やまねこが少年時代は、万博前後で夏と言えば、扇風機と蚊取り線香の薫りに満たされていました。 「日本の夏、金鳥の夏」というものです。 3.11以降は一段とエコ・ナビ、エコ・ライフの時節ですが、今にして思えば昭和の暮らし方は 「もったいない」のエコ・ライフでした。あの頃から一応太陽光ってあったんですよ。
ドーム・ハウス愛媛のブログ・サイトです。ロハス・ヒルズ夢の里とべからドーム・ハウスの ロハス・ライフ便りをお届けしています。ライフ・デザイン研究所はドーム・ハウス愛媛のアトリエとして活動しています。
このブログは2007年にyahooブログ「スローリビング日記」として始まりました。2010年にドームハウスライフをスタートし、ドームハウス日記に名前を変更。ドームハウスライフ10周年になるので、次なるステップの1つの区切りとして、「ドームハウス日記Ⅱ」への移行。これまでの軌跡を辿ると共に今の暮らしを綴っていきたいと思います。
バックミンスター・フラー博士は「政治家に社会をまかせることは犬のしっぽに 犬の散歩を頼むようなものだ。」と名言を残しています 大著『クリティカル・パス』の中で金融資本が国家を乗っ取る 過程をあからさまに分析してみせました。 資源開発と戦争機械生産が進むごとに金融資本が国家を買収、改ざんして民営化したのだと 見ています
今、なぜシェアなのだろう。これまでの「独り占めや極端な私有」では、社会や地球は 「持続可能ではない」という反省がその背景にあるのではないか。 限られた地球資源、限られたわがいのちであることを認識し、夢や希望を、そして悲しみ さえもみんなでシェアし、希望の世紀をともにつくっていこうという思いの表れではないか。
フラー博士は、住宅を安価にクリエイティブな生活の場として提供することが急務であると 考えていました。 最小コストで住宅を手に入れることができれば、残りの生活は創造性に向けることが可能になるということなのでしょう。生活エネルギーの総体をコストと考えればわたしたちは、住まいに 莫大なエネルギーを費やしていることになります
砥部町の七折地蔵尊をお参りしました。 夢の里のY社長に以前一度案内してもらい、砥部町では霊験ありと信仰されているとの ことでした。 病気快癒を祈る七折地蔵は、梅の里として知られる砥部町七折の山間にあります。 現在では、お年寄りしかお参りすることがないような小さな祠です。
仕事は「企画と作業の構成」のプロセスであり、その結果経済活動として成り立ち ます。仕事の内実と経済生活という左右の肩をチューニングするのも必要かな。 お金を求めれば仕事は偏り、仕事を豊かに成長させれば、やがてお金を伴います。 良き仕事を続けることは生活意識としてとして健全化してゆくということでしょう。
上野千鶴子さんの『おひとりさまの老後』では、シングル・アゲインとなったおひとりさまの選択としてシニア向けコレクティブ・ハウス という選択肢をあげています。 共有スペースを持ちながら、プライベート空間も確保できるコレクティブ・ハウスは高福祉の北欧で生まれた住まい方です。
生活のクォリティをアップするためシンプル化について考えています。 無駄と無理をなくし、ライフ・デザインをチューン・アップしようと思うのです。衣食住と仕事、人間関係、精神生活をひとめぐりして、気づくことはやはり必要なものも 必要なことも大して多くはありません。
「死に方教室というものもあっていいと思うね。生き方教室がないように死に方教室もない 社会だからね。確実に迎える死を見つめることも生きてゆくためには必要なんじゃないのかなあ。」 うららかな夢の里のスローリビングと「死に方を考える」というテーマもまたセルフ・チューニング なのかな、と思っています。
コレクティブ・ハウジングの第一プランとなったどんぐり館は、お年寄りがともに暮らしながら介護サービスなど安心 できる住空間をサポートすることでなりたっています。 参加と共生、相互扶助を基本にした住まいづくりは、さらに発展して次なるステージに 進んで行くものと思われます。
自分にとって本当に大切なこと、 自分が一番興味を持ち、好きなこと。 価値ありと納得のできること。 などを中心に自分の暮らしをシンプル化するということは、とりもなおさず生活のクォリティ を洗練しながら上げてくことです。 禅はその心構えと実践の手引きともいえるでしょう。
人はいかにして死にいたるか?というテーマは人類普遍の課題とも言えます。 『死ぬ瞬間』や『ライフ・レッスン』で知られるキューブラー・ロスは死の二年前に 自伝的エッセイとして『人生は廻る輪のように』を書きました。 数多くの患者の死を看取った医師の自分自身の死を看取るための著作として世界中で 読まれたベスト・セラーです
わたしたちが属する大地とは、地球という宇宙の情報集蔵体とも言えますが、その大気圏は 私たちが日々見上げる大空を成しています。 地球生命圏バイオスフィアを覆い尽くす気圏としてのヌースフィア。蒼空から叡智をもたらすもの とは・・・。 わたしたちはそれを虚空蔵菩薩として理解しているのかもしれませんね。
にぎわいと活気に飢えた地域を田舎と言い、自然と静寂に飢えた地域を都会という・・。 これ、なんだかおかしくないでょうか。 都会も田舎も緑なす大地の上に営まれています。 バイオスフィアの上で暮らしていること、すべての地表はつながっていること。 夢の里で緑を観測しながら、ゆるゆると陽だまりの時間がすぎてゆきます。
ただ、ひたすら希望の種をまく。失望は失望に終わることはないこと。 「ひとりになったら、種を撒け。」とは、やまねこがかの福岡正信翁から教わったことです。 わたしもまた、病理と失望のどん底から這い上がってきた青人草のひとりにすぎません。 雑草のように生きるのも一考かなと思っています。
"私は、社会通念より自分の価値観に従って生きるほうを選びました。だから、おもしろくて充実した人生を歩んできたのだと思います。" これは、「ターシャの庭」で著名なターシャ・チューダーさんの言葉です。
合理化、コスト削減、リストラといった世知辛いビジネスよりも相互扶助によるコーポラティブ ビジネスの時代。 それは、過当競争によって相互破綻するよりも複合ビジネスや共生ビジネスの方が生き残りの 知恵を秘めているからではないかな。 高度システム社会から、エコロジカルかつエコノミーが時代のキーワードとなりつつありますね。
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やまねこが少年時代は、万博前後で夏と言えば、扇風機と蚊取り線香の薫りに満たされていました。 「日本の夏、金鳥の夏」というものです。 3.11以降は一段とエコ・ナビ、エコ・ライフの時節ですが、今にして思えば昭和の暮らし方は 「もったいない」のエコ・ライフでした。あの頃から一応太陽光ってあったんですよ。
「ドーム・ハウス愛媛の基本コンセプトは「暮らしをデザインする」ということです。 「 住まいをデザインする、環境をデザインする、心身のデザインとしての健康、衣食住をデザインするということです。」 とドームハウス事業創生時に書きました。
シニア・ライフを意識し始めて「セルフ・フィットネス」というのが大切なんだと思っています。 「自分らしさのトレーニング」とでも言えるかもしれません。 大義名分や常識よりも自分の感性や直観を大切にするということです。少し自分勝手かもしれませんが、「自分に向かい合う」のを第一義的なテーマにしようと 思うのです。
このところ暮らしを「自分で作る」ことにウェイトをかける実験をしています。 野菜を作り、電気を作り、暮らしそのもののコンセプトを作る。 循環型生活といい、有機的生活と言い、ライフ・スタイルと言うものは「自分で描き、自分で作る」 ことが基本です。
『ほしい未来は自分で作ろう』 これは、環境サイト『Greenz』さんのソーシャル・デザイン宣言のキャッチ・コピーです。 こんなふうに呼びかけています。 「まずは「ほしい!」と意思を持って望むこと、そして「変える」のではなくいっそ「つくる」こと。 あなたの”ほしい未来”はどんなものですか?
蛇口をひねれば出る水道水を水甕から組んだ桶の水に対置し スイッチを入れるだけで使い放題の電気をオフグリッド太陽光発電にひきくらべる。 スーパーのバックづめの野菜を畑から取り入れる野菜で確かめる。 部分的であっても『大切にすること』を学べたら、それもエコ・ライフかもしれませんね。
私たちが原子炉からのエネルギーにもっぱら頼り、自分たちの宇宙船の本体や装備を燃やしてしまう愚さえ犯さなければ、『宇宙船地球号』に乗った全人間の乗客が、お互い干渉し合うこともなく、他人を犠牲にしてだれかが利益を得たりすることもなく、この船全体を満喫することは十分実現可能なことだとわかっている。『宇宙船地球号操縦マニュアル』
ドームハウスの考案者バックミンスター・フラー博士は、常々「豊かさの概念」について 語りました。私たちのテクノロジーは全人類の生命、そして自然界の富を守るのに十分な 科学力と技術力と知恵をすでに手にしていると1970年に宣言しました。 それは、全地球的なデザイン・サイエンス革命によって実現されると考えたのです。
お金がお金になる前の姿は、豊かさを与える力のようなものなんだと思います。 豊かな実りをもたらす力、喜びを与える力、分け合う心、苦労を乗り越える力そんなものが やがてお金になるのでしょう。ですから、ゆとりのある心は豊かさをすでに持っている ことになるのかもしれませんね。
夏安居なので「セルフ・チューニング」にそろそろとりかかろうかなと思っています。 昨年はシンプル化と言うことがテーマでしたが、今年は「ナチュラル」にしようと思います。 自然体、自然のままという質朴なありかたがシニアにはふさわしいと思うからです。
ミニマム・ライフを始めてすでに四年が過ぎます。ミニマム・ライフとは拡大的生活ではなく、必要にして十分な満足生活のことです。 自然と触れ合ったり、スローフードを楽しんだり、畑を耕したりというイメージで 多くの人が「スローライフ」をイメージしますが、それは見掛け上の部分であって 本質はもっと「内面的」問題かもしれませんね。
Do nothing!ということを考えているうちに「基本に帰る」というテーマに行きつき ました。今回のフェイズは昨秋の出雲大社参拝から始まっています。 その時にこんな風に直観したのでした。「リソース、リサイクル、シナジェティクスなコンバージョン。 つまり、もう一度、ゼロからはじめればいいのではないかな。」
私たちは「何かを成し遂げないといけない」 「何かをキャッチしたり、ゲットしたい。」と情報の海を探ります。そんな社会だからこそ「何もしない」ことは、最高の過激な手法になりえます。 「何もしないでいる」ことが困難なのです。 Do Nothing! あるいは Do more with Less!とつぶやいてみること。
ドームハウス暮らしも五年目に入ります。 生活空間が「丸い」ということ。 球体であるということは、「たまご型」であるということです。 やまねこは五年前に「黄金瞑想」というテーマで考えていました。 すべてが光の球体で包まれているという「イメージ瞑想法」なのですが、ドームハウス を建てようと思い立ったのは、このイメージ・トレーニングが発端です。
面倒くさいから便利さにたよる。頼るから体が弱る。生活習慣と電力は 関係がある・・・ということかな。 畑で野菜を作ったり、スモール・ソーラーで電気を作ったり、ウォーキングをしたり、野山の 食材を採集したりで「暮らしと自然をつなぐ工夫」を生活実験してゆくのが今の時代向きなの かもしれないと思っています。
脳と心の問題は現代科学のテーマですが、わたしたちの「意識の問題」でもあるのです。 そして意識は常に『身体』という謎を発端としています。 空海の言う『金剛身』とは? そしてホログラムとしての世界とは?
『人生は価値あるものだと信じなさい。 そうすればあなたのその信念が、人生は価値あるものだとい 事実を生み出すでしょう。心が変われば行動が変わる。 行動が変われば習慣が変わる。 習慣が変われば人格が変わる。 人格が変われば運命が変わる。』「プラグマティズム」ウィリアム・ジェームズ
瀬戸内海の島々を眺めていると不思議な直観がありました。 時代の変化は競争の時代が終わり、結びの時代が始まったことを示している すでに競争は過去のものそれは分散と解体しかもたらさない
「希望を持って前に進む」というイメージを感じさせてくれるご家族でした。 どんぐり館や第七ドームハウスの工程などもご案内。しばらくプランを煮詰めてゆく 段階・・・それぞれの夢に形を与えるドームハウスのフレキシブルな受容性がどんなふうに 生成してゆくのかが楽しみです。
現代は雇用も不安定で様々な新規参入・起業ビジネスも必ずしも順境とは言えません。 こんな時代だからこそ本書や『何故ベス』が読まれているのかもしれませんね。 「やる気モチベーション」のアホな自己啓発本とは違った趣の実践論です。
もう一度、時間軸を私たちの手に取り戻す。 もう一度、おてんとうさまを拝むことを暮らしの基本にする。 スパイラルな時間は、「即身」の自然な流れとしての時間です。 時間を再発見するためにも ゆったりまるく暮らすことが仕事になるようにスローダウンしてみるのもいいのではないかな と思っています。
里山資本主義とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」 の経済システムの横にこっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという 考え方だ。お金が乏しくなっても水と食料と燃料が手に入り続けるしくみ、いわば安全安心の ネットワークをあらかじめ用意しておこうという実践だ。
八咫烏、ナガスネヒコ、イワレヒコ、ニギハヤヒの謎は古事記神話の暗号のようなものです。 霊的なパワーも強いところなので好んで初詣にでかけています。 今年は、安心な暮らし、自由な暮らしを求めたいと願いました。 毎年を初詣からはじめる日本人はいいものだなと思います。
住まい方暮らし方の基本に帰る。 原点復帰から再構築するライフ・デザインの提案。生活はライフ・デザインのキャンバスと心得る。 球体の家は美と直観をプロダクトする。デザイン・サイエンスの理念を展開させるスパイラルなビジネス・モデルの構築。
時代は里山資本主義とエコロジカル・シフトを求める人が都会から地方へと目を向けています。 こんな時代だからこそ愛媛からのグリーンなビジネス発想も可能性が高まってゆくのではない かなとKさんと頷きあう次第です。
黄金瞑想に取り組んでいます。 これはとても簡単な瞑想法です。「私の周りを黄金の光と熱が取り巻いている」 とイメージするのです。金の卵の中にいるひな鳥のイメージでもさしつかえありません。 まばゆい光の中にいる自分をイメージするということはとりもなおさず「明るく健やかな セルフ・イメージ」を形成するということです。
夢の里ではメガ・ソーラーが完成に向けて最終工事の様子です。 新年明けから試験運転の後稼働するらしい。 第七ドームハウスも二月ごろには完成モード。 やまねこチームはスモール・ドーム・プロジェクトを立ち上げようと考えています。 ドームのアトリエ&茶室作りの実験プランです。
わたしたちが夢見る時間を過ごした子供時代の「遊び場所」がすべての 良き思い出の発端となるようにこの日常世界を「最高の世界」と見るとあらゆるものが豊かで 美しいものを打ち明けてくれるということでしょうか。
「生かすも殺すもわしらの勝手」なグローバル企業とはマネー資本主義の主体であり、 匿名性の利益至上主義のロジックで流れてゆきます。 わたしたちにできることは「内なる自由を守ること」「仲間同士で助け合うこと」 「平等で公正な正義や人権を守ること」という身近な実践だけです。
コッシーさんと来年度に取り組むパーソナル・ドームハウスについて語らっていました。やまねこは未来型のパソコン・ルーム兼茶室をイメージしているのです。 『ジオデシック・カフェ』と勝手に呼んでいます。 漆喰壁やウッドシェイク風の屋根仕上げ、白木の床でナチュラルな内装を茶室風にしつらえ 躙り口から入るドーム・カフェ。
黄金瞑想を続けています。黄金の卵の中で鳥になっています。 「また云く、「もし能くこの勝義に依って修すれば、現世に無上覚を成ずることを得」と。 また云く、「当に知るべし、自身、即ち金剛界と為る。金剛と為りぬれば、堅実にして傾壊無し。我、金剛の身と為る」と。
黄金瞑想をしていました。やまねこは「イメージ観想」は、健康にとてもいいと思っています。 例えば洗濯機の反転音の「ザブーン!」という音で「海はいいなあ。潮の香りと降り注ぐ日光」 とイメージしてみるのです。居ながらにして海辺の日向ぼっこができます。
わたしたちは理性的思考の限界と矛盾に出会う時代に生きているような気がします。 脳髄の思考によって破壊された「バラバラの人体」をもう一度「心臓思考」によって 統一すべき時代にはいっているのかもしれません。
このところある種の「ひらめき」がビジネスの鍵かなと思っているのです。 ジョブズ的なイノベーションということです。 相互扶助的(コーポラティブ)で循環型環境対応(エコロジカル)で持続可能的(サステイナブル) であることがこれからのビジネスの基本要件ですね。 やまねこは、さらにもうひとつコンセプトを付け加えたいのです。