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#4178 尋ね来るはかなき春もにほふらん軒端の梅の花の初蝶
令和6年3月15日(金) 【旧 二月六日 先勝】・啓蟄 菜虫化蝶(なむしちょうとなる)尋ね来るはかなき春もにほふらん軒端の梅の花の初蝶 ~藤原家隆(1158-1237)『壬二集』 下2059 春訪れてくる、儚いとも思える春に美しく咲いた軒端の梅の花に、初めての蝶が。Photo:ふら
#4114 春風にしたゆく波の数みえて残るともなきうす氷かな
令和6年1月11日(木) 【旧 一二月一日 赤口】・小寒 水泉動(しみずあたたかをふくむ)春風にしたゆく波の数みえて残るともなきうす氷かな ~藤原家隆 『風雅和歌集』 巻1-0035 春歌上春風に吹かれて氷の下がさざなみだっているように見える。それほどに消え残った薄氷になっ
【家隆塚】西海に沈む夕陽に端座合掌。桜の春に生涯を終えた歌人
はじめに 鎌倉時代の歌人 #藤原家隆 が晩年 #夕陽庵 を結んだと伝わる #家隆塚。桜の春、目前に広がる西海に沈む夕陽に合掌しその生涯をおえました #摂津名所図会 #直木三十五 目次 満開の桜 家隆塚(かりゅうづか) 摂津名所図会の家隆塚 直木三十五と家隆塚 本文 満開の桜 家隆塚(かりゅうづか) (34.6581600, 135.5126610)/大阪市天王寺区夕陽丘町5−19/大阪メトロ・谷町線、四天王寺前夕陽ケ丘駅から徒歩3分、駐車場はありません 家隆塚(大阪市天王寺区) 鎌倉時代の歌人として、藤原定家と並び称された藤原家隆が、晩年(嘉禎二年、1236)、病を得て出家し、この地に夕陽庵(…
#3774 春風にしたゆく波の数みえて残るともなきうす氷かな
令和5年2月5日(日) 【旧 一月十五日 先負】・立春・東風解凍(はるかぜこおりをとく)春風にしたゆく波の数みえて残るともなきうす氷かな ~藤原家隆(1158-1237)『壬二集』0303上:後京極摂政家百首春風に吹かれ、下をゆく波の数が見えるほどに透きとおった氷の、残ると
令和4年10月18日(火) 【旧 九月二三日 先勝】・寒露・蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)きりぎりす夜寒に秋のなるままに弱るか声の遠ざかり行く ~西行 『新古今和歌集』 巻5-0472 秋歌下こおろぎは夜が寒い秋になるにつれて弱るのだろうか、声が遠ざかってゆくのだなあ。Phot
令和4年6月30日(木) 【旧 六月二日 先勝】・夏至・菖蒲華(あやめはなさく)風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける ~藤原家隆 『新勅撰和歌集』 巻3-0192 夏歌風が楢の葉をそよがせる小川の夕暮は六月祓のみそぎが、夏のしるしなのですね。Photo:愛染祭
令和4年5月14日(土) 【旧 四月一四日 大安】・立夏・蚯蚓出(みみずいづる)むら雨の風にぞなびくあふひ草向ふ日かげはうすぐもりつつ ~藤原家隆『壬二集』村雨を吹き付ける風になびく葵の花が向いている太陽の光は、雨雲にうっすらと覆われてゆく。Photo:京都観光オフィ