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石ころ https://blog.goo.ne.jp/bachan-no-1

日々の聖書通読から、聖霊のお導きによって気づかせられたことや、 新しく教えられたことなどを書いて居ます。 それは今日を生きるための知恵となり、失敗からの守りとなります。 また、不意な出来事に対して、予め備えてくださる言葉でした。

ムベ
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2016/04/03

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  • 愛と聖絶 ②(申命記11章)

     こうしてアナク人は、イスラエルの子らの地には残らなかった。ただガザ、ガテ、アシュドデに残るのみとなった。ヨシュアはすべて主がモーセに告げられたとおりに、その地をことごとく奪い取った。ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族への割り当てにしたがって、相続地としてイスラエルに与えた。そして、その地に戦争はやんだ。(22~23) 今聖絶の神は平和の神として、キリストの救いを信じる者うちに住んでいてくださる。聖であり義であり、また完全な愛である神が、未だ肉を纏っている者のうちに住んでいてくださるとは、なんと驚くべき奇跡であろう。 それはキリストの十字架のあがないが、神の御前に完璧な執り成しであり、神の聖と義を完全に満たしたからであって、一ミリも人の行いに拠ることではなく、キリストに対する信頼に拠ることである。 これ...愛と聖絶②(申命記11章)

  • 愛と聖絶①(申命記11章)

     ヨシュアはこの全地、すなわち、山地、ネゲブの全地域、ゴシェンの全土、シェフェラ、アラバ、イスラエルの山地とそのシェフェラを奪い取った。彼は、セイルへ上って行くハラク山から、ヘルモン山のふもとの、レバノンの谷にあるバアル・ガドまでを攻め取った。その王たちをことごとく捕らえ、彼らを討って殺した。(16~17) 彼らは天地創造の神の地に住みながら神に逆らって地を汚した。ヨシュアはそれらを神の御支配に取り返し、その地の汚れをきよめたのである。 今主は信じる者のうちを、キリストの十字架の血潮できよめて住んでいてくださる。新しくされたキリスト者は、魂のうちに古くから住みついている諸々の誘惑や、苛立つよこしまな思いを、聖霊の導きの中で排除して、主のものである自身を、魂を霊に従わせる戦いのうちに明け渡して行くのである。...愛と聖絶①(申命記11章)

  • 今日の歌(2024.04.24)

     友よりラインあり「在宅を確かめて、お電話しようと思って・・」分かる分かる。私はやっとスマホの電話を、失敗なく受けられるようになったの。 昔メールをするたびに「届いた?」と電話をしたものだった。そのような年代を生きて来た仲間、何時までも元気でいてね。お互いに夫に先立たれて、命の脆さを経験しているから・・ 雨の中でどんどん大きくなるかぼちゃの葉っぱにビビッている。初めてかぼちゃ苗を植えて、ぐんぐん大きくなるのを楽しんでいたが、今はちょっと怖気づいている私。 初めてのことは何時でもワクワクとドキドキ・・沢山の楽しさと恐ろしさを味わって来た。まだまだ知らないことばかりで、生きている限り続くワクワクとドキドキ今日の歌(2024.04.24)

  • 今日の唄(2024.04.23)

     かぼちゃ苗めきめきと音聞ゆごと葉を増してゆき我驚かす 土いじり砂場遊びの心して思いつくまま花も野菜も今日の唄(2024.04.23)

  • 恐れてはならない(ヨシュア記11章)

     ヨシュアはカデシュ・バルネアからガザまで、および、ゴシェンの全土をギブオンに至るまで討った。これらすべての王たちと彼らの地を、ヨシュアは一度に攻め取った。イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたからである。ヨシュアは全イスラエルとともにギルガルの陣営に戻った。(10:41~43) イスラエルのために戦われる神と共にいて、勝利をたまわったときヨシュアの兵はみな無事であった。彼らは五人の王とその民を聖絶して神に逆らう罪をきよめた。 ハツォルの王ヤビンはこのことを聞いて、マドンの王ヨバブ、シムロンの王、アクシャフの王、また、北方の山地、キネレテの南のアラバ、シェフェラ、西方のドルの高地の王たち、すなわち、東西のカナン人、アモリ人、ヒッタイト人、ペリジ人、山地のエブス人、ヘルモンのふもと、ミツパの地のヒビ...恐れてはならない(ヨシュア記11章)

  • 勇者の選択② (ヨシュア記10章)

     ギブオンの人々はヨシュアのところ、ギルガルの陣営に人を遣わして言った。「しもべどもから手を引かないで、急いで私たちのところに上って来て、私たちを救い、助けてください。山地に住むアモリ人の王たちがみな、私たちに向かって集まっているのです。」ヨシュアはすべての戦う民たちとすべての勇士たちとともに、ギルガルから上って行った。(6~7) ヨシュアは躊躇せずに助けに出て行った。神がギブオンの味方となられたからである。神が味方か、逆らって神を敵とするかは、人が選択したことであった。ヨシュアの厳しい聖絶戦の前に、ギブオンが出て来ることは非常に大切な教えである。  主の御わざを聞いていながら、神の民に立ち向かって来ることは、ギブオンの真逆の行為であり、その傲慢によって自ら聖絶の者となったのである。ラハブも家族ともども主...勇者の選択②(ヨシュア記10章)

  • 勇者の選択①(ヨシュア記10章)

     エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、エリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らのただ中にいることを聞いた。彼とその民は非常に恐れた。ギブオンが王国の都の一つのように大きな町であり、またアイよりも大きく、そこの人々がみな勇士だったからである。(1~2) 此処でギブオンが、何処よりも弱くて戦いを避けたのではないことがわかる。彼らはイスラエルの神を悟り、自分たちの力を正しく計算をしたのである。勇者は自分の力を知る者であり、自身の弱さを弁える者が全能の神を頼っていのちを救うのである。 神は、自分自身を救うことが出来ない弱さのうちに、御子キリストをおくってくださった。キリストが罪に病む者に来てくださったのは、神の愛に...勇者の選択①(ヨシュア記10章)

  • 今日の歌(2024.04.10)

     麦の風穂先さわさわ平和なり 幼き日駆けし畦道麦畑今のんびりと思い出歩む今日の歌(2024.04.10)

  • 神の懐に入れ(ヨシュア記9章)

     ヨシュアは彼らと和を講じ、彼らを生かしておく盟約を結んだ。会衆の上に立つ族長たちは彼らに誓った。彼らと盟約を結んでから三日たったとき、人々は彼らが近くの者たちで、自分たちのただ中に住んでいるということを聞いた。(15~16) ヨシュアは見たから誓ったのである。その結果が良かろうと悪かろうと、目で見たことはその場の事であり、誓うことは何時までも続くことなので釣り合わないことをしたのだ。でも、なぜか人は「この目で見たのだから、これほど確かなことは無い」と言うのである。真実はたった三日後に判明する。肉の耳が「聞く」と言うことも、どこまで真実であるか不確かなものであるが、この時は事実を暴露した。それは、初めにヨシュアたちが予想したことであった。 キリスト者には聖霊なる神が霊のうちに居てくださる。しかし、聖霊によ...神の懐に入れ(ヨシュア記9章)

  • 見える罠(ヨシュア記9章)

     ギブオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイに対して行ったことを聞くと、彼らもまた策略をめぐらし、変装をした。古びた袋と、古びて破れて継ぎ当てをしたぶどう酒の皮袋をろばに負わせ、彼らはギルガルの陣営のヨシュアのところに来て、彼とイスラエルの人々に言った。「私たちは遠い国から参りました。ですから今、私たちと盟約を結んでください。」(3~4.6) ギブオンの策略は聖絶から生きのびるための唯一の策であり、イスラエルの神を恐れてのことであった。 イスラエルの子らはそのヒビ人たちに言った。「おそらく、あなたがたは、私たちのただ中に住んでいるのだろう。どうして私たちがあなたがたと盟約を結べるだろうか。」(7) イスラエルの子らはヒビ人の策略に気づかないわけではなかった。そのことは充分に考えられることであったから。 ...見える罠(ヨシュア記9章)

  • 燃えさし(ゼカリヤ書3章)

     主は、主の使いの前に立っている大祭司ヨシュアを私にお見せになった。サタンが彼を訴えようとしてその右手に立っていた。(1) 神の使いの前に引き出されて立っている大祭司ヨシュア。ゼカリヤが見せられた場面は、サタンがヨシュアを裁く裁判であった。 主はサタンに言われた。「サタンよ、主がおまえをとがめる。エルサレムを選んだ主が、おまえをとがめる。この者は、火から取り出した燃えさしではないか。」(2) 神はエルサレムを選ばれたように、ヨシュアもリーダーとして選ばれた。此処に神の権威が存在しており、サタンはヨシュアを選んだ神を訴えているのだ。ヨシュアはきよめの火の中にある者であって、そこから取り出して訴えるのかと、神はサタンの行いを裁かれる。 すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前...燃えさし(ゼカリヤ書3章)

  • 今日の歌(2024.04.08)

     ポチポチと芽吹く双葉に花を見る日の近き未来よ 花洗う雨に煙りて静かなりこれも桜よ我も安らう今日の歌(2024.04.08)

  • 恐れてはならない ①(ヨシュア記8章)

     主はヨシュアに言われた。「恐れてはならない。おののいてはならない。戦う民をすべて率い、立ってアイに攻め上れ。見よ、わたしはアイの王と、その民、その町、その地をあなたの手に与えた。(1) 失敗の後悔の中に閉じこもり、恐れていては従順することは出来ない。主は「恐れてはならない」と言われた。立ち上がる勇気はみことばに信頼するときにたまわる。主はヨシュアにアイを与えたと言われた。それがすべてであり人がどのように変わったかではない。弱さのすべてをご存じの主の備えによって、神の栄光があらわれるのである。 すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。(ローマ11:36) あなたがエリコとその王にしたとおりに、アイとその王にもせよ。その分捕り物と家畜だけ...恐れてはならない①(ヨシュア記8章)

  • 家族の救いと家族の滅び(ヨシュア記7章)

     だから、イスラエルの子らは敵の前に立つことができず、敵の前に背を見せたのだ。彼らが聖絶の者となったからである。あなたがたの中から、その聖絶の物を滅ぼし尽くしてしまわないなら、わたしはもはやあなたがたとともにはいない。(12) 主はヨシュアに、今イスラエルがどのような立場にあるかを知らされる。アイの戦いには主は居られず、イスラエルが「聖絶のものとなっていた」ことをヨシュアは知った。 世はキリスト者に相応しい所ではなく、サタンが支配を横取りしている世界であって、キリスト者には敵地である。その世に生きる時にキリスト者が最も注意を払うことは、日毎に確認することであって、神が共にいてくださるかということである。 神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ8:31) 立て。民を聖別せよ。...家族の救いと家族の滅び(ヨシュア記7章)

  • 今日の歌(2024.04.03)

     タンポポ一輪取り残す雑草引き ラインにて友より届く写真には春を分かちて親しみし花今日の歌(2024.04.03)

  • なぜひれ伏しているのか ②(ヨシュア記7章)

     主はヨシュアに告げられた。「立て。なぜ、あなたはひれ伏しているのか。(10) 主はヨシュアに何ゆえにひれ伏しているのかと問われる。それは天地創造の神を恐れる者の絶えざる礼拝なのか、失敗の罰を恐れてなのか、何を得ようとしてなのか・・。ヨシュアは今、訳も分からないままにひれ伏している時ではなく、早急にみこころを行わなければならない。 イスラエルは罪ある者となった。彼らはわたしが命じたわたしの契約を破った。聖絶の物の一部を取り、盗み、欺いて、それを自分のものの中に入れることまでした。(11) アカンの罪は、今やイスラエル全体を汚し主に受け容れられないものとした。イスラエルは神にとって一つの愛の対象であり、リーダーを通しての交わりの対象である。 それゆえ主の命令に背く一人の罪は、全体を汚すパン種の侵入であり、神...なぜひれ伏しているのか②(ヨシュア記7章)

  • なぜひれ伏しているのか ①(ヨシュア記7章)

     主がヨシュアとともにおられたので、彼のうわさはこの地にあまねく広まった。(6:27)しかし、イスラエルの子らは聖絶の物のことで主の信頼を裏切った。ユダ部族のゼラフの子ザブディの子であるカルミの子アカンが、聖絶の物の一部を取った。それで、主の怒りがイスラエルの子らに向かって燃え上がった。(1) アカンの盗みは主を烈しく怒らせた。主の聖絶を汚したからである。多くの命を奪わなければならないほどの神の聖さを侮ったのである。聖なる神のうちに在るには、完全な従順拠らなければ身を守るものはない。アカンの裏切りは、イスラエル全体を汚して主の怒りをかってしまった。 キリストを信じている者には、過去、現在、未来すべての失敗や罪を、御子キリストが十字架で贖ってくださった故に、信頼する者に神との平和と永遠のいのちを頂いているの...なぜひれ伏しているのか①(ヨシュア記7章)

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