chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
matsu
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2021/07/05

arrow_drop_down
  • 滝川西城 近江 その1 滝川城と一体で櫟野川を堀として西方の守りを担った堅固な城郭

    滝川西城は甲賀市甲賀町櫟野にあります。小さな谷を挟んだ東側には滝川一益が在城したゆかりの城・滝川城があり、北側を流れる櫟野川を堀として、滝川城とセットで西方への守りと、南の油日方面への主要な街道を抑える城郭だったと思われます。主な城郭遺構はほとんど残っていましたが、後世の耕作地化で一部の遺構の改変があったようです。今回の参考資料は「甲賀市史第七巻甲賀の城」甲賀市史編さん委員会編2010などです。※滝川城は→こちら滝川西城滝川城に隣接した尾根先端部にあり付近には甲賀の大寺櫟野寺がある東の方向は鈴鹿山地に遮られているため、西への備えに重点が置かれたようで、北側の櫟野川を堀に見立て、急な切岸と曲輪の周囲に築かれた土塁で守りを固めていたように見えました。滝川西城国土地理院地図をの1mメッシュをカシミール3Dで加工...滝川西城近江その1滝川城と一体で櫟野川を堀として西方の守りを担った堅固な城郭

  • 鯉山砦 遠江 千頭峯城の目の砦と称され 徳川軍が築いたとされる

    鯉山砦は静岡県浜松市北区三ヶ日町にあります。主城である千頭峯城の南方約1kmの地点にあり、千頭峯城からは見えない南側の浜名湖や主要な街道を見下ろすことが出来ることから「千頭峯城の目の砦」と称されたようです。主郭とされるⅠ郭のある主要部から延びる尾根上には、兵が駐屯したと考えられる長大な自然地形に近い平坦地が続き、要所に尾根を断ち切る堀切が設けられていました。今回の参考資料は(1)『静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会1978(2)『静岡県の中世城館跡中世城郭縄張図集成』静岡古城研究会2022などです。鯉山砦摩訶耶寺北の千頭峯城からは見えない浜名湖や眼下の街道を見張ることが出来る千頭峯城からは見ることが出来ない南側の浜名湖や本坂街道、宇利道などを見ることが出来る絶好の地点に鯉山砦は設けられ、当初は今川氏配下...鯉山砦遠江千頭峯城の目の砦と称され徳川軍が築いたとされる

  • 藤城 美濃 長大な土塁が見どころ 主要道の結節点を抑える城だったか

    藤城(ふじじょう)は岐阜県恵那市武並町藤にあります。藤は地名で、古くは布志といっていたようです。城歴、城主は不詳で城郭遺構としての地形も不鮮明でしたが、土塁と伝えられる長さ90m程の土塁地形と、土塁造成のために掘り上げたと思われる堀切地形が見どころでした。周囲には白垣外、土居外などの地名が残ります。中山道と木曽川の中間点に当たる場所で、主要な道の結節点でもあるので、道を抑える場所に築かれた可能性も感じました。今回の資料は(1)「信濃をめぐる境目の山城と館美濃・飛騨・三河遠江編」宮坂武男2015(2)「恵那市史恵那のむかしばなしとうた」恵那市教育委員会編1974(3)「岐阜県中世城館跡総合調査報告書第三集」岐阜県教育委員会2004などです。藤城刈安城の北部に位置し木曽川方面の守りの役割もあったか刈安城は建武...藤城美濃長大な土塁が見どころ主要道の結節点を抑える城だったか

  • 明見A(仮称)は城跡か? その2 明見茶臼山城(仮称)と名付けられた

    明見茶臼山城(仮称)は愛知県岡崎市明見町にあります。その1では明見A(仮称)として紹介しましたが、専門知識豊富な2名の研究者の方に現地を見ていただき、城跡の可能性があるという見解を示していただき、存在する山の名称から明見茶臼山城と名付け、現時点では(仮称)とされました。今回の資料も(1)マップあいち森林情報マップの微地形図(赤色立体地図)(2)「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994(3)「奥平氏と額田」額田町教育委員会2005(4)「岡崎市東部遺跡詳細分布調査報告書」岡崎市教育委員会2010などです。※その1は→こちら明見茶臼山城(仮称)明見地区には奥平氏にまつわる遺構と伝承が豊富のある明見地区は奥平氏が武田氏に決別して、作手地区から移った場所で、奥平氏の伝承や遺構等が豊富ですが、明見茶臼...明見A(仮称)は城跡か?その2明見茶臼山城(仮称)と名付けられた

  • 明見A(仮称)は城跡か? その1 赤色立体地図の地形を現地で確認する

    明見A(仮称)は愛知県岡崎市明見町にあります。マップあいち森林情報マップの微地形図(赤色立体地図)で滝山城を見ていると、偶然付近に山城跡状の地形がありました。手持ちの資料ではここに山城があると確認できませんでしたので現地で確認をしました。今回の資料は(1)マップあいち森林情報マップの微地形図(赤色立体地図)(2)「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994(3)「奥平氏と額田」額田町教育委員会2005(4)「岡崎市東部遺跡詳細分布調査報告書」岡崎市教育委員会2010などです。今回はとりあえず仮称を「明見A」としました。明見A(仮称)明見地区は奥平氏関連の旧蹟が多数残る武田氏と決別して作手を立ち退いた奥平氏は、明見地区に移り武田氏の追撃を滝山城で迎え打って撃退したと伝わり、その時武田軍が陣したのが...明見A(仮称)は城跡か?その1赤色立体地図の地形を現地で確認する

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、matsuさんをフォローしませんか?

ハンドル名
matsuさん
ブログタイトル
城と歴史歩きを楽しむ
フォロー
城と歴史歩きを楽しむ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用