以前訪れた時のことを思い出しながら、あれは何年前だったろうかと、私は雰囲気の変わってしまったような浜辺を眺めた。こうやってここから見ると変わり映えがないようだけど、何か所あった入江のお手製桟橋の潮による浸食は”ここまでになるの?”っと驚きでもあった。久しぶりでも勝手しったるような出雲崎町尼瀬地区の浜辺からの路地。初めて訪れた時は地面には金網がなかったようなと思うだが果たしてそれがどうだったのか思い出...
気になる日常風景の”僕のツボ”をスナップ。
街歩き、時に海、山、僕の「これって、いいねえ。」を撮ってます。
砂丘館(旧日銀支店長役宅)何度も訪れているので、見慣れているし、撮りまくってもいたけれど、よく考えたらしばらく来てなかったと気づく。そして応接間のカフェで一服も良いなあと目論んだが、すでに応接間で数人のオバチャンが井戸端会議的におしゃべりしてので、一服休憩をあきらめて応接間をスルー、そして私はこの廊下を真っすぐスルーすることはできなかった。この薄暗い長い廊下「サザエさん」で出てくるような昭和の雰囲...
ある家のブログ塀に描かれたもの。たぶんちょっとやそっとでは見つからないと思う。その近くの二つの階段、初めて見た時は二つの階段、色違い色分けに、センスいいなあと、ただただ思っていたけれど、なんでやろう?と階段を上っていくとその訳が分かった。左は左の家の階段、右は奥の家の階段とテリトリー訳だった。左が新しいのはご近所色々あるのだろう。影につられて砂丘館に入って撮った蔵に写った影。あいづ通から「どっぺり...
慈光寺参道の巨木杉と苔とツタのからまるの眺めては撮っているのは毎度のこと、一般の参拝者の歩く時間よりも3倍、4倍になる。慈光寺の参道を挟むように流れる滝谷川。晩秋迫るころ、参道は常葉樹に囲まれ濃い緑。こんな緑の光景、そこれがある空気に、巨木の杉間から弱い日差しが目に、ココロの癒しとなるのかもしれない。寺院に参拝、あちこち撮り終えて帰る頃には、ココロに引っかかったトゲがとれないまでも、痛さを緩和させ...
五泉市村松慈光寺五泉市村松慈光寺山門、ここで来るまで雨の巨木杉の参道を撮っていたので気を付けてはいたけれどレンズに水滴がついていた。回廊と火灯窓、以前は旧型の消火用ポンプ車がとめてあったが、古すぎたのか、それとも邪魔なので別の場所に移動したのか、なくなった。自分的には良い被写体だった。慈光寺の回廊、山門をくぐって右側、突き当りが東司(とんす=トイレ)。本堂前慈光寺の本堂左が庫裏、右側が東司、その間...
慈光寺山門の向こう回廊に並ぶ火灯窓と格子と、その格子の菊水紋、詳しくはわからないが、このお寺は格式が高いのだろうとわかる。家紋なら門に一つ、また出入り口左右に一つづつで良いのではと思うが両方に二つづつ。なにやら謂れがあるのだろう。当然文化財にもなっている。山門前の石段の凸凹に過去にたくさん色んな人が、参拝で踏んだだろう、自然気象現象もあっての凸凹なんだろうと歴史を感じてくる。初めて訪れた頃は階段の...
五泉市村松慈光寺山門前山門前石段、こちらは雨具、傘を持っての参道歩きだったが後からやって来た親子は傘を持ってなかった。途中に本降りに出会ったのに。いかに自分が参道を撮りながら歩くのに時間がかかっているかである。後から来る親子が本堂へと向かっても、私はまだまだその前でうろうろしていた。山門前のお地蔵さん、このお寺は曹洞宗である。かなり昔処分に困ったのか弥勒菩薩の顔の焼き物がお地蔵様に置かれた、弥勒菩...
石仏の三十三観音、過去に仕事で対人関係で参ってしまった時、撮影と共に参拝、参道の石仏全部に手を合わせた事がある、基本的に問題が解決した訳でないが、気持ちが安らいだ。それ以来だろうか石仏全部に手を合わせたのは”あえて願い事なんだったか”は書かないが。この時、モミジの葉っぱは青かった、これが赤くなるのか、黄色くなるのか、青いモミジを見ながら紅葉の光景を想像した。村松慈光寺の巨木杉の参道、10数年前は車で...
昔から苔が美しいと思ってはいたが、”そう感じるの俺だけのなのか?”と人に話すこともなく、そしてカメラを持ちここで見つけてからは撮りまくった。訪れては撮り始めると、晴れた日は苔が乾いてしまい、あまりキレイではないので、雨に濡れた緑の方が美しくしっとりするので撮るなら雨の日、もしくは雨上がりだとわかった。しかし、6月7月の雨に濡れた緑は実に綺麗なのだがブヨ・やぶ蚊との闘いである、顔が変形したこともある。...
雨が降ったら来ようと思っていた。しかし、晴れて欲しいのにイメージ通り晴れず、イメージ通りに雨が降ってほしいと思っていると雨が降ってくれない。やっとである、薄暗い巨木の杉並木を三脚と傘を差しながら私は歩いた。通常雨に出会ったら”ついてねえなあ。”なのだが、この日は雨に「うふふふ、やったね。”だった。杉並木の村松慈光寺参道を歩いているので雨は頭上高い杉の葉っぱで雨は緩和した。それも私は計算ずくというか、...
村上市上町通り、午後も4時前になると村上市「屛風まつり」の人出少なくなっていた。右の歩道を歩いているオジサンのなんか歩き方がおかしいと思ったらビデオ・カメラ片手に撮影しなが歩いていた。上町通の酒屋、、、日曜日で休業なのか、もしからしたら閉店してしまったのか、3年ぶりではわからずじまい。以前の屏風まつりの折には店内に入って屏風を拝見したことがあったが。村上市小国町、どういう訳が私は村上の街を歩くと落...
毎年行われる村上市「屏風まつり」もコロナの為、イベント中止。毎年訪れていた「屛風まつり」だったが3年ぶり。「屏風祭り」は歴史のある城下町として町屋つくりも残る、各家には立派な屏風がある、屏風と町屋つくりを見てもらおうというイベントなのだが今年は例年通りの軒数ではなく、一部参加の屏風まつりだった。きっかわのつるされた鮭、それぞろのつって干された鮭の顔を見ながらそれらの人生ならぬ鮭生はどんなだったんだ...
村上市を訪れると通る頻度の多い、お気に入りの小路。初めて通った時に「歩いて良いの?」とそれくらいプライベート感あった。そんな路地も赤いコーンのあった場所は、いつの間にか駐車場になっていた。小路を抜けると「大町」の通り。3年ぶりに歩くと通りの光景が変わっていた。街の変ぼうに長いこと訪れてないのだと感じた。「大町」の通り、村上市の中心街、ちなみに道路真ん中にあるのは消雪パイプ。村上市「寺町」「寺町」の...
村上市大町焔魔堂の閻魔大王とその妻とされる奪衣婆(だつえば)。三途の川で閻魔大王の生前の裁きの前に、奪衣婆(だつえば)が亡者の来ている服を剥がし、大木の枝にかけてその枝のしなり方で亡者の生前の罪の軽重を判断すると言われ、閻魔大王補佐の事前調査担当。曼珠沙華の咲く庭、時代はは変わったのか昔は曼珠沙華咲く庭なんてなかった、、、もっともあちこち見えてはいないが。私の知ってるのはお寺とか墓の脇、一時は曼珠...
新潟県村上市「ここは三之町」の道しるべ道しるべの後ろのある旧旧村上高校門舎(レンガが門柱、建物が門舎)、門舎っていうのはたぶんかつて高校があった時は門番とかいたのだろう門番までいる高校なんて見たことがないで、いかに旧村上高校が上級な校だったことか。旧村上高校門舎のレンガ造りの校門。上級な高校、あとで村上市というのはかつては教育に力を入れていんだと聞いた。村上市大「塩引館」、村上市はコロナもあって久...
雨に濡れる剣龍狭の杉林を目の前にして私は「ムフフフ。」とイメージ通りの光景ににやけた。もっと完璧を求めたらガスが”もわ~”と掛かることがったがさすがにこの日はそこまでは出なかった。剣龍狭キャンプ場の入り口の太鼓橋、コンクリート製の欄干に緑の苔が生えて、コンクリートの表面はザラつき、出来たのは昭和なんだろうと。しかし、アーチ状の橋は強度があるのは知ってるが、ザラついて苔の生えたコンクリートの欄干を見る...
剣龍狭谷間の秋色剣龍狭キャンプ場、左は登山の看板、その前を右へ通ると剣龍狭登山道になる。以前ちょっとの先まで行ったことがあるが、一気に傾斜のある山道なった、足場は泥状で靴が気になり、滑りそうだったのでそこで引き返した。人の多いのも何なんだかが、こういう場所で誰もいないっというのは、ビビる自分には最近は無理になった。怖がれば、怖がるほど段々先へ進めなくなるのかも、以前は平気で右往左往してたのに。剣龍...
時々訪れる新発田市剣龍狭、この日お天気は小雨。紅葉はどうなんだろうと様子見がてら訪れた。色はつき始めていたけれど、ここの標高が低いのか色づきはこれからだった。以前は、向こうの杉の森を三脚を担いで歩いたが、最近はビビりなのか熊が怖いので行かなくなった。一時はこの下の川(剣龍狭)で降りて撮影していたが、ここでも熊が浮かんで降りれなくなった、なので道路に車を止めてその脇から撮影である。我ながらなんだか情...
新発田市中々山の峠から内之倉ダムを遠望、山々がつらなるがその先は山形県。山の陽が傾くのは早い、太陽光はさしていてもこちら側は山影に入っていた。中々山と内之倉の山、雲の合間から指す太陽の光が紅葉真っ盛りを教えてくれた。中々山と内之倉の山の峠を越えると、電柱は街で見られなくい形、昭和の昔の写真で見たことあるような電柱風景がここにはある。これって立っているのは何か構造的に意味があるのだろうか。中々山とコ...
峠のススキと紅葉電力ネットワーク、これだけ送電線鉄塔の集会のように並んでいる光景を見ていると、物語が浮かんできそうな風景的に思えてくる。表は今一つの紅葉、山を越えても何も撮るものはないだろうと、思っていたが、山の峠を越えるとそこには紅葉があった。”しまった。”と後悔した、紅葉を追うように車を走らせながらどこか頭の中では”まだなんじぇねえ?”と、望遠レンズは持ってこなかったことに作戦失敗したと思った。少...
久しぶりの登山。山を登るとこんな所を歩いたなあと、昔を思い出した。登山だよなあ、よそ見して足場を間違えるとこれは大変なことになると思うと、昔はなかった山登りでのビビりが出た。山からの眺めは良く、山の西側は紅葉は始まったばかりだったが、峠を越えて裏側(東側)の周囲は紅葉が始まっていた。山に紅葉そしてススキ、”あれ、下のはアスファルト道路じゃん。”、実はここまで車で登り、峠部分にある5mくらいの山を登っ...
自分のDNAに取り込まれているのか、こんな光景を見ると”向こうは海”と思う、実際はここはそうなのだが、騙された光景も何回かあった。かつてはこの轍を見て浜辺に行けるかの車で入って行ったが、動いているうちは良いが、一旦止まったしまうと車は砂にハマった。海辺の風力発電の風車そして砂山を越えると海。藤塚浜の先に並ぶ風力発電の風車。最初は手前4基だった、わかりずらいが手前の4基は小さい、その奥は一段と大きい。こ...
新発田市藤塚浜の防波堤ここ藤塚浜では、砂浜の風景も良いのだけど、自分はこの防波堤が好きである。かつてはカメラを始めるより、ずっと昔釣りに凝っていた、どこか釣れる場所があるのではと毎週のようにあちこち移動しながら釣り場探しをした。ここもそのひとつ、防波堤にある四角の枠は果たして何の役目があるのかと分からない。そんなことよりも、釣りのしていたと当時、この四角の中の水たまりに小さいフグが泳いでいた。「な...
新潟県関川村「JR越後片貝駅」、今年の8月4日の豪雨で胎内川、そして周辺は大洪水、それをすっかり忘れていてJR米坂線へ。ちなみにJR米坂線は新潟県村上市坂町駅から山形県米沢駅を結ぶ。駅撮りをするまで、この駅の前は何度も車で通っていたけど、外観から駅ではなく地区の集会場だと思っていた。駅撮りをするようになって改めて駅を訪れると「ここ駅だったの?」だった、ローカル駅によくある無人駅とプラス施設の造り、ここで...
新発田市藤塚浜と白い風車が並ぶ光景藤塚浜で見た「なんだこれ?!」の漂着物、10数年訪れえているけれど初めての光景に、ニュースでよく出てくるコメント、「長いこと住んでますが、初めてです。」のそんな言葉を思い出した。たくさんの漂着物に留まっていたカラスが近づくとそれぞれ飛んでいった、オレはなんもしないのだけどねえ。奥に残っているカラスまでが近づくと”しょうがねえなあ。”的に羽ばたき飛んで行った。かつては...
久しぶりに新発田市藤塚浜へ、「なんじゃこら?!」と長年ここを訪れているけれど、初めての漂着物の光景だった。たぶん、8月4日の村上市の洪水よって胎内川の上流から流されてきた物が、流れ流れここ藤塚浜に漂着したのだろう。それ以前にここよりも胎内川近い村松浜では全く見なかったが、海流の関係で流れ漂着する先が違うのだろう。波打ち際で漂着物は少なめ、満潮時の波で岸の奥へと漂着物は押し流され、潮が引いたこの時に...
これは遺構になるのか?長岡市が信濃川から浄水場へ水を引いていた旧取水施設、そこには掛かるの橋までも遺構の雰囲気が匂ってくる。水道公園の旧中島浄水場(配水ポンプ棟)と監視室(奥)浄水場監視室、建物内には入れないが、以前は入った(入れた)記憶がある、そして何年前だった訪れた時建物の扉を作り替えていた。石積みの建物にどうやって木造の扉を付けるのだろうと眺めて、作業中の大工さんに話を聞いた記憶がある(結局...
久しぶりの長岡市水道公園の旧中島 浄水場配水塔下から見上げると巨大である、正体は給水塔だけど給水塔には近づけないものである、それが「旧中島 浄水場配水塔」となると真下から見上げられるし、すりすりと触ることもできる。映画が「メン・イン・ブラック」で同じような建物が登場してくるが、その正体は実は塔の上部はUFOだった。真下から見上げていると”ひょっとして?”とそんな考えも浮かんでくる。けれどこの角度からにな...
長岡市山古志虫亀の風景向こうに飛行機雲、当たり前に飛行機のルートを外れると、当たり前にある飛行機雲の数も少ない。たぶん鯉養業の建物、新潟市周辺ではこんなのがあると農家の温室だと判断するが、鯉の里山古志ではこれは鯉養業の建物でありまたそれがあちこちに見られるのである。これが山間地ゆえに不思議な光景にも感じる。山古志虫亀の錦鯉の池、黙ってたらなんで今の季節に水の張った田んぼがあるのかと不思議に思うのだ...
長岡市山古志虫亀の祠、傍らでは落ち葉なのかブロアーで吹き飛ばす「ブオー、ブオー、ブオー。」の乾いた音が鳴り響いていた。カーブミラーと気になった穴(左に草に隠れ気味にある)が気になったが、ビビりで割愛。さすがに錦鯉の里だと感じた、田んぼのような池、あちこちコンクリート製水槽があった、のぞいたが水だけで何もいなかった。。この頃はまだ9月、山間の田んぼは黄金色がかってた。わかりにくいけれど(正面奥)水の...
高龍神社から山古志地区へ、ずっと上り坂だったがようやく虫亀地区で峠らしい場所に到着、後はこの先はへ下り道かとかまぼこ型ガレージを見ながらその先はたぶん下り道だと推測した。山古志といえば錦鯉である、最初山の段々田んぼに今頃なんで水が張ってあるのかと思っていたが、しばらくする「錦鯉の養殖池」だとそれにしても、あちこちに見る田んぼ(ため池)に多すぎて私の頭はすぐに”錦鯉”が浮かばなかったが、この看板で「そ...
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以前訪れた時のことを思い出しながら、あれは何年前だったろうかと、私は雰囲気の変わってしまったような浜辺を眺めた。こうやってここから見ると変わり映えがないようだけど、何か所あった入江のお手製桟橋の潮による浸食は”ここまでになるの?”っと驚きでもあった。久しぶりでも勝手しったるような出雲崎町尼瀬地区の浜辺からの路地。初めて訪れた時は地面には金網がなかったようなと思うだが果たしてそれがどうだったのか思い出...
出雲崎町、北国街道「小諸まで55里、江戸まで97里」、佐渡金山からの江戸へ金銀運ぶのに97里、それも信濃小諸経由だったのがわかる。そんな出雲崎の入り口にある「尼瀬代官所獄門跡」、出雲崎へは数えきれないくらい訪れているのだが、ここ獄門跡は2度か3度目。初めて時はかなり昔、ビビりの私は当時はカメラを向けられたか記憶にない。江戸時代佐渡への罪人を運び、また佐渡でとれたとれた金銀輸送の要所の港でもあり、江...
出雲崎夕陽ライン橋の欄柱にはめられた良寛さんの句をよみながら、”オレもそんな心境かも。”と思いながらも歩き回るたびにカメラバッグの重さを感じるようになっていては良寛さんよりも歳なのかもな。出雲崎町尼瀬の入江初めて訪れて見つけた時はまだまだ元気だったが、現役どころか漁もしばらくしてないのだろうか、やめたのかもなあと桟橋を見ると思えて来る。潮水の恐ろしさ、浸食。通常単管なんてあればちょっくら形を崩すなん...
出雲崎夕陽ライン橋から日本海、コロナ騒ぎもあってか出雲崎は訪れたが、出雲崎夕陽ライン橋は久しぶりだった。出雲崎町は良寛さんの出身地でもあり、良寛堂を模した欄柱になっている。尼瀬2区、このバス停も、「尼瀬」の文字も久しぶりだった。「尼」の文字つく地名はここ出雲崎くらいだろうか。出雲崎夕陽ライン橋良寛堂を模した欄柱のオブジェなのだが、どこだったか汚れ、傷み具合のシミが良寛さん見える所があったがどこだ?...
何年振りかにJR羽越本線酒田駅を訪れると「ありゃ?」と駅舎が新しくなっていた。私のイメージは昭和のイメージの鉄筋コンクリート駅舎だったが駅舎も変わっていれば駅舎前も整備されてすっきりしていた。駅撮りは趣味であちこち撮っているけれど、この今風の変わりぶりの駅舎を見て”当分来なくていいなあ。”と思った。利用する地元の方には申し訳ないが、個人的は古く、ボロかったりする方が駅としては私は好きなのである。酒田駅...
お天気は快晴で最高な日、観光地でも比較的空いている時期、長い冬が終えようしている頃、ケヤキは冬枯れして枝だけの季節。コロナの時期は訪れてないけれど、自分的は訪れるのはこの頃。山居橋から新井田川の向こうに2本の飛行機雲を見た。ひょっとして北海道千歳空港行?”我が新潟市からとは飛行機の航路が違うだなあ。”と飛行機雲を眺めながら遠くへ来たのだと感じた。新井田川と遊覧船と山居倉庫歴史を感じる新井田川石積みと...
地元の新潟市には高い山がないので、2000m越える山を見ると、惚れ惚れしてしまう。それが山居倉庫から見えた。新潟市から遠征で山形県鶴岡方面へ行くとその鳥海山が見えるかどうかワクワクしての県境越え、この日は見事は姿が見えた。山居倉庫屋根の角度は黄金分割のような角度に、癒しを感じられるような完成されたような角度である。向こうから(ケヤキ並木側)何枚も撮ったので、今度は倉庫の表から。倉庫も立派ならケヤキ...
あちこち駅巡りをしていると、かつて駅周辺にこんな米倉庫残っているの見ることがある、しかしここまで残っているのは、残しているのは珍しい。計算されてなのか、山居倉庫の屋根の向こうに「庄内米」の文字が見える。コメどころってことなのかもだが、意外に酒田市は「さかたラーメン」なるのもがもある。個人的な感想を言うと”優しい味”なのかもしれない、我が新潟県のラーメンのバリエーションの味からしたら優しい味になる。新...
上記とは全く関係ないのだが週末の日曜日、桜撮りは”あそこだな。”といくつか目的地を決めてそこへ訪れるとバイクが停まっていた。その後ろの車を停めて桜を撮ろうするとそのバイクの人のヘルメットかぶっていたがその目線が気になった、”何かを訴えているような?”、”ひょっとして俺の知り合いだったのか?”そして桜の風景をあちこち撮り終えて車に戻るとやっぱりこちらに”何かを訴えているような?”目線。そしてその場を私は立ち...
「たばこ厳禁」って書かれていても今は煙草を吸わない私には、単なる被写体にしか見えない。それにしても、”また?”の山居倉庫風景、なにせ倉庫は12棟ある、それを一棟一棟撮って、そして振り返るように撮っているから枚数は増える。山居倉庫12棟の窓、並ぶ倉庫を12棟歩いてやっとの見えた倉庫の窓。並んでいるのは白壁造りだけど、端の倉庫は雨風で痛みやすので板張りで覆われている。山居倉庫12棟とケヤキ、私は毛細血管...
鼻の穴がデカい、思わず私は鼻の穴に指ではなく手を突っ込んだが、向こう側から”その手を引っ張られてら。”と変なことを想像した。名前があり黒いのが「山王」、赤いのが「日和」と名前らしく、酒田市のお祭りには練り歩くらしい。初めて酒田市の街歩きしてこの巨大獅子頭、それも二体、印象記憶に残らないはずはなく、毎度酒田市中町を歩くと”そう言えばアレがあったな。”と大きな獅子頭が浮かぶ。中通り中町三丁目吊るされた鮭、...
何年振りだろうとこの景色、そして同じような構図で撮影した遠い昔を色々な思いでと共に懐かしさに胸がじんわりとした。以前はここまで平気であるいたような、今回はどうだろう”へいこら”状態に近い。三重塔の風景に、酒田市なのだが京都奈良を訪れているような気持ちなってくる。以前は中町通向こう側まで歩いた記憶がある、そして酒田駅までも歩いていたようなないようなだが、そんな昔私はまだまだ歩いてのは確か。この日それを...
何度も酒田市を訪れているけれど、久しぶりにあの寺院へ行ってみるかと足をのばした。酒田市を訪れ2回目か、3回目の街歩きで遠くに見える塔が気になった。さすが北前船の町、豪商の町、寺院風景に酒田だなと納得させられた記憶があるし、久しぶりに訪れてもそう感じる。海晏寺(かいあんじ)初めて訪れた時は違和感はなし、遠い親戚のように感じる寺院だった、調べると当家と同じ曹洞宗寺院に”やっぱり”感があった。それでも、あち...
にぎやかなんだか、”にぎやかだった”のか酒田市たくみ通り、私が車は通過したけど歩いている時には人は誰も見なかった。たくみ通りの天満宮天満宮の鳥居、実は私はひとつ向こうの通りからこの上の公園へのぼり、天満宮参拝してからこの石段を降りてこちら「たくみ通り」へ。酒田市天満宮の由緒天満宮の下にある旧上内匠町標識とお箸塚、箸は個人の家の箸もあるのだろうが周囲には飲食店が賑やかなのだとわかると想像できるのだけど...
山形県酒田市中町酒田市中町のビル裏中町旧マリーン5の建物、私には建物のよりも、この「マリーン5」が気になった、これってあの「マルーン5」を意識したのか、それとも偶然なのか。ここで私にはマルーン5の曲が頭に浮かんできた。実に久し振りのビル風景、酒田市を訪れるようになり、”酒田おもしろいじゃん。”と感じなら歩いた時の光景を思い出す。あの映画「おくりびと」のロケ地、ここまで歩いてきたらやっぱり撮ってしまう...
酒田市中町通、訪れるたびに街の風景が変わっているような。それは街の発展というか、街の光と影のようなものである。中町3丁目の灯台、車止め防止のなのだろうが、オシャレである。京都だと石ころである、だけど京都だと石ころが粋に見える。ここでは日和山公園の「木造六角灯台」、品の良さを感じた。酒田市中町3丁目そして酒田を訪れて見てみたかった建物、柳小路中町2丁目のかつては有名喫茶店「ケルン」、店じまいしたと聞...
舞娘坂の理髪店のサインポール、人様ならさらりと素通りするのかもしれないが、私は素通りは出来ない。ゆえにカメラを持って街歩きはなかなか進まない。そんな理髪店の前ですら素通り出来ない私は、舞娘坂にある料亭校香梅咲と竹下夢二美術館の間のこんな路地も私にはやっぱり素通りは毎度出来ない。当然毎度舞娘坂の路地に来ると奥へ入っては私には”路地はいいなあ、いいなあ。”になるのである。路地の竹下夢二美術館(相馬楼)、...
酒田市を訪れるとやっぱりここは私の酒田街歩きのルーティンのようなコース。映画「おくりびと」の劇場のロケ地。主人公はこの階段を登って行って、社長より撮影を強要されるのだが。そんなロケ地の劇場ゆえに、ゴジラ襲来を上映したりしての町おこし。そして「ゴジラ」と大杉連氏の追悼上演の宣伝。シン・ゴジラの絡みか?日吉町まちかどギャラリーと「兵隊やくざ」上映の看板、当時2016年のものがそのままに。日吉町まちかど...
酒田市高台にある光丘神社から、なに気に見える赤い自販機のある風景が絵になっていた。私は計算して置かれているのだろうかと思った。赤い自販機前から光丘神社の一段一段のゆがんだ石段の光景に私は酒田市の歴史を感じた。そして光丘神社前の赤いツインの自販機、ちょうどのどが渇いていたので買おうと商品を見ながら、ちょっとコンビニまで我慢だとおもった。小腹を減ってきたし、買うならドリンクと早々に腹を満たしてくれるパ...
日枝神社(下日枝神社)の境内にある光丘文庫、久しぶり前回は立ち入り禁止、今回も規制のトラロープの手前から。前回は工事中なので次回来る時には、改築されて中に入れるのかと思っていたら。柵にトラロープでは老朽化で立ち入り禁止なったのだとわかる。かつては2度ほど中に入ったことがあるし、撮影もした。静かな場所でもあり、静かに本を読んだり、学生が勉強する光景があったが。残念である。光丘文庫近場の光丘神社の白木...
久しぶりに訪れた沼垂西の赤い工場。カメラを持って街歩きして気づいたのが”オレは錆びが好きなんだ。”と感じた事。”撮りながらも俺っておかしいのか?”と思ったが後で、SNSで錆び好きサークルを見つけて、そうかそうなんだ、いるんだと、お仲間を見つけてオレはおかしくなかったと思うようになり、錆び以外でも、自分が好きならそれでいいじゃんと思うようになった。湊稲荷神社、コロナのせいなんだろう鈴緒は、触れないように端...
お寺なんて関係ない、”じい様になってからの世界”と思ってらカメラを始めて被写体になり、そして新たな発見があった。そうなると”ここに、こんなお堂もあったのか。”と、京都奈良でブラ歩いて神社仏閣遭遇する目線で地元を歩くと「なにここ?!」と再発見。実はこのお堂の中に観音様がおられ、それを初めて見た時は「なになに!」だった(正月に扉が開く)。「朗小路」、角の家は知る人ぞ知る昭和を感じる外観、街撮りスナップ派な...
極端に多くはないけれど、シャッター通りだったのが、シャッターに店舗が入るようなり沼垂テラス商店街となって数年。赤錆びたシャッターの通りは私は好きだったのだが、”オレの街”から”若い街”になった、それってオジサンには落ち着かないだよなあ。ここの古本屋は、今の沼垂テラス商店街と云われ前からあったような、こんな佇まいが”ここでお店やってみるか。”と他を引き付けたのかもしれない。銭湯さか井湯、営業時間を見ると1...
万国橋の船着場に係留中の漁船、しかし何ゆえにこんなにたくさんの”もやい”があるのか、1本2本あれば十分だろうと思うと逆にこれはなんか意味があるのだろうかと、そう思うと恋人岬のハートのような、縁起、願掛けなのかと本数を数えた。久しぶりの中央区沼垂東。久しぶりの空き地、初めて訪れた時はこんな住宅にこんな空き地があったんかあと贅沢感感じた空き地のスペースだったが、あれから片手は過ぎているはず、尚もまだ空き...
カメラが趣味なり街撮りに目覚めた時は、ここ、この辺りはよく訪れた。ここの新潟伊勢丹前の交差点を歩道橋から毎度撮っていたが。いつの頃からか訪れることがなくなった、理由は思い出せず。人間だってそんなことがある、気が付けばあの人とは疎遠になっていたりして。久しぶり訪れて見ると、数えきれないくらい訪れているのに無機質な知らない街のようになった。だいたい右の伊勢丹の駐車場が嫌いである、運転下手とかでなく立体...
新潟市中央区三和町の三社神社境内にある御神輿。8月末に秋季大祭には神輿巡行、冬は終わったとは云えこの時はまだまだ寒い、そして開催される夏、枝豆を食べながらビールをぐびーとやってる自分を思い浮かべた。万代東港線十字路、万代シティの大階段、実に久しぶりの撮影。以前はこんなペインティングはなかったし、階段の向こうには万代タワーが見えた、なくなってから訪れているのだろうが、いつだったか記憶になく、私の頭の...
胎内市笹口浜、村上市岩ケ崎なのど撮りまわり帰途、もう一か所くらい寄ってみるかと運転中に思いついたのは、日が延びたからだろう。冬場なら空は暗くなっている、ましてどんよりした雲の多いような日は尚更。とは云え、ここ浜辺は想定よりも風が強く、冷たく”これが冬の海だぜ。”と荒々しい波を眺めていた。もっと浜辺から離れて広角で撮りたかったが、そのど真ん中に軽自動車がとまっていた、車内をのぞくとバアサンが一人、それ...
フェンスのすぐ下にはJR羽越本線の下り線が走る、電車、貨物でも通ってくれたらなあと思うが来なかった、もっとも下調べしてないのも悪いが突然やってきてタイミング良く通るのはローカル線ではちょっと無理だった。そんな鉄道のタイミングよりも私個人としてはこんな光景に出会えたら、撮れたら大満足、到着したばかりなのにシャッターを切っての手ごたえで、今日の撮れ高、ノルマは達成したような気持ちなった。だけども、冬場あ...
素通りしようかと思ったが、村上市海府ふれあい広場の公園に寄った、まさかと思っとが、この光景にまた出会った。離れているので問題はないけれど、見方によるとおっかないブランコである。もっともこんな時は冷たい風が海から吹いてくるので遊んでいるような子供はいないと思うのだが、”子供は風の子”って言葉があるからなあ。でも大人だってカメラ持ってたら風の子だった。北の海へとご帰還中のカモメ、色の違うのは幼鳥なのだろ...
春を待つかのように荒れる海の村上市柏尾海水浴場、そして沖には粟島。果たして現役なのかシャワー室と更衣室だけど、この時期にどこでも駐車可能なのだけど夏場になると車を停られるスペースは1回1000円の有料駐車になる、個人としてオフシーズンのどこでも駐車可を知っているので、1回1000円は抵抗感ありありである。そんな柏尾海水浴場だけど、光景が変わった。コロナ以前は5月のオフシーズンでは人がいなかったけど...
白波立つ光景にやっぱり海はこうでなくてはと思う。毎年もっともっと大荒れの時に訪れては防波堤にぶち当たり20mくらいは舞い上がる波を撮っていたけど、なんなんだろう、コロナの自粛と、その時事情から撮らずにいると出掛けるのは”どうでも良くなった。”これもコロナ病である。この日天候は雲が厚くて良くなかったが、これではいけないと車を走らせた。そしてこんな光景を目の当たりすると”出掛けて良かった。”と思った。いつ...
まだDVDとかでなくレーザーディスクの時代、開高健の「河は眠らない」を持っていて何度も何度見た、同時に自分は釣りにハマっていった。その時「河は眠らない」の中で雲間から光が斜めに降り注ぐ景色をさしてあれは”レンブラント光線”とまたは”天使の階段”云った。それまで見て光に名前があったなんて、それもあの画家レンブラントの絵画の特徴から”レンブラント光線”って云うのかと、釣りの内容なのに「へえ。」と無知な私は感心...
プロレスに「金網デスマッチ」と云うのがあるが、私は前に見える光景の金網が邪魔だなと思いながら、金網とデスマッチした。”あれ以前はこんな電線があったか?”と2本だが3本だったような。今しか撮れない光景、春、夏になったら前の木は葉っぱが茂って向こうが見えなくなる。そんな理由もあって、波の荒い冬場に訪れている私である。この坂を下るとトンネルがある、天井の低いトンネルと、それよりも高いトンネルがふたつ。低い...
「俺だけの場所」と云うのがある、ひょっとしたら有史上というか、地球誕生してカメラを向けたのが「俺が初めて」ではなかろうかとそんな場所が自分にはいくつもある。ただ、それがプロの写真家が撮って有名になり撮影スポットになるような場所かは別として、それは自分の「お気に入りの場所」だ。車運転中は海が良く見ているはずだけど、カメラ向けている私の脇をブンブンと通り過ぎていくのだが、時折気になる海の景色だけど先を...
雪のちらつく村上市岩ケ崎。村上市国道345号線岩ケ崎で雪がちらつく間、良いじゃね、良いんじゃね。今度はいつ来るかわからない、その時は雪の季節ではないはずそう思うと、とちらつく雪がやまないこと祈りつつ「いまでしょう。」とここか、ここかと歩きまわった。この注意看板に恐怖するも何度も何度も訪れているが熊なんて見たことがないが、「熊出没注意」にひょっとしてと毎度のように車から離れないようにしている、ビビり...
海辺に降る雪を撮りに訪れた訳でないが、ちょうど雪が降ってきた、いやちらつくってやつだろう。上空を見ると何かが降ってきた。そんな感じの雪のちらつく瞬間だった。今冬のシーズン、雪降る光景を撮ったが、雪っていっても積もる事ない、寒くもない、春に向かっている冬の一場面だった。時折変なことを思うだが、眺めているとこんな雪粒はどれくらいの数が降るのだあろうかと、下世話の私にはこれが福沢諭吉で、「俺の懐に入った...
弥彦神社の絵馬殿の雪、いつもこれくらいの雪だったら私は雪は嫌いなってないと思う、しかし大概が雪が解けたのにある場所に行ってみるとそこに雪を発見すると「雪じゃん。」と愛おしく感じてくるのである。弥彦神社の境内の雪、雪が積もって白い光景になるよりも自分としてはこちらの方が常緑樹の緑がキレイに見えて、またその雪は心に余裕を持って眺められる。残雪というイメージ、と云うことは冬の雪は峠を越えた思うだが、その...
私はどうもこんな地元しかしらないようなある意味で秘密の階段・迷路が好きである。発見と歩くことでその地元住民になったような気分になるから。新津屋小路、毎度ここは車の通りが比較的ないので、仕事でもプライベートでも抜け道として利用していた。西堀通善導寺、初めて本堂の扉まで近づて「はて?」と驚いた扉には葵の御門、本山は京都知恩院であり、その知恩院は徳川家康が知恩院を菩提所と定めた寺院。なので系列の寺院も葵...
新潟市北区雪積もる島見浜を運転中、普段はただの砂山だけど雪が積もり詫び寂のような美しさだった。雪はあんまり好きではないけどこんな光景なら”あり”だと思える光景である。雪の上に足跡もない、未開の土地のようで”これを見つけたのは俺だ!”とコロンブスのアメリカ大陸発見のような気分。初夏から秋までは雑草でうざったい光景も、雪上に痩せたような雑草が生えてるような、”これもありだな。”と腰をかがめてカメラを構える。...
冬場は家の周囲、郊外へ出るとそれなりの雪があり、うんざりしてくる頃、それでも浜辺は比較的雪はないので、あえて春を先取りするように雪のまったくない浜辺に行くのが私の冬のパターンでもある、避暑地ならぬ”避雪地”である。家の周りに雪があっても、ここらを訪れると”ここはどこ?”から徐々に感覚が雪のない光景に慣れてくると、家へと帰る頃に雪を見ると夢から覚めたような気持ちなるのである。雪のある日常からこんな所に、...