後鳥羽上皇の院御所「高陽院邸跡」
丸太町通堀川東入ルにあるマンションの一角に「高陽院邸跡」があります。高陽院(かやのいん)は、平安京にあった里内裏のひとつで、西洞院大路の西・大炊御門大路の北に位置する、南北4町の大規模な邸宅でした。鎌倉時代初期、後鳥羽上皇が譲位した後の院御所となり、承久の乱につながる謀議を行ったところでした。承久の乱後の貞応2年(1223年)放火により焼亡、以後再建されませんでした。当初は桓武天皇の第七皇子・賀陽親王の...
2022/10/22 00:02
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#高陽院邸跡
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