アフロ・キューバン・ララバイJ.マーシャル編使用写真撮影者 : 学生時代に安いデジカメで撮影したものですギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214夏になると海を思いながら無性に弾きたくなる曲です。カリブ海の明るい日差しと、アフリカのリフのように繰り返される単調なメロディーが融合したよ...
クラシック音楽を自分の心が感じたそのままに記す事をモットーにしています。 クラシック・ギターのアナリーゼの考察実践の練習風景や、作品演奏動画、自作品をアップしています。 お知らせ下さればフォローいたします。
DAWソフトに詳しい方、是非お友達になってください。 オンラインで一緒にジャンル問わず何でもありのバンド演奏も如何ですか? 私はアコギ、エレキ、ベース、クラシック・ギターは演奏可能です。 自作品への参加も、お手伝いしてくださると助かります。
パステルカラーのサティと不愛想なサティ/ピアノ作品集(2)/E.サティ
GWの間、二人でルールを作りました。カーナビ以外、スマホはお店や施設の検索と緊急時の連絡用としてのみ使用、旅行を純粋に楽しむというものです。その代わり、最後まで守れればお互い夏のボーナスで好きな物を一つ買おうというご褒美付きです(私には見える・・バーンスタインCBS録音全集・・うふ、うふ、うはぁ・・ぁ)♪~♫~♩~パスカル・ロジェのサティ、それはパステル・カラーの柔らかさの中に小さなポップアートが現れるもので...
巨匠たちがこぞって取り上げた? 歌劇 「アウリスのイフィゲニア」序曲/C.W.グルック
なにかと共通点を持つ今回、トスカニーニとワルターは2年違いのカーネギー・ホールでのライヴ録音、また、ワルターとフルトヴェングラーは同年のライヴ録音である事が分かります。ワルターがコロンビアへ残した数少ないライヴ録音であると同時に、今回の中では唯一スタジオ録音で残されたクレンペラー盤の威容はこれらの中でも飛び抜けたスケールの演奏だと驚くものです。1952年から1960年の間に録音されたグルックの「アウリスの...
アルト・ラプソディー op.53(2)/J.ブラームス/ワルター
このジャケットは、パッと見は地味なのですが、書かれている画のバランス、色調、そして何よりも雰囲気が心を惹き付けます。この絵の中に暫しの時を過ごし、心を彷徨わせていました、ですからバラの配置も(これ置く意味があるから置いています)ここでなければならなかったのです。自分が体験したことのない事でも、相手の気持ちを推し量れる人、理解しようとする人、そういう人を思いやりのある人と呼ぶのだと信じます。※各アルバ...
クリスタ・ルートヴィヒの2つのアルト・ラプソディー op.53/J.ブラームス
ルートヴィヒの歌うブラームスやワーグナー、マーラーやリヒャルト・シュトラウスが大好きです。それらはドイツ・ロマン派の作品である事も特徴なのですが、濃厚なロマンの中にあって、その落ち着いた風格によって、それらに深みを増すのがルートヴィヒの歌唱なのだと感じます。ベームやカラヤン、クレンペラー、バーンスタインと、多くの指揮者たちにドイツ・ロマン派作品で抜擢された彼女の存在は大きなものだと知ると同時に、確...
引っ越しで消えたレコードを入れたひと箱/スペイン舞曲集 op.37/E.グラナドス
引っ越しをした時、LPレコードは3箱ありました。ひと箱無い事に気付くのは、それから数か月経ってからでした。そして今もCDで発売されるのを待つのですが、この一枚は一向に発売されません。確かエンジェルから発売されていたジャケットにスペインの宮殿の中庭の描かれたゴンサロ・ソリアーノの「スペイン舞曲(全曲)」です。この作品は、最初にギター演奏から出合ったもので、アルベニスやグラナドスのピアノ作品にある何かが、ギ...
ソナタ集 op.5/A.コレッリ/ブリュッヘン/レオンハルト/ビルスマ
ほんの二日前にバルビローリ編曲によるop.5を記したのですが、そのop.5を既に記したと思い込んでいたおっちょこちょいの私がいます。ということで急遽変更しました。(間に合うかしら・・ぇ)出版年は一昨日の記事に記しています。このソナタ集は12曲より成り立っていて、本来は「ヴァイオリン・ソナタ op.5」となっているのですが、楽器編成Vl&ヴィオローネ(またはCemb)と辞典には記されています。ここではリコーダーとチェンバ...
閑話休題/「復活」 第4楽章に指揮者の人間味を知ったような気がする/G.マーラー 交響曲 第2番
人生は各々が答えを見つけるために有るのかも知れませんね。私が音楽を自分探しの中心となるものに選んだのは、とても小さいながらも
バルビローリは自身編曲によって色々な作品を録音に残しています。ワーナー録音全集のBOXからは、A.コレッリのヴァイオリン・ソナタ集op.5(「ラ・フォリア」が知られる)から編曲された2つの作品を聴く事が出来ます。その一つ、協奏曲としてオーボエ奏者であった妻イヴリン・ロズウェル(イヴリン・レイディ・バルビローリ)と3種類の録音、合奏協奏曲への編曲でハレ管弦楽団と共に1つの録音を残してくれました。A.コレッリのヴァイオ...
デュフリ、デュルフレ、デュプレ、デ・プレ、デュ=マージュ、デュランテ、デュレ、デュファイ、デュパルク、デュティーユ、デュアルテ・・。この中で作品が直ぐに浮かんでくる作曲家は何人くらいいるのでしょう?私は5人でした・・ぇ聴けば「あぁ」と思い出す作曲家も、まだ知らない作曲家も
ジークフリート牧歌(4)/R.ワーグナー/ワルター(1953/リハーサル/1959/リハーサル)
ワルターは「ジークフリート牧歌」の録音と同じくしてリハーサルの様子も残してくれています。それらと照らし合わせながら聴くのももう一つの楽しみとなりました。発売盤を聴くだけでは、私には詳細に分からなかったワルターの意図(いえ想いでしょうか)を、驚きをもって、また共感をもって感じる事が出来たと思っています。[お知らせ]「CDを貰ってください]コーナー、皆様もう既に持っていらっしゃるようですね。これからもページ...
ジークフリート牧歌(3)/R.ワーグナー/クナッパーツブッシュ/クーベリック/カラヤン
今回は演奏時間が近い3枚を選んでみました。同じジークフリートが愛嬌をふりまいたり、畏まったり、親しみを持った柔和さを見せたりと、なかなか幅広い人格の持ち主に思われます。ジークフリート牧歌は作品自体が持つ規模も含め多様な姿と楽しみを持ち、お気に入りの一枚で雰囲気に浸るのも、また、聴き比べをするのも満たしてくれる作品だと思っています。※各アルバムに張り付けてあるバラ飾りは
ジークフリート牧歌(2)/R.ワーグナー/クリュイタンスとフルトヴェングラー、或いはフランスとドイツのワーグナー
こんな経験はないでしょうか・・、旅行へ出かける時の列車が、自分が普段過ごす場所を通過する時、いつもの景色と違って見える事を。ましてそこを離れる決意で別れの時には、人間関係などであんなに嫌いになった街が、走馬灯のように幼い頃の美しい風景のみとなり浮かび上がって来る事を。今回取り上げたのは、フランスとドイツの指揮者による「ジークフリート牧歌」が、その性格を異としながらも紛れもないワーグナーの陶酔の世界...
ジークフリート牧歌(1)/R.ワーグナー/トスカニーニ(1936/46/52)
クーベリックのLPレコードに記されていた、まだ妻や子供たちが寝ている間に、自邸の階段にまで楽団員を配置してこの作品を演奏してコジマ(F.リストの娘)を喜ばせたという風景を思い浮かべた作品です。オペラ以外のワーグナー作品としても「ワーグナー管弦楽曲集」などのアルバムに収録される事が多いので自然に集まるのではないでしょうか。指輪4部作の一つ「ジークフリート」のモティーフが、ここでは何と家庭的で穏やかな響きと...
24のカプリ-ス op.1/N.パガニーニ/アッカルド/パールマン
ヴァイオリンの4本の弦から、重音奏法や様々なテクニックを駆使して浮き立ってくるメロディーに強く惹かれる作品です。これはバッハの無伴奏からも感じるもので、ギターを弾く私は、複雑な音型の中に明確に浮かび上がるそれに反応してしまいます。パガニーニのカプリースには、ショパンのエチュードに見るような分散和音上のメロディーから、バッハの対位法、オブリガートの妙、近くや離れた重音の連続、特殊奏法などなど、ヴァィ...
心の日曜日(10)/クラシックで聴くイギリスとアイルランド民謡編
民謡をオーケストレーションするのは編曲・演奏含めそのアプローチによって変わるのでしょうか。ドラマや「想い出の何々・・」という番組中では、映像も加わり思い切り情に訴えかけて来るように感じるものが多いようにも感じます。「マドンナの宝石」等でのアーサー・フィードラーはサービス精神あふれるそれの良さを発揮し、今回のバルビローリやプレヴィンは民謡を自身の中に有る姿で追い求めるように感じます。それも録音の時に...
交響曲 第3番 ヘ長調 op.90(7)/J.ブラームス/ワルター(1953/60)
ワルターの第3番に触れた時の感動は今も、いえ、一生残り続けると信じるものです。ニューヨーク・フィルとコロンビア響に録音された2枚は共に速めの歩みで毅然と刻まれるように感じます。そこにもし、表現への色気・サービス精神とでも記したらよいでしょうか・・、それが少しでも覗いたなら、私はきっとこの演奏に感動しなかったと思います。他にも感慨深く歌わせる盤は数多なのですから。ところが、ワルターのブラームスにはその...
交響曲 第3番 ヘ長調 op.90(6)/J.ブラームス/ベーム
ベームの第3番は、最初に触れた時の第一印象より、何度も聴くうちに段々とその魅力が溢れ出て来た演奏でした。そして気付けば第3番の大好きな演奏となっていたのです。こうして段々と好きになって来る盤は、やがて人生の一枚となる事も信じるようになりました。---------------------------------音楽に子供の頃のような素直な気持ちで接したい・・。[ジョークの欠片(イギリスの小さな女の子編)」「普通券の往復、お願いします」「...
交響曲 第3番 ヘ長調 op.90(5)/J.ブラームス/カラヤン(1960/64/86)
カラヤンの録音を記す時、今回は3つの会場の響きも加味したいと思いました。私は60年代の録音が、後の全方向に広がる抜けの良い響きより好きだと記しました。それでもシベリウスでは例外的にレーベルの違いだけではなく、その抜けの良いホールの特質により80年代の方が好きと記しました。また、近い年に同じベルリン・フィルにより録音されたベートーヴェン交響曲全集ではカラヤンとクリュイタンスの会場の特質による違いにも触れ...
交響曲 第3番 ヘ長調 op.90(4)/J.ブラームス/ヨッフム
ブラームスを内からではなく外から眺める事は、そこに含まれる彼という存在の証明でもあるかのような想いというものが薄れて魅力や愉悦感自体も希薄になるのかな・・、と思いきや、多くの指揮者による演奏のそれらには指揮者独自の想いとの結合、変容が有るようにも思えて来る今日この頃。ヨッフムがMONOで録音したこのブラームスからは、ソリッドな、言い換えれば楽譜の中のブラームスの想いというものが見晴らし良くなった・・?...
以前記しましたように、私の買ったCDがBOX等の購入によって2枚以上(しかもリマスターが同じですから音の違いを感じるという事からも収集の枠を外れてしまった盤)が寂しそうに別の棚に並んでいます。地方での発売は、年代の古いものも混在していて、なんと1980-90年代というとても古いものもあります。大切に扱っていた国内盤でケースも綺麗なままだと思います。(唯一いつも表を向く片側の背だけは色褪せがひどいものがあります、盤...
交響曲 第3番 ヘ長調 op.90(3)/J.ブラームス/バルビローリ(1952/1967)
[演奏の欠片]楽器を好きになり演奏したいと思った時、そこには自分とその楽器との間に熱望のような何かを感じたのではないでしょうか。あんなに弾けていたのにと思った曲も、時と共に自分の中で移ろい、迷い、短いフレーズ一つさえ弾けなくなった経験は誰もが持つのでしょうか。それは多分、技巧ではなく表現的なものに突き当たり出口なく迷っているのだと思う時があります。ですから、それを人前で感動と共に披露して見せる演奏家...
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アフロ・キューバン・ララバイJ.マーシャル編使用写真撮影者 : 学生時代に安いデジカメで撮影したものですギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214夏になると海を思いながら無性に弾きたくなる曲です。カリブ海の明るい日差しと、アフリカのリフのように繰り返される単調なメロディーが融合したよ...
チャイコフスキーの交響曲は、ドヴォルザークのそれらと同じく、後期の3曲辺りが発売される事が多いように思っています。私はどの作曲家も第1番にそのルーツを見るような気がしていて、それが例えマイナーで入手困難であっても可能な限り揃えるようにしているのですが、そこには大成する前の初々しさ等と共に、彼等独自の感性の根源に必ず出会うようにも思っています。第4番から第6番「悲愴」は本当に録音が多いのですが、初期の標...
ヴィヴァルディの良さの一つに、情に深入りせずサラッと聴かせる、それでいて風景や喜怒哀楽の描写には強い共感を覚えるという事もあるのではないでしょうか。必要に迫られて実用音楽・教育(孤児院施設での)に大量生産した彼は、既に作られた自作品を変奏曲のように様々に料理できる才能に恵まれていたと感じたのです。いえ・・、もしかするとその需要こそが彼の素材を多種に展開する腕を磨いたのかも知れませんね。ですから、変奏...
もう使わずベッドの下に眠るだけのBOX・・。希少なものを集めていると自負する私は、誰かに聴かれる方が・・、欲しいと思っている人の手に委ねる方が・・、と思うようになりました。それは最近までこのブログでも単盤で貰い手を募っていたCDたちへの想いと同じです。中にはamazonに現在99,970円というとんでもない値段で並んでいるもの、3-4万のものなども多くあるのですが、オークションには10,000円程で次の日曜まで並んでいま...
当ブログで出会うことの出来ました皆様からの優しさ、記事のないままご訪問くださいます事に申し訳ない気持ちと感謝で胸一杯です。この場を借りてお礼申し上げます。アトリエ・バロック・フランセーズの臼井先生のブログからいつも前に進もうというお力を頂き、助けて頂いていたという事も記させてください。まだ暫くは徹夜に近い仕事に追われる毎日が続きますが、その甲斐あってもう一つの大きなプロジェクトにも参入出来る運びと...
ニ長調のワルツ作曲 : F.ターレガ使用写真撮影者 : ヒロサカ様 https://tomoyan10.blog.ss-blog.jp/ギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214昨年は介護のために爪を伸ばせなくなり録音する事が出来ませんでした。それでも毎日、基本練習だけはサボらずにしていたのですが、それまで染み込ませた感...
鍵盤楽器が独奏楽器として普及する前、それを担ったのが指で直接弾くギター族(仮)であった事は西欧音楽史の最初の方に記されています。ミランやナルバエス・・、スカルラッティたちが活躍する以前のスペイン宮廷で独奏楽器や歌曲の伴奏楽器としてのビウェラを用いて時代の音を響かせた彼らを知る音楽愛好家はまだ少ないのではないでしょうか。今回はビウェラ、リュート、ギターで弾かれるミラン作品を集めてみました。ルイス・デ・...
いみじき時 (歌曲集「灰色の歌」より)詞 : P.ヴェルレーヌ作曲 : 1892年葡萄摘みの3日間詞 : A.ドーデーリラの葉影の夜うぐいす (または「リラに来るうぐいす」)詞 : L.ドーファン恋する乙女詞 : ド・プリヴィユR.アーン Reynaldo Hahn (1874-19447 仏)マスネー風の甘美な旋律性により知られ、歌劇を含む80曲の劇場作品や、協奏曲、室内楽曲もあるが、104曲の歌曲がすぐれている。(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)※各アルバ...
フィヨルドの雄大な晩秋を感じる「秋に」は、演奏会用序曲としてのスケールと、グリーグの細やかで繊細な描写を併せ持つ作品ではないでしょうか。この作品でのグリーグの書法は明快であり、描くものが例えば下降音型であれば吹きすさぶ北風であったりと、ノルウェーの自然と密接な繋がりを感じます。それは短い秋に既に冬の厳しさが窺え、彼の家の立つフィヨルドを望む山と海とが一緒になった切り立った崖の壮観さとなるように思い...
ギター作品「セゴヴィア-ナ op.366」に聴く近代パリの街並みを思わせる雰囲気から知る事となったミヨーは、プーランク(ギター作品「ギターのためのサラバンド FP179」)やメシアンたちと同じ時代を生きた作曲家ですが、その作風はより馴染み良い特徴を持つと感じます。同じくギター作品を書いたルーセル(ギター作品「セゴヴィアop.29」)は印象主義からバーバリズム、新古典派へと作風が移り変わって行くように、当時のフランスは様...
この二つは書法的に正反対の作品ですが、驚く事に感覚として伝わるものは共通するのです。調性の持つ色、そこから生まれる音度差の作る情というものが、それを失ってなおベルクの世界を描いて見せる事に驚くのです。ベルク作品の場合は無機質なものとならず原子にまで分解されてもなお本質を残し続ける事に魅せられました。「私の眼を閉じさせて」の第1作は木や土壁、或いは程良く古びた壁紙に柔らかな灯かりの燈るカフェの片隅、...
バルビローリが現ワーナーに録音したモーツァルトの交響曲は29番と41番しかないという事に驚きます。そこで数年に渡る批評誌を持つ友人に29番とジュピターの様子を訊ねてみるのですが、そこには彼の録音はどの年度にも挙がっていないようでそれにも驚いたのです。何故って、29番の愉悦感、響きの美しさは私の持つ何れよりも美しく、しかも録音も優秀であった事を示すように目の前に浮かび上がって来る音場のどの角度もまんべんなく...
いきなり文として成り立ちませんが、楷書による一筆書きのような演奏、それがワルターの29番だと思います。それは[端正で明確な意思を持つ]楷書による[その運びにより]一筆書きと感じたからです。演奏速度が私の持つ盤では最も軽やかで爽快、しかし弾き崩さない清潔感を保ったままでそれを成し得る事に驚きます。ワルター盤とコープマン盤はモダンとピリオドでの29番の理想像・・と、わたし自身は勝手に思っているのですが(なんと💦...
ケテルビーの描く世界は、実際はその土地っぽくリズムとメロディーを工夫したイメージ音楽である事に気付きます。それは映画などでも聴く独自のヴァーチャルな世界観を持つもので、その作曲書法はガヴォットを用いたりと、兎に角馴染み易い西欧のフォーマットを基本としたものである事が感じられました。しかし、子供の時に夢の世界へ連れて行ってくれた音の世界は魅力的であり、その楽しみはクラシックの下でも上でもない確固とし...
モーツァルト作品の魅力の一つに心地良い快速性を含めるとすると、29番はまさにそれに当てはまる交響曲だと思うのですが、クレンペラーは優雅に描き、そこに漂うニュアンスが細やかな表情を見せて愛らしいものになっています。これはベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」で触れた近寄り難いクレンペラーとはまるで別人のように思えたのも驚きの一つでした。クレンペラーはベートーヴェンとモーツァルトの違いをハッキリと描き分けた指揮...
私はモーツァルトの第29番を最もチャーミングな交響曲と思っています。彼の交響曲で最も大好きなのは第39番だと言うのは既に記しましたが、劇的な第25番や第40番の印象が強かったモーツァルトが、コープマンによる第29番との最初の出会いにより友人のような近しさを覚える事となりました。イ長調はギターではよく用いられる調で、その派手さと力強い輝きが特徴ですが、同主調のイ短調が組み合わされた時の響き、そのイ短調がハ長調...
オルガンもオーケストラも、その土地の響きを持つとするならば、今回の2組の演奏は見事にそれを表していると思います。録音年だけを見て、タイトルの通りどちらが現代風で、どちらが古風と考えられるでしょうか?実はカントロフ盤の響きというものが、案外バッハ達ドイツの作曲家の作品によって意識下に影響を受けているのではないかと思ったのもフランスの近・現代作品であるプーランク作品だからなのかも知れません。オルガン、弦...
複雑で心を騒ぎ立たせるロマン派の作品を楽しんでいると、たまに聴きたくなるのがただひたすら純粋な中世~ルネサンスの作品、あるいはPOPSやBlues.ROCKやJAZZであったりします。そして思います、遥か昔の世俗歌曲と現代の(広義での)POPSの共通点を。これらはいつの時代も変わらない人々の暮らしの一部として、或いは気軽な友達のようにずっと身近に在りつづけて来たのだと。何より曲によって使い分けられるリュートによるメロディ...
心はロマン派にあり、手法は古典派の先輩方への敬愛を示すシューベルトが残したピアノ三重奏曲は4曲あるそうです。しかし、辞典に記され演奏で聴くのは第1・2番と呼ばれる最晩年の作品2曲となっています。それら第1番・第2番と呼ばれるものは何れも最晩年に書かれていますが、第1番の方が第2番の後に作曲された(?)とも記されており現在でもはっきりとはしていないとあります。第1番が1828だとすると、それはシューベルト没年(1797-...
もしかすると人は愛しいもの(人だけではない)を想う時には美しい旋律を、別れる・離れる時には哀しさを堪えるために無機質(寂しい・虚しい/太陽は昇っているのに温かさを感じない/味がしない/周りが別世界に思える等)と感じるのでしょうか・・。それらと一緒に過ごせた喜びという想い出となった時に「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のように美しく漂い、同時にそれが過去形である事の切なさも心に固まりとなって存在する事...
チャイコフスキーの交響曲は、ドヴォルザークのそれらと同じく、後期の3曲辺りが発売される事が多いように思っています。私はどの作曲家も第1番にそのルーツを見るような気がしていて、それが例えマイナーで入手困難であっても可能な限り揃えるようにしているのですが、そこには大成する前の初々しさ等と共に、彼等独自の感性の根源に必ず出会うようにも思っています。第4番から第6番「悲愴」は本当に録音が多いのですが、初期の標...
ヴィヴァルディの良さの一つに、情に深入りせずサラッと聴かせる、それでいて風景や喜怒哀楽の描写には強い共感を覚えるという事もあるのではないでしょうか。必要に迫られて実用音楽・教育(孤児院施設での)に大量生産した彼は、既に作られた自作品を変奏曲のように様々に料理できる才能に恵まれていたと感じたのです。いえ・・、もしかするとその需要こそが彼の素材を多種に展開する腕を磨いたのかも知れませんね。ですから、変奏...
もう使わずベッドの下に眠るだけのBOX・・。希少なものを集めていると自負する私は、誰かに聴かれる方が・・、欲しいと思っている人の手に委ねる方が・・、と思うようになりました。それは最近までこのブログでも単盤で貰い手を募っていたCDたちへの想いと同じです。中にはamazonに現在99,970円というとんでもない値段で並んでいるもの、3-4万のものなども多くあるのですが、オークションには10,000円程で次の日曜まで並んでいま...
当ブログで出会うことの出来ました皆様からの優しさ、記事のないままご訪問くださいます事に申し訳ない気持ちと感謝で胸一杯です。この場を借りてお礼申し上げます。アトリエ・バロック・フランセーズの臼井先生のブログからいつも前に進もうというお力を頂き、助けて頂いていたという事も記させてください。まだ暫くは徹夜に近い仕事に追われる毎日が続きますが、その甲斐あってもう一つの大きなプロジェクトにも参入出来る運びと...
ニ長調のワルツ作曲 : F.ターレガ使用写真撮影者 : ヒロサカ様 https://tomoyan10.blog.ss-blog.jp/ギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214昨年は介護のために爪を伸ばせなくなり録音する事が出来ませんでした。それでも毎日、基本練習だけはサボらずにしていたのですが、それまで染み込ませた感...
鍵盤楽器が独奏楽器として普及する前、それを担ったのが指で直接弾くギター族(仮)であった事は西欧音楽史の最初の方に記されています。ミランやナルバエス・・、スカルラッティたちが活躍する以前のスペイン宮廷で独奏楽器や歌曲の伴奏楽器としてのビウェラを用いて時代の音を響かせた彼らを知る音楽愛好家はまだ少ないのではないでしょうか。今回はビウェラ、リュート、ギターで弾かれるミラン作品を集めてみました。ルイス・デ・...
いみじき時 (歌曲集「灰色の歌」より)詞 : P.ヴェルレーヌ作曲 : 1892年葡萄摘みの3日間詞 : A.ドーデーリラの葉影の夜うぐいす (または「リラに来るうぐいす」)詞 : L.ドーファン恋する乙女詞 : ド・プリヴィユR.アーン Reynaldo Hahn (1874-19447 仏)マスネー風の甘美な旋律性により知られ、歌劇を含む80曲の劇場作品や、協奏曲、室内楽曲もあるが、104曲の歌曲がすぐれている。(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)※各アルバ...
フィヨルドの雄大な晩秋を感じる「秋に」は、演奏会用序曲としてのスケールと、グリーグの細やかで繊細な描写を併せ持つ作品ではないでしょうか。この作品でのグリーグの書法は明快であり、描くものが例えば下降音型であれば吹きすさぶ北風であったりと、ノルウェーの自然と密接な繋がりを感じます。それは短い秋に既に冬の厳しさが窺え、彼の家の立つフィヨルドを望む山と海とが一緒になった切り立った崖の壮観さとなるように思い...
ギター作品「セゴヴィア-ナ op.366」に聴く近代パリの街並みを思わせる雰囲気から知る事となったミヨーは、プーランク(ギター作品「ギターのためのサラバンド FP179」)やメシアンたちと同じ時代を生きた作曲家ですが、その作風はより馴染み良い特徴を持つと感じます。同じくギター作品を書いたルーセル(ギター作品「セゴヴィアop.29」)は印象主義からバーバリズム、新古典派へと作風が移り変わって行くように、当時のフランスは様...
この二つは書法的に正反対の作品ですが、驚く事に感覚として伝わるものは共通するのです。調性の持つ色、そこから生まれる音度差の作る情というものが、それを失ってなおベルクの世界を描いて見せる事に驚くのです。ベルク作品の場合は無機質なものとならず原子にまで分解されてもなお本質を残し続ける事に魅せられました。「私の眼を閉じさせて」の第1作は木や土壁、或いは程良く古びた壁紙に柔らかな灯かりの燈るカフェの片隅、...
バルビローリが現ワーナーに録音したモーツァルトの交響曲は29番と41番しかないという事に驚きます。そこで数年に渡る批評誌を持つ友人に29番とジュピターの様子を訊ねてみるのですが、そこには彼の録音はどの年度にも挙がっていないようでそれにも驚いたのです。何故って、29番の愉悦感、響きの美しさは私の持つ何れよりも美しく、しかも録音も優秀であった事を示すように目の前に浮かび上がって来る音場のどの角度もまんべんなく...
いきなり文として成り立ちませんが、楷書による一筆書きのような演奏、それがワルターの29番だと思います。それは[端正で明確な意思を持つ]楷書による[その運びにより]一筆書きと感じたからです。演奏速度が私の持つ盤では最も軽やかで爽快、しかし弾き崩さない清潔感を保ったままでそれを成し得る事に驚きます。ワルター盤とコープマン盤はモダンとピリオドでの29番の理想像・・と、わたし自身は勝手に思っているのですが(なんと💦...
ケテルビーの描く世界は、実際はその土地っぽくリズムとメロディーを工夫したイメージ音楽である事に気付きます。それは映画などでも聴く独自のヴァーチャルな世界観を持つもので、その作曲書法はガヴォットを用いたりと、兎に角馴染み易い西欧のフォーマットを基本としたものである事が感じられました。しかし、子供の時に夢の世界へ連れて行ってくれた音の世界は魅力的であり、その楽しみはクラシックの下でも上でもない確固とし...
モーツァルト作品の魅力の一つに心地良い快速性を含めるとすると、29番はまさにそれに当てはまる交響曲だと思うのですが、クレンペラーは優雅に描き、そこに漂うニュアンスが細やかな表情を見せて愛らしいものになっています。これはベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」で触れた近寄り難いクレンペラーとはまるで別人のように思えたのも驚きの一つでした。クレンペラーはベートーヴェンとモーツァルトの違いをハッキリと描き分けた指揮...
私はモーツァルトの第29番を最もチャーミングな交響曲と思っています。彼の交響曲で最も大好きなのは第39番だと言うのは既に記しましたが、劇的な第25番や第40番の印象が強かったモーツァルトが、コープマンによる第29番との最初の出会いにより友人のような近しさを覚える事となりました。イ長調はギターではよく用いられる調で、その派手さと力強い輝きが特徴ですが、同主調のイ短調が組み合わされた時の響き、そのイ短調がハ長調...
オルガンもオーケストラも、その土地の響きを持つとするならば、今回の2組の演奏は見事にそれを表していると思います。録音年だけを見て、タイトルの通りどちらが現代風で、どちらが古風と考えられるでしょうか?実はカントロフ盤の響きというものが、案外バッハ達ドイツの作曲家の作品によって意識下に影響を受けているのではないかと思ったのもフランスの近・現代作品であるプーランク作品だからなのかも知れません。オルガン、弦...
複雑で心を騒ぎ立たせるロマン派の作品を楽しんでいると、たまに聴きたくなるのがただひたすら純粋な中世~ルネサンスの作品、あるいはPOPSやBlues.ROCKやJAZZであったりします。そして思います、遥か昔の世俗歌曲と現代の(広義での)POPSの共通点を。これらはいつの時代も変わらない人々の暮らしの一部として、或いは気軽な友達のようにずっと身近に在りつづけて来たのだと。何より曲によって使い分けられるリュートによるメロディ...
心はロマン派にあり、手法は古典派の先輩方への敬愛を示すシューベルトが残したピアノ三重奏曲は4曲あるそうです。しかし、辞典に記され演奏で聴くのは第1・2番と呼ばれる最晩年の作品2曲となっています。それら第1番・第2番と呼ばれるものは何れも最晩年に書かれていますが、第1番の方が第2番の後に作曲された(?)とも記されており現在でもはっきりとはしていないとあります。第1番が1828だとすると、それはシューベルト没年(1797-...
もしかすると人は愛しいもの(人だけではない)を想う時には美しい旋律を、別れる・離れる時には哀しさを堪えるために無機質(寂しい・虚しい/太陽は昇っているのに温かさを感じない/味がしない/周りが別世界に思える等)と感じるのでしょうか・・。それらと一緒に過ごせた喜びという想い出となった時に「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のように美しく漂い、同時にそれが過去形である事の切なさも心に固まりとなって存在する事...