アフロ・キューバン・ララバイJ.マーシャル編使用写真撮影者 : 学生時代に安いデジカメで撮影したものですギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214夏になると海を思いながら無性に弾きたくなる曲です。カリブ海の明るい日差しと、アフリカのリフのように繰り返される単調なメロディーが融合したよ...
クラシック音楽を自分の心が感じたそのままに記す事をモットーにしています。 クラシック・ギターのアナリーゼの考察実践の練習風景や、作品演奏動画、自作品をアップしています。 お知らせ下さればフォローいたします。
DAWソフトに詳しい方、是非お友達になってください。 オンラインで一緒にジャンル問わず何でもありのバンド演奏も如何ですか? 私はアコギ、エレキ、ベース、クラシック・ギターは演奏可能です。 自作品への参加も、お手伝いしてくださると助かります。
とても嬉しい事に出会う時があります。それは私がフォーレの作品で最も素晴らしい最高傑作だと信じる事を、他の方もそう記されていた事に出会った時です。或る日、作品への想いがいつも温かく、しかも本心から記される事にいつも引き寄せられるブログでの大切なお友達、アルトゥール様(クラシック音楽のある毎日)の記された記事に
弦楽四重奏曲 ホ短調 op.121/エレジー ハ短調 op.24/子守歌 op.16/G.フォーレ
私はラヴェルとドビュッシーの弦楽四重奏曲が大好きです。二人のそれらに比べてとても地味に感じるフォーレ晩年の渋く深いコクを持つフォーレの弦楽四重奏曲はしみじみと心の中を吹き渡る良さを感じます。弦楽四重奏曲 ホ短調 op.121作曲 : 1923-24年初演 : 1925年 パリ(参考までに今回のCDでの演奏時間を記しています)弦楽四重奏曲 ホ短調 op.121 第1楽章: Allegro moderato (6:40)弦楽四重奏曲 ホ短調 op.121 第2楽章: Andante (...
若き頃と老年になってからの2曲だけ創られた
一人だけの時に聴くフォーレの室内楽は、いつの間にか心の中へと沈潜して行きながら、同時に雑念を忘れ純粋な境地、そう自然は全ての生き物が平等にの共有する恵みであり、人のみは
Gabriel-Urbain Fauré(1845-1924)のピアノ作品を取り上げてみました。フォーレ作品は同時代のフランスの作曲家の中にあって、管弦楽作品が少なく、室内楽曲、ピアノ曲、歌曲に自分の表現の場を追い求めた事が分かります。その作品たちは落ち着いた大人の魅力を持ち、護岸工事されていない川のような自然さに虜にされます。聞くところによると不思議な事に子供たちはフォーレを好まないと言われてもいるそうで、その地味ながらもデ...
フォーレが好きで、その作品は殆ど揃えているのですが、中でもピアノ作品と室内楽作品は大好きなものです。印象派とも少し違う、かといって世代が前のサン=サーンスとも違うモダンで不協和な和音の独自性と、ラヴェルやドビュッシー達に比べて地味に見える中に聴こえる深みと味わい、そして決して綺麗に響く和音によらないのにそこに漂う葉っぱの匂いや木々を吹き抜ける風の運ぶもの、温感まで描いて見せるフォーレの想いに魅了さ...
オーボエ協奏曲 ト長調/G.プラッティ/フランス・ブリュッヘン指揮/18世紀オーケストラ(1979)
パドヴァ出身のプラッティはまさに様式の移り変わる前期古典派のイタリアの音楽家で、なんと
(新旧の)ヴァイオリン協奏曲 第5番 イ短調 op.37 「ル・グレトリー」/H.ヴュータン/ヤッシャ・ハイフェッツ(1947(MONO)/1961(STEREO))
14年の歳月を経て再び録音されたこの演奏は、オーケストラの名前(のみ)は変わっていますが、ソロも指揮者もオーケストラもまったく同じという組み合わせで成されたものです。その間にテクノロジー的な変化(MONOからSTEREO)はありましたが、音質の違いを抜きにして、聴こえて来るものにこそ音楽という
バレエ音楽「ペトルーシュカ」(5)/I.ストラヴィンスキー/エリアフ・インバル(1989・90)
鬼才インバルの描く「ペトルーシュカ」は、響きの中に潜む何者か、或いは醜さにホラー映画以上の恐怖を覚えるものでした。自分の中の最も怖いもの、人の心も在りようによってはこうなるのだとの確信が映像ではイメージが固定されてしまうのですが、音のみであるが故に逆に自分の中で想像が膨らみ威力を増して現れるのだと思います。それを響きに含ませたインバルはまさに鬼才なのだと、最初にそう呼ばれた方の感性に共感したのでし...
バレエ音楽「ペトルーシュカ」(4)/I.ストラヴィンスキー/シャルル・デュトワ(1986)
デュトワは不思議な指揮者だと思います。デュトワの演奏が好きな私は、彼の演奏では初めて「春の祭典」をあまり気に入らなかったのです。ところが、同録の「ペトルーシュカ」は何とも言えない魅力、そう、薄味の良さを感じる稀有の種類のものに思えたのでした。※各アルバムに張り付けてあるバラ飾りは
バレエ音楽「ペトルーシュカ」(3)/I.ストラヴィンスキー/アンタル・ドラティ(1980・81)
好きな演奏を探すためにあれこれと聴いている中で、これ物凄く良いかな・・と思って買ったのが、まったく知らなかったドラティのものでした。同録の「春の祭典」と共にデトロイト交響楽団というこれまた聴いた事の無いオーケストラから、鮮烈でニュアンスある音が飛び出し、何よりカーニバルの情景を見事に描いていると感じたのです。※各アルバムに張り付けてあるバラ飾りは
バレエ音楽「ペトルーシュカ」(2)/I.ストラヴィンスキー/ピエール・ブーレーズ(1971/91)
ブーレーズは指揮者ジョージ・セル達により鍛えられた、その室内楽にも匹敵するといわれる精密さで世界でも一流と言われるクリーヴランド管弦楽団の常任指揮者でもありました。ブーレーズの演奏はどれも現代音楽の作曲家としてのするどい分析による曖昧さのない、全てを解き明かす明晰さをもつというのは本当だと思います。特にCBS時代は
バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1)/I.ストラヴィンスキー/アルトゥーロ・トスカニーニ(1940(L))
「ペトルーシュカ」は、一見謝肉祭の人形芝居小屋が舞台の楽しいものだと思われがちですが(「のだめカンタービレ」のお料理番組テーマの箇所を見れば特に)、実は人形が繰り広げる愛憎劇でゾッと寒気を感じる内容だったりします。トスカニーニの膨大なRCAへの録音には、驚く事にストラヴィンスキー作品は「ペトルーシュカ」しか有りません。それも第1・4幕のみという寂しいものですが、それでも最初にこの盤を記したかったのは、音...
中世(1360年)のクリスマス音楽~モースブルクのミサ聖歌集
このアルバムには、色々な場所から集められた13世紀のクリスマスの庶民の歌や踊りとモースブルクの教会で歌われたミサ聖歌たちが収録されています。ですから1枚全部が聖歌ではなく、13世紀のクリスマスの生活が伝わって来る楽しさと、厳かな聖歌が好対照の素敵なタイムマシンなのです。モースブルクアンデアイサールは、ドイツ、バイエルン州のランクライスフライジングにある町です。レーゲンスブルクとイタリアの間で最も古い町...
バレエ組曲「くるみ割り人形」op.71a(3)/P.I.チャイコフスキー/ロストロポーヴィチ(1978)
ロストロポーヴィチの指揮は旋律への拘りを強く感じる、或る意味執拗な歌・個性的なデフォルメを感じる事があります。また、彼はレパートリーをかなり選ぶ指揮者でもあり、それらの演奏作品には独自の色が付きます。その事が素敵だと感じるのが「シェエラザード」でありショスタコーヴィチの第5番だったりします。そこにはロシア的なものというのでしょうか、確かに独特のリズム感と地吹雪のような凄みもあり、ゲルギエフ達の前に...
バレエ組曲「くるみ割り人形」op.71a(2)/P.I.チャイコフスキー/ヘルベルト・フォン・カラヤン(1961/71)
カラヤンが指揮すると何でこんなにデラックスな華のある響きになるのでしょうね。その豪華さがカラヤン自身の目指す音楽の一つの要素なのか、それを自体を追求したのか、後年の演奏には迷ってしまうものが存在するのも確かだと私は感じています。それでも、この2枚の組曲「くるみ割り人形」は暖かなクリスマスのお部屋を感じる素敵な世界があると思います。[作品構成と演奏時間 61年盤/(71年盤)]1.小さな序曲 3:35 (3:25)2.性格的...
バレエ組曲「くるみ割り人形」op.71a(1)/P.I.チャイコフスキー/トスカニーニ(1951(L))/クルツ(1958・59)
クリスマスが近づいてくると私の中で浮かんでくるのはクラシックでは海外生活中に定番だったフンパーディンク「ヘンゼルとグレーテル」、チャイコフスキー「くるみ割り人形」、グルーバー「きよしこの夜」、JAZZでアニタ・オデイの歌う「バークリー・スクエアのナイチンゲール」、ジョン・レノン「ハッピー・クリスマス」という曲なのです。特に「くるみ割り人形」と「きよしこの夜」は物心ついた時から聴いて来たので、当時空想し...
交響曲 第9番 ニ長調(4)/G.マーラー/ピエール・ブーレーズ(1995)
ブーレーズのマーラーは小学生の頃に淡い色彩のジャケットにより・・ぇ、お店でいつも目についた事を今も覚えています。後にマーラー録音の4年ほど前からストラヴィンスキー、ラヴェル、ドビュッシーと、盛んにグラモフォンへの録音がされていたのだと知りました。彼のマーラーの中でも第5・6番は今もって私の中で大きな位置を占める存在で、クールさ、精細さが、新鮮で少し里心のついた海外での暮らしとピタリと共振する演奏だと...
交響曲 第9番 ニ長調(3)/G.マーラー/ヘルベルト・フォン・カラヤン(1982(L))
バーンスタインのライヴの後、カラヤンが間髪おかずスタジオ録音と、何と珍しいライヴ録音まで発売した事に強い執念のようなものを感じます。そして、それら2枚が際立つ美しさを放つところにもカラヤンのプライドと確固とした音楽観を感じるのです。第4楽章の消え入りそうなアダージョ最後で、ベルリン・フィルのメンバーはきっとバーンスタインとの想い出が、多少なりとも回顧せずにはいられなかったのではと思ってしまいます。※...
交響曲 第9番 ニ長調(2)/G.マーラー/レナード・バーンスタイン(1979(L)/1985(L))
先に記すと、私はバーンスタインのマーラーと、ブーレーズのマーラーが大好きです。正反対のようなマーラーから、バーンスタインははばかりなく人間的なものに没入して行き、ブーレーズは醒めたクールな、しかし微細な音の綾を紡ぎ出します。この二つの演奏からは、私自身の感じる世の中を、一方は自分よりの家族や友人たち、方や世の常・世間一般という外の世界を感じ、外から見ると自分の近くが温かく愛しく感じると言う事を痛感...
交響曲 第9番 ニ長調(1)/G.マーラー/サー・ジョン・バルビローリ(1964)
マーラーの第9番はCDで2枚組になる事もある長大な作品ですが、私はこの作品を聴き始めると第1楽章などは眠りと現実の狭間を彷徨うように安らぎ、第3楽章から第4楽章の連続は、深く心に共鳴してしまい、長いと感じる事なく気怠い快感に包まれて一気に聴き終わるのです。マーラーの苦悩は、人間として誰もが持つものであると不思議と安心感を感じたり、共感したり、慰めたくなったり・・、と、剥き出しの心をぶつけられる事で人間的...
トゥーランガリラ交響曲/O.メシアン/エサ=ペッカ・サロネン(1985)
この盤は購入するまで沢山の演奏を聴いては絞って行き、最後にシャイー番にするかこれにするか本当に悩みに悩んだ末に選んだものです。ですから、多くの盤を買う予定はなく、もしあと一枚選ぶとすればプレヴィン盤か小澤征爾さんの盤の雰囲気を持つものにすると思います。Olivier(-Eugène-Prosper-Charles) Messiaen (1908-92 仏)パリ音楽院でM.デュプレにオルガンを、P.デュカスに作曲を学ぶ1931年よりパリのサン・トリニテ教会の...
交響詩「ツァラトゥストラはかく語り」op.30(3)/R.シュトラウス/ヘルベルト・フォン・カラヤン(1959/73)
映画「2001年宇宙の旅」で流れたのはベーム58年の録音であった事を知りました。その1年後にDECCAに録音されたカラヤン/ウィーン・フィル盤には、この頃のウィーン・フィルとの演奏にだけ感じられる華があります。その後カラヤンはグラモフォンには73年と83年に再録音していますが、私の選んだのは73年盤で「ティル」と「ドン・ファン」目当てであったのですが、その後何度も83年盤を聴くもトータルでは今持っている2枚でいいと買わ...
交響詩「ツァラトゥストラはかく語り」op.30(2)/R.シュトラウス/ルドルフ・ケンペ(1971)
レコードで聴いたケンペの「アルプス交響曲」が大きな解説書と共に好きになった事もあり、彼の遺したR.シュトラウス演奏を集めたいと思っていた時に運良く発売されたのがこのBOXでした。オペラ以外の管弦楽作品はマイナーなものまで揃っているお気に入りです。ここでのドレスデン国立o.の響きはふくよかなのに管の輪郭がハッキリとした輝くような明るさを感じます。後期ドイツ・ロマン派でも陽気さと、聴かせるための派手さまで感...
交響詩「ツァラトゥストラはかく語り」op.30(1)/R.シュトラウス/ロリン・マゼール(1962)
意味なく前回の「魔笛」のザラストロ(ゾロアスター)の繋がりで「ツァラトゥストラ Zarathustra」を選んでみました。私の生まれる遥か前に作られた映画「2001年宇宙の旅」で使用されたらしいのですが、観た事のない作品なので、ついこの間アメリカでモノリスのニュースにも触れられていた事もありPrime Videoでも探してみようかと思いました。交響詩「ツァラトゥストラはかく語り」
弦楽五重奏曲 第2番 ト長調 op.111/J.ブラームス//アルバン・ベルク四重奏団(1998(L))
ブラームスの室内楽作品は、一見地味なようでいて、感情が湧き上がるように発露される時の美しさは比類がないものを持ち、現実生活の辛さ、喜びや、寂しさ、温かさ等が妙に現実味を帯びて聴こえて来るように思います。そのため、年を重ねる程にその味わいがたまらなく好きになる作曲家でもあると思います。師にお教え頂いた、ありふれた日々の中に本当のロマンは存在している事をブラームスもまた気付かせてくれ、それを人生の晩年...
歌劇「魔笛」K.620 : 序曲 ー à la carte ー
モーツァルトは今なお人気の衰えない歌劇を沢山作曲しているので、それら「序曲」の演奏だけでアルバムが成り立つ程です。これらはモダン楽器により指揮者の個性を楽しむ演奏から、ピリオドによる響きの違うものまで、選択肢を増やしながら、なお増え続けて行くクラシック音楽の華のような序曲たちだと思っています。※各アルバムに張り付けてあるバラ飾りは
最初にこの「魔笛」を聴いた時、ギターでF.ソルの「
例えば、ルネサンス期のイタリアでパレストリーナたちの創った宗教作品と、ここに聴くドイツの作曲家達によるもので大きな違いが感じられる事が分かります。影響を受けながらも、当時はその土地によって土地の色というものに染め直されていたのだと感じます。それは、具体的にどういう所から感じるのかという事を記さないと伝わらないと思いました。----------------------------------------------------------------[このアルバ...
初期イタリア・マドリガーレ集 (16世紀)/何故かスコットランド音楽
現在の情報が氾濫するネット上にも検索できない音楽家たちが居た事に想いを馳せるアルバムでした。当時はさぞや人気の高かった音楽家も時代と共に忘れ去られ、作品だけが発見されて遥か未来に蘇る・・、とても嬉しく、少し寂しい想いが吹き過ぎます。----------------------------------------------------------------[このアルバムで聴くことの出来る作曲家です]C.de.Rore (6曲)チプリアーノ・デ・ローレ(?-1565)は、ネーデルラ...
西欧音楽のある一時期に於いて、そして、その後の音楽史にまで影響する決定的なインパクトをもたらしたオランダ周辺諸国(フランスも含む)で試された技法は、時代様式が変わる以上の急激な速度で発展して行ったのではないでしょうか。このアルバムにはラッススのような超大物の作品も収録されていますが、彼以外の作曲家たちの作品たちに出会えた事が、また新たな当時の様子を見させてくれたと感じました。時代というものは突き進む...
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アフロ・キューバン・ララバイJ.マーシャル編使用写真撮影者 : 学生時代に安いデジカメで撮影したものですギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214夏になると海を思いながら無性に弾きたくなる曲です。カリブ海の明るい日差しと、アフリカのリフのように繰り返される単調なメロディーが融合したよ...
チャイコフスキーの交響曲は、ドヴォルザークのそれらと同じく、後期の3曲辺りが発売される事が多いように思っています。私はどの作曲家も第1番にそのルーツを見るような気がしていて、それが例えマイナーで入手困難であっても可能な限り揃えるようにしているのですが、そこには大成する前の初々しさ等と共に、彼等独自の感性の根源に必ず出会うようにも思っています。第4番から第6番「悲愴」は本当に録音が多いのですが、初期の標...
ヴィヴァルディの良さの一つに、情に深入りせずサラッと聴かせる、それでいて風景や喜怒哀楽の描写には強い共感を覚えるという事もあるのではないでしょうか。必要に迫られて実用音楽・教育(孤児院施設での)に大量生産した彼は、既に作られた自作品を変奏曲のように様々に料理できる才能に恵まれていたと感じたのです。いえ・・、もしかするとその需要こそが彼の素材を多種に展開する腕を磨いたのかも知れませんね。ですから、変奏...
もう使わずベッドの下に眠るだけのBOX・・。希少なものを集めていると自負する私は、誰かに聴かれる方が・・、欲しいと思っている人の手に委ねる方が・・、と思うようになりました。それは最近までこのブログでも単盤で貰い手を募っていたCDたちへの想いと同じです。中にはamazonに現在99,970円というとんでもない値段で並んでいるもの、3-4万のものなども多くあるのですが、オークションには10,000円程で次の日曜まで並んでいま...
当ブログで出会うことの出来ました皆様からの優しさ、記事のないままご訪問くださいます事に申し訳ない気持ちと感謝で胸一杯です。この場を借りてお礼申し上げます。アトリエ・バロック・フランセーズの臼井先生のブログからいつも前に進もうというお力を頂き、助けて頂いていたという事も記させてください。まだ暫くは徹夜に近い仕事に追われる毎日が続きますが、その甲斐あってもう一つの大きなプロジェクトにも参入出来る運びと...
ニ長調のワルツ作曲 : F.ターレガ使用写真撮影者 : ヒロサカ様 https://tomoyan10.blog.ss-blog.jp/ギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214昨年は介護のために爪を伸ばせなくなり録音する事が出来ませんでした。それでも毎日、基本練習だけはサボらずにしていたのですが、それまで染み込ませた感...
鍵盤楽器が独奏楽器として普及する前、それを担ったのが指で直接弾くギター族(仮)であった事は西欧音楽史の最初の方に記されています。ミランやナルバエス・・、スカルラッティたちが活躍する以前のスペイン宮廷で独奏楽器や歌曲の伴奏楽器としてのビウェラを用いて時代の音を響かせた彼らを知る音楽愛好家はまだ少ないのではないでしょうか。今回はビウェラ、リュート、ギターで弾かれるミラン作品を集めてみました。ルイス・デ・...
いみじき時 (歌曲集「灰色の歌」より)詞 : P.ヴェルレーヌ作曲 : 1892年葡萄摘みの3日間詞 : A.ドーデーリラの葉影の夜うぐいす (または「リラに来るうぐいす」)詞 : L.ドーファン恋する乙女詞 : ド・プリヴィユR.アーン Reynaldo Hahn (1874-19447 仏)マスネー風の甘美な旋律性により知られ、歌劇を含む80曲の劇場作品や、協奏曲、室内楽曲もあるが、104曲の歌曲がすぐれている。(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)※各アルバ...
フィヨルドの雄大な晩秋を感じる「秋に」は、演奏会用序曲としてのスケールと、グリーグの細やかで繊細な描写を併せ持つ作品ではないでしょうか。この作品でのグリーグの書法は明快であり、描くものが例えば下降音型であれば吹きすさぶ北風であったりと、ノルウェーの自然と密接な繋がりを感じます。それは短い秋に既に冬の厳しさが窺え、彼の家の立つフィヨルドを望む山と海とが一緒になった切り立った崖の壮観さとなるように思い...
ギター作品「セゴヴィア-ナ op.366」に聴く近代パリの街並みを思わせる雰囲気から知る事となったミヨーは、プーランク(ギター作品「ギターのためのサラバンド FP179」)やメシアンたちと同じ時代を生きた作曲家ですが、その作風はより馴染み良い特徴を持つと感じます。同じくギター作品を書いたルーセル(ギター作品「セゴヴィアop.29」)は印象主義からバーバリズム、新古典派へと作風が移り変わって行くように、当時のフランスは様...
この二つは書法的に正反対の作品ですが、驚く事に感覚として伝わるものは共通するのです。調性の持つ色、そこから生まれる音度差の作る情というものが、それを失ってなおベルクの世界を描いて見せる事に驚くのです。ベルク作品の場合は無機質なものとならず原子にまで分解されてもなお本質を残し続ける事に魅せられました。「私の眼を閉じさせて」の第1作は木や土壁、或いは程良く古びた壁紙に柔らかな灯かりの燈るカフェの片隅、...
バルビローリが現ワーナーに録音したモーツァルトの交響曲は29番と41番しかないという事に驚きます。そこで数年に渡る批評誌を持つ友人に29番とジュピターの様子を訊ねてみるのですが、そこには彼の録音はどの年度にも挙がっていないようでそれにも驚いたのです。何故って、29番の愉悦感、響きの美しさは私の持つ何れよりも美しく、しかも録音も優秀であった事を示すように目の前に浮かび上がって来る音場のどの角度もまんべんなく...
いきなり文として成り立ちませんが、楷書による一筆書きのような演奏、それがワルターの29番だと思います。それは[端正で明確な意思を持つ]楷書による[その運びにより]一筆書きと感じたからです。演奏速度が私の持つ盤では最も軽やかで爽快、しかし弾き崩さない清潔感を保ったままでそれを成し得る事に驚きます。ワルター盤とコープマン盤はモダンとピリオドでの29番の理想像・・と、わたし自身は勝手に思っているのですが(なんと💦...
ケテルビーの描く世界は、実際はその土地っぽくリズムとメロディーを工夫したイメージ音楽である事に気付きます。それは映画などでも聴く独自のヴァーチャルな世界観を持つもので、その作曲書法はガヴォットを用いたりと、兎に角馴染み易い西欧のフォーマットを基本としたものである事が感じられました。しかし、子供の時に夢の世界へ連れて行ってくれた音の世界は魅力的であり、その楽しみはクラシックの下でも上でもない確固とし...
モーツァルト作品の魅力の一つに心地良い快速性を含めるとすると、29番はまさにそれに当てはまる交響曲だと思うのですが、クレンペラーは優雅に描き、そこに漂うニュアンスが細やかな表情を見せて愛らしいものになっています。これはベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」で触れた近寄り難いクレンペラーとはまるで別人のように思えたのも驚きの一つでした。クレンペラーはベートーヴェンとモーツァルトの違いをハッキリと描き分けた指揮...
私はモーツァルトの第29番を最もチャーミングな交響曲と思っています。彼の交響曲で最も大好きなのは第39番だと言うのは既に記しましたが、劇的な第25番や第40番の印象が強かったモーツァルトが、コープマンによる第29番との最初の出会いにより友人のような近しさを覚える事となりました。イ長調はギターではよく用いられる調で、その派手さと力強い輝きが特徴ですが、同主調のイ短調が組み合わされた時の響き、そのイ短調がハ長調...
オルガンもオーケストラも、その土地の響きを持つとするならば、今回の2組の演奏は見事にそれを表していると思います。録音年だけを見て、タイトルの通りどちらが現代風で、どちらが古風と考えられるでしょうか?実はカントロフ盤の響きというものが、案外バッハ達ドイツの作曲家の作品によって意識下に影響を受けているのではないかと思ったのもフランスの近・現代作品であるプーランク作品だからなのかも知れません。オルガン、弦...
複雑で心を騒ぎ立たせるロマン派の作品を楽しんでいると、たまに聴きたくなるのがただひたすら純粋な中世~ルネサンスの作品、あるいはPOPSやBlues.ROCKやJAZZであったりします。そして思います、遥か昔の世俗歌曲と現代の(広義での)POPSの共通点を。これらはいつの時代も変わらない人々の暮らしの一部として、或いは気軽な友達のようにずっと身近に在りつづけて来たのだと。何より曲によって使い分けられるリュートによるメロディ...
心はロマン派にあり、手法は古典派の先輩方への敬愛を示すシューベルトが残したピアノ三重奏曲は4曲あるそうです。しかし、辞典に記され演奏で聴くのは第1・2番と呼ばれる最晩年の作品2曲となっています。それら第1番・第2番と呼ばれるものは何れも最晩年に書かれていますが、第1番の方が第2番の後に作曲された(?)とも記されており現在でもはっきりとはしていないとあります。第1番が1828だとすると、それはシューベルト没年(1797-...
もしかすると人は愛しいもの(人だけではない)を想う時には美しい旋律を、別れる・離れる時には哀しさを堪えるために無機質(寂しい・虚しい/太陽は昇っているのに温かさを感じない/味がしない/周りが別世界に思える等)と感じるのでしょうか・・。それらと一緒に過ごせた喜びという想い出となった時に「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のように美しく漂い、同時にそれが過去形である事の切なさも心に固まりとなって存在する事...
チャイコフスキーの交響曲は、ドヴォルザークのそれらと同じく、後期の3曲辺りが発売される事が多いように思っています。私はどの作曲家も第1番にそのルーツを見るような気がしていて、それが例えマイナーで入手困難であっても可能な限り揃えるようにしているのですが、そこには大成する前の初々しさ等と共に、彼等独自の感性の根源に必ず出会うようにも思っています。第4番から第6番「悲愴」は本当に録音が多いのですが、初期の標...
ヴィヴァルディの良さの一つに、情に深入りせずサラッと聴かせる、それでいて風景や喜怒哀楽の描写には強い共感を覚えるという事もあるのではないでしょうか。必要に迫られて実用音楽・教育(孤児院施設での)に大量生産した彼は、既に作られた自作品を変奏曲のように様々に料理できる才能に恵まれていたと感じたのです。いえ・・、もしかするとその需要こそが彼の素材を多種に展開する腕を磨いたのかも知れませんね。ですから、変奏...
もう使わずベッドの下に眠るだけのBOX・・。希少なものを集めていると自負する私は、誰かに聴かれる方が・・、欲しいと思っている人の手に委ねる方が・・、と思うようになりました。それは最近までこのブログでも単盤で貰い手を募っていたCDたちへの想いと同じです。中にはamazonに現在99,970円というとんでもない値段で並んでいるもの、3-4万のものなども多くあるのですが、オークションには10,000円程で次の日曜まで並んでいま...
当ブログで出会うことの出来ました皆様からの優しさ、記事のないままご訪問くださいます事に申し訳ない気持ちと感謝で胸一杯です。この場を借りてお礼申し上げます。アトリエ・バロック・フランセーズの臼井先生のブログからいつも前に進もうというお力を頂き、助けて頂いていたという事も記させてください。まだ暫くは徹夜に近い仕事に追われる毎日が続きますが、その甲斐あってもう一つの大きなプロジェクトにも参入出来る運びと...
ニ長調のワルツ作曲 : F.ターレガ使用写真撮影者 : ヒロサカ様 https://tomoyan10.blog.ss-blog.jp/ギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214昨年は介護のために爪を伸ばせなくなり録音する事が出来ませんでした。それでも毎日、基本練習だけはサボらずにしていたのですが、それまで染み込ませた感...
鍵盤楽器が独奏楽器として普及する前、それを担ったのが指で直接弾くギター族(仮)であった事は西欧音楽史の最初の方に記されています。ミランやナルバエス・・、スカルラッティたちが活躍する以前のスペイン宮廷で独奏楽器や歌曲の伴奏楽器としてのビウェラを用いて時代の音を響かせた彼らを知る音楽愛好家はまだ少ないのではないでしょうか。今回はビウェラ、リュート、ギターで弾かれるミラン作品を集めてみました。ルイス・デ・...
いみじき時 (歌曲集「灰色の歌」より)詞 : P.ヴェルレーヌ作曲 : 1892年葡萄摘みの3日間詞 : A.ドーデーリラの葉影の夜うぐいす (または「リラに来るうぐいす」)詞 : L.ドーファン恋する乙女詞 : ド・プリヴィユR.アーン Reynaldo Hahn (1874-19447 仏)マスネー風の甘美な旋律性により知られ、歌劇を含む80曲の劇場作品や、協奏曲、室内楽曲もあるが、104曲の歌曲がすぐれている。(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)※各アルバ...
フィヨルドの雄大な晩秋を感じる「秋に」は、演奏会用序曲としてのスケールと、グリーグの細やかで繊細な描写を併せ持つ作品ではないでしょうか。この作品でのグリーグの書法は明快であり、描くものが例えば下降音型であれば吹きすさぶ北風であったりと、ノルウェーの自然と密接な繋がりを感じます。それは短い秋に既に冬の厳しさが窺え、彼の家の立つフィヨルドを望む山と海とが一緒になった切り立った崖の壮観さとなるように思い...
ギター作品「セゴヴィア-ナ op.366」に聴く近代パリの街並みを思わせる雰囲気から知る事となったミヨーは、プーランク(ギター作品「ギターのためのサラバンド FP179」)やメシアンたちと同じ時代を生きた作曲家ですが、その作風はより馴染み良い特徴を持つと感じます。同じくギター作品を書いたルーセル(ギター作品「セゴヴィアop.29」)は印象主義からバーバリズム、新古典派へと作風が移り変わって行くように、当時のフランスは様...
この二つは書法的に正反対の作品ですが、驚く事に感覚として伝わるものは共通するのです。調性の持つ色、そこから生まれる音度差の作る情というものが、それを失ってなおベルクの世界を描いて見せる事に驚くのです。ベルク作品の場合は無機質なものとならず原子にまで分解されてもなお本質を残し続ける事に魅せられました。「私の眼を閉じさせて」の第1作は木や土壁、或いは程良く古びた壁紙に柔らかな灯かりの燈るカフェの片隅、...
バルビローリが現ワーナーに録音したモーツァルトの交響曲は29番と41番しかないという事に驚きます。そこで数年に渡る批評誌を持つ友人に29番とジュピターの様子を訊ねてみるのですが、そこには彼の録音はどの年度にも挙がっていないようでそれにも驚いたのです。何故って、29番の愉悦感、響きの美しさは私の持つ何れよりも美しく、しかも録音も優秀であった事を示すように目の前に浮かび上がって来る音場のどの角度もまんべんなく...
いきなり文として成り立ちませんが、楷書による一筆書きのような演奏、それがワルターの29番だと思います。それは[端正で明確な意思を持つ]楷書による[その運びにより]一筆書きと感じたからです。演奏速度が私の持つ盤では最も軽やかで爽快、しかし弾き崩さない清潔感を保ったままでそれを成し得る事に驚きます。ワルター盤とコープマン盤はモダンとピリオドでの29番の理想像・・と、わたし自身は勝手に思っているのですが(なんと💦...
ケテルビーの描く世界は、実際はその土地っぽくリズムとメロディーを工夫したイメージ音楽である事に気付きます。それは映画などでも聴く独自のヴァーチャルな世界観を持つもので、その作曲書法はガヴォットを用いたりと、兎に角馴染み易い西欧のフォーマットを基本としたものである事が感じられました。しかし、子供の時に夢の世界へ連れて行ってくれた音の世界は魅力的であり、その楽しみはクラシックの下でも上でもない確固とし...
モーツァルト作品の魅力の一つに心地良い快速性を含めるとすると、29番はまさにそれに当てはまる交響曲だと思うのですが、クレンペラーは優雅に描き、そこに漂うニュアンスが細やかな表情を見せて愛らしいものになっています。これはベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」で触れた近寄り難いクレンペラーとはまるで別人のように思えたのも驚きの一つでした。クレンペラーはベートーヴェンとモーツァルトの違いをハッキリと描き分けた指揮...
私はモーツァルトの第29番を最もチャーミングな交響曲と思っています。彼の交響曲で最も大好きなのは第39番だと言うのは既に記しましたが、劇的な第25番や第40番の印象が強かったモーツァルトが、コープマンによる第29番との最初の出会いにより友人のような近しさを覚える事となりました。イ長調はギターではよく用いられる調で、その派手さと力強い輝きが特徴ですが、同主調のイ短調が組み合わされた時の響き、そのイ短調がハ長調...
オルガンもオーケストラも、その土地の響きを持つとするならば、今回の2組の演奏は見事にそれを表していると思います。録音年だけを見て、タイトルの通りどちらが現代風で、どちらが古風と考えられるでしょうか?実はカントロフ盤の響きというものが、案外バッハ達ドイツの作曲家の作品によって意識下に影響を受けているのではないかと思ったのもフランスの近・現代作品であるプーランク作品だからなのかも知れません。オルガン、弦...
複雑で心を騒ぎ立たせるロマン派の作品を楽しんでいると、たまに聴きたくなるのがただひたすら純粋な中世~ルネサンスの作品、あるいはPOPSやBlues.ROCKやJAZZであったりします。そして思います、遥か昔の世俗歌曲と現代の(広義での)POPSの共通点を。これらはいつの時代も変わらない人々の暮らしの一部として、或いは気軽な友達のようにずっと身近に在りつづけて来たのだと。何より曲によって使い分けられるリュートによるメロディ...
心はロマン派にあり、手法は古典派の先輩方への敬愛を示すシューベルトが残したピアノ三重奏曲は4曲あるそうです。しかし、辞典に記され演奏で聴くのは第1・2番と呼ばれる最晩年の作品2曲となっています。それら第1番・第2番と呼ばれるものは何れも最晩年に書かれていますが、第1番の方が第2番の後に作曲された(?)とも記されており現在でもはっきりとはしていないとあります。第1番が1828だとすると、それはシューベルト没年(1797-...
もしかすると人は愛しいもの(人だけではない)を想う時には美しい旋律を、別れる・離れる時には哀しさを堪えるために無機質(寂しい・虚しい/太陽は昇っているのに温かさを感じない/味がしない/周りが別世界に思える等)と感じるのでしょうか・・。それらと一緒に過ごせた喜びという想い出となった時に「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のように美しく漂い、同時にそれが過去形である事の切なさも心に固まりとなって存在する事...
前回記したメシアンの無調性による[美しい定旋律]を持たない世界のまさに逆、膨らんだ機能和声の極致[トリスタン和声]と濃厚な情念が湧き上がるワーグナー(特にトリスタンとイゾルデ)の固定観念を持つ旋律・・。そのどちらにも深い陶酔の世界がある事を知ってしまいました。「トリスタンとイゾルデ」第3幕開始のコーラングレと共に吹き過ぎる心が荒涼とした冷たく寂しい情景はワーグナーの世界の中でも特に好きな部分です。その習...