この頃、仏教の法話を聞くようになりました。 仏教といっても初期仏教(テーラワーダ)と言われるもので、日本で触れてきた儀式的なものとは、大きくかけ離れているように感じます。 ブッダの教えに改めて触れるようになったのは、それらが私の納得しているサドゥグルやラマナマハルシなどの話と根本が同じであると感じたためです。全く同じ共通した言葉や表現を聞いたこともあります。それは言語や道、方法が違えども、真理だから同じ結論に至るに違いありません。 仏教なので、ブッダが話していたとされるパーリ語の文章も読むようになりました。 ある程度のヒンディー語を使えるとサンスクリット語も多少理解できるのですが、パーリ語もな…