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  • 尾高忠明/読響

    尾高忠明が読響の定期演奏会を振った。プログラムは亡父・尾高尚忠(1911‐51)の交響的幻想曲「草原」(1943)と、尾高尚忠が亡くなる2か月前に日響(現N響)を振ったブルックナーの交響曲第9番だ。 交響的幻想曲「草原」は前に一度聴いたことがある。サントリー芸術財団のサマーフェスティバル2017で下野竜也指揮東京フィルが演奏した。そのときの記憶は薄れているが、でも当夜の演奏はだいぶ印象がちがうと思った。下野竜也と東京フィルの場合は淡い色彩の演奏だったが、尾高忠明と読響の演奏は濃い色彩の力演だった。 冒頭は幻想的な音楽だ。岩野裕一氏が執筆したプログラムノートに尾高尚忠の文章が引用されている。その…

  • 沼尻竜典/東響

    東京交響楽団(「東響」)の定期演奏会。指揮は沼尻竜典。1曲目はバルトークの組曲「中国の不思議な役人」。先日オクサナ・リーニフ指揮の読響で聴いたばかりだ。どうしても比較してしまう。3つの誘惑はリーニフ/読響の方がおもしろかった。沼尻/東響は3つの誘惑がどれも同じように聴こえた。反面、中国の不思議な役人が少女を追いかけまわす場面では、リーニフ/読響の濁流のような音(衝撃を受けた。ちょっと忘れられない)とは対照的に、沼尻/東響はクリアな音だ。 2曲目はリストのピアノ協奏曲第1番。ピアノ独奏はマルティン・ガルシア・ガルシア。人気のピアニストだ。当日のチケットは完売。おそらくガルシア人気のためだろう。わ…

  • コンポージアム2025「ゲオルク・フリードリヒ・ハースの音楽」

    「ゲオルク・フリードリヒ・ハースの音楽」。ハースは1953年オーストリアのグラーツ生まれの作曲家だ。演奏はジョナサン・ストックハンマー指揮の読響。 1曲目はメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」。粗い演奏だったので、感想はその一言でもよいのだが、その演奏を聴いていると、ストックハンマーのこの曲の捉え方がわかる。穏やかな部分はそれなりに。だが激しい部分は、たとえていうなら、船が転覆するのではないかと心配になるくらい激しい。この曲の水彩画のようなイメージとは異なる捉え方だ。 2曲目はマーラーの交響曲第10番の第1楽章アダージョ。冒頭のヴィオラ・セクションの音が肉厚だ。その後も音圧の強い音が鳴る。各…

  • 東京都美術館「ミロ展」

    東京都美術館で「ミロ展」が開催中だ。ジュアン・ミロ(1893‐1983)の作風の変遷をたどることができる。 会場に入って最初に目に入るのは「自画像」(1919)だ。ミロの若いころの作品(本展のHPに画像が掲載されている)。衣服の描写はキュビスム風だが、顔は繊細な線で描かれる。その繊細な線はミロの生来のもののようだ。本作はピカソが所有していた。キュビスム風の描写もさることながら、繊細な線もピカソに通じるところがある。 「自画像」と同時期の作品が何点か展示されている。レジェ風の丸みをおびた形態の風景画もあれば、山道を黄色く塗ったフォービスム風の風景画もある。それらの風景画の中では「ヤシの木のある家…

  • 新国立劇場「新作オペラ『ナターシャ』創作の現場から~台本:多和田葉子に聞く~」

    新国立劇場が本年8月に世界初演する細川俊夫のオペラ「ナターシャ」。その台本を書いた多和田葉子のトークイベントが開かれた。聞き手は松永美穂。会場は新国立劇場中劇場。ざっと見たところ、客席は6~7割が埋まっていた。終盤にはサプライズで細川俊夫も参加した。動画が撮影されたので、後日配信されるかもしれない。 まず多和田葉子の語ったことは―― ・ナターシャはウクライナ語を話すが、ウクライナというと、どうしてもウクライナ戦争に引き寄せて考えられてしまう。だが構想を練ったのはウクライナ戦争の前だ。あまり限定的に捉えられたくないので、今はあまりウクライナと言わないようにしている。 ・ナターシャとアラトは、北海…

  • カーチュン・ウォン/日本フィル

    カーチュン・ウォン指揮日本フィルの定期演奏会。1曲目は芥川也寸志の「エローラ交響曲」。色彩豊かで歯切れのいい音が飛び交う。巨大なエネルギーを放出する目の覚めるような名演だ。今まで何度か聴いたこの曲の演奏の中では、レベルがひとつ上の演奏だったと思う。 先日聴いた黛敏郎の「涅槃交響曲」を思い出した。あのときは昭和の時代を感じた。さすがの「涅槃交響曲」も歴史的な文脈に収まる時期がきたのかと思った。だが今回の「エローラ交響曲」はアップデートされた鮮烈さを感じた。それは曲のためだろうか。それとも演奏のためだろうか。 周知のように「エローラ交響曲」と「涅槃交響曲」は同じ日に初演された。1958年4月2日だ…

  • 映画「ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男」

    映画「ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男」が公開中だ。ナチス・ドイツのプロパガンダを主導したゲッベルス。ゲッベルスのプロパガンダはどのようなものだったか。そこに焦点を当てた作品だ。 たとえば1938年に起きた「水晶の夜」事件。パリでユダヤ人の青年がドイツ大使館員を銃撃した。大局的に見れば小さな事件だが、ゲッベルスは大々的に取り上げて、ユダヤ人への憎悪を煽った。同時に、ひそかにドイツ各地でユダヤ人襲撃を仕組んだ。それを自然発生的な襲撃と偽って大々的に報じた。 ゲッベルスの手法は、今の視点で見ると、珍しいものではないが、困ったことには、ゲッベルスの手法は今でも有効だ。ゲッベルスの時代は映画と…

  • 森美術館「マシン・ラブ」展

    巷にはAI、メタバース、アルゴリズム等々、よく分からない言葉が氾濫する。社会のどこかに未知の領域が生まれ、それが拡大する気味の悪さがある。 そんな日々にあって森美術館で開かれている「マシン・ラブ」展に行った。13人(組)のアーティストの作品が展示されている。どれもAIなどの最新テクノロジーを駆使した作品だ。最新テクノロジーでなにができるか。その可能性を示すとともに、危うさを意識させる作品もある。 興味深い作品を3点あげたい。1点目はディムート(1982年、ベルリン生まれ)のAIインスタレーション「総合的実体への3つのアプローチ」だ。難しい題名だ。本作品は3部構成になっている。その中のひとつの「…

  • 下野竜也/都響

    下野竜也指揮都響の定期演奏会Aプログラム。今年一番注目していた演奏会だ。なんとチケットは完売。5階席までびっしり埋まった。 1曲目はトリスタン・ミュライユ(1947‐)の「ゴンドワナ」(1980)。テンポが終始伸縮する曲だ。その独特のテンポ感に乗ってクリスタルガラスのような音が点滅する。難曲にちがいない。その難曲の堂に入った演奏だ。 初めてこの曲を聴いたときを思い出す。2010年5月の武満徹作曲賞のときだった。ミュライユがその年の審査員を務めた。関連の演奏会でミュライユの作品が演奏された。そのときの演奏曲目のひとつが「ゴンドワナ」だった。わたしは船酔いしそうになった。演奏の光景を覚えている。指…

  • 広上淳一/日本フィル「仮面舞踏会」

    N響の定期演奏会が終わってから、サントリーホールに移動した。日本フィルのセミ・ステージ形式上演「仮面舞踏会」(ボストン版)を観るためだ。日本フィルは<広上淳一&日本フィル「オペラの旅」>というシリーズを始めた。「仮面舞踏会」はその第一弾だ。 演出は高島勲。オーケストラの後方(ステージの奥)にスペースを設けて、歌手はそこで演技をしながら歌う。また時にはオーケストラの前に出てくる。客席から歌手が登場する場面もある。それらのことは珍しくはないが、でも十分に楽しめた。歌手は衣装をつけた。その衣装はシンプルだが、役柄を示して有効だった。照明もシンプルだったが、美しかった。必要最小限の小道具が使われた。 …

  • ルイージ/N響

    昨日は都合により演奏会がふたつ重なった。まずN響の定期演奏会から。指揮はルイージで曲目はマーラーの交響曲第3番。N響は5月に開かれるアムステルダムのマーラー・フェスティバルに参加する。交響曲第3番はその演奏曲目だ。 マーラー・フェスティバルには錚々たるオーケストラが参加する。地元のコンセルトヘボウ管弦楽団(指揮はマケラ、曲目は交響曲第1番と第8番)、ベルリン・フィル(指揮はペトレンコとオラモ(当初はバレンボイムの予定だったが、オラモに代わった)、曲目はペトレンコが第9番、オラモが第10番アダージョと「大地の歌」)、シカゴ交響楽団(ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン、第6番と第7番)、ブダペスト祝祭管…

  • リーニフ/読響

    話題の指揮者オクサーナ・リーニフが読響を振った。1曲目はショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番。ヴァイオリン独奏はヤメン・サーディ。ウィーン・フィルの若きコンサートマスターだ。第1楽章が始まる。弱音にこだわった演奏だ。それは良いのだが、緊張感が生まれない。どこかぎこちない。 そのぎこちなさは第2楽章に入ってからも続いた。結局、ぎこちなさが払拭されたのは、第3楽章のカデンツァからだ。やっと演奏が乗ってきた。第4楽章はそれまでのすべてを吹き飛ばすかのように独奏ヴァイオリンもオーケストラも快速テンポで走り抜けた。 サーディのアンコールがあった。ユダヤ的な情感のある曲だ。帰りに掲示を見たら、サー…

  • 国立西洋美術館「西洋絵画、どこから見るか?」展

    国立西洋美術館で「西洋絵画、どこから見るか?」展が開催中だ。アメリカのサンディエゴ美術館の作品と国立西洋美術館の作品を並列する。たとえばチラシ(↑)はサンディエゴ美術館のコターン(1560‐1627)作「マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物」。これを国立西洋美術館のアメン(1596‐1631)作「果物籠と猟鳥のある静物」と並べる。 コターンの本作品はじつにおもしろい(チラシ↑は一部だ。全図はHPに掲載されている)。左から順にマルメロ、キャベツ、メロン、キュウリの順に放物線を描く。個々の野菜の写実性に対して、放物線が妙に抽象的だ。背景は漆黒の闇だ(後述するスルバランの「神の仔羊」も背景…

  • パーヴォ・ヤルヴィ/N響

    パーヴォ・ヤルヴィが振るN響Aプログラム。1曲目はベルリオーズの「イタリアのハロルド」。ヴィオラ独奏はアントワーヌ・タメスティ。指揮者のパーヴォが登場する。しかし独奏者のタメスティの姿が見えない。さては‥と。オーケストラの演奏が始まる。やおらタメスティが登場する。そこまでは想像通りだが、タメスティはまっすぐ指揮者の横に行くのではなく、オーケストラの中をさまよい、ハープの横で演奏を始める。ヴィオラ独奏の冒頭はハープが伴奏をつける。山中(=オーケストラ)をさまよったハロルド(=独奏ヴィオラ)は、ハープの横に居場所を見つけたのだ(第1楽章は「山の中のハロルド。憂うつと幸福と歓喜の情景」と題されている…

  • リープライヒ/日本フィル

    リープライヒが振った日本フィルの定期演奏会。1曲目はハイドンの交響曲第79番。弦楽器は10‐8‐6‐5‐3の編成。ノンヴィブラート奏法だ。内声部が浮き上がる。一方、ヴァイオリンの音は細く感じる。もう少し鳴ってほしい。それにしても、久しぶりに聴くハイドンは良い演奏だった。形が崩れない。また柔軟でもある。オーケストラのアンサンブルを鍛えるにはハイドンが良いといわれる。たしかにそうかもしれない。ハイドンは聴衆の入りが悪いので、オーケストラとしては難しいところだろうが。 2曲目はボリス・ブラッハー(1903‐1975)のヴァイオリン協奏曲(1948)。ヴァイオリン独奏はコリヤ・ブラッハー。ボリスのご子…

  • ノット/東響

    初台(東京シティ・フィル)から溜池(東響)へ。連チャンは苦手だが、定期演奏会が重なったので仕方がない。東響はノットの指揮でブルックナーの交響曲第8番(第1稿、ノヴァーク版)。ノットの音楽監督ラスト・シーズンの幕開けだ。 ブルックナーの交響曲第8番の第1稿はずいぶん聴くようになった。直近では2024年9月にルイージ指揮N響で聴いた。ルイージとN響の演奏も立派だったが、ノットと東響の演奏はルイージとN響をふくめたどの演奏とも異なる演奏だった。 端的に言って、ノットと東響のような第1稿の演奏は聴いたことがない。第1稿には(ルイージとN響がそうであったように)ごつごつした荒削りの音楽というイメージがあ…

  • 高関健/東京シティ・フィル

    東京シティ・フィルが創立50周年のシーズンを迎えた。高関健のもとで好調理に記念すべきシーズンを迎えることができた。わたしは高校時代のブラスバンドの後輩が同フィルの創立メンバーだったので、創立当時にチケットを買わされて何度か聴きに行った。当時とくらべると今の充実ぶりは目をみはるようだ。 記念すべきシーズンの最初の定期演奏会は、高関健の指揮でまずショスタコーヴィチの組曲「ボルト」の抜粋。同じショスタコーヴィチでも「祝典序曲」なら月並みな感じがしただろうが、「ボルト」という選曲が高関健らしい。演奏は各曲(5曲)のキャラクターが鮮明に描出される好演だった。たとえば「官僚の踊り(ポルカ)」のピッコロや「…

  • 物価高騰のクラシック音楽への波及

    物価高騰の余波がクラシック音楽にも及んでいる。今年10月のウィーン国立歌劇場の来日公演のチケット代は、平日で最高7万9000円、土日で最高8万2000円だ。夫婦や恋人同士で行けば16万円前後。それでも行く人がいる。富めるものと冨まざるものとの格差拡大が表れる。 今年8月のサントリーホール・サマーフェスティバルのスケジュールが発表された。同フェスティバルは例年「ザ・プロデューサー・シリーズ」と「国際作曲委嘱シリーズ」と「芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会」の3本柱で構成される。だが今年は「ザ・プロデューサー・シリーズ」はない。大幅な規模縮小だ。制作コストの上昇のためだろうか。 話が横道にそれる…

  • ヴァンスカ/東響

    オスモ・ヴァンスカが東響に初登場した。1曲目はニールセンの序曲「ヘリオス」。ヴァンスカは読響を振っていたころに(もう何年も前だ)ニールセンやベートーヴェンの交響曲をよく演奏した。久しぶりなので、楽しみにしていた。 だが、演奏が始まると、当時とはだいぶ様子が違う。読響のころのヴァンスカは、オーケストラの手綱を締めて、贅肉のない引き締まった音を出していた。ところが今回の東響では手綱を緩めて、たっぷり鳴らす。また読響のときは、打点が先に先にと進み、前のめりのテンポ感があった。今回はそれが消えた。ごく普通のテンポ感だ。 2曲目はベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。ピアノ独奏はイノン・バルナタン。ピアノ…

  • 「カナレットとヴェネツィアの輝き」展

    昨年秋にSOMPO美術館で「カナレットとヴェネツィアの輝き」展を見た。予想以上におもしろかった。ブログを書こうと思っていたが、そのままになった。本展は今、京都文化博物館に巡回中だ(4月13日まで。4月24日から山口県立美術館に巡回する)。遅ればせながら、感想を。 カナレット(1697‐1768)はヴェドゥータ(都市景観図)の巨匠だ。ヨーロッパの主要な美術館に行くとたいていカナレットの作品がある。定規で線を引いたような遠近法が目を引く。だが少なくともわたしの場合は、それほど注意して見るわけでもなく、さっと通り過ぎていた。 本展はカナレットが注目に値する画家であることを示す。たんなる絵葉書のような…

  • 高関健/東京シティ・フィル(ティアラこうとう定期演奏会)

    東京シティ・フィルのティアラこうとう定期演奏会に行った。指揮は高関健。曲目はベートーヴェンの「コリオラン」序曲とピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ独奏は阪田知樹)そしてチャイコフスキーの「くるみ割り人形」第2幕(全曲)。 「コリオラン」序曲は内声部の動きもバスの動きも明瞭に聴こえる演奏。いかにも高関健と東京シティ・フィルらしい演奏だった。ただ、惜しむらくは、音の輪郭が鈍かった。このコンビならもっと鮮明な音が出るはずだ。 高関健はプレトークで、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」について、「この曲は『皇帝』なんて名前が付いているけれど(もちろんベートーヴェン自身が付けた名前ではなく、後世の人が付けた名前だ…

  • 大野和士/都響

    都響の定期演奏会Aシリーズで現代ドイツの作曲家イェルク・ヴィトマン(1973‐)の新作「ホルン協奏曲」が日本初演された。ホルン独奏はベルリン・フィルの首席ホルン奏者シュテファン・ドール。指揮は大野和士。 演奏会が始まる。大野和士が登場する。だが独奏者のドールがいない。あれ?と思っていると、舞台の外からホルンの音が聴こえる。ドールがホルンを吹きながら登場。 第1楽章「夢の絵」と第2楽章「アンダンティーノ・グラツィオーソ」は切れ目なく演奏される。だが、どこから第2楽章かは、すぐ分かった。ヴィトマン自身がプログラムノートに書いているように、第2楽章ではウェーバーのホルン小協奏曲が引用されるからだ。ウ…

  • ヴァイグレ/読響「ヴォツェック」

    ヴァイグレ指揮読響の「ヴォツェック」。4管編成のオーケストラが舞台を埋める。すごい人数だ。その大編成のオーケストラにもかかわらず、歌手の声がよく通る。今回は演奏会形式上演なので、オーケストラはピットに入らずに、舞台に並ぶ。それにもかかわらず、歌手の声がオーケストラに埋もれない。 「ヴォツェック」は好きなオペラだ。国内外で何度か観た。だが演奏会形式は初めてだ。オーケストラが何をやっているか、よく分かる。それが新鮮だ。ヴィオラのソロがあり、チェロのソロがあり、コントラバスのソロもある。マリーのアリアにオブリガートを付けるホルンのソロも印象的だ。またチェレスタが明瞭に聴こえる。今までもチェレスタは聴…

  • 高関健/東京シティ・フィル

    東京シティ・フィルの定期演奏会。高関健の指揮でヴェルディの「レクイエム」。前日にカーチュン・ウォン指揮日本フィルでマーラーの交響曲第2番「復活」を聴いたばかりだ。2曲はともに「死」に向き合った作品だ。普通はヴェルディの「レクイエム」とマーラーの「復活」を比較することはないだろうが、連続して聴くと、どうしても比較する。前述のように、2曲は「死」というテーマで共通するが、音楽の性格はそうとう違う。その端的な表れは「最後の審判」を告げるラッパの音だろう。 マーラーの「復活」の場合は、第5楽章の冒頭の激しい導入部が収まった後に、舞台裏からホルンの響きが聴こえる。遠い不思議な響きだ。墓の中に眠る死者たち…

  • カーチュン・ウォン/日本フィル

    日本フィルの定期演奏会は金曜日と土曜日にある。わたしは土曜日の定期会員だが、3月は都合により金曜日に振り替えた。 指揮はカーチュン・ウォン。曲目はマーラーの交響曲第2番「復活」。第1楽章の冒頭のテーマが歯切れのよい音で鳴った。このテーマはだれがやっても激しい演奏になるわけだが、カーチュン・ウォンの場合は、そこに歯切れのよさが加わる。 注目したのは、嵐のようなそのテーマが過ぎた後の穏やかな部分だ。音から緊張感が抜けて、リラックスした音に変わった。そのコントラストが鮮やかだ。同様にテンポも、冒頭のテーマはきわめて速く、穏やかな部分は遅めに演奏された。やはりコントラストがはっきりしている。第1楽章は…

  • 向井潤吉アトリエ館「名もなき風景」展

    駒沢大学駅から歩いて数分の向井潤吉アトリエ館。洋画家の向井潤吉(1901‐1995)の住居兼アトリアだった建物をそのまま使った美術館だ。向井潤吉の生活空間の中で作品をみることができる。わたしが行ったのは平日の午前中だが、10人程度の人が来ていた。向井潤吉の人気ぶりがうかがえる。 チラシ(↑)に使われている作品は「不詳[長野県更埴市森区]」(1961年頃)。遠くの山並みには雪がびっしり付いている。手前の里山は上のほうには雪が残るが、中腹から下は雪が消えて、枯れ木の茶褐色と芽吹きの新緑のまだら模様だ。畑の土はすっかり乾き、草が生える。それらの風景を締めるように小屋がたつ。日本の農村のどこにでもあり…

  • 宮本三郎記念美術館「Journeys――宮本三郎 旅する絵画」展

    自由が丘駅から歩いて数分のところに宮本三郎記念美術館がある。洋画家の宮本三郎(1905‐1974)の住居兼アトリエがあった場所だ。同館では今「Journeys―宮本三郎 旅する絵画」展が開催されている。 宮本三郎は第二次世界大戦中の戦争画と戦後の(それも晩年になってからの)鮮烈な色彩の裸体画のイメージが強い。本展はそれらの、いわば表の顔とは違った、旅先で描いた風景画を追った企画展だ。素顔の宮本三郎がうかがえる。 チラシ(↑)に使われている作品は「風景/柴山潟の四手網漁」(1944年頃)。宮本三郎が故郷の石川県に疎開したときの作品だ。全体に靄のかかったような画面がターナー(1775‐1851)を…

  • 下野竜也/N響

    N響の定期演奏会Cプロ。指揮は下野竜也で、プログラムはスッペとオッフェンバックを中心にしたもの。スッペ(1819‐1895)とオッフェンバック(1819‐1880)は同い年だ。ワーグナー(1813‐1883)とヴェルディ(1813‐1901)が同い年なのと似ている。 1曲目はスッペの「軽騎兵」序曲。冒頭の金管楽器がさすがに良い音だ。スッペにしては上等すぎるといったら語弊があるが、オペレッタの場末の雰囲気(これも語弊があるが、けっして悪い意味でいっているのではない。言い直せば、世俗的な雰囲気)とは多少ニュアンスの違う音だ。それにしても、「軽騎兵」序曲は明暗のコントラストが濃やかな名曲だ。N響の演…

  • 戦後を生きて(1):原風景

    2月にしては暖かい日曜日。大田区立龍子記念館を訪れた。日本画家の川端龍子の作品と高橋龍太郎の現代美術コレクションのコラボ企画をみるためだ。みた後で記念館の向かいに建つ川端龍子の旧宅(写真↑)を見学した。白梅がきれいに咲いていた。帰路、近くの公園で一休みした。お昼時だった。ベンチに座って、往きに買ったどら焼きを食べた。 小さな公園だった。少し離れたベンチに労働者風の二人の男性が腰かけて、缶ビールか缶酎ハイを飲んでいた。とくに話もせずに、のんびり過ごしていた。小さな音でトランジスタラジオをかけていた。わたしは二人を見るともなく見て、「おれにもこんな人生があったかもしれないな」と思った。 わたしは1…

  • 藤岡幸夫/東京シティ・フィル

    藤岡幸夫が東京シティ・フィルを振って仏陀をテーマとする大作2曲を演奏する企画を立てた。昨夜はその第1弾。東京シティ・フィルの定期演奏会で伊福部昭(1914‐2006)の交響頌偈「釈迦」(1989)を演奏した。第2弾は2月20日に都民芸術フェスティバルの一環として貴志康一(1909‐1937)の交響曲「仏陀」(1934)を演奏する。貴志康一の「仏陀」は1934年に貴志康一がベルリン・フィルを振って初演したことで知られる。 伊福部昭の交響頌偈「釈迦」は浄土宗東京教区青年会、東宝ミュージック、ユーメックスの委嘱で書かれた(柴田克彦氏のプログラム・ノートによる)。頌偈は「じゅげ」と読む。「佛の徳を讃え…

  • ポペルカ/N響

    ポペルカがN響に初登場した。1曲目はツェムリンスキーの「シンフォニエッタ」。ツェムリンスキーの作品は好きなのだが、「シンフォニエッタ」は勝手が違った。「抒情交響曲」や「人魚姫」や「フィレンツェの悲劇」にくらべると、リズムが鋭角的で、和声が明るくてモダンだ。わたしは曲に入り込めなかったが、演奏は明快だった。 2曲目はリヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第1番。シュトラウスがまだ10代の若書きだ。人気作ではあるが、わたしは第2番の方がシュトラウスらしくて好きだ。ホルン独奏はバボラーク。相変わらずの名手だ。髪が白くなった。アンコールがあった。甘いメロディーの曲だ。帰りがけにロビーの掲示を見たら、ピ…

  • ツァグロゼク/読響

    ツァグロゼクが指揮した読響の定期演奏会。曲目はブルックナーの交響曲第5番(ノヴァーク版)。第1楽章が始まる。音楽がブツブツ切れる。ゲネラルパウゼが頻繁に入るから当然なのだが、なぜか音楽が流れない。第2楽章もその違和感が残った。わたしの好きな第2主題(弦楽合奏で悠然と歌われる主題)が浮いて聴こえる。 第3楽章スケルツォに入ると、ぎこちなさは消えて、通常運転になったが、トリオのコミカルな味が出ない。同様に、主部に挿入される(トリオに似た)のどかな楽想も、十分には生きない。第4楽章になると力感あふれる演奏が展開して、わたしは圧倒された。第3楽章までは気になっていた演奏スタイルが、第4楽章で一気に実を…

  • 秋山和慶「ところで、きょう指揮したのは?」

    秋山和慶の「ところで、きょう指揮したのは?」(アルテスパブリッシング、2015年)を読んだ。秋山和慶の指揮活動50年を記念して出版された回想録だ。 秋山和慶の逝去にあたり、多くの人が語る「ベルリン・フィルから3度も招聘されたが、東京交響楽団の定期演奏会などの予定が入っていたので、断った」というエピソードも書かれている。秋山和慶の言葉を引用すると―― 「あのとき「秋山はなぜ、要請を断ったのか」と言う評論家がいたそうです。「ばかだな」という声も、回りまわって私の耳に入ってきました。受けていれば、私のその後の人生は変わっていたかもしれません。でも、私には、自分の楽団を放っておいてベルリンに行くことな…

  • 秋山和慶を偲ぶ

    秋山和慶が亡くなった。本年1月1日に自宅で転倒して、重度の頚椎損傷を負った。1月23日に家族の名前で引退が表明された。そのときの発表文によれば、引退は「意識がはっきりしている本人と家族によって十分に話し合われた結果決めたこと」であり、「秋山和慶は、これから厳しいリハビリとの戦いになります」とあった。それから3日後の1月26日に肺炎を起こして亡くなった。享年84歳。 わたしは秋山和慶の生き方に共感していた。秋山和慶は1964年2月に東京交響楽団を指揮してデビューした。当時23歳だった。ところがその翌月に(同年3月26日に)東京交響楽団は解散した。TBSの専属契約が打ち切られたためだ。同年4月9日…

  • 藤岡幸夫/日本フィル(横浜定期)

    藤岡幸夫指揮日本フィルの横浜定期。1曲目は武満徹の組曲「波の盆」。1983年に日本テレビで放映されたドラマ「波の盆」のために武満徹が作曲した音楽を、後に武満徹自身が演奏会用組曲に編曲した。ノスタルジックなテーマが何度か回帰する。ハープとチェレスタとシンセサイザーがアクセントを添える。 演奏はしみじみとした情感を漂わせた。以前、尾高忠明指揮N響が演奏したときは、あまりにも沈んだ情感に、わたしまで沈んだ気分になった記憶がある。今回の演奏ではその点はうまく回避していた。 テレビドラマは倉本聡の脚本、実相寺昭雄の監督によるもの。その年の文化庁芸術大賞を受賞した。ストーリーはハワイの日系移民の第二次世界…

  • ソヒエフ/N響

    ソヒエフ指揮N響の定期演奏会Cプロ。曲目はストラヴィンスキーの組曲「プルチネッラ」とブラームスの交響曲第1番。 組曲「プルチネッラ」は弦楽器が14型の演奏。ちょっと驚いた。これでどういう演奏になるのだろう。案の定、弦楽器は重かった。木管楽器が2管編成で(ただしクラリネットを欠く)、ホルン2本、トランペットとトロンボーンが各1本という金管楽器にくらべて、弦楽器の図体が大きい。結果、この曲の諧謔味が薄れた。 ストラヴィンスキーのスコアには弦楽器の編成の指定はないだろう。では、一般的にはどのくらいの編成で演奏されているのだろう。Wikipediaによると、4‐4‐3‐3‐3とある。たしかにその程度の…

  • 上岡敏之/読響

    読響の定期演奏会。指揮は上岡敏之。曲目はショパンのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏はポゴレリッチ)とショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」。 ホールに入ると、ステージの照明を暗くして、だれかがピアノを弾いている。単純な和音が延々と続く。その人はカラフルなセーターか何かを羽織ってマスクをかけている。顔は分からない。だがポゴレリッチだろう。どこか儀式めいている。やがて女性が近づき、何かをささやく。その人は弾くのをやめて、ステージの袖に引っ込んだ。 その約15分後に開演。ポゴレリッチが登場してショパンのピアノ協奏曲第2番が始まる。テンポは遅めだが、想定内の遅さだ。ポゴレリッチのピアノ独奏は、…

  • ソヒエフ/N響

    ソヒエフ指揮N響のAプロ。曲目はショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」。第1楽章冒頭の「人間の主題」がとくに気負わずに提示される。しっかりと演奏されているが、サクサク進む。続く「平和な生活の主題」は美しいが、そこに余分な感情はこめられていない。そして例の「戦争の主題」。小太鼓のリズムが軽く弾むように始まる(竹島悟史さんの名演だ)。そのリズムに乗って「戦争の主題」が受け渡される。「戦争の主題」なんて呼ばれるから、そうかと思って聴くが、そんな呼び名がなければいかにも楽しそうだ。やがてその楽しさは阿鼻叫喚の場面に変貌する。だがその阿鼻叫喚もわたしには悲痛さが感じられなかった。そしてすべて…

  • 山田和樹/日本フィル

    山田和樹指揮日本フィルの東京定期。1曲目はエルガーの「威風堂々」第1番。日本フィルが良い音で鳴っている。最後は山田和樹が、どこから持ち出したのか、両手に鈴を持って振り鳴らす。最後の音が鳴り終わらないうちに、山田和樹が聴衆に拍手をうながす。わたしは感動した。それでいいのだ。感動したら、最後の音が鳴り終わらなくても、感動を拍手で表現してよいのだと。そんな自由さが懐かしかった。 2曲目はヴォーン=ウィリアムズの「揚げひばり」。ヴァイオリン独奏は周防亮介。全身銀色に輝く衣装を着けて現れた。ポップス音楽のスターのようだ。びっくりした。もちろん演奏は周防亮介らしいナイーヴなもの。とくに最後の、オーケストラ…

  • 高関健/東京シティ・フィル

    新年初めての演奏会。約1か月のブランクだ。年末年始をはさんだ約1か月の間、思いがけず忙しい日々を過ごした。昨年11月から住民運動にかかわり、濃密な日々が続く。相手は行政だ。不誠実な対応にイライラが募る。 約1か月ぶりの演奏会は東京シティ・フィルの定期演奏会。指揮は高関健。1曲目はサン=サーンスのピアノ協奏曲第2番。ピアノ独奏は奥井紫麻(しお)。初めて聴くピアニストだ。2004年5月生まれ。今二十歳だが、すでに立派なコンサート・ピアニストだ。サン=サーンスのこの曲を堂々と造形した。 印象的だったのは、中高音の美しさだ。キラキラした音ではなく、澄んだぬくもりのある音が鳴る。一方、低音は深みに欠ける…

  • ブルックナー随想(3):ブラームス

    ブルックナーのことを考えていると、どうしてもブラームスが気になる。二人の関係は実際のところ、どうだったのだろう。有名なエピソードは1889年10月25日にブルックナーとブラームスが会食した件だ。根岸一美氏の「ブルックナー」(音楽之友社、2006年)(↑)によると、当日はブルックナーのグループが先にレストラン「ツム・ローテン・イーゲル」に着いた。だいぶ遅れてからブラームスのグループが着いた。しばらく沈黙の時が流れた。ブラームスがメニューを取って「そうですなぁ、クネーデルと野菜付きの燻製肉にします。これ、私の好物なので」といった。ブルックナーは「結構ですねえ、ドクター、燻製肉とクネーデル、これは私…

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