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「工」マーク―境立川線跡 10 前回までの境立川線シリーズ記事を書く際、古航空写真を彼是と眺めるうち、新たに気になるポイントを幾つか見つけた。一旦気になり始めると、居ても立っても居られない、子供のような気質の私である。春先の偏頭痛発作が例年になくドイヒーで
「工」マーク―境立川線跡 11 花南もみじ公園から、多摩湖自転車歩行者道すぐ脇の「花南第4公園」へ来た。ここは、北北西また西北西へと進んできた境立川線が、ほぼ真西に方向を変える場所のようだ。1978年(昭和53年)2月28日発行国土地理院地図今昔マップ on the we
「工」マーク―境立川線跡 12 小平市鈴木町の鉄塔敷跡から西へ約2km、西武多摩湖線とたかの街道が交差する地点へとやって来た。中央公民館前交差点 西武線に並行する市役所西通りとたかの街道が交わる、中央公民館前交差点の北西角、小平市の中央公民館と中央図書館
「工」マーク―境立川線跡 1 以前、拙blogの「鉄塔 中富線―謎の鉄塔」記事を読んだ方に、コメントで情報を提供して頂いた(有難う御座います)、今はJR中央線線路脇のケーブルとなって地上にはもはや存在していない、旧国鉄(日本国有鉄道)の「境立川線」ではないかと思
「工」マーク―境立川線跡 2 武蔵野市の上水南公園から北上した「境立川線」と思しき路線は、玉川上水と五日市街道を越える。境立川線航空写真1979年(昭和54年)10月8日国土地理院撮影 白→が境立川線と思しき鉄塔で、右隣に現中富線57号(当時の番号は不明)そし
「工」マーク―境立川線跡 3 ユーカリ広場の「B」から「C」を目指す。小金井公園内境立川線航空写真1979年(昭和54年)10月8日国土地理院撮影 ユーカリ広場北側に隣り合う、ゆりの木広場だ。境立川線航空写真「C」1979年(昭和54年)10月8日国土地理院撮影 上
「工」マーク―境立川線跡 4 古航空写真によれば、小金井公園北縁近くに、もう一基「E」が見える。「D」からは北西に120m程。小金井公園内境立川線航空写真1979年(昭和54年)10月8日国土地理院撮影 今更だが、比較対象に現在の小金井公園航空写真を挙げたい。小
「工」マーク―境立川線跡 5 小金井公園を通り抜けた境立川線(と思しき送電線)は、地図によれば西武新宿線花小金井駅手前付近で西に曲がる。 そして現在「三中通り」と呼ばれる道に沿って西行し、鈴木町の市立第三中学校手前、131号と132号との間で岡部境線と交差する
「工」マーク―境立川線跡 6 地図上の境立川線と思しき送電線は、オカサカと交差したのち、そのまま西行して津田塾大学の北辺を過ぎ、西武国分寺線を鷹の台駅北で越え、南西へと向きを変える。そして、五日市街道(都道7号線)を越える辺りで今度は只見幹線520号と521号の
「工」マーク―境立川線跡 7 国分寺市並木町公園付近の只見幹線と境立川線と思しき路線との交点から、次に南西へ800m程移動する。今度は、国分寺線との交点付近だ。 その場所は、中央線国立(くにたち)駅の北、当時の国鉄技術研究所北側で、国分寺線17号と18号との間付
「工」マーク―境立川線跡 8 古地図上に残る送電線跡を、立川変電所方向へと辿る。ここは国分寺線との交点からは南西方向へ1km少し、国分寺市西町の住宅街の畑である。下がその辺りの古(ふる)地図だが、1967年(昭和42年)10月10日発行国土地理院地図今昔マップ on
「工」マーク―境立川線跡 9 ついに、境立川線の終点―と思われる―、立川変電所に到達。国分寺市西町の畑からは、西南西に約1km。地図上に残る境立川線と思しき送電線は、中央線脇の武蔵境変電所に発し、北方をぐるりと迂回して再び中央線脇へと帰って来た。 まずは、