オカサカ訪問―黒目川 2 来梅橋から、岡部境線119号(標高63.7m)までは都道129号を渡って100数十m。岡部境線119号 都道から、久留米西住宅方向へ分かれる道のその分岐点に、119号。119号(建設:昭和14年11月 補修:平成4年11月) そのまま住宅方向へ道な
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オカサカ訪問―黒目川 2 来梅橋から、岡部境線119号(標高63.7m)までは都道129号を渡って100数十m。岡部境線119号 都道から、久留米西住宅方向へ分かれる道のその分岐点に、119号。119号(建設:昭和14年11月 補修:平成4年11月) そのまま住宅方向へ道な
オカサカ訪問―黒目川 1 旧武蔵野線、現堀ノ内線訪問記事などでお馴染みの黒目川(荒川水系の一級河川)。源流は、都立小平霊園(1948年開園)内の雑木林(標高67.5m)の中とされている。小平霊園の雑木林 霊園北縁、新青梅街道際だ。この雑木林の中にある「槐(さい
霊園彷徨 「妙高」 私は戦争は大嫌いだが、軍用機や軍艦は、好きだ。何であろう、タカやワシ、ライオンやヒョウ、或いはサメやティラノサウルスなどの肉食動物に通じるような、ある種のカッコよさの様なものを感じるのかもしれない。特に、子供の頃からWW2期辺りのものに
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▲バイオリン・ソナタ ト短調<悪魔のトリル>/ジュゼッペ・タルティーニ order Sonata per violino in sol minore "Il trillo del diavolo"/Giuseppe Tartini ジュゼッペ・タルティーニ(1692-1770)は、前回のドメニコ・スカルラッティの少し後輩となるイタリアの音
1926 参―西大和団地 サクラ満開の戸田線60号から、北の方を見れば、61号61号。和光樹林園内に最後の戸田線鉄塔だ。鉄塔ばかりに集中して、もふもふワンコお散歩中の方々が写り込んでしまった。すみません。 61号に接近。61号(大正15年5月) 大正15年―1
1926 弐―和光樹林公園 大泉さくら運動公園を出、池越しに振り返る。相方と戸田線58号 写真では伝わり難いが、一陣の風でスゴイ桜吹雪だ。池はゴルフ場時代の名残かとも思ったが、古航空写真で見ると存在はしていない。 戸田線59号は、和光樹林公園南縁の道路際に
1926 壱―大泉さくら運動公園 東京都練馬区に、大泉学園町がある。商科大学(現一橋大学)誘致を目指して、あの国立(くにたち)の街を作った箱根土地(現コクド)が大正時代に開発した街。だが学校誘致はならず(国立に行ってしまった)、学園都市を目指して名付けた「
「むねり」? サクラとナノハナ咲く農園の向こうに、鉄塔が見える。鉄塔だ 農園は、練馬区立大泉区民農園。 ソメイヨシノとナノハナ咲く農園は、動く人は少なく育っている野菜もまだ疎らだが、何処かしら春らしい活発な空気が漂っている。区民農園と鉄塔 鉄塔
▲ソナタ集/ドメニコ・スカルラッティ order Sonatas/Domenico Scarlatti 一般にクラシック音楽と言って多く思い浮かぶ音楽家は、古典派やロマン派と呼ばれる時代のものと思う。モーツァルト、ベートーヴェンは1700年代中頃から1800年代初め頃の古典派時代の音楽家で
◆交響曲 ニ短調/セザール・フランク order Symphonie en re mineur/Cesar Auguste Franck (1888) セザール・フランク(1822-1890)は、クラシック好きにはお馴染みの存在だが、一般的な知名度はかなり低いと思われる。クラシックを聴き始めた人が、多分三巡目くらいに
オカサカ訪問―昭和5年? 3 これまで巡って来た66号や70号鉄塔等に比し、岡部境線72号は、可也デカい。(建設:昭和14年11月 建替:令和7年3月) ノー囲いの広い空地の隅に建ち、鉄塔敷は真新しい真っ白なコンクリートの、一段高くなった舞台のようでしかも結界
オカサカ訪問―昭和5年? 2 オカサカ67号の建つ台地の縁から、不老川(としとらずがわ)の流れる低地へ下り68号へ接近を試みる。岡部境線68号 しかし、それは叶わず、遠くから小プレを確保するのみ。68号(昭和5年11月) しかし、「昭和5年」とあることは、確認
オカサカ訪問―昭和5年? 1 黄砂に霞む狭山湖(山口貯水池)を越え、春の田園と鉄塔のコラボを求め、マップで探し出したエリアへ向かう。 起伏豊かな狭山丘陵の田園地帯を抜けて行くと、東西に走るバス通り(県道179号)に出る。そこを西へと向かえば、私の前を歩くバッ
◆エージェント・オレンジ/ソドム orderAGENT ORANGE/SODOM (1989) バンド名は、エクストリーム・メタルの祖とされるヴェノムの1stアルバム「WELCOME TO HELL」収録の「One Thousand Days in Sodom」に由来するとされる。同アルバム収録の「Mayhem with Mercy」に由来
◆バーン・マイ・アイズ/マシーン・ヘッド orderBURN MY EYES/MACHINE HEAD (1994) 「Machine Head(マシン・ヘッド)」とは、一般的な名詞としては弦楽器の糸巻きの内、バイオリンやチェロ、三味線、琵琶などとは異なり、ギターやベース、コントラバスなどの様に歯車
黄砂に霞む―狭山湖 霞んでる。狭山湖堰堤から 今年も遥か西の砂漠から、黄砂がやって来た。狭山湖―山口貯水池―も、その黄砂に霞んでいる。何時もなら青く連なる奥多摩の山々も、ほぼほぼ見えない。空も水面も、ぼんやりと眠たげな色合いですっきりしない。 黄
菅生線紀行 3 C'BON 菅生と初山の町境の道を行けば、菅生線17号(標高80.1m)。菅生線17号(昭和38年8月 29m) 菅生線が通る「菅生」の町は、この17号までだ。 17号は丘陵縁の斜面を利用した、何やら非常にシャレオツな白い建造物の屋上から繋がる駐車場に建っ
菅生線紀行 2 カワヅザクラ 接近困難な菅生線13号を遠望して後訪ねる菅生線14号(標高79.4m)は、生田緑地南遊園という公園に建っている。菅生線14号と生田緑地南遊園 遊具のある所謂児童公園だが―、木立ち深く、大分落ち着いたイキフンである。遊園北東側はすぐに
菅生線紀行 1 馬頭観世音大士 神奈川県川崎市北部を流れる平瀬川、それを北から南へ越え、島坂(しまのさか)と呼ばれる急坂を上がる。道は嘗て横浜への本道で、川が曲がっている関係でこの付近が島の様に見えたのでこう呼ばれたらしい。 一寸自転車では上がり切れない
▲フーガの技法/ヨハン・ゼバスティアン・バッハ order Die Kunst der Fuge BWV 1080/Johann Sebastian Bach (1742) ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)(以下バッハ)の音楽を、スピーカーの前で正座して聴くべきものなどとは露ほどにも思わぬ罰当たりな私
こいのぼり II 東大和線52号から分岐した並木線の1号から、架空線を東へ追って遊歩道を行けば、中央公園前交差点を渡ったすぐ目の前に、2号鉄塔だ。並木線2号(昭和54年1月 30m) 脚下にミニこいのぼりが無数に泳ぐ2号(標高77.6m)は、円形鉄柱型だ。2号とこ
こいのぼり I 現在、長身二本角の新型へと建替えが進む、東大和線鉄塔。だが、所々に一本角の旧型が残っている。所沢市緑町の緑町緑地に建つ、この52号(標高78.9m)がそうだ。東大和線52号(昭和43年6月 35m) 新緑眩い木々に囲まれて建っている。東大和線52
五鉄―宮沢から大神 南中神駅跡を過ぎてまた途切れた五鉄通りが復活して後、350mだが、ほぼ直線の緩やかな下りが続く。立川方面から自転車で進んでくる場合、正面奥に加住丘陵を眺めつつ最も気持ち良く走れる区間だ。 で、その坂とツーショ。誠におじゃまです(マス
五鉄―武蔵福島から南中神 五鉄跡であるところの立川南通りが、郷地駅跡横の産業サポートスクエア交差点で終わり、線路跡はそこで僅か途切れたのち住宅地へ入る。五鉄通り東端付近 其れらしき標識などは無いが、ここ辺りが「五鉄通り」の東端となるはずである。交差
五鉄―立川から郷地 1930年(昭和5年)に開業し、WW2中末期の1944年4月に国有化され、その半年後には「不要不急線」として廃線となった五日市鉄道(五鉄)の立川-拝島間。これまでの記事(1 2 3 4 5)で見てきた如く、その線路は消え去り、今では道路或いは宅地となって
秋川畔春景 2―旧東秋留橋 雨間院西光寺を辞して、県道を西へと渡り、秋川左岸沿いの断崖上の道を地区会館(鳥居場会館)方向へ上がる。すると、旧東秋留橋と秋川向こうの鉄塔は秋留線23号鉄塔崖上(標高132.0m)から、冬の終わりに訪ねた旧東秋留橋の、六径間の内五
秋川畔春景 1―霞堤 多摩川支流秋川の、その左岸に残る霞堤(かすみてい)跡を探る。場所は東京多摩地方、あきる野市大字雨間(あめま)なので、便宜上勝手に「雨間霞堤」と呼ばせて頂く。 これが、雨間霞堤の名残である。あきる野市雨間、秋川霞堤跡奥は秋留線24
秋川畔花紀行 2 秋川の堤防に上がり、秋留線24号とサクラのツーショを狙う。秋留線24号 これぞ、冬の終わりに訪ねた際にイメージし、ねらっていた絵である。 序でに私も。お目よごしです 爛漫とは言え、未だ風は冷たさを含み、それに花粉も含んでいる。首にバ
秋川畔花紀行 1 今季、東京のソメイヨシノは大分開花が遅め。例年、ヤエザクラが咲く頃、樹々の新芽が目立つ頃は大方散っているのだが、この春はヤエザクラが咲いているのに、木立が大分薄緑に煙って来たのに、大方のソメイヨシノは未だ大分残り気味。 2月に秋川畔に秋
霊園彷徨―楽聖物語 開設100年を超えた、多磨霊園(開設は1923年(大正12年)4月)。訪ねた13区給水塔は、多磨霊園13区給水塔時の流れなど意に介せずと言ったイキフンで、不相変樹陰にひっそり佇んでいる。後ろがロータリー 此度霊園を訪ねたのは、実のところこ
常久渡し 春風強き多摩川左岸堤防上を、ロードバイクで走れば、前方(下流側)、めずらしくネット掛け鉄塔が見える。ネット掛け鉄塔だ 塗料飛散防止のネットを掛けられた、境八王子線33号/是政線1号だ。境八王子線33号/是政線1号(標高42.0m)上段が境八王子
合掌枠水制―棚牛 大腸ポリペクから十分日が経ちサイクリングも可能となったので、久々に、多摩川べりを走ってみる。多摩川左岸堤防にて すると、河川敷は今まで見たこともないほどの大規模な改修作業中であった。京浜河川事務所HPによれば、洪水が流れる断面を増や
花紀行 サクラ、サクラと騒がれる季節が今年も来た。久我山線3号(標高58.1m) なぜこうもサクラばかり持て囃して騒ぐのかと、屈折者の私は子供の頃から思い、若い頃はお花見などケギライしていたが、年齢を重ね残り時間が減って来、過ぎ行く日々や季節に哀惜や愛惜
歴史遊歩・名所漂泊 索引■歴史遊歩・名所漂泊 索引■マナーについて■おことわり---------------------------------------------------------■歴史遊歩・名所漂泊 索引・多摩あ か さ た な は ま や ら わ・多摩以外東京23区 神奈川県 埼玉
東秋留ダブル橋 東京西部、多摩地方のあきる野市に、秋留線24号鉄塔を訪ねたのち、少々奇妙な東秋留橋を訪ねる。東秋留橋を渡る 下流側の橋を渡りつつ、上流側の橋を見る。東秋留橋航空写真2019年(令和1年)8月17日国土地理院撮影 黄↓が秋留線24号鉄塔、水色
秋川畔 II 秋留線24号の建つ農地は、まだまだ冬の姿だが、白梅と大岳山(おおたけさん)白いウメがあちらこちらに咲いている。その向こうには、奥多摩の象徴大岳山(1266m)だ。 振り向くと堤防の木立の向こうに若番側鉄塔が見える。秋留線21-23号 堤防に上がっ
秋川畔 I 東京都多摩地方西部の街、あきる野市。1995年(平成7年)に五日市町と秋川市が合併して生まれた東京で一番新しい市だ。「あきる」は元来は「秋留」で、鎌倉時代からこの一帯のエリアは秋留郷と呼ばれていたことに由来する。 そんな由緒ある「秋留」の名を冠し
只見幹線建替えその後―豊ヶ丘 只見幹線557号と559号の建替え関連記事のアクセス数が急に多いので、気になっていた。一体何が起きたのであろう、確かめたい―、とそう思うのだが、丁度大腸ポリペクした時期と重なっていて自転車で行くことが叶わなかった。 が、やっとサ
五鉄―南拝島から拝島 2 更に、南拝島-拝島間の五日市鉄道跡を辿る。 新奥多摩街道との分岐点から約650m、丁度街道間の中間点付近、林ノ上公園脇歩道に、五鉄通りの標識が現れた。「五鉄通り」標識(標高113.2m) 標識付近から、来し方を振り返る。中間地点か