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らしんばん航海日誌 ~探訪という名の歴史旅~ https://rashimban1.blog.fc2.com/

羅針盤ゼミナールの徒然ブログです。当塾の公式マスコットが歴史学の立場から解説を加え、訪問した神社・寺院・史跡などを紹介してまいります。塾の公式ブログですが塾の宣伝は少なめです。

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西住りほ
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2022/07/12

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  • 上鶴間鹿島神社(神奈川県相模原市南区)を訪問しました

    上鶴間鹿島神社(→神奈川県相模原市南区上鶴間本町3丁目)は、鎌倉時代初期の建久年間(→1190年~1199年)に鎌倉幕府の初代将軍源頼朝が鶴舞の里(→鶴間)に鶴舞神社(→現在の上鶴間浅間神社)を創建した頃に境川付近の下森に創建した神社が前身と伝わる神社です。江戸時代後期の1801(享和元)年8月に現在地に遷座したという文書(→「鎮守鹿島明神社遷座願」)が残されています。遷座後は隣接する方運山 青柳寺が鹿島社と境内社の天神社(→現在...

  • 町田天満宮(東京都町田市)を訪問しました

    町田天満宮(→東京都町田市原町田1丁目)は、戦国時代の天正年間(→1573年~1593年)のうち小田原北条氏の統治下(→1590年まで)に創建され、江戸時代前期の1615(元和元)年にこの地の領主となった幕府の旗本三橋氏・武藤氏によって社殿が造営されたと伝わる神社です。江戸時代には寺領7石3斗の曹洞宗寺院、金森山 宗保院(→東京都町田市原町田1丁目)が別当寺として祭祀を司りました。明治維新後は菅原神社と称したようです。1872(明治5)年...

  • 金森杉山神社(東京都町田市)を訪問しました

    金森杉山神社(→東京都町田市金森7丁目)は、創建年代等の詳細は不明ですが、江戸時代前期の1683(天和3)年12月に幕府の旗本高木伊勢守夫妻(→妻は於亀)及びその一族が下屋敷内に社殿を再建したと社宝の棟札に記されています。再建には家臣や名主(→村長)の大貫助兵衛・囲曽甚五右衛門が費用の大半を工面したようです。江戸時代を通して金森村の村民が西田杉山神社(→東京都町田市金森6丁目)と隔年で神体を奉遷して祭礼を行ったようです...

  • 母智丘神社(東京都町田市)を訪問しました

    母智丘神社(もちおじんじゃ→東京都町田市原町田5丁目)は、『東京都神社名鑑』によると第一次世界大戦末期の1919(大正8)年に黒木昇・黒木ハナの両氏が宮崎県の石峰山山頂に鎮座する母智丘神社(→石岑稲荷明神とも、宮崎県都城市横市町)を自宅に勧請したが、「家屋鳴動し畏懼(いく→恐れおののくこと)の念に耐えず」社殿を創建したと記される神社です。家屋鳴動云々の真偽の程は定かではありませんが、個人によって建てられた神社とし...

  • 高ヶ坂熊野神社(東京都町田市)を訪問しました

    高ヶ坂熊野神社(→東京都町田市高ヶ坂2丁目)は、1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災によって由緒等が散逸したため創建年代等の詳細は不明ですが、和歌山県の熊野三山神社の那智大社に地形がよく似ていて水源に奉斎し、裏山に滝があったようです。1843(天保14)年の古文書に御供米として毎年地頭より6斗の奉納があり、また除地分として600坪があったとあります。江戸時代の頃は図師村の図師山 大蔵院 釜田寺(→関東大震災で倒壊...

  • 高ヶ坂子育地蔵堂(東京都町田市)を訪問しました

    高ヶ坂子育地蔵堂(→東京都町田市高ヶ坂7丁目)は、1971(昭和46)年に南農協高ヶ坂支部倉庫が火災で焼失したため、当時荒廃していた子育地蔵堂の敷地を整理して倉庫と地蔵堂を建設したようです。その後、倉庫は不要となり賃貸倉庫として南農協高ヶ坂支部の運用に使用されていましたが地蔵堂が老朽化したため、1993(平成5)年に支部職員全員で子育地蔵講を設立して資金を積み立てて地蔵堂の新築再建することを決め、1999(平成11)年9月に...

  • 祥雲寺(東京都町田市)を訪問しました

    滝沢山 祥雲寺(→東京都町田市高ヶ坂7丁目)は、小田原北条氏の治世下にあった戦国時代の1526(大永6)年8月に、北条氏綱が武運長久と後北条氏の子孫繁栄のため僧の寥堂秀廓(りょうどうしゅうかく)を開山として招いて開基した曹洞宗寺院です。後北条氏の虎朱印が押された寺領寄進文書がありましたが、享保年間(→1716年~1736年、8代将軍徳川吉宗の治世)の火災で焼失したといいます。江戸時代には幕府より寺領15石を安堵されました。現...

  • 東雲寺(東京都町田市)を訪問しました

    龍谷山 成就院 東雲寺(→東京都町田市成瀬4丁目)は、小田原北条氏の治世下にあった戦国時代に小机衆に配属された成瀬城主中里氏が菩提寺として開基し、僧の龍谷が開基した龍谷山 成就院を前身とする曹洞宗寺院です。成瀬城が小机城の支城として築城されたことから、成就院も小机城代笠原信為(かさはらのぶため)が開基した臥龍山 雲松院(→神奈川県横浜市港北区小机町)を本寺(本山)としていました。1590(天正18)年の小田原合戦で北条...

  • 成瀬杉山神社(東京都町田市)を訪問しました

    成瀬杉山神社(→東京都町田市成瀬4丁目)は、『東京都神社名鑑』によると江戸時代前期の1668(寛文8)年11月吉日に幕府の代官福井清兵衛と成瀬村の領主であった井戸勝吉と酒井助右衛門が資金を出し合って再建したと伝わる神社です。内訳は福井が金二百疋、井戸が金三分、酒井が金一分と記されます。かつては恩田川沿いの水田の中にあったことから「田中の明神」と呼ばれ、現在地には1982(昭和57)年に移転したようです。江戸時代の頃は...

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