chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel

1件〜100件

  • 久生十蘭短篇選

    久生十蘭(ひさお・じゅうらん)(1902‐1957)には根強いファンがいるようだ。わたしはいままで読んだことがなかったが、先日、あるきっかけから、岩波文庫の「久生十蘭短篇選」を読んだ。同書には15篇の短編小説が収められている。一作を除いて、あとは戦後間もないころの作品だ。どの作品にも戦後社会が色濃く反映している。わたしは学生のころ(もう50年も前だ)、野間宏などの第一次戦後派の作品を読んでいた(もうすっかり記憶が薄れているが)。今度、久生十蘭の作品を読んで、戦後社会の実相というか、庶民的な感覚は、久生十蘭の作品のほうがよく反映されているのではないかと思った。戦中に書かれた一作をふくめて、15篇すべてがおもしろかったが、あえてベストスリーを選ぶとしたら、どうなるだろうと自問した。お遊びのようなものだが、やっ...久生十蘭短篇選

  • 藤岡幸夫/東京シティ・フィル

    フェスタサマーミューザで藤岡幸夫指揮東京シティ・フィル。いかにもサマーコンサートらしいプログラムだ。1曲目はコープランドのクラリネット協奏曲。クラリネット独奏は現代のレジェンド、リチャード・ストルツマン。御年80歳だ。椅子に座ってこの曲を吹くストルツマンの姿が目に焼き付いた。椅子に座ってとはいうが、ストルツマンは元気だ。演奏終了後、カーテンコールでは小走りに出てくる。勢いあまって指揮台の先まで行ってしまい、Uターンする。満場の喝さいを浴びたのち、また小走りに引っ込む。拍手が鳴り止まないので、もう一度小走りに出てくる。今度も指揮台の先まで行ってしまい、Uターンする。お茶目だ。2曲目はチック・コリアの「スペイン」。「アランフェス協奏曲」の第2楽章のテーマがチラッと出てくる曲だ。それをジャズの六重奏(ピアノ、ベ...藤岡幸夫/東京シティ・フィル

  • 「芸術家たちの住むところ」展

    用事があって、さいたま新都心に行った。ついでなので、うらわ美術館に行ってみた。JR浦和駅から徒歩10分くらい。ロイヤルパインズホテル浦和という大型ホテルの3階にあった。同美術館を訪れるのは初めてだ。同美術館では「芸術家たちの住むところ」展が開催中だ。浦和には多くの画家が住んだらしい。関東大震災の後、東京から多くの画家が浦和に移ったためだ。当時は「鎌倉文士に浦和絵描き」という言葉があったそうだ。本展はそれらの画家30人余りの作品を展示したもの。前期と後期に分かれている。いま開かれているのは後期だ。2章構成になっている。第1章は「描かれた土地の記憶」。のどかな田園地帯だった浦和の自然やレトロな洋館建築など、いまでは懐かしい風景を描いた作品群だ。浦和には縁がないわたしにも楽しめる内容だった。第2章は「戦後:それ...「芸術家たちの住むところ」展

  • ルートヴィヒ美術館展

    国立新美術館で「ルートヴィヒ美術館展」が開催中だ。20世紀美術の流れを概観する展示になっている。ルートヴィヒ美術館はドイツのケルンにある美術館だ。ケルンには主要な美術館が二つある。主に20世紀以降の作品を展示するルートヴィヒ美術館と、主に19世紀以前の作品を展示するヴァルラフ=リヒャルツ美術館。ともにドイツの有力な美術館だ。本展は序章プラス7章で構成されている。第1章は「ドイツ・モダニズム――新たな芸術表現を求めて」。第一次世界大戦前後から第二次世界大戦までのドイツ美術の動向を追っている。さすがにドイツの美術館だけあって、簡潔ながら目配りのきいた内容だ。日本で当時の作品をまとめて見る機会は少ないので、感銘深い。具体的にいうと、ドイツ表現主義の二大潮流である「ブリュッケ」と「青騎士」の画家たち、そしてその周...ルートヴィヒ美術館展

  • 鈴木秀美/オーケストラ・ニッポニカ

    「芥川也寸志メモリアルオーケストラ・ニッポニカ」が設立20周年を迎えた。それを記念して、今年度の3回の演奏会は日本人作曲家の作品を特集している。昨日はその第1回。1曲目は古関裕而(1909‐1989)の交響詩「大地の反逆」(原典版)(1928)。古関裕而の習作といっていいと思う。暗雲渦巻くロマン派風の作品だ。プログラムノートによれば、本作品は1923年に発生した「関東大震災に題材をとったといわれる」そうだ。それにしても「大地の反逆」という大仰な題名には、まだ10代の古関裕而の気負いが感じられる。微笑ましいというべきか。2曲目は早坂文雄(1914‐1955)の「ピアノ協奏曲第1番」(1948)。これはわたしには当演奏会の「発見」だった。隠れた名曲だと思う。全2楽章で、第1楽章は滔々たる流れのレント、第2楽章...鈴木秀美/オーケストラ・ニッポニカ

  • アレホ・ペレス/読響

    アレホ・ペレスの読響定期初出演。アレホ・ペレスはアルゼンチン生まれだ。ヨーロッパ各地でオペラ、コンサートの両面で活躍中のようだ。1曲目はペーテル・エトヴェシュ(1944‐)の「セイレーンの歌」(2020)。明るい光が射すような透明感と、なんともいえない軽さのある曲だ。年齢を重ねたエトヴェシュのいまの心象風景だろうか。演奏はその曲想を伝える名演だったのではないか。アレホ・ペレスはエトヴェシュのアシスタントを務めたことがあるそうだ。エトヴェシュの音楽をよく知っているのだろう。言い換えれば、エトヴェシュが認めるほどの才能の持ち主かもしれない。2曲目はメンデルスゾーンの「ヴァイオリンとピアノのための協奏曲」。メンデルスゾーン14歳のときの作品だ。演奏時間約37分(プログラム表記による)。堂々たる作品だ。おもしろい...アレホ・ペレス/読響

  • METライブビューイング「ハムレット」

    METライブビューイングでブレット・ディーンBrettDeanのオペラ「ハムレット」を観た。ブレット・ディーンは1961年オーストラリア生まれの作曲家・ヴィオラ奏者。1985年~1999年にはベルリン・フィルのヴィオラ奏者をつとめた。2000年に退団してフリーの作曲家になった。「ハムレット」は2017年にイギリスのグラインドボーン音楽祭で初演されたもの。冒頭、ほとんど無音の中に、ハムレットが「ornottobe」と呟きながら登場する。その直後、荒れ狂ったような音楽が展開する。すさまじいテンションだ。それが延々と続く。正直、疲れる。だが、それがハムレットの胸中に吹きすさぶ嵐の表現だと気付いたとき、その音楽が受け入れられるようになる。音楽はその後、徐々に変容する。本作品はシェイクスピアの原作を真正面からとらえ...METライブビューイング「ハムレット」

  • ノット/東響

    ノット指揮東響の定期演奏会。1曲目はラヴェルの「海原の小舟」。率直にいって、アンサンブルをもう一歩練り上げてほしかった。どこがどうというのではないが、じっくりした余裕が感じられなかった。2曲目はベルクの「七つの初期の歌」。独唱はドイツのソプラノ歌手のユリア・クライター。密度の濃い歌唱だった。オーケストラの伴奏ともども、この作品のニュアンスを隅々まで表現する演奏だった。プロフィールによると、クライターはオペラとリートの両面で、ヨーロッパ各地で活動しているらしい。じつは「七つの初期の歌」はわたしの好きな曲だ。いままでは漠然と、初期のベルクの良さが詰まった曲だと思っていたが、沼野雄司氏のプログラム・ノートを読んで、もっと具体的に、わたしの好きな理由が解き明かされたように思った。若干長くなるが、プログラム・ノート...ノット/東響

  • 新国立劇場「ペレアスとメリザンド」

    新国立劇場の「ペレアスとメリザンド」を観た。同劇場で観たオペラ公演の中で、これは屈指の密度の濃さを誇る公演だと思った。そう言った矢先に、トウキョー・リングという破格の公演があったとささやく内なる声が聞こえるので、これは同劇場に固有の、どこか冷めた、劇場の大空間を満たせない公演とは一線を画すと言い直そう。演出はケイティ・ミッチェル。エクサンプロヴァンス音楽祭とポーランド国立歌劇場の共同制作だ。幕が開くと、音楽が始まる前に、白いウェディングドレスを着たメリザンドが、大きな荷物をもって部屋に入ってくる。ホテルの一室だろうか。疲れた様子だ。結婚式の途中で逃げ出したように見える。メリザンドはベッドに横になり、眠ってしまう。音楽が始まる。以下はメリザンドが見た夢だ。いわゆる夢落ちではなく、最初にこれは夢であると告げら...新国立劇場「ペレアスとメリザンド」

  • 広上淳一/日本フィル

    夜に日本フィルの定期演奏会を控えたその昼に、安倍元首相が銃撃されたというニュースが飛び込んだ。それ以来、時々刻々と入るニュースに釘付けになった。夕方には死亡が報じられた。容疑者は「特定の宗教団体」をあげ、その恨みからやったと供述しているらしい。「特定の宗教団体」がどこなのかは、もちろん気になるが、それ以上に、本件は政治テロではないことが重要だと思った。安倍元首相は政治信条に殉じたのではない。故人を貶めるつもりでいうのではないが、つまらない亡くなり方をしたのだ。そんなことを思ったのは、その夜の日本フィルの定期演奏会で聴いたブルックナーの交響曲第7番(ハース版)の第2楽章で、だった。ワーグナーの逝去の報に接してブルックナーが書いた荘重な音楽。どうしてもそこに安倍元首相の逝去を重ねてしまいがちだが、それは短絡的...広上淳一/日本フィル

  • アンドレ・ボーシャン+藤田龍児「牧歌礼讃/楽園憧憬」展

    東京ステーションギャラリーでアンドレ・ボーシャン(1873‐1958)と藤田龍児(1928‐2002)の二人展「牧歌礼賛/楽園憧憬」が開催中だ。フランスの画家・ボーシャンと藤田龍児とは、生きた時代も場所も異なり、なんのつながりもない。あえていえば、ともに素朴派の画家と分類される点が共通するくらいだ。その素朴派という分類も、後世の人々がそう呼ぶだけで、画家本人が素朴派をめざしたわけではない。だが、それはともかく、本展には二人に共通する明るくポジティブな活力がみなぎっている。それだけではなく、二人のちがいも見えてくる。チラシ(↑)に使われた作品は、上がボーシャンの「川辺の花瓶の花」(1946)だ。背景はフランスののどかな丘陵地帯だろう。手前に大きな花瓶がある。実際にそこに花瓶があるというよりは、背景の自然と花...アンドレ・ボーシャン+藤田龍児「牧歌礼讃/楽園憧憬」展

  • MUSIC TOMORROW 2022

    N響恒例のMUSICTOMORROW2022。今年は直前になって外国人演奏家の来日中止が相次いだ。そのため、後述するように、曲目の一部が中止され、またソリストが変更された。それでもよく開催にこぎつけたものだ。1曲目はドイツ在住の作曲家・岸野末利加(きしのまりか)の「WhattheThunderSaid/雷神の言葉」(2021)。独奏チェロをともなう曲だ。独奏チェロはケルンWDR交響楽団(旧ケルン放送交響楽団)のソロ・チェロ奏者のオーレン・シェヴリン。題名の「WhattheThunderSaid」はT.S.エリオットの詩「荒地」からとられている。岸野末利加は「スペイン風邪と第1次世界大戦で荒廃した当時のヨーロッパで書かれた美しい詩は、100年後の今、パンデミック、気候災害、人種、宗教、経済の様々な問題を抱え...MUSICTOMORROW2022

  • 新潟県柏崎市訪問

    6月初めに新潟県柏崎市に行った。従兄の連れ合いが亡くなったから。20代のころから難病と闘ってきたが、ついに力尽きた。それでも69歳まで生きた。本人は生前に「こんなに生きられるとは思わなかった」と言ったことがある。実感だったろう。お通夜は夕方からなので、ゆっくり東京を発てばよかったのだが、何年ぶりかの柏崎訪問なので、早めに行って市内を歩くことにした。といっても、行くあてもないので、柏崎市立博物館に行った。そこに行くのは初めてだ。駅前からタクシーで行くと、美しく整備された赤坂山公園の奥にあった。思いがけず、木喰上人の仏像が何体か(8体だったか9体だったか)展示されていた。木喰上人は柏崎に1年ほど滞在したらしい。柏崎で88歳の米寿を迎えた。そのときの作だ。微笑を浮かべた人間味のある木喰仏が完成した感がある。上掲...新潟県柏崎市訪問

  • ヴァイグレ/読響

    ヴァイグレ指揮読響の日曜マチネーシリーズへ。1曲目はワーグナーの「さまよえるオランダ人」序曲。バランスのとれた音の構築が快い。冒頭のホルンのテーマが細かくアクセントをつけられ、音楽を推進する。その一方で、おどろおどろしいところがないのはヴァイグレ流か。2曲目はモーツァルトのファゴット協奏曲。ファゴット独奏はフランス人の女性奏者ロラ・デクール。デクールはヴァイグレが音楽監督をつとめるフランクフルト歌劇場のソロ・ファゴット奏者だ。ファゴット特有の、どこかとぼけた音色と、滑らかな音の連なりが楽しめた。アンコールがまた楽しかった。だれの、なんという曲かはわからないが(読響のホームページにも会場の東京芸術劇場のホームページにも載っていない)、ユーモラスで、むしろコミカルな小品だ。最後は奏者が短いフレーズを繰り返しな...ヴァイグレ/読響

  • ヴァイグレ/読響

    ヴァイグレ指揮読響の定期演奏会。1曲目はルディ・シュテファンの「管弦楽のための音楽」。ルディ・シュテファンは1887年生まれのドイツの作曲家だ。第一次世界大戦に従軍して、1915年に戦死した。戦死した場所は現在のウクライナだ。プログラムを組んだときにはもちろんロシアのウクライナ侵攻は始まっていないので、たんなる偶然に過ぎないが、現在のウクライナ情勢のもとでこの曲を聴くと、今こうしている時も多くの若者が命を失っている現実と重なる。「管弦楽のための音楽」は1912年の作品だ。近年ではキリル・ペトレンコがベルリン・フィルを指揮して演奏している。またこの作曲家には「最初の人類」(1914年)というオペラがあり、最近ではフランソワ=グザヴィエ・ロトがオランダ国立歌劇場で上演している。ヨーロッパで再評価が進んでいる作...ヴァイグレ/読響

  • 秋山和慶/日本フィル

    ラザレフがウクライナ情勢を受けて来日を見合わせた。代役を引き受けたのは秋山和慶。それに伴い曲目も変わった。フランス音楽名曲選のようなプログラム。名匠・秋山和慶が日本フィルからどのような演奏を引き出すか。日本フィルの常連の指揮者にはないタイプなので、興味と期待が高まった。1曲目はドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。アーティキュレーションの明確な演奏だ。細部に緻密なニュアンスが施されている。リズムが明瞭に浮き出る。ムードに流れる演奏ではなく、音楽的な構造がしっかりしている。一言でいうと、秋山和慶らしい演奏だ。それが日本フィルには新鮮だ。フルート独奏は首席奏者の真鍋恵子。当夜のプログラム中、3曲にフルート独奏がある。フルート奏者にはおいしいプログラムだ。2曲目はラヴェルの(両手のほうの)ピアノ協奏曲。ピアノ...秋山和慶/日本フィル

  • 川端康成「眠れる美女」

    川端康成の「眠れる美女」は紛れもない傑作だと思う。三島由紀夫は新潮文庫の解説で「この作品を文句なしに傑作と呼んでいる人は、私の他には、私の知るかぎり一人いる。それはエドワード・サイデンスティッカー氏である」と書いている。解説が書かれたのは1967年11月だ。その後の時代の趨勢により、今では本作品を傑作だと思う人はもっと増えているような気がする。なぜそう思うかというと、本作品のグロテスクな幻想性が、今の時代に一層精彩を放つようになっていると感じるからだ。正確にいえば、本作品には執筆当時の時代的な制約を受けた部分と、時代を超越した部分があり、時代を超越した部分が、今でも異彩を放っていると感じるのだ。物語の場所は、海辺の一軒家。その家は老人限定の娼家だ。美女が全裸で眠っている。おそらく強い睡眠薬を飲まされている...川端康成「眠れる美女」

  • 「自然と人のダイアローグ」展

    国立西洋美術館で「自然と人のダイアローグ」展が始まった。ドイツの中部の都市エッセンにあるフォルクヴァング美術館の作品と国立西洋美術館の作品を並置したユニークな企画展だ。フォルクヴァング美術館には何度か行ったことがある。エッセンには演目および演出の両面で意欲的な活動を続けるエッセン歌劇場があり、わたしはオペラを観るために行ったのだが、昼間は暇なので、フォルクヴァング美術館で過ごした。静かな美術館の中で好きなだけ作品に向き合うことのできる贅沢な時間だった。本展に来ている作品には記憶に残っている作品もあれば、見たことのない(あるいはすっかり忘れている)作品もあるが、それらの作品が、質量ともに同等に、国立西洋美術館の作品と並べて展示され、しかもその並べ方が、ある共通のテーマにしたがって、そのテーマを深掘りするよう...「自然と人のダイアローグ」展

  • 川端康成「掌の小説」

    今年は川端康成の没後50年に当たる。そうか、もうそんなになるか、と思う。川端康成の自死は衝撃だった。若い作家ならともかく、功成り名遂げた老作家が……。没後50年を記念して、文学展が開かれたり、新たな研究が発表されたりしている。その報道に接するうちに、久しぶりに川端康成を読みたくなった。とはいえ、「伊豆の踊子」、「雪国」、「山の音」といった代表作には触手が伸びなかった。まず手に取ったのは「掌の小説」だ。「掌」は「てのひら」とも「たなごころ」とも読める。新潮文庫の解説では「てのひら」と読ませている。「掌の小説」とは(短編小説よりもさらに短い)掌編小説のことだ。川端康成の掌編小説は一作当たり平均して400字詰め原稿用紙で7枚程度だ(作品によって多少のちがいがあるが)。川端康成は作家生活の初期から晩年にいたるまで...川端康成「掌の小説」

  • SOMPO美術館「シダネルとマルタン展」

    新宿のSOMPO美術館で「シダネルとマルタン展」が開催中だ。ウクライナ情勢その他で気持ちがすさみがちな昨今、せめて絵をみて、穏やかな日常を取り戻したい、と思うむきには格好の展覧会だ。本展に展示されているアンリ・ル・シダネル(1862‐1939)とアンリ・マルタン(1860‐1943)、そして本展には展示されていないが、エドモン・アマン=ジャン(1858‐1936)などの一群の画家たちは、親しく交わりながら、1890年代以降、旺盛な制作を続けた。その時期は、象徴派、フォービスム、キュビスムなどの新潮流が台頭する時期と重なった。それらの先鋭的な画風に比べると、シダネルもマルタンもアマン=ジャンも、印象派およびポスト印象派の末裔に位置付けられ、目新しさに欠けた。そのため美術史的にはあまり語られることはなかった。だが、...SOMPO美術館「シダネルとマルタン展」

  • カーチュン・ウォン/日本フィル

    カーチュン・ウォン指揮の日本フィル。1曲目は伊福部昭の「リトミカ・オスティナータ」。ピアノ独奏は務川慧悟(むかわ・けいご)。照度が高くてカラフルで桁外れのエネルギーが放射される演奏だ。伊福部昭の作品は今までいろいろな演奏を聴いてきたが、その枠を超える新時代の演奏という気がする。カーチュン・ウォンの全身から発散するリズムと日本フィルの燃焼、そして務川慧悟の叩きだす音の総和が、わたしの経験値を超える演奏を出現させた。務川慧悟は期待の若手だ。アンコールにバッハのフランス組曲第5番から第1曲「アルマンド」が演奏された。安定走行の高性能な車のような、運動性の高い演奏だった。伊福部昭の熱狂的な演奏と、バッハの安定した演奏と、たぶん他にもさまざまな可能性を秘めているだろうピアニストのようだ。2曲目はマーラーの交響曲第4番。第...カーチュン・ウォン/日本フィル

  • ブライアン・ファーニホウの音楽

    東京オペラシティのコンポージアム2022。今年の作曲家はブライアン・ファーニホウ(1943‐)。現代音楽の大御所だ。「新しい複雑性」という言葉がトレードマークのようについてまわる。わたしもその譜面の一例を本で見たことがある。面食らうような譜面だ。リズムを勘定する気も起らない。そんな譜面がどんな音で鳴るのか。もっとも、コンポージアム2022に先立ち、ファーニホウの曲を何曲かYouTubeその他で聴いてみた。どこをどう聴いたらよいのか、つかめなかった。これはお手上げだ、というのが正直なところだった。でも、コンポージアム2022に行ってみた。実演を聴いたときに、なにかがつかめるか。そしてもうひとつ、演奏がアンサンブル・モデルンであることにも惹かれた。フランクフルトを拠点とする現代音楽の演奏集団だ。ファーニホウを聴くに...ブライアン・ファーニホウの音楽

  • 新国立劇場「オルフェオとエウリディーチェ」

    新国立劇場の新制作「オルフェオとエウリディーチェ」。演出・振付・美術・衣装・照明のすべてを勅使河原三郎が担当した。なので、様式的に統一がとれている。上掲の画像(↑)にあるような白百合がつねに舞台上に置かれている。美しいが、葬儀のときの祭壇のようでもある。舞台上には大きな円盤がある。オルフェオ、エウリディーチェ、アモーレ(愛の神)の3人は円盤上で歌い、演じる。合唱は床の上だ。考えてみると、このオペラは奇妙なオペラだ。冥界でオルフェオとエウリディーチェが出会う、ドラマのその最高潮のときに、オルフェオはエウリディーチェを見てはいけないという制約がある。原作の神話がそうだからしかたがないのだが、その奇妙な制約のもとで、オルフェオとエウリディーチェの情熱の高まりと、その一方での距離感を表すには、狭い円盤上で右往左往するこ...新国立劇場「オルフェオとエウリディーチェ」

  • ノット/東響

    東京交響楽団(以下「東響」)の定期会員になった。長らく在京の5つのオーケストラの定期会員を続けていたが、そのうちの1つをやめて、東響の定期会員になった。昨日は初めての定期演奏会。今までも年に1、2度は東響を聴く機会があったが、定期会員になると、身の入り方がちがう。1曲目はリヒャルト・シュトラウスの「ドン・ファン」。16型の大編成だが、その音は後期ロマン派の豊麗な音ではなく、カラフルな照明が点滅するような鮮明な音だ。最初は違和感があったが、次第にその音の個性が呑み込めた。2曲目はショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番。ピアノ独奏はペーター・ヤブロンスキー。トランペット独奏は首席奏者の澤田真人。しっかり構築された見事な演奏だったが、この曲の諧謔性というか、わたしの言葉でいえば、ヨレヨレの悪ふざけ、もっといえば馬鹿々...ノット/東響

  • ヤノフスキ/N響

    ヤノフスキ指揮N響の池袋Aプロ。1曲目はシューマンのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏はアリョーナ・バーエワAlenaBaeva。バーエワは2019年2月にパーヴォ・ヤルヴィの指揮でリヒャルト・シュトラウスのヴァイオリン協奏曲をN響と共演した。目も覚めるような演奏だった。今回は地味なシューマンの協奏曲だ。どんな演奏を聴かせるか、注目した。全3楽章からなるこの曲の、とくに第1楽章では、シュトラウスのときの記憶を裏付けるような、気迫にとんだ激しい演奏を聴かせた。バーエワが稀に見る才能の持ち主であることはまちがいない。だが、バーエワの才能をもってしても、この楽章の(ときに現れる)音楽が薄くなる部分は隠しようがない。第2楽章の「天使の主題」は、ピアノ独奏曲で聴く場合はよいが、協奏曲の一楽章になると、提示後の展開に物足...ヤノフスキ/N響

  • 藤岡幸夫/東京シティ・フィル

    藤岡幸夫指揮東京シティ・フィルの定期演奏会は、驚いたことに全席完売だった。ピアニストの角野隼人(すみの・はやと)の人気によるらしい。藤岡幸夫はプレトークで「(角野隼人が出演する)プログラム前半だけで帰らないでくださいよ」といって笑いを取った。そのプログラム前半は、まずラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」。丁寧にアンサンブルを整えた演奏だ。木管楽器のフレーズの受け渡しに細心の注意が払われ、また弦楽器の音色も美しかった。それでいて音がやせずに、親密な空間をつくりだした。次に角野隼人が登場してラヴェルの(両手のほうの)ピアノ協奏曲。わたしは角野隼人を聴くのは初めてだが(情報に疎いので、名前も知らなかった)、その才能と個性に驚嘆した。鮮烈なリズム感をもち、音の粒立ちが良い。音楽の細かいところにドラマがある。常套的に流す部...藤岡幸夫/東京シティ・フィル

  • 小川洋子「ことり」

    小川洋子の「ことり」(2012年)を読んだ。少し時間を置いてから、もう一度読んだ。わたしの大切な小説になった。小鳥を愛し、小鳥の言葉を理解している(ように見える)「お兄さん」。お兄さんの言葉は小鳥に似ている。だれも理解できない。だが弟の「小父さん」には理解できる。母が亡くなり、父が亡くなる。お兄さんと小父さんは二人でひっそり生きる。やがてお兄さんが亡くなる。小父さんひとりになる。小父さんも小鳥を愛する。お兄さんほどではないが、小鳥の言葉がわかる気がする。やがて初老になった小父さんは、ひっそり亡くなる。そんな小父さんの、だれにも知られることのない人生の物語。本作品は音楽を感じさせる。その音楽は2楽章で構成されている。第1楽章はお兄さんが生きているときのお兄さんと小父さんの生活。ゆったりしたテンポの平穏な音楽。その...小川洋子「ことり」

  • 小川洋子「博士の愛した数式」

    小川洋子の代表作といえば、「博士の愛した数式」だろう。2003年に刊行され、ベストセラーになった。映画にもなり、コミックにもなり、また舞台上演もされた。それを今頃になって読むのだから、我ながら周回遅れもいいところだ。ベストセラーになったので、プロットを紹介するまでもないだろうが、念のために書いておくと、時は1992年、所は瀬戸内海に面した小さな町。「私」は20代後半のシングルマザーだ。家政婦として「博士」の家に派遣される。博士は60代前半の男性。非凡な数学者だったが、1975年に自動車事故にあい、その時以来、記憶が80分しかもたなくなった。80分たつと記憶が消える。もっとも、事故以前の記憶は残っている。たとえば博士は阪神タイガースの江夏投手のファンだった。博士はいまでも江夏投手がエースだと思っている。もう引退し...小川洋子「博士の愛した数式」

  • 小川洋子「密やかな結晶」

    小川洋子の「密やかな結晶」は1994年に刊行されたので、新しい作品ではないが、近年英訳され、2019年度全米図書賞の翻訳部門にノミネートされ、また2020年度英国ブッカー賞の最終候補になったと、数か月前に新聞各紙で報道された。その記憶が残っていたので、読んでみた。小川洋子の作品を読むのは初めてだ。「密やかな結晶」はある島の話だ。鉄道が通っているので、けっして小さな島ではなさそうだ。その島ではある日突然、何かが消えてなくなる。たとえばリボン。島中のリボンが突然「消滅」する。住民の記憶からも消える。万が一リボンを隠し持っている人がいたとしても、他の人々がそれを見たとき、人々はもうそれをリボンとは認識できない。たんなる布切れだ。同じようにして、鈴とか、エメラルドとか、切手とか、その他いろいろなものが消えていく。大物で...小川洋子「密やかな結晶」

  • METライブビューイング「ナクソス島のアリアドネ」

    METライブビューイングで「ナクソス島のアリアドネ」を観た。気軽に外国に行けなくなったので、メトロポリタン歌劇場のオペラ公演を(たとえ映画館であっても)日本に居ながらにして鑑賞できるのは幸いだ。映画館なので、もちろん音質的には限界があるが、それでもアリアドネ役のリーゼ・ダーヴィドセンLiseDavidsenの傑出した歌唱力には度肝を抜かれた。まだ若い歌手だ。今後ビッグネームになることはまちがいないだろうが、ビッグネームになってからよりも、今のはち切れるような才能の開花を愛でたい。アリアドネ役は第2幕の主役だが、第1幕の主役ともいえる作曲家役を歌ったイザベル・レナードは、すっかりMETの看板歌手になった。ズボン役の作曲家も、歌、演技ともによかった。幕間のインタビューでだれかがいっていたが、来シーズンの「ばらの騎士...METライブビューイング「ナクソス島のアリアドネ」

  • インキネン/日本フィル

    インキネンと日本フィルが、コロナ禍で中断していたベートーヴェンの交響曲チクルスを再開した。昨日の横浜定期では第2番と第4番が演奏された。今後、10月の東京定期で第7番と第8番が演奏され、来年5月の横浜定期と名曲コンサートで「第九」が演奏されてチクルスが完結する。今回の2曲はともに安定した演奏だったが、第4番のほうが、ピッチがよく合ったスリムな音で、アンサンブルのきめが細かかった。加えて集中力が並みではなく、存在感のある演奏だった。名演という一般的な表現よりも、インキネンの特質がよく表れた演奏といったほうがいいかもしれない。以前聴いたメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」を彷彿させる演奏だが、今回はさらに逞しさがあった。演奏会の冒頭にシベリウスの交響詩「エン・サガ」が演奏された。ベートーヴェン・チクルスが中断...インキネン/日本フィル

  • 高関健/東京シティ・フィル

    高関健指揮東京シティ・フィルの定期演奏会は、三善晃の「交響三章」とブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」(第2稿1878/80年、コーストヴェット版)という異色の組み合わせ。両者の対比が鮮やかな演奏だった。三善晃の「交響三章」では緊張した音が鳴った。とくに変拍子が連続して猛スピードで駆け抜ける第2楽章が、手に汗握るスリリングな演奏だった。「交響三章」は三善晃の出世作だが、その前に「交響的変容」を書いているせいか、「交響三章」では無駄がなく、しかもみずみずしい感性が脈打っている。才能あふれる若手の、その才能がまぶしく、かつそれが堂々と表出される曲だ。当夜はコンサートマスターにゲストの荒井英治が入った(荒井英治は同団の特別客演コンサートマスターの称号をもつ)。これは良い意味でいうのだが、「交響三章」はいかにも...高関健/東京シティ・フィル

  • B→C 吉村結実オーボエ・リサイタル

    東京オペラシティのB→CシリーズにN響の首席オーボエ奏者・吉村結実が出演した。プログラムはクープランから始め、バッハで終わるもので、そのあいだにフランス近代・現代の諸作品がはさまれた。吉村さんのルーツはフランス音楽にあるようだ。冒頭のクープランの「趣味の融合または新しいコンセール」第7番ト短調は、いかにもクープランらしい優雅な曲だが、吉村さんのオーボエよりも、むしろ桒形亜樹子(くわがた・あきこ)さんのチェンバロに耳を奪われた。楽器の特性上音量が小さく、演奏も控えめだったが、心地よいテンポを刻んだ。2曲目はラヴェルの「ソナチネ」。原曲はピアノ独奏曲だが、ダヴィット・ワルターという人のオーボエとピアノのための編曲版で演奏された。吉村さんのオーボエは一転して、水を得た魚のように精彩を放った。第1楽章と第2楽章では自然...B→C吉村結実オーボエ・リサイタル

  • エッシェンバッハ/N響

    エッシェンバッハ指揮N響のCプロはマーラーの交響曲第5番。壮麗に鳴る金管、艶のある音色のチェロ、ピアニスト出身を思わせるエッシェンバッハの、隠れた音型を浮き上がらせる解釈という具合に、聴きどころ満載の演奏だった。もっとも、Aプロのベートーヴェンの交響曲第7番のときのような精神の輝きは感じなかったが。マーラーの交響曲第5番の演奏とベートーヴェンの交響曲第7番の演奏と、どこがどうちがうかを具体的に指摘することは難しいが、感覚的にいうなら、ベートーヴェンの交響曲第7番のときは、空に抜けるような音が鳴ったのにたいして、マーラーの交響曲第5番では、楽員が必死に譜面にくらいついているような印象を受けた。もっとも、それだけ楽員を本気にさせたのはエッシェンバッハの力だ。譜読みと集中力が並外れた指揮者なのだろう。前回来日時(20...エッシェンバッハ/N響

  • 平和祈念展示資料館「戦争のおはなし」展

    新宿の高層ビル群の一角にある住友ビル。その33階の「平和祈念展示資料館」は、太平洋戦争後のシベリア抑留をテーマにした施設だ。常設展のほかに年に数度の企画展が開かれる。いまは「戦争のおはなし」展が開催中だ。過去にはシベリア抑留の記憶を描いた油彩画の展覧会が催されたこともある。今回はマンガ、絵本、紙芝居、カルタの展覧会だ。どれも親しみやすい。チラシ(↑)に「コトバだけでは伝わらない。絵にするとわかってくれた」とある。そうだろうな、と……。右上の緑の絵は、川崎忠昭(1932‐79)の「アカシア並木」だ。絵本「おとうさんの絵本大連のうた」の所収作品。川崎忠昭は大連に生まれ育った。大連はアカシアが美しかった。だが、わが子にそれを語っても、理解してもらえない。そこで絵本にした、と。その左隣の白と青の絵は、ちばてつや(193...平和祈念展示資料館「戦争のおはなし」展

  • エッシェンバッハ/N響

    エッシェンバッハ指揮N響のAプロ。1曲目はドヴォルザークの序曲「謝肉祭」。快速テンポの快演だったが、それ以上の感想が浮かんでこない。メカニックな優秀さに焦点を絞るなら、もう一段上を望みたい。2曲目はモーツァルトのフルート協奏曲第1番。フルート独奏はギリシャ出身の若手奏者スタティス・カラパノスStathisKarapanos。エッシェンバッハの秘蔵っ子らしい。優秀なフルーティストなのだろうが、この曲で個性を発揮するには至らなかった。エッシェンバッハの指揮もフルート奏者の引き立て役にまわり、とくに何もしていなかった。正直言って、このフルート奏者がどういう演奏家なのか、よくわからなかったが、アンコールで感心した。2曲演奏されたが、1曲目はだれのなんという曲か、独特の抒情をたたえて、心のひだに染み入ってくるような曲だっ...エッシェンバッハ/N響

  • メトロポリタン美術館展

    ウクライナのキーウ近郊で民間人の多数の遺体が発見された。ロシアはウクライナの極右勢力がやったことと主張して、関与を否定――というニュースにどうしようもない既視感をおぼえる。第二次世界大戦中に起きた「カティンの森事件」だ。ポーランドに侵攻したナチス・ドイツがカティンの森で多数の遺体を発見した。それを発表したら、ソ連はナチス・ドイツがやったことと主張し、戦後もずっと関与を認めなかった。それとよく似ている。そんなこんなで憂鬱な日々が続くが、気を取り直して展覧会に出かけた。「メトロポリタン美術館展」だ。連休に入ると混むだろうからと、平日の午前中に出かけたが、会場はかなり混んでいた。絵を見ていても人がぶつかってくるし、「早くどいてくれ」という無言の圧力を感じることもあった。でも、ともかく平和な日常だ。外に出ると桜が舞って...メトロポリタン美術館展

  • 夏目漱石「硝子戸の中」

    先日、早稲田の漱石山房記念館を訪れた。館内とその周囲を見学するうちに、漱石の随筆「硝子戸の中」を思い出した。その余韻が消えないので、久しぶりに読み返した。たぶんこれで3度目だと思う。「硝子戸の中」は漱石山房記念館がたっているその場所で書かれた(記念館は漱石の家の跡にたっている)。記念館には漱石の書斎が復元されている。畳十畳くらいだろうか。文机と火鉢が置かれ、本が山積みになっている。漱石はそこで「三四郎」も「こころ」も「明暗」も、要するに「猫」などの初期作品以外はすべて書いた。書斎には硝子戸がはめられ、その先には外廊下があった。漱石は硝子戸越しに外を眺めた。「硝子戸の中」という書名の所以だ(「中」は「うち」と読む)。「硝子戸の中」は39編の随筆からなる。各編は400字詰め原稿用紙で3~4枚だ。1915年(大正4年...夏目漱石「硝子戸の中」

  • 高関健/東京シティ・フィル

    東京シティ・フィルが第350回の定期演奏会を迎えた。記念すべきその演奏会のプログラムは、高関健の指揮のもと、マーラーの交響曲第9番が組まれた。指揮者とオーケストラが全力を傾注するにふさわしい曲だ。いつものように高関健のプレトークがあった。高関健は伝説的なバーンスタイン/ニューヨーク・フィルの1970年の来日公演でのマーラーの交響曲第9番を聴いた。そのときは感激のあまり、さっそく同曲のスコアを買い、1時間半かかる通学電車の中で読んだ。その後、ベルリンに留学して、カラヤンのアシスタントを務めた。そのときバーンスタインがベルリン・フィルに客演して、同曲を振った。そのリハーサルの間に起きたことをつぶさに目撃した。それから1~2年後、カラヤンが同曲を振った。全部で9回振った。その演奏をニューヨークのカーネギーホールをふく...高関健/東京シティ・フィル

  • 河村尚子「シューベルト プロジェクト」第1夜

    わたしの好きなピアニスト・河村尚子が、シューベルトの最後の3つのソナタを中心にした演奏会シリーズ「シューベルトプロジェクト」(全2回)を始めた。昨夜は第1回。第2回は9月13日に開かれる。1曲目は「即興曲作品142」D935から第3番。だれでも馴染みのある曲でプロジェクトを開始しようということか。聴衆の緊張感をとき、リラックスさせるためのチャイムのように聴こえた。2曲目はピアノ・ソナタ第18番「幻想」。最後の3つのソナタ(第19番、第20番そして第21番)がシューベルトの亡くなる年に書かれたのにたいして、第18番はその2年前に書かれた。最後の3つのソナタの陰に隠れて、比較的地味な存在になりがちだが、わたしは当夜の演奏の中ではもっともおもしろかった。第1楽章モルト・モデラート・エ・カンタービレの、その指示通りの音...河村尚子「シューベルトプロジェクト」第1夜

  • 漱石山房記念館「漱石からの手紙」展

    早稲田の夏目漱石の住居跡に漱石山房記念館がたっている。2017年に漱石生誕150年を記念して新宿区が整備したものだ。同館で「漱石からの手紙」展が開かれている。同館を覗きがてら、行ってみた。同館は地下鉄東西線「早稲田」駅から徒歩5分ほどだ。もっとも、わたしは道を間違えたので、少し時間がかかった。やっと着くと、新しくて立派な建物がたっていた。中に入る前に裏側の公園にまわってみた。猫の墓があるはずだ。すぐに見つかった。高さ1メートルくらいの石塔があった。説明文を読むと、元の墓は空襲で焼けたらしい。いまの墓(石塔)は戦後再建されたものだ。例の猫をはじめ、漱石が飼っていたほかの動物たちも合祀されている。話が脱線するが、漱石の随筆集「硝子戸の中」にはヘクトーという犬が出てくる。その犬が死んだとき、漱石は死骸を庭に埋めて、「...漱石山房記念館「漱石からの手紙」展

  • ウクライナの作曲家 シルヴェストロフ

    ロシアのウクライナ侵攻以降、ウクライナの作曲家ヴァレンティン・シルヴェストロフValentinSilvestrov(1937‐)の消息が気になっていた。わたしが情報を得る手立てはシルヴェストロフ自身のFacebookしかないので、毎日覗いていたが、更新されない日々が続いた。やっと3月11日に更新された。3月10日にキーウ(キエフ)からベルリンに着いたとのこと。3日以上かかったそうだ。84歳の高齢なので疲れただろう。Facebookにはベルリンの室内でピアノを弾く動画がアップされた。ベルリンに逃れる途中、バスの中や車の中で、また国境で長時間待たされるあいだに、シルヴェストロフの頭の中では平和で穏やかな音楽が鳴っていたそうだ。動画はその音楽を弾く姿だった。シルヴェストロフといっても、日本ではあまり馴染みがないかもし...ウクライナの作曲家シルヴェストロフ

  • ブラームス室内楽マラソンコンサート

    数時間以内にロシア軍のキエフ総攻撃が始まるか、という観測が流れる中、「ブラームス室内楽マラソンコンサート」に出かけた。午前10時半から午後9時半まで丸一日のコンサートだ。休憩になるとスマホでニュースをチェックした。結局総攻撃のニュースは入らず、まずは良かったが、今後どうなるか。当コンサートは諏訪内晶子が芸術監督をつとめる「国際音楽祭NIPPON2022」の一環だ。曲目をまずいうと、3曲のピアノ三重奏曲、ホルン三重奏曲、2曲の弦楽六重奏曲、3曲のピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲、2曲の弦楽五重奏曲、クラリネット三重奏曲、クラリネット五重奏曲の計14曲。ブラームスの室内楽曲は全部で24曲あるので、その約6割が演奏された。演奏者は総計18人(ピアノ三重奏団「葵トリオ」を3人とカウント)。それらの演奏家が組み合わせを変え...ブラームス室内楽マラソンコンサート

  • 山田和樹/読響

    山田和樹指揮の読響の定期演奏会。協奏曲に予定されていた演奏家が来日できず、それにともない独奏者と曲目が変わった。とはいえ、プログラム全体の流れが一新し、筋の通ったプログラムになった。1曲目はドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。絶えず細かいドラマが生起する演奏だ。凡百の演奏とは一線を画す。実感的には、いままで聴いたことがない演奏と目をみはる思いだった。フルートはもちろん、ホルンも弦も美しい音色だった。2曲目はコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏は小林美樹。甘美な曲だが、その割に小林美樹の演奏は耽溺することなく、ばりばり弾く。わたしには違和感があった。この曲の濃厚さが薄れ、それに代わるものがあればいいが、隙間を生じたまま終わった。この曲ではチェレスタが使われるが、アンコールでは山田和樹がそのチェレ...山田和樹/読響

  • 広上淳一/日本フィル

    ロシアのウクライナ侵攻では「核」がキーワードになっている。プーチンは最初から核兵器の使用を口にし、また侵攻直後にチェルノブイリ原子力発電所を占拠した。さらに昨日はウクライナ最大のザポロジエ原子力発電所を占拠した。戦争は歴史上の新たなフェーズに入ったことを感じる。そんな中で昨日は午後からささやかな抗議活動に参加し、夜は日本フィルの定期演奏会に行った。演奏会に行けるのも日常生活があるからだ。ウクライナのキーウ(キエフ)その他の都市でも1か月前までは日常生活があった。でも、今では破壊されている。日常生活は危うい均衡のもとに保たれているのだ。さて、日本フィルの定期演奏会だが、指揮は来日中止になったフアンホ・メナの代わりに広上淳一がとった。それに伴いプログラムも変更された。広上淳一は昨年9月に日本フィルの「フレンド・オブ...広上淳一/日本フィル

  • カーチュン・ウォン/東京フィル:武満徹「弧(アーク)」その他

    ウクライナ情勢の情報が刻々と入るので、落ち着かない毎日を過ごしているが、そのなかで苦境にあるウクライナの人々には申し訳ないが、昨夜は演奏会に出かけた。カーチュン・ウォン指揮東京フィルの武満徹の「弧(アーク)」などの演奏会だ。プログラムの前半は弦楽合奏曲が3曲。まず「地平線のドーリア」(1966)。武満徹(1930‐96)の初期の名作だ。繊細でクリアで潤いのある音。わたしは以前にこの曲の味もそっけもない演奏に出くわした経験があるが(そのときはショックだった)、そんな演奏とは一線を画す情感豊かな演奏だった。2曲目は「ア・ウェイ・ア・ローンⅡ」(1981)。尾高賞受賞作の「遠い呼び声の彼方へ!」と同時期の作品だ。武満徹が前衛的な作風から「武満トーン」のロマンティックな作風に転じたころの作品とされる。だが、当夜の演奏は...カーチュン・ウォン/東京フィル:武満徹「弧(アーク)」その他

  • 練馬区立美術館「香月泰男展」

    ロシアのウクライナ侵攻以来、落ち着かない。ロシアの戦車が首都キエフの近郊まで迫っている(特殊部隊はすでにキエフに入っている)。今後ロシアの戦車がキエフ市内に展開すれば、1968年のプラハの春に介入したソ連を彷彿とさせる。ソ連は民主化が進む当時のチェコスロヴァキアを武力で弾圧した。NATOに接近するウクライナと似た構図だ。プーチンはウクライナ侵攻に当たってのテレビ演説で、長々とロシアとウクライナの歴史的な関係を述べた。その歴史観はきわめて偏ったものだという。偏った歴史観が現実的な脅威になる点が衝撃だ。日本でも偏った歴史観が蔓延している。他人ごとではない。そんな折なので、胸がざわざわしていたが、昨日は予定通り「香月泰男展」を見るために練馬区立美術館に行った。行ってよかった。家にいたら何も手に付かなかったろう。香月泰...練馬区立美術館「香月泰男展」

  • METライブビューイング「エウリディーチェ」

    METライブビューイングでマシュー・オーコインMatthewAucoin(1990‐)という若い作曲家のオペラ「エウリディーチェ」をみた。オルフェオとエウリディーチェの神話をエウリディーチェの視点から読み解き、そこに現代の女性の生身の姿を投影した作品だ。エウリディーチェは海辺のリゾート地でオルフェオからプロポーズを受ける。エウリディーチェは一瞬ためらった後、プロポーズを受け入れる。幸せなエウリディーチェ。だが気になることがある。時々オルフェオがエウリディーチェの手の届かないなにかを考えている様子なのだ。オルフェオはじつは音楽のことを考えていた。そのときのオルフェオはカウンターテナーで表される。生身のオルフェオはバリトンだ。バリトンの声にカウンターテナーの声が重なる。エウリディーチェはソプラノだ。結婚パーティーに...METライブビューイング「エウリディーチェ」

  • 藤岡幸男/東京シティ・フィル

    藤岡幸男指揮東京シティ・フィルの定期演奏会は、前日に予期せぬ出来事が起きた。定期演奏会のメイン・プログラムはヴォーン・ウィリアムズの交響曲第3番「田園交響曲」だ。その曲には第4楽章(最終楽章)の冒頭と末尾にソプラノのヴォカリーズが入る。ソプラノ独唱は半田美和子の予定だった。ところが前日のリハーサル後、急性胃腸炎を起こし、歌えなくなった。急遽、代わりの歌手を探したところ、小林沙羅のスケジュールが空いていることがわかり、夜9時半にオファー。小林沙羅はその曲を知らなかったので、練習ピアニストに連絡し、夜10時から譜読み。そして翌日はゲネプロ~本番。そのような事情なので、当然聴衆は(そしてオーケストラの楽員も)第4楽章の冒頭の小林沙羅の第一声を見守った。真っ白いドレスを身にまとった小林沙羅から美しい声が流れだし、感情を...藤岡幸男/東京シティ・フィル

  • 樋田毅「最後の社主 朝日新聞が秘封した「御影の令嬢」へのレクイエム」

    樋田毅(ひだ・つよし)氏の「彼は早稲田で死んだ」(2021年、文藝春秋社)を読み、ブログを書いた。同書は1972年に早稲田大学で起きた革マル派による(当時第一文学部2年生だった)川口大三郎君のリンチ殺人事件をめぐる回想録だ。わたしもその渦中にいたので、自分史の一端を読む思いがした。著者に興味をもったので、次に「記者襲撃赤報隊事件30年目の真実」(2018年、岩波書店)を読み、その感想もブログに書いた。樋田氏の著作にはそれら2冊のあいだに「最後の社主朝日新聞が秘封した「御影の令嬢」へのレクイエム」(2020年、講談社)がある。朝日新聞社の最後の社主となった村山美知子氏(1920‐2020)(以下「美知子氏」)の評伝だ。さすがにこれは縁のない世界だと思ったが、朝日新聞社の記者として過ごした樋田氏の職場人生を知りたく...樋田毅「最後の社主朝日新聞が秘封した「御影の令嬢」へのレクイエム」

  • 樋田毅「記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実」

    先日、樋田毅氏の「彼は早稲田で死んだ」(2021年、文藝春秋社)を読み、ブログを書いた。1972年11月に早稲田大学第一文学部2年生だった川口大三郎君が、キャンパス内で革マル派のリンチにより殺された事件の回想録だ。著者の樋田氏は当時1年生だった。樋田氏はその事件を契機に起きた革マル派を排斥する運動のリーダー格だった。わたしは川口君と同じ2年生だった。わたしはノンポリ学生だったが、川口君の事件は大学を揺るがす大事件だったので、激動の渦中にいた。いまからちょうど50年前になる。わたしの中では時間の厚い堆積に埋もれていたが、本書はその記憶を呼び覚ました。樋田氏はその後、第一文学部を卒業して大学院に進んだが、中退して朝日新聞社に就職した。新聞記者時代に担当したもっとも印象的な事件は「赤報隊事件」だったようだ。その取材記...樋田毅「記者襲撃赤報隊事件30年目の真実」

  • 新国立劇場「愛の妙薬」

    新国立劇場の「愛の妙薬」はキャストが一変した。外国勢が来日できないため、ひとりを除いて全員日本人歌手になった。その顔ぶれを見て観たくなり、チケットを買った。アディーナ役の砂川涼子は、いかにもこの役にふさわしい歌唱と演技だった。個人的な思い出話になって恐縮だが、わたしは2001年2月に宮古島に旅行に行ったときに、地元紙にその日の夜の音楽会の告知が載っていたので、出かけてみた。砂川涼子という若い人のソプラノ・リサイタルだった。イタリア留学が決まったそうだ。会場は熱気に包まれていた。リートも歌われたが、オペラの抜粋がよかった。終演後、ロビーで友人たちと談笑している若者らしい姿が好ましかった。砂川涼子のその後の活躍はいうまでもないが、おかしなもので、わたしはそれが自分のことのように嬉しかった。今回の「愛の妙薬」では、以...新国立劇場「愛の妙薬」

  • 下野竜也/N響

    下野竜也指揮N響のオール・シューマン・プログラム。1曲目は「序曲、スケルツォとフィナーレ」から「序曲」。張りのある音と歯切れのよいリズム。シューマンらしい情緒にも不足しない。山/谷のメリハリが明快な演奏だ。変な言い方かもしれないが、序曲だけ取り出すと、なるほど、これはいかにも序曲だと思った。演奏会の序曲にふさわしい。2曲目はピアノ協奏曲。ピアノ独奏は小林愛実。穏やかで、少なくとも第1楽章と第2楽章は淡々とした演奏。テンポは遅めだ(これも第1楽章と第2楽章)。第3楽章ではそれまで抑えていた情熱を解放する感があったが、それでもスター然とした演奏にはならない。それが小林愛実だ。わたしはその個性を愛するが、ショパンはともかく(これについては後述)、シューマンではもうひとつ何かがほしい。アンコールにショパンのワルツ変イ長...下野竜也/N響

  • METライブビューイング「Fire Shut Up in My Bones」

    METライブビューイングでテレンス・ブランチャードTerenceBlanchard(1962‐)というジャズ・トランペット奏者で映画音楽の作曲家でもある人のオペラ「FireShutUpinMyBones」を観た。ブランチャードは黒人だ。メトロポリタン歌劇場が黒人作曲家のオペラを上演するのはこれが初めてだという。アメリカ最南部の貧しい地域で生まれたチャールズは、子どものころ従兄から性的虐待を受けた。それがトラウマになっている。成長して大学に入り、恋をする。恋人にその体験を打ち明けると、恋人もじつは他に彼氏がいることを打ち明ける。絶望したチャールズは故郷の母に会いたくなり、母に電話すると、母は「今ちょうど従兄も来ている」と告げる。チャールズは電話口に出た従兄の声を聞いて、長年の怒りを爆発させる。銃をとり、従兄に復讐...METライブビューイング「FireShutUpinMyBones」

  • 樋田毅「彼は早稲田で死んだ」

    樋田毅(ひだ・つよし)氏の「彼は早稲田で死んだ」を読んだ。1972年11月8日に早稲田大学第一文学部2年生だった川口大三郎君(後述するが、わたしは川口君と同学年だ)がキャンパス内で革マル派のリンチにより殺された事件と、その事件を契機に起きた自治会執行部から革マル派を排除して新たな執行部を作ろうとした運動の回想録だ。著者の樋田氏は当時同学部の1年生で、その運動のリーダー格だった。わたしは2年生で、川口君とはクラスがちがうが、同学年だった。わたしは運動に積極的にかかわったわけではないが(そのことにたいする後ろめたさがある)、学部を揺るがす大事件だったので、激動の渦中にいた。樋田氏は本書の中で、ご自身のことを、当時は長髪で髭をはやしていたと書かれているので、「あの人かな」とおぼろげながら思い出す。本書は7章で構成され...樋田毅「彼は早稲田で死んだ」

  • METライブビューイング「ボリス・ゴドゥノフ」

    METライブビューングで「ボリス・ゴドゥノフ」をみた。おもしろかった。久しぶりにオペラらしいオペラをみたという手ごたえがあった。当公演は1869年のオリジナル・ヴァージョンを使用している。わたしはいままでこのオペラを3度みているが、すべてオリジナル・ヴァージョンだ。念のために書いておくと、1999年9月にチューリヒ歌劇場で指揮はウェルザー=メスト、演出はデイヴィッド・パウントニー、2002年8月にロンドンのプロムスでゲルギエフ指揮マリインスキー劇場の演奏会形式上演、2005年12月にベルリン国立歌劇場で指揮はバレンボイム、演出はチェルニアコフ。実感としては、その頃からオリジナル・ヴァージョンによる公演が増えている気がする。身も蓋もないことをいえば、オリジナル・ヴァージョンのほうが、上演時間が短いし、用意する歌手...METライブビューイング「ボリス・ゴドゥノフ」

  • アクセルロッド/N響

    元々はトゥガン・ソヒエフが振り、ワディム・グルズマンがソリストを務める予定だったCプロ定期は、指揮者がジョン・アクセルロッドに代わり、ソリストが服部百音(はっとり・もね)に代わった。プログラムはそのまま。服部百音を聴くのは初めてだ。まず音の小ささに驚いた。いまどき珍しいタイプだ。音のふくらみという以上に、音圧が乏しい。きわめて集中力が強く、テクニックもあるが、それがステージ上の、服部百音が弾くその小さな空間にとどまり、こちらが身を乗り出して(あくまでも比喩だ)音を聴きにいかなくてはならない。プロフィールによると、辰巳明子とザハール・ブロンに師事したそうだ。それらの師の門下生としては個性的なタイプに属するだろう。エキゾティックな顔立ちなので、人気演奏家かもしれないが、少なくともわたしは面食らった。アンコールが演奏...アクセルロッド/N響

  • 下野竜也/読響

    ローター・ツァグロゼクが振る予定だった読響の1月定期は、指揮者が下野竜也に代わり、プログラムはそのまま引き継がれた。そのプログラムがもとから下野竜也のために組まれたようなプログラムだった。1曲目はメシアンの「われら死者の復活を待ち望む」。フルート3、ピッコロ2、Esクラリネット、クラリネット3……といった具合に、大編成の木管楽器と金管楽器、そして金属系の打楽器による曲だ。特殊編成かと思ったが、舞台上の演奏風景を見ると、むしろ吹奏楽の幾分シンプルな編成のように思えてきた。音楽はメシアンの、いかにも手慣れた書法のようだ。江藤光紀氏のプログラム・ノーツによれば、この曲は「第二次世界大戦の終結20周年をうけ、その死者たちを悼むために、フランス文化相アンドレ・マルローの委嘱を受けて1964年に作曲された」。そのような作曲...下野竜也/読響

  • 原田慶太楼/N響

    3日連続の演奏会通いになった。疲れるが、どれも定期会員になっているオーケストラなので仕方がない。3日目は原田慶太楼指揮のN響。最近評判の原田慶太楼だが、わたしは初めてだ。どんな指揮者なのか。ホールに入って驚いたが、ほぼ満席だ。びっしり埋まっている。東京ではオミクロン株の影響なのか、新規感染者数が急増しているが(そのためかどうか、往復の山手線は空いていた)、そんな懸念はどこ吹く風だ。1曲目はショパンの「軍隊ポロネーズ」をグラズノフがオーケストレーションしたもの。なんというか、つまらないのだが、なぜつまらないかというと、リズム感がちがうからではないだろうか。ひとりで弾くピアノの前へ、前へと進むリズム感と、数十人で演奏するオーケストラの、アンサンブルを揃えるリズム感のちがい。そこからどうしようもない「もったり感」が生...原田慶太楼/N響

  • 高関健/東京シティ・フィル

    高関健指揮東京シティ・フィルの1月定期。プログラム全体はオーソドックスなものだったが、手ごたえのある演奏会となった。1曲目はブリテンのオペラ「ピーター・グライムズ」から「4つの海の間奏曲」。期待していた曲目だが、硬い表情の演奏だった。もっと柔軟性がほしい。高関健/東京シティ・フィルのどっしりした音は、ブリテンのスリムな音とは齟齬があった。2曲目はラロの「スペイン交響曲」。ヴァイオリン独奏は戸澤采紀(とざわ・さき)。コンサートマスターの戸澤哲夫との父子競演となるので、注目を集めたが、感心したのは高関健がプレトークでそのことには一言も触れなかったことだ。プライベートなことと演奏とを切り離す潔さが感じられた。戸澤采紀の演奏はすばらしかった。太い音でぐいぐい攻める演奏だ。スリリングで圧倒されるようだった。楽器もよく鳴る...高関健/東京シティ・フィル

  • 阪哲朗/日本フィル

    1888年(明治21年)、当時55歳のブラームスはウィーンで箏の演奏を聴いた。演奏者はオーストリア特命全権公使夫人の戸田極子。中心曲は「六段の調」と「乱輪舌(みだれ・りんぜつ)」だった。――以上は、阪哲朗指揮日本フィルの1月定期のプログラムに掲載された荻谷由喜子氏の解説による。上掲↑の絵画はそのときの情景を描いた日本画家の守屋多々志(1912‐2003)の作品。右がブラームス、左が戸田極子だ。大垣市守屋多々志美術館の収蔵品。そのエピソードをテーマにした演奏会。1曲目はシューベルトの「ロザムンデ」序曲。冒頭の和音が堂々と鳴る。弦楽器の編成は10‐8‐6‐5‐4と低音に比重がかかっている。ドイツ仕込みの阪哲朗の音感覚なのだろう。主部に入ってからの精彩のある軽さにはシューベルトらしさが横溢した。2曲目は八橋検校(16...阪哲朗/日本フィル

  • 宮本輝「川三部作」(3):「道頓堀川」

    宮本輝「川三部作」の第3部「道頓堀川」。時は1969年(昭和44年)、所は大阪の道頓堀川の河畔、主人公は21歳(大学4年生)の安岡邦彦。第1作「泥の河」の主人公は8歳(小学2年生)で子どもの世界を生き、第2作「螢川」の主人公は14~15歳(中学2~3年生)で思春期の時期をすごすのにたいして、「道頓堀川」の主人公は今後の生き方に悩む時期をすごす。もっとも、「道頓堀川」は邦彦が主人公というよりは、道頓堀に生きる人々の群像劇だ。その中心には邦彦が住み込みで働く喫茶店のマスター、武内鉄男(50歳)がいる。武内と、武内が戦争直後の闇市で出会い、結婚した鈴子、そして鈴子とのあいだに生まれた政夫、さらに鈴子が政夫をつれて駆け落ちした杉山元一、それらの人々の人生がメインストーリーだ。武内は不器用で孤独な男だ。その武内の鈴子への...宮本輝「川三部作」(3):「道頓堀川」

  • 宮本輝「川三部作」(2):「螢川」

    宮本輝の「川三部作」の第2部「螢川」は、時は1962年(昭和37年)、所は富山の常願寺川の支流「いたち川」の河畔、主人公は中学2年生(作中で中学3年生になる。年齢は14~15歳)の水島竜夫。第1部の「泥の河」とは別の話だが、時と年齢は「泥の河」から7年たったことを示す。結果、「泥の河」は小学2年生の目で見た世界だが、「螢川」は大人の世界を垣間見た中学2~3年生の世界だ。両者のちがいは作品の構成に表れる。「泥の河」では時間が直線的に進む。作中の時間はつねに現在だ。一方、「螢川」では頻繁に過去が回想される。現在は過去の積み重ねのうえにある。言い換えるなら、「螢川」では時間は現在と過去のあいだをジグザグに進む。両者のその構成のちがいは小学2年生と中学2~3年生の時間感覚のちがいを反映したものだろう。過去の回想場面では...宮本輝「川三部作」(2):「螢川」

  • 宮本輝「川三部作」(1):「泥の河」

    宮本輝(1947‐)のデビュー作「泥の河」(初出「文芸展望」1977.7)は、太宰治賞を受賞し、後に映画化された。次作の「螢川」(同「文芸展望」1977.10)は芥川賞を受賞した。続く「道頓堀川」(同「文芸展望」1978.4)は、初出時の版を大幅に加筆して、著者初めての長編小説となった。それらの3作は「川三部作」と呼ばれている。たぶん華々しい文壇デビューだったろう。だが、当時のわたしは仕事が忙しくて、文学からは遠ざかっていた。その後もこの作家の名前は見聞きしていたが、作品を読むことはなかった。そんなわたしが今頃になって、初めて川三部作を読んだ。抒情的と評されることが多い3作の、みずみずしい感性に触れて、しっとりした余韻に浸った。「泥の河」は、時は1955年(昭和30年)、所は大阪の安治川(あじかわ)の河畔、主人...宮本輝「川三部作」(1):「泥の河」

  • 「ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会2021」

    知人からチケットをもらったので、大晦日恒例の「ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会2021」に行った。開演は午後1時、終演は午後11時25分という(大小の休憩をはさみながらの)マラソン・コンサートだ。体力と集中力がもつかどうか心配だったが、実際には大した苦痛はなかった。あらためていうまでもないだろうが、このコンサートはベートーヴェンの9曲の交響曲を第1番から第9番「合唱」まで順番に演奏するものだ。今回は19回目。指揮者はいろいろ変遷があったが、最近は小林研一郎がひとりでやっている。オーケストラも当初はちがったが、最近は「岩城宏之メモリアル・オーケストラ」という特別編成のオーケストラがやっている。コンサートマスターはN響の篠崎史紀。管楽器を中心にN響の首席クラスが多く入っている。他のオーケストラの首席奏者たち...「ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会2021」

  • サン=サーンス没後100年

    2021年も大晦日になった。今年はサン=サーンス(1835‐1921)の没後100年、ストラヴィンスキー(1882‐1971)の没後50年だった。わたしが定期会員になっている在京のオーケストラの中では、高関健指揮の東京シティ・フィルが10月定期でオール・ストラヴィンスキー・プロを組んだ。一方、サン=サーンスにかんしては、そのようなプロを組むオーケストラはなかった。そこで年末はサン=サーンスの作品を聴いてすごした。サン=サーンスは有名な割には、フォーレやドビュッシーに比べると影が薄いような気がするのは、わたしだけだろうか。もちろん好きな方は大勢いるだろうが。ある音楽評論家が書いたサン=サーンスにかんする文章を紹介したい。「(略)私は、この人(引用者注:サン=サーンス)の器楽は、もうやりきれない気がする。一体、これ...サン=サーンス没後100年

  • 2021年の音楽回顧

    2021年は2年連続でコロナに振り回された年だった。とくに東京オリンピックの前後の感染拡大はすさまじかった。その直後にサントリーホール・サマーフェスティバルへの出演のためにパリの演奏団体「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」が来日したことは奇跡のように思われた。東京オリンピック開催のために導入されたバブル方式が、同団体にも適用されたようだ。わたしはその演奏会に連日通った。8月22日から27日までの6日間に7回の演奏会が開かれた。その7回で一年分の演奏会を聴いたような満足感があった。なかでも鮮明に思い出すのは、細川俊夫のオペラ「二人静~海から来た少女~」の演奏会形式上演と、同団体の音楽監督・指揮者のマティアス・ピンチャーの室内楽作品「光の諸相」の演奏だ。「二人静~海から来た少女~」の鮮やかな演奏は同団体の実力を...2021年の音楽回顧

  • 板倉康明/東京シンフォニエッタ「日仏女流作曲家の競演」

    年末になると演奏会は「第九」一色に染まるように思いがちだが、よく見ると、通常公演も続いている。昨日は東京シンフォニエッタの定期演奏会が開かれた。1994年創立の同団体の第50回となる定期演奏会だが、音楽監督・指揮者の板倉康明はトークのなかで「第50回ということを意識しないでプログラムを組んだ」と語っていた。今回のプログラムは日本とフランスの女性作曲家5人を特集したもの。いずれも現存の作曲家だ。世代は広範囲にわたる。日本とフランスの作曲家を同じ地平に並べて、いまの作曲家がなにを考えているのかを、世代のちがいという縦軸で捉える試みだ。いうまでもないが、女性という一般的な属性で捉えようとするものではない。1曲目はエディト・カナ・ドゥ・シジ(1950‐)の「雨、蒸気、スピード」(2007)。フルート(ピッコロ持ち替え)...板倉康明/東京シンフォニエッタ「日仏女流作曲家の競演」

  • 兼重稔宏ピアノ・リサイタル

    プログラムに惹かれて、兼重稔宏(かねしげ・としひろ)という若手ピアニストの演奏会に行った。日本演奏連盟の「新進演奏家育成プロジェクト」リサイタルシリーズの一環の演奏会だ。先にプログラムをいうと、フェデリコ・モンポウ(1893‐1987)の「沈黙の音楽」抜粋、ヤナーチェクの「霧の中で」そしてベートーヴェンの「ディアベリ変奏曲」。わたしの好きな曲ばかりだ。モンポウの「沈黙の音楽」の抜粋は、第1、2、3、13、25番の5曲が演奏された。とくに第1~3番はいかにもモンポウらしい静謐さと親密さが伝わる演奏だった。モンポウの5曲が連続して演奏されたことはいうまでもないが、ヤナーチェクの「霧の中で」に移るときも、間を置かずに、モンポウの続きのように演奏された。それがなんとも効果的だった。モンポウと同じように静謐で親密な音楽だ...兼重稔宏ピアノ・リサイタル

  • 岩波ホール「ユダヤ人の私」

    ドキュメンタリー映画「ユダヤ人の私」を見た。アウシュヴィッツ強制収容所など4か所の収容所を転々とし、ブーヘンヴァルト強制収容所(ヴァイマール郊外)に収容されていたとき、ドイツが敗北し、解放されたマルコ・ファインゴルト(1913‐2019)の証言だ。真っ暗な空間の中にファインゴルトがただ一人いて、自らの体験を語る。ナチスに捕らえられるまでのこと、強制収容所で見たこと、さらには戦後、ユダヤ人難民をパレスチナへ送り出したことなどを、淡々と、ときにはユーモアを交えて。撮影時には105~106歳だった。驚くほど元気だ。そして撮影終了後、亡くなった。ファインゴルトが語る主要なことは、1938年のナチス・ドイツのオーストリア併合のときのウィーンの光景だ。大勢の市民が歓呼してナチスを迎えた。ファインゴルトもそこにいた。当時の映...岩波ホール「ユダヤ人の私」

  • 高関健/読響

    指揮者が変わり、ソリストも変わって、協奏曲の曲目が変わり、その後もう一度指揮者が変わった演奏会。すべては新型コロナの対策強化のためだ。事務局は振り回されたことだろう。事務局はそれ以上に、急場を救った指揮者の高関健に感謝しているかもしれない。1曲目はモーツァルトの「イドメネオ」序曲。久しぶりに聴く曲だ。懐かしかった。「イドメネオ」は好きなオペラだが、実演に接する機会は多くはない。劇場側はどうしてもダ・ポンテ三部作や「魔笛」を優先して、「イドメネオ」は後回しにする。わたしが観た舞台上演は、新国立劇場と東京二期会、あとはコペンハーゲンで観たくらいだ。オペラ・セリアで堅苦しいイメージがあるかもしれないが、実際には生々しい人間のドラマだ。2曲目はショパンのピアノ協奏曲第1番。ピアノ独奏は小林愛実。小林人気によるのだろう、...高関健/読響

  • カーチュン・ウォン/日本フィル

    カーチュン・ウォンの日本フィル首席客演指揮者就任披露となった東京定期。プログラムはアルチュニアン(1920‐2012)のトランペット協奏曲(トランペット独奏は同フィル首席奏者のオッタビアーノ・クリストーフォリ)とマーラーの交響曲第5番。同プログラムは2020年3月にカーチュン・ウォンの同フィル初登場のために組まれたものだった。ところが新型コロナウィルスの感染拡大のため、演奏会は中止になった。そのプログラムの復活が今回の首席客演指揮者就任披露のためのものになった。就任を披露するにふさわしいプログラムだ。運も実力のうちというが、カーチュン・ウォンと日本フィルはツキを呼び込んだとも感じる。アルチュニアンのトランペット協奏曲は、わたしは知らなかったが、トランペット協奏曲としては有名な曲らしい。明快な曲想で、アルメニア生...カーチュン・ウォン/日本フィル

  • 飯守泰次郎/東京シティ・フィル

    飯守泰次郎指揮東京シティ・フィルのシューマンの交響曲チクルス第1回。プログラムは交響曲第1番「春」と交響曲第2番。プログラム・ノートで柴田克彦氏が触れているように、ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームスなどの交響曲チクルスを展開してきた飯守泰次郎と東京シティ・フィルだが、シューマンの交響曲チクルスは初めてだ。意外な気がするし、新鮮でもある。交響曲第1番「春」はテンションの高い演奏だった。第1楽章はアンサンブルが練れていない感じがしたが、第2楽章では弦楽器の密度の高い音が聴け、第4楽章のコーダでは圧倒的な高まりがあった。コーダの手前のフルートのソロでは、首席奏者の竹山愛がセンスのある演奏を聴かせた。さすがにソロ活動も活発な奏者だけあると思わせた。飯守泰次郎は、ステージの出入りが不自由そうで、ハラハラしたが、演奏...飯守泰次郎/東京シティ・フィル

  • デスピノーサ/N響

    N響の池袋Aプロは指揮者とソリストが変わった。それに伴い協奏曲の曲目も変わった。結果的にガエタノ・デスピノーサという、名前はよく見かけるが、わたしには未知の指揮者を聴く機会になった。またバルトークのピアノ協奏曲第3番という、わたしの大好きな曲だが、なかなか聴く機会のない曲を聴く機会になった。デスピノーサは1978年、イタリアのパレルモ生まれ。ドレスデン国立歌劇場のコンサートマスターをしていたときに、当時の音楽監督のファビオ・ルイージのすすめで指揮者に転向した。来年9月からN響の首席指揮者に就任するルイージとつながりのある指揮者だ。今後もN響への登場機会があるかもしれない。1曲目はブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」。冒頭のテーマの提示のとき、低弦がはっきり聴こえるので、ドレスデン国立歌劇場のオーケストラの...デスピノーサ/N響

  • 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」:ハンス・ザックスの最後の演説

    ゲーテ・インスティテュート東京が主催した新国立劇場の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のトーク・イベントを視聴した(Youtubeで公開中↓)。出演者は、指揮の大野和士、演出補のハイコ・ヘンチェル(演出のイェンス=ダニエル・ヘルツォークは来日しなかった)、字幕担当の舩木篤也の3人。ヘルツォークが来日しなかったので、演出についての突っ込んだ話は聞けなかったが、トークの終わりころに舩木篤也が、ナショナリズムを煽るハンス・ザックスの最後の演説について、ハンブルク歌劇場でのペーター・コンヴィチュニーの演出を紹介した。わたしはその演出を観たことがあるので、懐かしかった。舩木篤也が紹介したように、コンヴィチュニーの演出ではハンス・ザックスの演説が始まると、ナショナリズムを煽るその内容について、舞台上の人々が議論を始め、...「ニュルンベルクのマイスタージンガー」:ハンス・ザックスの最後の演説

  • 宮城県美術館

    親戚の家に不幸があったので、弔問のために宮城県大崎市に行った。お線香をあげて丸一日話しこんだ。故人の話はもちろんだが、何年ぶりかの訪問なので、話が尽きなかった。日が短い季節なので、夕刻になると、外はすぐに暗くなった。車で最寄りの無人駅まで送ってもらった。漆黒といってもよい農村地帯の夜。遠くにポツン、ポツンと人家の明かりが見えるだけだ。あたり一面の暗さに不思議な安らぎをおぼえた。仙台に着くと、街の明るさに戸惑った。道行く人々の足が速い。圧倒される思いだ。仙台は都会だ。東京と変わりない。わたしは丸一日農村にいただけで、体内時計の進み方が遅くなり、都会の速さに追いつけなくなったようだ。翌日は宮城県美術館(↑)(手前の大きな彫刻はヘンリー・ムーアの「スピンドル・ピース」)に行った。同美術館に行くのは3度目だ。過去の2度...宮城県美術館

  • 新国立劇場「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

    新国立劇場の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が開幕した。思えば長い道のりだった。新型コロナ・ウイルスと東京オリンピックに翻弄された末の開幕だ。当プロダクションは、新国立劇場、東京文化会館、ザルツブルク・イースター音楽祭、ザクセン州立歌劇場(ドレスデン)の共同制作だ。まず2019年4月にザルツブルク・イースター音楽祭で初演され、次いで2020年1月にザクセン州立歌劇場で上演された。そして2020年6月に東京オリンピックに向けて東京文化会館と新国立劇場で上演される予定だったが、新型コロナ・ウイルスのために延期された。2021年8月に東京文化会館で上演する予定が組まれたが、それも延期。そしてやっと今回の上演となった。とにもかくにも上演されたことを祝いたいが、心なしか今回の上演では、このオペラに特有の祝祭性が欠け...新国立劇場「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

  • インキネン/日本フィル

    インキネンが来日した。わたしがインキネンを聴くのは2019年10月の日本フィルの東京定期以来だ。およそ2年ぶりの来日。その2年間にはいろいろなことがあった。インキネンは2020年のバイロイト音楽祭で「リング」の新演出を指揮する予定だったが、新型コロナの感染拡大のため、2022年に延期された。日本フィルとの関係では、首席指揮者の任期満了にあたり、ベートーヴェンの交響曲チクルスを開始したが、道半ばで中断を余儀なくされた。その後、首席指揮者の契約が2年延長され、チクルスの完遂を目指している。そんな多事多難な2年間のブランクをへた横浜定期。どんなに感動的なシーンが繰り広げられるかと、期待しないでもなかったが、そこはインキネン(といっていいかどうかわからないが)、平常心を失わない再会だった。内面では熱いものを持ちながら、...インキネン/日本フィル

  • 沼尻竜典/N響

    N響の11月定期のAプロは、元々はファビオ・ルイージが振る予定だったが、入国後の待機期間を満たせないため、沼尻竜典に代わった。プログラムとソリストはそのまま。後述するが、プログラムにはめったに演奏されない曲がふくまれている。それを急遽振る沼尻竜典はたいしたものだ。話がそれて恐縮だが、2000年9月の日本フィルの定期で、マルチェロ・ヴィオッティが来日中止になり、沼尻竜典に代わった。プログラムにはプッチーニの「グロリア・ミサ」という珍しい曲がふくまれていた。沼尻竜典はそのまま振った。演奏会後にわたしが話した日本フィルの団員は、沼尻竜典の能力に感心していた。さてN響のAプロだが、1曲目はウェーバーの「魔弾の射手」序曲。これにはなんの感想も浮かばなかった。というより、正直に白状すると、10月定期で聴いたブロムシュテット...沼尻竜典/N響

  • B→C 嘉目真木子ソプラノ・リサイタル

    東京オペラシティのB→Cシリーズで嘉目真木子(よしめ・まきこ)のソプラノ・リサイタル。プログラムはドイツ歌曲のアラカルトだが、シューベルトやシューマンなどは入っていない点が、たんなるアラカルトではなく、一本筋の通ったものを感じさせる。まずバッハのカンタータからアリアを2曲。カンタータ第64番から「この世にあるものは」とカンタータ第149番から「神の御使いは離れない」。清澄な声と自然な歌いまわしが心地よい。次にベートーヴェンの「希望に寄せて」作品94。バッハの2曲よりさらに自然な歌いまわしだ。肩の力を抜いて、曲の襞にふれようとする歌い方。陰影は濃やかだが、それは曲に寄り添った結果生まれる陰影だった。次に哲学者で音楽思想家でもあったアドルノ(1903‐69)の「ブレヒトによる2つのプロパガンダ」(1943)。初めて...B→C嘉目真木子ソプラノ・リサイタル

  • 角田鋼亮/日本フィル

    若手指揮者ながら着々と足場を固めている角田鋼亮(つのだ・こうすけ)の日本フィル定期への初登場。プログラムは後述するようにウィーン・プロだが、たんなる観光用のウィーンではなく、プロイセンとの戦いに敗れ、またナチス・ドイツに併合された負の歴史をもつウィーンだ。小宮正安氏のプログラム・ノーツにより、演奏曲目の時代背景が説かれ、演奏会全体から没落のウィーンの最後の後光が射すようだった。1曲目はヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「ウィーンの森の物語」。当時、オーストリアはプロイセンとの戦いに敗れ、人々は意気消沈していた。そのときヨハン・シュトラウスⅡ世は「美しく青きドナウ」など一連のワルツを書き、人々を励ました。そのひとつが「ウィーンの森の物語」だと、小宮正安氏は説く。周知のように、この曲には民族楽器のツィターが使われるが...角田鋼亮/日本フィル

  • イスラエル博物館所蔵「印象派・光の系譜」展

    10月はいろいろあって疲れがたまった。美しいものが見たくなり、三菱一号館美術館で開催中のイスラエル博物館所蔵「印象派・光の系譜」展に行った。会場に入るなり、コローの作品が並んでいて、癒される思いがした。本展はエルサレムのイスラエル博物館から印象派の作品を借りてきたものだ。コロー、モネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーガンなど、お馴染みの画家の作品が並ぶ。もっとも作品それぞれは初来日のものが多いので、新鮮さがある。本展で異彩を放つのは、レッサー・ユリィLesserUry(1861‐1931)という画家の作品だ。ユリィの作品は4点来ているが、その中の「夜のポツダム広場」は本展のホームページに画像が載っているので、まずその作品に触れると、それはベルリンの繁華街のポツダム広場の夜の情景を描いている。雨が降っている。道...イスラエル博物館所蔵「印象派・光の系譜」展

  • 鈴木優人/読響

    鈴木優人が読響定期へ2度目の登場をした。プログラムは前回(2020年11月)に引き続き、現代曲の小品、シューベルトの音楽を素材にした現代曲そしてシューベルトの交響曲という構成。一回かぎりで終わらせずに、もう一度同じコンセプトを試みる点が興味深い。1曲目は現代ドイツの作曲家アリベルト・ライマン(1936‐)の「シューベルトのメヌエットによるメタモルフォーゼン」。シューベルトのピアノ曲「メヌエット嬰ハ短調D600」を素材にした室内アンサンブルのための小品だ。シューベルトの原曲が出てくる部分は、いかにもシューベルトらしい情感を湛えるが、それに続くライマンの作曲部分は硬派の現代音楽だ。演奏時間は約8分の短い曲。フッと唐突に終わる。演奏は各パートの動きがクリアーに出て、迷子にならずに、見事なものだった。読響の首席奏者たち...鈴木優人/読響

  • ハイティンク追悼

    グルベローヴァの逝去でショックを受けたばかりだが、そのショックが冷めやらないうちに、今度は指揮者のハイティンクが亡くなった。ハイティンクが亡くなったのは10月21日だ。享年92歳だった。自宅のあるロンドンで亡くなり、妻や家族が付き添ったと報じられている。天寿をまっとうしたと思われる亡くなり方にハイティンクらしさを感じる。ハイティンクのLPは何枚か持っていたが(その後、部屋の整理のためにLPはすべて処分してしまった)、実演を聴いた経験は2度しかない。だが、その2度の経験は鮮明な印象を残している。一度目は2015年3月にベルリンでベルリン・フィルの定期演奏会に行ったときだ。曲目はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏はイザベル・ファウスト)とベートーヴェンの交響曲第6番「田園」だった。その「田園」がお...ハイティンク追悼

  • ラザレフ/日本フィル

    ラザレフ指揮日本フィルの東京定期。プログラムの前半はリムスキー=コルサコフの「金鶏」組曲とピアノ協奏曲(ピアノ独奏は福間洸太朗)、後半はショスタコーヴィチの交響曲第10番。ラザレフは今年4月に続いての来日だ。客席はよく埋まっていた。徐々にコロナ以前の日常に戻りつつあるのか。リムスキー=コルサコフの2曲は珍しい曲だ。わたしは「金鶏」のオペラ上演を2000年7月にオーストリアのブレゲンツ音楽祭で観たことがある。革命前のロシア帝政を風刺したオペラだが、楽しい舞台だった。それから21年もたつのかと、感慨を覚える。21年ぶりに聴く「金鶏」の音楽は、異国情緒たっぷりでカラフルで、「そういえばこういう音楽だったな」と懐かしくなった。ピアノ協奏曲を聴くのは初めてだ。山野雄大氏のプログラム・ノーツによれば、リストのピアノ協奏曲第...ラザレフ/日本フィル

  • グルベローヴァ追悼

    グルベローヴァの逝去の報はショックだった……と書いて後が続かない。茫然自失といったらよいのだろうか。それとも、そんな大げさな言葉ではなくて、じっと目をつむって内面の言葉を探せばよいのか。グルベローヴァは10月18日にチューリヒで亡くなった。享年74歳。その逝去は遺族がミュンヘンのマネジメント会社に伝えた。今のところは以上のことしかわかっていない。死亡の原因はなんだったのだろう。グルベローヴァはわたしにとっても大事な歌手だった。生涯で出会ったもっとも偉大な歌手だったといってもいい。わたしはもうすぐ70歳になる。グルベローヴァからは多くのことを学んだ。プロでもない一音楽ファンの人生に大きな影響を与えたといったら、天国にいるグルベローヴァは笑うだろうか。昨日来、グルベローヴァの思い出をたどっている。最初にグルベローヴ...グルベローヴァ追悼

  • ブロムシュテット/N響

    コロナ禍のために昨年10月は来日が叶わなかったブロムシュテットが、今年は待望の来日を果たした。オーケストラと聴衆(わたしもその一人だ)は大喜びだ。今年94歳になるブロムシュテットが後述するプログラムを、椅子を使わずに、立ったまま指揮する姿は、矍鑠としたという以上に、眩しさがあった。もっとも、コロナ禍は収まっていないので、変則的な演奏会風景が見られた。演奏会の開始にあたって、まず木管奏者が登場した。次に金管奏者。一呼吸おいてブロムシュテットとソリストのレオニダス・カヴァコスが登場した。満場大きな拍手。最後に弦楽器奏者が登場して全員揃った。この入場方法は当局か業界のガイドラインによるのだろう。プログラム前半はブラームスのヴァイオリン協奏曲。すでに多くの方々が絶賛の声を上げているが、わたしは疑問を感じた。第1楽章のと...ブロムシュテット/N響

  • 高関健/東京シティ・フィル

    高関健が指揮する東京シティ・フィルの定期は、ストラヴィンスキー(1882‐1971)の没後50年を記念するオール・ストラヴィンスキー・プロだ。曲目は「小管弦楽のための組曲第2番」(1921)、バレエ音楽「ミューズを率いるアポロ」(1928)、バレエ音楽「カルタ遊び」(1936)、「3楽章の交響曲」(1945)の4曲。各オーケストラの今年の定期の中で、わたしが一番楽しみにしていた演奏会だ。4曲ともオーケストラにはあまりなじみがなく、また演奏時間もけっこう長いので(4曲合計で80分あまり)、オーケストラは準備が大変だったと思うが、どの曲も準備不足を感じさせず、ごまかしのない、正確な譜読みの演奏だった。高関健の指揮のたまものだが、同時に東京シティ・フィルの基礎的なアンサンブルの向上も感じた。1曲目の「小管弦楽のための...高関健/東京シティ・フィル

  • 津村記久子「つまらない住宅地のすべての家」

    今年3月に発行された津村記久子の「つまらない住宅地のすべての家」を読んだ。津村記久子の作品は、数年前にある偶然から(その偶然を書き始めると話がそれるので、省略するが)「とにかくうちに帰ります」を読み、おもしろいと思ったので、その際に「ポトスライムの舟」などの何作かを読んだ。どれもおもしろかった。その経験の範囲内で思うのだが、今度の「つまらない住宅地のすべての家」は、津村記久子の現時点での代表作といえるのではないか。新聞各紙の書評欄で取り上げられたので、ストーリーを紹介するまでもないが、念のために簡単にふれると、場所は関西のどこかの住宅地。袋小路の路地を囲んで10軒の家が並んでいる。周囲はありふれた住宅地だ。いつもはなにも起こらない、のんびりした地域だ。そんな住宅地に、近くの刑務所から女性受刑者が逃亡したというニ...津村記久子「つまらない住宅地のすべての家」

  • 川瀬巴水展

    川瀬巴水(1885‐1957)は大正から昭和にかけての版画家だ。抒情的な作風に人気があり、その作品を目にする機会も多い。わたしも好きだが、生涯にわたっての作風の変遷を追うことはなかった。本展はキャリアのスタートから遺作にいたるまでの作品をたどった内容だ。作風の変遷を知るにはよい機会だ。チラシ(↑)に使われた作品は、左が「芝増上寺」、右が「馬込の月」。ともに巴水の代表作だ。わたしも何度か見たことがある。今回あらためて見ると、「芝増上寺」では木の枝にかかる雪の表現が、ふんわりとして、じつにリアルな感じがした。一方、「馬込の月」では、個々のディテールよりも、明るく澄んだ月夜の静けさに、言葉が不要になるような落ち着きを感じた。「芝増上寺」も「馬込の月」も連作「東京二十景」(1925‐1930)の中の作品だ。本展では連作...川瀬巴水展

  • チェネレントラ

    新国立劇場の「チェネレントラ」新制作。粟国淳演出、アレッサンドロ・チャンマルーギの美術・衣装による舞台は、王子ドン・ラミーロを映画のプロデューサー、王子の教育係アリドーロを映画監督に見立てた。チェネレントラ(アンジェリーナ)は女優になるのを夢見る娘。チェネレントラの義姉のクロリンダとティーズペはプロデューサー(ドン・ラミーロ)に見いだされて主役を射止めようとする。クロリンダとティーズペの父親(チェネレントラの義父)のドン・マニフィコは、クロリンダかティーズペが主役に抜擢されることを願う。言い遅れたが、王子の従者ダンディーニはプロデューサーの助手だ。場所はローマの映画撮影所。舞台ではひっきりなしに撮影カメラが移動し、収音マイクがそれを追いかける。何人かの撮影助手が、台本を持ちながら、あれこれと手はずを整える。まさ...チェネレントラ

  • 井上道義/読響

    井上道義指揮の読響の定期。プログラムは、ゴリホフ(1960‐)のチェロ協奏曲「アズール」、ストラヴィンスキーの管楽器のための交響曲、ショスタコーヴィチの交響曲第9番。通り一辺倒ではなく、尖がったプログラムだ。じつはこれは、当初はイスラエルの指揮者イラン・ヴォルコフのために組まれたものだ。ヴォルコフが来日中止になったため、井上道義が引き継いだ(曲順はストラヴィンスキーとゴリホフを入れ替えた)。経緯はともかく、いかにも井上道義らしいプログラムだ。ゴリホフは2014年に日生劇場で、スペインの詩人ガルシア・ロルカをテーマにしたオペラ「アイナダマール」が上演されたので、わたしにも馴染みの作曲家になった。当時ゴリホフの他の作品も聴いてみた。その中では「マルコ受難曲」に仰天した。2000年のバッハ没後250年を記念して国際バ...井上道義/読響

  • 沼尻竜典/N響

    沼尻竜典指揮のN響の定期。1曲目はモーツァルトのクラリネット協奏曲。クラリネット独奏は来日中止になったアンドレアス・オッテンザマーの代役に立ったN響首席の伊藤圭。代役ではあるが、バセット・クラリネットを使用するというおまけがついた。昔(調べてみたら、1985年4月だ)、日本フィルの定期にザビーネ・マイヤーが出演してこの曲を吹いたとき、バセット・クラリネットを使用した記憶がある(指揮はイヴァン・フィッシャーだった)。そのときの演奏風景は覚えているのだが、肝心の音色はどうだったろう。ドスのきいた中低音が耳の底に残っている(ような気がするが)。伊藤圭の演奏では、中低音云々というよりも、全体にくすんだ音色が印象的だった。オーケストラは弦楽器が8‐8‐6‐4‐2と小ぶりだったこともあり、クラリネットとオーケストラが一体と...沼尻竜典/N響

  • B→C 東条慧ヴィオラ・リサイタル

    東京オペラシティのB→Cコンサートに東条慧(とうじょう・けい)というヴィオラ奏者が登場した。東条慧はパリとベルリンで学び、今年からデンマークのコペンハーゲンで王立歌劇場の第一首席ヴィオラ奏者として試用期間を開始したそうだ。わたしにとっては未知の演奏家だが、プログラムに惹かれて、聴きに行った。プログラムの前半は、バッハの「無伴奏チェロ組曲第5番」(ヴィオラ版)とリゲティの「無伴奏ヴィオラ・ソナタ」を交互に弾くもの。バッハの第1曲「プレリュード」では演奏に硬さが感じられたが、徐々にほぐれて、第5曲の「ガヴォット」と第6曲の「ジグ」ではよくこなれた自由闊達な演奏になった。リゲティの曲も、バッハと同様に全6曲からなるが、こちらは第1曲から自信に満ちた演奏が繰り広げられた。楽器もよく鳴った。そのペースは最後まで続いた。お...B→C東条慧ヴィオラ・リサイタル

  • 桐野夏生「東京島」

    桐野夏生の「日没」(2020年)と「バラカ」(2016年)を読んだ後、桐野夏生からいったん離れる前にもう一作と思い、「東京島」(2008年)を読んだ。「東京島」を選んだ理由は、谷崎潤一郎賞受賞作品だからだ。「日没」と「バラカ」はエンタメ小説的な性格があったので、そのような作風と純文学のイメージが強い谷崎潤一郎賞とがどう結びつくのか、戸惑った。読んでみると、「東京島」の作風は「日没」や「バラカ」と変わらなかった。「東京島」には喜劇的な面があり、「日没」と「バラカ」はシリアスな作品なので、その点は対照的だが、ストーリーの奔放さと文体の明確さは共通する。谷崎潤一郎賞の趣旨をあらためてチェックすると、「時代を代表する優れた小説・戯曲」とあり、純文学とかエンタメ小説とかの区別はなかったので、「東京島」は「時代を代表する」...桐野夏生「東京島」

  • パーヴォ・ヤルヴィ/N響

    リニューアルされたN響Cプロ。その第一回となる9月定期はパーヴォ・ヤルヴィの指揮でバルトークの組曲「中国の不思議な役人」と「管弦楽のための協奏曲」が演奏された。NHKホールが改修中なので、東京芸術劇場で開催されたが、音が飽和状態になりやすい同劇場が、N響の音の粒子で満たされ、その一粒々々が目に見えるようだった。それは壮観といってもいいほどだ。とくに音がぎっしり詰まった「中国の不思議な役人」は、まるで精密機械が超高速で安定稼働を続ける光景を見るような演奏だった。一方、「管弦楽のための協奏曲」は「中国の不思議な役人」とくらべると音の数が少ないので、音と音との間が透けて見えるような感覚だったが、それぞれの音が拮抗し、たしかな輪郭を備えた音たちがバランスをとって存在するような演奏だった。パーヴォ・ヤルヴィがN響で成し遂...パーヴォ・ヤルヴィ/N響

  • 山田和樹/日本フィル

    山田和樹指揮日本フィルの定期。プログラムはショーソン(1855‐1899)の「交響曲変ロ長調」と水野修孝(1934‐)の「交響曲第4番」。ショーソンの「交響曲変ロ長調」は亡きジャン・フルネの十八番だった。わたしは都響と日本フィルで聴いたことがある。どちらも淡い色彩がたゆたう名演だった。ジャン・フルネの演奏が静謐の演奏だったとすれば、山田和樹の演奏は、オーケストラをよく鳴らす、ダイナミックな演奏だった。水野修孝の交響曲第4番は驚きの曲と演奏だった。わたしが大学生のころ、知人が所属していた千葉大のオーケストラを、水野修孝が指導していたので、何度か聴きに行ったことがある。そんな想い出の作曲家なので、未知のこの曲を楽しみにしていた。演奏会の前々日になって日本フィルのツイッターでこの曲のCDが出ていることを知った。図書館...山田和樹/日本フィル

  • 友人がいたアパート

    用事があって大田区立蒲田図書館に行った。蒲田図書館はJR蒲田駅から徒歩で15分ほどだ。駅前の繁華街を抜けて、昭和の雰囲気が残る街並みを行く。わたしの中学時代の友人がその一角の木造アパートに住んでいた。わたしが生まれ育った家は多摩川沿いにあり、友人が家族と住むそのアパートまでは徒歩で30分くらいかかったが、中学から高校のころはよく遊びに行った。蒲田図書館は、場所が少し移動していた。かつては区立体育館に隣接していたが、いまはその近くに建て替えられていた。体育館も建て替えられていた。体育館も図書館も友人がいたアパートから徒歩で1~2分だ。かつては壊れかけた柵をくぐって行くのが近道だったが、いまでは広い道になっていた。図書館を出た後、友人がいたアパートに行ってみた。友人は1985年に34歳で亡くなった。癌だった。友人の...友人がいたアパート

  • 藤岡幸夫/東京シティ・フィル

    藤岡幸夫指揮東京シティ・フィルの定期。プログラムは前半が千住明(1960‐)の「月光-尺八、十三弦とオーケストラの為の-」と大島ミチル(1961‐)の「箏と尺八のための協奏曲-無限の扉-」、後半がショスタコーヴィチの交響曲第5番。あらためていうまでもないが、藤岡幸夫は東京シティ・フィルの首席客演指揮者に就任して以来、日本人の作品とイギリス音楽とをプログラムの柱にしている。今回は日本人作品が2曲プログラムに組まれた。しかも邦楽器を使った作品である点が今回のプログラムの特徴だ。また作曲者の千住明と大島ミチルは、クラシック音楽だけではなく、テレビ番組、映画、アニメ、CMなどで幅広く作曲活動を続ける人である点も特徴だ。そんな二人の作品なので、今回演奏された2曲は難解な現代音楽ではなく、耳に馴染みやすく、すっと入っていけ...藤岡幸夫/東京シティ・フィル

  • 東京二期会「ルル」

    東京二期会の「ルル」。カロリーネ・グルーバー演出の当プロダクションのポイントは、中村蓉のダンスだろう。ダンスの起用は最近のオペラ上演の流行だが、多くの場合はダンスが前面に出すぎて、煩わしく感じることもあるのだが、当プロダクションの場合は、第1幕と第2幕ではひじょうに控えめだった。第2幕の後に「ルル組曲」から「間奏曲」と「アダージョ・ソステヌート」が演奏されたが、そこで初めてダンスが前面に出た。そしてダンスの終了とともに上演は終わった。ダンサーはルルと同じ衣装をつけている。ルルの分身だ。ルルが男たちの欲望を浴びながら、明るく陽気にふるまうとき、ダンサーは舞台の隅にうずくまり、じっと耐えている。その姿はルルの内面的な怯えと傷を表すようだ。見方によっては、孤児だったころの幼いルルがいまのルルを見ているようでもある。ど...東京二期会「ルル」

ブログリーダー」を活用して、Enoの音楽日記さんをフォローしませんか?

ハンドル名
Enoの音楽日記さん
ブログタイトル
Enoの音楽日記
フォロー
Enoの音楽日記

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用