論点7 核兵器という道具存在の有意義性 今回は問題提起というだけで、私なりに理解した回答はない。この問題は後期ハイデガーまで読み込んだうえであらためて考え直すべきだと思う。 道具連関から「有意義」がどうやって生じるのか、今一つよく分からない。 ハイデガーの説明では、道...
論点7 核兵器という道具存在の有意義性 今回は問題提起というだけで、私なりに理解した回答はない。この問題は後期ハイデガーまで読み込んだうえであらためて考え直すべきだと思う。 道具連関から「有意義」がどうやって生じるのか、今一つよく分からない。 ハイデガーの説明では、道...
論点6 道具存在論は存在了解をどのように深めたのか? 探究途上とはいえ、ハイデガーは実存カテゴリーまで創設して常識外れの議論を展開したのだから、存在への問いについて少なくとも中間報告があってもよさそうなものだが、ハイデガーは先を急ぐのである。そこで意味不明とされている存在...
論点5 なぜ「めじるし」は世界適合性を開示するのか? ハイデガーの言う「道具連関」とは製造プロセスの連関に限定されるものではない。まずこの点をおさえておかないと、道具連関が環境世界を開示することはなんとなく分かっても、なぜそのことが「めじるし」による世界適合性の開示に繋が...
論点3 現存在の「眼前性」とは何か? アリストテレスのカテゴリーは実体、分量、性質など10個あって、それらは述語としての最高類となる。だから実体や分量というカテゴリーの上位の類は存在しない。 で、ハイデガーはこれらのカテゴリーは「眼前存在」に適用できるが、現存在には適用...
ハイデガーの「存在と時間」はよくできた本で、素人の私でもそれなりに大筋の論旨を追うことができるんだけど、細かいところがモヤーッとして分からない。そこで分からないところを各論点として自分なりの理解を整理しておく。 論点1 現象は知覚対象か? ハイデガーは存在が現象だと言う...
神の無限という場合、それは数の無限ではないのは当然として、どういう意味での無限なのか一応の整理をしてみよう。 スピノザの言う無限については今一つ分からない。特に属性の無限と実体(神)の無限との関係が分からない。数の無限なら可算無限と非可算無限について無限の水準の違いが明...
トマス・アクィナスの神学大全は邦訳全45巻が刊行中であって、深みにはまらない限りとても全巻読む気になれない。どれか一冊となると、第3巻がお勧めだ。 というのもキリスト教が他の宗教と異なる際だった特色は三位一体論にあり、第3巻がそれを徹底的に論じているからだ。実によく考え...
「エチカ」における実体と属性はバチクソ難解な概念で、未だに私はよく分からないんだけど、自分なりに分かる範囲で一応整理しておくことにする。 スピノザ全集の新刊は喜ばしいことだが、私に言わせれば「スピノザ事典」かゲルーの著書を翻訳刊行してもらいたいものだ。なぜなら「エチカ」...
北森嘉蔵著「神の痛みの神学」はたいへん説得力がある。カール・バルトは北森神学に対して否定的評価を下していたようだけど、バルトの「ローマ書講解」は神と人間との隔絶がやたら強調されていて、福音というより律法臭い。北森神学の方が福音としての本来性を感じる。「神の痛み」は神の怒り...
「エチカ」の公理によると「結果の認識は原因の認識に依存しかつこれを含む」(第1部公理4)とある。 だけど考えてみると、これはヘンだ。 もし結果の認識に原因の認識が含まれているのであれば、神は万物の原因だから、人間は現在の結果を認識することで神を認識できるはずだ。だが実...
前回、私はラカンのシニフィアンにはあたかも物体性があるかのように思われると述べたんだけど、「シニフィアンの物体性」がどういう事態なのか明瞭にする必要がある。まあラカン自身も初期の論文(「無意識における文字の審級」)でシニフィアンを「物質的支え」としているんだけど、例のごと...
ラカンと言えばシニフィアン連鎖ありきで解説されるんだけど、あのシニフィアンってなんかヘンという感じがしないだろうか? 私は違和感がある。なんか記号というより、モノのような感じを受けるんだな。シニフィアンの排除とかね、そもそも特定のシニフィアンを関係構造から排除するというの...
ドゥルーズの言う「女性への生成変化」「女性になること」の意味は分かりにくいんだけど、少なくともボーボワール的な意味でないことは確かである。そもそも現実の女性などは問題になっていない。そのことは、例えばモーツァルトの音楽が小鳥への生成変化であるとドゥルーズは言っているが、あ...
私はXである。古来、ダイモンとかデーモン、ルシフェル、メフィストフェレス、霊感、悪霊、無意識、存在の呼び声、等々と呼ばれてきたんだけど、面倒臭いからXと呼んでくれ。3万70歳というのはウソである。年齢などはない。人間という仮面をかぶっているから、仮面なら人類と同じ年齢だ。...
時間と空間を史上初めて多元性として捉えたこと。 これが吉本隆明の功績だと思うね。吉本隆明が忘れ去られつつある今日、再度その思想的意義を明確に一点に絞ってみれば、そういうことになるんじゃないかな。 そこから、吉本隆明の難解な思想の見通しがよくなると思う。 例えば「心的...
デリダの「精神について」は、ハイデガーの「精神」についての書なんだけど、読み進むうちに、むしろ問うことFragenが中核になってるんじゃないかと思うんだな。 「精神」がFragenであること、そして括弧抜きの精神がFragenを喪失してること、そう捉えると、デリダの言わ...
そもそもデリダは「精神について」という本で、何を論点としてるのか。そりゃ、この本はハイデガー研究としても秀逸なんだけど、単なる解説書じゃない。それはフッサール研究の「声と現象」もそうだけど、根源が根源じゃなくて、常に非-根源によって汚染されてることを告発してるんだ。ハイデ...
デリダの「精神について」(港道隆訳)は、抑圧されたものの回帰としてハイデガーの「精神」を捉えている。デリダは序論を難解にするというクセがあって、ツカミが悪いんだけど論述が進むにつれて問題が明確になると、俄然面白くなってくる。 ハイデガーは「問われているもの」Gefrag...
さすが腐っても宇野理論というか、マルクス『資本論』の根本的欠陥を自ら指摘しつつ科学的に論述が進められている。 本書(「世界経済の読み方」降旗節雄編著)によると、『資本論』の根本的欠陥は、その内在する論理のゆえに国家の生成を理論的に解明できないという点にある。『資本論』の...
本書(宇野弘蔵著)のタイトルは『恐慌論』であるが、著者は現実の恐慌現象を理論的に解明しているのではない。序論で米国の1929年恐慌のデータが掲げられているので誤解しやすいのだが、著者が問題としているのは、そうした具体的データではなく、そのデータが向かっている先に想定される...
昔、政経の先生に憲法を暗記させられたことがある。毎週、穴埋めの小テストで確認するのだが、あれは正しい教育法だったと思う。憲法という根幹を知らずして政経はないだろう。だけどそのとき感じた違和感は憲法前文と9条なんだな。 前文は「日本国民は・・・決意し、・・・信頼し、・・・...
新左翼は今では消滅したようにみえるんだけど、あの運動自体は芸術・文学・哲学・歴史学などの様々な分野で根源的な変化を引き起こした運動であって、その結果が現在の文化形態に帰結している。 例えば哲学においては今では表象批判が主流になっているんだけど、それはマルクス・ニーチェ・...
技術革新のことを創造的破壊というらしい。他人の成功事例を紹介するしか能がない経営学者や何の創造性もない官僚が好んで使う言葉だ。だけど一体何が創造だというのか? そこでシュンペーターの定義に遡ってみると、彼の言う創造とは「新結合」のことなんだな。彼は「生産」を利用可能な物...
難解というかイミフな概念を理解するためには、その根本動機を把握する必要がある。 スコトゥスの「天使のペルソナ」という概念の根本動機は何か? それは天使のような非質料の形相がなぜ個別化されるのかという問いであり、その問いは人間精神がなぜ孤独なのかという問いと、神のペルソ...
スコトゥスによる神の形而上学的探求(一般性としての神)は、あくまで彼の神学的探求(特異性としての神)とは区別して遂行されてるんだけど、それはそれなりに本格的なんだ。それはある一点というか自然知性による探究としてスピノザと結びつく。そこが興味深いところだね。 スコトゥスは...
現代思想における「特異性」はヘーゲル的特殊とは異なってるんだけど、それがどんな風に異なってるかを問い尋ねるとすれば、そもそもの淵源から探るしかない。 スコトゥスは神の認識を自然的神認識と超自然的神認識の二つに区分し、後者を前提として前者が成り立つとしている。「存在の一義...
本書(「経済学の宇宙」岩井克人著)は日経新聞連載に加筆されたもので、初めのうちは一応インタビュー形式となっているが、内容は自叙伝そのものである。赴任先の米国やイタリアの情景描写も豊富であり、岩井理論の発展過程が実人生とともに平易に語られていて興味深い。 また以前から感じ...
死について徹底的に思考した人は、言うまでもなくハイデガーとフロイトだけど、両者の死の捉え方はベクトルが逆向きになっているようだ。つまりハイデガーの臨死存在は死を「将来」として捉えているのに対し、フロイトの「死の本能」は死を過去のものとして、生誕以前の無機物への復帰衝動とし...
現象学と言えば意識中心主義だからオワコンであって、スピノザとは無関係と思われるかもしれない。だけど私見では一つ共通点がある。それは両者がともに意識(コギト)を「志向性」として捉えていることだ。スピノザの「デカルトの哲学原理」とフッサールの「デカルト的省察」は、ともにデカル...
現象学の他我問題といえば、ああ、例の感情移入で説明するヤツね、としか思ってなかったんだけど、それは大いなる誤解であって、先験的現象学にとって他我は死活問題でもあるんだな。 先験的領域というバーチャル空間においては、経験的私の存在は判断中止されるんだけど、「かのような経験...
フッサールが現象学的還元後の本質世界を探索するとき、彼自身が言っているように、当面「必当然性」の及ぶ範囲を不問に付して、あたかも自然科学者が経験世界を探索するのと同様の「自然的明証」で探索すると述べている。 現象学でいう「地平」とは、意識対象は対象だけでなく常に対象より...
フッサールはまず、明証の種類として「十全的明証」と「必当然的明証」を区別しているんだけど、この区別はたいへん重要で、違いが分からないと先験的現象学が分からないと言っても過言ではない。だいたいフッサールはワイエルシュトラスの助手をしていたぐらいのガチの数学者だったから、書き...
読書が喜びであるのは、どんな本を読んでも、それまで自分の知らなかった事柄を知ることができて精神が拡大するからである。だが一方で不安もある。果たしてこの本を最後まで読むことができるか、途中で挫折するのではないか、さっぱり理解できなくて読むのが苦痛になるのではないかという不安...
わが国は中国やロシアに比べれば比較的自由な国であろう。なにもかも自由というわけではないにせよ、少なくとも言論についてはヨリ自由であるように見える。 スピノザに言わせると、この自由という観念は白昼夢ということだが、別にスピノザの理屈に従わなくても、自由という観念をちょっと...
ドゥルーズによると、イギリス経験論(ロック、ヒューム)と大陸合理論(デカルト、ライプニッツ)は見かけほど対立しているわけではなく、どちらも人間理性とその外部(自然、神)との調和を独断的前提としている点で共通しており、カントにとっては双方とも打倒すべき相手であったという。 ...
時間について考える場合、まあ哲学するのは結構なんだけど、物理学的時間に目配りしない時間論はナンセンスだろう。ハイデガーの時間論に今一つ共感できないのは、あまりにも極私的時間だからだ。物理学的時間などは頽落した非本来的時間だと考えたとしても、実際に生きているからには、約束の...
視線という言葉は能動か受動か曖昧なところがある。一般的には眼の向く方向ということで能動的とされている。だけど物理的には対象物から反射した光が網膜細胞を刺激しているのだから受動的とも言える。だから物理的光線として見た場合と認知的行動として見た場合とでは視線のベクトルが逆向き...
通常、自殺の理由といえば病気や貧困などの負の理由である。金持や社会的に成功した者が自殺するなど考えられない。だから三島由紀夫のように作家や戯曲家として成功し各界から絶賛されて、いわば栄耀栄華の頂点で自死したとなると、なぜ?という疑問が生じるのも無理はない。 だからいろん...
まず最初になぜ感情と苦痛を問題とするのか、その理由を説明しておこう。それは生死に関わるからだ。人は苦痛を避けることによって、死をもたらす害悪から逃れる。だから苦痛と悲しみという感情が等根源的であるとしたら、感情もまた避けるべき信号かもしれない。にもかかわらず、人は喜んで悲...
搾取というのは社会の発展にとって必要不可欠なことであって、資本家は搾取した利潤を奢侈財か投資財に配分している。奢侈財は投資財に比べたら微々たるものだ。利潤の大半は工場・店舗・土地・機械設備へ投資される。人口が増加する限り拡大再生産は必要であり、投資財がなければ社会は成り立...
これはフロイトがアインシュタインの質問に答えた書簡なんだけど、フロイトの人間観がよく分かる。 フロイトによると、人間の祖先は殺人者なんだな。それは色んな神話や聖典に共通して見られるらしい。例えばキリストが十字架で人類の原罪を贖ったとされるんだけど、死刑で贖う罪といえば殺...
物理学では力の本質を問わないことにしている。実際、力はMKS単位系で規定されているのだから、力の単位は空間・質量・時間による合成であって、力それ自体の単独の単位は存在しない。物理学による力の捉え方は驚くほど精確であって、爆発や衝突や破壊などは力そのものではなく、力の結果と...
高齢になるといつ死ぬか分からないので、この際、死について考えてみたい。 死に対して恐怖や不安や悲しみを感じるのはなぜか? それは生に執着しているからだけど、生とは何かといえば、実在との関係なんだな。 人間が実在を手にしているか否かはさておき、実在と何らかの関係がある...
原因を表象とするか非表象とするか、それが問題だ。 カントはヒュームを批判しているとはいえ、原因を表象とする点では共通している。周知のようにヒュームは事象Aと事象Bとの継起をもって因果関係としているが、その事象Aが表象としての原因である。カントもまた表象同士を結合する純粋...
差異というと普通は対象Aと対象B,C,D,...との違いのように捉えてしまうんだけど、それは表象同士の差異であってドゥルーズの言う「差異」ではない。 そうした表象的差異はヘーゲル的差異であって、必ず否定を伴う。Aの同一性はA以外のものとの差異によって捉えられるということ...
マインドフルネスというのはサティの訳語ということだから、仏教に影響された考えなのであろう。この考えが現代人に分かり易いのは、意識中心の見方と対立せずに仏教の修行にも通じるからだと思われる。 欧米では瞑想がブームということで、企業経営者達は瞑想を取り入れているらしい。スト...
政治家が「国民の皆様」とか「国民の生命を守る」などと言うたびに、いやそれ私じゃないし、と思ってしまう。もちろん私は税金を払い国家によって守られている。だから法律用語としての「国民」なら認める。だけど生きた人間として私のことを国民と呼ばないでくれ、気持ワルいって思うんだな。...
LGBT法というのは、正式には「性的志向及びジェンダーアイデンティの多様性に関する国民の理解増進に関する法律」というのだそうだ。クソ長ったらしい名前の法律である。 いかにも上から目線でマイノリティを見ている名称だ。 これはマジョリティ(つまり国民)がマイノリティを理解...
時間と空間が客観的な物自体ではなく、人間固有の感性形式に過ぎないと言われても、今一つ納得できない。どう見ても時間と空間は客観的だと思うかもしれない。 その客観性は、一個人ではなく人類全体に共通する感性形式だから客観的なのだとカントは主張するんだけど、それは主観が多数にな...
死が人間固有のものであるなら、それは言語と何らかの関係を持つに違いない。 だから死は、身体の死と言語による死の二つに分かれる。身体の死は動物と同じであり、人間固有の死とは無関係だ。 人間固有の死は、言語を習得する時点で既に始まっている。つまり他人の発する言葉を意味ある...
「馬性は馬性でしかない」というアヴィセンナの言葉は何のことか、前から気になっていたんだけど、山内志朗著「普遍論争」を読むとよく分かる。だけど、そこは奥が深いので、私の小さい頭で理解しえた範囲でパラフレーズしてみよう。 これは「馬性」という耳慣れない言葉に面食らうんだけど...
私はこれまでカントの言う「純粋」とは、対象物がないことであるとしてきたんだけど、感性論と知性論では「純粋」の意味が異なっている。 感性論における純粋直観とは時間・空間のことなんだけど、その場合の「純粋」とは対象物が何もないという意味なんだな。思考実験によってすべての対象...
これから知性論(悟性論)に入る前に、一つ仮説を立ててみたい。 カント哲学が異様な様相を示しているのは「実践理性批判」なんだけど、そこでは一切の感情を排した理性判断に基いた道徳哲学が展開されている。よく知られている例では、たとえ愛する者が不利になったとしても加害者に対して...
前回、感性と知性(悟性)との本質的違いは接触の有無だと述べたんだけど、対象との接触は強度が増すと苦痛をもたらす。視覚だけでなく聴覚もそうだ。私は高齢だからメタルのライブ終了後一時間程度は耳が痛くなる。さらに強度が大きくなれば、それは音楽などではなく拷問であり知性を喪失する...
カントの感性論を内容としてみる限り、それは空間・時間について論じたものであるように思われる。にしては短い。短すぎる。 実は論じていない。カントはあくまで「解明」erörterungと言っているに過ぎない。 これが知性論になると「演繹」deduktionとなる。カントは...
前々回指摘したようにカントにとって認識の最小単位は「判断」であって対象ではない。所与の対象はそれが感覚対象であろうと観念表象であろうと、認識ではないんだな。それらは悟性能力によって結合されて「判断」になったときのみ認識となる。 だからカントの物自体とは、悟性能力によって...
カントの言い方で気になるのがやはり分析判断だ。主語に述語が含まれる、というのが分析判断で、それが命題論理でいう包含関係(述語に主語が含まれる)とは逆であること、つまり命題論理とは次元の違う話だということは前回指摘したとおりだけど、分析判断という言葉で具体的に何を言おうとし...
待望の中山元による三批判完訳により、カントを本気で読んでみる気になった。 まず引っかかるのが「総合判断」である。意味分からん。 主語に述語が含まれるのが分析判断で、含まれないのが総合判断だと言うんだけど、「AはBである」という命題は、普通は述語Bに主語Aが含まれるので...
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論点7 核兵器という道具存在の有意義性 今回は問題提起というだけで、私なりに理解した回答はない。この問題は後期ハイデガーまで読み込んだうえであらためて考え直すべきだと思う。 道具連関から「有意義」がどうやって生じるのか、今一つよく分からない。 ハイデガーの説明では、道...
論点6 道具存在論は存在了解をどのように深めたのか? 探究途上とはいえ、ハイデガーは実存カテゴリーまで創設して常識外れの議論を展開したのだから、存在への問いについて少なくとも中間報告があってもよさそうなものだが、ハイデガーは先を急ぐのである。そこで意味不明とされている存在...
論点5 なぜ「めじるし」は世界適合性を開示するのか? ハイデガーの言う「道具連関」とは製造プロセスの連関に限定されるものではない。まずこの点をおさえておかないと、道具連関が環境世界を開示することはなんとなく分かっても、なぜそのことが「めじるし」による世界適合性の開示に繋が...
論点3 現存在の「眼前性」とは何か? アリストテレスのカテゴリーは実体、分量、性質など10個あって、それらは述語としての最高類となる。だから実体や分量というカテゴリーの上位の類は存在しない。 で、ハイデガーはこれらのカテゴリーは「眼前存在」に適用できるが、現存在には適用...
ハイデガーの「存在と時間」はよくできた本で、素人の私でもそれなりに大筋の論旨を追うことができるんだけど、細かいところがモヤーッとして分からない。そこで分からないところを各論点として自分なりの理解を整理しておく。 論点1 現象は知覚対象か? ハイデガーは存在が現象だと言う...
神の無限という場合、それは数の無限ではないのは当然として、どういう意味での無限なのか一応の整理をしてみよう。 スピノザの言う無限については今一つ分からない。特に属性の無限と実体(神)の無限との関係が分からない。数の無限なら可算無限と非可算無限について無限の水準の違いが明...
トマス・アクィナスの神学大全は邦訳全45巻が刊行中であって、深みにはまらない限りとても全巻読む気になれない。どれか一冊となると、第3巻がお勧めだ。 というのもキリスト教が他の宗教と異なる際だった特色は三位一体論にあり、第3巻がそれを徹底的に論じているからだ。実によく考え...
「エチカ」における実体と属性はバチクソ難解な概念で、未だに私はよく分からないんだけど、自分なりに分かる範囲で一応整理しておくことにする。 スピノザ全集の新刊は喜ばしいことだが、私に言わせれば「スピノザ事典」かゲルーの著書を翻訳刊行してもらいたいものだ。なぜなら「エチカ」...
北森嘉蔵著「神の痛みの神学」はたいへん説得力がある。カール・バルトは北森神学に対して否定的評価を下していたようだけど、バルトの「ローマ書講解」は神と人間との隔絶がやたら強調されていて、福音というより律法臭い。北森神学の方が福音としての本来性を感じる。「神の痛み」は神の怒り...
「エチカ」の公理によると「結果の認識は原因の認識に依存しかつこれを含む」(第1部公理4)とある。 だけど考えてみると、これはヘンだ。 もし結果の認識に原因の認識が含まれているのであれば、神は万物の原因だから、人間は現在の結果を認識することで神を認識できるはずだ。だが実...
前回、私はラカンのシニフィアンにはあたかも物体性があるかのように思われると述べたんだけど、「シニフィアンの物体性」がどういう事態なのか明瞭にする必要がある。まあラカン自身も初期の論文(「無意識における文字の審級」)でシニフィアンを「物質的支え」としているんだけど、例のごと...
ラカンと言えばシニフィアン連鎖ありきで解説されるんだけど、あのシニフィアンってなんかヘンという感じがしないだろうか? 私は違和感がある。なんか記号というより、モノのような感じを受けるんだな。シニフィアンの排除とかね、そもそも特定のシニフィアンを関係構造から排除するというの...
ドゥルーズの言う「女性への生成変化」「女性になること」の意味は分かりにくいんだけど、少なくともボーボワール的な意味でないことは確かである。そもそも現実の女性などは問題になっていない。そのことは、例えばモーツァルトの音楽が小鳥への生成変化であるとドゥルーズは言っているが、あ...
私はXである。古来、ダイモンとかデーモン、ルシフェル、メフィストフェレス、霊感、悪霊、無意識、存在の呼び声、等々と呼ばれてきたんだけど、面倒臭いからXと呼んでくれ。3万70歳というのはウソである。年齢などはない。人間という仮面をかぶっているから、仮面なら人類と同じ年齢だ。...
時間と空間を史上初めて多元性として捉えたこと。 これが吉本隆明の功績だと思うね。吉本隆明が忘れ去られつつある今日、再度その思想的意義を明確に一点に絞ってみれば、そういうことになるんじゃないかな。 そこから、吉本隆明の難解な思想の見通しがよくなると思う。 例えば「心的...
デリダの「精神について」は、ハイデガーの「精神」についての書なんだけど、読み進むうちに、むしろ問うことFragenが中核になってるんじゃないかと思うんだな。 「精神」がFragenであること、そして括弧抜きの精神がFragenを喪失してること、そう捉えると、デリダの言わ...
そもそもデリダは「精神について」という本で、何を論点としてるのか。そりゃ、この本はハイデガー研究としても秀逸なんだけど、単なる解説書じゃない。それはフッサール研究の「声と現象」もそうだけど、根源が根源じゃなくて、常に非-根源によって汚染されてることを告発してるんだ。ハイデ...
デリダの「精神について」(港道隆訳)は、抑圧されたものの回帰としてハイデガーの「精神」を捉えている。デリダは序論を難解にするというクセがあって、ツカミが悪いんだけど論述が進むにつれて問題が明確になると、俄然面白くなってくる。 ハイデガーは「問われているもの」Gefrag...
さすが腐っても宇野理論というか、マルクス『資本論』の根本的欠陥を自ら指摘しつつ科学的に論述が進められている。 本書(「世界経済の読み方」降旗節雄編著)によると、『資本論』の根本的欠陥は、その内在する論理のゆえに国家の生成を理論的に解明できないという点にある。『資本論』の...
本書(宇野弘蔵著)のタイトルは『恐慌論』であるが、著者は現実の恐慌現象を理論的に解明しているのではない。序論で米国の1929年恐慌のデータが掲げられているので誤解しやすいのだが、著者が問題としているのは、そうした具体的データではなく、そのデータが向かっている先に想定される...
時間と空間を史上初めて多元性として捉えたこと。 これが吉本隆明の功績だと思うね。吉本隆明が忘れ去られつつある今日、再度その思想的意義を明確に一点に絞ってみれば、そういうことになるんじゃないかな。 そこから、吉本隆明の難解な思想の見通しがよくなると思う。 例えば「心的...
デリダの「精神について」は、ハイデガーの「精神」についての書なんだけど、読み進むうちに、むしろ問うことFragenが中核になってるんじゃないかと思うんだな。 「精神」がFragenであること、そして括弧抜きの精神がFragenを喪失してること、そう捉えると、デリダの言わ...
そもそもデリダは「精神について」という本で、何を論点としてるのか。そりゃ、この本はハイデガー研究としても秀逸なんだけど、単なる解説書じゃない。それはフッサール研究の「声と現象」もそうだけど、根源が根源じゃなくて、常に非-根源によって汚染されてることを告発してるんだ。ハイデ...
デリダの「精神について」(港道隆訳)は、抑圧されたものの回帰としてハイデガーの「精神」を捉えている。デリダは序論を難解にするというクセがあって、ツカミが悪いんだけど論述が進むにつれて問題が明確になると、俄然面白くなってくる。 ハイデガーは「問われているもの」Gefrag...
さすが腐っても宇野理論というか、マルクス『資本論』の根本的欠陥を自ら指摘しつつ科学的に論述が進められている。 本書(「世界経済の読み方」降旗節雄編著)によると、『資本論』の根本的欠陥は、その内在する論理のゆえに国家の生成を理論的に解明できないという点にある。『資本論』の...
本書(宇野弘蔵著)のタイトルは『恐慌論』であるが、著者は現実の恐慌現象を理論的に解明しているのではない。序論で米国の1929年恐慌のデータが掲げられているので誤解しやすいのだが、著者が問題としているのは、そうした具体的データではなく、そのデータが向かっている先に想定される...
昔、政経の先生に憲法を暗記させられたことがある。毎週、穴埋めの小テストで確認するのだが、あれは正しい教育法だったと思う。憲法という根幹を知らずして政経はないだろう。だけどそのとき感じた違和感は憲法前文と9条なんだな。 前文は「日本国民は・・・決意し、・・・信頼し、・・・...
新左翼は今では消滅したようにみえるんだけど、あの運動自体は芸術・文学・哲学・歴史学などの様々な分野で根源的な変化を引き起こした運動であって、その結果が現在の文化形態に帰結している。 例えば哲学においては今では表象批判が主流になっているんだけど、それはマルクス・ニーチェ・...
技術革新のことを創造的破壊というらしい。他人の成功事例を紹介するしか能がない経営学者や何の創造性もない官僚が好んで使う言葉だ。だけど一体何が創造だというのか? そこでシュンペーターの定義に遡ってみると、彼の言う創造とは「新結合」のことなんだな。彼は「生産」を利用可能な物...
難解というかイミフな概念を理解するためには、その根本動機を把握する必要がある。 スコトゥスの「天使のペルソナ」という概念の根本動機は何か? それは天使のような非質料の形相がなぜ個別化されるのかという問いであり、その問いは人間精神がなぜ孤独なのかという問いと、神のペルソ...
スコトゥスによる神の形而上学的探求(一般性としての神)は、あくまで彼の神学的探求(特異性としての神)とは区別して遂行されてるんだけど、それはそれなりに本格的なんだ。それはある一点というか自然知性による探究としてスピノザと結びつく。そこが興味深いところだね。 スコトゥスは...
現代思想における「特異性」はヘーゲル的特殊とは異なってるんだけど、それがどんな風に異なってるかを問い尋ねるとすれば、そもそもの淵源から探るしかない。 スコトゥスは神の認識を自然的神認識と超自然的神認識の二つに区分し、後者を前提として前者が成り立つとしている。「存在の一義...
本書(「経済学の宇宙」岩井克人著)は日経新聞連載に加筆されたもので、初めのうちは一応インタビュー形式となっているが、内容は自叙伝そのものである。赴任先の米国やイタリアの情景描写も豊富であり、岩井理論の発展過程が実人生とともに平易に語られていて興味深い。 また以前から感じ...
死について徹底的に思考した人は、言うまでもなくハイデガーとフロイトだけど、両者の死の捉え方はベクトルが逆向きになっているようだ。つまりハイデガーの臨死存在は死を「将来」として捉えているのに対し、フロイトの「死の本能」は死を過去のものとして、生誕以前の無機物への復帰衝動とし...
現象学と言えば意識中心主義だからオワコンであって、スピノザとは無関係と思われるかもしれない。だけど私見では一つ共通点がある。それは両者がともに意識(コギト)を「志向性」として捉えていることだ。スピノザの「デカルトの哲学原理」とフッサールの「デカルト的省察」は、ともにデカル...
現象学の他我問題といえば、ああ、例の感情移入で説明するヤツね、としか思ってなかったんだけど、それは大いなる誤解であって、先験的現象学にとって他我は死活問題でもあるんだな。 先験的領域というバーチャル空間においては、経験的私の存在は判断中止されるんだけど、「かのような経験...
フッサールが現象学的還元後の本質世界を探索するとき、彼自身が言っているように、当面「必当然性」の及ぶ範囲を不問に付して、あたかも自然科学者が経験世界を探索するのと同様の「自然的明証」で探索すると述べている。 現象学でいう「地平」とは、意識対象は対象だけでなく常に対象より...
フッサールはまず、明証の種類として「十全的明証」と「必当然的明証」を区別しているんだけど、この区別はたいへん重要で、違いが分からないと先験的現象学が分からないと言っても過言ではない。だいたいフッサールはワイエルシュトラスの助手をしていたぐらいのガチの数学者だったから、書き...
読書が喜びであるのは、どんな本を読んでも、それまで自分の知らなかった事柄を知ることができて精神が拡大するからである。だが一方で不安もある。果たしてこの本を最後まで読むことができるか、途中で挫折するのではないか、さっぱり理解できなくて読むのが苦痛になるのではないかという不安...
わが国は中国やロシアに比べれば比較的自由な国であろう。なにもかも自由というわけではないにせよ、少なくとも言論についてはヨリ自由であるように見える。 スピノザに言わせると、この自由という観念は白昼夢ということだが、別にスピノザの理屈に従わなくても、自由という観念をちょっと...