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  • ヤノフスキ/N響

    ヤノフスキ指揮N響の定期演奏会。1曲目はシューベルトの交響曲第4番「悲劇的」。前日に下野竜也指揮日本フィルで同じくシューベルトの交響曲第3番を聴いたので、どうしても比較してしまう。両曲は同時期の作品だ。またN響も日本フィルも同じ12型の編成。それなのに出てくる音楽は対照的だった。下野竜也指揮日本フィルが、軽く明るい音でチャーミングなシューベルトを聴かせたのにたいして、ヤノフスキ指揮N響は、重く渋い音でがっしりした骨格のシューベルトを聴かせた。同時期の作品とは思えない違いだ。好みの点ではどうかといえば、それは人それぞれだろう。シューベルトは第4番の後で、小ぶりで愛らしい第5番を書いたので、下野竜也指揮日本フィルの演奏スタイルのほうがシューベルトの創作のうえで連続性がある。一方、ヤノフスキ指揮N響の演奏は、ヤ...ヤノフスキ/N響

  • ヤノフスキ/N響

    ヤノフスキ/N響

    ヤノフスキ指揮N響の定期演奏会。1曲目はシューベルトの交響曲第4番「悲劇的」。前日に下野竜也指揮日本フィルで同じくシューベルトの交響曲第3番を聴いたので、どうしても比較してしまう。両曲は同時期の作品だ。またN響も日本フィルも同じ12型の編成。それなのに出てくる音楽は対照的だった。下野竜也指揮日本フィルが、軽く明るい音でチャーミングなシューベルトを聴かせたのにたいして、ヤノフスキ指揮N響は、重く渋い音でがっしりした骨格のシューベルトを聴かせた。同時期の作品とは思えない違いだ。好みの点ではどうかといえば、それは人それぞれだろう。シューベルトは第4番の後で、小ぶりで愛らしい第5番を書いたので、下野竜也指揮日本フィルの演奏スタイルのほうがシューベルトの創作のうえで連続性がある。一方、ヤノフスキ指揮N響の演奏は、ヤ...ヤノフスキ/N響

  • 下野竜也/日本フィル

    下野竜也/日本フィル

    下野竜也が指揮する日本フィルの定期演奏会。1曲目はシューベルトの交響曲第3番。なんて明るく軽い音だろう。ステージの照度が一段上がったようだ。下野竜也も日本フィルも、いつの間にかこういう音が出せるようになったのだ。加えて、フレーズの区切りが明確で、呼吸感がある。それは若いころからの下野竜也の美質だ。それが柔らかく、ニュアンス豊かになってきた。結果、チャーミングなシューベルトが繰り広げられた。個々の奏者では、第3楽章のトリオでオーボエの杉原さんとファゴットの田吉さんが好演した。それは演奏全体に華を添えた。2曲目はブルックナーの交響曲第3番(1877年第2稿、ノヴァーク版)。弦楽器は1曲目のシューベルトが12型だったのに対して16型に拡大された。そうか、1曲目のシューベルトが軽い音だったのは、2曲目のブルックナ...下野竜也/日本フィル

  • 舟越桂の逝去

    舟越桂の逝去

    彫刻家の舟越桂が3月29日に亡くなった。72歳。肺がんだった。わたしは迂闊にも、その訃報で初めて、舟越桂がわたしと同い年だったことを知った。そうだったのか……と。なので、なおさら逝去が身にしみた。わたしが初めて舟越桂の作品を見たのは、2005年、ハンブルクでのことだった。ハンブルクにはオペラを観に行った。日中は暇なので、郊外のバルラッハ・ハウスを訪れた。バルラッハはドイツの彫刻家だ。ケーテ・コルヴィッツと同様に、ユダヤ人ではないが、ナチスに迫害された。わたしはバルラッハの作品が好きなので、期待して出かけた。ところが着いてみて驚いた。舟越桂という日本人の彫刻家の展覧会が開かれていた。バルラッハの作品と舟越桂の作品が並んで展示されていた。そのときは、バルラッハの作品を見に来たのに日本人の作品を見るのかと、正直...舟越桂の逝去

  • カンブルラン/読響

    カンブルラン/読響

    カンブルラン指揮読響の定期演奏会。カンブルランが読響の常任指揮者を退任したのは2019年3月だ。その後、2022年10月と2023年12月にカンブルランが読響を振るのを聴いた。今回で3度目だ。前回までの軽い身のこなしと、常任指揮者時代と変わらない引き締まった音から、今回は少し変わったと感じる。1曲目はマルティヌーの「リディツェへの追悼」。冒頭の音が恐ろしいほど暗く不穏に鳴った。その一撃でチェコの小村リディツェで起きた悲劇を描き尽くすようだ。カンブルランはこれほど表現的だったろうかと。その後の追悼の音楽はむしろ温かい音色でヒューマンだ。カンブルランがこの曲を選んだ気持ちがわかる気がする。2曲目はバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番。ヴァイオリン独奏は金川真弓。かねてから評判をきくにつけて、早く聴いてみたいと...カンブルラン/読響

  • 戦雲

    戦雲

    ドキュメンタリー映画「戦雲」(いくさふむ)。タイトルの「戦雲」は石垣島に伝わる歌の言葉だ。「また戦雲(いくさふむ)が湧き出してくるよ。恐ろしくて眠れない」という内容だ。本作品は三上智恵監督が2015年から8年間にわたり撮り続けた映像を編集したもの。なんのストーリーも想定せずに、宮古島、石垣島そして与那国島に暮らす人々の日常を撮り続けた。急速に軍事化が進むそれらの島々で、人々は不安をかかえ、憤りをおぼえ、それでも慎ましい日々の生活を送る。そんな人々を撮り続けた。スクリーンからは三上監督の共感のこもった眼差しが感じられる。人々はマイクをもって自衛隊に訴える。「私たち住民は、戦争になったら、もしかすると避難することができるかもしれない。でもあなたたちは逃げられないんですよ」と。命が軽んじられるのは住民も自衛隊員...戦雲

  • 原田慶太楼/東響

    原田慶太楼/東響

    原田慶太楼指揮東響の定期演奏会。1曲目は藤倉大の「WaveringWorld」。シアトル交響楽団からの依頼で「シベリウスの交響曲第7番と共演できる作品」(藤倉大自身のプログラムノート)として作曲された。透明感のある弦楽器の音が飛び交う曲だ。その音は銀色に輝くように感じられる。藤倉大の鮮度のよい音の典型だ。弦楽器の音が交錯する中で木管楽器がうごめき、金管楽器が咆哮する。シベリウス的だ。途中からティンパニの強打が始まる。それがずっと続く。ほとんどソロ楽器のようだ。本作品は天地創造のイメージから発しているらしいが(上記のプログアムノートより。ただし天地創造はキリスト教の創世記からではなく、フィンランド神話、日本神話などからインスピレーションを得た藤倉大独自のもの)、ティンパニ・ソロは天地創造の登場人物を表すとい...原田慶太楼/東響

  • かづゑ的

    かづゑ的

    瀬戸内海の島にたつ国立ハンセン病療養所「長島愛生園」。宮崎かづゑさんは10歳のときに入所した。90歳を超えたいまもそこで暮らす。映画「かづゑ的」は宮崎かづゑさんの日常を追ったドキュメンタリー映画だ。冒頭、かづゑさんが電動カートに乗ってスーパーにむかう。顔見知りの店員さんに声をかける。陳列棚から果物や野菜を取り、かごに入れる。だがその動作が大変だ。かづゑさんには両手の指がない。指のない手で商品を取るのは難しい。両腕でかかえるようにして取る。レジに行く。店員さんが財布を開けてお金を出す。指がないと財布を開けることも、お金を出すこともできない。わたしは冒頭のその場面で「可哀想だな」と思ってしまった。そう思ったわたしのなんと浅はかだったことか。かづゑさんの明るく前向きな生き方が、以後、わたしの同情心を打ち砕く。同...かづゑ的

  • ポリーニ追悼

    ポリーニ追悼

    ポリーニが亡くなった。82歳だった。一時代を画したピアニストだった。多くの方がSNSで追悼の言葉をささげている。わたしはファンの多さに圧倒された。わたしが初めてポリーニを聴いたのは1974年の初来日のときだ。会場は東京厚生年金会館だった。プログラムの中にシューベルトの「さすらい人」幻想曲とショパンの「24の前奏曲」があった(その他にもう1曲あったような気がする)。「さすらい人」幻想曲の音のやわらかさと「24の前奏曲」の息をのむような完璧さに鮮烈な印象を受けた。もしも神様がわたしに「いままで聴いた演奏会の中でひとつだけもう一度経験させてやる」といったら、あの演奏会を選ぶかもしれない。わたしは当時大学生だった。ポリーニの名前を知ったのは、吉田秀和の著書でその名前を見かけたからだ。懐かしいので引用すると――「も...ポリーニ追悼

  • リープライヒ/日本フィル

    リープライヒ/日本フィル

    アレクサンダー・リープライヒが(コロナ禍での中断後)久しぶりに日本フィルに客演した。1曲目は三善晃の「魁響の譜」(かいきょうのふ)。1991年の作曲なので、脂が乗りきった時期の作品だ。4管編成が基本のオーケストラ編成だ。三善晃の作品の中では最大規模の編成ではないだろうか。冒頭の暗く混沌とした響きから、武満徹を思わせる甘美な音色があらわれ、アルバン・ベルクのような練れた音楽があらわれたかと思うと、疾駆する音楽があらわれる。広瀬大介氏のプログラムノートに引用された三善晃のインタビュー記事に「今回の作品(注:「魁響の譜」)において、私の語法の論理を使いきったと思います」(岡山シンフォニーホール友の会会報『フリューゲル』インタビュー記事、1991年)とある。たしかに当時の渾身の作品かもしれない。演奏は気合の入った...リープライヒ/日本フィル

  • 新国立劇場「トリスタンとイゾルデ」

    新国立劇場「トリスタンとイゾルデ」

    新国立劇場の「トリスタンとイゾルデ」。当初予定されたトリスタン役とイゾルデ役の歌手がキャンセルして、わたしには未知の歌手が代役に立った。がっかりしたが、代役の歌手が役目を果たした。わたしもそうだが、劇場側もホッとしたことだろう。代役に立った歌手は、まずトリスタン役はゾルターン・ニャリ。個性的な声だが、歌はしっかりしている。第3幕のモノローグもメリハリがある。イゾルデ役はリエネ・キンチャ。第1幕の長丁場は緊張感を欠いたが、第3幕の「愛の死」は抑揚に富む。繰り返すが、総じて2人とも及第点だ。多少脱線するが、この作品はトリスタンとイゾルデの半音階を駆使した音楽と、クルヴェナールの跳躍の多い音楽と、マルケ王の動きの乏しい音楽との3種類の音楽からなる。わたしはだんだんクルヴェナールの音楽が好きになる自分に気付く。そ...新国立劇場「トリスタンとイゾルデ」

  • 森美術館「私たちのエコロジー」展

    森美術館「私たちのエコロジー」展

    森美術館で開かれている「私たちのエコロジー」展は、環境問題に向き合う現代アートを集めた展覧会だ(3月31日まで)。上掲の画像(↑)の左半分はモニカ・アルカディリの「恨み言」。青い部屋に白い球が浮く。海に浮かぶ真珠をイメージしている。美しい。だが小さな声が聞こえる。「海は全てを暴いてしまう。強い呪いの力で。海に住むものとして、私は呪われた人生を送ってきた。呪われるとは、隠された事実を垣間見ることだ。(以下略)」と。真珠が呟いているのだ。アルカディリは1983年生まれ。ベルリン在住、クウェート国籍。ペルシャ湾岸は古代メソポタミア時代から天然真珠の産地だった。20世紀初頭に日本の養殖真珠によって駆逐された。声はその恨み言だ。本展では上記の「恨み言」をはじめ国内外の34人のアーティストの作品が展示されている。現代...森美術館「私たちのエコロジー」展

  • マリー・ジャコ/読響

    マリー・ジャコ/読響

    マリー・ジャコが読響の定期を振った。1990年パリ生まれ。2023年からウィーン響の首席客演指揮者、24年からデンマーク王立歌劇場の首席指揮者、25年からケルン放送響の首席指揮者に就任。ヨーロッパのメジャーなポストを席巻中だ。プログラムは20世紀前半の特徴ある曲を並べたもの。1曲目はプロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」組曲。カラフルな音色で鮮やかな演奏だ。明るい感性が息づいている。力みなくオーケストラを鳴らす。集中力が途切れない。指揮者としての力量の発露が感じられる。それにしてもこの曲は面白い曲だ。プロコフィエフはオペラというジャンルにじつに手の込んだ音楽を書いたものだと感嘆する。わたしは一度このオペラを観たことがある(ベルリンのコーミッシェオーパーでアンドレアス・ホモキの演出だった)。音楽もストーリ...マリー・ジャコ/読響

  • 高関健/東京シティ・フィル

    高関健/東京シティ・フィル

    高関健指揮東京シティ・フィルの定期。チケットは完売になった。曲目はシベリウスの交響詩「タピオラ」とマーラーの交響曲第5番。同時代を生きたシベリウスとマーラーだが、オーケストラ書法は対照的だ。音を切り詰めてラジカルな簡素化に向かったシベリウスと、音を複雑化して前代未聞の肥大化に向かったマーラー。その対比は興味深いが、それにしてもチケット完売はすごい。高関健と東京シティ・フィルの評価が上がっているからだろう。シベリウスの「タピオラ」は時に鋭角的な音を交えながら、すべての音を明確に示す演奏だ。オーケストラが沈黙すると思っていた部分でホルンが鳴っていたり、弦楽パートの意外な絡み合いがあったり、「なるほどこの曲はこう書かれているのか」と新鮮に聴いた。言い換えれば、茫漠とした北欧情緒で聴かす演奏ではなかった。たぶん高...高関健/東京シティ・フィル

  • 秋山和慶/新日本フィル

    秋山和慶/新日本フィル

    友人からチケットをもらったので、新日本フィルの定期演奏会を聴いた。指揮は秋山和慶。1曲目は細川俊夫の「月夜の蓮―モーツァルトへのオマージュ―」。わたしは初めて聴く曲だ。相場ひろ氏のプログラムノートによれば、2006年にモーツァルトの生誕250年を記念して北ドイツ放送局の委嘱により書かれた曲だ。「モーツァルトのピアノ協奏曲から好きな曲を1曲挙げ、それと同様の楽器編成を用いて演奏することができるように」という依頼だった。細川俊夫はピアノ協奏曲第23番を選んだ。たしかに曲の最後にモーツァルトのピアノ協奏曲第23番の第2楽章が出てくる。モーツァルトが書いた音楽の中でももっとも甘美な音楽だ。「月夜の蓮」は、産みの苦しみと、開化の直後の晴れやかな静けさを感じさせる音楽だ(ホルン協奏曲「開花の時」(2011年)に通じる...秋山和慶/新日本フィル

  • 東京都美術館「印象派 モネからアメリカへ」展

    東京都美術館「印象派 モネからアメリカへ」展

    東京都美術館で開催中の「印象派モネからアメリカへ」展は、印象派の絵画がヨーロッパ各地、アメリカそして日本にどのように伝わったかを辿る展覧会だ。展示作品のほとんどはアメリカのウスター美術館の所蔵品。ウスターはマサチューセッツ州の(ボストンに次ぐ)第二の都市だ。コロー、ピサロ、モネの上質の作品が来ている。それぞれの画家のエッセンスが凝縮されたような作品だ。どれもウスター美術館の所蔵品。本展のHP(↓)に画像が掲載されている。だがもっとも感銘を受けたのは、アメリカ印象派の作品だ。初めて名前を知る画家たちの作品が新鮮だ。なかでもメトカーフ(1858‐1925)の「プレリュード」とグリーンウッド(1857‐1927)の「雪どけ」は、本展の白眉だった。「プレリュード」は早春の山野を描く。木々の芽吹きと若草が目にやさし...東京都美術館「印象派モネからアメリカへ」展

  • インバル/都響

    インバル/都響

    インバル指揮都響のマーラーの交響曲第10番(デリック・クック補筆版)。わたしが聴いたのは2日目だ。SNSを見ると、1日目の演奏には辛口の意見が散見される。だが少なくとも2日目の演奏は、伝説的な名演の誕生と思われた。冒頭のヴィオラの音がクリアーで、かつ潤いがある。首席の店村さんの、これが最後のステージだと思ったからかもしれないが、いつまでも記憶に残りそうな音だ。その音が端的に示すように、第1楽章を通して、弦楽器の各パートの、明瞭に分離し、かつしっとりした音色が続いた。例の不協和音のところも、絶叫調にならずに(音が濁らずに)、けれども衝撃力をもって鳴った。その直後のトランペットのA音の持続は悲痛でさえあった。わたしはコロナ禍以前には、長年都響の定期会員だった。コロナ禍以後は継続しなかったが、単発的に聴いていた...インバル/都響

  • PERFECT DAYS

    PERFECT DAYS

    映画「PERFECTDAYS」を観た。映画を観るのは久しぶりだ。昨年は映画を観なかった。観たい映画はいくつかあったが‥。「PERFECTDAYS」は昨年12月に封切になったので、もう1か月以上続いている。今でもかなりの入りだ。話題作なのでプロットを紹介するまでもないだろう。一言でいえば、ドロップアウトした人の話だ。名前は平山という。恵まれた家に生まれたようだが、父親と対立して家を出た(詳しくは描かれない)。その後どういう経緯をたどったかはわからない。ともかく今は下町の老朽化したアパートに住み、公衆トイレの清掃員をしている。貧しいが、自由だ。自由の代償は貧しさと孤独だが、平山は自由を選んだ。親ガチャとは正反対の生き方だ。そんな生き方を描く映画を多くの人が観る。なぜだろう。みんな心の底ではそんな生き方に憧れて...PERFECTDAYS

  • カサド/N響

    カサド/N響

    パブロ・エラス・カサド指揮N響の定期Bプロ。スペイン・プログラムだ。1曲目はラヴェルの「スペイン狂詩曲」。冒頭のヴィオラを主体にした弦楽器の音が美しい。音の層が透けて見えるようだ。2曲目はプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番。ヴァイオリン独奏はアウグスティン・ハーデリヒ。1984年生まれ。両親はドイツ人だがイタリアで生まれたと、プロフィールにある。わたしは初めて聴くヴァイオリニストだ。並みの才能ではないようだ。一時のスター演奏家のように人一倍大きく張りのある音で弾くタイプではない。繊細な音が目まぐるしく動く。自由闊達に音楽の中で動きまわる。天性の音楽性の持ち主のようだ。カサド指揮のN響もそのヴァイオリンによく付けていた。抑制され、しかも俊敏な音だ。ヴァイオリン独奏のスタイルと齟齬がない。プロコフィエフ...カサド/N響

  • 追悼 小澤征爾

    追悼 小澤征爾

    小澤征爾が亡くなった。1951年生まれのわたしは、中学生のころからクラシック音楽に夢中になったが、小澤征爾は当時のわたしのアイドルだった。音楽雑誌に載った小澤征爾の写真を切り抜き、大切にしていた。小澤征爾の演奏は何度か聴いた。もっとも記憶に残っているのは、分裂前の日本フィルを振ったシューベルトの「未完成」交響曲とバーンスタインの「ウエストサイド物語」からのシンフォニック・ダンスの演奏だ。「未完成」交響曲の、集中力のある、しなやかな演奏に魅了された。異様な体験だったのは、日本フィルの分裂直前のマーラーの「復活」交響曲の演奏だ。テンションが極限状態に高まり、音楽が崩壊する瀬戸際の演奏だった。日本フィルの分裂という異常事態を前にして、音楽以外の要素が諸々入りこんだ演奏だっただろう。しかしそれも人の営みとしての音...追悼小澤征爾

  • 山田和樹/読響:小澤征爾追悼演奏「ノヴェンバー・ステップス」

    山田和樹/読響:小澤征爾追悼演奏「ノヴェンバー・ステップス」

    山田和樹指揮読響の定期演奏会は、忘れられない演奏会になった。プログラムは3曲あった。2曲目に武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」があった。それが始まる前に山田和樹がマイクをもって登場した。どうやら小澤征爾が亡くなったらしい。「ノヴェンバー・ステップス」の演奏は小澤征爾に捧げるとのことだった(マイクを通した声がホールに反響して、細部はよく聴こえなかったが)。「ノヴェンバー・ステップス」の演奏は一種特別なものだった。オーケストラが完璧なピッチで鮮明に鳴った。この曲のオーケストラ部分は断片的な音楽だが、その音楽に今までこの曲では聴いたことがないような色彩感があった。そしてオーケストラが独奏楽器の尺八と琵琶に耳を傾け、沈黙し、ついには圧倒されるドラマが浮き上がった。尺八は藤原道山、琵琶は友吉鶴心。この曲の第一世代...山田和樹/読響:小澤征爾追悼演奏「ノヴェンバー・ステップス」

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