「その3」のつづきです。南城Ⅶ郭を過ぎて、高い切岸の段郭を数段登って南下し、Ⅵ郭の北側下の段まできました。 Ⅳ郭北の段郭。 ここで縄張り図を載せます。引用...
今回は兵庫県芦屋市の鷹尾城です。芦屋市といえば高級住宅地として知られていますが、その北側の標高262.1mの城山に、中世の山城跡があります。 その高級住宅...
2024年の大河ドラマ『光る君へ』が終わりましたね。昨年の『どうする家康』まで15年間、当ブログで大河の解説レビューを素人なりにやってきましたが、今年はと...
伊賀国・百地丹波城攻城記。 その3 <青雲寺・丸型池・式部塚>
「その2」のつづきです。「その1」で主郭西側から見た青雲寺にやってきました。ここも、かつては百地丹波城の郭だったところです。 青雲寺です。 ここで、また縄...
「その1」のつづきです。百地丹波城の主郭である郭Cから、東の郭Bに向かいます。 写真は主郭の北東虎口。高い土塁をぶち抜いた美しいV型の切通虎口です。 ここ...
今回は三重県伊賀市の百地丹波城です。百地砦とか百地城などとも呼ばれますが、戦国時代、藤林氏や服部氏と並んで伊賀上忍三家と称された百地氏によって築かれた城と...
今回は三重県鈴鹿市の神戸城です。神戸城はその名のとおり、中世においては神戸氏の居城で、江戸時代には神戸藩の藩庁が置かれました。現在、城跡は公園として整備さ...
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「その3」のつづきです。南城Ⅶ郭を過ぎて、高い切岸の段郭を数段登って南下し、Ⅵ郭の北側下の段まできました。 Ⅳ郭北の段郭。 ここで縄張り図を載せます。引用...
「その2」のつづきです。南城エリア北側の段郭を南へ進んできました。 Ⅸ郭北側の堀切と土橋D。美しいプロポーションの土橋です。 土橋横の堀切。 土橋を渡って...
「その1」のつづきです。北城エリアを制覇したので、南城に向かいます。 南城の北側も、北城と同じような段郭が数段つづきます。 楽々前城の城主・垣屋氏は但馬国...
今回は但馬国、楽々前城です。難読で有名な城ですが、「ささのくまじょう」と読みます。「らくらくまえじょう」ではありません。 兵庫県北部を北流して日本海に注ぐ...
五箇城を下山した時点で17時。この日は他にも3城ほど縄張り図を持ってきていたのですが、五箇城が思いのほか時間がかかってしまい想定を大幅に推してしまいました...
「その1」のつづきです。丹後国最大級の城域を誇る五箇城だけに、範囲が広い!ようやく城域の南側にやってきました。 主郭南の大堀切からさらにその南側の二重堀切...
丹後国最大級の城域を誇る五箇城にやってきました。五箇城は慶徳寺の西背後に聳える標高約130m(比高約80m)の山上に築かれた山城で、南北に続く尾根上に約7...
前稿で攻略した吉原山城の麓に、江戸時代の峰山藩の陣屋跡があります。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後に細川氏が豊前小倉へ移封となると、関ケ原の功で京極...
今回は京丹後市峰山町吉原にある吉原山城です。吉原山城は標高180m程の吉原山(権現山)に築かれていた山城。丹後国守護職の一色氏に従っていた有力国人の吉原氏...
今回は京丹後市峰山町吉原にある吉原山城です。吉原山城は標高180m程の吉原山(権現山)に築かれていた山城。丹後国守護職の一色氏に従っていた有力国人の吉原氏...
上常吉城から直線距離でにして300mほど北東に、下常吉城があります。上常吉城の北郭から尾根鞍部を伝って行くことも可能だったようですが、この日は一旦下山して...
京丹後市大宮町上常吉の経典寺の裏山(標高138m)にある上常吉城を攻めます。少し前まではあまり知られていなかったマイナー城でしたが、昨今は山城ファンの中で...
今回は兵庫県芦屋市の鷹尾城です。芦屋市といえば高級住宅地として知られていますが、その北側の標高262.1mの城山に、中世の山城跡があります。 その高級住宅...
2024年の大河ドラマ『光る君へ』が終わりましたね。昨年の『どうする家康』まで15年間、当ブログで大河の解説レビューを素人なりにやってきましたが、今年はと...
「その2」のつづきです。「その1」で主郭西側から見た青雲寺にやってきました。ここも、かつては百地丹波城の郭だったところです。 青雲寺です。 ここで、また縄...
「その1」のつづきです。百地丹波城の主郭である郭Cから、東の郭Bに向かいます。 写真は主郭の北東虎口。高い土塁をぶち抜いた美しいV型の切通虎口です。 ここ...
今回は三重県伊賀市の百地丹波城です。百地砦とか百地城などとも呼ばれますが、戦国時代、藤林氏や服部氏と並んで伊賀上忍三家と称された百地氏によって築かれた城と...
今回は三重県鈴鹿市の神戸城です。神戸城はその名のとおり、中世においては神戸氏の居城で、江戸時代には神戸藩の藩庁が置かれました。現在、城跡は公園として整備さ...
「その2」のつづきです。伊勢亀山城本丸の北西にある二ノ丸帯曲輪跡に向かいます。 現在、かつての二ノ丸跡には小学校や市役所などがあって改変されてしまっていま...
「その1」のつづきです。伊勢亀山城本丸多門櫓台石垣を見て歩いたので、そろそろ櫓に入りたいと思います。 櫓台に登る雁木。これは往時のものなのか、それとも後世...
「その2」のつづきです。吉田郡山城三ノ丸へ登ってきました。 石碑には「三之丸跡」と刻まれています。「本丸・二ノ丸・三ノ丸」という呼称は豊臣時代以降の言葉で...
「その1」のつづきです。毛利元就の墓所から登山道を登ること約15分、曲輪に到着しました。 吉田郡山城の城域は東西約1100m、南北約900mに及ぶ広大な規...
8戦国時代、中国地方の覇者として君臨した毛利氏の本拠として知られる吉田郡山城。江の川(可愛川)と多治比川にはさまれた吉田盆地の北に位置し、城域は郡山全体に...
龍野古城(鶏籠山城)を下山しました。せっかくなので、麓の龍野城にも立ち寄ります。 写真は西側の模擬二重櫓。その背後に見えるのが、山頂に龍野古城のある鶏籠山...
龍野古城(鶏籠山城)から紅葉谷を下山する途中に、野見宿禰と書かれた誘導板がありました。せっかくなので、行ってみることに。 しばらく進むと、「力水」と書かれ...
「その2」のつづきです。龍野古城Ⅰ郭エリア北側から、搦手道を下山します。 Ⅰ-8郭まで降りてきました。ここは主郭並みに広い曲輪です。 縄張り図を載せます。...
「その1」のつづきです。龍野古城Ⅰ郭エリア南側虎口から段曲輪を登ります。 Ⅰ-3郭切岸に、立派な石積みが残っています。 おおっ、これはスゴイ! 石積みの上...
今回は姫路の西に位置する兵庫県たつの市にある龍野城です。龍野城には、鶏籠山山頂の山城と山麓の平山城の時代があり、山城は鶏籠山城、朝霧城、麓の城は霞城と呼ば...
嘉吉の乱によって赤松満祐に謀殺された室町幕府6代将軍足利義教の首塚が、兵庫県加東市にある安国寺にあります。全国各地に「安国寺」という名称の寺がありますが、...
兵庫県姫路市のお城といえば、誰もが思い浮かべるのは世界文化遺産の姫路城ですが、戦国時代より前の15世紀には、姫路城の少し北西に位置する坂本城が播磨国の守護...
今回は兵庫県小野市にある河合城跡を歩きます。堀殿城ともいいます。ここも、播磨守護職の赤松氏が東播磨の拠点として築いたとされ、赤松氏一族の上月氏が城主を務め...
「その2」のつづきです。小谷城第5郭まで降りてきました。 縄張り図では、この東側に大堀切があって、西小丸と分断されています。 ここで、山頂にあった縄張り図...
「その1」のつづきです。標高は218mの小谷城城域に入りました。 麓から見えた看板。第3郭の南側に設置されています。 その看板の南側は、帯郭が東西に伸びて...
兵庫県加西市の中心市街地の北条町北側の標高218mの城山山頂に、かつて小谷城がありました。有名な北近江の小谷城は「おだに」と読みますが、ここは「こたに」と...
「その1」のつづきです。善防山城主郭まで制覇したので、次は尾根伝いに東郭を目指します。 主郭東側の虎口跡。一応、左へ曲がって右へ曲がる食い違い虎口になって...
もすぐ桜の季節になりますが、今回は2年前の桜のシーズンに訪れた善防山城を攻めます。今回も赤松氏の城です。善防山城はかつての播磨国、現在の兵庫県加西市にある...
「その2」のつづきです。石塁のあった城山城Ⅱ区からさらに南下します。 説明看板が現れました。現在地と書かれているところがこの場所です。広い削平地になってい...
「その1」のつづきです。城山城跡の北側城域に入りました。 堀切と土塁と書かれた看板があります。 まあ、たしかに堀切っちゃあ堀切かな。薄いけど。 土塁です。...
西播磨を南流する揖保川と、北西より合流する支流の栗栖川が形成する平野を東に臨む標高458mの亀山(きのやま)の山頂に、かつて城山城がありました。ここは、奈...
「その2」のつづきです。楯岩城本丸エリアに入りました。 ここは北西段曲輪のいちばん下の曲輪です。本丸エリアは、頂上の主郭を中心に北西南の三方に段郭が伸びて...