秋川畔春景 2―旧東秋留橋 雨間院西光寺を辞して、県道を西へと渡り、秋川左岸沿いの断崖上の道を地区会館(鳥居場会館)方向へ上がる。すると、旧東秋留橋と秋川向こうの鉄塔は秋留線23号鉄塔崖上(標高132.0m)から、冬の終わりに訪ねた旧東秋留橋の、六径間の内五
秋川畔春景 2―旧東秋留橋 雨間院西光寺を辞して、県道を西へと渡り、秋川左岸沿いの断崖上の道を地区会館(鳥居場会館)方向へ上がる。すると、旧東秋留橋と秋川向こうの鉄塔は秋留線23号鉄塔崖上(標高132.0m)から、冬の終わりに訪ねた旧東秋留橋の、六径間の内五
秋川畔春景 1―霞堤 多摩川支流秋川の、その左岸に残る霞堤(かすみてい)跡を探る。場所は東京多摩地方、あきる野市大字雨間(あめま)なので、便宜上勝手に「雨間霞堤」と呼ばせて頂く。 これが、雨間霞堤の名残である。あきる野市雨間、秋川霞堤跡奥は秋留線24
秋川畔花紀行 2 秋川の堤防に上がり、秋留線24号とサクラのツーショを狙う。秋留線24号 これぞ、冬の終わりに訪ねた際にイメージし、ねらっていた絵である。 序でに私も。お目よごしです 爛漫とは言え、未だ風は冷たさを含み、それに花粉も含んでいる。首にバ
秋川畔花紀行 1 今季、東京のソメイヨシノは大分開花が遅め。例年、ヤエザクラが咲く頃、樹々の新芽が目立つ頃は大方散っているのだが、この春はヤエザクラが咲いているのに、木立が大分薄緑に煙って来たのに、大方のソメイヨシノは未だ大分残り気味。 2月に秋川畔に秋
霊園彷徨―楽聖物語 開設100年を超えた、多磨霊園(開設は1923年(大正12年)4月)。訪ねた13区給水塔は、多磨霊園13区給水塔時の流れなど意に介せずと言ったイキフンで、不相変樹陰にひっそり佇んでいる。後ろがロータリー 此度霊園を訪ねたのは、実のところこ
常久渡し 春風強き多摩川左岸堤防上を、ロードバイクで走れば、前方(下流側)、めずらしくネット掛け鉄塔が見える。ネット掛け鉄塔だ 塗料飛散防止のネットを掛けられた、境八王子線33号/是政線1号だ。境八王子線33号/是政線1号(標高42.0m)上段が境八王子
合掌枠水制―棚牛 大腸ポリペクから十分日が経ちサイクリングも可能となったので、久々に、多摩川べりを走ってみる。多摩川左岸堤防にて すると、河川敷は今まで見たこともないほどの大規模な改修作業中であった。京浜河川事務所HPによれば、洪水が流れる断面を増や
花紀行 サクラ、サクラと騒がれる季節が今年も来た。久我山線3号(標高58.1m) なぜこうもサクラばかり持て囃して騒ぐのかと、屈折者の私は子供の頃から思い、若い頃はお花見などケギライしていたが、年齢を重ね残り時間が減って来、過ぎ行く日々や季節に哀惜や愛惜
歴史遊歩・名所漂泊 索引■歴史遊歩・名所漂泊 索引■マナーについて■おことわり---------------------------------------------------------■歴史遊歩・名所漂泊 索引・多摩あ か さ た な は ま や ら わ・多摩以外東京23区 神奈川県 埼玉
東秋留ダブル橋 東京西部、多摩地方のあきる野市に、秋留線24号鉄塔を訪ねたのち、少々奇妙な東秋留橋を訪ねる。東秋留橋を渡る 下流側の橋を渡りつつ、上流側の橋を見る。東秋留橋航空写真2019年(令和1年)8月17日国土地理院撮影 黄↓が秋留線24号鉄塔、水色
秋川畔 II 秋留線24号の建つ農地は、まだまだ冬の姿だが、白梅と大岳山(おおたけさん)白いウメがあちらこちらに咲いている。その向こうには、奥多摩の象徴大岳山(1266m)だ。 振り向くと堤防の木立の向こうに若番側鉄塔が見える。秋留線21-23号 堤防に上がっ
秋川畔 I 東京都多摩地方西部の街、あきる野市。1995年(平成7年)に五日市町と秋川市が合併して生まれた東京で一番新しい市だ。「あきる」は元来は「秋留」で、鎌倉時代からこの一帯のエリアは秋留郷と呼ばれていたことに由来する。 そんな由緒ある「秋留」の名を冠し
只見幹線建替えその後―豊ヶ丘 只見幹線557号と559号の建替え関連記事のアクセス数が急に多いので、気になっていた。一体何が起きたのであろう、確かめたい―、とそう思うのだが、丁度大腸ポリペクした時期と重なっていて自転車で行くことが叶わなかった。 が、やっとサ
五鉄―南拝島から拝島 2 更に、南拝島-拝島間の五日市鉄道跡を辿る。 新奥多摩街道との分岐点から約650m、丁度街道間の中間点付近、林ノ上公園脇歩道に、五鉄通りの標識が現れた。「五鉄通り」標識(標高113.2m) 標識付近から、来し方を振り返る。中間地点か
五鉄―南拝島から拝島 1 タイトルの「五鉄(ごてつ)」とは、嘗て東京多摩地方西部を走っていた五日市鉄道の通称である。 五日市鉄道は、1925年(大正14年)に拝島駅-五日市駅間が開業し、1930年(昭和5年)に立川駅-拝島駅間が開業したが、のち1940年に南部鉄道と合
ポリペク ポリペクとは、内視鏡によるポリープ切除を指すポリペクトミーのことである。先日、二年に一回の大腸内視鏡検査で見つかったやや大きめのポリープを、その場で切除してもらった。ポリペクは、2013年に続き二度目だ。 検査時、何時もの様に鎮静剤でうつらうつ
清瀬 中里富士 II 中里富士に登らせて頂く。 こちらは下里富士とは異なり、荒幡富士と同じくモノホン同様に九十九折(つづらおり)の登山道が設けられている。麓から見上げる ジグザグの角には、合目石(ごうめいし)が置かれている。二合目 見たところ、こち
清瀬 中里富士 I 以前紹介の「下里富士」から、北北東に約2.6km、清瀬市中里(なかざと)の「中里富士」を訪ねた。東京都指定有形民俗文化財中里の富士塚 北に向いて鳥居が建つ(標高42.4m)。北向きに鳥居 画像でお分かり頂けると思うが、南側から北側へと
▲合奏協奏曲 作品6 HWV319-330/ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル order Concerti grossi Op. 6, HWV 319-330/Georg Friedrich Handel (1739) 現ドイツの中東部の街ハレで生まれたゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685-1759)は、同い年のヨハン・ゼバスティアン・
王禅寺―ふるさと公園 II 王禅寺ふるさと公園におじゃまし、園内から港北線20号鉄塔を拝見。 園内自転車乗り入れ禁止なので、ライトを外し公園西側にある入口脇の駐輪スペース(標高41.7m)に置いて行く。 川崎市制施行60周年を記念し計画され、1991年(平成3年)に
オカサカ田園紀行 3―武蔵野合戦 サクラの下でのランチ済、も一度アップで82号。岡部境線82号(標高92.4m) 考えて見れば、この角無し鉄塔だけでなく、こうした周辺環境(田園)も、何時変わってしまうか分からない。変化こそ世の本質、変わるものは変わるに任せ、失
田園紀行 2―キジ 所沢入間パイパスからまた畑中へと入り行けば、ああ、オカサカ82号はイメージ通りの田園鉄塔だ。岡部境線82号 左手を見れば、若葉の林の上に81号。81号 此方は、一本角の嵩上げ型、と思う。 第二腕金の下縁部分が、おそらくは嘗ての「角無し
オカサカ田園紀行 1―角無し 4月になってから雨ばかり曇天ばかりで、せっかくの若葉萌の風景が楽しめる季候なのに出掛けられずにいたが、久しぶりにサイクリング&鉄塔日和が来た。これは出掛けなければ勿体ないと、猫の散歩を済ませ、急遽サイクリングにゴー。 何処へ
▲コラール・パルティータ「ようこそ、慈悲あつきイエスよ」 BWV768/ヨハン・ゼバスティアン・バッハ order Partite diverse sopra "Sei gegrusset, Jesu gutig", BWV 768/J.S.BACH (1705) ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)(以下、バッハ)は現在とは異な
木の芽時 若い頃から、木の芽時(このめどき)は身体がしんどい。 春先、草々や樹々が芽を萌え出さす頃は、暖かかったり寒かったり、低気圧がやって来ては去り、高気圧もやって来ては去りを繰り返す、とっても天候が不安定な頃だ。急激な気圧変化やそれに伴う自律神経の
小野路遊山 4―浅間神社 南多摩線26号がそびえる下の樹林の更に下、切通しを抜けて谷戸沿いの道に出る。南多摩線27号 前回は紅葉の向こうだった南多摩線27号(標高135.8m)を、此度は新芽萌えの向こうに見る。 私の傍らには、ヤマザクラ(Cerasus jamasakura)が満開
小野路遊山 3―小町井戸 小野路城本丸跡から下り、小山田線鉄塔を目指し行く。すれば、数十mほどで、道から2-3m下に小町井戸(標高106.2m)。小町井戸解説 ここも、小野路城址同様、萬松禅寺の所有地であったと言う。小町井戸足元滑りやすいのでご注意 嘗ては
小野路遊山 2―小野路城址 万松寺谷戸を離れ、舗装された細道の急坂を上がって行く。すれば、間もなく右道路脇に鶴川線30号(標高95.8m)。鶴川線30号 手前に見えるのは電柱ではなく、送電線保護のため(離隔距離確保のため)強剪定されたクヌギ(だと思う)。
小野路遊山 1―万松寺谷戸 若葉・若芽・新芽の萌えを求めて、里山鉄塔を訪ねる。 場所は、西東京変電所も近い、町田市の万松寺谷戸(ばんしょうじやと)。東京都から唯一「にほんの里100選」に選定された、小野路(おのじ)の一画。多摩丘陵に発達した、谷の一つのであ
◆パーガトリィ・アフターグロウ/エッジ・オブ・サニティ orderPURGATORY AFTERGLOW/EDGE OF SANITY (1994) 前回の「HEARTWORK」(1993)を産んだカーカスは、メロディック・デス・メタル(メロデス)の創始者と言われるが、いやいや此方こそが創始者だと、そう言われる
◆ハートワーク/カーカス orderHEARTWORK/CARCASS (1993) 以前のアット・ザ・ゲイツやソイルワークの記事で、ヘヴィ・メタルの数多あるサブ・ジャンル中グンバツな人気を持つ、メロディック・デス・メタル(メロデス)を取り上げたが、そのスタイルの大元中の大元と一
■スカム/ナパーム・デス orderSCUM/NAPALM DEATH (1987) ナパーム・デスは、グラインドコアと呼ばれる音楽ジャンルの始祖とされるバンドである。このグラインドコア(Grindcore)のグラインドは、磨り潰す、砕くと言った意だが、まさに、全てを粉砕するが如き猛り狂っ
霊園彷徨―ハス博士 毎年2-4月は、私的には花粉症と片頭痛の季節だ。一年で最もしんどい季節、―憂鬱である。 と、閉じこもっていてはますます鬱々としてしまうので、多磨霊園へライド。 多磨霊園の大半は東京都府中市に属し、一部が小金井市に属する。当然と言えば
茶どころ 五 豊岡線鉄塔を離れ、狭山茶畑をメインにした農地内を、東北東方向へと一直線に走る豊岡線鉄塔列と並行するように、その少し北側を走るのは、「茶どころ通り」である。茶どころ通り 左手前は豊岡線4号。道路両側は、当然ながらお茶畑である。 通りか
茶どころ 四 豊岡線2号を過ぎ、青梅市から入間市に入る。 前に書いた様にこちら入間市側の農地は不規則で、農道は連絡が良くないのですぐ近くに見える3号鉄塔になかなか辿り着けない。3号 空っぽな畑がまだ多いが、それでも早春、農家の方々は作業に勤しんで居ら
茶どころ 参 飯能線に続き、今度は豊岡線を。 豊岡線の1号(標高167.0m)は、それを分岐する青梅線同様東京西線タイプに似ている。豊岡線1号 然し、脚元向こうに見える赤白の2号から先は、明らかにデザインが異なる。2-10号 地線腕金と第一腕金が接し、主脚の
茶どころ 弐 青梅線85号からは、北北西へ飯能線、東北東に豊岡線が分岐する。三鉄塔 中央が青梅線85号、左奥が飯能線1号、右奥が豊岡線1号。三路線 左に飯能線、その右に豊岡線。 航空写真で見て見よう。青梅線85号周辺航空写真 85は青梅線85号、「h1」
茶どころ 壱 狭山丘陵北麓から、豊昭線始点である豊岡変電所方向を望んだら、同名の路線、豊岡線が気になった。この1号鉄塔をグーグルマップで探したら、素敵な田園の中にある事が判明。ので、訪ねることとした。 豊岡線は、豊昭線と異なり豊岡変電所は終点である。始
新 里山鉄塔紀行―布田道 6 西東京変電所脇を過ぎ、観音像を過ぎ、峠を越した布田道は、ここから今迄の山道と打って変わり生活道路の舗道となる。布田道分岐 小野路ヶ丘住宅内の少々分かり難い分岐(標高115.1m)だが、ここを左に下りながら入って行く。 僅か行け
新 里山鉄塔紀行―布田道 5 西東京変電所塀際の布田道(迂回路)から、石神谷戸越しに鉄塔群を望む。布田道から鉄塔群 多くの方にしてみれば、この里山に鉄塔はおじゃまだろうけれど、私的には里山風景も鉄塔風景も共に味わえる二度美味しい景色だ(鉄塔は、右から東