今回訪れたのはこちら龍泉寺です。【所在】奈良県吉野郡天川村洞川494【山号】大峯山【宗派】真言宗醍醐派【開基】役行者(伝)【本尊】弥勒菩薩【龍泉寺】千三百年の昔、修験道の開祖役行者が大峯修行の砌り山麓の洞川に降り立たれた時、岩場より浩々と湧き出る泉を発見されました。その泉にただならぬ霊気を感じた役行者が、ほとりに小堂を建て八大龍王尊をお祀りし水行をおこなったのが龍泉寺の始まりであると伝えられ、この泉...
今回訪れたのはこちら於美阿志神社(檜隈寺跡)です。【所在地】奈良県高市郡明日香村檜前594【主祭神】阿智使主神夫妻二柱【社格等】式内社(小) 旧村社【檜隈寺について】「日本書紀」には、天武紀朱鳥元(686)年8月に「檜隈寺・輕寺・大窪寺に各百戸を封す。三十年を限る」との記述があり、このころにはすでに建立されていたことが推定されます。しかしながら、「日本書紀」での記述はこの一度だけです。今かつての...
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今回訪れたのはこちら龍泉寺です。【所在】奈良県吉野郡天川村洞川494【山号】大峯山【宗派】真言宗醍醐派【開基】役行者(伝)【本尊】弥勒菩薩【龍泉寺】千三百年の昔、修験道の開祖役行者が大峯修行の砌り山麓の洞川に降り立たれた時、岩場より浩々と湧き出る泉を発見されました。その泉にただならぬ霊気を感じた役行者が、ほとりに小堂を建て八大龍王尊をお祀りし水行をおこなったのが龍泉寺の始まりであると伝えられ、この泉...
今回訪れたのはこちら高野山 英霊殿です。着いたのは夜明け前。蛇腹道と、金剛峯寺山門をサクッと撮り、英霊殿へ向かいます。奥之院への参道を歩きましょう。数分歩くと、右の方に色づいた椛が見えてきました。英霊殿に到着です。落葉盛んな木が多く、見頃やや過ぎといった感じでした。英霊殿へ向かう参道の燈籠と紅葉。奥に見える「へいわばし」を渡りましょう。へいわばしから見た、紅葉。奥に見えるのが英霊殿。こちらで手を合...
今回訪れたのはこちら此処を訪れるのは久しぶりですね。安倍文珠院です。【所在】奈良県桜井市阿部645【山号】安倍山【宗派】華厳宗【開基】安倍倉梯麻呂【本尊】文殊菩薩【三人寄れば文殊の智恵】当山の創建は大化元年(645)、日本で最も古い寺のひとつです。御本尊様は「三人寄れば文殊の智恵」で有名な文殊菩薩で、像高は約七メートル、日本一の大きさです。四人の脇侍を連れて海を渡り、お説法の旅に出かけている渡海文殊とい...
今回訪れたのはこちら仏隆寺です。【所在】奈良県宇陀市榛原赤埴1684【山号】摩尼山【宗派】真言宗室生寺派【開基】堅恵(伝)【本尊】十一面観音【仏隆寺】仏隆寺は真言宗御室派末寺で室生寺の南門として摩尼山光明が岳の麓に位置する。嘉祥三年(西暦850年)空海の高弟堅恵が創建したと伝えられるが、一説には、これより先、興福寺別当修円僧都がこの地に開いたとも言われている。境内には、石造十三重の塔、堅恵の石室、仏隆寺...
今回訪れたのはこちら於美阿志神社(檜隈寺跡)です。【所在地】奈良県高市郡明日香村檜前594【主祭神】阿智使主神夫妻二柱【社格等】式内社(小) 旧村社【檜隈寺跡について】 「日本書紀」には、天武紀朱鳥元(686)年8月に「檜隈寺・輕寺・大窪寺に各百戸を封す。三十年を限る」との記述があり、このころにはすでに建立されていたことが推定されます。しかしながら、「日本書紀」での記述はこの一度だけです。今かつて...
今回訪れたのはこちら常照皇寺です。【所在】京都府京都市右京区京北井戸町丸山14-6【山号】大雄名山【宗派】臨済宗天龍寺派【開山】光厳法皇【本尊】釈迦如来【常照皇寺】常照皇寺とは「大雄名山万寿常照皇寺」の通称。以前は、常照寺と略称していた。当寺は、南北朝期の北朝初代光厳上皇が1362年(北 貞治元年、南 正平17年)頃開創。臨済宗京都嵯峨天龍寺派に属する。一説には天台宗系の成就寺という廃寺を改めたと伝えられてい...
今回訪れたのはこちら高山寺です。【所在】京都市右京区梅ヶ畑栂尾町8【山号】栂尾山【宗派】真言宗系単立【開山】明恵【本尊】釈迦如来【高山寺】栂尾山と号する真言宗の寺で、釈迦如来を本尊とする。平成6年(1994)に世界文化遺産に登録された。寺伝によれば、宝亀5年(774)、光仁天皇の勅願によって開創され、当初、神願寺都賀尾坊と称したが、建永元年(1206)後鳥羽上皇の院宣によって、明恵上人が華厳宗復興の道場として再...
今回訪れたのはこちら高天寺橋本院です。【所在】奈良県御所市高天350【山号】宝有山【宗派】高野山真言宗【開基】行基【本尊】十一面観世音菩薩立像【高天寺橋本院】四十四代元正天皇(715~724)の勅により養老年間、僧行基が開いた高天寺の一子院で、始めは奈良興福寺に所属した。(興福寺一乗院雑記)のち弘法大師の真言宗所属となる。四十五代聖武天皇(724~749)も深く帰依し、中国よりにほんに来た鑑真も高天寺の住職に任...
今回訪れたのはこちら瑠璃光院です。訪れたのは春期特別拝観終了直前で、かなりの混雑でした。【所在】京都市左京区上高野東山55【宗派】浄土真宗【本尊】阿弥陀如来【瑠璃光院由緒】大和渓谷がおりなす風光明媚な「八瀬」の地は、古来「矢背」とも記されるように、壬申の乱で背中に矢傷を負われた大海人皇子(天武天皇)が当地の釜風呂で傷を癒されたと伝わり、平安時代の昔から貴族や武士に愛された保養地でした。そんな「やすら...
今回訪れたのはこちら等持院です。【所在】京都府京都市北区等持院北町63【山号】萬年山【宗派】臨済宗天龍寺派【開山】夢窓疎石【本尊】釈迦牟尼仏【等持院】万年山と号する臨済宗天龍寺派の寺院である。もと仁和寺の一院であったが、南北朝時代の暦応4年(1341)に足利尊氏が夢窓国師を開山として中興し、足利氏の菩提寺である中京区三条高倉の等持寺の別院とした。延文3年(1358)に尊氏がこの寺に葬られると、その法名をとって...
今回訪れたのはこちら智積院です。【所在】京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964【山号】五百佛山【宗派】真言宗智山派【開山】玄宥【本尊】金剛界大日如来【智積院】真言宗智山派の総本山で全国に3000余の末寺がある。もと紀州根来山の学頭寺智積院であったが、豊臣秀吉の焼き討ちに遭い、学頭玄宥僧正は、難を京都に避け、後に徳川家康の帰依を受けて慶長6年(1601)に豊国神社境内の坊舎と土地を与えられ、智積院を再興した。...
今回訪れたのはこちら慈光院です。【所在】奈良県大和郡山市小泉町865番地【山号】圓通山【宗派】禅宗(臨済宗)【開山】玉舟【本尊】釈迦如来【慈光院】慈光院は寛文3年(1663)当地の大名であった片桐石見守貞昌(石州)が、大徳寺185世玉船宗璠(大徹明應禅師)を開山に迎え、父貞隆(慈光院殿雪庭宗居士)の菩提寺として自分の領地内に建立した臨済宗大徳寺派の寺院である。片桐石州の説いた茶の教えは武士の間へと広がってゆ...
今回訪れたのはこちら実相院です。床みどり、床もみじ、雪化床で有名な寺院ですね。【所在】京都府京都市左京区岩倉上蔵町121【山号】岩倉山【宗派】単立【開山】静基【本尊】不動明王【実相院】もと天台宗寺門派の門跡寺院。寛喜元年(1229)、静基僧正の開基。寛永年間、足利義昭の孫に当たる義尊が入寺。その後、後西天皇の皇子儀延親王が入寺。以来、宮門跡が続いた。客殿・御車寄など、東山天皇の后、承秋門院の薨去に際し、...
今回訪れたのはこちら妙満寺です。【所在】京都府京都市左京区岩倉幡枝町91【山号】妙塔山【宗派】顕本法華宗【開基】天王寺屋通妙【本尊】三宝尊【妙満寺】当寺は、康応元年(1389年)、日什大正師によって、京都六条室町坊門(現在の烏丸五条辺り)に開創された。釈迦牟尼仏を教主、日蓮大聖人を宗祖、日什大正師を開祖とし、日蓮台聖人が定められた大曼荼羅を御本尊、法華経を所依の経典とする顕本法華宗の総本山である。日什大...
今回訪れたのはこちら船宿寺です。【所在】奈良県御所市五百家484【山号】醫王山【宗派】高野山真言宗【開基】行基【本尊】薬師如来【船宿寺のいわれ】今から千三百有余年前の神亀二年(725)に、行基菩薩がこの地にこられて庵をむすび、薬師瑠璃光如来をおまつりになったのがはじまりです。心や身の病、悩みをお救いになる薬師如来をおまつりになったので、この地を医王山といわれました。寺につたわる古い記録では、葛木の地にこ...
今回訪れたのはこちら岡寺です。【所在】奈良県高市郡明日香村岡806【山号】東光山【宗派】真言宗豊山派【開基】義淵(伝)【本尊】如意輪観音【岡寺】東光山真珠院竜蓋寺は俗に岡寺と呼ばれる。天智天皇の御代、義淵僧正によって創建されたと伝え、西国観音霊場33ヶ所の第7番の札所として広く信仰されている。本尊如意輪観音像はわが国の塑像の中で最も大きく、また、体内佛といわれる金銅半伽像は白鳳の様式を示し、楼門・書院等...
今回訪れたのはこちら青蓮院門跡です。【所在】京都府京都市東山区粟田口三条坊町69-1【山号】なし【宗派】天台宗【開基】最澄【本尊】熾盛光如来【青蓮院】三千院、妙法院と並ぶ天台宗三門跡の一つで、天明の大火(1788)の際に仮の御所となったことから、粟田御所とも呼ばれる。最澄(伝経大師)が比叡山に建てた僧侶の住居の一つ「青蓮坊」に始まるとされ、平安時代末期の行玄のときに三条白川(現在のやや北西)に移り、鳥羽法...
今回訪れたのはこちら粉河寺です【粉河寺 草創】奈良時代末 宝亀元年(770)の開創。当時、紀伊国那賀郡に住む 猟師大伴孔子古は、いつも幽谷の樹幹に足場を定めて、夜ごと猪や 鹿を狙っていたが、ある晩、光明輝く地を発見、発心してその場所に柴の庵を建てた。後日、一夜を泊めてもらった童行者は、孔子古の願い(庵に仏像を安置すること)をかなえてやろうと、七日七夜、庵にこもり、等身の千手観音像を刻み立ち去った。その後時移...
今回訪れたのはこちら長谷寺です。【所在】奈良県桜井市初瀬731-1【山号】豊山【宗派】真言宗豊山派【開基】道明【本尊】十一面観音【長谷寺略縁起】当山は朱鳥元年(西暦686年)天武天皇の御願により道明上人によって創建され、それより約五十年の後、徳道上人が聖武天皇の勅願をうけ、楠の霊木をもって十一面観音菩薩の尊像を造立し、大伽藍を建立してお祀りになりました。ご本尊は御身丈三丈三尺(十メートル余)、右手に錫杖を...
今回訪れたのはこちら西吉野・川岸地区です。毎年訪れている西吉野・川岸地区ですが、啓翁桜、山茱萸が見頃を迎えつつあるこの時季、今年も訪れました。以下、川岸地区の写真です。また来年来ましょうか。にほんブログ村にほんブログ村...
今回訪れたのはこちら於美阿志神社(檜隈寺跡)です。【所在地】奈良県高市郡明日香村檜前594【主祭神】阿智使主神夫妻二柱【社格等】式内社(小) 旧村社【檜隈寺について】「日本書紀」には、天武紀朱鳥元(686)年8月に「檜隈寺・輕寺・大窪寺に各百戸を封す。三十年を限る」との記述があり、このころにはすでに建立されていたことが推定されます。しかしながら、「日本書紀」での記述はこの一度だけです。今かつての...
今回訪れたのはこちら橘寺です。【所在】奈良県高市郡明日香村大字橘532【山号】仏頭山【宗派】天台宗【開基】聖徳太子(伝)【本尊】聖徳太子【橘寺】発掘調査によって、伽藍は四天王寺式伽藍配置であるが、当時の寺院は、南向きのものが多い中、この寺院はめずらしく東向きで、中門・塔・金堂・講堂が一直線に東から西へ並んでいたことが確認された。中でも、塔心礎の柱穴は、心柱の三方に添木を当てる特殊な形式で法隆寺若草伽...
今回訪れたのはこちら此処を訪れるのも久しぶりですね。談山神社です。【所在地】奈良県桜井市多武峰319【主祭神】藤原鎌足公【社格等】旧別格官幣社 別表神社【談山神社】舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。 この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(...
今回訪れたのはこちら蓮華寺です。【所在】京都府京都市左京区上高野八幡町1【山号】帰命山【宗派】天台宗【開山】実蔵坊実俊【本尊】釈迦如来【蓮華寺】帰命山と号する天台宗の寺である。寛文年間(1661~1673)に加賀前田家今枝重直が出家して、この地に一宅を構えて居住し、石川丈山や狩野探幽らと交流を深めながら晩年を過ごした。重直の徳を慕った孫の近義は、重直の菩提を弔うため、七条塩小路にあった寺をこの地に移し、延...
今回訪れたのはこちら真如堂です。【所在】京都府京都市左京区浄土寺真如町82【山号】鈴聲山【宗派】天台宗【開山】戒算【本尊】阿弥陀如来【真如堂】正しくは真正極楽寺という天台宗のお寺である。平安中期の永観二年(984)、比叡山延暦寺の僧、戒算上人が延暦寺の常行堂にあった阿弥陀如来像を東三条院藤原詮子(一条天皇の母、藤原道長の姉)の離宮に移し、安置したのが始まりとされる。当初、この場所の東北に位置する元真如...
今回訪れたのはこちら詩仙堂です。【所在】京都府京都市左京区一乗寺門口町27【山号】六六山【宗派】曹洞宗【開基】石川丈山【本尊】馬郎婦観音【詩仙堂の歴史】詩仙堂は、徳川将軍家の家臣であった石川丈山が寛永18年(1641年)に隠居のため、59歳の時に造営した山荘である。丈山は寛文12年(1672年)に90歳で没するまでここで詩歌三昧の生活を送った。後に寺院化されると、丈山にちなんで寺名は丈山寺とされた。詩仙堂の中心とな...
今回訪れたのはこちら圓光寺です。【所在】京都府京都市左京区一乗寺小谷町13【山号】瑞巌山【宗派】臨済宗南禅寺派【開山】閑室元桔【本尊】千手観音【圓光寺】瑞巌山と号し、臨済宗南禅寺派に属する。慶長6年(1601年)に徳川家康は国内教学の発展を図るため、足利学校第9代学頭三要元佶禅師を招き、伏見に圓光寺を建立し学校とした。圓光寺学校が開かれると、僧俗を問わず入学を許可した。また、孔子家語・貞観政要など多くの漢...
今回訪れたのはこちら善峯寺です。【所在】京都府京都市西京区大原野小塩町1372【山号】西山【宗派】天台宗系単立【開山】源算【本尊】十一面千手観世音菩薩 2躯【善峯寺沿革】当山は平安中期の長元2年(1029)源算上人により開かれる。源算上人は比叡山横川の恵心僧都(源信)に師事して、47歳で当山に入り、小堂に御自作の千手観音を本尊として奉安される。長元7年(1034)後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ、「良峯寺...