせで出てくることが多いが、こちらではメインディッシュ。中にミート
5月以来の北欧。この前、バルトのツアーに行った時、終盤は涼しくなったから、今回も心地よい涼しさを感じられると思ったら…また夏がぶり返している。バルトも同じ状態らしい。ほんと、いつになったら涼しくなるのだろう。今はコペンハーゲンにいて、これから北上するから、
逆光を利用して、十字架で太陽を隠すか隠さないくらいのところで撮ると、それなりに神秘的になる十字架の丘。宗教施設で写真を撮る時に意識すべきは光だと思う中世には、子供の病気が治ったことで、神に感謝して十字架を立てた家族がいたという。19世紀半ばには、重い病気
杉原記念館には、小さいがある程度の品数を揃えた売店がある。ここの売り上げは、施設の運営に役立てられている。「寄付金箱に小銭をお入れいただくのもいいけれど、皆さんの記念になるものを売店で買われると、寄付も兼ねて一石二鳥です。」マリウスは、僕のそういう案内を
杉原さんの執務室。残っていた写真などを元に再現したもの。家具や調度品は、その時代のものではあるが、本人が使っていたものではない。机の上のものは、すべてレプリカ。カウナスの駅にある記念レリーフ。彼は領事館を出て、列車でカウナスを出発する直前まで、ここでビザ
ヴィリニュスの聖ペテロパウロ教会の内部。17世紀の建築。内部の白亜の壁は2000体の漆喰彫刻で埋め尽くされている。イタリアから呼んだ彫刻家が、200人のリトアニア人を使って完成させた。地味なイメージがあるバルト三国だが、派手に目を引く見どころは少なくない。ここはそ
リトアニアのカウナスにて。店の窓辺に置かれた猫。ヨーロッパでは、時々この手のしゃれたデコレーションを見る。 「普通のツアーに一人で参加すると、どうしても気を遣うの。分かるでしょ?」確かに気を遣うべきケースはたくさんある。食事時は、夫婦や友達同士が離れな
リトアニアのトラカイ城。大きな湖に浮かぶ浮き城のように見える。男性陣にとって幸運だったのは、ツアー開始当初、食事時のテーブルが常に四人また五人掛けのものが5つ用意されていたことだ。たまたまそういう手配のレストランが重なった。大人数テーブルに男女混合に座り
お一人様参加専用ツアーにいらっしゃる方々のコミュニケーション力は素晴らしい。特に女子。初日のツアー受付時には、すでに自己紹介が始まっていて、乗り継ぎのヘルシンキ空港に着いた時には、既にある程度のグループが出来上がっていた。なんだか、中学、高校のクラス替
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2010年前後の話。モンサンミッシェルとロワールを周ってパリに戻ってきた。ツアーの最終日は終日自由行動。朝、フロントエリアの一角を貸してもらい、ツアーデスクを開催。前日に承ったディナー予約の結果、目的地への地下鉄などのアクセス等自由行動の相談をしながら、次
そのツアーでは、ベルゲンでのディナーがついていなかった。食事にうるさそうなお客さんたちの舌鼓を打ってやろうと、僕はとっておきのレストランにご案内した。おすすめメニューは、クジラのカルパッチョとトナカイのステーキ。参加者9名のうち強者の方々が6名参加さ
10年前くらいだろうか。スイスツアーに年配の女性四人組が参加された。最高齢は88歳。しかも、顧客情報に「空港では車椅子利用」と記載されていた。すぐに他の参加者の情報をチェックして、コース内容も確かめた。「観光内容は、景観を楽しむのがメイン。ハイキングは
エーゲ海クルーズを終えてラブリオンの港に戻ってきた。スーツケースを受け取ってホールを抜けると知り合いのギリシャ人日本語ガイド、アンナ(仮名)が手を振っていた。「お久しぶり!」と挨拶をして、お客さんともどもバスに乗り込んで出発した。走り出して一通り案内
修理しながら辛抱強く使っていたスーツケースにとうとう別れを告げた。これまでたくさんのスーツケースと付き合ってきたが、特に思い出深いものだった。五回ツアーに行ったところでコロナ禍に入り、しばらく部屋の隅で休んでいた。添乗に出ていないと整理していない服が
事故が起こったことにより、バス会社が行っている安全対策について書こうと思う。どの案件か特定を避けるため、地名や人名は数字とアルファベットで記載する。分かる人には分かるだろうけど「●●ですよね?」的なコメントは気付き次第即削除しますからご了承ください。以
2月頃、世間を賑わせたサントリーニ島および周辺の地震。島内の学校が閉鎖して、住民が島外に避難する事態にまで発展した。また、多くのクルーズ船が4月いっぱいの抜港を決定した。余震も続き、ツアーの催行も危ぶまれたが、大半のホテルやレストラン、土産屋が「例年通
チャムルジャモスク。2019年に完成した新しいトルコ最大のモスクは、イスタンブールのアジアサイドに一際目立って建っている。日本発着のトルコツアーで、アジア側の観光が組み入れられたものは珍しいが、今回はその機会に恵まれた。バスを降りて階段を上がってモスクが
洞窟ホテル。谷間の洞窟がホテルルームになっている。添乗員部屋がある谷底から撮影。最上部まで部屋。夜は雰囲気が変わる。どの旅行会社のトルコツアーでも売りのひとつになっているカッパドキアの洞窟ホテル。実は、けっこうな添乗員泣かせの代物。写真で見るときれいな
ANA利用で行くトルコツアーの仕事をいただいた。これまでいただいたトルコの旅は、必ずトルコ航空利用だったので、とても新鮮で楽しみにしていた。なんと言ってもコロナ禍明け初めてのANAだ。最近はJALやANA利用のツアーに恵まれていなかったもんな。やはり愛すべき日系航
マラケシュからカサブランカに向かう途中、サービスエリアのカフェにて。「ノスノス(モロッコでカフェオレのこと)をいただきたいのですが、カードを使えますか?」「はい、ご利用いただけます。」キャッシュレスの波はモロッコにも来ている。ヨーロッパほどではない
「今日は時間があるからゴシック絵画も見てみましょうか。」フィレンツェが誇る美の殿堂・ウフィッツィ美術館に入るなりガイドさんが言うと、一部のお客さんは喜んで頷いただけで、他の方々は少し遠慮したそうな表情を見せた。一般的にゴシック絵画は宗教作品が多く、キリ
日光東照宮は雪の中訪れた。札幌を除けば暖かいところばかりからやってきたお客さんたちは、寒さに震えていた。それでも僕に言わせれば、お客さんたちは幸運だったと思う。時期を選びながら余裕のある行程で天気予報をチェックしておけば、晴天時の訪問は可能だ。しかし
久しぶりに国内添乗に出た。1月末にフィンランドから帰って来て、次のエジプトまで二週間空いてしまったため、若手相手の研修やレクチャーに労力を費やしながら、国内の仕事をいただいた。「あしかがフラワーパークに行くツアーがありますよ!」アサイナーがノリノリで
まず、なんと言ってもツアー選びは大切だ。フィンランドやノルウェーであればオーロラエリアで3泊欲しい。現地ガイドやオーロラに詳しい添乗員も「3泊すればだいたい一回くらいは」と口を揃える。僕個人としては4泊は欲しい。昨年のフィンランドツアーでは、4泊中の4泊
去年はこんなの見られましたっけね正直、北欧のオーロラとはあまり相性がよくない。というか、アラスカやカナダのイエローナイフといった北米方面に比べると、北欧でオーロラが見られる確率は低い。いつか、個人的に添乗員たちに統計を取ったことがある。調査協力いただい
真冬のフィンランド。メインはオーロラ鑑賞だが、今回はいろいろ観光がついていた。そのひとつがトナカイのソリ体験。二人乗りのソリに分乗して雪原をゆっくりと進む。御者さんは歩いてトナカイを誘導しているので本当にゆっくりだ。今回は参加者が奇数だったので、僕は女
いつかNHKでノートルダム大聖堂復興の特集番組をやっていた。そこでは一般人には想像もつかない作業の手間や苦労が描かれていた。一番ショックだったのは、鉛の屋根が崩れ落ちて溶けてしまったことが原因で、かなり強く汚染されてしまっていた内部の状態だった。作業員は
冬の光はヨーロッパの建築物をきれいにしてくれる。上の写真はすべてスペイン年末年始のツアーは、家族連れが多い。母親と子供か両親と子供の組み合わせが大半だが、大抵子供は娘だ。しかし、今回は男性が大半を占めた。二十代から三十代前半にかけて「子供」の立場になっ
2024年最後の仕事となったヨルダン。ヨルダン観光のシンボル。ペトラ遺跡のエル・カズネこれが岩をくりぬいたものだというのだから驚く。インディジョーンズの映画でお馴染み噂には聞いていたが、想像よりも遥かに空いていた。イスラエルがパレスチナ、ヒズボラとの戦闘
この前のツアー出発時のことだ。航空機に乗り込んで一息ついた時に気付いた。「しまった。マンションのルームキー・・・」手荷物検査場を通過する時、ポケットにそれが入っていると気づいてトレーに置いたのだが、X線を通した後に取るのを忘れてしまったことに気付いた。
東京見物の案内は思ったよりもうまくできた。日頃散歩に行ったり食事に出かけたりするところを通ったりしたので、東京に住んでいる者としての案内はうまくできたと思う。スカイツリーの麓に、あれほど大きな団体バス専用駐車場があるのは知らなかった。また、駐車スペース
当日朝、僕は最初に羽田空港の第二ターミナルに向かった。まずは10名のお客さんのお出迎えだ。「あら、今回はたったこれだけ?」集合後に目をキラキラさせて喜ぶマダム。でも、そんな都合のいいはずもなく、「いえ。この後第一ターミナルに移動してJAL便でいらした方々
「これは大変そうだな。」打ち合わせの書類を眺めながら思わずつぶやいた。「どうかしましたか?」隣に座っている若い添乗員が声をかけてくれた。彼は、添乗員ルームでたまに見かける人なのだが、国内専属で仕事をしているため、会話を交わしたのは初めてだった。「
一昨日トルコから帰ってきて、次は10日間ほど空けてクロアチア。その合間に東京見物ツアーの国内添乗をすることになった。で、準備を進めているのだが、東京の案内って難しいな。特に車窓。別に気取って言うわけではないが、ロンドンやパリのほうが簡単だぞ。アテネの車窓
とりあえず商談のチャンスは確実になくなったので、先方に電話しようとしたが繋がらない。どうやら通信インフラにも問題が発生しているようだ。この時代、メールは既にあったが海外用携帯での使用はまだそれほど浸透しておらず、この時点では連絡手段が断たれた状態であった
先日、スイス大使館で行われた取引先旅行会社のイベントに参加した。過去にその会社のスイスツアーに参加経験のある添乗員の中で、イベント実施日に日本にいる者たち五人が呼ばれた。旅行会社の販売促進に各国大使館が助力するイベントは、90年代の中頃から流行り始めて、
細身さんからの「助けて光線」がだんだんと強く太くなってきた。気が付くと背後の中肉中背レディースも何かを放ち始めていた。なんだか妙な責任を負わされているような気分になってきた。面倒くさいと思う一方で、へんちくりんなやりがいも感じていたような気もする。「
ちょっと前に参加したとある取引先での旅行イベントでの出来事。女性の四人組がいらしていた。もう参加するツアーは決まっていた。最初は他のスタッフが対応していたらしいが、非常に質問が細かいということでノルウェーによく行っている僕が呼ばれた。席につくなり一番
早朝く暗いうちにホテルを出て、打ち上げ場に着く頃にようやく薄明るくなってきた。多くの気球はまだ地面に横たわり、轟音とともに膨らませている最中だった。やがて立ち上がる。炎が上がると辺りのうっすらとした明るさはかき消されて暗闇になった気がする。搭乗したら最
今回行ったトルコツアーでは、気球での観光が含まれていた。打ち上げ場ではいくつかの旅行会社が一緒になる。搭乗する気球は違うが、A社の添乗員の僕はお客さんたちと一緒に乗った。B社の添乗員は乗らなかった。これは添乗員の意志ではなく旅行会社の方針だ。「いいなあ
久しぶりのトルコに行った。コロナ禍明けの物価高騰はどの国に行っても感じたが、個人的には今回のトルコが一番だった。ちょっと前まで円換算で300~500円程度、五つ星ホテルでも1000円少々だったビールがイスタンブール市内の普通のレストランで1200円、田舎でも800円以
いつぞやのトルコツアーでの話。朝、出発前に年配女性客に声をかけられた。「すいません。今さら言うのもなんですけど、実はシャワーと蛇口の切り替えが壊れていてシャワーをつかえませんでした。」「あら。どうしてすぐに連絡をくださらなかったんですか。」「だって
ツアーと添乗員だけで言えば、アンケートはかなりの高評価だった。スペインのハイライトを効率よく巡るコースそのものは秀作で、よほどの失敗をしなければ、参加者にはとても満足していただける内容だった。明神さんについては、七割のくらいの方は触れていなかった。いろ
「ねえ、さっき諏訪さんに何か言おうとしたでしょ?」武田さんは、目をキラキラさせている。「別に何も。」「いや、言おうとしていた。私には分かる!」分かるもなにも「でも・・・」と口に出していたのだからそりゃわかるに決まっている。「あんたは、どんな時で
「すみません、お待たせしちゃって。先にいらしてたんですね。」明神さんが、ほんの僅かでも気まずい思いをされないように配慮したつもりだった。「私の部屋のシャワーがどうしようもないポンコツでねー。ツートンさんを貸り切っちゃってごめんなさい。」武田さんも続
セビリヤにて。最後の観光を終えてホテルに着いた。この日の夕食はついていなかったので、これで解散だ。「明神さん、夕食はどうされますか?」バスからホテルの部屋に帰る前に僕はたずねた。このツアーでは、夜の自由食が三回あり、これが三回目だった。一回目は、
大聖堂の観光を満喫したお客さんたちを連れて、僕らは休憩場所の銅板細工屋に着いた。しっかり修行した職人たちが伝統工芸品を見事な腕前で手掛ける様子を、お客さんたちは興味があるフリをして見ている。トイレを使わせてもらうための「せめてもの礼儀」だった。「うちに
http://mastertwotone2020.livedoor.blog/archives/24270164.htmlhttp://mastertwotone2020.livedoor.blog/archives/24294683.htmlhttp://mastertwotone2020.livedoor.blog/archives/24303036.html(間が空いてしまったので、過去三話分のURLを貼っておきます)==
こんなことがあるんだと思った。その方は、日本人日本語ガイドとして、韓国人グループを三回も案内したことがあるという。日本の派遣添乗員には、育成の過程がある。一般的には、最初に東南アジアやインド、トルコなど優秀な日本語ガイドがいるところで案内人の動きを学び