アフロ・キューバン・ララバイJ.マーシャル編使用写真撮影者 : 学生時代に安いデジカメで撮影したものですギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214夏になると海を思いながら無性に弾きたくなる曲です。カリブ海の明るい日差しと、アフリカのリフのように繰り返される単調なメロディーが融合したよ...
クラシック音楽を自分の心が感じたそのままに記す事をモットーにしています。 クラシック・ギターのアナリーゼの考察実践の練習風景や、作品演奏動画、自作品をアップしています。 お知らせ下さればフォローいたします。
DAWソフトに詳しい方、是非お友達になってください。 オンラインで一緒にジャンル問わず何でもありのバンド演奏も如何ですか? 私はアコギ、エレキ、ベース、クラシック・ギターは演奏可能です。 自作品への参加も、お手伝いしてくださると助かります。
オルフェウスの物語 (15-16世紀)/何故かブルース、カントリー、ブルーグラス、ラグタイム・ブルース
竪琴の名手であったオルフェウスの記されたギリシャ神話・叙事詩は音楽家達を大いに刺激する題材なのだと感じます。以前に記したグルックのオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」(*)でもそうでしたが、ルネサンスからバロックにかけても世俗歌曲や小品として様々な作曲家により題材とされていた事が分かります。また、この2枚組のCDはB.Tromboncino他、当時の作曲家たちの事を知る切っ掛けとなり、タイム・スリップし当時の娯楽...
バロック以前の作品には特に作者不詳の作品、しかもそれが歌い継がれ・弾き継がれて現在も知られるものに多く出会います。ギターを通してそういったリュート曲に接してきた私は、それら作曲者の名は忘れられても愛される作品に特別な親しみを感じたりします。ここに聴く15世紀から16世紀にかけての讃美の歌は、時代はバロック様式にあたるものですが、フランスやイタリア、ドイツの大作曲家達の作品と共に、地方の小さな教会などで...
現在ではクラシック音楽が様々な時代に渡り、様式を変え、世界中に広く知れ渡る有名作品から殆ど知られる事のない作品まで簡単に聴く事が出来るようになってきました。それらの音源から音楽による時代巡りの旅をするのがコロナで自宅に居る時間が増え、同時に慌ただしかった時の流れが少しだけゆっくりとなったように感じる今は楽しみになっています。特にその初期、そこには地域地域の独自の音楽、そしてある都市で特に優れた音楽...
大王と呼ばれたフリード2世は在位の期間が丁度バロック後期から前期古典派へと移り変わる時期と同じで、音楽の推移に対しても自身敏感に感じ取っていたのだと思われます。大バッハの
二人のマルチェロ兄弟/オーボエ協奏曲[ベニスの愛]/ソナタ op.2
「ベニスの愛」で知られるアレッサンドロ・マルチェロは意外にも弟ベネデットより作曲が少ない事に驚きます。1曲のメジャー作品で、こうも印象が変わるものなのだと感じた兄弟でもあります。Alessandro Marcello (1684-1747 伊)ベネデットの兄ヴェネツィアの貴族音楽についてはディレッタント(専門家ではないが、文学・芸術を愛好し、趣味生活にあこがれる人。好事(こうず)家)であり作品は少ないオーボエ協奏曲 ニ短調作曲年 : 17...
師より頂いたレコードに渡辺範彦氏のソル「24の練習曲集」(楽譜付き)、菊池真知子さんのサイン入り「聖母の御子」とタイトルの付いたアルバム、山下和仁さんのダイレクト・カッティングと記された物凄く高速の「グラン・ソロ」の収録されたデビュー・アルバム、鈴木巌氏の初心者用ギター曲が収録された(多分教育用放送と共に発売?)2枚組があります。カセットからCDにしてくださったものには阿部保夫氏による伊福部昭作品を含む演...
ポンセによる「12の練習曲」は、ヴィラ=ロボスのものに比べ規模の小さな曲集ですが、そこに香り立つ雰囲気はとても魅力に溢れています。この短い練習曲たちは、テクニックを磨く事にプラスして感性を磨くものなのだと思える、表現への取り組みが要求されているように感じます。※各アルバムに張り付けてあるバラ飾りは
[前奏曲]・[バレー]・[組曲 イ短調:ジーグ](伝ヴァイス)/M.M.ポンセ作品(3)/セゴビア/パークニング/ウィリアムス
新しい一部の作品を世に出す時、セゴビアとポンセは共に申し合わせてバロック時代のリュート奏者ヴァイスの新しく発見された作品として、或いはスカルラッティ作品として発表したそうです。それがユーモアであったのかどうかは知る由もありませんが、今回は当初ヴァイス作として発表された作品を集めてみました。
ポンセのギター・ソロ作品の中でも
ギター・オリジナル作品の中でも大好きな作曲家はと聞かれると、F.ソル、H.ヴィラ=ロボス、そしてM.M.ポンセの3人は私の中では揺るがぬBEST3であり、彼らがラテン系の作曲家である共通点を持ちます。1曲毎には他の作曲家のものでもギターの語法が香り立つ作品、例えばゴメス・クレスポ「ノルテーニャ/アギレへの讃歌」やヴァレラ「2つの秘画」第1曲
ラス・ウエルガスの写本 [13世紀スペインの音楽]/(1992年10月9-11日録音)
現代のように交通が発達していなかった13世紀頃は、少し離れた場所であっても今より地方色が濃く香っていたのではないでしょうか。旋法は東洋的なものも強く感じる、というか旋律は原初的なものから多様なものへと時代と共に姿を変えて行ったと思うのですが、スペインに残る写本というだけではない独自性も、この演奏の節回しには感じます。※各アルバムに張り付けてあるバラ飾りは
音楽の冗談 K.522 (3)/W.A.モーツァルト/[ピリオド] ラルキブデッリ(1990)
チェロのビルスマたちによるピリオド楽器による6重奏は、その響きと遊び心に「村の音楽師の六重奏」のサブ・タイトルを持たせたモーツァルトの意図が強く感じられる演奏です。※各アルバムに張り付けてあるバラ飾りは
音楽の冗談 K.522 (2)/W.A.モーツァルト/オルフェウス室内管弦楽団(1989)
この演奏は指揮者を用いないオルフェウス室内管弦楽団の自発性、特にホルンのわざと下手に聴かせる物凄いテクニックとコントロールによってその愉しさを増したと感じるものです。※各アルバムに張り付けてあるバラ飾りは
音楽の冗談 K.522 (1)/W.A.モーツァルト/ウィリー・ボスコフスキー(1970)
「音楽の冗談」の多くの演奏では金管が上手過ぎると思っています。音程が取れず出だしの音をハズす位の感じで丁度良い田舎の寄せ集めの、しかし憎めない(自称)名人揃いのおじいちゃんたちの楽団であって欲しいと願うのです♡ですから、ここでは豪華なホール・トーンは場違いのお邪魔虫だと思うのですが、いっその事屋外の公園で録音したものがあっても良いと本気で思ったりします。しかしです、豪華で美しく、
グレゴリオ聖歌(3)/典礼聖歌で綴る「聖母マリアの生涯」/カルミナ・ブラーナ/作者不詳作品集
一週間が慌ただしく、心もザラザラと乾いたように感じた時にふと手が伸びるシンプルな音楽があります。ただ一つの線しか持たない波のような旋律だからこそ、それにひたすら同期しようとする間に雑念は消え去り、シーンと静まり返った中に私の心は浮遊していたのだとふと気付くのです。音楽にはきっと何の垣根もない別の世界があるのだと感じる時でもあります。多くの財産や生きている時だけの権力よりも、小さくても心の拠り所を持...
F.M.ヴェラチーニ : ソナタ ト長調・イ短調/ブリュッヘン/ビルスマ/レオンハルト(1967/72)
生涯に、また性格に一癖も二癖もあるようなヴェラチーニは、演奏に於いてはかのタルティーニを半狂乱へとさせる超絶テクニックを誇り、いともあっさりと作品を仕上げたそうです。そんな彼が仕事先を求めザクセン選帝侯アウグスト3世に取り入るために作曲したとされる12曲のソナタ集 op.2以前に書かれたと思われるこれらの作品(多分1716年にヴェネツィアで作曲された12曲よりなる
見た目以上に堅牢な「神秘な障壁」の設計図を探る旅/F.クープラン
大好きなクープラン作品に取り組んで、多声部の音価の維持、区切りの壁、ロココ様式の過渡な装飾音符の整理というものにも真剣に向き合う毎日となりました。クープランの全4巻にもなるオルドル全集はパッと聴いただけでは一見、単純な2声の作品に聴こえて来ます。第6オルドル5曲目の
私にとってこの演奏でなければならない理由(10)/ベートーヴェン「カヴァティーナ」 op.130 第5楽章
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲はショスタコーヴィチの全集に続いて好きになって行った覚えを持ちます。どちらも師より頂いたCDが切っ掛けであったのですが、その機会がなければ、もしかするとこれらの作品に一生巡り合う事は無かったのではとも思っています。ベートーヴェン晩年の
L.v.ベートーヴェン : 交響曲 第1番 ハ長調 op.21(6)/ジョン・エリオット・ガーディナー(1993(L))
この録音はピリオドによる全集では初期のものだと思うのですが、ベートーヴェン像がエッジのシャープさで切り込んで来るような感覚で聴こえて来ます。モーツァルトではピリオド演奏へと違和感をあまり覚えず移行できたのだと今では感じるのですが、それまで重厚に響いていたベートーヴェンはどうであったのでしょう。コンサートなどでピリオド演奏に親しみ、CDやレコードからはモダン・オーケストラの響きも大好きな私は、その趣の...
L.v.ベートーヴェン : 交響曲 第1番 ハ長調 op.21(5)/エフゲニー・ムラヴィンスキー(1982(L))
ムラヴィンスキーの醸す第1番のベートーヴェン像はさぞや威厳に満ちたものなのではと思いきや、若々しく、しかもどの部分をとっても感情的な弛緩の見当たらない推進力に溢れています。デュナーミクとアゴーギクはもしかするとカラヤンが拘ったもの以上のものを時として感じる程で、それでいて端正さを失わず、音楽が雄弁に語りかけて来る素晴らしさを感じます。この第1番では珍しく第1楽章の最初の部分で何度も何度もアインザッツ...
L.v.ベートーヴェン : 交響曲 第1番 ハ長調 op.21(4)/ハンス・シュミット=イッセルシュテット(1968)
イッセルシュテットによるウィーン・フィルとの全集は、彼の生真面目に感じる程の堅実さがウィーン・フィルの明るくおおらかな響きとバランスして端正に香り立つようになったのだと感じる演奏です。モダン楽器でつい最近まで当たり前に響いていたのであろう演奏が、古典的な姿となって優雅に響くのは私にはとても新鮮に感じるのです。彼の全集は一見とても地味な印象を受けるものですが、聴けば聴くほど良さが分かって来る、言い換...
L.v.ベートーヴェン : 交響曲 第1番 ハ長調 op.21(3)/ヘルベルト・フォン・カラヤン(1961)
この60年盤は私の持つ全ての演奏の中で最もしなやかで粘りある響きを持つ第1番です。後年のスッと抜けて行く分離の良い音と違う、音の粘る重心の低い響きがイエス・キリスト教会での録音の魅力であり60年代のベルリン・フィルの音なのだと思っています。※各アルバムに張り付けてあるバラ飾りは
L.v.ベートーヴェン : 交響曲 第1番 ハ長調 op.21(2)/ウィルヘルム・フルトヴェングラー(1950(L))
前回、トスカニーニの第1番の古典的な良さを記しました。それでも私の理想とするベートーヴェン像をフルトヴェングラーの演奏には感じてしまうのも確かなのです。この演奏には「英雄」や「皇帝」で見せる君臨するかの如く堂々としたベートーヴェンが予見されるように感じます。※各アルバムに張り付けてあるバラ飾りは
L.v.ベートーヴェン : 交響曲 第1番 ハ長調 op.21(1)/アルトゥーロ・トスカニーニ(1937/51(L)/21)
私にとってベートーヴェンの交響曲ほど繰り返し聴く作品はありません。交響曲の全作品が好きな作曲家もベートーヴェンなのです。最初は「田園」が好きで「運命」も穏やかな第2楽章が好きだったのです、小学生の頃ですが・・。「英雄」と「合唱付き」は中学生の頃はまだ好きではなく、長くて辛抱する交響曲と思っていた程です・・。第7番のカルロス・クライバー盤を聴いてから他の番号も好きになって行った事を覚えています。特に第...
音楽を幅広く聴いてくると、時代様式に沿うように人の感情表現法も移ろい、技法は複雑さを増してそれまでの形を否定し崩すようなものも生まれた事が分かります。しかしです、人が心で感じるものは表現の違いはあっても喜怒哀楽が様々な形となって入り混じったものではないかと思いつくのです。ただ、音楽の初期・根源にはそれらを越えた何か安寧の源(信仰?)とも呼ぶべきものがある事もおぼろげながら感じるのです。それはとても複...
バロックから古典派へと時代が移り変わる狭間でマンハイム楽派の重要な作曲家であったリヒターは、クラシック音楽の中でもあまり知られることのない、また現在知られる楽譜も少ない作曲家です。C.P.E.バッハ*のチェンバロ協奏曲と共通点を感じるリヒターの
バロック最初期のイタリア、サン・ロッコ宮で鳴り響いていた音楽は、輝かしい荘厳さを漂わせていた事が感じられます。そこに強く醸されるのはルネサンスからバロックへと移り変わる時代を繋ぐ息吹きなのではないでしょうか。ガブリエリ一族の中でヴェネツィア楽派のコンチェルト様式確立に貢献し現存する作品も多いジョバンニは、現代のブラス奏者にとっても貴重なものだと感じ、それらの作品は「ガブリエリの饗宴」などのタイトル...
CD2枚組の全3幕よりなる
ブクステフーデといえばオルガンがまっ先に浮かんできますが、バロック様式の時代には音楽家は宮廷に仕え、教会に仕え、実用音楽に携わる事で生活の糧を得ていた時代だという事が伝わって来ます。彼らに共通するのは、自分の得意とする楽器の大家であり、膨大な作品を生みだし、共通して教会音楽・声楽曲にも傑曲を遺しているということではないでしょうか。私はブクステフーデ本来の姿を知る前に、ブリームにより編曲された楽譜か...
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アフロ・キューバン・ララバイJ.マーシャル編使用写真撮影者 : 学生時代に安いデジカメで撮影したものですギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214夏になると海を思いながら無性に弾きたくなる曲です。カリブ海の明るい日差しと、アフリカのリフのように繰り返される単調なメロディーが融合したよ...
チャイコフスキーの交響曲は、ドヴォルザークのそれらと同じく、後期の3曲辺りが発売される事が多いように思っています。私はどの作曲家も第1番にそのルーツを見るような気がしていて、それが例えマイナーで入手困難であっても可能な限り揃えるようにしているのですが、そこには大成する前の初々しさ等と共に、彼等独自の感性の根源に必ず出会うようにも思っています。第4番から第6番「悲愴」は本当に録音が多いのですが、初期の標...
ヴィヴァルディの良さの一つに、情に深入りせずサラッと聴かせる、それでいて風景や喜怒哀楽の描写には強い共感を覚えるという事もあるのではないでしょうか。必要に迫られて実用音楽・教育(孤児院施設での)に大量生産した彼は、既に作られた自作品を変奏曲のように様々に料理できる才能に恵まれていたと感じたのです。いえ・・、もしかするとその需要こそが彼の素材を多種に展開する腕を磨いたのかも知れませんね。ですから、変奏...
もう使わずベッドの下に眠るだけのBOX・・。希少なものを集めていると自負する私は、誰かに聴かれる方が・・、欲しいと思っている人の手に委ねる方が・・、と思うようになりました。それは最近までこのブログでも単盤で貰い手を募っていたCDたちへの想いと同じです。中にはamazonに現在99,970円というとんでもない値段で並んでいるもの、3-4万のものなども多くあるのですが、オークションには10,000円程で次の日曜まで並んでいま...
当ブログで出会うことの出来ました皆様からの優しさ、記事のないままご訪問くださいます事に申し訳ない気持ちと感謝で胸一杯です。この場を借りてお礼申し上げます。アトリエ・バロック・フランセーズの臼井先生のブログからいつも前に進もうというお力を頂き、助けて頂いていたという事も記させてください。まだ暫くは徹夜に近い仕事に追われる毎日が続きますが、その甲斐あってもう一つの大きなプロジェクトにも参入出来る運びと...
ニ長調のワルツ作曲 : F.ターレガ使用写真撮影者 : ヒロサカ様 https://tomoyan10.blog.ss-blog.jp/ギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214昨年は介護のために爪を伸ばせなくなり録音する事が出来ませんでした。それでも毎日、基本練習だけはサボらずにしていたのですが、それまで染み込ませた感...
鍵盤楽器が独奏楽器として普及する前、それを担ったのが指で直接弾くギター族(仮)であった事は西欧音楽史の最初の方に記されています。ミランやナルバエス・・、スカルラッティたちが活躍する以前のスペイン宮廷で独奏楽器や歌曲の伴奏楽器としてのビウェラを用いて時代の音を響かせた彼らを知る音楽愛好家はまだ少ないのではないでしょうか。今回はビウェラ、リュート、ギターで弾かれるミラン作品を集めてみました。ルイス・デ・...
いみじき時 (歌曲集「灰色の歌」より)詞 : P.ヴェルレーヌ作曲 : 1892年葡萄摘みの3日間詞 : A.ドーデーリラの葉影の夜うぐいす (または「リラに来るうぐいす」)詞 : L.ドーファン恋する乙女詞 : ド・プリヴィユR.アーン Reynaldo Hahn (1874-19447 仏)マスネー風の甘美な旋律性により知られ、歌劇を含む80曲の劇場作品や、協奏曲、室内楽曲もあるが、104曲の歌曲がすぐれている。(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)※各アルバ...
フィヨルドの雄大な晩秋を感じる「秋に」は、演奏会用序曲としてのスケールと、グリーグの細やかで繊細な描写を併せ持つ作品ではないでしょうか。この作品でのグリーグの書法は明快であり、描くものが例えば下降音型であれば吹きすさぶ北風であったりと、ノルウェーの自然と密接な繋がりを感じます。それは短い秋に既に冬の厳しさが窺え、彼の家の立つフィヨルドを望む山と海とが一緒になった切り立った崖の壮観さとなるように思い...
ギター作品「セゴヴィア-ナ op.366」に聴く近代パリの街並みを思わせる雰囲気から知る事となったミヨーは、プーランク(ギター作品「ギターのためのサラバンド FP179」)やメシアンたちと同じ時代を生きた作曲家ですが、その作風はより馴染み良い特徴を持つと感じます。同じくギター作品を書いたルーセル(ギター作品「セゴヴィアop.29」)は印象主義からバーバリズム、新古典派へと作風が移り変わって行くように、当時のフランスは様...
この二つは書法的に正反対の作品ですが、驚く事に感覚として伝わるものは共通するのです。調性の持つ色、そこから生まれる音度差の作る情というものが、それを失ってなおベルクの世界を描いて見せる事に驚くのです。ベルク作品の場合は無機質なものとならず原子にまで分解されてもなお本質を残し続ける事に魅せられました。「私の眼を閉じさせて」の第1作は木や土壁、或いは程良く古びた壁紙に柔らかな灯かりの燈るカフェの片隅、...
バルビローリが現ワーナーに録音したモーツァルトの交響曲は29番と41番しかないという事に驚きます。そこで数年に渡る批評誌を持つ友人に29番とジュピターの様子を訊ねてみるのですが、そこには彼の録音はどの年度にも挙がっていないようでそれにも驚いたのです。何故って、29番の愉悦感、響きの美しさは私の持つ何れよりも美しく、しかも録音も優秀であった事を示すように目の前に浮かび上がって来る音場のどの角度もまんべんなく...
いきなり文として成り立ちませんが、楷書による一筆書きのような演奏、それがワルターの29番だと思います。それは[端正で明確な意思を持つ]楷書による[その運びにより]一筆書きと感じたからです。演奏速度が私の持つ盤では最も軽やかで爽快、しかし弾き崩さない清潔感を保ったままでそれを成し得る事に驚きます。ワルター盤とコープマン盤はモダンとピリオドでの29番の理想像・・と、わたし自身は勝手に思っているのですが(なんと💦...
ケテルビーの描く世界は、実際はその土地っぽくリズムとメロディーを工夫したイメージ音楽である事に気付きます。それは映画などでも聴く独自のヴァーチャルな世界観を持つもので、その作曲書法はガヴォットを用いたりと、兎に角馴染み易い西欧のフォーマットを基本としたものである事が感じられました。しかし、子供の時に夢の世界へ連れて行ってくれた音の世界は魅力的であり、その楽しみはクラシックの下でも上でもない確固とし...
モーツァルト作品の魅力の一つに心地良い快速性を含めるとすると、29番はまさにそれに当てはまる交響曲だと思うのですが、クレンペラーは優雅に描き、そこに漂うニュアンスが細やかな表情を見せて愛らしいものになっています。これはベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」で触れた近寄り難いクレンペラーとはまるで別人のように思えたのも驚きの一つでした。クレンペラーはベートーヴェンとモーツァルトの違いをハッキリと描き分けた指揮...
私はモーツァルトの第29番を最もチャーミングな交響曲と思っています。彼の交響曲で最も大好きなのは第39番だと言うのは既に記しましたが、劇的な第25番や第40番の印象が強かったモーツァルトが、コープマンによる第29番との最初の出会いにより友人のような近しさを覚える事となりました。イ長調はギターではよく用いられる調で、その派手さと力強い輝きが特徴ですが、同主調のイ短調が組み合わされた時の響き、そのイ短調がハ長調...
オルガンもオーケストラも、その土地の響きを持つとするならば、今回の2組の演奏は見事にそれを表していると思います。録音年だけを見て、タイトルの通りどちらが現代風で、どちらが古風と考えられるでしょうか?実はカントロフ盤の響きというものが、案外バッハ達ドイツの作曲家の作品によって意識下に影響を受けているのではないかと思ったのもフランスの近・現代作品であるプーランク作品だからなのかも知れません。オルガン、弦...
複雑で心を騒ぎ立たせるロマン派の作品を楽しんでいると、たまに聴きたくなるのがただひたすら純粋な中世~ルネサンスの作品、あるいはPOPSやBlues.ROCKやJAZZであったりします。そして思います、遥か昔の世俗歌曲と現代の(広義での)POPSの共通点を。これらはいつの時代も変わらない人々の暮らしの一部として、或いは気軽な友達のようにずっと身近に在りつづけて来たのだと。何より曲によって使い分けられるリュートによるメロディ...
心はロマン派にあり、手法は古典派の先輩方への敬愛を示すシューベルトが残したピアノ三重奏曲は4曲あるそうです。しかし、辞典に記され演奏で聴くのは第1・2番と呼ばれる最晩年の作品2曲となっています。それら第1番・第2番と呼ばれるものは何れも最晩年に書かれていますが、第1番の方が第2番の後に作曲された(?)とも記されており現在でもはっきりとはしていないとあります。第1番が1828だとすると、それはシューベルト没年(1797-...
もしかすると人は愛しいもの(人だけではない)を想う時には美しい旋律を、別れる・離れる時には哀しさを堪えるために無機質(寂しい・虚しい/太陽は昇っているのに温かさを感じない/味がしない/周りが別世界に思える等)と感じるのでしょうか・・。それらと一緒に過ごせた喜びという想い出となった時に「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のように美しく漂い、同時にそれが過去形である事の切なさも心に固まりとなって存在する事...
チャイコフスキーの交響曲は、ドヴォルザークのそれらと同じく、後期の3曲辺りが発売される事が多いように思っています。私はどの作曲家も第1番にそのルーツを見るような気がしていて、それが例えマイナーで入手困難であっても可能な限り揃えるようにしているのですが、そこには大成する前の初々しさ等と共に、彼等独自の感性の根源に必ず出会うようにも思っています。第4番から第6番「悲愴」は本当に録音が多いのですが、初期の標...
ヴィヴァルディの良さの一つに、情に深入りせずサラッと聴かせる、それでいて風景や喜怒哀楽の描写には強い共感を覚えるという事もあるのではないでしょうか。必要に迫られて実用音楽・教育(孤児院施設での)に大量生産した彼は、既に作られた自作品を変奏曲のように様々に料理できる才能に恵まれていたと感じたのです。いえ・・、もしかするとその需要こそが彼の素材を多種に展開する腕を磨いたのかも知れませんね。ですから、変奏...
もう使わずベッドの下に眠るだけのBOX・・。希少なものを集めていると自負する私は、誰かに聴かれる方が・・、欲しいと思っている人の手に委ねる方が・・、と思うようになりました。それは最近までこのブログでも単盤で貰い手を募っていたCDたちへの想いと同じです。中にはamazonに現在99,970円というとんでもない値段で並んでいるもの、3-4万のものなども多くあるのですが、オークションには10,000円程で次の日曜まで並んでいま...
当ブログで出会うことの出来ました皆様からの優しさ、記事のないままご訪問くださいます事に申し訳ない気持ちと感謝で胸一杯です。この場を借りてお礼申し上げます。アトリエ・バロック・フランセーズの臼井先生のブログからいつも前に進もうというお力を頂き、助けて頂いていたという事も記させてください。まだ暫くは徹夜に近い仕事に追われる毎日が続きますが、その甲斐あってもう一つの大きなプロジェクトにも参入出来る運びと...
ニ長調のワルツ作曲 : F.ターレガ使用写真撮影者 : ヒロサカ様 https://tomoyan10.blog.ss-blog.jp/ギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214昨年は介護のために爪を伸ばせなくなり録音する事が出来ませんでした。それでも毎日、基本練習だけはサボらずにしていたのですが、それまで染み込ませた感...
鍵盤楽器が独奏楽器として普及する前、それを担ったのが指で直接弾くギター族(仮)であった事は西欧音楽史の最初の方に記されています。ミランやナルバエス・・、スカルラッティたちが活躍する以前のスペイン宮廷で独奏楽器や歌曲の伴奏楽器としてのビウェラを用いて時代の音を響かせた彼らを知る音楽愛好家はまだ少ないのではないでしょうか。今回はビウェラ、リュート、ギターで弾かれるミラン作品を集めてみました。ルイス・デ・...
いみじき時 (歌曲集「灰色の歌」より)詞 : P.ヴェルレーヌ作曲 : 1892年葡萄摘みの3日間詞 : A.ドーデーリラの葉影の夜うぐいす (または「リラに来るうぐいす」)詞 : L.ドーファン恋する乙女詞 : ド・プリヴィユR.アーン Reynaldo Hahn (1874-19447 仏)マスネー風の甘美な旋律性により知られ、歌劇を含む80曲の劇場作品や、協奏曲、室内楽曲もあるが、104曲の歌曲がすぐれている。(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)※各アルバ...
フィヨルドの雄大な晩秋を感じる「秋に」は、演奏会用序曲としてのスケールと、グリーグの細やかで繊細な描写を併せ持つ作品ではないでしょうか。この作品でのグリーグの書法は明快であり、描くものが例えば下降音型であれば吹きすさぶ北風であったりと、ノルウェーの自然と密接な繋がりを感じます。それは短い秋に既に冬の厳しさが窺え、彼の家の立つフィヨルドを望む山と海とが一緒になった切り立った崖の壮観さとなるように思い...
ギター作品「セゴヴィア-ナ op.366」に聴く近代パリの街並みを思わせる雰囲気から知る事となったミヨーは、プーランク(ギター作品「ギターのためのサラバンド FP179」)やメシアンたちと同じ時代を生きた作曲家ですが、その作風はより馴染み良い特徴を持つと感じます。同じくギター作品を書いたルーセル(ギター作品「セゴヴィアop.29」)は印象主義からバーバリズム、新古典派へと作風が移り変わって行くように、当時のフランスは様...
この二つは書法的に正反対の作品ですが、驚く事に感覚として伝わるものは共通するのです。調性の持つ色、そこから生まれる音度差の作る情というものが、それを失ってなおベルクの世界を描いて見せる事に驚くのです。ベルク作品の場合は無機質なものとならず原子にまで分解されてもなお本質を残し続ける事に魅せられました。「私の眼を閉じさせて」の第1作は木や土壁、或いは程良く古びた壁紙に柔らかな灯かりの燈るカフェの片隅、...
バルビローリが現ワーナーに録音したモーツァルトの交響曲は29番と41番しかないという事に驚きます。そこで数年に渡る批評誌を持つ友人に29番とジュピターの様子を訊ねてみるのですが、そこには彼の録音はどの年度にも挙がっていないようでそれにも驚いたのです。何故って、29番の愉悦感、響きの美しさは私の持つ何れよりも美しく、しかも録音も優秀であった事を示すように目の前に浮かび上がって来る音場のどの角度もまんべんなく...
いきなり文として成り立ちませんが、楷書による一筆書きのような演奏、それがワルターの29番だと思います。それは[端正で明確な意思を持つ]楷書による[その運びにより]一筆書きと感じたからです。演奏速度が私の持つ盤では最も軽やかで爽快、しかし弾き崩さない清潔感を保ったままでそれを成し得る事に驚きます。ワルター盤とコープマン盤はモダンとピリオドでの29番の理想像・・と、わたし自身は勝手に思っているのですが(なんと💦...
ケテルビーの描く世界は、実際はその土地っぽくリズムとメロディーを工夫したイメージ音楽である事に気付きます。それは映画などでも聴く独自のヴァーチャルな世界観を持つもので、その作曲書法はガヴォットを用いたりと、兎に角馴染み易い西欧のフォーマットを基本としたものである事が感じられました。しかし、子供の時に夢の世界へ連れて行ってくれた音の世界は魅力的であり、その楽しみはクラシックの下でも上でもない確固とし...
モーツァルト作品の魅力の一つに心地良い快速性を含めるとすると、29番はまさにそれに当てはまる交響曲だと思うのですが、クレンペラーは優雅に描き、そこに漂うニュアンスが細やかな表情を見せて愛らしいものになっています。これはベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」で触れた近寄り難いクレンペラーとはまるで別人のように思えたのも驚きの一つでした。クレンペラーはベートーヴェンとモーツァルトの違いをハッキリと描き分けた指揮...
私はモーツァルトの第29番を最もチャーミングな交響曲と思っています。彼の交響曲で最も大好きなのは第39番だと言うのは既に記しましたが、劇的な第25番や第40番の印象が強かったモーツァルトが、コープマンによる第29番との最初の出会いにより友人のような近しさを覚える事となりました。イ長調はギターではよく用いられる調で、その派手さと力強い輝きが特徴ですが、同主調のイ短調が組み合わされた時の響き、そのイ短調がハ長調...
オルガンもオーケストラも、その土地の響きを持つとするならば、今回の2組の演奏は見事にそれを表していると思います。録音年だけを見て、タイトルの通りどちらが現代風で、どちらが古風と考えられるでしょうか?実はカントロフ盤の響きというものが、案外バッハ達ドイツの作曲家の作品によって意識下に影響を受けているのではないかと思ったのもフランスの近・現代作品であるプーランク作品だからなのかも知れません。オルガン、弦...
複雑で心を騒ぎ立たせるロマン派の作品を楽しんでいると、たまに聴きたくなるのがただひたすら純粋な中世~ルネサンスの作品、あるいはPOPSやBlues.ROCKやJAZZであったりします。そして思います、遥か昔の世俗歌曲と現代の(広義での)POPSの共通点を。これらはいつの時代も変わらない人々の暮らしの一部として、或いは気軽な友達のようにずっと身近に在りつづけて来たのだと。何より曲によって使い分けられるリュートによるメロディ...
心はロマン派にあり、手法は古典派の先輩方への敬愛を示すシューベルトが残したピアノ三重奏曲は4曲あるそうです。しかし、辞典に記され演奏で聴くのは第1・2番と呼ばれる最晩年の作品2曲となっています。それら第1番・第2番と呼ばれるものは何れも最晩年に書かれていますが、第1番の方が第2番の後に作曲された(?)とも記されており現在でもはっきりとはしていないとあります。第1番が1828だとすると、それはシューベルト没年(1797-...
もしかすると人は愛しいもの(人だけではない)を想う時には美しい旋律を、別れる・離れる時には哀しさを堪えるために無機質(寂しい・虚しい/太陽は昇っているのに温かさを感じない/味がしない/周りが別世界に思える等)と感じるのでしょうか・・。それらと一緒に過ごせた喜びという想い出となった時に「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のように美しく漂い、同時にそれが過去形である事の切なさも心に固まりとなって存在する事...
前回記したメシアンの無調性による[美しい定旋律]を持たない世界のまさに逆、膨らんだ機能和声の極致[トリスタン和声]と濃厚な情念が湧き上がるワーグナー(特にトリスタンとイゾルデ)の固定観念を持つ旋律・・。そのどちらにも深い陶酔の世界がある事を知ってしまいました。「トリスタンとイゾルデ」第3幕開始のコーラングレと共に吹き過ぎる心が荒涼とした冷たく寂しい情景はワーグナーの世界の中でも特に好きな部分です。その習...