2025年7月10日 「今日まで投票用紙が届かなければ、返信しても間に合わないかも知れない」と思うと気が重かった昨日、午前中の日本語オンライン授業を終えて台所に行くと、おーー!茶色い大きな封筒がテーブルの上に置かれてあった。待ち焦がれていた投票用紙だ。正午まで家にいた夫が受け取ったようだ。即、封を切りゆっくりテーブルに着いて、気持ちを落ち着け、比例と選挙区の票に記入した。比例には、わたしの思いの一...
日本語教育メモや帰国子女大学受験体験記も含め、日々の生活を通してポルトガルの魅力を綴っています。
ポルトガルに40年在住しています。二人の子どものトライリンガル教育も終了し、現在はポルトで日本語を教えています。ポルトガル人の夫と5匹の猫と暮らしています。
2025年7月
2025年7月10日 「今日まで投票用紙が届かなければ、返信しても間に合わないかも知れない」と思うと気が重かった昨日、午前中の日本語オンライン授業を終えて台所に行くと、おーー!茶色い大きな封筒がテーブルの上に置かれてあった。待ち焦がれていた投票用紙だ。正午まで家にいた夫が受け取ったようだ。即、封を切りゆっくりテーブルに着いて、気持ちを落ち着け、比例と選挙区の票に記入した。比例には、わたしの思いの一...
2025年7月7日 在外郵便投票は厄介なのだ。選挙がある!と耳にするなりすぐ、登録先の選挙管理委員会宛てに座に害選挙人証カードと同封して、投票用紙を請求する。その用紙をカードと共に返送してもらい、投票用紙に記入してもう一度送り返すことになる。ゆうに3週間以上を要する。その時の郵便事情によっては、投票用紙が間に合わないことがある。わたしの場合、それが度重なり、郵便投票はもう止めだ、と一度リスボンの大...
2025年7月5日先頃、石破首相が外国人受け入れ対策の一環として、「しちめんどうくさい日本語、習慣を日本政府の負担によってでも習得してもらい、適法な人に入ってもらう」と発言して、あちらこちらから非難を浴びてしまった。ご本人は、日ごろ思っていることをうっかり口をすべらしてしまったのだろう。それを聞いて「なんじゃ、この人。一国の首相が自国の言語習慣をこんな風に言うものか?」と眉をひそめた次第である。こ...
2025年7月2日 我が人生は今年の秋で78年、さすが時に故障して昨日の様に丸一日寝込むことがある。今日は孫娘ソラ坊の誕生日、彼女は人生5年である。ソラ坊よ、5歳のおたんじょうび、おめでとう!いつの日にか、この祖母の生き様を知りたいがためと拙ブログを見つけることがあろうか。うふふふ。それが楽しみなのである。彼女はひらがなカタカナが読めるので、プレゼントとともに、初めてちょっと大人っぽい封筒と便箋を...
2025年7月1日 ポルトガル南部のアレンテージュ地方は昨日46.6度を記録した。わたしには想像できない気温だ。先週末あたりから一気に高温度が続き、例年のごとくあちらこちらで森林火災が始まった。こうして毎年どれほどの森林が失われていることだろうか。これは自然破壊に直結するのだが、この国に打つ手立てはないのだろうか。ポルトは30度少しで済んだが、昨日は夫の77回目の誕生日だったので、晩御飯のメニューに少...
2025年7月
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2025年7月10日 「今日まで投票用紙が届かなければ、返信しても間に合わないかも知れない」と思うと気が重かった昨日、午前中の日本語オンライン授業を終えて台所に行くと、おーー!茶色い大きな封筒がテーブルの上に置かれてあった。待ち焦がれていた投票用紙だ。正午まで家にいた夫が受け取ったようだ。即、封を切りゆっくりテーブルに着いて、気持ちを落ち着け、比例と選挙区の票に記入した。比例には、わたしの思いの一...
2025年7月7日 在外郵便投票は厄介なのだ。選挙がある!と耳にするなりすぐ、登録先の選挙管理委員会宛てに座に害選挙人証カードと同封して、投票用紙を請求する。その用紙をカードと共に返送してもらい、投票用紙に記入してもう一度送り返すことになる。ゆうに3週間以上を要する。その時の郵便事情によっては、投票用紙が間に合わないことがある。わたしの場合、それが度重なり、郵便投票はもう止めだ、と一度リスボンの大...
2025年7月5日先頃、石破首相が外国人受け入れ対策の一環として、「しちめんどうくさい日本語、習慣を日本政府の負担によってでも習得してもらい、適法な人に入ってもらう」と発言して、あちらこちらから非難を浴びてしまった。ご本人は、日ごろ思っていることをうっかり口をすべらしてしまったのだろう。それを聞いて「なんじゃ、この人。一国の首相が自国の言語習慣をこんな風に言うものか?」と眉をひそめた次第である。こ...
2025年7月2日 我が人生は今年の秋で78年、さすが時に故障して昨日の様に丸一日寝込むことがある。今日は孫娘ソラ坊の誕生日、彼女は人生5年である。ソラ坊よ、5歳のおたんじょうび、おめでとう!いつの日にか、この祖母の生き様を知りたいがためと拙ブログを見つけることがあろうか。うふふふ。それが楽しみなのである。彼女はひらがなカタカナが読めるので、プレゼントとともに、初めてちょっと大人っぽい封筒と便箋を...
2025年7月1日 ポルトガル南部のアレンテージュ地方は昨日46.6度を記録した。わたしには想像できない気温だ。先週末あたりから一気に高温度が続き、例年のごとくあちらこちらで森林火災が始まった。こうして毎年どれほどの森林が失われていることだろうか。これは自然破壊に直結するのだが、この国に打つ手立てはないのだろうか。ポルトは30度少しで済んだが、昨日は夫の77回目の誕生日だったので、晩御飯のメニューに少...
2025年6月26日 日本で車を運転したことはないが、40年ほどポルトガルで運転している。 しかし、自慢じないが車のことはあまり知らない。パンクでもしたら、工具を持っていても力がないのでタイヤ交換もできないという情けないありまさだ。そんなわたしだが、ポルトで時に見かけるクラシックアメ車は、わたしの目にキラキラ輝いて美しく映る。GM社のキャデラック1959年Coupe deVilleだそうだ。(deVilleは仏語で「町の」...
2025年6月20日 今年もサン・ジュアン祭が近づいてきた。すぐ側にある学校はもう夏休みに入り、通りは静かなものである。この時期になると、自らをデジカメ一人探検と呼んでポルトの街を出歩いては、街の歴史の跡を探し回ったことを思い出す。シントラにあるQuinta da Regaleiraの謎解きに夢中になり、それについての分厚い本を読みたいがため、在住20年以上も経って初めて週に一度、先生についてポルトガル語学習に取り...
2025年6月17日 今日はああだったこうだったと、海外にいて自分はのんびり拙いブログを綴っておっていいのだろうかとこのところ思う。エラそうに聞こえるだろうが、それでなかなか筆が進まない昨今である。さて、少なくとも日本人の3人に1人は利用していると言われるSocial Networking ServiceことSNS、専ら読み専門であるが、わたしも利用者の一人だ。新聞のWebサイトでは有料でないと読めない記事もあるし、新聞に掲載...
2025年6月15日 1979年にポルトガルへ渡って来る前は、10年少しを大阪で過ごした。アメリカへ留学を夢見て高卒後も好きな英語は雑誌を読んだり同じ映画を繰り返し見たりして独学していた。都会での一人暮らしでは留学資金はなかなか貯まらなかったものだ。今はどうかしらないが、当時は大学留学資金として自分の銀行口座に最低300万円ほどあるという証明をしなければ学生ビザは下りなかった。そこで、一念発起し...
2025年6月8日 日本語教材として一緒に読んでくれないかと、友人であり日本語学習者でもあるマリアさんから、作家乙一氏の短編集「失はれる物語」に含まれる「Calling You」を提案され、共に読み始めたのは2023年9月だった。拙ブログ、下記にあげてある。https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-2810.html 「Calling You」は56ページの、今どき珍らしい携帯電話を持たない孤独な女子高生の主人公が想像...
2025年5月30日 老化を防ぐには歩くだけではダメだという意見もあるが、そんなことを言われても四六時中老化防止対策ができるわけではないし、堪忍してよ、がわたしの本心だ。三日坊主に終わらず、今日は面倒だなと多少思っても「よっこらしょ」と腰を上げて続けられるのが一番いい。要は元来が怠け者なのかな(笑)今日はわたしのウォーキングコースをご案内したい。朝起きると飼い猫のフジオ君にエサをあげ、窓を開け放し...
2025年5月29日 90歳を越して未だ現役で働いている人が日本にいると知り、感嘆している。かなりのご高齢でも現役だったとわたしが知った最初のは、医師の日野原重明さんだった。東京の聖路加国際病院で105歳まで働き、107歳で亡くなられている。1911年生まれの日野原先生は、若い人は知らないかもしれないが、1970年に北朝鮮に亡命した日本赤軍グループによる「よど号ハイジャック事件」にも遭っている。一...
2025年5月24日 金土日は、日本語授業が朝と夕方の二クラスなのだが、つい力んでしまうタチなもので、一クラスが終るとグッタリ疲れるのである。それで、土日の昼食は夫と外食するのがここ数年の慣わしになっている。正直言うと、自分一人なら、昼食はおにぎりとか簡単に手巻き寿司とか前日の夕飯の残り物とか、ありあわせの物で適当に済ませるのだが、夫がいるとそうも行かない。外食は、毎度手ごろな値段で味もいい近くの...
2025年5月20日 1979年5月19日午後、ポルトの空港に降り立ったわたしは、今日から在住47年目に入る。ポルトガルに来るにあたっては知人たちが「なぁに、アメリカから半年で帰って来たし、みんな心配するな。じき、またここに戻って歌うよ」と言っていたのだそうだ。あのね、アメリカ留学を半年で切り上げて帰国したのにはちゃんとそれなりの理由があったんであるよ。アリゾナに残るか帰国して彼(現夫のことであ~...
2025年5月19日さて、自分用のメモ、昨日の続きです。「いろは」歌にどんな暗号文書が隠されているかというと、歌を7文字ずつに並べて読み始め文字と読み終え文字をつないだり、上から斜め読み、下から斜め読みする。さすれば、下記のごとくなる。いろはにほへとちりぬるおわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑいもせすいちよらや ヘブライ語で「最高のヤハウエ(ヤハウエ=全能の神)...
2025年5月17日 日本語を教えるのがきっかけで、時に面白いことに出会ったりする。わたしの授業はオンラインだ。昨日金曜日は夕方6時過ぎから教えるグループ授業があった。1年生クラスを除いては、数人が時間に遅れて入ってきたりする生徒を無駄に待つことを避けるため、授業の始めは習っている課のビデオを見てもらうか、文法復習と聞き取り練習のためにと、既に習った課のヒアリングをする。ヒアリングは質問が日本語で...
2025年5月15日 イベリア半島全体に及んだ4月28日の大停電は、まだ大して日も経っていないので覚えている方も多いだろう。送電網が故障の原因だと言われているが、実際に何が起きたかについてはいかなる仮説も否定できないとスペインのサンチェス大統領は語っている。また、イベリア半島が孤立しないように、フランスなどの欧州諸国との電力相互接続を増やすことを優先すべきだとの意見も出ている。以前から言われていた...
2025年5月12日 我がフラット、しばらく前からこんな状態なのである。ベランダも含むコンドミニアムの建物表面が長方形の小さいタイルでおおわれているのだが、このタイルの一部が大分前から路上に剥がれ落ちているようなのだ。時に我が家のベランダにも上階からなにやらコーンと落ちた音がすると思いきや、タイルの欠片が見つかったりしていたので、夫に伝えてあった。コンドミニアムの会議でそれが話し合われ、やっと工事...
2025年5月10日 5月10日はモイケル娘の誕生日だ。わたしが彼女を産んだ年齢と同じ年齢になった。日本での大学生時代から数えると20年が経ち、こう言うのもなんだが、不思議な気がする。彼女がわたしたち夫婦と暮らした18年の月日を知らず知らずのうちに越していたではないか。18才以降の娘の実生活はたいして知らないということにもなる。わたしも18才には故郷を出て数カ月東京で住み込みのお手伝いさんまがいの...
2025年5月9日今朝は、とある文芸評論家の「海辺の墓地」とつぶやいているのをたまたま目にして、あっ!この方、もしかするとバレリーの詩をも意味しているのかな?と、久しく忘れていた「風立ちぬ、いざ生きめやも」を思い出した。今日は下にその記事をひっぱりだして載せたい。以下。2021年某月某日「風立ちぬ、いざ生きめやも」は、1996年に放映されたとある向田邦子ドラマ劇場シリーズのひとつ、「風たちぬ」のラ...
2024年7月11日 このところ寝不足が続いている。この秋には19歳になる老猫のゴローが気になり夜中に1、2度起きるからだ。ゴローの小さな鳴き声で起こされることも度々ある。甘えん坊のネコなのでか弱い鳴き声で呼んでいるのだと思うとガバと起き上がらずにはいられない。獣医に連れて行った3週間ほど前から、これまで寝床にしていたカゴに見向きもしなくなり、モイケル娘の部屋のソファベッドの上で寝るようになった。ソ...
2024年7月5日 今でこそその回数が減ったものの、何べん鍋やらヤカンやらを焦がしとるねん、と、その都度がっくり頭(こうべ)うなだれ我ながら情けなく思うことが度々ありました。ながら族はもうできない状態に自分がなってきたと我は見たのでありました。フラットのドアを開けるなり夫が、「またBispo(ビスポ)やったな」と申されます。ちょっと「Bispo」について説明を加えますと、Bispoは「司教」と言う意味ですが、...
2024年7月2日 今日は孫娘、ソラ坊の誕生日です。2020年コロナ禍真っ最中に生まれ、婿殿の面会もままならなかったようでした。あれやこれやと心配してLamegoにあるノッサ・セニョーラ・ドス・ルメーディオ聖地まで願掛けに行ったものです。毎日絶やさなかったコーヒーをその時は一か月断ちました。以下にその訳を書いています。2020年7月16日我がモイケル娘の「いいよ」との許可を得て、これまでは拙ブログの最後...
2024年7月1日 表題、「のんびりしようなんて考えはダメだというこが90歳を過ぎてよくわかりました」とは、作家佐藤愛子さんの言葉だ。現在100歳の佐藤愛子氏が、作品「九十歳。何がめでたい」の本の中で書いている。その本をわたしは2か月の滞在を終えて5月に日本からポルトへ向かう機内で読んだ。聞けばこの本は映画化されたようだ。 本を読み進めながら、いやいや、わたしもそうでした、そうですと妙に納得する箇所が...
2024年6月27日まだ携帯電話をあまり活用しておらず、他から固定電話に連絡が入っていた頃の話だ。ドアを開けて家に入るなり電話の呼び出しが鳴り、受話器をとる。出るなり、こちらがハイも何も言う前に、「あんたはいったいどこのどういう人なの!」と中年女性の声が言う。「ほぇ?」「あ、あの、どこのどういう人って、そっちこそどこの誰だ?」その剣幕に気おされて、思わずどもっっちゃったわたしだ。「何度もうちに電話...
2024年6月25日 偶然、ネット上の記事で今年4月に星野富弘さんが亡くなられていたことを知った。星富弘さんは詩人・画家であった20代に体育教師になった彼はその2か月後に学校のクラブ活動の指導中にあやまって頸椎を損傷し、手足の自由を失ったと言う。9年間に及ぶ病院生活中、心の葛藤を超えてキリスト教の洗礼を受ける。「もしかしたら、失うと言うことと、与えられるということは、隣同士なのかも知れません」と書...
2024年6月24日 春の日本帰国時の話。娘家族と初めて回転寿司に行ったのだが、もうひとつ、メニューを見て「ひゃ~、なんでこんなに安いの!」と驚いてしまったサイゼリアなる食事処に入ったのだ。選んで入ったのでわけではなく他の選択技がなくて、昼食時、お腹もすいていたし、モイケル娘、孫のソラ坊もいっしょだったし、日本語教室の生徒でT大学に研究留学しているカタリナさん、それに東京息子と、わたしも数えると5...
2024年6月23日 ポルトガルの夏は日没が遅い。夜10時ころまで明るいので洗濯もその時間までかけてある家もある。わたしなどは盛夏は乾燥気候のポルトガルのこと、日中干すと洗濯物がカパカパになるので夜間干して朝取り入れることにしている。 さて、そんなポルトで年に一度、雨がふっていたら別だが、今日のように朝から真っ青な澄み切った空であるに関わらず、洗濯物が干せない日がある。それが、サン・ジュアン前...
2024年6月21日ケータイに我が日本語生徒兼友だちのマリアさんから電話が入った。あれ? いつもなら固定電話にしてくるのに珍しいなと思いながら応答するといきなり、「Yuko!I got Covid!」と言うではないか。えーー!彼女との授業はオンラインでしているので通常だとお互いがコロナ感染していてもしんどかったらレッスンをキャンセルするだけで済むのだが、先日ブログにも書いたように、わたしが彼女のお孫さんにあげる...
2024年6月20日古い話で恐縮ではあるが、Porto Japan Weekのコーディネーターの話が飛び込んで来た2010年初め。なんとか引き受けてくれ、ポルトに他に誰かいますか?との日本の主催者側の言葉に、ついつい引き受けてしまった。やむなく1年近くの準備期間と1週間のイヴェントJapan Weekを仕切ったことがある。あれはほんとにキツイ仕事だった。20年以上してきた補習校講師を退いた年だったからできたことだと思って...
2024年6月18日台所で夕飯を作っている妹の背中に声をかける。「ねね、桑田くんて覚えがある?城西小学校の」とわたし。妹からの返答が「え~っと、覚えてるよ。桑田ゆたかくん」いやはや参りました!恐れ入り谷の鬼子母神!姉妹二人がフルネームで記憶している桑田くんは、妹の記憶によると、多分となりの席に座っていて親切な子だったらしいのだ。彼女は担任だった下村先生の名前まで憶えている。就学前の妹1人を誰もいな...
2024年6月17日夕方6時からの同窓会会場へ一人で行けるよと言ってあったが、友人のM子とタコ君が車でホテルに迎えに来てくれた。こうやってわたしを甘やかすのであ~る(笑)土手町はかくみ小路の「よしじん」の2階貸し切りのホールが会場だった。「よしじん」は同窓生の子息が開いている店だと聞く。その同窓生もわたしとは卒業後、今回初めて会うことになる。ほぼ60年ぶりなのであった。6年ぶりに帰ったわたしをダシに飲...
2024年6月16日この春の帰国で、故郷弘前へ行って来た。毎年春になると、弘前公園の桜に深い思いが湧き、もう一度あの美しい公園の桜を見たい、できるものなら満開を過ぎ春風に運ばれて散りゆくさまを目にしたいと恋焦がれて何度かその時期を狙って訪れたが、散りゆくさまどころか開花した桜すらもついに目にすることはなかった。さくら祭りの時期は宿泊施設も値段が上がり、1年くらいも前から予約を入れないと空室がないよ...
2024年6月12日 断捨離の一環として、自分の着物の処分を始めた。亡き母が用意してくれた薄いサーモンピンクの訪問着は、長襦袢、肌襦袢、裾除け、帯、紐類、足袋、帯揚げ、果ては草履まで一式そろえて我がモイケル娘にと、今回の帰国に持って行った。モイケルが「部屋の中はソラのものがいっぱいで仕舞っておくところがない」と言うので、スペースができる住まいに引っ越しするまで、所沢の妹宅でいったん預かってもらうこ...
2024年6月10日サン・ベント駅とRouleiro通りの間のスペースに入ると目の前に現れるのがポルトのTime Out Marketだ。 正面の塔はポルトにある貯水タンクをモチーフにしたドウロワインとポルトワイン専用の特別なスペース。Sala de Prova(テイスティングルーム?)と呼ばれ、ここではイベントも行われるそうだ。 Wikipediaより Sala de Provaからはポルトダウンタウンを見下ろすことができる。さて、肝心のTime Out Market...
2024年6月8日 ポルトにできた「Time Out Market」へ行って来た。案内する前に、はて?Time Out Marketとはなんぞや?とその言葉に初耳のわたしである。このところ、世間には耳目を閉じて、ひたすら日本語授業に取り組んできたので、すっかり世の中の動きに疎くなっていた。疎くても生きて行けないわけではないのだが、これはちょっとまずいかも、と反省し授業準備の合間を見て少し調べてみた。Time Out はロンドンで196...
2024年6月6日 コロナ禍以後、街へは出なくなったわ、かつては借り教室でしていた日本語教室もオンライン教室にするわで、外出の機会激減し、外界の情報にすっかり疎くなっていたここ数年のわたしでした。 ポルト、ダウンタウンにあるサン・ベント駅。駅に立つとどこか行きたくなるなぁ。家を出るのは週に2,3回の車での食糧買い出し。土日は日本語教室があるため、昼食は基本外食です。土曜日は近所の行きつけのレストラ...
2024年6月4日ポルトガルのこの季節には是非案内しておきたい町がある。本日はその町の一つ、わたしも何度も訪れているオビドスの案内です。以下。リスボンから北へ向かうこと80キロにあるオビドスは「谷間の真珠」と呼ばれる中世の城壁に囲まれた人口12000人ほどの小さな町だ。5月から秋にかけては、真っ青な空と白壁の家並みにブーゲンビリアの花々が映え、訪れる人は鮮やかさに目を奪われること請け合いだ。ポルトガルで...
2024年6月3日 昨年秋に受けた眼科と甲状腺の検査だが、手術に急を要することはないと自己判断、2年ぶりの日本帰国を控えていたのでポルトに帰って来てからにしようと後に回しのですが、両方とも再度検査を行って、本日その結果が出ました。白内障については、ドライアイの目薬をしばらく使うのと、半年後に再診察を受けることになったので、今回手術は免れました!甲状腺腫瘍の方は、今朝、エコ検査をしてきたのですが、検...
2024年6月2日 2か月の日本滞在中に所沢の妹宅で和菓子とともに何度も出された「茶カテキン」。気に入って数袋ポルトに持ち帰った。お互いにもうお土産云々は止めよう、自分で買うと言うわたしに、あちこちで売っていないからと本人がよく行く店で買って来て、これくらいは土産に持って行けと妹が持たせてくれたのだ。見た感じが抹茶と似ているが、違うと言う。抹茶とこの粉末茶は原料になる茶葉が別だそうだ。実は、わたし...