論点7 核兵器という道具存在の有意義性 今回は問題提起というだけで、私なりに理解した回答はない。この問題は後期ハイデガーまで読み込んだうえであらためて考え直すべきだと思う。 道具連関から「有意義」がどうやって生じるのか、今一つよく分からない。 ハイデガーの説明では、道...
神の無限という場合、それは数の無限ではないのは当然として、どういう意味での無限なのか一応の整理をしてみよう。 スピノザの言う無限については今一つ分からない。特に属性の無限と実体(神)の無限との関係が分からない。数の無限なら可算無限と非可算無限について無限の水準の違いが明...
トマス・アクィナスの神学大全は邦訳全45巻が刊行中であって、深みにはまらない限りとても全巻読む気になれない。どれか一冊となると、第3巻がお勧めだ。 というのもキリスト教が他の宗教と異なる際だった特色は三位一体論にあり、第3巻がそれを徹底的に論じているからだ。実によく考え...
「エチカ」における実体と属性はバチクソ難解な概念で、未だに私はよく分からないんだけど、自分なりに分かる範囲で一応整理しておくことにする。 スピノザ全集の新刊は喜ばしいことだが、私に言わせれば「スピノザ事典」かゲルーの著書を翻訳刊行してもらいたいものだ。なぜなら「エチカ」...
北森嘉蔵著「神の痛みの神学」はたいへん説得力がある。カール・バルトは北森神学に対して否定的評価を下していたようだけど、バルトの「ローマ書講解」は神と人間との隔絶がやたら強調されていて、福音というより律法臭い。北森神学の方が福音としての本来性を感じる。「神の痛み」は神の怒り...
「エチカ」の公理によると「結果の認識は原因の認識に依存しかつこれを含む」(第1部公理4)とある。 だけど考えてみると、これはヘンだ。 もし結果の認識に原因の認識が含まれているのであれば、神は万物の原因だから、人間は現在の結果を認識することで神を認識できるはずだ。だが実...
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論点7 核兵器という道具存在の有意義性 今回は問題提起というだけで、私なりに理解した回答はない。この問題は後期ハイデガーまで読み込んだうえであらためて考え直すべきだと思う。 道具連関から「有意義」がどうやって生じるのか、今一つよく分からない。 ハイデガーの説明では、道...
論点6 道具存在論は存在了解をどのように深めたのか? 探究途上とはいえ、ハイデガーは実存カテゴリーまで創設して常識外れの議論を展開したのだから、存在への問いについて少なくとも中間報告があってもよさそうなものだが、ハイデガーは先を急ぐのである。そこで意味不明とされている存在...
論点5 なぜ「めじるし」は世界適合性を開示するのか? ハイデガーの言う「道具連関」とは製造プロセスの連関に限定されるものではない。まずこの点をおさえておかないと、道具連関が環境世界を開示することはなんとなく分かっても、なぜそのことが「めじるし」による世界適合性の開示に繋が...
論点3 現存在の「眼前性」とは何か? アリストテレスのカテゴリーは実体、分量、性質など10個あって、それらは述語としての最高類となる。だから実体や分量というカテゴリーの上位の類は存在しない。 で、ハイデガーはこれらのカテゴリーは「眼前存在」に適用できるが、現存在には適用...
ハイデガーの「存在と時間」はよくできた本で、素人の私でもそれなりに大筋の論旨を追うことができるんだけど、細かいところがモヤーッとして分からない。そこで分からないところを各論点として自分なりの理解を整理しておく。 論点1 現象は知覚対象か? ハイデガーは存在が現象だと言う...
神の無限という場合、それは数の無限ではないのは当然として、どういう意味での無限なのか一応の整理をしてみよう。 スピノザの言う無限については今一つ分からない。特に属性の無限と実体(神)の無限との関係が分からない。数の無限なら可算無限と非可算無限について無限の水準の違いが明...
トマス・アクィナスの神学大全は邦訳全45巻が刊行中であって、深みにはまらない限りとても全巻読む気になれない。どれか一冊となると、第3巻がお勧めだ。 というのもキリスト教が他の宗教と異なる際だった特色は三位一体論にあり、第3巻がそれを徹底的に論じているからだ。実によく考え...
「エチカ」における実体と属性はバチクソ難解な概念で、未だに私はよく分からないんだけど、自分なりに分かる範囲で一応整理しておくことにする。 スピノザ全集の新刊は喜ばしいことだが、私に言わせれば「スピノザ事典」かゲルーの著書を翻訳刊行してもらいたいものだ。なぜなら「エチカ」...
北森嘉蔵著「神の痛みの神学」はたいへん説得力がある。カール・バルトは北森神学に対して否定的評価を下していたようだけど、バルトの「ローマ書講解」は神と人間との隔絶がやたら強調されていて、福音というより律法臭い。北森神学の方が福音としての本来性を感じる。「神の痛み」は神の怒り...
「エチカ」の公理によると「結果の認識は原因の認識に依存しかつこれを含む」(第1部公理4)とある。 だけど考えてみると、これはヘンだ。 もし結果の認識に原因の認識が含まれているのであれば、神は万物の原因だから、人間は現在の結果を認識することで神を認識できるはずだ。だが実...
前回、私はラカンのシニフィアンにはあたかも物体性があるかのように思われると述べたんだけど、「シニフィアンの物体性」がどういう事態なのか明瞭にする必要がある。まあラカン自身も初期の論文(「無意識における文字の審級」)でシニフィアンを「物質的支え」としているんだけど、例のごと...
ラカンと言えばシニフィアン連鎖ありきで解説されるんだけど、あのシニフィアンってなんかヘンという感じがしないだろうか? 私は違和感がある。なんか記号というより、モノのような感じを受けるんだな。シニフィアンの排除とかね、そもそも特定のシニフィアンを関係構造から排除するというの...
ドゥルーズの言う「女性への生成変化」「女性になること」の意味は分かりにくいんだけど、少なくともボーボワール的な意味でないことは確かである。そもそも現実の女性などは問題になっていない。そのことは、例えばモーツァルトの音楽が小鳥への生成変化であるとドゥルーズは言っているが、あ...
私はXである。古来、ダイモンとかデーモン、ルシフェル、メフィストフェレス、霊感、悪霊、無意識、存在の呼び声、等々と呼ばれてきたんだけど、面倒臭いからXと呼んでくれ。3万70歳というのはウソである。年齢などはない。人間という仮面をかぶっているから、仮面なら人類と同じ年齢だ。...
時間と空間を史上初めて多元性として捉えたこと。 これが吉本隆明の功績だと思うね。吉本隆明が忘れ去られつつある今日、再度その思想的意義を明確に一点に絞ってみれば、そういうことになるんじゃないかな。 そこから、吉本隆明の難解な思想の見通しがよくなると思う。 例えば「心的...
デリダの「精神について」は、ハイデガーの「精神」についての書なんだけど、読み進むうちに、むしろ問うことFragenが中核になってるんじゃないかと思うんだな。 「精神」がFragenであること、そして括弧抜きの精神がFragenを喪失してること、そう捉えると、デリダの言わ...
そもそもデリダは「精神について」という本で、何を論点としてるのか。そりゃ、この本はハイデガー研究としても秀逸なんだけど、単なる解説書じゃない。それはフッサール研究の「声と現象」もそうだけど、根源が根源じゃなくて、常に非-根源によって汚染されてることを告発してるんだ。ハイデ...
デリダの「精神について」(港道隆訳)は、抑圧されたものの回帰としてハイデガーの「精神」を捉えている。デリダは序論を難解にするというクセがあって、ツカミが悪いんだけど論述が進むにつれて問題が明確になると、俄然面白くなってくる。 ハイデガーは「問われているもの」Gefrag...
さすが腐っても宇野理論というか、マルクス『資本論』の根本的欠陥を自ら指摘しつつ科学的に論述が進められている。 本書(「世界経済の読み方」降旗節雄編著)によると、『資本論』の根本的欠陥は、その内在する論理のゆえに国家の生成を理論的に解明できないという点にある。『資本論』の...
本書(宇野弘蔵著)のタイトルは『恐慌論』であるが、著者は現実の恐慌現象を理論的に解明しているのではない。序論で米国の1929年恐慌のデータが掲げられているので誤解しやすいのだが、著者が問題としているのは、そうした具体的データではなく、そのデータが向かっている先に想定される...
時間と空間を史上初めて多元性として捉えたこと。 これが吉本隆明の功績だと思うね。吉本隆明が忘れ去られつつある今日、再度その思想的意義を明確に一点に絞ってみれば、そういうことになるんじゃないかな。 そこから、吉本隆明の難解な思想の見通しがよくなると思う。 例えば「心的...
デリダの「精神について」は、ハイデガーの「精神」についての書なんだけど、読み進むうちに、むしろ問うことFragenが中核になってるんじゃないかと思うんだな。 「精神」がFragenであること、そして括弧抜きの精神がFragenを喪失してること、そう捉えると、デリダの言わ...
そもそもデリダは「精神について」という本で、何を論点としてるのか。そりゃ、この本はハイデガー研究としても秀逸なんだけど、単なる解説書じゃない。それはフッサール研究の「声と現象」もそうだけど、根源が根源じゃなくて、常に非-根源によって汚染されてることを告発してるんだ。ハイデ...
デリダの「精神について」(港道隆訳)は、抑圧されたものの回帰としてハイデガーの「精神」を捉えている。デリダは序論を難解にするというクセがあって、ツカミが悪いんだけど論述が進むにつれて問題が明確になると、俄然面白くなってくる。 ハイデガーは「問われているもの」Gefrag...
さすが腐っても宇野理論というか、マルクス『資本論』の根本的欠陥を自ら指摘しつつ科学的に論述が進められている。 本書(「世界経済の読み方」降旗節雄編著)によると、『資本論』の根本的欠陥は、その内在する論理のゆえに国家の生成を理論的に解明できないという点にある。『資本論』の...
本書(宇野弘蔵著)のタイトルは『恐慌論』であるが、著者は現実の恐慌現象を理論的に解明しているのではない。序論で米国の1929年恐慌のデータが掲げられているので誤解しやすいのだが、著者が問題としているのは、そうした具体的データではなく、そのデータが向かっている先に想定される...
昔、政経の先生に憲法を暗記させられたことがある。毎週、穴埋めの小テストで確認するのだが、あれは正しい教育法だったと思う。憲法という根幹を知らずして政経はないだろう。だけどそのとき感じた違和感は憲法前文と9条なんだな。 前文は「日本国民は・・・決意し、・・・信頼し、・・・...
新左翼は今では消滅したようにみえるんだけど、あの運動自体は芸術・文学・哲学・歴史学などの様々な分野で根源的な変化を引き起こした運動であって、その結果が現在の文化形態に帰結している。 例えば哲学においては今では表象批判が主流になっているんだけど、それはマルクス・ニーチェ・...
技術革新のことを創造的破壊というらしい。他人の成功事例を紹介するしか能がない経営学者や何の創造性もない官僚が好んで使う言葉だ。だけど一体何が創造だというのか? そこでシュンペーターの定義に遡ってみると、彼の言う創造とは「新結合」のことなんだな。彼は「生産」を利用可能な物...
難解というかイミフな概念を理解するためには、その根本動機を把握する必要がある。 スコトゥスの「天使のペルソナ」という概念の根本動機は何か? それは天使のような非質料の形相がなぜ個別化されるのかという問いであり、その問いは人間精神がなぜ孤独なのかという問いと、神のペルソ...
スコトゥスによる神の形而上学的探求(一般性としての神)は、あくまで彼の神学的探求(特異性としての神)とは区別して遂行されてるんだけど、それはそれなりに本格的なんだ。それはある一点というか自然知性による探究としてスピノザと結びつく。そこが興味深いところだね。 スコトゥスは...
現代思想における「特異性」はヘーゲル的特殊とは異なってるんだけど、それがどんな風に異なってるかを問い尋ねるとすれば、そもそもの淵源から探るしかない。 スコトゥスは神の認識を自然的神認識と超自然的神認識の二つに区分し、後者を前提として前者が成り立つとしている。「存在の一義...
本書(「経済学の宇宙」岩井克人著)は日経新聞連載に加筆されたもので、初めのうちは一応インタビュー形式となっているが、内容は自叙伝そのものである。赴任先の米国やイタリアの情景描写も豊富であり、岩井理論の発展過程が実人生とともに平易に語られていて興味深い。 また以前から感じ...
死について徹底的に思考した人は、言うまでもなくハイデガーとフロイトだけど、両者の死の捉え方はベクトルが逆向きになっているようだ。つまりハイデガーの臨死存在は死を「将来」として捉えているのに対し、フロイトの「死の本能」は死を過去のものとして、生誕以前の無機物への復帰衝動とし...
現象学と言えば意識中心主義だからオワコンであって、スピノザとは無関係と思われるかもしれない。だけど私見では一つ共通点がある。それは両者がともに意識(コギト)を「志向性」として捉えていることだ。スピノザの「デカルトの哲学原理」とフッサールの「デカルト的省察」は、ともにデカル...
現象学の他我問題といえば、ああ、例の感情移入で説明するヤツね、としか思ってなかったんだけど、それは大いなる誤解であって、先験的現象学にとって他我は死活問題でもあるんだな。 先験的領域というバーチャル空間においては、経験的私の存在は判断中止されるんだけど、「かのような経験...
フッサールが現象学的還元後の本質世界を探索するとき、彼自身が言っているように、当面「必当然性」の及ぶ範囲を不問に付して、あたかも自然科学者が経験世界を探索するのと同様の「自然的明証」で探索すると述べている。 現象学でいう「地平」とは、意識対象は対象だけでなく常に対象より...
フッサールはまず、明証の種類として「十全的明証」と「必当然的明証」を区別しているんだけど、この区別はたいへん重要で、違いが分からないと先験的現象学が分からないと言っても過言ではない。だいたいフッサールはワイエルシュトラスの助手をしていたぐらいのガチの数学者だったから、書き...
読書が喜びであるのは、どんな本を読んでも、それまで自分の知らなかった事柄を知ることができて精神が拡大するからである。だが一方で不安もある。果たしてこの本を最後まで読むことができるか、途中で挫折するのではないか、さっぱり理解できなくて読むのが苦痛になるのではないかという不安...
わが国は中国やロシアに比べれば比較的自由な国であろう。なにもかも自由というわけではないにせよ、少なくとも言論についてはヨリ自由であるように見える。 スピノザに言わせると、この自由という観念は白昼夢ということだが、別にスピノザの理屈に従わなくても、自由という観念をちょっと...