アフロ・キューバン・ララバイJ.マーシャル編使用写真撮影者 : 学生時代に安いデジカメで撮影したものですギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214夏になると海を思いながら無性に弾きたくなる曲です。カリブ海の明るい日差しと、アフリカのリフのように繰り返される単調なメロディーが融合したよ...
クラシック音楽を自分の心が感じたそのままに記す事をモットーにしています。 クラシック・ギターのアナリーゼの考察実践の練習風景や、作品演奏動画、自作品をアップしています。 お知らせ下さればフォローいたします。
DAWソフトに詳しい方、是非お友達になってください。 オンラインで一緒にジャンル問わず何でもありのバンド演奏も如何ですか? 私はアコギ、エレキ、ベース、クラシック・ギターは演奏可能です。 自作品への参加も、お手伝いしてくださると助かります。
交響曲 第36番 ハ長調 「リンツ」 K.425(3)/W.A.モーツァルト/クレンペラー(1956)
クレンペラーの「リンツ」は2本のファゴットの存在感が意識された、一見モーツァルトらしくない重量級の演奏で、舞曲までも少し重い足取りの一風変わった、しかし気品と愉悦感に溢れるモダンだけに出せる味わいを感じます。この作品の2本づつのオーボエとファゴット、当時の編成では一般的であったその響きが意味する所も理解出来たように思うのが(意味の有るように聴かせるのが)クレンペラーの「リンツ」なのだと思ったのでした。...
交響曲 第36番 ハ長調 「リンツ」 K.425(2)/W.A.モーツァルト/ベーム(1966)
いつもその時の心のままに書き記すだけの私は前書きをいつものように書きました。それはきっと、ベームの演奏に母がかけてくれたレコードでクラシックに親しんだ頃を思い出し、現在の当たり前という惰性、あの頃の新鮮さという驚き、その狭間を一瞬ですが彷徨ったからかもしれません。という事で、前書きを最後に移動させました。音楽を聴いている方は皆、多かれ少なかれ同じ想いを持った事があるのでしょうか・・。※各アルバムに...
交響曲 第36番 ハ長調 「リンツ」 K.425(1)/W.A.モーツァルト/ワルター(1955/60)
後期三大交響曲では第39番が最も好きだと記しましたが、その3つ前(37番が含まれない事から実際は2つ前)の第36番「リンツ」は、序奏から動き始めた時のワクワク感が大好きです。古典派の巨匠たちの中でもこういったスピーディーで明るい軽やかさはモーツァルトの独壇場だと思っています。交響曲 第36番 ハ長調 「リンツ」 K.425 Symphonie No.36
彼はどうしてこのような・・。 ミサ曲 ロ短調 BWV.232/J.S.バッハ/クレンペラー
師がかつて記されていた「レチタティーヴォを持たない事」、或いはその劇的なものにより「ミサ曲 ロ短調」はカンタータから受難曲へと、バッハの宗教曲大作への入り口となる貴重な作品とのお言葉が思い出されます。しかも、マタイやヨハネ受難曲が演奏を選ぶのに対し、ミサ曲 ロ短調は融通の幅の広さに於いても目を見張るものが有り、さまざまなアプローチによる名演奏を多く持つ作品でもあると思っています。最初に聴いた厳しさの...
一般的なものとは少し違った2つの 組曲「ダフニスとクロエ」(2)/M.ラヴェル
第2組曲のみ録音された盤(1)と記した組曲版が、クリュイタンスが第1組曲も録音してくれていた事、バルビローリも面白い事をしています。しかも、これら2つはそれまで聴いて来た第2組曲とは違うものであったのです。「水の戯れ」とバレエ「ダフニスとクロエ」は私の中でのラヴェルそのものであり続けると信じます。同時にバレエ版と組曲版という「ダフニスとクロエ」が存在するのはラヴェルが同じ作品に別の管弦楽法を施した(試した...
バレエ音楽「ダフニスとクロエ」 (全曲版)(2)/M.ラヴェル/アンドレ・クリュイタンス
ラヴェルを最初に好きになったのはブーレーズによるこの「ダフニスとクロエ」(全曲版)からでした。それも序奏からであった事はブログでも最初の方に記す程に大好きな作品でもあるのですが。当時は第2組曲はカラヤンとアンセルメ盤で持っていたので、序奏最初のほぼ無音からの起ち上がりのダイナミックレンジの幅と、合唱が加わって大きなうねりとなる効果に感動し、その部分に於いては強い拘りを持つようになったとも記しています...
心の日曜日(12)/中央アジアの草原にて/A.P.ボロディン
遠近法と経過する時間の存在する音世界 ボロディンの「中央アジアの草原にて」は子供の頃より異国への扉を開けてくれる作品でした(なのに、ずっと忘れてしまっている作品でもあります)「ペルシャの市場にて」や「イーゴリ公」、「シェエラザード」など、それらに聴く東洋の描写は色彩感が強く、且つ力強さや官能、どこか懐かしい情感まであり、そこには民族色の強い暮らしまで垣間見えるように思います。ボロディンは、ロシア5人...
M-A.シャルパンティエ作品(4)/主の御降誕のカンティクム/9つのルソン・ド・テネブレ
シャルパンティエ作品を聴くということは、この2曲に出会うために有る・・。(よしな)なんて勝手なことを書いていますが、本人はいたって真面目に現時点ではそう思い込んでいます。バロック初期に於いて、鐘の音がこんなに情緒豊かに響く作品があるでしょうか。クリュイタンスがたった一度だけ録音した理由、それはきっとこの作品を演奏しなければと使命のようなものを感じたのではないかと・・勝手に思います・・ぁ「主の御降誕の...
M-A.シャルパンティエ作品(3)/死者のためのミサ(レクイエム)/他
私の中のレクイエムのベストというものを整理しておきたいと思います。(ただ一か所の様式を未記入のまま)このブログにも多くのレクイエムを記して来ましたが、これらの作品に優劣をつける事など出来ないのを承知の上で、私の心に深く存在するようになった特別を確認したいと思ったのでした。[今まで]は3つの特別な作品があると記して来ました。あれから1つ加わり4つになりました。それらは、なんとも都合よく、それぞれの様式を代...
M-A.シャルパンティエ作品(2)/歌劇 「メデ」/歌劇「オルフェウスの冥府下り」
古楽の演奏に於いて、ブリュッヘンやアーノンクール達の特別旋律を際立たせたり、表現の可能性追求による大胆な試みや、レオンハルトの厳しいまでの厳格さを持ち込む事、それより後のイタリアの奏者達が見せた過激性などが、クリスティではごく自然に、しかも表現したい事を語弊はありますが「より簡易に」成し遂げる術を身に着けたように感じられました。それによって現われる音楽は、確かな推進力と十分に歌う味わい深い歌を両立...
M-A.シャルパンティエ作品(1)/賢者の石 H501/エール/シャコンヌ
ディヴェルティスマン(ここでは幕間劇)「賢者の石」は、以前スペインの作曲家リテレスの作品でも記した四大元素を題材としています。RPGにもそれらの要素を持つ属性・魔法が取り入れられたものも多く、それらによる攻撃の相性・耐性などが考慮される物を見かけます。シャルパンティエの妖精たちは中々キュートな(人格?)を持つ妖精たちではないでしょうか。特に火と水の精の二重唱「私たち二人が一緒にいるなんて」は作品が微笑まし...
心の日曜日(11)/クラシックで聴くイギリスとアイルランド民謡編(2)
イギリス民謡は日本の学校でもよく歌われる曲が多く、誰もが普通に知っているのも特徴でしょうか。今回は前回記せなかった曲、重ならない演奏を選んでみました。キリ・テ・カナワの歌、合唱の響き、そして少年少女合唱団の懐かしさ、音楽室の匂いと共に同級生たちの顔が思い出されます。そうそう、この間街で出会ったあの人、きっと同級生だと思う・・、相手も私を暫く見てたので間違いないとは思うのですが、何故か声をお互いかけ...
3本のリコーダーによるフランス・バロックのソナタ/ソナタ 変ロ長調/L-A.ドルネル
彼より5年後に生まれ、パリのサン・マドレーヌ教会やサン・ジュヌヴィエーヴ教会でオルガニストを務めたアントニー・ドルネル(1685-1765)と間違われる事の多いルイ・アントワーヌ・ドルネル(c.1680-after 1756)のリコーダー3本によるソナタは、ブリュッヘン達が取り上げた事で現在に聴かれるようになったのではないでしょうか。実は私はヴェルサイユ楽派のドルネル作品にこの1曲しかお目にかかった事が無いのです。辞典にもアント...
今日は帰宅してY-XYZ様https://yxyzusa.blog.fc2.com/の記して下さった嬉しいコメントを拝読させて頂きました。その時にご紹介くださったシェーンベルク作品を聴かせて頂いて、真夜中に彼の作品を聴きたいと思いました。というわけで、今夜はグールドの弾くピアノ作品全集を選んだのでした。(輝く夜景に浮かぶ冷たい鉄筋コンクリートの世界を思い浮かべるポリーニ盤と迷いました。その冷たい固まりの中にところどころ灯る、誰かが...
弦楽四重奏曲 第10番 変イ長調 op.118/D.D.ショスタコーヴィチ
この作品については辞典はじめwikiにも簡単な記録しか見つけられませんでした。しかし、毎度ながら一筋縄ではいかない何かが潜んでいるのを感じるのがショスタコーヴィチ作品で、最初の作品を取りやめ作り直した9番と、続けて書かれた10番は、それまでの総括のようなものも感じます。そう思うのは、単なる思い付きではなく根拠があるのです、それは前回の第9番で記した
中学生の頃、1.000円や1,200円で名盤と呼ばれるものがシリーズとなったものを安い!と思って優先的に買ったものです。それが現在ではBOXで1枚当たりの値段を計算するようになり、1枚200円だと高い!と感じるのですから不思議です。大手レーベルでは古楽専門レーベルを別に持っていて、BOXでもそれらが区別され、偶に混在させたりして発売されています。最近の傾向としては初盤のジャケットと資料を付けたり、レーベルに録音されたも...
楷書の「マタイ受難曲」と行書の「マタイ受難曲」BWV.244/J.S.バッハ
タイトルは、リズムの刻みだけではなく、各パートの歌わせ方にもそれを感じるという事で、どこまでも横に滑らかに繋げるフルトヴェングラーと、一音毎に折り目正しいリヒター、その中間で我が道を行くクレンペラー、今回はモダンによる「マタイ受難曲」の中から3つを選んでみました。ピリオドから受難曲に接した私は、モダン・オーケストラによるミサ曲も含むこれらに最初は違和感さえ覚えたのですが、今ではモダンとピリオドとい...
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アフロ・キューバン・ララバイJ.マーシャル編使用写真撮影者 : 学生時代に安いデジカメで撮影したものですギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214夏になると海を思いながら無性に弾きたくなる曲です。カリブ海の明るい日差しと、アフリカのリフのように繰り返される単調なメロディーが融合したよ...
チャイコフスキーの交響曲は、ドヴォルザークのそれらと同じく、後期の3曲辺りが発売される事が多いように思っています。私はどの作曲家も第1番にそのルーツを見るような気がしていて、それが例えマイナーで入手困難であっても可能な限り揃えるようにしているのですが、そこには大成する前の初々しさ等と共に、彼等独自の感性の根源に必ず出会うようにも思っています。第4番から第6番「悲愴」は本当に録音が多いのですが、初期の標...
ヴィヴァルディの良さの一つに、情に深入りせずサラッと聴かせる、それでいて風景や喜怒哀楽の描写には強い共感を覚えるという事もあるのではないでしょうか。必要に迫られて実用音楽・教育(孤児院施設での)に大量生産した彼は、既に作られた自作品を変奏曲のように様々に料理できる才能に恵まれていたと感じたのです。いえ・・、もしかするとその需要こそが彼の素材を多種に展開する腕を磨いたのかも知れませんね。ですから、変奏...
もう使わずベッドの下に眠るだけのBOX・・。希少なものを集めていると自負する私は、誰かに聴かれる方が・・、欲しいと思っている人の手に委ねる方が・・、と思うようになりました。それは最近までこのブログでも単盤で貰い手を募っていたCDたちへの想いと同じです。中にはamazonに現在99,970円というとんでもない値段で並んでいるもの、3-4万のものなども多くあるのですが、オークションには10,000円程で次の日曜まで並んでいま...
当ブログで出会うことの出来ました皆様からの優しさ、記事のないままご訪問くださいます事に申し訳ない気持ちと感謝で胸一杯です。この場を借りてお礼申し上げます。アトリエ・バロック・フランセーズの臼井先生のブログからいつも前に進もうというお力を頂き、助けて頂いていたという事も記させてください。まだ暫くは徹夜に近い仕事に追われる毎日が続きますが、その甲斐あってもう一つの大きなプロジェクトにも参入出来る運びと...
ニ長調のワルツ作曲 : F.ターレガ使用写真撮影者 : ヒロサカ様 https://tomoyan10.blog.ss-blog.jp/ギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214昨年は介護のために爪を伸ばせなくなり録音する事が出来ませんでした。それでも毎日、基本練習だけはサボらずにしていたのですが、それまで染み込ませた感...
鍵盤楽器が独奏楽器として普及する前、それを担ったのが指で直接弾くギター族(仮)であった事は西欧音楽史の最初の方に記されています。ミランやナルバエス・・、スカルラッティたちが活躍する以前のスペイン宮廷で独奏楽器や歌曲の伴奏楽器としてのビウェラを用いて時代の音を響かせた彼らを知る音楽愛好家はまだ少ないのではないでしょうか。今回はビウェラ、リュート、ギターで弾かれるミラン作品を集めてみました。ルイス・デ・...
いみじき時 (歌曲集「灰色の歌」より)詞 : P.ヴェルレーヌ作曲 : 1892年葡萄摘みの3日間詞 : A.ドーデーリラの葉影の夜うぐいす (または「リラに来るうぐいす」)詞 : L.ドーファン恋する乙女詞 : ド・プリヴィユR.アーン Reynaldo Hahn (1874-19447 仏)マスネー風の甘美な旋律性により知られ、歌劇を含む80曲の劇場作品や、協奏曲、室内楽曲もあるが、104曲の歌曲がすぐれている。(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)※各アルバ...
フィヨルドの雄大な晩秋を感じる「秋に」は、演奏会用序曲としてのスケールと、グリーグの細やかで繊細な描写を併せ持つ作品ではないでしょうか。この作品でのグリーグの書法は明快であり、描くものが例えば下降音型であれば吹きすさぶ北風であったりと、ノルウェーの自然と密接な繋がりを感じます。それは短い秋に既に冬の厳しさが窺え、彼の家の立つフィヨルドを望む山と海とが一緒になった切り立った崖の壮観さとなるように思い...
ギター作品「セゴヴィア-ナ op.366」に聴く近代パリの街並みを思わせる雰囲気から知る事となったミヨーは、プーランク(ギター作品「ギターのためのサラバンド FP179」)やメシアンたちと同じ時代を生きた作曲家ですが、その作風はより馴染み良い特徴を持つと感じます。同じくギター作品を書いたルーセル(ギター作品「セゴヴィアop.29」)は印象主義からバーバリズム、新古典派へと作風が移り変わって行くように、当時のフランスは様...
この二つは書法的に正反対の作品ですが、驚く事に感覚として伝わるものは共通するのです。調性の持つ色、そこから生まれる音度差の作る情というものが、それを失ってなおベルクの世界を描いて見せる事に驚くのです。ベルク作品の場合は無機質なものとならず原子にまで分解されてもなお本質を残し続ける事に魅せられました。「私の眼を閉じさせて」の第1作は木や土壁、或いは程良く古びた壁紙に柔らかな灯かりの燈るカフェの片隅、...
バルビローリが現ワーナーに録音したモーツァルトの交響曲は29番と41番しかないという事に驚きます。そこで数年に渡る批評誌を持つ友人に29番とジュピターの様子を訊ねてみるのですが、そこには彼の録音はどの年度にも挙がっていないようでそれにも驚いたのです。何故って、29番の愉悦感、響きの美しさは私の持つ何れよりも美しく、しかも録音も優秀であった事を示すように目の前に浮かび上がって来る音場のどの角度もまんべんなく...
いきなり文として成り立ちませんが、楷書による一筆書きのような演奏、それがワルターの29番だと思います。それは[端正で明確な意思を持つ]楷書による[その運びにより]一筆書きと感じたからです。演奏速度が私の持つ盤では最も軽やかで爽快、しかし弾き崩さない清潔感を保ったままでそれを成し得る事に驚きます。ワルター盤とコープマン盤はモダンとピリオドでの29番の理想像・・と、わたし自身は勝手に思っているのですが(なんと💦...
ケテルビーの描く世界は、実際はその土地っぽくリズムとメロディーを工夫したイメージ音楽である事に気付きます。それは映画などでも聴く独自のヴァーチャルな世界観を持つもので、その作曲書法はガヴォットを用いたりと、兎に角馴染み易い西欧のフォーマットを基本としたものである事が感じられました。しかし、子供の時に夢の世界へ連れて行ってくれた音の世界は魅力的であり、その楽しみはクラシックの下でも上でもない確固とし...
モーツァルト作品の魅力の一つに心地良い快速性を含めるとすると、29番はまさにそれに当てはまる交響曲だと思うのですが、クレンペラーは優雅に描き、そこに漂うニュアンスが細やかな表情を見せて愛らしいものになっています。これはベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」で触れた近寄り難いクレンペラーとはまるで別人のように思えたのも驚きの一つでした。クレンペラーはベートーヴェンとモーツァルトの違いをハッキリと描き分けた指揮...
私はモーツァルトの第29番を最もチャーミングな交響曲と思っています。彼の交響曲で最も大好きなのは第39番だと言うのは既に記しましたが、劇的な第25番や第40番の印象が強かったモーツァルトが、コープマンによる第29番との最初の出会いにより友人のような近しさを覚える事となりました。イ長調はギターではよく用いられる調で、その派手さと力強い輝きが特徴ですが、同主調のイ短調が組み合わされた時の響き、そのイ短調がハ長調...
オルガンもオーケストラも、その土地の響きを持つとするならば、今回の2組の演奏は見事にそれを表していると思います。録音年だけを見て、タイトルの通りどちらが現代風で、どちらが古風と考えられるでしょうか?実はカントロフ盤の響きというものが、案外バッハ達ドイツの作曲家の作品によって意識下に影響を受けているのではないかと思ったのもフランスの近・現代作品であるプーランク作品だからなのかも知れません。オルガン、弦...
複雑で心を騒ぎ立たせるロマン派の作品を楽しんでいると、たまに聴きたくなるのがただひたすら純粋な中世~ルネサンスの作品、あるいはPOPSやBlues.ROCKやJAZZであったりします。そして思います、遥か昔の世俗歌曲と現代の(広義での)POPSの共通点を。これらはいつの時代も変わらない人々の暮らしの一部として、或いは気軽な友達のようにずっと身近に在りつづけて来たのだと。何より曲によって使い分けられるリュートによるメロディ...
心はロマン派にあり、手法は古典派の先輩方への敬愛を示すシューベルトが残したピアノ三重奏曲は4曲あるそうです。しかし、辞典に記され演奏で聴くのは第1・2番と呼ばれる最晩年の作品2曲となっています。それら第1番・第2番と呼ばれるものは何れも最晩年に書かれていますが、第1番の方が第2番の後に作曲された(?)とも記されており現在でもはっきりとはしていないとあります。第1番が1828だとすると、それはシューベルト没年(1797-...
もしかすると人は愛しいもの(人だけではない)を想う時には美しい旋律を、別れる・離れる時には哀しさを堪えるために無機質(寂しい・虚しい/太陽は昇っているのに温かさを感じない/味がしない/周りが別世界に思える等)と感じるのでしょうか・・。それらと一緒に過ごせた喜びという想い出となった時に「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のように美しく漂い、同時にそれが過去形である事の切なさも心に固まりとなって存在する事...
チャイコフスキーの交響曲は、ドヴォルザークのそれらと同じく、後期の3曲辺りが発売される事が多いように思っています。私はどの作曲家も第1番にそのルーツを見るような気がしていて、それが例えマイナーで入手困難であっても可能な限り揃えるようにしているのですが、そこには大成する前の初々しさ等と共に、彼等独自の感性の根源に必ず出会うようにも思っています。第4番から第6番「悲愴」は本当に録音が多いのですが、初期の標...
ヴィヴァルディの良さの一つに、情に深入りせずサラッと聴かせる、それでいて風景や喜怒哀楽の描写には強い共感を覚えるという事もあるのではないでしょうか。必要に迫られて実用音楽・教育(孤児院施設での)に大量生産した彼は、既に作られた自作品を変奏曲のように様々に料理できる才能に恵まれていたと感じたのです。いえ・・、もしかするとその需要こそが彼の素材を多種に展開する腕を磨いたのかも知れませんね。ですから、変奏...
もう使わずベッドの下に眠るだけのBOX・・。希少なものを集めていると自負する私は、誰かに聴かれる方が・・、欲しいと思っている人の手に委ねる方が・・、と思うようになりました。それは最近までこのブログでも単盤で貰い手を募っていたCDたちへの想いと同じです。中にはamazonに現在99,970円というとんでもない値段で並んでいるもの、3-4万のものなども多くあるのですが、オークションには10,000円程で次の日曜まで並んでいま...
当ブログで出会うことの出来ました皆様からの優しさ、記事のないままご訪問くださいます事に申し訳ない気持ちと感謝で胸一杯です。この場を借りてお礼申し上げます。アトリエ・バロック・フランセーズの臼井先生のブログからいつも前に進もうというお力を頂き、助けて頂いていたという事も記させてください。まだ暫くは徹夜に近い仕事に追われる毎日が続きますが、その甲斐あってもう一つの大きなプロジェクトにも参入出来る運びと...
ニ長調のワルツ作曲 : F.ターレガ使用写真撮影者 : ヒロサカ様 https://tomoyan10.blog.ss-blog.jp/ギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214昨年は介護のために爪を伸ばせなくなり録音する事が出来ませんでした。それでも毎日、基本練習だけはサボらずにしていたのですが、それまで染み込ませた感...
鍵盤楽器が独奏楽器として普及する前、それを担ったのが指で直接弾くギター族(仮)であった事は西欧音楽史の最初の方に記されています。ミランやナルバエス・・、スカルラッティたちが活躍する以前のスペイン宮廷で独奏楽器や歌曲の伴奏楽器としてのビウェラを用いて時代の音を響かせた彼らを知る音楽愛好家はまだ少ないのではないでしょうか。今回はビウェラ、リュート、ギターで弾かれるミラン作品を集めてみました。ルイス・デ・...
いみじき時 (歌曲集「灰色の歌」より)詞 : P.ヴェルレーヌ作曲 : 1892年葡萄摘みの3日間詞 : A.ドーデーリラの葉影の夜うぐいす (または「リラに来るうぐいす」)詞 : L.ドーファン恋する乙女詞 : ド・プリヴィユR.アーン Reynaldo Hahn (1874-19447 仏)マスネー風の甘美な旋律性により知られ、歌劇を含む80曲の劇場作品や、協奏曲、室内楽曲もあるが、104曲の歌曲がすぐれている。(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)※各アルバ...
フィヨルドの雄大な晩秋を感じる「秋に」は、演奏会用序曲としてのスケールと、グリーグの細やかで繊細な描写を併せ持つ作品ではないでしょうか。この作品でのグリーグの書法は明快であり、描くものが例えば下降音型であれば吹きすさぶ北風であったりと、ノルウェーの自然と密接な繋がりを感じます。それは短い秋に既に冬の厳しさが窺え、彼の家の立つフィヨルドを望む山と海とが一緒になった切り立った崖の壮観さとなるように思い...
ギター作品「セゴヴィア-ナ op.366」に聴く近代パリの街並みを思わせる雰囲気から知る事となったミヨーは、プーランク(ギター作品「ギターのためのサラバンド FP179」)やメシアンたちと同じ時代を生きた作曲家ですが、その作風はより馴染み良い特徴を持つと感じます。同じくギター作品を書いたルーセル(ギター作品「セゴヴィアop.29」)は印象主義からバーバリズム、新古典派へと作風が移り変わって行くように、当時のフランスは様...
この二つは書法的に正反対の作品ですが、驚く事に感覚として伝わるものは共通するのです。調性の持つ色、そこから生まれる音度差の作る情というものが、それを失ってなおベルクの世界を描いて見せる事に驚くのです。ベルク作品の場合は無機質なものとならず原子にまで分解されてもなお本質を残し続ける事に魅せられました。「私の眼を閉じさせて」の第1作は木や土壁、或いは程良く古びた壁紙に柔らかな灯かりの燈るカフェの片隅、...
バルビローリが現ワーナーに録音したモーツァルトの交響曲は29番と41番しかないという事に驚きます。そこで数年に渡る批評誌を持つ友人に29番とジュピターの様子を訊ねてみるのですが、そこには彼の録音はどの年度にも挙がっていないようでそれにも驚いたのです。何故って、29番の愉悦感、響きの美しさは私の持つ何れよりも美しく、しかも録音も優秀であった事を示すように目の前に浮かび上がって来る音場のどの角度もまんべんなく...
いきなり文として成り立ちませんが、楷書による一筆書きのような演奏、それがワルターの29番だと思います。それは[端正で明確な意思を持つ]楷書による[その運びにより]一筆書きと感じたからです。演奏速度が私の持つ盤では最も軽やかで爽快、しかし弾き崩さない清潔感を保ったままでそれを成し得る事に驚きます。ワルター盤とコープマン盤はモダンとピリオドでの29番の理想像・・と、わたし自身は勝手に思っているのですが(なんと💦...
ケテルビーの描く世界は、実際はその土地っぽくリズムとメロディーを工夫したイメージ音楽である事に気付きます。それは映画などでも聴く独自のヴァーチャルな世界観を持つもので、その作曲書法はガヴォットを用いたりと、兎に角馴染み易い西欧のフォーマットを基本としたものである事が感じられました。しかし、子供の時に夢の世界へ連れて行ってくれた音の世界は魅力的であり、その楽しみはクラシックの下でも上でもない確固とし...
モーツァルト作品の魅力の一つに心地良い快速性を含めるとすると、29番はまさにそれに当てはまる交響曲だと思うのですが、クレンペラーは優雅に描き、そこに漂うニュアンスが細やかな表情を見せて愛らしいものになっています。これはベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」で触れた近寄り難いクレンペラーとはまるで別人のように思えたのも驚きの一つでした。クレンペラーはベートーヴェンとモーツァルトの違いをハッキリと描き分けた指揮...
私はモーツァルトの第29番を最もチャーミングな交響曲と思っています。彼の交響曲で最も大好きなのは第39番だと言うのは既に記しましたが、劇的な第25番や第40番の印象が強かったモーツァルトが、コープマンによる第29番との最初の出会いにより友人のような近しさを覚える事となりました。イ長調はギターではよく用いられる調で、その派手さと力強い輝きが特徴ですが、同主調のイ短調が組み合わされた時の響き、そのイ短調がハ長調...
オルガンもオーケストラも、その土地の響きを持つとするならば、今回の2組の演奏は見事にそれを表していると思います。録音年だけを見て、タイトルの通りどちらが現代風で、どちらが古風と考えられるでしょうか?実はカントロフ盤の響きというものが、案外バッハ達ドイツの作曲家の作品によって意識下に影響を受けているのではないかと思ったのもフランスの近・現代作品であるプーランク作品だからなのかも知れません。オルガン、弦...
複雑で心を騒ぎ立たせるロマン派の作品を楽しんでいると、たまに聴きたくなるのがただひたすら純粋な中世~ルネサンスの作品、あるいはPOPSやBlues.ROCKやJAZZであったりします。そして思います、遥か昔の世俗歌曲と現代の(広義での)POPSの共通点を。これらはいつの時代も変わらない人々の暮らしの一部として、或いは気軽な友達のようにずっと身近に在りつづけて来たのだと。何より曲によって使い分けられるリュートによるメロディ...
心はロマン派にあり、手法は古典派の先輩方への敬愛を示すシューベルトが残したピアノ三重奏曲は4曲あるそうです。しかし、辞典に記され演奏で聴くのは第1・2番と呼ばれる最晩年の作品2曲となっています。それら第1番・第2番と呼ばれるものは何れも最晩年に書かれていますが、第1番の方が第2番の後に作曲された(?)とも記されており現在でもはっきりとはしていないとあります。第1番が1828だとすると、それはシューベルト没年(1797-...
もしかすると人は愛しいもの(人だけではない)を想う時には美しい旋律を、別れる・離れる時には哀しさを堪えるために無機質(寂しい・虚しい/太陽は昇っているのに温かさを感じない/味がしない/周りが別世界に思える等)と感じるのでしょうか・・。それらと一緒に過ごせた喜びという想い出となった時に「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のように美しく漂い、同時にそれが過去形である事の切なさも心に固まりとなって存在する事...
前回記したメシアンの無調性による[美しい定旋律]を持たない世界のまさに逆、膨らんだ機能和声の極致[トリスタン和声]と濃厚な情念が湧き上がるワーグナー(特にトリスタンとイゾルデ)の固定観念を持つ旋律・・。そのどちらにも深い陶酔の世界がある事を知ってしまいました。「トリスタンとイゾルデ」第3幕開始のコーラングレと共に吹き過ぎる心が荒涼とした冷たく寂しい情景はワーグナーの世界の中でも特に好きな部分です。その習...