「言葉に関する性善説」によって「ネトウヨプロパガンダ」を放置してきたことが「ネトウヨという架空の存在」をデッチ上げた。河野太郎の「ネトウヨ呼ばわり」は、世間によってデッチ上げられた「架空の存在」を刷り込まれていることに他ならない。
国防の観点から「鋭敏な言語感覚」の重要性を訴える。「言葉の変化全肯定論者」の軽薄さと危険性を独自の視点で暴き出す。「言葉は生き物」「言葉に寛容になれ」と心無い批判をされた人よ。あなたの言語感覚は間違っていない。そんな奴らに屈するな。
ラサール石井よ「インボイス制度導入」は身から出た錆だと自覚しろ
「インボイス制度」施行に至った原因の一つは「的外れな政権批判/政策批判」にある。ラサール石井やそのお仲間がやってきたことはまさに「的外れな政権批判/政策批判」。その結果増えたのは、外国人や国境が邪魔な奴らが有利になる政策。日本が不利になり国民が貧困化するのは当然。「的外れな政権批判/政策批判」の支柱は、やはり「空想的平和主義」だ。
「プライマリーバランス黒字化」「財政破綻」「通貨の信認」などは優先的に語義を疑うべきだと私も思う。しかし、ここから先が三橋氏と私の見解が大きく違うところだ。その違いを述べよう。
殺害予告が犯罪ではなくなる日|言葉は時代の気分で変化するという観念の落とし穴
竹中平蔵、お前をいつか必ず殺してやる 竹中平蔵や堀江貴文など、多くの国民を苦しめた奴らがいる。間接的にせよ、奴らのせいで
[jin-yohaku50] ありがとうございました [jin-yohaku50] 私はこれまで何ら疑いを持たず上記の表
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本来の読み方の記録。これに戻せと主張しているわけではない。ひとまず、こんな読み方だったのかと思って貰えればそれで良い。
コスパは「PB」に殺された|コスパという用語が信頼をなくした原因|撲滅のすゝめ
私は溢れかえる「コスパ」なる言葉のデタラメさに辟易し、激しい怒りすら覚えるようなった。近頃では「コスパ」と書かれているレビューには片っ端から「参考ならない」「違反報告」などをクリックしている。「レビュー」の条件を満たしていないからだ。乱用される「コスパ」には特徴がある。それは
他者の視点から自分に反論を試みた。これまで私は言語に関してあらゆる問答を目撃してきた。その問答の渦中に己がいたこともある。当ブログの記事は、今まで経験した問答に対する私論だ。考え抜いた末の答えなので、大抵の反論に対応できている。だが、曖昧な部分や矛盾点があることにも気付いたのだ。己を懐疑し矛盾を直視するのは、意見を公表する者として当然であるという考えの元、投稿する。
私としては「分類関係なく反発するのもやむなし」という心情が若干ある一方で「誤りは条件問わず指摘し合うのが好ましい」と考えている。つまり「一部に限定すれば反論に賛成」と思いつつも、やはり好ましい表現を提案されたならば素直に従うべきという立場。ただし「なります敬語」「させていただきます敬語」「お疲れ様」などの
私がキチガイと揶揄される理由。そしてブチ殺してやろうかと言いたくなる理由
「キチガイ」言葉遣いの記事に対する反応の一つがそんなコメントだった。それが凄く印象に残っている。殺意をチラつかせた文言があったので「キチガイ」と評価されても仕方ない。殺意をチラつかせてしまうのは私の性分だろう。ただ、どうしても攻撃的な表現になってしまうのには、それなりに背景があるのだ。
国民がマヌケなほど「語彙力」が増える|「語彙力」は悪質な概念詐欺
「豊富な語彙」という表現に示されるように「語彙とは、一定の領域に蓄えられた言葉たち」なのだ。もっと簡潔に述べれば「倉庫の荷物」のようなものが「語彙」の実態である。「語彙=倉庫の荷物」に「力」という文字を足すとどうなるか。とたんに意味がボヤケてしまう。倉庫の荷物の力?荷物そのものの力?何じゃそれといった具合に。
「観」という文字が含まれている表現は概ね「何者か」がいるのだ。観察や観賞はまさに人の視点抜きでは表せない。「客観」に関しては、あらゆる主観を排除する意味合いがあるので例外と言えなくもない。だが、やはり「観察者/観測者」を必要とするので人の意思を排除できない。
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「言葉に関する性善説」によって「ネトウヨプロパガンダ」を放置してきたことが「ネトウヨという架空の存在」をデッチ上げた。河野太郎の「ネトウヨ呼ばわり」は、世間によってデッチ上げられた「架空の存在」を刷り込まれていることに他ならない。
テレビ/ラジオ/新聞/ウェブサイトなどの「可能性」の用い方には首を傾げることが多い。 疑わしいことにも「可能性」危険な対
「ザイム真理教」なる言葉が徐々に拡がっている。それは非常に喜ばしいことだ。この点においては森永卓郎氏に「ありがとうございます」とお礼を申し上げたい。ただし、私はこうも申し上げたい。「ザイム真理教」は派生宗教でしかないと。何故なら、民主主義そのものが宗教だからだ。派生宗教はカルト化するのが常。
民主主義は最良の制度であるという不可解な教義 [jin-yohaku50] 「ザイム真理教」なる言葉が徐々に拡がっている
「インボイス制度」施行に至った原因の一つは「的外れな政権批判/政策批判」にある。ラサール石井やそのお仲間がやってきたことはまさに「的外れな政権批判/政策批判」。その結果増えたのは、外国人や国境が邪魔な奴らが有利になる政策。日本が不利になり国民が貧困化するのは当然。「的外れな政権批判/政策批判」の支柱は、やはり「空想的平和主義」だ。
「プライマリーバランス黒字化」「財政破綻」「通貨の信認」などは優先的に語義を疑うべきだと私も思う。しかし、ここから先が三橋氏と私の見解が大きく違うところだ。その違いを述べよう。
竹中平蔵、お前をいつか必ず殺してやる 竹中平蔵や堀江貴文など、多くの国民を苦しめた奴らがいる。間接的にせよ、奴らのせいで
[jin-yohaku50] ありがとうございました [jin-yohaku50] 私はこれまで何ら疑いを持たず上記の表
[jin-yohaku50] ありがとうございました [jin-yohaku50] 私はこれまで何ら疑いを持たず上記の表
本来の読み方の記録。これに戻せと主張しているわけではない。ひとまず、こんな読み方だったのかと思って貰えればそれで良い。
私は溢れかえる「コスパ」なる言葉のデタラメさに辟易し、激しい怒りすら覚えるようなった。近頃では「コスパ」と書かれているレビューには片っ端から「参考ならない」「違反報告」などをクリックしている。「レビュー」の条件を満たしていないからだ。乱用される「コスパ」には特徴がある。それは
他者の視点から自分に反論を試みた。これまで私は言語に関してあらゆる問答を目撃してきた。その問答の渦中に己がいたこともある。当ブログの記事は、今まで経験した問答に対する私論だ。考え抜いた末の答えなので、大抵の反論に対応できている。だが、曖昧な部分や矛盾点があることにも気付いたのだ。己を懐疑し矛盾を直視するのは、意見を公表する者として当然であるという考えの元、投稿する。
私としては「分類関係なく反発するのもやむなし」という心情が若干ある一方で「誤りは条件問わず指摘し合うのが好ましい」と考えている。つまり「一部に限定すれば反論に賛成」と思いつつも、やはり好ましい表現を提案されたならば素直に従うべきという立場。ただし「なります敬語」「させていただきます敬語」「お疲れ様」などの
「キチガイ」言葉遣いの記事に対する反応の一つがそんなコメントだった。それが凄く印象に残っている。殺意をチラつかせた文言があったので「キチガイ」と評価されても仕方ない。殺意をチラつかせてしまうのは私の性分だろう。ただ、どうしても攻撃的な表現になってしまうのには、それなりに背景があるのだ。
「豊富な語彙」という表現に示されるように「語彙とは、一定の領域に蓄えられた言葉たち」なのだ。もっと簡潔に述べれば「倉庫の荷物」のようなものが「語彙」の実態である。「語彙=倉庫の荷物」に「力」という文字を足すとどうなるか。とたんに意味がボヤケてしまう。倉庫の荷物の力?荷物そのものの力?何じゃそれといった具合に。
「観」という文字が含まれている表現は概ね「何者か」がいるのだ。観察や観賞はまさに人の視点抜きでは表せない。「客観」に関しては、あらゆる主観を排除する意味合いがあるので例外と言えなくもない。だが、やはり「観察者/観測者」を必要とするので人の意思を排除できない。
「~感を感じる」「感じる~感」といった表現を絶対に許せない神経でなければライターをやるべきではない。こんな無粋な重言に対して指摘されるまでもなく「あれ?」と思わない奴は間違いなく「鈍感」だからだ。これはスポーツ選手にとっての動体視力や反射神経みたいなもので「~感を感じる」「感じる~感」という表現に何ら抵抗や反応がないなら
あなたは関係を進展させたいと思っている女性と話していてこう感じたことはないだろうか。「言葉の意味を間違ってるんだけどな」「その意見はちょっとおかしい」。受け流すのも一つの手だ。だが、どうしても訂正したくなったり、反論したくなったりすることもあるだろう。そんなときには次の方法を試してみてほしい。
本気で身体作りに励む男性は知っている。筋肉を増やすことがいかに大変か。女性となるとその大変さが跳ね上がることも理解している。身体作りに励む男性の全てとは言わないが、生活リズムや食事に気を使っている。暴飲暴食もしない。アルコールに溺れない。遊興にも関心が薄い。どうせ寄ってくるならまっとうな生活を心掛けている男性のほうが良いに決まっている。
あなたは目上の人に対してこんな返答をしていないだろうか。「していない」と思っている人でも、よく自分を観察してほしい。つい「あ」と入れてしまっているかも知れない。この「あ」は、潜在的な謙虚さや向学心からくるのかも知れないが、目上の人の印象は悪く「頼りない」というマイナス点しか残らない。
「インボイス制度」施行に至った原因の一つは「的外れな政権批判/政策批判」にある。ラサール石井やそのお仲間がやってきたことはまさに「的外れな政権批判/政策批判」。その結果増えたのは、外国人や国境が邪魔な奴らが有利になる政策。日本が不利になり国民が貧困化するのは当然。「的外れな政権批判/政策批判」の支柱は、やはり「空想的平和主義」だ。
「プライマリーバランス黒字化」「財政破綻」「通貨の信認」などは優先的に語義を疑うべきだと私も思う。しかし、ここから先が三橋氏と私の見解が大きく違うところだ。その違いを述べよう。
竹中平蔵、お前をいつか必ず殺してやる 竹中平蔵や堀江貴文など、多くの国民を苦しめた奴らがいる。間接的にせよ、奴らのせいで
[jin-yohaku50] ありがとうございました [jin-yohaku50] 私はこれまで何ら疑いを持たず上記の表
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