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  • 国立新美術館「ルーヴル美術館展 ルネサンス」

    国立新美術館で「ルーヴル美術館展 ルネサンス」が開催中だ。目玉はレオナルド・ダ・ヴィンチの「女性の肖像」だ(チラシ↑の作品。この作品は別作品の「美しきフェロニエール」と誤認された経緯があるそうだ)。本展はそれを中心に構成されているが、かならずしも一点豪華主義ではなく、同時代の彫刻、工芸品などにも目配りをきかせ、ルネッサンスという時代がどんな時代だったかを読み解こうとする試みだ。 実際「女性の肖像」はすばらしく、見れば見るほど画中に引き込まれる思いがする。その眼差しに射すくめられると、目をそらすことができないような感覚だ。まるで生きた人間がそこにいるかのように感じる。女性の前には木製の柵のような…

  • ツァグロゼク/読響

    ローター・ツァグロゼクが客演指揮した読響の定期演奏会。ツァグロゼクは1942年生まれなので今年84歳だ。椅子に座って指揮をしたが、指揮棒の動きは激しく、気迫に富み、精悍そのものだ。ツァグロゼクの読響への客演は2016年、19年、25年に引き続き4度目だ。たぶんわたしはすべて聴いているが、今回ほど強烈な印象を受けたことはない。ついでに言えば、ツァグロゼクのシュトゥットガルト歌劇場の音楽監督時代にも何度か聴いたが、それと比べても今回は強烈な個性を感じた。 では、どんな個性か。話の流れからいって、先にメインの曲目のブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」から述べたほうがよいと思うが、その演奏はド…

  • リオ・クオクマン/東京シティ・フィル

    東京シティ・フィルの定期演奏会にリオ・クオクマンという若手指揮者が初登場した。久しぶりに生きのいい若手指揮者を聴いた気がする。若手指揮者といっても、すでにいくつかのオーケストラでポストをもっているので、それなりの年齢かもしれないが、ともかく溌溂とした指揮者だ。しかも、これが重要なのだが、自分の主張をオーケストラに伝えるだけではなく、オーケストラとしっかり噛み合っている。以下、演奏順に感想を述べるが、今後ますます重要なポストに就く人材ではないかと思う。 1曲目はレスピーギの組曲「鳥」。この曲を演奏会で聴くのは何十年ぶりだろう。いい曲なのに演奏会ではあまり取り上げられない。今回の演奏では全5曲のい…

  • ルイージ/N響(Cプロ)

    N響が創立100周年記念にベートーヴェンの交響曲全曲演奏をスタートさせた。昨日はその第一弾でファビオ・ルイージの指揮による交響曲第1番と第3番「英雄」。 第1番が始まると、引き締まった音が鳴った。明るい音だ。厳しさよりも、柔らかく、くつろいだ気分を感じさせる。リズムが重くならない。テンポが正確で、伸びそうなところでもけっして伸びない。そのテンポ感がすばらしい。結果、精妙に組み立てられた音の立体が現れ、透明感がある。 最初から最後まで感心したが、とくに一個所あげると、第3楽章メヌエットのトリオの部分で、木管楽器が4分の3拍子の2分音符+4分音符のリズムを繰り返す、そのリズムが羽毛のように軽かった…

  • 「7つの封印の書」をめぐって

    N響と東響が偶然にも一週間ちがいでフランツ・シュミットのオラトリオ「7つの封印の書」を演奏するという出来事が終わった。まだ余韻がさめない方も多いと思うが、この機会にわたしが考えたことを書いておきたい。 第一に、この作品とナチズムとの関係だ。なるほど曲自体からはナチズムの要素はうかがえない。だから純粋な宗教曲と言えなくもないが、なにしろナチス絶頂期の1936~37年に「ヨハネの黙示録」をテキストに曲を書くわけだ。世間からは神の世直し=ヒトラーの世直しと捉えられる可能性があることを、フランツ・シュミットが考えなかったとは思えない。むしろそれを承知で書いたと考える方が自然だ。では、それはどういうこと…

  • ICCアニュアル2026「遺す/残る/受けとめる」展

    東京オペラシティのコンサートホールがあるフロアに小さなエスカレーターがある。エスカレーターを上がると何があるのだろうと思っていた。今「ICCアニュアル2026 遺す/残る/受けとめる」展をやっているので、この機会に見に行った。 ICCとはインターコミュニケーションセンターの略で、NTT東日本が運営する文化施設の名前だ。文化施設とは何だろう。NTTインターコミュニケーションセンター[ICC]のホームページには、「ICCは「コミュニケーション」というテーマを軸に科学技術と芸術文化の対話を促進し、豊かな未来社会を構想していきたいと考えています」とある。 なるほど「ICCアニュアル2026 遺す/残る…

  • B→C 秋山友貴ピアノ・リサイタル

    東京オペラシティのB→Cシリーズは意欲的な若手演奏家が出演するので、時々聴きにいく。昨夜は秋山友貴(友貴は「ともき」と読む)というピアニストが出演した。秋山友貴はフランスの伝統ある現代音楽アンサンブル「イティネレール」の正式メンバーだ。 演奏曲目が多いので、以下、寸描的な書き方になるが、1曲目はシューマンのピアノ連弾曲「夕べの歌」をサン=サーンスがピアノ独奏用に編曲したもの。これは当夜の最後に置かれたステファノ・ジェルヴァゾーニ(1962‐)の「未だ見ぬ夕べの光」がシューマンの「夕べの歌」を引用する曲なので、その関連を意図した選曲だ。 上記のように、当夜のプログラムは古典音楽と現代音楽の関連を…

  • ルイージ/N響「7つの封印の書」

    N響の創立100年記念シーズンが始まった。幕開けの曲目はフランツ・シュミットのオラトリオ「7つの封印の書」。指揮はファビオ・ルイージだ。 結論的に言えば、N響が万全の準備をして臨んだことがよく分かる演奏だった。それだけでも称賛に値する。素朴な中世風の音楽から近代的な半音階の進行まで、さまざまな様式が混在し、さらには猛スピードの4重フーガという演奏至難の箇所まであるが、それらのすべてを的確に演奏したことはさすがだ。 合唱は新国立劇場合唱団だ(合唱指揮は富平恭平)。100人ほどの大編成だったが、N響と同様によく決まった音程で的確に音楽を表現した。それもさすがだ。独唱は、聖ヨハネ(バッハのマタイ受難…

  • カーチュン・ウォン/日本フィル

    カーチュン・ウォンが来日中止のラザレフの代役でショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」を振った。結果は名演だった。カーチュン・ウォンは今までにもショスタコーヴィチの交響曲第5番と第11番「1905年」で目の覚めるような演奏をしたが、今回の第7番「レニングラード」はそれらの演奏にさらに磨きをかけた演奏だ。もちろんカーチュン・ウォンはマーラーがすばらしいが、今回の演奏はマーラーの交響曲第3番や第6番で成しとげた演奏に並ぶと思う。 では、どうすばらしかったかというと、まずクリアな音だ。巨大編成のオーケストラで、ときにはそれが咆哮するが、そんなときでも音がクリアに聴こえる。音の輝きを失わず、…

  • ヴァルチュハ/読響

    読響の首席客演指揮者、ユライ・ヴァルチュハのマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。最初に例の問題を言っておくと、中間楽章の配列は第2楽章アンダンテ、第3楽章スケルツォだった(わたしは第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテもけっこう好きなのだが、最近はあまり聴かない)。また第4楽章のハンマーは2回だった。ついでに言うと、第4楽章の終盤のシンバルは4人だった。 で、演奏だが、率直に言うと、あまり面白くなかった。後述するように、良い点も多々あったが、それにもかかわらず、全体を通して面白みに欠けた。一言で言えば、まじめすぎた。言い方を変えれば、演奏にドラマ性がなかった。ドラマとは、マーラー特有のけれんみで…

  • アーティゾン美術館「エットレ・ソットサス展」

    アーティゾン美術館で「エットレ・ソットサス展」が開催されている。エットレ・ソットサスEttore Sottsass(1917‐2007)はイタリアのデザイナーだ。1950年代後半~1960年代前半にオリベッティ社のタイプライターやポルトロノーヴァ社の家具のデザインで注目され、以後生涯にわたりさまざまなデザインを手がけた。 アーティゾン美術館はソットサスの作品および関連資料を100点以上蒐集しているそうだ。本展はそのコレクションを一挙公開するもので、アーティゾン美術館初のデザイン展でもあるという。 話が脇道にそれるが、日本の美術館でデザイン展が開かれることは珍しいのではないかと思う。わたしは外国…

  • 白パンと独裁者

    樋口裕一さんのブログ「樋口裕一の筆不精作家のブログ」に映画「白パンと独裁者」が紹介された。わたしも観たいと思っていた映画だが、例によって出不精を決め込んでいた。樋口裕一さんのブログに背中を押されて観に行った。 「白パンと独裁者」は2025年のドイツ映画だ。場所はドイツの北海に突き出たユトランド半島の最北端の小島・アムルム。時は第二次世界大戦の末期。主人公は12歳の少年・ナニングだ。ナニングは母と弟と妹とで母の実家のアムルムの古い家に疎開する。そこには母の姉(または妹)が一人暮らしをしている。ナニングの父は連合軍に捕らえられてイギリスにいるようだ。 以上のような状況設定で、ナニングの成長がみずみ…

  • 大野和士/都響「ルカ・フランチェスコーニのオーケストラ・ポートレート」

    サントリーホール サマーフェスティバル2026のテーマ作曲家・ルカ・フランチェスコーニのオーケストラ作品演奏会。演奏は大野和士指揮の都響。 結論を先に言うと、当演奏会の主役はフランチェスコーニの作品と、フランチェスコーニが選んだ「作曲家自らが影響を受けた作品」と「可能性を秘めた若い世代の作品」であることはもちろんだが、それと同時に、大野和士と都響の演奏に大きな感銘を受けた。大野和士は現代ものにも強いが、当夜の演奏は鋭い感性とともに、その底にどっしりとした深みを感じさせ、ほんとうに成熟した指揮者になったと思わせた。また都響も当夜はエキストラが散見されたが、それにもかかわらず緻密なアンサンブルを繰…

  • 沼尻竜典/東響「時を編む響」

    サントリーホール サマーフェスティバル2026。昨日はサントリーホール開館40周年の記念演奏会「時を編む響」が開かれた。演奏会は3部構成になっており、各部はそれぞれ2曲で構成される。各2曲は「動」と「静」の対照的な組み合わせになっている。 第1部は室内楽だ。サントリーホールには室内楽用の小ホールがあるので、そのオマージュだろう。1曲目はカミーユ・ペパン(1990‐)の弦楽四重奏曲「シルヴァカーヌの水の葉」。ペパンはまだ30歳代のフランス女性だ。「シルヴァカーヌの水の葉」にはミニマル音楽的なビート感がある。演奏は第1ヴァイオリン石上真由子、第2ヴァイオリン小林壱成以下、腕利きの若手たちだ。リズム…

  • ルカ・フランチェスコ―ニ「室内楽ポートレート」

    サントリーホール サマーフェスティバル2026のテーマ作曲家はルカ・フランチェスコ―ニ(1956‐)だ。昨日はフランチェスコ―ニの室内楽の演奏会が開かれた。 毎年思うのだが、日本の若手演奏家が(今年のリーラ・ジョゼフォウィッツのように外国人演奏家が加わることもあるが)、世界の第一線の作曲家の指導のもとで、その作曲家の室内楽を演奏する「室内楽ポートレート」は、若手演奏家の良い経験になり、また自信にもつながるのではないだろうか。実感的には、その演奏水準は年々高まっているように思う。 今年の「室内楽ポートレート」も充実した演奏が続いた。以下順に述べるが、1曲目はヴァイオリン、クラリネット、ピアノのた…

  • 沼尻竜典/アンサンブル・ゴーフォーイット

    毎年恒例のサントリーホール サマーフェスティバル2026が始まった。初日の昨日は新たにスタートした「アンサンブル・ゴーフォーイット」のお披露目公演。指揮者は「創立指揮者」の沼尻竜典。チケットは完売だそうだ。 アンサンブル・ゴーフォーイットは室内オーケストラだ。メンバー表を見ると、在京オーケストラの優秀な楽員やフリーで活躍する人が何人もいる。コンサートマスターは都響のコンサートマスターの水谷晃。 アンサンブル・ゴーフォーイットはサントリーホール開館40周年を記念して立ち上げたものだという。プログラムには設立趣旨とか今後の予定とかは書いていないので、「やってみなはれ」(=ゴーフォーイット)の精神で…

  • 藤岡幸夫/東京シティ・フィル

    藤岡幸夫が振った東京シティ・フィルの定期演奏会。1曲目はディーリアスの幻想曲「夏の庭で」。細かくテンポを動かしながらも、しっかり構築され、かつニュアンスに富む演奏だった。予想以上に楽しめた。一昔前はディーリアスというとムードに流された演奏が多かったような気がするが、そういう演奏とは一線を画していた。 2曲目は菅野祐悟の「チェロ協奏曲~十六夜~」。チェロ独奏は宮田大。藤岡幸夫がプレトークで「菅野さんの作品は先が読めない」と言っていたが、まさにその通りだ。抒情的な旋律を歌っていたかと思うと、小刻みなリズムが入り込み、音楽が一転したかと思うと、また別の音楽に移っていく。その変化を追ううちに全体を聴き…

  • 日本橋髙島屋S.C.「ザ・ファミリー・オブ・マン写真展」

    日本橋髙島屋S.C.で「ザ・ファミリー・オブ・マン写真展」が開かれている。本展は1955年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開かれた写真展だ。その後、世界を巡回し、日本では1956年に日本橋髙島屋で開かれた。当時の展示風景の記録写真を見ると、昭和天皇も訪れたようだ。その後、日本全国を巡回して、合計100万人が見たというから、想像を絶する反響だったようだ。 当時展示された写真数は約500点あったらしい。それらの写真は同展の企画・キュレーションをしたニューヨーク近代美術館の写真部長・エドワード・スタイケンの出身国のルクセンブルクに委ねられ、クレルヴォー城に永久展示されているという。なおそれらの…

  • 東京ステーションギャラリー「前田寛治展」

    東京ステーションギャラリーで「前田寛治 ポエジイとレアリスム」展が開かれている。前田寛治とはどんな画家だったのだろう。そんな思いで見に行った。 前田寛治(1896‐1930)は東京美術学校を卒業した後、パリに渡り、里美勝蔵、小島善太郎、佐伯祐三らと切磋琢磨した。若い画家たちの青春だった。前田寛治は2年5か月のパリ留学を終えて、1925年8月に帰国した。帰国後、画壇の寵児になり、華々しく活躍したが、病を得て1930年に亡くなった。享年33。 前田寛治はどんな絵を描いたのだろう。「棟梁の家族」(1928年)が代表作だろうが(画像が本展のHPに掲載されている)、本展は「棟梁の家族」を目玉に据えずに、…

  • 尾高忠明/都響

    尾高忠明が指揮する都響のA定期は、三善晃と松村禎三の比較的演奏機会の少ない曲をプログラムに組んだので、聴きに行った。1曲目は三善晃の「ノエシス」。演奏時間8分ほどの短い曲だが、激しい表現意欲がみなぎる曲だ。演奏は堂に入ったものだった。 2曲目は松村禎三のピアノ協奏曲第2番。ピアノ独奏は北村朋幹。北村朋幹は並みいる若手ピアニストの中でも先鋭な問題意識で群を抜く存在だ。松村禎三のこの曲も、まさに北村朋幹の演奏で聴いてみたい曲だ。演奏は曲への沈潜と集中力で圧倒的だった。 丘山万里子氏のプログラムノーツによれば、三善晃の「ノエシス」の初演は1978年5月10日で、そのわずか3日後の5月13日に松村禎三…

  • 松濤美術館「没後50年 髙島野十郎展」

    渋谷区立松濤美術館で「没後50年 髙島野十郎展」が開催中だ。髙島野十郎(たかしま・やじゅうろう)は今ではファンも多いが、以前は知る人ぞ知る存在だった。わたしはだいぶ前に(まだ現役で働いていたころに)、博多に転勤になった同僚が上司とうまくいっていないと聞いたので、博多に会いに行ったことがある。夜に会う約束だったので、それまでの暇つぶしに福岡県立美術館を訪れた。そのときに初めて髙島野十郎の作品を見た。未知の画家だったが、ひじょうに惹かれた。その後、川崎●(●はさんずいに夾と書き、「とおる」と読む。ロシア文学者。早稲田大学名誉教授)の「過激な隠遁 髙島野十郎評伝」を読み、また髙島野十郎の展覧会がある…

  • 国立新美術館「ピカソmeetsポール・スミス」展

    国立新美術館で開催中の「ピカソmeetsポール・スミス――遊び心の冒険へ」展。ピカソの作品をポップな感覚で見せる展覧会だ。2023年にパリの国立ピカソ美術館で開催された展覧会の巡回展だ。 本展の展示室をデザインしたのはポール・スミス。1946年イギリス生まれのデザイナーだ。展示室は第00室から第15室までの16室で構成され、各室のデザインはまったく異なる。部屋から部屋へ移動するたびに、まったく異なるデザインに目をみはる。 第00室にはピカソの「牡牛の頭部」が展示される。作品はそれ一点だ。「牡牛の頭部」は自転車のサドルとハンドルを組み合わせたもの。なんの加工もしていない。でも牡牛の頭部に見えるか…

  • METライブビューイング「フリーダとディエゴ 最後の夢」

    METライブビューイング2025‐2026の最終演目「フリーダとディエゴ 最後の夢」。フリーダとはメキシコの女性画家フリーダ・カーロ(1907‐1954)、ディエゴとはメキシコの壁画画家ディエゴ・リヴェラ(1886‐1957)だ。二人は一時夫婦だったが、やがて別れ、その後また夫婦になった。その間ずっと二人の異性関係は奔放だった。それにもかかわらずお互いへの愛憎は人並外れて濃かった。その濃さはフリーダの多数の自画像とディエゴの壁画とどこか通じる。 本作品は、フリーダが亡くなってから3年後に亡くなったディエゴの、最期のときに思いを巡らすフィクションだ。台本はニロ・クルス、作曲はガブリエラ・レナ・フ…

  • マルッキ/都響

    スザンナ・マルッキが都響に初登場した。マルッキは以前にN響で聴き、昨年は東響で聴いたが、そのどれにも感心した。都響のカラーにも合いそうなので、聴きに行った。結論から言うと、今回もすばらしかった。 プログラム前半はデユカスの歌劇「アリアーヌと青ひげ」の第3幕への前奏曲とドビュッシーの「夜想曲」から「雲」と「祭」を続けて演奏するもの。まず「アリアーヌと青ひげ」の第3幕への前奏曲が始まる。寒色系のオーケストラの音色がすばらしい。続けてドビュッシーの「夜想曲」から「雲」が始まると、デユカスの音色との違いが際立つ。デユカスが寒色系の音色で統一されているのに対して、ドビュッシーは寒色系以外の音色も点綴され…

  • 高関健/東京シティ・フィル(ヴァイオリン独奏:荒井英治)

    高関健指揮東京シティ・フィルの定期演奏会。プログラムがショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲2曲(ヴァイオリン独奏は荒井英治)と武満徹なので、集客が難しそうなプログラムをよくやるなと思ったが、会場に行くと、意外に聴衆の入りは良かった。 1曲目はショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第2番。第1番は比較的演奏機会が多いが、第2番は珍しいので、じっくり聴いた。とても面白かった。ショスタコーヴィチ晩年の作品だ。音に衰えというのではないが、老いを感じさせる。それがショスタコーヴィチの生の声のように聴こえた。この曲は十月革命50周年記念行事に際して作曲されたというが(柴田克彦氏のプログラムノート)、とて…

  • ヴァイグレ/読響

    ヴァイグレが指揮する読響の定期演奏会。以下、演奏順に感想を述べるが、先に結論を言うと、ヴァイグレはひじょうに好調そうだった。ヴァイグレと読響の呼吸が合い、見事な演奏を繰り広げた。地味なプログラムだったが、ヴァイグレと読響の成果のひとつとして、長く記憶に残りそうな演奏会だった。 1曲目はジークフリート・マトゥス(1934‐2021)の「怒り狂う女」(1999年)。マトゥスは旧東ドイツの作曲家だ。東西ドイツの統合後、ドレスデンの聖母教会の再建献堂式のための典礼音楽を作曲した。「怒り狂う女」は演奏時間約10分の短い曲だが、鮮明な印象を残す音楽だ。特徴的な点は、途中に長いヴァイオリン・ソロがあり(コン…

  • フランソワ・ルルー/日本フィル

    日本フィルの東京定期の指揮者は、当初予定のネーメ・ヤルヴィが体調不良のためキャンセルして、フランソワ・ルルーに代わった。それに伴いプログラムも変更になった。当代一流のオーボエ奏者のフランソワ・ルルーが指揮者として日本フィルに登場するのは3度目だ。前2回の指揮が鮮烈な印象を残したので、今回も期待した。 1曲目はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏は諏訪内晶子。冒頭のオーケストラによる導入部がじつにニュアンス豊かに演奏された。ルルーのオーボエ演奏を彷彿とさせた。音色もまろやかで、無神経な音がない。引き続き入るヴァイオリン独奏がこれまたニュアンス豊かだ。ヴァイオリン独奏とオーケストラ…

  • ヴィトマン/都響「イェルク・ヴィトマンの音楽」

    東京オペラシティ恒例のコンポージアム2026。今年の武満徹作曲賞審査員はイェルク・ヴィトマンが招かれた。昨日はヴィトマンの音楽の演奏会。演奏はヴィトマン自身の指揮する都響。 1曲目は「アルモニカ」(2006年)。ピエール・ブーレーズ指揮ウィーン・フィルが初演した曲だ。独奏楽器にグラスハーモニカが使われ、準独奏楽器にアコーディオンが使われる。グラスハーモニカはクリスタ・シェーンフェルディンガー(初演時の独奏者)、アコーディオンは大田智美。 グラスハーモニカというと、モーツァルトの室内楽「グラスハーモニカのためのアダージョとロンド」を思い出す。私事だが、ずいぶん前にある友人が「葬儀のときにはモーツ…

  • 杉山洋一/N響「MUSIC TOMMOROW 2026」

    N響恒例の「MUSIC TOMMOROW 2026」。指揮は杉山洋一。1曲目は今年の尾高賞受賞作品である我妻英(わがつま・すぐる)の「祀」(まつる)。我妻英は1999年生まれ。「祀」は昨年の武満徹作曲賞受賞作品でもある。 「祀」は柳田國男の「遠野物語」から想を得た作品だ。最大の特徴はオーケストラの楽員が絶叫することだ。正直言って、何を叫んでいるかはよく聞き取れないが(尾高賞の選考委員の一人・片山杜秀氏の選考評によると、「遠野物語」の登場人物や神々の名前らしい)、ともかく音楽としては異様であり、むしろ演劇的な要素を感じる。N響の楽員は恥ずかしがらずに文字通り絶叫した。拍手だ。 2曲目は当日の指揮…

  • 森美術館「ロン・ミュエク展」

    森美術館で開催中の「ロン・ミュエク展」。会期は4月29日から9月23日までだ。ゴールデンウイークと夏休み期間をカバーしている。たしかに本展は子どもも喜ぶような展覧会だ。むしろ、難しい理屈を考える大人よりも、なんの先入観もない子どものほうが素朴に作品を楽しめるかもしれない。 チラシ(↑)には頭蓋骨が写っている。ギョッとするかもしれないが、会場で見ると気味悪い感じはしない。むしろ笑ってしまう。何人もの人が頭蓋骨をバックに自撮りしている(本展では全作品が撮影自由だ)。 本作品は「マス」という作品だ。巨大な頭蓋骨が100個山積みにされている。まるで瓦礫の山のようだ。わたしたちはその間を歩きながら鑑賞す…

  • 上岡敏之/読響

    上岡敏之が指揮する読響の定期演奏会。1曲目はグリーグのピアノ協奏曲だ。ピアノ独奏には今93歳のホアキン・アチュカロが予定されていたが、前日(6月22日)の朝に転倒して負傷したとのことで、田部京子に代わった。 第1楽章の第1主題は通常のテンポだったが、第2主題では異常に遅いテンポになった。たとえて言えば、漢字を書くときに一点一画を確認しながら書くような演奏なので、テンポが伸びる。第2主題が登場するたびにそのテンポになるので、第1楽章全体が遅く感じられた。アダージョの第2楽章は言うまでもなく遅かった。 わたしはふと考えた。上岡敏之はホアキン・アチュカロが独奏者であってもこのテンポでやったのだろうか…

  • 尾高忠明/N響&HIMARI

    今話題のHIMARIが出演するN響定期のCプロ。チケットは二日間とも完売だ。わたしはHIMARIを聴くのは初めてだ。どんな才能なのか、楽しみだった。指揮は尾高忠明だ。 1曲目はシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。弦楽器がクリアな音でよく鳴る。良い演奏だと思ったが、なにせ短い曲なので、「そうですか」という以上の感想が浮かばない。最後にティンパニが短いロール打ちを入れるが、演奏終了後、尾高忠明がティパニ奏者を立たせていた。ちょっと意外だった。 2曲目がお目当てのHIMARIの登場だ。曲はシベリウスのヴァイオリン協奏曲。冒頭の弦楽器のトレモロに乗って独奏ヴァイオリンが入ってくるところで、独…

  • 「アンドリュー・ワイエス展」再訪

    ワイエス「うたた寝」(WIKIMEDIA COMMONSより) アンドリュー・ワイエス展をもう一度見に行った。前回は招待券をもらって行ったので、事前に買っておいたチケットが残っていたからだ。で、もう一度見て、二度見るのもいいものだと思った。一度目は展覧会全体を把握しようとするが、二度目になると、気に入った作品をのんびり見ている自分に気づいた。 上掲(↑)の作品は「うたた寝」だ。前回はサッと通り過ぎたが、今回は思わず足が止まった。農家の戸口で猫がうたた寝をしている。毛並みはけっして良くないが、その粗い毛並みが古びた戸の触感と共通する。本作品はワイエス特有のドライブラッシュという技法で描かれている…

  • ズヴェーデン/N響

    ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンがN響に初登場した。ズヴェーデンはベルリン・フィルやシカゴ交響楽団など世界のトップクラスのオーケストラを振る以外に、香港フィルなどアジアのオーケストラとの関係も深い。そんなズヴェーデンがN響をどう振るか。注目の演奏会だった。 1曲目はワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲。どういうわけかアンサンブルにまとまりがない演奏だ。賑やかだけれども、どういう音のイメージをもつ演奏なのか、よくつかめない。そうではあったが、冒頭のテーマでコントラバスの音がクリアに聴こえたことが印象的だ。 2曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第17番。わたしの大好きな曲だが、実演を…

  • 東京都美術館「アンドリュー・ワイエス展」

    東京都美術館で「アンドリュー・ワイエス展」が開催中だ。ワイエスは数人の親しい人々を繰り返し描いた。チラシ(↑)に使われた「クリスティーナ・オルソン」はそのひとりのクリスティーナを描いた作品だ。クリスティーナは戸口に座っている。それにはわけがある。クリスティーナは足が不自由だったからだ。自由に歩けないクリスティーナは外を見ている。その姿はどこか寂しそうだ。 クリスティーナは弟のアルヴァロと暮らした。本展にはアルヴァロを描いた作品も展示されている。「表戸の階段に座るアルヴァロ」だ。古くなって手入れも行き届かず、いずれは廃屋になりそうな木造の農家の前にアルヴァロが座っている。もう人生になにも求めない…

  • 広上淳一/日本フィル

    広上淳一が指揮する日本フィルの東京定期は、プログラムの新鮮さに注目した。1曲目はガーシュウィンの「パリのアメリカ人」。演奏が始まると、快適なテンポが印象的だ。弦楽器の音も輝いている。だがそのうちに、すべての音を吹ききっていない楽員がいるように感じた。広上淳一のテンポについていっていない楽員がいる――そんな感じが最後まで拭えなかった。 2曲目はファジル・サイのヴァイオリン協奏曲「ハーレムの千一夜」。ヴァイオリン独奏は服部百音。これが当日の白眉だった。曲に没入したような服部百音の激しい演奏は、まるで何かが憑依したかのようだ。その演奏姿ともども幻想的な光景を現出した。プロフィールによると、服部百音は…

  • SOMPO美術館「ウジェ―ヌ・ブーダン展」

    SOMPO美術館で「ウジェーヌ・ブーダン展」が開催中だ。ブーダン(1824‐1898)はフランス印象派の先駆者という文脈で語られることが多く、ブーダン自身に焦点を当てた展覧会は珍しい。ブーダンを知るには良い機会だ。 個々の作品に触れる前に、全体を通した感想から言うと、穏やかな風景画ということに尽きるかもしれない。ブーダンは英仏海峡に面したノルマンディー地方に生まれ育ち、画家になってからはパリのサロンに出品したが、パリを描いた作品はあるのかどうか。やはり大半はノルマンディー地方を描いた作品のようだ(隣接するブルターニュ地方や旅先のヴェネツィアを描いた作品もあるが)。 興味深い点は、生涯を通じて作…

  • ポーガ/N響

    ラトヴィア出身の指揮者・アンドリス・ポーガが振るN響定期は、今まで何度か聴いたことがあるが、どういう演奏だったか、なぜかよく覚えていない。今回はポーガの意欲が伝わってくるプログラムなので、心して出かけた。 1曲目はポーガと同じラトヴィアの作曲家・ペーテリス・ヴァスクス(1946‐)の弦楽合奏曲「感謝の歌」。N響をはじめ4つのオーケストラの共同委嘱作品だ。今年4月にポーガが指揮するラトヴィア国立交響楽団によって世界初演された。演奏はN響の弦の音が澄んでいることが印象的だった。加えて、ゆったりした呼吸感がある。それはポーガの美質のように思われた。 2曲目はショスタコーヴィチの交響曲第4番だ。N響を…

  • ミヒャエル・ザンデルリンク/N響

    ミヒャエル・ザンデルリンクがN響を振った。結果は期待以上の出来だった――と言うと、ミヒャエル・ザンデルリンクに失礼な言い方になる。お詫びして撤回するが、そんな表現が思わず出たのは、以前ミヒャエル・ザンデルリンクの演奏を聴いたことがあり、あまり良い印象が残っていないからだ。それは2017年5月のフランクフルト歌劇場管弦楽団の定期演奏会で、プログラムはシベリウスの「フィンランディア」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏はヴィクトリア・ムローヴァ)そしてベートーヴェンの交響曲第5番「運命」だった。そのときはオーケストラの反応が鈍かった。 ところが今回は1曲目のブラームスのヴァイオリンと…

  • リープライヒ/日本フィル

    リープライヒが振った日本フィルの東京定期。1曲目はハイドンの交響曲第44番「悲しみ」。ノンヴィブラート奏法の弦楽器の音が澄んでいる。スリムで美しい。何年か前に在京の別のオーケストラでこの曲を聴いたときには(指揮者は海外でも活躍する日本人指揮者だった)、ずいぶん恰幅のいい演奏だったことを思い出した。それにくらべると、日本フィルの今回の演奏のほうがこの時期のハイドンらしい。だが、そう思って聴くうちに、なぜか単調さを感じるようになった。 2曲目と3曲目は三善晃と武満徹の曲が並んだ。三善晃と武満徹は同世代だが、いくつかの点で対照的だ。三善晃はアカデミズムの世界で頂点を極めたが、武満徹は在野を通した。ま…

  • カンブルラン/読響

    カンブルランが振った読響の定期演奏会。結論から先にいうと、曲も演奏も文句なしに楽しめる演奏会だった。そういう演奏会は多くはない。今年聴いた演奏会のなかでは、ソヒエフが振ったN響のマーラーの交響曲第6番と今回くらいか。 1曲目はウェーベルンの「パッサカリア」。リスクをとって果敢に攻めるカンブルランの指揮が印象的だ。読響も懸命についていった。俊敏な演奏だった。 2曲目はシン・ドンフンのヴィオラ協奏曲「糸の太陽たち」。シン・ドンフンは未知の作曲家だったが、1983年ソウル生まれで現在はロンドン在住とのこと。「糸の太陽たち」は2025年1月にソヒエフ指揮ベルリン・フィル、ヴィオラ独奏は今回と同じくベル…

  • ラ・フォンテヴェルデ:シュッツ「ダヴィデ詩篇集」

    モンテヴェルディのマドリガルなどを演奏してきた声楽アンサンブル「ラ・フォンテヴェルデ」が、定期演奏会でシュッツの「ダヴィデ詩篇集」を演奏するので、聴きに行った。シュッツはわたしの宿題のようなものだ。バッハやモンテヴェルディと同じくらい豊かな音楽がありそうなのに、まだしっかり向き合ったことがないと、いつも思っていた。 シュッツ入門にはダヴィデ詩篇集は絶好だろう。ジョヴァンニ・ガブリエリのもとで学んだヴェネツィア留学からドイツに戻り、カッセルの宮廷からドレスデンの宮廷に引き抜かれた時期の作品だ。若き日のシュッツの輝かしい音楽が詰まっている。 ダヴィデ詩篇集(作品2)は全26曲からなるが、当夜は10…

  • ケン・ローチ監督「オールド・オーク」

    ヒューマンな作風で知られる映画監督・ケン・ローチは今年90歳だそうだ。その最新作「オールド・オーク」が劇場公開中だ。 場所はイギリスのさびれた田舎町。かつては炭鉱で栄えたが、いまは炭鉱が閉山され、町はすたれる一方だ。その町にシリア難民たちがやってくる。町の人々はシリア難民たちを排斥する。なかにはシリア難民たちを支援する人もいるが、少数派だ。口汚くヘイトを繰り返す人々がいて、町は分断状態だ。 それはいまの日本にもありそうな話だ。いや世界中にある話だろう。ケン・ローチ監督はその縮図を描いたと言っていいかもしれない。人間的な温かさを身上とするケン・ローチ監督だからだろうか、この映画には人々のヘイト感…

  • チュルリョーニスの音楽

    チュルリョーニス「稲妻」(WIKIMEDIA COMMONSより) 前回は国立西洋美術館で開催中の「チュルリョーニス展」で惹かれた作品について書いたが、前回も触れたように、チュルリョーニスは作曲家でもあった。そこで今回はチュルリョーニスの音楽について書きたい。 チュルリョーニスの音楽の中でもっとも大規模な作品は交響詩「海」のようだ。単一楽章のオーケストラ作品で演奏時間は30分あまり。基本的にはソナタ形式で書かれているが、展開部では海の嵐に発展し、また再現部では「内なる海」に発展するなど、自由に発展するところがある。全体的には海の諸相を描いた作品と言える。録音は複数あるが、気鋭の女性指揮者ミルガ…

  • 国立西洋美術館「チュルリョーニス展」

    国立西洋美術館で「チュルリョーニス展」が開かれている。チュルリョーニスは一風変わった生涯を送ったリトアニアの作曲家・画家だ。1875年に生まれ、1894年~1899年にワルシャワ音楽院でピアノ、対位法と作曲を学んだ。さらに1901年~1902年にライプツィッヒ音楽院で作曲を学んだ。ところがその後、1904年にワルシャワ美術学校に入り、1906年まで学んだ。1909年に結婚したが、その後精神を病み、1910年にサナトリウムに入り、1911年に亡くなった。享年35。 ざっくり言うと、チュルリョーニスは、20歳代は音楽に生き、30歳前後で絵画に急カーブを切り、その後は絵画に生きる人生を送ったことにな…

  • ボルトン/読響「ゲロンティアスの夢」

    アイヴァー・ボルトン指揮読響のエルガー「ゲロンティアスの夢」。この曲を聴くのは2度目だ。前回はジョナサン・ノット指揮東響の演奏だった(2018年7月)。そのとき初めて実演を聴いたが、おもしろい曲だと思った。今回は2度目だけあって、じっくり聴けた。 冒頭にかなり長い前奏曲がある。その音楽はワーグナーの「パルジファル」を彷彿とさせる。ボルトンと読響の演奏は温かくて潤いのあるものだった。わたしはホッとした。というのは、読響は最近、なじみのない指揮者とやるときに、妙にガサガサした演奏をすることがあったからだ。少なくとも今回はそうではないらしい。 前奏曲が終わって、第1部に入る。死の床にあるゲロンティア…

  • 下野竜也/N響(Cプロ)

    下野竜也指揮N響のCプロ。1曲目は外山雄三の「管弦楽のためのディヴェルティメント」。そんな曲があったのかと‥。人気作「管弦楽のためのラプソディ」の翌年に書かれた曲だそうだ。「ラプソディ」のような覇気がなく、こういってはなんだが、凡庸な感じがした(失礼!)。演奏もいかにもやりようがないような‥。 2曲目はプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。ピアノ独奏は反田恭平。1曲目と比べると、音楽に生気がある。こんなにも違うものかと‥。反田恭平のピアノ独奏がしっかりオーケストラとかみ合い、音楽の構造を明確にする。まるで立体作品を見るようだ。反田恭平の演奏は何度か聴いたことがあるが、かなり前にはオーケストラや聴…

  • 大江健三郎の未発表小説

    大江健三郎の未発表小説が2篇発見され、文芸誌「群像」4月号に掲載された。「群像」4月号は売り切れたそうだ。 未発表小説2篇の原稿は大江健三郎が東京大学の学生だったころに下宿した東京都北区西ヶ原の加藤シノ氏(故人)宅に保管されていたそうだ。原稿がどういう経緯でそこに保管されていたかは不明だ。ともかく原稿が保管されていて、加藤シノ氏の孫が2025年11月に東京大学文学部大江健三郎文庫に連絡した。同文庫が大江健三郎の真筆であることを確認し、「群像」4月号に掲載した。 2篇のうちの1編は「暗い部屋からの旅行」というタイトルだ。400字詰め原稿用紙で82枚。近未来のディストピア小説といった趣がある。ユマ…

  • 東京都写真美術館「W.ユージン・スミスとニューヨーク ロフトの時代」(2)

    展示風景(左はホール・オーヴァートンのLPレコード、右はセロニアス・モンクのLPレコード) 前回は「W.ユージン・スミスとニューヨーク ロフトの時代」展でわたしの惹かれた写真について書いた。今回はユージン・スミスのニューヨーク時代について書いてみたい。本展はそのタイトルが示すように、ユージン・スミスのニューヨーク時代を中心に構成されているからだ。 ユージン・スミスがニューヨーク・マンハッタンのロフト(=アパートメント)に移ったのは1957年だ。ロフトは6番街821番地にある古くて薄汚れたビルだった(本展にはユージン・スミスが写したロフトの写真が展示されている。ロフトがどんなところだったか、よく…

  • 東京都写真美術館「W.ユージン・スミスとニューヨーク ロフトの時代」展(1)

    東京都写真美術館で「W.ユージン・スミスとニューヨーク ロフトの時代」展が開かれている。ユージン・スミスは20世紀の代表的な写真家のひとりだ。晩年には水俣病の写真を撮ったので、日本でもなじみが深い(数年前にはユージン・スミスを主人公にした映画「MINAMATA」が制作された)。本展のタイトルからはユージン・スミスのニューヨーク時代の写真を展示する展覧会を想像するが、実際にはユージン・スミスの全生涯にわたる写真が展示されている。 ユージン・スミスの写真は、その名前は知らなくても、どこかで目にしたことがあるものが少なくない。たとえば本展に展示されている「アメリカ兵に発見された瀕死の赤ん坊」(194…

  • ルイージ/N響(Aプロ)

    ルイージ指揮N響のAプロ。1曲目はハイドンのチェロ協奏曲第1番。オーケストラの演奏が始まる。明るく軽やかな音色だ。典雅な演奏だと思った。「典雅な」という古風な言葉が浮かんだことに自分でも驚いた。そんな古風な言葉がふさわしい演奏は最近では珍しいような気がした。 やがてチェロ独奏が入る。ヤン・フォーグラーという人だ。オーケストラと同様に古風な音色で好ましい。オーケストラの音色とよく調和する。ただ、どういうわけか、高音域の速いパッセージで音程が怪しくなることがあった。なおフォーグラーはアンコールにバッハの無伴奏チェロ組曲第3番からサラバンドを演奏した。太い音が鳴り、深々とした演奏だった。ハイドンとは…

  • カーチュン・ウォン/日本フィル:ベートーヴェン「第九」(マーラー版)

    日本フィルの創立70周年シリーズの開幕だ。第1弾はベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」。ただしマーラー版だ。舩木篤也氏のプログラムノートによれば、マーラーは生涯に10回「第九」を指揮したそうだ。そのうち第1回を除いて、何かしら手を入れて演奏したという。それはマーラーにかぎらず、当時の一般的な習慣だったろう(その習慣は20世紀後半になっても一部に残っていた)。今回の「マーラー版」はマーラーが1900年2月に2回、1901年1月に1回ウィーンで演奏したときのスコアに基づく批判校訂版だという(2020年刊行)。 そうなると、マーラーがスコアのどこにどう手を入れたのかが興味の的だ。事前に調べれば多少分…

  • 小川洋子「人質の朗読会」

    前回書いた小川洋子の「サイレントシンガー」は長編小説だが(もっとも、それほど長くはなく、中編小説と言うには少し長いくらいだ)、小川洋子は短編小説も多い。最近では短編小説集「劇場という名の星座」を出したばかりだ。わたしは「劇場という名の星座」をまだ読んでいないので、今回はその前の「人質の朗読会」のことを書きたい。「人質の朗読会」はある状況を設定した9篇の短編小説の連作だ。 ある状況とは次のとおりだ。場所は地球の裏側(南米だろうか)の2000メートル級の山々が連なる山岳地帯。日本人のツアー客7人と添乗員1人が反政府ゲリラに拉致される。監禁場所は元猟師小屋。政府側とゲリラとの水面下の交渉の末に、軍と…

  • 小川洋子「サイレントシンガー」

    好きな作家は何人かいるが、現存する作家の中で3人選ぶと、小川洋子と津村記久子と浅田次郎になる。作風はそれぞれ違うが、ひとつ共通点がある。それは3人とも弱い立場の人を描くことだ。間違っても、人に命令する立場の人は描かない。わたしが惹かれているのはその点だと思う。 2025年に小川洋子の長編小説が出た。「サイレントシンガー」だ。読んでみて、すぐにもう一度読み返した。小川洋子の描く世界がまた一歩ラジカルになった気がしたので、それをしっかりつかみたかったからだ。 小川洋子の作品の中で一番有名なものは「博士の愛した数式」だろう。発表当時はベストセラーになった。小川洋子はそのころ脂がのっていたと思う。引き…

  • 高関健/東京シティ・フィル:マーラー「復活」

    東京シティ・フィルの創立50周年記念特別演奏会の第2弾。高関健の指揮でマーラーの交響曲第2番「復活」。結論から先に言えば、初々しい感性のあふれる演奏だった。話が少し遠回りになるが、高関健はプログラムに掲載したエッセイの中で、次のように書いている。「(引用者注:マーラーの交響曲第1番と第2番は)ともに着想から完成までの絶え間ない逡巡や苦闘を経たことにより、マーラーの書法とロジックが確立され、第3交響曲以降の快調な作曲へと繋がっていったとも考えられる」と。なるほど、第3番以降とは違って、第1番と第2番はマーラーの試行錯誤の初々しさを表現できるか否かがカギになるのかと。今回はまさにその点に成功した演…

  • 原田慶太楼/東響

    原田慶太楼の東響正指揮者としての最後の定期演奏会。1曲目はコープランドの「アメリカの古い歌(第1集)」。わたしはじつはこの曲は独唱者(声部はさまざまだ)が歌う曲だと思っていたが、当夜は混声合唱が歌った。そういう版もあるのかと。 アメリカの古き良き時代(あくまでも“開拓者”にとっての古き良き時代だ)の曲をコープランドが編曲した曲なので、素朴に楽しめる。合唱は東響コーラス。直立不動の姿勢ではなく、体をゆすって歌う。過去にもそういう趣向があったような気がする。合唱の精度が落ちたのが残念だ。 2曲目はバーンスタインの「チチェスター詩篇」。結論から言うと、この曲が当夜の白眉だった。東響コーラスの精度が上…

  • ペンツベルクの夜

    「ペンツベルクの夜」はドイツの児童文学だ。作者はキルステン・ボイエ。1950年ハンブルク生まれの女性作家だ。「ペンツベルクの夜」を書いたのは2020年。本作品で2022年のドイツ児童文学賞を受賞した。 ペンツベルクはミュンヘンから南へ50キロほど離れた町だ。わたしはペンツベルクには行ったことがないが、そのあたりは何度か行ったことがある。のどかな丘陵が広がる美しい地域だ。そのペンツベルクで第二次世界大戦末期にナチスによる住民虐殺事件が起きた。「ペンツベルクの夜」はその事件を描く。 事件は1945年4月28日から翌29日未明にかけて起きた。まず28日早朝に突然ラジオから「バイエルン自由行動」を名の…

  • スウェーデン絵画展:ヒル「最後の人類」

    ヒル「最後の人類」(WIKIMEDIA COMMONSより) 前回は「スウェーデン絵画」展でとくに惹かれた作品について書いたが、前回触れることはできなかったが、惹かれる作品があるので、今回はそれについて書きたい。 前回書いた作品は、いわばメインストリームの画家の作品だ。だが傍流といってはなんだが、メインストリームから外れた画家もいて、それらの画家の作品にもおもしろいものがあった。とはいえ、わたしはスウェーデン絵画には無知なので、どの画家がメインストリームで、どの画家がメインストリームから外れているかは、よく分からない。そこで会場ではどの作品もフラットな気持ちで見て、帰宅してから調べたわけだ。そ…

  • 東京都美術館「スウェーデン絵画」展

    東京都美術館で「スウェーデン絵画」展が開催中だ。フランスでもイタリアでもドイツでもなく、スウェーデンという点が新鮮だ。 スウェーデンの画家たちは19世紀の中ごろからフランスで絵を学び、スウェーデンに帰国してからは、スウェーデンの自然や文化に目を向けるようになったという。本展ではその時代の作品が展示される。全般的に穏やかで温かい作品が多い。 もっとも惹かれた作品はカール・ラーションの「カードゲームの支度」だ(画像は本展のHPに掲載されている。以下同様)。わたしは事前にHPで見たが、会場で実見すると、画面の明るさと温かさにハッとした。明るさはテーブル上のオイルランプの光による。キャビネットのロウソ…

  • 下野竜也/日本フィル

    下野竜也が振る日本フィルの東京定期。一見地味なプログラムだが、聴いてみると、思いがけない手ごたえがあった。 1曲目はサミー・ムーサ(1984‐)の「エリジウム」。未知の作曲家なので、事前にインターネットで調べてみた。サミー・ムーサはカナダ生まれの作曲家だ。「エリジウム」の音源がYouTubeにあるので聴いてみた。硬質な透明感のある曲のようだ。実演を聴くのが楽しみだった。 澤谷夏樹氏のプログラムノートに次のような一節がある。「21世紀に生まれた管弦楽曲としてはいささか異例なことに、冒頭、変ロ長調の主和音が高らかに鳴り響く。それは突如、変調をきたし、捻じ曲がるようにして次の和音へと進行していく」と…

  • 死の天使 ヨーゼフ・メンゲレ

    映画「死の天使 ヨーゼフ・メンゲル」が劇場公開中だ。メンゲレは第二次世界大戦中にアウシュヴィッツ強制収容所で人体実験を繰り返した医師だ。ドイツの敗戦後、しばらくはドイツ国内に潜伏したが、1949年にアルゼンチンに逃亡し、以後、パラグアイ、ブラジルと転々としながら追及の手を逃れた。最後は1979年にブラジルのサンパウロで海水浴中に溺死した。結局逃げおおせたわけだ。 なぜ逃げおおせることができたかというと、それは本作品を観るとよく分かるのだが、南米にはナチスの残党がいて、そのネットワークがあったからだ。メンゲレは偽名を使い、社会から目立たない場所で生活し、ナチスの残党がそれを支えた。 本作品で観る…

  • 鈴木優人/読響「マタイ受難曲」

    鈴木優人が読響を振ってバッハの「マタイ受難曲」のメンデルスゾーン版(1841年)を演奏した。メンデルスゾーンが「マタイ受難曲」を蘇演したのは1829年だが、この版は1841年に演奏したときの版だ。1829年にはカットされた曲が何曲か復元されているという。 率直に言うと、「マタイ受難曲」のオリジナル版が普通に聴ける時代になった今、メンデルスゾーン版を聴く意味があるのかと思わないでもなかった。おおづかみに言うと、オリジナル版の演奏時間は約3時間だが、メンデルスゾーン版は約2時間なので、3分の2に短縮されている。また福音史家のレチタティーヴォを支える通奏低音はチェロとコントラバスだ(チェンバロなどは…

  • 森美術館「六本木クロッシング2025」展

    森美術館で開催中の「六本木クロッシング2025」展は3年に一度の現代アートの展覧会だ。わたしは最近現代アートがおもしろくなった。同時代に生きる人々が何を感じ、また何に苦しんでいるか。それが分かるからだ。本展には21人(または組)の作品が展示されている。予備知識なしに展覧会場に行き、まっさらな状態で作品を観た。以下、感じたままを書きたい。 チラシ(↑)の作品はA.A.Murakamiの「ニュー・スプリング」。本展の展示作品はチラシとは少し異なり、その森美術館ヴァージョンの「水中の月」だ。木のようなものから多数の枝が伸び、その先端からシャボン玉のようなものが落ちる。シャボン玉は水を張った床の上を滑…

  • ウィンザーの陽気な女房たち

    先日、新国立劇場オペラストゥディオ(オペラ研修所)公演でオットー・ニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」を観るので、予習のつもりでシェイクスピアの原作(↑)を読んだ。読み始めてから、以前読んだことがあるかもしれないという気がしたが、きれいさっぱり忘れているので、新鮮に読めた(我ながら便利な性分だ)。 二つほど、小さなエピソードだが、これは何のためにここにあるのかと首をかしげる場面があった。一つは神父ヒュー・エヴァンズ(ヴェルディの「ファルスタッフ」には出てこない)がページ夫妻の子供ウィリアムにラテン語を教える場面だ(第4幕第1場)。わたしにはその場面がなぜそこにあるのかわからなかった。 もう…

  • 新国立劇場オペラストゥディオ「ウィンザーの陽気な女房たち」

    新国立劇場オペラストゥディオ(オペラ研修所)公演でオットー・ニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」。序曲は名曲コンサートの定番だが、オペラ上演は稀だ。貴重な機会なので観に行った。 原作はシェイクスピアの同名戯曲だ。同じ戯曲からヴェルディの「ファルスタッフ」が生まれたので、どうしても「ファルスタッフ」と比較してしまう。両者では登場人物に多少の異同がある。名前も異なるので、以下「ファルスタッフ」の名前に基づき比較すると、「ファルスタッフ」に出てくるファルスタッフの従者・バルドルフォとピストーラが「ウィンザーの陽気な女房たち」(以下「ウィンザー」)では出てこない。そのためファルスタッフのいかがわし…

  • 黒の牛

    蔦哲一朗監督の映画「黒の牛」を観た。1月22日の東京新聞に監督のインタビュー記事が載り、「主に35ミリの白黒フィルムで撮影し、一部に70ミリのカラーフィルムを使った」とあった。白黒フィルムを使った点に興味を惹かれた。 ストーリーは時も所も定かではない。どこかの国で(たぶん日本だ)あるとき(明治維新前後から近未来まで時間軸が揺れる)、すべての山が国有化される。山で生きる人々(木地屋などと呼ばれる人々を連想させる。今はもういないかもしれないが、太平洋戦争中までは実在した)は里に下りる。一人の男が山に残る。 男は老婆が住む一軒家に居つく。やがて老婆は死ぬ。男はその家に住む。ある日、男は黒い牛を見かけ…

  • マダラシュ/N響

    N響の定期演奏会Cプロ。指揮はハンガリー出身のゲルゲイ・マダラシュ。実演を聴くのは初めてだが、以前にストリーミングでフランクの作品を聴いたことがある。オーケストラはフランクの出身地のリエージュ・フィルだった。安定感のある良い演奏だったので、記憶に残っている。 1曲目はコダーイの「ハンガリー民謡「くじゃく」による変奏曲」。オーケストラの音がコダーイそのものだ。その音をどう表現したらよいのだろう。しっかり引き締まった質朴な音だ。一言で言えば、東欧の音。N響からそのような音を引きだしたのは、もちろんマダラシュの手腕だろうが、加えてマダラシュとN響の信頼関係の賜物とも感じられる。また当日のコンサートマ…

  • 高関健/東京シティ・フィル:50周年記念特別演奏会

    東京シティ・フィルが創立50周年記念特別演奏会を企画した。昨日は第1弾。曲目はマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。第2弾が3月31日に予定されている。曲目はマーラーの交響曲第2番「復活」。指揮はともに高関健だ。 東京シティ・フィルの本拠地は東京オペラシティだが、東京オペラシティが改修中のためか、特別演奏会はサントリーホールで開かれた(第2弾も同じだ)。東京オペラシティとサントリーホールでは音がちがう。サントリーホールのほうが音の響きが丸い。どちらが良いとか悪いとかではなく、普段聴きなれた東京シティ・フィルの音が多少ちがって聴こえることが第一印象だった。 第1楽章が始まってまず感じたことはリズムの…

  • フィリップ・ジョルダン/N響

    フィリップ・ジョルダンが初めてN響を振った。1曲目はシューマンの交響曲第3番「ライン」。第1楽章が始まる。時折クラリネットやトランペットの細かい音型が突出する。だが概して端正でスタイリッシュな造形だ。それはそれでよいのだが、途中から詰まらなくなった。その感じは結局第2楽章以降も変わらなかった。 なぜだろう。とくに気になった点は、音を縦に揃える感覚だ。だれかに似ている。だれだろうと思った。そのとき思い出したのは、新日本フィル時代のアルミンクだ。そういう音の感覚の人はいるだろう。そのこと自体が良い悪いではないのだが、でもシューマンではどうだろう。とくに「ライン」は輪郭が揺れ動く音楽だ。その輪郭をき…

  • フェデック/読響

    読響の今月の定期演奏会は、内容が二転三転した。まず曲目だ。当初予定された望月京の新作ヴァイオリン協奏曲が間に合わず、細川俊夫のヴァイオリン協奏曲「ゲネシス(生成)」に差し替えられた。次に指揮者だ。当初予定されたヴェンツァーゴが体調不良でキャンセルして、ジェームズ・フェデックという指揮者に交代した。 細川俊夫のヴァイオリン協奏曲「ゲネシス(生成)」は無難な選択だと思うが、問題は(と言っては何だが)フェデックという指揮者だ。まったく無名だ。ニューヨーク生まれの若手のようだ。どんな指揮者だろうと思った。 ともかく演奏会が始まる。1曲目は細川俊夫のヴァイオリン協奏曲「ゲネシス(生成)」。ヴァイオリン独…

  • 国立西洋美術館の常設展:クリムトとデューラー

    国立西洋美術館の常設展ではいま注目すべき展示が二つ行われている。一つはクリムトの「アッター湖の島」(↑)だ。クリムトの作品が同美術館のコレクションに初めて入った。クリムト・ファンには朗報だ。 「アッター湖の島」はウィーンのレオポルド美術館の作品と同主題だ。レオポルド美術館の作品が先に描かれ(1900年)、「アッター湖の島」が続けて描かれた(1901‐1902年頃)。クリムトはなぜ同主題の作品を描いたのだろう。解説パネルは次のように言う。「(前略)この絵画は、先行して1900年に描かれたよく知られた同主題作品(ウィーン、レオポルド美術館)と造形的課題を共有しつつ、それをさらに展開し、より抽象化を…

  • 日本橋高島屋「闇市と都市」展

    日本橋高島屋で「闇市と都市」展が開かれている。敗戦直後の闇市とはどんなところだったか。わたしたちは分かっているようで分かっていない。たとえば闇市は自然発生的に生まれた違法地帯というイメージがあるが、実際には営業許可証が発行されていた。本展では営業許可証のレプリカが展示されている。 闇市はテキヤが仕切っていた。もちろんテキヤは場所代を取っていただろうが、その一方で治安を維持していた。そして言うまでもないが、テキヤは警察と通じていた。つまり闇市は敗戦後の焼け野原に人々が勝手にムシロを敷き、またはバラック小屋を建てて商売を始めたわけではなかった。 闇市は上野や新宿が有名だが、実際には都内各所にあった…

  • ソヒエフ/N響(Cプロ)

    ソヒエフ指揮N響のCプロ。ソヒエフはAプロのマーラーの交響曲第6番でN響の能力を極限まで引きだした。ではCプロはどうか。結論から先に言うと、N響の通常運転に戻ったようだ。プログラムは前半がフランス音楽、後半がロシア音楽だった。ソヒエフでなければ組まないようなプログラムだ。 まず1曲目はドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。音を抑えて、やわらかい響きを作った。各パートが独立するのではなく、前後のパートにつながり、滑らかに流れる。比喩的に言えば、画家が一枚の絵をゆっくり描く、その光景を見るような演奏だった。 2曲目はデュティユーのチェロ協奏曲「遥かなる遠い国へ」。チェロ独奏は上野通明。当夜のプロ…

  • ヴァイグレ/読響「ドイツ精神について」

    ヴァイグレ指揮読響がプフィッツナーの「ドイツ精神について」を演奏した。2023年のアイスラーの「ドイツ交響曲」に引き続き、ヴァイグレならではの選曲だ。アイスラーのブレヒトの詩にもとづく反ファシズム(反ナチ)の「ドイツ交響曲」と、プフィッツナーのアイヒェンドルフの詩にもとづくロマン的な(しかしナチズムと親和性のある)「ドイツ精神について」は、ほとんど同時代に生まれた二つの「ドイツ」だ。 「ドイツ交響曲」と同様に「ドイツ精神について」の演奏もすばらしかった。この曲の真の姿を見る思いがした。ヴァイグレの指揮はときに滑らかな、角の取れた演奏をすることもあるが、「ドイツ交響曲」と「ドイツ精神について」は…

  • ソヒエフ/N響(Aプロ)

    トゥガン・ソヒエフ指揮N響のAプロ。曲目はマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。例の問題を先に言っておくと、中間楽章は第2楽章アンダンテ・モデラート、第3楽章スケルツォの順番だった。また第4楽章のハンマーは2回だった。 ともかく大変な名演だった。N響が全力を出した演奏だ。本気になったときのN響がどんなに凄いかを示した。音に緊張感があり、また音楽がどんなに狂騒をきわめても、アンサンブルが破綻しない。そのような高度な演奏を達成したのはソヒエフの力だ。ソヒエフとN響の一体感が印象的だ。 ソヒエフはけっしてN響をあおらない。身振りはむしろ控えめだ。だが腕の先、手の先から何か電流のようなものが出るのだろう。…

  • 広上淳一/日本フィル

    広上淳一指揮日本フィルの東京定期演奏会。1曲目はファジル・サイ(1970‐)のチェロ協奏曲「Never Give Up」。ファジル・サイは著名なピアニストだが、作曲もするらしい。山野雄大氏のプログラム・ノートによると、「既に120を超えるその作品には、6つの交響曲や数々の協奏曲など大編成の作品も多い」と。「Never Give Up」はヨーロッパやトルコで起きたテロに胸を痛めたサイが、悲しみと、それでも希望を失ってはならないというメッセージを込めた作品のようだ。 特徴的な点は第2楽章で(全体は3楽章からなる)二人の打楽器奏者がトムトムとテナードラムを連打することだ。トムトム(タムタムではない)…

  • 映画監督タル・ベーラの逝去

    ハンガリーの映画監督タル・ベーラが1月6日に亡くなった。「長期にわたる闘病の末に」亡くなったと報じられている(各メディア)。享年70。わたしよりも若かったのかと‥。もっと年上だと思っていた。 わたしは映画をあまり観ないが、タル・ベーラの「ニーチェの馬」は観た。わたしが今まで観た映画の中で最高の作品だと思う。ストーリーを説明しても煩瑣になるので、説明抜きで結論を言うと、「ニーチェの馬」は旧約聖書の「創世記」を反転した作品だと思う。「創世記」は神が六日間かけて世界を創造する物語だ(七日目は休む)。一方、「ニーチェの馬」は年老いた農夫と娘の生活が、六日間かけて少しずつ崩壊する物語だ。さて七日目はどう…

  • ウェーバー没後200年

    2026年はウェーバー(1786‐1826)の没後200年だ。ウェーバーはオペラ「魔弾の射手」で有名だが、反面、「魔弾の射手」が有名すぎて、他の作品は影が薄い。そこでこの機会にストリーミングでいろいろ聴いてみた。 もっとも感銘を受けた作品はクラリネット協奏曲の第1番と第2番だ。両曲は「魔弾の射手」以外では演奏機会の比較的多い曲だが、今回あらためて聴いてみて、ほんとうに良い曲だと思った。両曲は甲乙つけがたいが、わたしは今回、第2番のザビーネ・マイヤーの演奏に惹かれた。なおウェーバーはクラリネット五重奏曲も書いている。それも良い曲だ。クラリネットは幸せな楽器だとつくづく思う。モーツァルトとウェーバ…

  • 原武史「象徴天皇の実像」(2)

    前回のブログにも書いたが、原武史の「象徴天皇の実像――「昭和天皇拝謁記」を読む」(岩波新書、2024年)は、初代宮内庁長官だった田島道治が昭和天皇の語ったことを記録した「昭和天皇拝謁記」を読み解く本だ。素人が「昭和天皇拝謁記」を読み通すことは難しいので、原武史の本書はありがたい。 本書は「昭和天皇拝謁記」に記録された昭和天皇の言葉をピックアップして、その意味や背景を解説する。端的にいうと、「昭和天皇拝謁記」の注釈集のようなものだ。一貫したストリーがあるわけではないので、通読するよりも、拾い読みするほうがふさわしい。 前回のブログでは、第二次世界大戦にかんする昭和天皇の言葉を追った。だが本書はそ…

  • 原武史「象徴天皇の実像」(1)

    2025年は戦後80年、そして昭和100年だった。節目の年に読む本として、原武史の「象徴天皇の実像――「昭和天皇拝謁記」を読む」(岩波新書、2024年刊)を読んだ。感想を書いておきたい。 わたしは戦後生まれなので、戦前の昭和天皇を知らないが、戦後の昭和天皇は子ども心にも奇妙な話し方をする人だった。普通のコミュニケーションは成り立たない――そんな感じのする人だった。大人たちは陰でその話し方をまねて面白がった。 そんなぎこちない話し方をする昭和天皇であったが、側近には饒舌に話していたようだ。それが分かるのが田島道治の「昭和天皇拝謁記――初代宮内庁長官田島道治の記録」だ(岩波書店、2021~23年刊…

  • 2025年の音楽回顧:細川俊夫「ナターシャ」

    2025年が終わる。今年はどんな年だったろう。音楽で得たものは何だったろう。そう考えてまず頭に浮かぶのは、細川俊夫の新作オペラ「ナターシャ」だ。わたしは初日を観てブログを書いた。だが、なぜか未消化の感覚が残る。一年の終わりに当たって、もう一度「ナターシャ」のことを考えたい。 未消化の感覚と関係があるのかどうか定かではないが、やはり細川俊夫の音楽に意外感があったことはたしかだ。意外感は2点あった。1点目は調性感のある音楽の導入だ。アラトがうたうアリア「生きるなと言い渡されて歩き出した」と、その直後にナターシャがうたうアリア「何のために人間?青い地球で唯一の化け物~人間は滅びる時に草木と動物を道連…

  • アンサンブル・ノマド「アトランティスの皇帝」

    アンサンブル・ノマドが定期演奏会でヴィクトル・ウルマン(1898‐1944)の室内オペラ「アトランティスの皇帝」を上演した。ウルマンはチェコ生まれのユダヤ人だ。シェーンベルクに作曲を師事した。1942年にテレジン(当時はドイツ語名でテレージエンシュタット)の強制収容所に入れられた。収容所内で作曲を続けたが、1944年にアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に移送され、絶命した。 「アトランティスの皇帝」の楽譜は、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ移送される前に、収容所仲間に託された。その人は生き残った。戦後、楽譜は何人かの手を経て、1975年にアムステルダムで初演にこぎつけた。その後、欧…

  • B→C:實川風ピアノ・リサイタル

    東京オペラシティのB→Cシリーズ。實川風(じつかわ・かおる)のピアノ・リサイタル。バッハとイタリア音楽との関わりに焦点を当てたプログラムだ。實川風は2015年ロン・ティボー国際コンクール第3位(1位なし)・最優秀現代曲賞を受賞。すでに何枚かのCDを出しているそうだ。 1曲目はレスピーギの「6つの小品」から「ノットゥルノ」。2曲目はマスカーニの「抒情的光景」。3曲目はプッチーニの「電気ショック」。いずれもオペラ作曲家のピアノ小品だ。レスピーギの「ノットゥルノ」は驚くほどロマンティックだ。プッチーニの「電気ショック」は題名に驚くが、音楽は明るい行進曲だ。 4曲目はベリオの「小枝」。5曲目もベリオで…

  • 新国立劇場「焼肉ドラゴン」

    「焼肉ドラゴン」の千秋楽に行った。胸が熱くなった。行って良かったと思う。「焼肉ドラゴン」を観るのは2度目だ。最初は2011年の再演のときに観た。そのときも舞台に渦巻く熱気と笑いと涙に感動した。今回も同じだ。 情けないことに、ストーリーはほとんど忘れていた。だから今回は新たなドラマを観る感覚だった。でも、そうはいっても、やはり「ああ、そうだった」と思い出す感覚はある。その分よけいにドラマの襞に入り込めたような気がする。 初めて観たときも感じたことだが、2度目の今回ははっきりと「屋根の上のバイオリン弾き」が「焼肉ドラゴン」の下敷きになっていると感じた。ヨーロッパ中をさまようユダヤ人たちと在日コリア…

  • 東京ステーションギャラリー「小林徳三郎」展

    東京ステーションギャラリーで「小林徳三郎」展が開催中だ。小林徳三郎という名前は知らなかったが、チラシ(↑)に惹かれて行ってみた。 チラシに使われた作品は「金魚を見る子供」(1928年)だ。子供の表情がいい。なにか不思議なものを見るような表情だ。その表情は大人にはできない。きっと時間を忘れていつまでも見ているのだろう。またチラシでも分かるが、金魚鉢が大きい。子供の頭と同じくらいの大きさだ。その金魚鉢に張られた水には透明感がある。金魚鉢はブランデーグラスのような形をしている。金魚が大きい。たぶん金魚鉢がレンズのような役割を果たしているのだろう。背景の黄色とテーブルの緑色は補色の関係にあるが、渋い色…

  • コリンズ/東響

    東京交響楽団(「東響」)の定期演奏会。当初は秋山和慶が振る予定だった。だが本年1月26日に逝去した。代役にロス・ジェイミー・コリンズという若手指揮者が立った。プログラムは変更なし。ウィントン・マルサリスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏は大谷康子)とコープランドの交響曲第3番という攻めたプログラムだ。 秋山和慶が逝去したときには、東響は慌てただろう。東響の最大の功労者だ。葬儀の対応があるし、また予定している演奏会の代役探し、プログラムの調整もある。そのとき定期演奏会の代役にロス・ジェイミー・コリンズが抜擢された。コリンズはまったく無名の指揮者だ。なぜコリンズに白羽の矢が立ったのだろう。東響…

  • ルイージ/N響(Cプロ)

    ファビオ・ルイージ指揮N響のCプロは、今年開かれたショパン・コンクールの優勝者エリック・ルーが出演するので、チケットは完売だった。話が脱線するが、ショパン・コンクールは第3次予選から出場者すべての演奏をYouTubeで配信する。世界中どこにいてもコンクールの進行に一喜一憂できる。事務局の努力はたいしたものだ。 そのショパン・コンクールで優勝したエリック・ルーもたいしたものだ。というのは、エリック・ルーはすでに2015年の同コンクールで第4位に入賞しているからだ。10年後の同コンクールに再挑戦する。その意欲というか執念というか、そのくらいのタフさがないと、音楽ビジネスの世界では生き残れないのかも…

  • 国立西洋美術館「印象派」展

    国立西洋美術館で「オルセー美術館所蔵 印象派 室内をめぐる物語」展が開催中だ。また印象派か、と思わないでもないが、行けばやはり面白い。 チラシ↑に使われた作品はドガの「家族の肖像(ベレッリ家)」。ドガの初期の傑作といわれる作品だ。ドガの伯母とその夫そして2人の娘を描く肖像画だが、硬くて冷たい。家族はうまくいっていなかった。本作品はそんな家族の力関係を表す。叔母は2人の娘を味方につけ、夫は孤立する。夫は下の娘と親しくなろうとするが、各々の視線はすれ違う。夫がすわる椅子の下には犬が寝そべる。犬が夫の慰めだ。 一般的に家族の肖像画は家族の親密さを描く。社会的に成功して仲の良い家族であることを誇示する…

  • 瀬川裕美子ピアノ・リサイタル

    今年はピエール・ブーレーズ(1925‐2016)の生誕100年だ。ブーレーズの作品を聴く機会が多いだろうと思ったら、意外に少なくて、拍子抜けした。この度、ブーレーズの作品を中心にする瀬川裕美子のピアノ・リサイタルを見つけたので、聴きに行った。 1曲目はブーレーズのピアノ・ソナタ第3番だ。未完の作品だが、断片からは紛れもないブーレーズの音が立ち上がってくる。強靭な打鍵の部分と静謐な美しい音色の部分とが交錯する。演奏には突き詰めたような集中力と説得力があった。 なお、ブーレーズの構想では、この曲は5楽章構成の予定だった。だが第2楽章(フォルマン2)と第3楽章(フォルマン3)のみの出版で終わった。ブ…

  • ルイージ/N響(Aプロ)

    ファビオ・ルイージ指揮N響の定期演奏会Aプロ。先に曲目を書くと、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番とツェムリンスキーの交響詩「人魚姫」。ともにそれぞれの作曲家の人生行路の中で重要な意味があった曲だ。 ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番の独奏者はレオニダス・カヴァコスだ。奥田佳道さんが書いたプロフィールには「現代最高峰のヴァイオリニスト」とある。わたしは、名前はよく聞くが、実演を聴くのは初めてだ。最初の一音からして、ヴァイオリンがよく鳴る。演奏は堂々として揺るぎがなく、正攻法そのものだ。全4楽章が一貫してそのように演奏された。わたしは中でも、第3楽章後半の長大なカデンツァに惹…

  • 山田和樹/日本フィル

    山田和樹が振る日本フィルの定期演奏会。1曲目はドビュッシーのバレエ音楽「遊戯」。暖色系の明るい音色と軽いフワッとしたリズム。いかにも山田和樹らしいフランス音楽だ。注目すべきは音楽の段落が明確につけられた点だ。リズムと音色の精妙さ(だけ)でできた曲だ。音楽の段落が明確でないと、つかみどころがなくなる。山田和樹の演奏は、舞台上の動きが想像される点で、稀有とは言わないまでも、得難い演奏だった。 2曲目は武満徹の「マイ・ウェイ・オブ・ライフ―マイケル・ヴァイナーの追憶に―」。バリトン独唱は加耒徹(かく・とおる)。東京二期会の「ルル」でシェーン博士を好演し、またB→Cで意欲的なプログラムをうたった歌手だ…

  • インキネン/読響

    インキネンが読響の定期演奏会を振った。予定指揮者のハンヌ・リントゥがキャンセルしたためだ。日本フィルの首席指揮者として実績を積み重ね、来年3月には都響に客演する予定のインキネンが、読響をどう振るかに興味があった。 1曲目はシベリウスの「ポホヨラの娘」。読響を無理なく鳴らした。弱音には神経が行き届き、また強音では読響のパワーを開放する。テンポは淀みなく、またリズムが粘らない。緩急の変化も堂に入る。インキネンと読響の呼吸が合っていると感じる。初顔合わせで、しかも急な代役であるにもかかわらず、そのハンディを感じさせない。 2曲目はバルトークのピアノ協奏曲第3番。ピアノ独奏はピョートル・アンデルシェフ…

  • ノット/東響(音楽監督最後の定期演奏会)

    ジョナサン・ノットの東京交響楽団(以下「東響」)音楽監督としての最後の定期演奏会。プログラムは武満徹の「セレモニアル」とマーラーの交響曲第9番。そのプログラムは2014年4月の音楽監督就任披露定期演奏会と同一とのこと。 もはや言うまでもないが、ノットは日本のオーケストラの音楽監督ないしは首席指揮者として稀に見る成功例だ。上記の通り2014年4月に音楽監督に就任して以来、丸12年間にわたり東響を率いた。その12年間は斬新なプログラムによる挑戦に次ぐ挑戦の月日だった。オーケストラも事務局も大変だったかもしれない。だが、だれもが認める十分な成果を上げた。 武満徹の「セレモニアル」は、わたしは実演では…

  • 山種美術館「日本画聖地巡礼2025」展

    山種美術館で開催中の「日本画聖地巡礼2025」展。山種美術館の豊富な日本画コレクションから風景画を取り出し、その実景写真と比較する展覧会だ。画家は実景のどの部分を切り取ったかとか、実景をどう再構成したかとか、いろいろ興味深い。 チラシ(↑)の上段は速水御舟(1894‐1935)の「名樹散椿」(めいじゅちりつばき)(1929)。実見すると、チラシの印象とは異なり、一種の強さを感じる。それは個性の強さだろうが、実感としては作品の強さを感じる。 本作品は京都の地蔵院(椿寺)の椿を描く。本作品では丘の上に一本の椿が立つように見えるが、実景写真を見ると、地蔵院(椿寺)は町中にある。調べると、京都市北区だ…

  • デュトワ/N響(Cプロ)

    デュトワ指揮N響。先日のAプロに引き続き、Cプロを聴きに行った。Aプロが異常なまでに気迫のこもった演奏だったので、Cプロも期待した。だが結論を先に言うと、デュトワN響の通常運転に戻ったようだ。 プログラムはオール・ラヴェル・プロ。デュトワ得意のプログラムだ。1曲目は「亡き王女のためのパヴァーヌ」。ホルンの首席にパリ管の首席奏者のブノワ・ド・バルソニーが入ったので、安心して聴けた。さすがに艶があり安定している。それにしてもラヴェルはなぜいきなりホルンの高い音で始めたのか。フルートあたりに吹かせていたら、もっと楽に始められたろうにと。そこがラヴェルの天才的なオーケストレーションなのだろう。 2曲目…

  • デュトワ/N響(Aプロ)

    デュトワが8年ぶりにN響の定期に復帰した。例の疑惑はどうなったか、とくに説明はないままに。 デュトワは89歳になった。だがまったく爺むさくない。体は8年前よりもスリムになったようにさえ見える(8年前は「デュトワも年齢相応にでっぷりしたな」と思ったものだ)。舞台袖から登場する様子は颯爽としている。棒もシャープだ。まったく衰えていない。そしてN響から驚くべき音を引きだす。他の指揮者とくらべて一層パワフルでしかも鮮烈だ。デュトワでなければ出せない音。それが8年前よりも磨きがかかっている――と言いたいくらいだ。8年間の雌伏で垢がすっかり落ちたかのように。 1曲目はメシアンの「神の現存のための3つの小典…

  • 高関健/東京シティ・フィル「トゥーランガリラ交響曲」

    高関健指揮東京シティ・フィルの「トゥーランガリラ交響曲」。先に結論を言うと、緻密な音の織物の、すべての音が聴こえるような演奏だった。 第1楽章「序奏」が始まる。息せき切って駆け込むような冒頭部分が、歯切れのよい音で演奏される。十分なインパクトがあるが、それだけではなく、弦楽器の音が澄んでいることが注目される。けっして力んでいないのだ。続く「彫像の主題」が正確に提示される。指揮者によっては変に強調して演奏する場合があるが、高関健はそうしない。結果、音楽の流れの中に(先ほどの言い方で言えば「音の織物」の中に)過不足なく組み込まれる。さらに続く「花の主題」もけっして媚びずに、むしろあっさりと提示され…

  • 大田区立龍子記念館「川合玉堂と川端龍子」展

    東京・奥多摩に玉堂美術館がある。日本画家の川合玉堂(1873‐1957)を記念した美術館だ。一度行ってみたいと思っているが、まだ行っていない。今、玉堂美術館の所蔵作品がまとまって大田区立龍子記念館に来ている。「川合玉堂と川端龍子」展だ。近場で玉堂美術館の作品を見る絶好の機会だ。 川合玉堂と川端龍子(1885‐1966)の作風は正反対と言ってもいい。一言でいうと、玉堂の作風は穏やかだ。掛け軸とか屏風とか、あるいは額に入れて、日本家屋に飾るのにふさわしい。一方、龍子の作風は激しい。大画面に奔放に描く。日本家屋には大きすぎる。美術館に展示するのにふさわしい。 本展では玉堂の代表作といわれる「彩雨」(…

  • 東京都美術館「ゴッホ展」

    東京都美術館で「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」が開催中だ。ゴッホと、ゴッホを支えた弟のテオと、テオの没後にゴッホの作品を守ったテオの未亡人のヨーと、ヨーの遺志を継いだ息子のウィレムと、その4人の物語だ。 4人の物語は感動的だが、その一方で、ゴッホは弟に頼る生活を気に病み、早く自立しなければと焦っていた。テオは兄を最後まで支えたが、兄の問題行動に振り回されたことも事実だ。ヨーは夫のテオと義兄のゴッホの兄弟関係をよく理解した。4人の物語はヨーがいたから成立したともいえる。 率直に言うと、本展で語られる4人の物語は、美談に傾きがちだ。実際には葛藤があったが、その襞には触れない。本来なら、葛藤を超…

  • 藤岡幸夫/日本フィル(横浜定期)

    藤岡幸夫が振る日本フィルの横浜定期。プログラムを先に言うと、吉松隆の曲が2曲とシベリウスの交響曲第1番だ。わたしは楽しみにしていたが、聴衆の入りは悪かった。日本人の作曲家の作品をやると聴衆の入りが悪くなる。日本フィルはそれを承知の上でプログラムを組んでいるのだろう。その心意気に共感する。 1曲目は吉松隆の「アトム・ハーツ・クラブ組曲第1番」。ロック調の曲だ。今聴くと郷愁をそそるものがある。1997年に弦楽四重奏曲として作曲され、2001年に弦楽オーケストラ版が作成された(今回の演奏はそれによる)。約30年前の曲だが、わずか30年の間に時代はずいぶん移り変わったと思う。 2曲目は吉松隆のトロンボ…

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