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  • 未来のスナックで。

    昨日夜半こんな夢を見た。どこかで聞き齧っていたのだろう、隣の酔っ払いが私に説教をした。「いいかい、仕事は金脈じゃない人脈だぞ。人脈の中から金脈を探せよ、金脈の中から人脈を探すなよ」。いやにリアルであった。この頃深酒をしていないせいかも知れない。ついでに金脈の脈絡でカーネギーのこんな言葉も思い出した。「人間は金の採掘と同じ方法で開発される。一オンスの金を採掘するのに数トンの土砂を取り除かなければならないが、土砂を求めて鉱山に入るのではなく、金を求めて鉱山に入るのである」。・・ところで残念ながら未来のスナックの勘定、どちらが金脈になったのか、夢は冷めた。未来のスナックで。

  • 何も驚くことはない。

    霊魂なるものは火なり、肉体は薪なり。薪尽きて火滅す。かくのごときのみ。ー中江兆民たぶんそうだろう、けれどもそうだけれども、だ、ちょっと驚きに踊ってみたりするのも生きていることの醍醐味ではないか。何も驚くことはない。

  • おもひで

    思い出の品を自分で成仏させてやりたいときと、自分ではどうにも忍びなく、誰かに成仏を委ねるときがある、あのちがいはなんなんだろう。堪忍と許容は大いに違うということだろうか。おもひで

  • 自分の寄る辺

    天下にはきれいな声と決められた声は無いのだ。我が耳のよろこぶ声が何よりも楽しい声だ。世間にはきれいな顔と決められた顔は無いのだ。おのが目の見惚れた顔が何よりも素敵な顔だ。人生には正しい選択と定められた選択は無いのだ。おのずからの選択が何よりも尊い選択だ。イエスも釈迦もマホメットもなにをモーセも頼めるのは自分しかなかったであろうよ。自分の寄る辺

  • 合縁奇縁

    縁あって、あつかましゅうもこの世の中におらしてもろうて63年ほどになります。つまるところ、世の中、奇跡なんか起こらないとおもうてるか。奇跡としか言いようがないとおもうてるか。それによって、合縁も奇縁も随分と変わってくるのではないですかね。知らんけど。合縁奇縁

  • 職人気質

    職人とばれる人たちがいる。仕事師として私はこの気質の人々は大好きだし尊敬もしかつ憧れてきた。これぞ職人、の発したこんな言葉をすこぶる粋に感じるのである。「放送はいいよなぁ、返品されねえものなぁ、・・・返品してやりてえ番組ばっかりだもんなぁ、職人があんな品つくってみろよ、返品の山だぜ」。「残らない職人の仕事ってものもあるんですよ。ええ私の仕事は一つも残ってません。着物のしみ抜きをやっています。仕事のあとが残っちゃ仕事になりません」「自分の仕事、自分の能力、そこから欠点が見つけられない奴は職人じゃございません。欠点が見つけられない奴が作家と呼ばれたがります」。職人気質

  • 閑道人

    どんなことでもならべてみろ。百千あろうとも、どれもこれもゆきづまる。あれもこれもゆきづまる。どの方向へ向いて行ってもゆきづまるものばかり。そんなゆきづまるものはみんな捨てる。そして何も持っていない。そこが絶学無為の閑道人である。とは興道禅師。出づるとも入るとも月を思わねば心にかかる山の端もなしとは無窓国師。閑道人

  • 放下着

    下着を放る。という意味ではありません。禅にある用語です。生きながら生きることの意味というそれ「自体」としては現実でないことを考える。そんなわたしも放下着。放下着

  • ここに在る。

    天気天候気候という熟語がある、全ては気象の状態、降水や気温など大気の状態を意味します。違いは期間の長短にあります。天気はある日時、数分から2~3日の気象の状態、天候は数日から2~3カ月の気象の状態、気候は数十年間の気象の状態です。と検索の結果にあった。その日の「天気」に影響されるべきではないが、時代の「気候」の影響を受けることは避けられない。とはその昔アメリカの判事の言葉。先の見えない明日、そもそもそんなものは当たり前の世界に私らは生きている。知っても知らずでも。ここに在る。

  • 本音をきく

    むろん風に音はない。風鈴も風による鈴の音で風の本音ではない。人の本音もほぼ聞けない。同様、媒体越しに見当をつけるしかない。そして、きれいな音を聞きたいのならよい媒質を選ぶことが大事だ。本音をきく

  • 矜持

    (photo/source)ええか悪いかは別にして今日が建国の記念日というには、日本の歴史はたぶん古すぎるしとどのつまり曖昧となる。何をもって今日なのか、ということについて5%ぐらいの矜持しか持てない。あとの2,3割は暗黒物質で7割程は暗黒のエネルギーがうみだした祝日であろう。聞かざる見ざるが、ゆうてしまえ誰にも言わんからとそそのかして、真実を知っているものに尋ねても絶対に言わない。それはそれが言わざるの矜持だし、存在理由だからだ。矜持

  • 心ある人

    「ものの心(こころ)をしるは、すなわちものの哀(あわ)れを知るなり」「たとえば、嬉しかるべき事に際して嬉しく思うのはその嬉しかるべきという事の心をわきまえているから嬉しいのだ。また悲しかるべき事に際して悲しく思うのはその悲しかるべきことの心をわきまえているから悲しいのだ。だからことに触れて、その嬉しく悲しいことの心をわきまえてていることを、ものの哀れを知るという」。「たとえば、めでたき花を見、さやかなる月にむかひて、あはれと情(こころ)の感(うご)く、すなはち是、もののあはれをしる也」そのような人を、「心ある人」という。紫文要領や石上私淑言(いそのかみささめごと)ではそのように説明される。心ある人粋な人、心ない人野暮な人、つまり、「哀れやなあ」と言う言葉の使いようは、蔑みでも同情でもなく、もっと品よく使う...心ある人

  • 宿なし興道さん

    屁ひとつだって人に貸し借りできんやないか、人人はみんな「自己」を生きねばならない。興道さんの語録には好きなのがたくさんあるが、そのうちでも私のお気に入りをもう二つ。「われわれのたった今の生活態度がインチキならば、今まで飯を食べさせた人も、今まで教えてくれた人も、今までものをくれた人もみなインチキをさせるためにしてくれたことになる。もし今日の生活態度が立派ならば、その立派なことをさせるために私を産み、私を育て、私を教え、私にものをくれたことになる。このたった今の生活態度が全過去を生かしていくのじゃ」。「自分はもう一生ものを欲しがらぬ。頭を下げて人にものをくれと言わぬ。あるいはまた人の欲しがるものを惜しがらぬ。食わしてくれれば食う、食わねば食わぬ。生きられるだけ生きる。死なんならんときは死ぬと心がハッキリ決ま...宿なし興道さん

  • 主人公

    禅の公案に「主人公」というものがある。今朝、朝刊を読んでいたら、ふとこれがあの「主人公」ではないか、また「唯我独尊」という公案もこれに類するものではないかと想うことがあった。向谷地生良氏の「当事者研究」といものについての記事であったが、「苦労」は「反省」から「研究」へと発想を変えることで自らを自らの手に取り戻すことができる。そのことを氏は「自分の苦労の主人公になる」と言う言葉で表現されているように思えた。借金苦、病苦、生活苦・・当事者自身がじぶんの苦情を理解することで救われる苦労もあるというものだ。ちなみに以下、記事を一部抜粋してみる。「当事者研究」をご存じだろうか。幻覚や幻聴、摂食障害、リストカット、統合失調症といった「苦労」を抱える当事者が、自身の症状が起こるパターンやプロセス、構造を「研究」する取り...主人公

  • わし。という爺さん。

    世間には情報が溢れているが、わしが何を知らないのかを教えてくれるものは皆無です。どちらかというと、知らないでいいからそのまま騙されて、みたような情報には山ほど接する。また人と接する中でこの頃なんとなく見えてきたものがあります。「状況の具体相に応じて色合いを変えていく言葉の意味」というものがあるということです。それと、「他者とはその長所とだけ付き合うこと、短所なぞと付き合っている暇はない」ということです。-汝、我を見いださない限りは、我を探し求めもすまい。-パスカルわし。という爺さん。

  • 菅公の心情幾許や。

    「離家三四月落涙百千行万事皆如夢時時仰彼蒼」菅原の道真公の五言絶句である。管公では、「こちふかばにほいおこせよ梅の花あるじなきとて春をわすれそ」など短歌も大好きである。齢(よわい)を重ねるごとにこの寂寞の風情、というものを味合うことしきりとなる。過行くもののあわれを落ち着いて許容するには、刻(とき)を重ねることに如(し)くはなさそうだ。菅公の心情幾許や。

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