2025年5月20日 1979年5月19日午後、ポルトの空港に降り立ったわたしは、今日から在住47年目に入る。ポルトガルに来るにあたっては知人たちが「なぁに、アメリカから半年で帰って来たし、みんな心配するな。じき、またここに戻って歌うよ」と言っていたのだそうだ。あのね、アメリカ留学を半年で切り上げて帰国したのにはちゃんとそれなりの理由があったんであるよ。アリゾナに残るか帰国して彼(現夫のことであ~...
日本語教育メモや帰国子女大学受験体験記も含め、日々の生活を通してポルトガルの魅力を綴っています。
ポルトガルに40年在住しています。二人の子どものトライリンガル教育も終了し、現在はポルトで日本語を教えています。ポルトガル人の夫と5匹の猫と暮らしています。
2025年1月28日 いい音楽は、心を豊かにしてくれる。子供達が幼い頃から、家中に音楽を流しながら立ち仕事座り仕事をよくしたものだ。岩崎宏美の日本愛唱歌、ジョン・デンバー、キャッツ・スティーブン、パバロッティ、ショパン、モーツアルト、ユーミン、研ナオコ、エディット・ピアフ、ムスタキ、トム・ウェイツ、高橋真梨子等等、ジャンル、洋の東西を問わず好きな音楽は何度でも聴く。家中が音楽で溢れていると、何故だ...
2025年1月5日 「世の中にはすぐ分かるものと、すぐに分からないものの二種類がある」とは、森下典子氏が著書「日日是好日 」で主人公をして言わしめている言葉です。すぐにわからないものは、何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわと分かりだし、「別物」に代わって行く。分かる度に、自分がみていたのは、全体の中の本の断片に過ぎなかったことに気づく、と続けています。わたしが今感じているこ...
2025年1月24日 16世紀につくられたRua das Floresはかつてポルトで最もにぎわった界隈だと言われる。当時建設されたIgreja da Misercórdia(ミゼルコルルディア教会)や古い屋敷、店などがぎっしりと並んで今も残り、往時の姿をかろうじて留めている。下がミゼルコルルディア教会。元はゴチック、ルネサンススタイルで16世紀に建てられたのだが、17世紀初期に落雷を受けてファサードが破壊。18世紀になってからイタリア...
2025年1月21日 通常は近くにある行きつけのレストランで昼食をとる授業後の土曜日だが、先週は天気もいいことだし、久しぶりにダウンタウンの「O Buraco」へ行こうかと夫の提案。夕方の授業までに少し時間があることだし、ずっと気になっていながら、なかなか見に行く機会がないまま数年がたってしまったRua das Flores(花通りの意味)にも寄ってみたい、と言うので、出かけてきた。レストラン「O Buraco(穴の意味)」は...
2025年1月20日 2月下旬にやって来る我がモイケル娘と孫のソラ坊だが、まだまだ先だと言っていると、その日はあっという間に来ると思うので、しばらく前からソラ坊を喜ばせるための準備をしているばぁばである。 先日は車庫へ行って、かつて子供たちに読んであげた日本語の絵本を棚から降ろして、湿気臭い匂いをとるため日に当てた。絵が古そうだし、今どきの子供はどんな反応を示すかな?幼児向けの英語の本も取ってあ...
2025年1月15日 呼び出し音が鳴り、ケータイ画面に見知らぬ電話番号が表示されていた。そういう時は応答しない。放っておいたら再度ケータイが鳴ったが、やはり知らない番号なので無視した昨日のこと。今度は、「アルフレッドの息子です。少しお話したいので、そちらから電話いただけないでしょうか」とポルトガル語でメッセージが入った。え、アルフレッドさん?我が日本語塾で92歳の最高齢者なのだが、クリスマス前にご...
2025年1月10日 子供の頃から観てきた映画は数知れず。わたしの小学生時代は今のようにテレビなどほとんどない時代でした。小学校の講堂を利用して映画教室(わたしたちはこれを「幻灯」と呼んだりもした)が、時々催されました。椅子などには座らず、そのまま床に地べた座りです。スクリーン代わりに講堂の壇上に大きな幕が張られ、私達のすぐ後ろでは映写機が裸のままジ~ッと回るのです。そうして観た映画は数々。「綴り...
2025年1月9日 冬のポルト、ドン・ルイス一世橋今週はずっと雨天が続くと天気予報。こういう鬱陶しい日やプンプンして気持ちがささくれだちそうな日は、子供たちが日本へ行った最初の頃に聞かされた数々の面白話を再読することです。年月をさかのぼり笑っているうちに嫌な気分も少しは失せるという訳でして。以下。東京息子と我がモイケル娘が、二人して都会で肩を寄せ合い千葉のアパート暮らしを始めた頃の事。初給料なるも...
2025年1月8日先日、ご案内しますと書いたポルト、ダウンタウンのブリャォン市場についてです。まずは名前の由来です。かつてこの当たりは川が流れる広大湿地帯で、水の泡(bolha de águaができていたことから、人々から「ボリャォン(Bolhão)と呼ばれ始めまた。市のプロジェクトで1914年に、地階を入れた3階立ての後期ネオクラシックスタイルの建物を構える市場として完成しました。四つの通りに面しており、入り口も各...
2025年1月7日 新年の挨拶で故郷弘前の友人からLINEにメッセージが入った。一緒に送付された写真を見て、うわ!凄い雪だ!ま、ま、真っ白だ!雪だから真っ白なのは当たり前なのだが、その量に驚いている。ニュースを見れば、4日に降り積もった114㎝の雪、1月としては1982年以来の最高記録なのだとか。 かれこれ半世紀以上も弘前の冬を目にしていないわたしだが、この様子を見て、自分が住んでいた頃は毎年こんな感じだ...
2025年1月4日明けましておめでとうございます。拙ブログを読んでいただいている皆様、今年度も宜しくお願いいたします。日本に目を向けると不安になるニュースばかりが目についてしまいますが、我が子たち、孫、妹家族、また知人友人たちが住む我が母国、どうか良い1年になりますようにと願うばかりです。さて、昨日はかつての補習校同僚で、現在は日本に住むI氏とOちゃん3人で、I氏の一時ポルト帰国を機に、ダウンタウンの...
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2025年5月20日 1979年5月19日午後、ポルトの空港に降り立ったわたしは、今日から在住47年目に入る。ポルトガルに来るにあたっては知人たちが「なぁに、アメリカから半年で帰って来たし、みんな心配するな。じき、またここに戻って歌うよ」と言っていたのだそうだ。あのね、アメリカ留学を半年で切り上げて帰国したのにはちゃんとそれなりの理由があったんであるよ。アリゾナに残るか帰国して彼(現夫のことであ~...
2025年5月19日さて、自分用のメモ、昨日の続きです。「いろは」歌にどんな暗号文書が隠されているかというと、歌を7文字ずつに並べて読み始め文字と読み終え文字をつないだり、上から斜め読み、下から斜め読みする。さすれば、下記のごとくなる。いろはにほへとちりぬるおわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑいもせすいちよらや ヘブライ語で「最高のヤハウエ(ヤハウエ=全能の神)...
2025年5月17日 日本語を教えるのがきっかけで、時に面白いことに出会ったりする。わたしの授業はオンラインだ。昨日金曜日は夕方6時過ぎから教えるグループ授業があった。1年生クラスを除いては、数人が時間に遅れて入ってきたりする生徒を無駄に待つことを避けるため、授業の始めは習っている課のビデオを見てもらうか、文法復習と聞き取り練習のためにと、既に習った課のヒアリングをする。ヒアリングは質問が日本語で...
2025年5月15日 イベリア半島全体に及んだ4月28日の大停電は、まだ大して日も経っていないので覚えている方も多いだろう。送電網が故障の原因だと言われているが、実際に何が起きたかについてはいかなる仮説も否定できないとスペインのサンチェス大統領は語っている。また、イベリア半島が孤立しないように、フランスなどの欧州諸国との電力相互接続を増やすことを優先すべきだとの意見も出ている。以前から言われていた...
2025年5月12日 我がフラット、しばらく前からこんな状態なのである。ベランダも含むコンドミニアムの建物表面が長方形の小さいタイルでおおわれているのだが、このタイルの一部が大分前から路上に剥がれ落ちているようなのだ。時に我が家のベランダにも上階からなにやらコーンと落ちた音がすると思いきや、タイルの欠片が見つかったりしていたので、夫に伝えてあった。コンドミニアムの会議でそれが話し合われ、やっと工事...
2025年5月10日 5月10日はモイケル娘の誕生日だ。わたしが彼女を産んだ年齢と同じ年齢になった。日本での大学生時代から数えると20年が経ち、こう言うのもなんだが、不思議な気がする。彼女がわたしたち夫婦と暮らした18年の月日を知らず知らずのうちに越していたではないか。18才以降の娘の実生活はたいして知らないということにもなる。わたしも18才には故郷を出て数カ月東京で住み込みのお手伝いさんまがいの...
2025年5月9日今朝は、とある文芸評論家の「海辺の墓地」とつぶやいているのをたまたま目にして、あっ!この方、もしかするとバレリーの詩をも意味しているのかな?と、久しく忘れていた「風立ちぬ、いざ生きめやも」を思い出した。今日は下にその記事をひっぱりだして載せたい。以下。2021年某月某日「風立ちぬ、いざ生きめやも」は、1996年に放映されたとある向田邦子ドラマ劇場シリーズのひとつ、「風たちぬ」のラ...
2025年5月6日 今年は帰国をどうしようかなと考えている。春先に東京息子、我がモイケル娘と孫のソラ坊が揃い(婿殿が来られなかったのが残念ではあった)、親子4人が揃ったのは何年ぶりであろうか。夫はビデオ通話で顔を見てはいたが、孫との実際の顔合わせは初めてであった。事情があり夫はわたしの帰国時にいっしょに行けないのである。82歳になる夫の兄はアルツハイマー型認知症を患っており、自分のことはほとんどし...
2025年5月2日 前回書いた大停電以来、ちょこちょこ断水してるここ数日です。電気はあるんです。どこかで工事でもしているのか、それともこの間の停電に何か関係しているのか。実は今も、どれ、6時過ぎから授業があるし、今から晩御飯の準備をして置こうと台所にいって水栓開けたのですが水が出てこない。はて、このままだと晩御飯はどうなるか、ケセラセラ~♪(笑)さて、この間、話に出たワインBarca Velha tinto(赤ワイン...
2025年4月29日 水曜日から日曜日まで午前と夕方の日本語授業が入るわたしの休日は月曜日だ。その昨日、前回のワインBarca Velhaの続きを書き始めたところ、プツンと電気がなくなった。昼頃のことだ。昔のポルトガルではよくある事だったのだが、EU加入後、ポルトガルもインフラが安定して来て停電、断水はめったに起こらなくなった。起こったとしてもわずかの間で復旧されている。しばしの間だと思い、早目の昼食をするこ...
2025年4月26日 昨日4月25日はポルトガルのカーネーション無血革命で休日。ダウンタウンでは片手にカーネーションを掲げながら歩くたくさんの道行く人を見かけた。今年は革命記念51年に当たり、毎年恒例でリスボンの大統領邸では記念祭が行われるのが、ローマ法王崩御により喪に服すため、延期となったようだ。4月25日については、何度も取り上げているのでリンクを記事最後に貼り付けますので興味のある方はどぞ。...
2025年4月23日 今年も故郷弘前に桜が咲く季節になった。かつてあげた記事だが、今一度、以下に。桜への思い入れは、日本人独特のものだろう。そうして見ると、秋の紅葉や真っ白い雪の中に映える「寒椿」等にも、わたしたちは心惹かれるように思う。このような情景を思い浮かべるだけでもわたしの胸には美しき天然へのなんとも言われぬ懐かしさがこみ上げてくる。詩人、大岡信さんが京都嵯峨野に住む染色家、志村ふくみさん...
2025年4月20日 天気が荒れ模様のイースター週間である。ポルトガル語ではイースターをPascoa(パスコア)というのだが、磔刑にされて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記憶する祭りで、日本語では復活祭と言っている。昨日は聖金曜日で休日、そして日曜日の今日が2025年の復活祭にあたる。Pascoaもわたしがポルトガルに住み始めた頃に比べると様子が随分と変わった。世代交代と時代の流れだろう。かつ...
2025年4月15日 辞書で「マキアヴェッリズム」と引くと、①どんな手段でも、また、たとえ非道徳的行為であっても、結果として国家の利益を増進させるなら許されるとする考え方。イタリアの政治思想家マキャベリの思想から。②目的のためには手段を選ばないやり方。権謀術数主義。と、出てくるのだが、それなら、現在のC国がマキアヴェッリズムを地で行っているとわたしは思う。 が、塩野七生氏の「我が友、マキアヴェッリ」を...
2025年4月12日明け方、ふと目が覚めたらそのまま寝付かれなくなってしまった。5時前だったが起きて小1時間ほどパソコンでニュースを読み、帽子とケータイを持って朝のウォーキングに出た。ここ数日は気候よく、ウォーキングに持ってこいだ。 まだ4月だが、日中になると時に27、8度と気温が上がり、10時を過ぎると歩いている間に暑くなる。これからのウォーキングはやはり早朝がいい。マルメロの花(?)だと思う。歩...
2025年4月9日 2017年6月にこんなことを書いています。 我がモイケル娘に頼んで手に入れた本を、4月の帰国時に受け取って、勿論ポルトで読むつもりでしたが、期待感大きく、とうとう我慢できずに滞在先の妹宅にいた時に開きました。と、途端に「ぎょえ!」とはわたしの口から出た悲鳴。側にいた妹が「どうしたの?」と驚いて聞きます。 どしたもなにも、これ見て、と見せたのが下の画像であります。 漢字だらけでは...
2025年4月7日 ポルト旧市街の中心、サン・ベント駅から始まる長い坂道Mouzinho da Silveira通りを降り切るとドウロ川にでる。ケルト語で「水」を意味するDouro川jはポルトと隣町ガイア市の間にあり、昔から両市に繁栄をもたらして来た。特にガイア市河岸はポルトワイン社が軒を並べているので多くのツーリストが訪れる。そのガイア市河岸に2011年に開通したのがテレフェリコことゴンドラリフトだ。いキャビン8人乗り。...
2025年4月3日 我がモイケル娘が覚えているかどうか分からないが、彼女の念願でついに大学受験準備のために日本へ向かうという時、わたしがしつこく注意したことに、見知らぬ人には決して一人暮らしだの、ポルトガルに生まれ育って日本のことはよく知らないだの、両親はポルトガルに住んでいるだのと他言はするなかれ、であった。加えて、海岸を一人で歩くこともするな。色々注文を付けたうるさいおっかさんではあった。これ...
2025年3月31日 書店なのに、今では入るために入場料を払いツーリストの長蛇の列に並ばなければならず、地元の人は遠慮してしまう状態のレロ書店。ポルト散策後、一服するのによく足を運んだMajestic Caféにも言えることだが、レロ書店にも特別本を買う訳でもないのによく足を運んだものだ。わたしが訪れたのはいつも午前中だったが、店内でほとんど人に出会ったことがない。木彫りをしていたわたしは静かな店内の木彫細工...
2025年3月30日 昨年夏、しばらくの介護後、逝ってしまった老猫ゴロー君の夢を見た。多くのネコを飼って来たが、とてもおシャベリで甘えん坊のネコだった。改めて書くのは辛いところもある。故に今日は、ゴロー君の過去記事を再掲したい。2022年、まだゴロー君がなんとか元気だったころのだ。以下。宮沢賢治の「注文の多い料理店」ならず、本日は「注文の多いネコ」であります。賢治の「注文の多い料理店」は、少し恐ろ...
2024年5月24日 無性に海が見たくなった昨日、午前中の日本語授業はまだ入っていないし、後は午後4時からだったので、海岸へと車を駆った。首にスカーフを巻かないとそろそろ紫外線で車の中とは言え日焼けするので、普段着にちょいと青いスカーフを首に巻いて発進である。そうだ、海岸近くFozにある園芸センターにも足を運んで花の苗を仕込んで来よう。2か月の留守中に、ベランダに置いていた紫陽花の鉢二つのうち一つは...
2024年5月21日 19日夜のニュースはポルトガルの夜空を大きな火球が横切ったとの話題でもちきりだった。下記動画はネットで拾ったものです。5月18日夜にポルトガル北西部周辺を通過した火球は、最初は隕石だと思わたが彗星の断片だったようだ。高度122kmの上空で燃え上がり、その後秒速45kmで夜空を照らしながら流れ落ち、大西洋の上空60kmで燃え尽きたと言われる。故に隕石として地上で発見される可能性は低い...
2024年5月19日 ポルトに帰って一週間経った。機内では横になって寝たものの、そこが神経質者の哀しさ(って、どこがやねんw)、枕や寝床が変わると寝ていてもうつらうつらと熟睡できない性分である。酷い時差ボケではないが、やっと、本日それから脱出できたかという感だ。仕事である日本語教室は木曜日からフル開始している。睡魔に襲われたら寝る!ということを繰り返し、授業準備も含めて、なんとか大きなズッコケなし...
2024年5月17日 スタンダールの小説ではありませんぞ。写真の如く25年来の友人ゴッチとわたしが池袋で会った今回の我らの服装がまさにそれ。 今回の帰国時の服装は黒が基調のわたし、この上に薄い黒のロングコート、黒の靴、更に黒のグラサンで、対するゴッチ、界隈では「赤い人」で知られる全身赤の服装なのである。腕時計、カバン、パソコン、もちろん赤靴赤靴下(笑)。大阪から上京してきたゴッチと池袋東口交番前で...
204年5月15日 シャワーを浴び旅の疲れを少し落として食糧買い出しにと身支度をした昨日の朝、いざ出かける段になって強烈な眠気に襲われた。イカン!このまま車を運転するのは危ないやん!と午前中の買い出しは断念して睡眠をとることにした。この二日間、夜9時には就寝し4時5時起きだったのでさもありなん。小1時間ほど寝てハイパーマーケットまで車を走らせた。我が留守中の夫は主に外食だったので冷蔵庫はほぼ空っぽな...
2024年4月27日日本はいよいよ今日からゴールデンウィークだ。運が良ければ10日間の休暇が取れる。こういう時は外国の観光客もいるだろうからどこもかしこも人がいっぱいで、むしろ都内の方が普段より空いていることもあるのではないか。 そんなわけで、とりたてて旅行などしないことにした。モイケルや息子たちと近場を訪れたりまだ会っていない友人たちに会う予定だ。その友人の一人、かつてお互いのホームページを運営し...
2024年4月23日実は、家の中でサングラスをかけている^^;この間の日曜日に我がモイケル娘宅を訪れ、一泊して月曜日午後所沢に帰って来た。雨が降りそうだったので、駅まで送りたいと言う娘と孫、ソラ坊の申し出を断り、それではアパート下までとなり、バイバイとしばらく手を振る二人を後にして総武線の駅へ向かった。歩くこと10分ほどである。お茶の水でメトロに乗り換え池袋に着いた頃だ。モイケル娘から「もしかして、...
2024年4月18日 日曜日には我が日本語教室の長年の生徒で、昨年12月、ついに日本留学の夢を果たしたKちゃんと池袋で会った。彼女は現在T大学獣医学部で研究している。我が東京息子にも声をかけて一緒にランチしてもらった。二人ともポルトガル語が恋しいのではないかと思ったからである。Kちゃんと東京息子は時折ポルトガル語で話しては笑いあっていた。在住4カ月のKちゃんからすれば大先輩に当たる息子ではある。多少の先...
2024年4月13日モイケル娘家族と彼らの住まいの駅前にある回転寿司「スシロー」とやらへ行った。回転寿司店に入るのは初めてだ。孫のソラが前に会ったとき、「おすし、だいすき。ここで食べたんだよ」と、スシローを指さして言ったもので、じゃ、次回の週末はそこへランチに連れて行こうと思っていたのである。あまり好き嫌いなくしっかり食べるソラ坊のお好みは、まぐろとポテトだそうだ(笑) わたしは出されたらまぐろ、...
2024年4月9日雨音がしきりに聞こえる。関東の今年の桜はこの雨で散るだろう。妹宅のすぐ傍には人口の小川沿いにしだれ桜が植えられてあるが、老木ゆえ今一咲き具合が寂しい。それでも時に外国人が見に来て写真をの撮っているのを見かける。ここも数年後には観光客の桜のスポットになっているかも知れない。昨日の朝は、サングラスのヒンジのねじがいつの間にかなくなっていて、使えないのでメガネやに行き、その帰り道、スー...
2024年4月7日大して考えることなくひたすら動いている。今週は誰誰とどこどこで会う。週末はモイケル娘のところへ行こう。食材を仕入れて晩御飯を作るのだ、等々。東京息子から電話でランチを一緒にしないかとの誘いもよくかかる。が、毎日出歩いているわけではない。昨日も今日もと人と会う日が続かないようにはしている。人と会っておしゃべりした日の夜は10時頃には寝床につきぐっすり寝入っている。ポルトでしゃべる相...
2024年4月1日大阪旅行、と言っても親友の持つ記の川山中にある別宅兼工房を訪ねて再会を喜び大いに笑い合った旅だったのだが、それについてはポルトに帰ってから詳しく書きたい。が、一つだけ、愉快な誤解エピソードをあげておく。11時少し前の新幹線で東京を発ち、待ち合わせ場所の大阪メトロなかもず駅で無事出会うことができ、二人して抱き合って喜んだ。さぁ、行こう、和歌山へ!と、なにゆえなかもず駅で会ったのかをす...
2024年3月30日大阪へ行く前に綴ったものを更新し忘れ。日遅れのブログ更新になってしまいました。申し訳ない。2024年3月24日の記20日の休日には、我がモイケル娘、婿殿、孫のソラ坊、それに東京息子が加わって、市川市の某レストランで昼食。その後、息子は引き上げわたしはそのままモイケル宅に3泊した。二晩はわたし流の夕食を作りモイケル宅を後にする3日目、婿殿とモイケル娘は仕事、孫は保育園へと娘家族はそ...
2024年3月23日飛行機内で横になって眠れたとは言え、どうしても時差ボケは残る。そんな中、孫のソラ坊と電話で話した。「ばぁばは今日本ですよ」と言うと「ソラも日本にいるの」と返って来たもんだ(笑)3歳半で果たして「日本にいる」ということを理解しているとも思えないが、言いぶりが面白い。そして、わたしに会いたいと言う。その言葉に乗せられて、しんどいけど行くっきゃないぞと時差ボケの頭と体を叱咤激励し日本...
2014年3月17日最後の帰国から1年半経っただけなのに、世の中が変わりつつある気がした今回の帰国後数日です。我が子たちが小さい頃の帰国目的は体験入学(海外に住む日本国籍子女が休暇を利用して一時的に日本の学校に受け入れてもらえる制度)が主だったものでした。そのためには住民転入届けが必要とされ同時に国民健康保険が発行されました。結果的にはそれを一度も使用したことがありませんでしたが、とても心強かった...
2024年3月14日しばらくは日本滞在記録の拙ブログになります。12日火曜日夕方、雨降る羽田にフランクフルト経由で到着しました。モノレール、JR、西武線を乗り継いで滞在先に着いたのは9時を廻っていました。普段は7時頃に晩酌をしながら夕食を済ます妹夫婦がそれをせずにわたしの到着を待ち車で駅へ迎えにきてくれました。数時間機内で横になって眠れたので、今回も時差ボケは軽いものの、午後には強烈な睡魔に襲われ抗い切れ...
2024年3月11日全ての日本語教室が土曜日夜に終わり、さすが帰国前日の昨日、日曜日はできなかった。出かける前に既に腰がいたい~。預ける手荷物の鍵がなくて大変だった。結局見つからず昔風の南京錠かぎで応急処置。あはは。出国に最低限必要なものをと最後のチェックをしたら、おろ?切符、ボーディングカードは入ってるプラスティック袋、手で触ると、あれ?パスポートの厚みの手ごたえがないではないか。ぎょえ!と袋を...
2024年3月10日 わたしの帰国時の滞在先は埼玉県所沢市です。川口市の不法滞在クルド人たちの問題がネットニュースにあげられた時、うひゃ!こりゃ気をつけないと、と西武線しか知らないわたしはすぐさま埼玉県地図を開いたものです。同じ埼玉県と言えわたしにとって幸いにも川口市蕨市は所沢とは別方向になるので、少し安心したという具合です。先日、夫に埼玉県川口市にいる不法滞在のクルド人問題のことを少し話した後、...
2024年3月4日 久しぶりの帰国を一週間後に控えているのですが、毎朝パソコンで目にする母国のニュースが酷い。後に起きて「おはよう」とPC画面でニュースを読んでいるわたしの背中に声をかけてくれる夫に、振り向いておはようと返す自分の顔が怒っているのに気づく。いかんせん、近頃の嬉しくないニュースに腹から沸々と怒りがこみ上げてくるもので、だんなさま、すんまへん。何が面白くないかと言うと、これうよ!と一つ二...
2024年3月1日 昨日の続きです。 ★2007年3月中旬。列車内から臨むまだ残雪に覆われた津軽の野面(のづら)。駅まで迎えに来てくれた友人タコ君とともに、うっすらと残雪に覆われた陽光院を訪ねた。陽光院は弘前の我が故郷にある菩提寺である。本当のことを言ってしまうと、陽光院という菩提寺の名すらわたしは覚えていなくて、所沢の妹に教えてもらい、地図を持っての墓参であった。その妹夫婦と3年ほど前にも来たのが...