ミニマム・ライフを始めてすでに四年が過ぎます。ミニマム・ライフとは拡大的生活ではなく、必要にして十分な満足生活のことです。 自然と触れ合ったり、スローフードを楽しんだり、畑を耕したりというイメージで 多くの人が「スローライフ」をイメージしますが、それは見掛け上の部分であって 本質はもっと「内面的」問題かもしれませんね。
ドーム・ハウス愛媛のブログ・サイトです。ロハス・ヒルズ夢の里とべからドーム・ハウスの ロハス・ライフ便りをお届けしています。ライフ・デザイン研究所はドーム・ハウス愛媛のアトリエとして活動しています。
このブログは2007年にyahooブログ「スローリビング日記」として始まりました。2010年にドームハウスライフをスタートし、ドームハウス日記に名前を変更。ドームハウスライフ10周年になるので、次なるステップの1つの区切りとして、「ドームハウス日記Ⅱ」への移行。これまでの軌跡を辿ると共に今の暮らしを綴っていきたいと思います。
あらゆるものが混在する奇妙な夢とは、おそらく変化の予兆だろうと思います。 心臓手術からはじまった新しい意識の次元が形をとりはじめるのかもしれません。 良き未来の贈り物を楽しみにしています。変化の予感からすべてははじまります。 カルマを過去の業ととらえず、未来への贈り物と捉えれば人生という試みは楽しいものに なるのです。
鉄瓶をしげしげと眺めながら 「山水、ラディカル、侘び寂びアヴァンギャルト」とつぶやいてみました。 骨董店を営みながら石手寺で仏師として仏様を彫っていた父の口癖は 「古いやつこそ新しい。新しいやつこそ古い。骨董窃盗強盗。玉石混交。」という 目利きの世界の面白さでした。
「あーすればこーなる」というガラガラポンな生き方はありません。 ひとりひとりの価値のものさしを自分で決めて自分で創造する、そしてファインな暮らしの感触 を楽しむパーソナル・クリエイティブな時代なのだと思っています。
ユスモク・クラブで作ってきた作品はどれも味わい深い木工作品。 子どもたちと作ったという「カホン」というリズム楽器は子供たちの絵があしらわれていて 楽しい。 設計のコッシーさんとユスモク倶楽部の皆さんと作った3mジオデシックドームが一番大きな 作品ということになります。
仕事を創ることをテーマにドームハウス・プロジェクトにかかって 来ました。 まもなく第七ドームハウス完成です。そして夢の里は第二メガ・ソーラーとエコ・ヴィレッジ 造りに進みます。 ライフ・デザイン研究所は夢の里の誕生と共に始まりました。 無から有を創りだす・・・それがテーマです。
思い立ったらすぐに実践。脳天気なやまねこは、ジャンバラ・プラクティスにとりかかりました。ジャンバラに水と塩をお供えして一日を始める。般若心経をとなえる。 日常作務をこなす。 とるにたらないことを淡々と続ける。 それで良しと思えたら、日々是好日ということかな。
新しいライフ・デザインは「暮らしを楽しむ、育てる、創る」がいいかなと思っています。 暦と共に暮らすこと。作物を育てること。仕事を創ること。そして仲間作りも大切。 ゆるやかな季節の変化と共に新しいコンセプトも生まれるような気がしています。「競争マインドは何も生み出さない。創造マインドが仕事を生み出すのです。」と ジェームズ・スキナーさんも言います。
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ミニマム・ライフを始めてすでに四年が過ぎます。ミニマム・ライフとは拡大的生活ではなく、必要にして十分な満足生活のことです。 自然と触れ合ったり、スローフードを楽しんだり、畑を耕したりというイメージで 多くの人が「スローライフ」をイメージしますが、それは見掛け上の部分であって 本質はもっと「内面的」問題かもしれませんね。
Do nothing!ということを考えているうちに「基本に帰る」というテーマに行きつき ました。今回のフェイズは昨秋の出雲大社参拝から始まっています。 その時にこんな風に直観したのでした。「リソース、リサイクル、シナジェティクスなコンバージョン。 つまり、もう一度、ゼロからはじめればいいのではないかな。」
私たちは「何かを成し遂げないといけない」 「何かをキャッチしたり、ゲットしたい。」と情報の海を探ります。そんな社会だからこそ「何もしない」ことは、最高の過激な手法になりえます。 「何もしないでいる」ことが困難なのです。 Do Nothing! あるいは Do more with Less!とつぶやいてみること。
ドームハウス暮らしも五年目に入ります。 生活空間が「丸い」ということ。 球体であるということは、「たまご型」であるということです。 やまねこは五年前に「黄金瞑想」というテーマで考えていました。 すべてが光の球体で包まれているという「イメージ瞑想法」なのですが、ドームハウス を建てようと思い立ったのは、このイメージ・トレーニングが発端です。
面倒くさいから便利さにたよる。頼るから体が弱る。生活習慣と電力は 関係がある・・・ということかな。 畑で野菜を作ったり、スモール・ソーラーで電気を作ったり、ウォーキングをしたり、野山の 食材を採集したりで「暮らしと自然をつなぐ工夫」を生活実験してゆくのが今の時代向きなの かもしれないと思っています。
「等身大の自分から社会を変える」とは、とりもなおさず「私の暮らしをデザインする」ことが 出発点になるということです。これまでとは違ったとらえ方をする、違った暮らし方をすることに躊躇は不要と思います。 身近なところからソーシャル・デザインを立ち上げてゆくことは誰にも可能かなと思って いるのです。
例年の「夏安居」(げあんご)に入りました。 仏典を読んだり、瞑想したり、お参り(お遍路)をしたりして過ごす季節です。 弘法大師の『秘密曼荼羅十住心論』と『業と運命』(佐々木現順著)を読んでいます。 佐々木現順・・この人は大谷大学の仏教学者でありながら、仏教心理学と言う新分野を切り開いた 草分け的なかたのようです。
「いかにして自分をチェンジするか」というテーマなのですが、あるところまで考えて いるうちにはっと気づきました。「自分をチェンジする必要はない」むしろ「自分のことは置いておいて先へ行こう」 ということ。 自分を変える必要はなく、シチュエーションを変えればよいということです。
都会にも田舎にも異なった時間の流れがあり、空間の広がりがあります。 どちらに偏りすぎても人はバランスを失いやすいのです。 静かで安定した里山は閉鎖的になりがちですし、にぎやかで流動的な都会はすべてを押し流して しまいがち。 パーソナルでありながらも、リアルタイムの流動性を失いたくない・・・。
わたしたちは「頭の中で解決する問題」をかかえすぎているのです。 一度、「頭の外で何かを変える」ほうが効果百倍です。 恋愛小説を百冊読むよりも一度の「ひとめぼれ」のほうが絶妙な効果があるということかな。
暮らしを自分なりにまとめるということは、ひとえに「自分らしい暮らし向き」を創る ことかなと思います。 快適・便利・合理的・効率や効果を重視する人も多いかと思いますが、やまねこは ヘルシー、スロー、シンプル、ナチュラルを重視して少し不便でも「楽しい気分」 「ゆっくり」「創意工夫」で暮らし向きをまとめたいと思っています。
ドームハウスで暮らし始めて五年目となります。 アート・ファン仲間やドームハウス仲間と交流しながら 「暮らし方をデザインする」というライフ・デザイン研究所を設立しました。「ドームハウスでライフ・デザインの魅力を発信』したいと考えています。 6年前に作ったペーパーモデルのドームハウスは「夢の種」だったのかなと思っています。
わたしたちは、いつでも「ソーシャル・トリック」をブチ壊して「現実世界」に 離脱することができます。自由と言う資産は誰にも奪い取られませんから。 社会や他人と競争する人はまず、この鏡を破壊することは不可能です。 競争原理を捨て去ることから、鏡は割られるのです。 つまり、「破鏡」から「魔法使いへの道」がはじまるのです。
五月にパワー・フィールド(結界)が完成して以来、不思議なくらい静かな暮らしが 続いています。「時間を空間化した」という印象です。 もう少し、わかりやすく表現すると『自分と言う場所を確認した』とも言えるかもしれません。 ますます、わけがわからない表現かもしれませんね。(笑)
「ストレス過剰生活から過剰ないしは欠乏した生活習慣が形成されて生活習慣病は生まれる。 ストレスがなくなっても生活習慣は維持されることが慢性化を招く。 すべてを掛け声だけ「ヘルシーに、ナチュラルに」と空念仏や無理な努力よりも 「できる改善」を淡々と根気よく少し工夫してみる。」『生活習慣の変え方』指導を受けていました。
暮らしを拡大志向でみるのではなく、再構成と創造性で見つめなおすという発想は ノマド的かなと思いました。 それにしても「年収100万円で楽しく暮らす」というタイトルはイケています。 「そんなことあり得ない」と多くの人が疑いを感じるからです。 当世若者気質の ノマドな感性が光っていますね。
スモール・ライフ、ビューティフル・ライフの提案です。 経済指標で暮らすよりも「自分の価値基準で暮らす」ほうが賢明であり、クリエティブという ことなのでしょう。 100万円で楽しく豊かに暮らす知恵を培えば、収入が改善すればさらに充実した暮らし方や 教養を培うこともできるでしょう。
多忙な春の終わりにひとまず「一段落」の静かなお休みモードでした。ひさしぶりにエコロジストのぽらんさんと珈琲トークしていました。 「人生を使い切る」ということが大切とぽらんさん。 彼が言うのは、未消化、先送り、事なかれ主義で人生のエッセンスを素通りすると定年後大きな 精神的ツケが回ってくる、ということなのでしょう。
わたしたちは理性的思考の限界と矛盾に出会う時代に生きているような気がします。 脳髄の思考によって破壊された「バラバラの人体」をもう一度「心臓思考」によって 統一すべき時代にはいっているのかもしれません。
このところある種の「ひらめき」がビジネスの鍵かなと思っているのです。 ジョブズ的なイノベーションということです。 相互扶助的(コーポラティブ)で循環型環境対応(エコロジカル)で持続可能的(サステイナブル) であることがこれからのビジネスの基本要件ですね。 やまねこは、さらにもうひとつコンセプトを付け加えたいのです。
サバイバル十周年で再び心臓手術 をして危機一髪、間近な死を回避できたのです。 現代医学とお医者さんたちとスタッフ、そして私の周囲の多くの方々のお蔭です。 人はいかにして老いてゆくのか、そして死んでゆくのか、そして生きてゆくのかという 基本テーマについて考える一年でした。
米作農家を営むやまねこのいとこのところに行ってきました。 やまねこはこのいとこに毎年お米をわけてもらっています。 彼は、お米作りをしていますが長年のサラリーマン生活を卒業したのが8年前のことです。 専業米農家に転身したのでした。先祖伝来の田んぼと高齢化で耕せない村内の田んぼを預かり米作 にはげんでいます。
やまねことぽらんさんは、長々と「生きにくい社会システム」について語らいました。 「あのねー、一昔前の生き方はもう通用しなくなってるんだよ。香山リカさんも 『しがみつかない生き方』のなかで普通のしあわせを手に入れにくい社会、って言ってるね。」
今の人生に満足していない、こんなはずじゃないと思って毎日を過ごしている人は多いはずです。 「夢をかなえるゾウ」は人生を劇的に変えるためのヒントを与えてくれる本です。
黄金瞑想とにとりくんでいます。 黄金の卵に包まれているというイメージで自分を取り囲んでいます。 これは、メンタルなバリアーを作ってくれるようです。周囲の変化やエネルギーに 惑わされることなく、集中できます。 「黄金瞑想」はやってみるととても簡単です。ハイヤーなんとかというスピリチュアルな メソッドとは異なります。
夏から「シンプルにいきる」をテーマにしてみました。断・捨・離を実践しようと 思ったのです。身軽な暮らし方こそ年相応かなというのがきっかけです。 『シンプルに生きる』のドミニック・ローホーさんはこんな風に提案します。
やまねこも齢五十数歳を過ぎ、人生の限界を意識する世代となり、「死に至る病」を 患い、林住期となりましたので時折、「折にふれて」シニア・ライフ・レポートを書く ことにしました。 やまねこシニアのシュールな遁世論(リトリート・アイデア)ということになるかなと思います。
心臓思考というと、感情的な思考に近いものです。ルドルフ・シュタイナーは『ミクロコスモスとマクロコスモス』(1910)の中で人類の発展が今日に至る以前は、まず初めに心の思考、心臓思考の時代があり、低次な心臓思考の時代があったと語っています。
人体という「わたしの居場所」を健全化してゆく努力を「養生法」というのでしょう。 ハート思考を強めてゆくことによって、健康な身体性を回復するだけではなく、 より霊的な思考力を身体的にも隅々まで行き渡らせることができるということ。 これは、オカルティストとならではの課題ですね。
脳内の麻薬物質はとにかくも「スッキリする」方法は、できるかぎり「シンプル、ライト」 を心がけることかなと思います。 複雑化、重量化しない精神生活とはミニマムとナチュラルな暮らし方かなと思っています。 誰とも競争しないこと(勿論じぶんとも)、自分の価値観やライフ・スタイルに信念を持つこと ゆっくりと充実した暮らしを楽しむこと・
この病気は統計上は10年50%生存の病気ですが皆様の協力もあって10年を経てもまだ生きています。 15年10%生存に向けて養生に勤めるべき時期ですね。 いのちを大切にするということは自分を大切にするということです。 そして自分を大切にするとは周りを大切にするということです。
スモール・ドーム・ハウスは、サイズが小さいため専門の大工さんでなくてもキット・ハウス 的に日曜大工でセルフ・ユーズに生かせそうです。 パソコン・ルーム、アトリエ、勉強室、音響室、パーソナル・シアター、瞑想室、 子ども部屋、小さなプラネタリウムなどなど自由な「隠れ家空間」やグリーン・ハウス や庭園のガゼボなどにもいいかも。
10年車検しといてよかった。危機一髪、梗塞を起こしかけている冠動脈発見。 二番と三番だったかな。以前は六番を手術したと思います。 すぐに手術の手配ということで、しばらく心臓キュアとケアに専念します。