実は毎年のように狙っている車のフロントガラスの桜景、昨年はお天気悪し、その前はコロナだったり、タイミングが合わなかったり、今年は久しぶりのこの光景に”やっと来た。”とつぶやいた。西堀通真宗寺の石灯籠と桜、まさに「和の光景」だと感じる。この光景が西堀通通り寺院にはいくつかある、でも西堀通の寺院と云っても30寺院近いので同じ光景があっても不思議でもないのかも。世の中には「駐車場と桜」のパターンは多いだろ...
気になる日常風景の”僕のツボ”をスナップ。
街歩き、時に海、山、僕の「これって、いいねえ。」を撮ってます。
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実は毎年のように狙っている車のフロントガラスの桜景、昨年はお天気悪し、その前はコロナだったり、タイミングが合わなかったり、今年は久しぶりのこの光景に”やっと来た。”とつぶやいた。西堀通真宗寺の石灯籠と桜、まさに「和の光景」だと感じる。この光景が西堀通通り寺院にはいくつかある、でも西堀通の寺院と云っても30寺院近いので同じ光景があっても不思議でもないのかも。世の中には「駐車場と桜」のパターンは多いだろ...
毎年桜の咲く頃になると、中央区西堀通本覚寺へやってくる。実際には西堀通寺町のいくつもの桜を撮るため。下手な所へいくよりも、お寺と桜の関係は10数年前に桜の頃に京都へ行って綺麗は綺麗なのだが人に多さに参ってしたった。そしてそんな京都の桜をまた見たいと思いながら、なかなか行けない。そして西堀通のお寺周りで枝垂れ桜、ソメイヨシノを見つけてひょっとして桜の季節は”いいんじゃね。”とその時を待って訪れるとその...
私的にはやっとの本年桜記事。GWも終わろうしている今、当に桜はなんて周囲にはどこにも咲いてないだが。いまさら桜シリーズ、、、、まずは中央区西堀通本覚寺、毎度桜の季節になるとどこへ行ったらやらと迷う、桜の新規開拓も探すのだが「二兎を追うものは一兎をも得ず」の諺にならないよう、まずは押さえるものは押さえておいて、後は「野となれ山となれ」である。まだまだストックてんこ盛りなのだけれど、時系列で記事にしてい...
出雲崎を後にして、私は次の目的地へと向かう道中に、目に入った光景に私は車を停めて撮りなくなった柏崎市石地海水浴場。構図には入っていないが先客が、カップルと男性がいた。カップルの方の女性はスマホで、別な男性は一眼で撮っていた、と云うよりも撮り終えてかえっていった。私は興味本位で砂浜に残る男性の足跡へ、なるほどここで撮ったかと人様の軌跡たどった。上空を飛ぶウミネコは”バカなことしおって。”と云ったかどう...
出雲崎町石井町国道352号線交差点、久しぶりの訪れて満足の石井神社、そして撮るも撮ったりで満足で石井神社の長い石段を降りる。当たり前に登る時はヘイコラしてるのに、降りるのはまったく楽である(左は住吉神社)。石井町交差点すぐの良寛堂、到着して私は”ありゃ。”と声をだした。冬囲いされていた。オイオイここもか?と思いつつ引き戸は開くのかと横に引こうするもまったく動かず。久しぶりの出雲崎でもありオレは良寛堂...
狛犬越しの出雲崎町と出雲崎港と日本海高台の石井神社境内と日本海、そうそうこのドラム缶は以前も撮った記憶がある。出雲崎町石井神社を囲む板塀。両サイドには言われて気づく硝子窓。その硝子窓からの光景、前日モノクロで、私にはこの光景はモノクロイメージになる。石井神社の鳥居と狛犬越しの白浪立つ日本海、沖にはうっすらと佐渡島。出雲崎町石井町の屋根並みと出雲崎漁港出雲崎町石井町交差点、撮る所満載の出雲崎町石井神...
石井神社(いわいじんじゃ)では、私は撮りたいものがたくさんあって、これもそのひとつ。そして私のこのイメージはモノクロ。石井神社を囲む板塀には明り取りのガラス窓がハマっている。引き戸を開けて中に入り、社殿の縁に上がり板塀にハマった硝子窓から眺める。キレイではなくぶつぶつ汚れ越しに、これを撮ってしまうとまた撮りたくなってくるのである(ぶつぶつ、長年潮が飛んできたものだろう)。前には古い狛犬、鳥居横には...
石井神社の鳥居横にいる狛犬の視線、夜も昼も、冬も夏も日本海を見守っているようで、その姿を後ろから見るとなんとも頼もしく思えた。神社の御社を覆うはめ込み式の板塀。そしてその板にも多々単に密閉するのではく、神社も息苦しくないようになか通気口の穴に設置に神様に気を使っているのがわかる(もっとも密閉するよりも暑い夏には通気口として良いのかもしれない)。入り口のガラス戸に写る古い狛犬と日本海。出雲崎町石井神...
笑ってしまった。人はやりたかったことが達成した時やったー!とかでなく思わず笑ってしまうことはないだろうか。私には出雲崎町といえば一番はこの光景なのかもしれない。その一番の光景も、コロナ騒ぎもあって久しぶり、それまで”あの光景を撮りたいなあ。”とこの光景が時折頭に浮かんだ。石井神社の鳥居と狛犬。ちなみに擁壁(ようへき)の上は良寛記念館、ここからの海へ沈む夕日の光景は有名。例により板塀に囲まれた神社。そ...
久しぶりの出雲崎町歩き、何度も歩いているので土地感はあるはずだったが、目的地に石井神社(いわいじんじゃ)までこの日”こんなにあったか?”と思いのほか長く歩いているような、だった。そして、この日の目的でもあった、左の石井神社(いわいじんじゃ)、こんなに歩いたっけ?の余裕のないような私には頭で大丈夫と思っていたがこの階段には”うわー。”となった。右正面が住吉神社、石段を登り奥が石井神社。例により住吉神社は...
稲荷神社から海を眺めながら思う、海はいいっすわとあちこちの神社仏閣を撮り始めて特別感、お得感があるなあと感じてくる。まして神社の鳥居越しなのだもの。赤い鳥居と稲荷神社、ヘイコラと疲労困憊気味で長い階段を登ってくると赤い鳥居に神々しい、霊験あらたかのような場所に思えてくる。参道に積もった枯れ葉見ながら誰も着てないのか、葉っぱの圧着感から誰か訪れているのだとうかと、赤い鳥居で霊験あらたかと感じているだ...
出雲崎伊勢町T字路、久しぶりの長々の出雲崎町歩き、何度も訪れているので街並みの記憶があるのが、その家並みの家がなくなっていて空き地になっていたりの所もあって私は「あらまあ。」とつぶやいた。出雲崎町の山手、延々と続く海岸線、港があったり、海水浴場があったり、陸地には住居が並びこれが出雲崎町の街並みなる。その街並みに裏は山手。大概はこんな山と神社仏閣がある。そんな山の光景と青空にこの時、春を感じた。そ...
出雲崎町神明社の外の引き戸を開けて内部へ、引き戸の向こうはどこにもある神社の造り。そして階段を上がると社殿の引き戸にには太陽と月型の穴、私は久しぶりに訪れた神明社の引き戸の丸い太陽の穴から「神」を見た。神明社境内から風景、高台にあるのは神社仏閣、何度か訪れるとそれが石段を登り降りせずに、敷地の横からショートカット出来る場所があるのがわかってくるのだが、この日はしっかり神社の石段を登り降りした(左を...
お気に入りだもの、やっと来れたんだもの、私は何枚も撮った。何年もまた行きたいなあの思い、天気、タイミング、2時間近く掛けて、一眼二台、標準ズームレンズと望遠レンズ、カバンを入てたら5kg越え、それを担いで石段を登ったらそら何枚も撮るだろう。私の中ではピーンと背筋を伸ばした姿勢の狛犬に、英国バッキンガム宮殿の衛兵にイメージ重なるのである。まして神社を守りつつ、日本海も見据えている。そして今気づいた阿...
出雲崎町へ初めて訪れた時、自分が運転して街歩き”こんな所があるのか。”と感じつつも、喉が渇いていたし休憩もしたかった、その時運転もしてなく余力のある同乗者はあちこちまわろうと言っていたけど、私は疲れていたのでダダをこねるようにここで休憩したが、今は廃墟になってしまっている。出雲崎の町(北国街道)、切り妻屋根の△が道路をはさんで向かいあっているのである。街並みは「妻入り」という。まだまだこのあたりより...
以前訪れた時のことを思い出しながら、あれは何年前だったろうかと、私は雰囲気の変わってしまったような浜辺を眺めた。こうやってここから見ると変わり映えがないようだけど、何か所あった入江のお手製桟橋の潮による浸食は”ここまでになるの?”っと驚きでもあった。久しぶりでも勝手しったるような出雲崎町尼瀬地区の浜辺からの路地。初めて訪れた時は地面には金網がなかったようなと思うだが果たしてそれがどうだったのか思い出...
出雲崎町、北国街道「小諸まで55里、江戸まで97里」、佐渡金山からの江戸へ金銀運ぶのに97里、それも信濃小諸経由だったのがわかる。そんな出雲崎の入り口にある「尼瀬代官所獄門跡」、出雲崎へは数えきれないくらい訪れているのだが、ここ獄門跡は2度か3度目。初めて時はかなり昔、ビビりの私は当時はカメラを向けられたか記憶にない。江戸時代佐渡への罪人を運び、また佐渡でとれたとれた金銀輸送の要所の港でもあり、江...
出雲崎夕陽ライン橋の欄柱にはめられた良寛さんの句をよみながら、”オレもそんな心境かも。”と思いながらも歩き回るたびにカメラバッグの重さを感じるようになっていては良寛さんよりも歳なのかもな。出雲崎町尼瀬の入江初めて訪れて見つけた時はまだまだ元気だったが、現役どころか漁もしばらくしてないのだろうか、やめたのかもなあと桟橋を見ると思えて来る。潮水の恐ろしさ、浸食。通常単管なんてあればちょっくら形を崩すなん...
出雲崎夕陽ライン橋から日本海、コロナ騒ぎもあってか出雲崎は訪れたが、出雲崎夕陽ライン橋は久しぶりだった。出雲崎町は良寛さんの出身地でもあり、良寛堂を模した欄柱になっている。尼瀬2区、このバス停も、「尼瀬」の文字も久しぶりだった。「尼」の文字つく地名はここ出雲崎くらいだろうか。出雲崎夕陽ライン橋良寛堂を模した欄柱のオブジェなのだが、どこだったか汚れ、傷み具合のシミが良寛さん見える所があったがどこだ?...
何年振りかにJR羽越本線酒田駅を訪れると「ありゃ?」と駅舎が新しくなっていた。私のイメージは昭和のイメージの鉄筋コンクリート駅舎だったが駅舎も変わっていれば駅舎前も整備されてすっきりしていた。駅撮りは趣味であちこち撮っているけれど、この今風の変わりぶりの駅舎を見て”当分来なくていいなあ。”と思った。利用する地元の方には申し訳ないが、個人的は古く、ボロかったりする方が駅としては私は好きなのである。酒田駅...
五百羅漢堂と五重塔善寶寺の五重塔、善寶寺は曹洞宗である。そして五重塔のある寺院は大概真言宗、曹洞宗(道元)、真言宗(空海)、真言宗の寺院は大概にして創設された当時はアミューズメント施設のような、あそこのお寺は凄いと思わせるのが真言宗寺院なので曹洞宗に五重塔は間違いでは思う。もっとも五重塔の寄進されたもの、お寺だったら五重塔でしょうと、わかっているようでわかっていない人の寄進なのでは、それを無下には...
久々の山形県鶴岡市「善寶寺」、と言ってもGWではなく桜の咲く前の3月。桜のストックがGWになってきてなんぼなんでも遅すぎるだろうと時系列を変えて桜を先に投稿なので、投稿写真は時をさかのぼることになる、あしからず。裏参道にある放光堂、ここ寺院では石の墓地ではなく、御位牌が並べられるお堂になる。初めてその中をのぞいた時はその厳粛感にここのお寺は格というか品の良さを感じ、さすがに藤沢周平の小説に出てくる...
今年は桜の新規開拓だと思うがままに車を走らせていて、たまたまわき見したら「なにここ!」と意外な光景に、むしろ意外過ぎて一旦は通り過ぎた。しかし、”なんだここは?!”の光景に車は行ったん通り過ぎたがその光景が頭を中をめぐり、道端に車を停めてその場所へ。私はその場では、笑うしかなかった、新規開拓で見つけたその桜の光景にそしてシャッター枚数が増えていった。この日桜の新規開拓だったけど、この場所に遭遇でこの...
桜と竹藪竹藪に咲く桜雪残る山と満開の桜黒塀と桜、小学校の建物。桜が咲く頃に訪れているのだけど、昨年は忘れていたような、コロナ影響で出掛けるパターンも変わったってこと。「そういやあ。」と急遽思い出した、思い出さなければ2年訪れず、そうなると来年は忘れているかもしれない。そんな忘れしまったような場所が桜が散ってから「あそこもあった!」と思い出した、今年は桜スポットの新規開拓したせいもあり、いつもの場所...
西堀通本覚寺の桜景、新潟でもあちこち地元新潟で見ているけれど、ここ本覚寺の桜景は私にとっては特別、ここさえジャストインタイムの桜で遭遇したら、その年は桜景は撮り終えたような気分にもなってくる(もっとも新潟市としては早い桜ではなるが)。新潟市が選んだ2連バス「ツインくる」、導入前には路面電車を案が出たが結局は2連バス「ツインくる」で、誤魔化したような、富山市の路面電車を知らんのか、それだけで十分観光...
本覚寺の本格的桜景、私はわざわざ県外遠出桜を撮りに行くこともないと思えた地元の枝垂れ桜。しかし、寺院をあちこちとまわるようになって、その境内には神社があるのに気づいた、お寺なのに神社?大体はお稲荷さん。本覚寺の泉水と桜。椿と桜GWはやっぱりどこも人、交通量だって普段よりも多い、下手したらせっかく遠方に出掛けても駐車場がなかったりとそんな経験がある。特に今年はコロナ以降移動制限なし、4月29日でそれが...
中央区西堀通本覚寺、本堂前に見事な枝垂れ桜、境内には何本の桜はソメイヨシノではなく枝垂れ桜。新潟市中央区西堀通の寺町通30寺院あるけれど、桜のある寺院はそこそこにあるのだが、ここほど見事な枝垂れ桜のある寺院はない。なので、自分の寺院の桜巡りのお楽しみの寺院でもある。本堂前にある稲荷神社の朱色の鳥居と枝垂れ桜の組み合わせ、油断して昼近くになるとそれはビル影に入っていた。郊外の桜だってもベストな時間帯...
見ごたえのある桜風景があることを発見してから下手にあそこ、ここと訪れるよりも外れがないと思うようになって、毎年訪れるようになった。そしてちょうど満開、だからって見物人がたくさんいる訳ではなく、いることはいても”いないような状況”である。仮にこれが京都とかだったら、どれくらいいるのか。昔桜時期に京都を訪れたどこも満開だった、そしてそこには桜の花よりも多いじゃないかと感じるほどの人の多さに、”綺麗なんだ...
私は桜撮影の折には本堂の前で手を合わせる。一時は東日本大震災の犠牲者に、そして最近はコロナ退散、ウクライナに平和と犠牲者に手を合わせていたが、ここ最近は我が家、親戚、ご近所の亡くなった方の冥福を手を合わせているが。この日、本堂前は工事中でパスした、他のお寺では桜を撮り本堂で手を合わせているのにここでは手を合わせらないのは、かゆい所に手が届か入ないというか、最後の詰めの一手を打てずに終わったような気...
GW突入も桜 ('◇')ゞ、、、しょうがねえっすよねえ、桜だもの。中央区西堀通勝楽寺参道の桜。咲いたタイミングもあるのだろうが、人がいる時はいる。茶会のようなものやっていたこともあった、人が多くて個人的は”なんだこれ。”だったが、今はそれもないようで、無人状態時々人である。「土足厳禁」の文字、注意書きがないと土足で上がる人いるってこと、でもどうなんだろう私は境内には入れるが、階段を上がり本堂の中へは「ご自...
冬の間はこんな青空が見れるのは限定的、見れたとしても1時間もしたら、厚い雲で見えなる。この日、ずっと青空、途中で昼飯を食べたらお天気が変わっていたりと思ったがこの日ずっと青空。まさにこれが春。中央区西堀通勝楽寺の桜、手前の八重桜は奥のソメイヨシノよりも少し開花は遅いのだが、今年は一気に来た。勝楽寺の参道と桜ずっと昔、街撮りでいつの季節だったか寺まわりでしてみると、あちこち寺院をまわってみると桜の木...
西堀通真宗寺の石灯籠、私にとっての桜の季節の始まりのような場所。西堀通を歩いて毎度通りから境内をのぞき、今年はどうだろう?とドキドキして奥へ入っていくのである。今年は、石灯籠前に垂れた桜からもばっちりのジャストインタイムだった。おまけにこの日は、青空と風なしの好条件だったが、年季なのか先に来ていた家族と鉢合わせ、そしてそんな好条件でもありその家族の記念撮影が始まった。撮ろうした私は”あらまあ。”だっ...
赤い柱、黒い柱、赤い建物は、瓦屋根は招く。新潟市江南区大栄寺山門と本堂前に桜。何年前だった桜の季節訪れると先客あり、この山門前に三脚、そしてずっと立っていた。”おいおい、それじゃあ、俺が撮れんやろう。”と思いつつもさすがに言えず、口から出た言葉は「何を狙っているですか?」だった、本堂を背景にして枝に咲く可憐な桜だった。やれやれ。それからずっと、ここにはカメラマンがいるものだと思って毎年訪れるが見たの...
新潟市江南区沢海大栄寺本堂前。満開ではないけれどこの瞬間に、”待ってました。”と春が来たんだと胸がわくわく、カメラを持つ人間にはじっとなんてしてられない。目の前の光景にカメラを向けながら後ろボケだろうと、そんな事はどうでもいいと感じる春をやって来たのである。山門前の桜は5分咲き、まだまだ、”これなら梅だよなあ。”と同じ境内にある梅も咲いているがワンショットで終わりだけど、その梅と同じような咲き具合だけ...
リアルでは当に桜は行ってしまったけど、今更のような桜景。新潟市江南区沢海大栄寺の石灯籠と桜。本堂からの中庭、「大栄寺」は曹洞宗のお寺である、だからって訳でもないが本堂へは誰も自由に入って手を合わせることが出来る。神社の神様も良いけれど、仏様っていうのもまた手を合わせていると自分どころか御先祖までも供養してくれるような気持ちになる。山門から本堂と桜。どこかで書いたが新潟の神社仏閣の山門は赤い色の所が...
久しぶりに訪れた沼垂西の赤い工場。カメラを持って街歩きして気づいたのが”オレは錆びが好きなんだ。”と感じた事。”撮りながらも俺っておかしいのか?”と思ったが後で、SNSで錆び好きサークルを見つけて、そうかそうなんだ、いるんだと、お仲間を見つけてオレはおかしくなかったと思うようになり、錆び以外でも、自分が好きならそれでいいじゃんと思うようになった。湊稲荷神社、コロナのせいなんだろう鈴緒は、触れないように端...
お寺なんて関係ない、”じい様になってからの世界”と思ってらカメラを始めて被写体になり、そして新たな発見があった。そうなると”ここに、こんなお堂もあったのか。”と、京都奈良でブラ歩いて神社仏閣遭遇する目線で地元を歩くと「なにここ?!」と再発見。実はこのお堂の中に観音様がおられ、それを初めて見た時は「なになに!」だった(正月に扉が開く)。「朗小路」、角の家は知る人ぞ知る昭和を感じる外観、街撮りスナップ派な...
極端に多くはないけれど、シャッター通りだったのが、シャッターに店舗が入るようなり沼垂テラス商店街となって数年。赤錆びたシャッターの通りは私は好きだったのだが、”オレの街”から”若い街”になった、それってオジサンには落ち着かないだよなあ。ここの古本屋は、今の沼垂テラス商店街と云われ前からあったような、こんな佇まいが”ここでお店やってみるか。”と他を引き付けたのかもしれない。銭湯さか井湯、営業時間を見ると1...
万国橋の船着場に係留中の漁船、しかし何ゆえにこんなにたくさんの”もやい”があるのか、1本2本あれば十分だろうと思うと逆にこれはなんか意味があるのだろうかと、そう思うと恋人岬のハートのような、縁起、願掛けなのかと本数を数えた。久しぶりの中央区沼垂東。久しぶりの空き地、初めて訪れた時はこんな住宅にこんな空き地があったんかあと贅沢感感じた空き地のスペースだったが、あれから片手は過ぎているはず、尚もまだ空き...
カメラが趣味なり街撮りに目覚めた時は、ここ、この辺りはよく訪れた。ここの新潟伊勢丹前の交差点を歩道橋から毎度撮っていたが。いつの頃からか訪れることがなくなった、理由は思い出せず。人間だってそんなことがある、気が付けばあの人とは疎遠になっていたりして。久しぶり訪れて見ると、数えきれないくらい訪れているのに無機質な知らない街のようになった。だいたい右の伊勢丹の駐車場が嫌いである、運転下手とかでなく立体...