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石ころ https://blog.goo.ne.jp/bachan-no-1

日々の聖書通読から、聖霊のお導きによって気づかせられたことや、 新しく教えられたことなどを書いて居ます。 それは今日を生きるための知恵となり、失敗からの守りとなります。 また、不意な出来事に対して、予め備えてくださる言葉でした。

ムベ
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奈良県
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京都府
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2016/04/03

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  • 事実、私たちは神の子どもです(1ヨハネの手紙3章)

     私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。事実、私たちは神の子どもです。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。(1) 平安の中で主イエスの御救いを思い返し、救われた身の幸いに感動して、御前にひれ伏す。苦難の中ではたまわっているみことばを読み返し、御約束にある深みに導かれて安らぐ。迷いの中にある思いのすべて主に打ち開けて、みことばに委ねて従順する。そのすべては「アバ、父」と呼ぶ関係に在ってのことである。 神の子らはすべての日々に御父の愛を味わい、御子イエスのことばを経験をして、神より生まれた子であることを、聖霊の導きの中で確信するのである。それは養子とか接ぎ木という薄紙一枚の隔ても無い、真実な神が生んでくださった子であり、聖霊とみことばに...事実、私たちは神の子どもです(1ヨハネの手紙3章)

  • 真理であって偽りではありません(1ヨハネの手紙2章)

     私はあなたがたを惑わす者たちについて、以上のことを書いてきました。しかし、あなたがたのうちには、御子から受けた注ぎの油がとどまっているので、だれかに教えてもらう必要はありません。その注ぎの油が、すべてについてあなたがたに教えてくれます。それは真理であって偽りではありませんから、あなたがたは教えられたとおり、御子のうちにとどまりなさい。(26~27) 神は三位一体の神である聖霊を、キリスト者のうちに住まわせてくださり、守りとし、導きとして、みことばを生きて神の計画を行なわせてくださる。その方は「真理であって偽りではありません」とわざわざ書いてある。 イエスの御わざを、ベルゼブルのわざと言わせるような、サタンや悪霊の偽りの世に在って、聖霊はキリスト者の砦であり、身の避け所であり、平安をたまわるお方である。聖...真理であって偽りではありません(1ヨハネの手紙2章)

  • 永遠のいのちを生きている(1ヨハネの手紙2章)

     幼子たち、今は終わりの時です。反キリストが来るとあなたがたが聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。それによって、今が終わりの時であると分かります。(18) 今と書かれたのは1900年以上も昔のことであるが、神に在っては千年は一日のようであって、反キリストがそれ以来現れ続けている。それゆえ常に今が終わりの時なのである。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。(Ⅱペテロ3:8) 肉の体にある命は何時取り去られるか誰も知らず、すべての人にとって今が終わりの時である。神が猶予を与えておられる命の間に、イエスを神の救い主と信じて受け入れ、自分の救いを完成するのは今この瞬間である。イエス・キリストを信じる信仰によって、永遠の住まいである天の国籍手続きは、神の御子イエスに罪をあがな...永遠のいのちを生きている(1ヨハネの手紙2章)

  • 福音の喜び(1ヨハネの手紙2章)

     子どもたち。私があなたがたに書いているのは、イエスの名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。(12) 教会に通うようになって、みことばにイエスの御救いを見出し、神の一方的な赦しをたまわった。負いきれなくなっていた重荷を御前に下ろした時、聖霊に触れられて「見よ。すべてが新しくなりました」と、主の焼き印が押された。もう自他のどのような責め言葉も、神のものであることを否定することは無い印である。 父たち。私があなたがたに書いているのは、初めからおられる方を、あなたがたが知るようになったからです。若者たち。私があなたがたに書いているのは、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからです。(13) 家長がイエスの御前にひれ伏すとき、家には喜びと希望がいっぱいに満たされる。イエスを主として迎え、恵みに拠って家族が生きる...福音の喜び(1ヨハネの手紙2章)

  • 光と闇、霊と肉(1ヨハネの手紙2章)

     愛する者たち。私があなたがたに書いているのは、新しい命令ではなく、あなたがたが初めから持っていた古い命令です。その古い命令とは、あなたがたがすでに聞いているみことばです。(7) 神の民が初めに神からたまわった律法は、イエスによる罪のあがないによって廃棄されたものではなく、イエスを信じることによって、それまでの不可能が可能になったのである。 律法はイエスによって成し遂げられて福音となり、イエスのうちに在る者に完成された。彼らはいのちの望みに満たされ、聖霊による交わりの中で神の子どもの喜びを生きている。しかしイエスを主と認めない不信仰は、自ら律法のさばきのもとに留まり続けるのである。また、聞いたみことばを心に留めることなく、故意に胡麻化してやり過ごして来た者に、改めて命じられるのは主の忍耐と憐みに拠ることで...光と闇、霊と肉(1ヨハネの手紙2章)

  • うちに神がおられる(1ヨハネの手紙2章)

     私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。しかし、もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。(1) 世ではあらゆる形の罪を纏った狼が、肉を纏っている羊を虎視眈々と狙っている。しかし、神の守りにある羊は世で活動している間も、聖霊によってイエスとの絶えざる交わりがある。目にする世のあれこれに支配される必要は無く、それらの善悪を選り分ける役割を負っているわけでもなく、みことばに聴き入って心に留めなければ良いのである。目が汚されたと思えばすぐに主の血潮に洗って頂き、砦に逃げ込んで聖さに身を避けることが出来る。キリスト者はすでに世の者ではないからである。 ですから私たちにはいつでもイエスの希望がある...うちに神がおられる(1ヨハネの手紙2章)

  • ヨハネの見たこと聴いたこと(1ヨハネの手紙1章)

     初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。(1) すべてはイエスによって造られた。ヨハネの確信はイエスを体験していること、いのちのことばの復活を直接見ており、御からだに触れた感覚を持っているのである。みことばに従順して、生ける主を近しく体験することがある。そのようなみことばの経験は、誰に否定されても動じることのない主への信頼として、命に刻みこまれている。 このいのちが現れました。御父とともにあり、私たちに現れたこの永遠のいのちを、私たちは見たので証しして、あなたがたに伝えます。(2) 聖書にあるヨハネの証を私たちも受け取っている。彼が経験したイエス・キリストを信じることによる救いは、罪の結果である永遠の裁きに代えて...ヨハネの見たこと聴いたこと(1ヨハネの手紙1章)

  • 探し出された一匹の幸い

     あなたがたはどう思いますか。もしある人に羊が百匹いて、そのうちの一匹が迷い出たら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。(マタイ18:12) 人は九十九匹の方が大切なので、迷い出てしまった一匹を諦めることが出来るが、神には一匹一匹が神の完全な愛の対象であって、見捨てることが出来る命など一つも無いのである。 まことに、あなたがたに言います。もしその羊を見つけたなら、その人は、迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜びます。(13) 神には迷わない九十九匹以上に見つけ出した一匹が神の喜びとあり、それは元通りに百匹揃って良かったということではない。 このように、この小さい者たちの一人が滅びることは、天におられるあなたがたの父のみこころではありません。(14) 神のみこころは人...探し出された一匹の幸い

  • 天地創造7日目

     こうして天と地とその万象が完成した。神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。(2:1~3) 人のすべての必要は全能の神によって六日間で備えられた。主の創造の御わざによって賜った命の喜びにあふれ、命を満たす備えに安らぎ、創造主をほめたたえる日である。天地宇宙の創造主を神と告白するとき、人はたまわっているその祝福の偉大さを悟り、この神に目的を持って造られた命は、作品を知り尽くす神に在る平安と望みに満たされる。 自分自身を守る言葉を何も持っていない幼子の心で、神の第一声「初めに神が天と地を創造された」このみことばを「アーメン」と受け取るのは、神に選...天地創造7日目

  • 今日の歌(2025.03.08)

     幼木の香りいじらし沈丁花 休日のコーヒーゆるりとガラス越し椿はすでに赤覗きたり今日の歌(2025.03.08)

  • 二つのいのち

     現在生きているすべての人は2つのいのちを持っている。1つは母の胎で形作られた体に在る命であり、もう1つはイエス・キリストの命と引き換えに与えられた永遠のいのちである。 イエス・キリストの十字架の贖いを信じ、感謝して創造主なる神を礼拝した人の死は、イエスの復活のいのちを頂いて、父なる神の御許で永遠に生きることになる。彼らはイエスによって罪をあがなわれてきよくされ、神と和解して神の子という関係をたまわったからである。 しかし、死に至るまで創造主を認めず、御子の死を通して与えられている、永遠のいのちを受け取らなかった死は、罪のあがないを受けていないために、その罪に拠る永遠の刑罰に至る。 地に在る命はすべては、創造主によって与えられている今を生きている命であり、それゆえイエスは「絶えず祈りなさい」と命じておられ...二つのいのち

  • 天地創造6日目

     神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」(26) 人の尊厳は神の似姿に造られていることにある。人を殺してはならないのもこの事実に拠るのである。神は人にご自分の作品の管理を委ねられた。忠実に感謝をもって、たまわったすべてを支配する時、それらは豊かに人を養い育てる神の祝福となる。 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。(27) 神に創造されたものであることをわきまえる所に、神の平和が存在する。それぞれが違った個性を持って造られ、違う価値観を持つ人々に対しても、創造主のご計画を思い、神を恐れて受け入れるからである。...天地創造6日目

  • 天地創造5日目

       神は仰せられた。「水には生き物が群がれ。鳥は地の上、天の大空を飛べ。」神は、海の巨獣と、水に群がりうごめくすべての生き物を種類ごとに、また翼のあるすべての鳥を種類ごとに創造された。神はそれを良しと見られた。神はそれらを祝福して、「生めよ。増えよ。海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ」と仰せられた。夕があり、朝があった。第五日。(20~23) 神はすべての生き物をそれぞれの形に創造された。発達途上のものではなく、無数とも思える生き物のすべては、みこころのままに完成されていたので祝福された。創造主の全能の力に拠るよることである。 そのような神の知恵と力は人には思いもよらないことなので、己の能力をもって神を計ることにより神がわからず、被造物を拝んで神に敵対するのである。人は神の作品である天地を見ても神の完全...天地創造5日目

  • 天地創造4日目

     神は仰せられた。「光る物が天の大空にあれ。昼と夜を分けよ。定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ。また天の大空で光る物となり、地の上を照らすようになれ。」すると、そのようになった。神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼を治めさせ、小さいほうの光る物には夜を治めさせた。また星も造られた。神はそれらを天の大空に置き、地の上を照らさせ、また昼と夜を治めさせ、光と闇を分けるようにされた。神はそれを良しと見られた。夕があり、朝があった。第四日。(14~19) 光りを備える神は闇も備えられた。それらによって時を備え、いのちを刻むためである。闇夜のような時がある。アブラハムにもモーセにもペテロにもパウロにも、そうして私たちにも。自分の力ではどうにもならない時があり、キリスト者にも神を忘れ...天地創造4日目

  • 祝 !パソコン復旧

     pcダウンジャガイモ植えつつ弥生待つ 2月26日記事アップ直前にpcダウン。私には手も足も出ないことなので強制終了して息子の帰宅を待つ。まったくこの仕事は私一人では不可能なことが身に染む。 遠距離通勤の息子の遅い夕食時に「pcダウンした」と、遅くまで調べて「これは簡単じゃない」と告げられ、一部取り換えて今日完全復旧した。動きがぐんと良くなってとても快適。それに「ダメかも・・」と言われていた古いゲームも復旧してくれた。 これは何十年もやっているお気に入りで、ゲームを楽しむというよりも、頭のアイドリングのような役割なので、ダメなのはかなりショックだったのだ。失われたと思われた、「一太郎」のデーターも回復してすべてを元に戻してくれた。 でも、初めから祈りの中でこうなることは分かっていたので、焦ることもなく待っ...祝!パソコン復旧

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