鎌倉の薬王寺(1)徳川忠長の供養塔
鎌倉市扇ヶ谷にある薬王寺は、かつては、梅嶺山夜光寺と称し、真言宗の寺院でしたが、1293年(永仁元年)日蓮の弟子日像により、日蓮宗に改宗しました。日達聖人は、有力な外護者の援助を得て、七堂伽藍完備の立派な寺院とし、山号寺号を大乗山薬王寺と改称。寛永年間、駿河大納言徳川忠長の追善供養の為、奥方松孝院殿(織田信長の孫/信良の娘)は莫大な金子と広大な土地を寄進し、三千坪の境内に諸堂を造営し、大乗山薬王寺と改称。1720年(享保5年)の火災で、五重塔(徳川忠長供養塔)など諸堂を焼失。山門をくぐると本堂が見えて来ます。 もとは真言宗梅嶺山夜光寺と称していました。日像上人(日蓮の孫弟子)が住職と論難の末、日蓮宗に改宗させ、薬王寺に改称したと伝えられています。 徳川三代将軍家光の弟、駿河大納言忠長公の供養塔や、松山城主...鎌倉の薬王寺(1)徳川忠長の供養塔