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らしんばん航海日誌 ~探訪という名の歴史旅~ https://rashimban1.blog.fc2.com/

羅針盤ゼミナールの徒然ブログです。当塾の公式マスコットが歴史学の立場から解説を加え、訪問した神社・寺院・史跡などを紹介してまいります。塾の公式ブログですが塾の宣伝は少なめです。

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西住りほ
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2022/07/12

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  • 平薬師堂(東京都町田市)を訪問しました

    平薬師堂(→東京都町田市上小山田町)は、創建年代の詳細は不明ですが、江戸時代に上小山田村の字(あざ)平の鎮守として崇敬されていた山王社の本地仏(→神仏習合の頃に神の本体とされた仏のこと)とされた約15cmの薬師如来像を、1868(明治元)年の神仏分離令発布後に分離して祀った堂宇です。現在の堂宇は近年に改築されたものと記されます。平薬師堂は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』多磨郡上小山田村...

  • 上小山田明神神社(東京都町田市)を訪問しました

    上小山田明神神社(→東京都町田市上小山田町)は、鎌倉時代前期の1223(貞応2)年に小山田荘の地頭であった小山田重義(→小山田有重の次男)によって創建された明神社を前身とする神社と伝わります。当初は伊勢国(→三重県)の五十鈴川の面影を残すという理由から上小山田郷の田中谷戸に創建され、江戸時代には上小山田村田中谷戸の鎮守であったと記されます。現在地には明治維新後の1875(明治8)年に遷座され、その際に村内にあった山王社...

  • 正山寺(東京都町田市)を訪問しました

    野中山 正山寺(→東京都町田市上小山田町)は、江戸時代前期の1615(慶長20)年5月1日に僧の祐玄が堺地区小山町下馬場に建立した浄土真宗寺院です。江戸時代の頃は本山・末寺の制により西本願寺(→京都府京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町)の末寺でしたが、貞享年間(→1684年~1687年)に東本願寺(→京都府京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町)に派を変えたと記されます。現在はどの本山にも属さない単立寺院といいます。『町田市史...

  • 小山田神社(東京都町田市)を訪問しました

    小山田神社(→東京都町田市下小山田町)は、創建年代の詳細は不明ですが、江戸時代には下小山田村の鎮守で村民が祭祀を司ったと記されます。神仏習合の頃は内御前社(うちのおまえしゃ)という社号で、白幣の神体を祀っていたようです。境内には神仏習合の頃の名残りが展示されています。『町田市史』には1871(明治4)年4月に村民の若林三右衛門有信(わかばやしさんうえもんありのぶ)が破損が著しかった社殿を改築したと記されます。〖...

  • 大泉寺(東京都町田市)を訪問しました

    補陀山 水月院 大泉寺(→東京都町田市下小山田町)は、鎌倉時代初期の有力御家人の支流でこの地の領主となった小山田有重(おやまだありしげ→秩父重弘の子)の居館跡に創建された寺院です。実際は、室町時代前期に僧の無極が曹洞宗寺院として開山した寺院ですが、小山田有重を開基とし、その没年と考えられる1227(安貞元)年2月15日を開山日としています。寺号は小山田有重の法諡「大仙寺天桂椙公」からとったと記されます。現在は曹洞...

  • 小山田白山神社(東京都町田市)を訪問しました

    小山田白山神社(→東京都町田市下小山田町)は、創建年代の詳細は不明ですが、加賀国一の宮である白山比咩神社(→石川県白山市三宮町二)を勧請して創建されたと伝わります。江戸時代には下小山田村の鎮守社となり、真言宗単立寺院の大沢山 万蔵寺(→東京都町田市下小山田町)が別当寺として祭祀を司りました。神仏習合の頃は、神体が白幣で、約54cmの十一面観音立像が本地仏(→神仏習合いおいて神の本体にあたる仏のこと)であったと記さ...

  • 上根神社(東京都町田市)を訪問しました

    上根神社(かさねじんじゃ→東京都町田市下小山田町)は、補陀山 水月院 大泉寺(→東京都町田市下小山田町)の境内にあった鎮守五社を合祀して創建された神社です。大泉寺は室町時代前期に僧の無極が小山田有重の居館跡に創建した曹洞宗寺院です。鎮守五社は1660(万治3)年3月創建の宇都社と天王社、1682(天和2)年9月創建の山ノ端古金社、1719(享保4)年9月創建の南沢白山社、1850(嘉永3)年創建の山谷台住吉明神のことで、江戸時代に地主...

  • 千手院(東京都町田市)を訪問しました

    岩子山 千手院 普門寺(→東京都町田市小野路町)は、創建年代の詳細は不明ですが、鎌倉時代前期に小山田重義(→有力御家人小山田有重の次男、妻は梶原景時の娘)が創建したと伝わる真言宗豊山派寺院です。中世には戦乱で廃寺となりますが、安土桃山時代に僧の恵満が中興し、1591(天正19)年に、江戸入りをしていた徳川家康から境内観音堂に寺領12石を拝領しました。江戸時代には本山・末寺の制により岩船山 大智院 高勝寺(→東京都稲城市...

  • 綱島諏訪神社(神奈川県横浜市港北区)を訪問しました

    綱島諏訪神社(→神奈川県横浜市港北区綱島東2丁目)は、旧武田遺臣で、小田原北条氏滅亡後に徳川氏に仕え当地の領主となった近藤五郎右衛門正次らが、江戸時代初期の1605(慶長5)年頃に信濃国諏訪大社を勧請して創建したと伝わります。江戸時代には綱島明神社(→神奈川県横浜市綱島東2丁目)と並んで北綱島村と南綱島村の鎮守社となり、天台宗寺院の清林山 仏乗院 金蔵寺(→神奈川県横浜市港北区日吉本町2丁目)が別当寺として祭祀を司り...

  • 天照皇大神(神奈川県川崎市幸区)を訪問しました

    天照皇大神(あまてらすすめおおかみ、てんしょうこうたいしん→神奈川県川崎市幸区南加瀬1丁目)は、鎌倉時代末期の元弘年間(→1331年~1334年)に創建されたと伝わる神明社を前身とする神社で、室町時代には扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)の家宰であった太田道灌(おおたどうかん)が参籠して瑞祥の夢見をしたとの社伝があります。戦国時代には南関東の大大名であった北条氏政(ほうじょううじまさ)が祈願所とするために八棟造の荘...

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