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  • メンタルと自己防御。

    ほとほと社会人とはいかに自身のメンタルをなんとかキープしながら過ごすかの精神マラソンだなあ、と思う。 小学校入学までは考えてみると精神的ひきこもりであった。他人とのかかわりは難しい。コトバでそう思ってはいなかったが、未熟な精神でそういう意味のことをずっと思っていた。 外敵によるストレスは意識しないときにやってくる。味方としての友人の作り方は、幼児期にはよくわからなかった。 男児というのはやはり精神面で打たれ弱い。年齢相当の進歩というか、女児がわれわれ男児より進んでいることは、接していて感じたものだ。 男児は未発達で暴力的。無意識に。 そう思っていたようだ。 自身の精神が、勿論でこぼこ(人との付…

  • 禅と神秘主義についてちょっとだけ。

    キリスト教において神秘主義は端的に異端とされているように思う。 まず浮かぶのはマイスター・エックハルトである。 上田閑照先生の(その深い知見ゆえについ先生とつけてしまいましたが、勿論お会いしたことはございません)「禅仏教 根源的人間」1993 岩波同時代ライブラリー 初出は1973年8月筑摩書房刊 のさわりだけをちょっとだけ読んだ((笑))。 禅と似ているといわれるというドイツ神秘主義に含まれるエックハルトは「何故に神は人となり給うたか」(Cur deus homo?)という問いに対し、ある説教でこう述べたという。 「それは汝(聴衆の一人一人)を神の独り子として、すなわちキリストと同一なる神の…

  • 神の存在理由。

    昨日の体重63.7kg、体脂肪率9.7%。歩数は11000歩。 1万歩歩くとなんだか安心するが、これは歩けないと残念な思いがすることとのバーターであるので、まあストレス要因ではあるだろう。 このあたりのストレスをうまく使っていきたいと思う。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 神話の象徴性と真実への肉薄について。 「神」という言葉はむつかしい。 この日本ではどちらかというと八百万の付喪神がまずは浮かんでくる。 個人的には父方は水戸系の神道ではあるが、あれは世俗的な仏教的仕組みを破壊するための方便であるという面があるようにも思う。 つまりはその部分では「方便の神」。…

  • 二酸化炭素と酸素の行方とディストピア。

    さて、今朝の体重は65.7kg、体脂肪率12%であった。 うーむ。 大変微妙な値ではあるが、4日間家にいて、雨が多くて4日間の歩数は、 11753歩、6335歩、9186歩、4826歩、 であった。 雨が多かった(4日中3日)にしては頑張った方かもしれない。 初日と3日目にはジムにも行った。 いままではジムといっても市営のスポーツセンターであったが、これが改修中なので、すこし費用がかさむものの24時間ジムに加入したのだ。 24時間というと、いつでも行けるが、まあ、家族がいるといつでもというわけにはいかない。 だが、在宅勤務などで適度なストレスがあると、休み時間にちょっと行くか、という感じになる…

  • 師。

    今朝の体重63.7kg、体脂肪率10.7%。朝食前。 比較的調子よく体重減しているのだが、昼食も抜いているので、なんとなく午後フラフラした気がしたので、サイゼリヤにいってチキンを食べた。 最近は安すぎるワイン、こと100円グラスワインをやめ、200円デカンタもやめてドリンクバーにしているのだが、これがなかなかいい。 飲むのは、ジャスミン茶とカプチーノ。カプチーノは小さめのカップで5-6杯は飲んでいる。 味は悪くないし、チキンとセットで200円。合計税込み700円で実質飲み放題というのはなかなかいい。 家から歩いて20分強の最寄りのミスタードーナツは、ミルクティのお替り自由であるが、なんとなく何…

  • 「哲学的思惟の根源に伏在する神秘主義的体験」について。

    タイトルはムック「井筒俊彦ざんまい」に収録されている井筒氏の弟子筋にあたる牧野信也さんが井筒俊彦の学問の根源に流れるものとして認識されていることだ。 こうしたことはつらつらと思い出すに、さまざまな私の敬愛する人々にも起こっているようだ。 たとえばユング。地底に分け入ってそこに男根と思しき先頭に一つ目を頂き虚空をにらむものを夢に見たことをずっと抱えて生きたと思われる。 そして小林秀雄。ベルクソンなどを挙げるでもなく、例えばプラットホームからの滑落や生命の危機にあったときのかずかずの神秘体験をさりげなく書いている。 またルドルフ・シュタイナー。巨大な幻視力を備えていた観があるが、幼少のころ列車の待…

  • 同調圧力的社会は、自動である程度人の行動が制限されるので、個人的に例えば困った人の言葉を聞くことは求められていない、という感覚があるのだが、果たしてそれでいいか。

    同調圧力が大嫌いだ。 だが、それでもそれが存在し、DNA的にも刷り込まれていることを考えると、この「日本」という社会をできるだけ条件よくキープする「社会のDNA」的なものなのだ、とも思う。 だがこの「同調圧力」、孤独の創出と大変親和性が高い気がするのだ。 正確に言おうとすると、農耕社会が農耕社会としての姿をいまの「WEB社会」に変えつつあるなかでの依然として心の中にDNA的にある「同調圧力」が、知らない人との会話を阻み、結果多量の「孤独者」を生んでいるのではないか、ということだ。 孤独が短命化を招き、あるいは社会への不平不満を抱えて暴発するものを増やす、という傾向はあるだろう。 そこでの孤独は…

  • 理解しようとしてから、理解される。やさしくしてから、やさしくされる。同調圧力と多民族的寛容と農耕民族と狩猟民族について。匿名についても。

    森本あんり氏の著書を読んで、 アメリカではそもそも様々な人種がおり、それぞれのバックボーン、とくに宗教面や権利や例えば最近難民としてやってきて言葉がうまく話せない、などの差異がいわばあって当たり前の社会であるので、 従って社会の中で人々はお互いの違いがあたりまえで、心から発する意見や希望が同じであるほうが楽に決まっているのだが、 同じになるわけがない、 という社会における寛容を考えた。 そこでいう寛容は、それを持っていないと、より本質的で壊滅的な対立になってしまうので、”仕方なく”行うものだ、ということを理解した。 あなたの意見には全く反対だが、そういう意見をいうあなたの権利は徹底的に守る。 …

  • 夏のスーツで激やせする。言葉とことわざと解釈中のルサンチマンについて。

    昨日の体重(帰宅時)は久々の62.8kg。体脂肪は10.2%であったか。 夏場にスーツで歩いていると覿面に痩せることに気づいていた。これは昨年も同じで、63キロというのは大学時代と同じ体重なので、そういう意味ではだいぶやせた感じがある(大学時代の食生活=食パン+マヨネーズを考えると)。 まあ、大学時代は栄養的な知識は皆無であり、今考えると食パン+マヨネーズを今続けているともう死んでいるかもしれない、とぞっとする。 日本語のことわざで言うと「情けは人の為ならず」を一緒に解釈をしながら、自分の行動に落とし込んでいければ良いかと思います。ちなみに下記の URL を読んでいただきたいのですが、なんと今…

  • 気持ちの余裕がないと利他につながらないのか。わたしのカバンはランドセル。

    わたしのカバンはランドセル。 的なTUMIである。 すぐにものを忘れるので、なんでも入れっぱなし。なので、すぐ型崩れしてきたのだが、TUMIの3WAYを使ってからはとにかく型は崩れない。 勿論長年の使用でジッパー部や金属部は壊れている。だがジッパーは修理してもらった。1ラインで1万円であった。金属部はあきらめて結んで使っている。あと100円ショップの大き目の登山用金具を流用したりもしている。 で、今日ランドセルの話を読んでいて、これは私のランドセルなのだな、と気づいた。愛着があり、長年使用している。小学生と違い、卒業はまだない(定年か)。 とにかく、3WAYなのだが、リュックとしてしか使ってい…

  • クソバイスとジェームズボンド。

    さて、本日の体重63.5kg、体脂肪率は残念な11.2%。 夏の大汗のおかげで、63キロ代となっている。皆さんには見ているだけで暑い!と大不評だが、夏でも上下スーツとネクタイだ。 実は誰にもきちんと言っていないが、ここでいってしまうと、これはコスプレなのだ。 そう、ボンドコスプレ。 会社員に唯一許された日常的なコスプレ、といえばボンドコスプレ。 といっても、同じブランドは無理。 だが、 「セミオーダースーツで身体に合ったものを着る」 「立つときは必ずスーツの前ボタンを閉じる」 「チーフをさす」 「身体はできるだけ鍛えておく」 そしてこれが重要なのだが 「ボンドの気分でいる」 これである。 まあ…

  • 痛飲。

    昨日は久しぶりに痛飲した。 16歳年上の大先輩と久しぶりに飲んだのだが、なんというかあった時とほとんど変わらぬ印象に驚いている。 精神が若々しいのだろう。 普段はアルコールはほぼ飲まないようになった。 1日20gならいい、という理解でやっているが、それは「許容」であり「推奨」ではない、という風にも思っている。体にはよくなくとも、精神面でいい部分もあるかもしれないし、赤ワインであればポリフェノールを摂取できる点は良い。 とはいいながら、コロナで接待等がほぼなくなり、同僚と飲むこともあまりなくなったので、やはりアルコール受容度が下がっているからか、今朝はだいぶん頭が重かった。 (あと、二日酔いだと…

  • 池田晶子さんの「ない神」についてと魂のバトン。

    信仰をもたない私は、こんなこの世に在ってしまったそのことだけで、潰えかかる夜がある。神はなぜと私は問いたい、しかし答えがあるくらいなら誰が問いなどするだろう。魂の高貴さ、人はなぜこの魅惑的な言葉の響きを忘れることさえできるのか。愚劣だ、私はない神を見上げる。するとそこにプラトン、星のように高く光るあれら人類の哲学者たち。そして睥睨するヘーゲルなど。 精神を、さらにさらに高く精神性を掲げよ。やがてそれは滔々と立ち上がる光の柱、高貴な魂たちの勝利と祝祭、そのとき雄々しい知性が断固として君臨するのを、私は見る。神であってもなくてもどっちでもいい、しかしそれは確かなことだ、なぜならそこには歓びの感情ー…

  • 暑さとポーズと河合隼雄と井筒俊彦。

    戦前に兵庫県で生まれた河合隼雄氏は敗戦のショックもあって、「日本のものはほとんどわからないか嫌いだった」とおっしゃる。 若いころはともかく何らかの哲学書を読んで、もっともらしいことを言うのがハヤリで、かつ文学についても同じようなことがあった、ともおっしゃる。 哲学書は2-3度読みかけたが、難しくてわからない。文学も文学的に価値が高いと言われているものが自分にとって何も面白くない、とおっしゃる。 同感である。私の場合は別に哲学書や純文学を読んでかっこつけることが全く流行ってはいなかったのだが、個人の嗜好というか理想というか意地というかよくわからないのだが、「高校生くらいになったらそれぐらいできな…

  • 神話とすべてを網羅する「一」について。

    自文化の中で行われていることは、みなあたり前だと思ってやっているけれども、別の文化の中で行われていることは全部おかしく思える。よその文化はみんな「野蛮」に見えるわけです。人間の文化は何か一つの説明の原理がないと成り立たないので、その説明の原理が「神話」なのです。私の先生のデュメジルは、「神話をなくした民族は命をなくす」ということを書いていますが、まさにそのとおりと言ってよいのではないでしょうか。 P.13 世界の神話をどう読むか 大林太良+吉田敦彦 青土社1998 クロマニヨン人とネアンデルタール人の頭骨を並べてみると、それぞれの人種の典型的(かどうかは不明だがすくなくともその人種に属した人の…

  • おもいつかない。個人的三上の内の一である風呂の欠損について。

    暑い中をスーツ上下でうろうろするのが私の夏定番、 ではあるが、真昼であればやはりもうふらふらするレベルだ。 昨日は14時から17時までサイゼリヤにいた。今まではワインデカンタなどを飲んでいたが、初めてに近い形でランチセットにフリードリンクを付けてみた。 結果は大正解、水とカプチーノを飲みまくった。とにかくカプチーノは美味い。飲み放題は田舎のミスドではミルクティ飲み放題であるが、繁華街では違う。そういう意味ではサイゼリヤの飲み放題はとにかくコスパが良い。 昨日は休暇を取って名古屋の栄と呼ばれる地区に行ったのだが、とにかく暑かった。結果体重は63.8キロ、体脂肪率も8.7%(帰宅時)となった。やは…

  • 日本における宗教感覚。

    昨晩は、15000歩歩いた。蒸し暑い中を大汗をかいて歩いた。 感覚的に暑くなると汗をかいて体を慣らす、という感覚があるが、これは暑くても汗にミネラルが出にくくなるようなので、引き続き厚着でうろつきたい。 体重の63.5kg、体脂肪率は8.7%であった。翌朝測ると63.9kg、体脂肪率12%くらいとなる。やはり体を動かしたあとは、筋肉量が多めに出るようだ。 (一体どちらが正なのか?泣) 田辺元氏の哲学に関する本を読んでいる。難解で寝てしまうのだが、なるほどと思うところも多い。 昨日読んだ箇所では、ギリシャ時代、あれほど観念的な思考が発達したのは、奴隷がいて、自らモノを作るということが無かったから…

  • 歴史とはなにか。司馬遼太郎と田辺元と神秘哲学と。

    司馬史観、なる言葉がある。 河合隼雄氏は、自分自身の生き方が一個の確固たる創作である、とおっしゃる。 歴史、というものは、自身が関わるものという感覚はあまりないのだが、大きく人生という視点で見ると自身の中の歴史というか、歴史の中の自分というか、当たり前であるが大きく関係するのである。 だがそのことに自覚的であることは難しい。少なくとも個人的には。 例えば私がユダヤ人でヒトラーのころに生きていればどうだろう。 あるいは逆にヒトラーのころのドイツ人であったなら。 最近NHKの「映像の世紀」を見ているが、やはり具体的な映像で見ると、文章では遠くの別世界の出来事のように思えた事象が、まさに今に地続きで…

  • ちょっとした違和感とディストピアとデザインベビー。ユートピアンズ・ディストピア。

    人間社会は、進歩している。 考え方によっては、古代の精神は尊く、どんどん堕落した、というものもあるようだが、 そしてギリシャ時代のソクラテスやプラトンの存在を考えると、現代の精神はそうした卓越した人々を含むものではない、という気もするが、 そうした「特異点」、いわゆる「天才」や「メシア」的な人々は、これは時代に関係なくぽっと出るような気もする。 人と人が密接に、いわば暑苦しく、過ごす国、この「日本」。 西洋が個人の自我を追求する文化であるのは、キリスト教の一神教的性格からきているのかもしれない。「自らも自我を、一である神を見習って彫塑してゆく」という態度だ。 翻ってこの日本はどうか。個人の人生…

  • 傘とリスクマネジメントとライフハック。

    最近入った24時間ジムでInBodyをやった。 探していると2016年にやったInBody的なデータが出てきたので比べてみた。 大きな違いは上腕の筋重量。3.7kgあったのが3.1kgになっていた。 足は10.7キロが10.1キロなので、微減である。 上腕の現在の体脂肪重量は0.1kgで、まえは0.4kgだったので、脂肪自体も減ってはいるのだが。 結果、上半身と下半身のバランスが悪い、という評価になっている。 筋量全体が減っている。全身で39キロほどあった筋肉が35キロくらいになっているのだ。 2016年は東京におり、日々15000歩は歩き、トレーニングも週3回程度行っていた気がする。ジワリと…

  • 尿酸値と一日2リットルとマグカップ。

    先週末久々の街中華での飲み会に参加。 東京では既に人混みは回復したと聞くが、ここ名古屋もまあまあのところだろうか。街中華の込み具合は結構やばかった。 久々で嬉しかったからか、結構飲んだ。尿酸値やプリン体や血糖値やグルテンフリーやら、いろいろ考えると街中華は最悪かもしれないが、まあ、チートデイということで。 この店に来るのもかれこれ4年ぶりくらい?であったが、相変わらずの味で懐かしかった。体重増加の現実逃避で2日間体重ははからず、今朝久々に計測。64.5KG、体脂肪12.8%。うーん、多分食べた翌日は66キロはあったであろう。 糖尿病にはタンパク質食がいい、と聞くが、クレアチニン値が高いので腎臓…

  • 詩人と言葉と本質と。

    本日の体重63.4kg、体脂肪は10.8%だったような。 一日1万歩を目ざしているのだが、会社往復だと5000歩行かない位だ。 結構近いのだが、それが当たり前になると近くていい、という感覚がなくなる。そして運動不足が始まる。 意識して外に出ないと、土日は合計で!3000歩程度であった。買い物等行っていても、この数字。まあ、車で買い物にゆくので仕方がないが。 毎日のように24時間ジムに行く話を書いているが、ジムの前後に歩くようにしている。1万歩を達成するために、新ジムに絡めてどう歩くか。前にジムから家まで歩いてみたが、9000歩くらいであったので、無駄に家の周りをぐるぐる歩いて10000歩に近づ…

  • いいわけと健康。ポケモンGOレイド関連。

    勝間和代さんの文章を読んでいて、いいと思ったことを取り入れたり、既に取り入れていれば情報の上塗りをしたりしている。 特にうわぬっているのは、一日1万歩と酒フリー。 まあ、酒フリーは完全ではないのだが💦 一日1万歩は、まずはウイークデイでも1万歩行かない場合が最近は出てきた。 目標に届かない場合はその原因を考えて対策を練らねばならない。 まずはウィークデイというが、つまりは在宅勤務が一つの要因だ。厳しいのは在宅勤務で雨が降った場合。これはなんというか、ほぼ1万歩は無理である。なので在宅勤務は週に1回としている。 それでも前は休日でも傘をさして1万歩を確保できる日もあった。これは私が「POKEMO…

  • 神学。

    今朝の体重63.8kg、体脂肪率は12.1%! 3日間の歩数が、酷暑と台風影響による雨もあり、とても少なかった。あといろいろな精神的な問題もあり。。 そうはいっても3日で8000歩である。一日なんと3000歩に行かない。。。 で、体脂肪率もアップ、という。 思うのだが、体脂肪率はやはり歩いたあとや運動後は高く出る。運動していないと低く出る。果たしてどちらが本当なのやら。。 存在学というものが、その存在の内に本来的な存在とか、非存在的な存在、あるいは本質的な存在とか、偶然的な存在とかいう区別を附するにつれて、最も完全な本来的な存在が考えられなければならなくなる。それが神であり、従って形而上的な神…

  • 神話は、理解しがたい自然の事象に対し、それと人間の世界とを調停する手段である。

    神話は、理解しがたい自然の事象に対し、それと人間の世界とを調停する手段である。 レヴィ=ストロース 神話、というものに惹かれている。 なんというか、あからさまなところもあり、小学生で接する神話はなにかとオブラートに包まれていたりするわけだが、 そのオブラートの存在を知らず、オリジナルに接すると、その毒々しさに自家中毒気味になったりする。 だが、グリム童話しかり、千夜一夜物語しかり、結局フォークロアや神話の類は、わかりやすくこの世界のことや、人間やその他もろもろの事象の実際を、そのものとして手渡すことを主眼としている。 受け取った人は、人それぞれの消化時間をへて、だいたいは老年になるとそれがじわ…

  • 自己責任は公共が個人を助けないことを意味する言葉となってきたが、本来はそうではない。

    自己責任という言葉が最近では悪い意味で扱われることが多くなってきましたが、基本的には誰でも自分の人生には自分で責任を持つ必要があります。自分で責任を持つためには、自分で考え、自分で行動しなければならないのです。 勝間和代 今は「自己責任」ということばにドクサが厚くこびりついて、「国民を政府が援助しないときにする政府側の言い訳」というニュアンスになってきた。 なので、「それは自己責任でしょう」と言えば、 言われた人は「云い放たれた」「偉そうに言われた」「アンタに言われたくない」「そんなこというのなら同じ条件でオマエがやってみんかい、ボケッ!!」という戦闘的な気分になる。 まあ、人を拒否するときに…

  • 病気は主体的に治す。

    最強の健康保持方法は、保険制度がありつつ、自身の健康を主体的に見つめ、維持強化に努める心を持つことであるように思う。 考えてみると、子供のころは「健康は他人が管理するもの」であった。 これはある意味とても贅沢なことではあるのだが、勿論子供なので、面倒だな、と思っていた。 会社に入っても健康診断を会社で行えば、「他人のために健康を維持している」という感覚もあった。 勿論会社であれば、健康保険費用を減らすために社員は健康であるほうがいい。会社員の健康は一部は会社のためでもある。 しかし、結局のところ健康維持は自分のため。 そのことがやっとすこしわかってきた。 自分なりに主体的に自分の身体を維持しよ…

  • 「親ガチャ」は言ってもいいが、言い訳になりがちなので、諦めない方がいいかな。

    子は親を選べない。いや、宗教的にみると「選んで生まれてくる」ということも一方では言えるのだが。その時の「選ぶ」はどちらかというと「個体の意思」よりは、「総体の、全の、意思という明確な形を取り切っていないがちょっと意思といえなくはないかもしれないもの」によるものかもしれないが。 親も子を選べない。なんというか、「子供をつくる」「結婚は恋愛とは別」というひとは、個人的にはあまり好き、とは言えない気がするのだが、まあ、大多数の皆さんは違う意見かもしれない。 選ぶ、とうことばにはすべからく「比較」の心が入っている。 そう、「地獄」と呼ばれる「比較」だ。 人と自分を比較することは地獄なのだ。 まあ、学校…

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