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2020/03/08

  • 百名城 小諸城 (28・長野県小諸市)2/2 -日本唯一の穴城 本丸へ 東信の城めぐり旅②

    小諸城訪問の続き。その2では本丸と天守台を回っていきます。何度見てもよい、古城の雰囲気抜群の苔むした野面の石垣を見てまわります。 その1はこちら。 tmtmz.hatenablog.com お城:小諸城(28)長野県小諸市HP:小諸城址・懐古園 信州・小諸|詩情あふれる高原の城下町|こもろ観光局訪問日:2016年8月、2017年7月、2022年5月 訪問記 本丸、本丸周辺 天守台 おまけ 感想 アクセス 訪問記 本丸、本丸周辺 前回最後の黒門橋、紅葉谷から散策再開です。 越えた先には黒門。一の門とも呼ばれた門がありました。これまでの門同様に、こちらにも礎石が残ります。 そしてその先は導線が…

  • 百名城 小諸城 (28・長野県小諸市)1/2 -日本唯一の穴城 大手門、三の門へ 東信の城めぐり旅②

    龍岡城からその足で向かったのは小諸城小諸なる古城のほとりとも歌われた、立派な門や天守台石垣が印象的な百名城です。 と、行く前に書けてしまう3度目の訪問でしたが、それでもやっぱり良い城でした。良いものは何回見ても良いものですね。 お城:小諸城(28)長野県小諸市HP:小諸城址・懐古園 信州・小諸|詩情あふれる高原の城下町|こもろ観光局訪問日:2016年8月、2017年7月、2022年5月 概要 訪問記 大手門 三の門 二ノ丸、二の門 概要 小諸に城が築かれたのは、平安末期から鎌倉時代、小室光兼の館に遡るとされます。 その後、大井氏がこの地を支配。1487年、大手門北側に鍋蓋城を、子孫が二の丸…

  • 続百名城 龍岡城 (129・長野県佐久市) -日本に2つ五稜郭 長野城めぐりの旅①

    久しぶりの遠征の記憶は、長野の城めぐり魅力的な山城も多い地で、今回は百名城中心に回っていきます。 最初は龍岡城。日本で2番目に有名な五稜郭でしょう。 地方に建てられた当時最先端の稜堡式城郭。突っ込みどころは多くとも、当時の考えが感じられる名城でした。 お城:龍岡城(129) 長野県佐久市HP:国史跡 龍岡城跡 佐久市ホームページ訪問日:2022年5月 概要 訪問記 五稜郭であいの館・続100名城スタンプ 龍岡城 おまけ 感想 アクセス 概要 1864年、三河奥殿藩主だった松平乗謨(大給恒)が信州に本領を移転、築城しました。西洋の築城術を学んでいた乗謨は稜堡式城郭(星形要塞)を設計しました。…

  • 続百名城 吉田城(151・愛知県豊橋市)-豊川望む復興櫓

    愛知県豊橋市の続百名城、吉田城へ。 復興鉄櫓が観光の目玉ですが、足元の石垣や空堀は続百名城に違わぬ残り具合。そもそも公園の駐車場脇から立派な土塁が残っていますし。 綺麗な豊橋公園にここまでの遺構が残っていたとは。 お城:吉田城(151)愛知県豊橋市HP:吉田城/豊橋市訪問日:2019年12月、2022年6月 概要 訪問記 三の丸・二の丸 本丸・腰曲輪 感想 アクセス 概要 1505年、今川氏親の命により牧野古白が築いた今橋城が前身とされます。度々城主がかわりますが、今川義元の頃に落ち着き、吉田城と呼ばれ始めます。 1564年、今川氏の勢力が弱まると松平家康が奪い、酒井忠次が城主となります。家康…

  • 沓掛城 (愛知県豊明市) -今川義元最後の晩餐の地

    愛知県豊明市にある沓掛城へ。 桶狭間古戦場にもほど近い平城は、合戦前日に今川義元が最後に宿泊した城です。今はのどかな城址公園に緊迫感は感じられませんが、当時は何を思って宿泊していたのでしょうか。 お城:沓掛城 愛知県豊明市HP:沓掛城址公園 【公式】愛知県の観光サイトAichi Now訪問日:2022年2月 概要 訪問記 感想 アクセス 概要 14世紀ごろ、近藤宗光が初代城主としてこの地を治めていたとされます。近藤氏は一度織田氏の下に入りますが、九代景春の頃には今川氏の傘下となります。 桶狭間の戦いの前日、今川義元がこの城で戦の準備を整えました。 桶狭間の戦いで今川方が大敗を喫する中、落城…

  • 清洲城 (愛知県清須市) -新幹線から見えるあの天守のお膝元へ

    名古屋城からその足で、名古屋の前の尾張の中心、清州城へ今は新幹線から見える派手な「天守」のイメージかな。大河の話題にちょうど乗り遅れる形でのご紹介となりました。 個人的には清州城と聞くと「鬼ころし」が最初に浮かんでしまいましたが、共感してくださる方いらっしゃるかな。名鉄で広告をよく見た記憶が。 お城:清州城 愛知県清須市HP:清洲城 清須市ホームページ訪問日:2022年2月 概要 訪問記 清州古城公園・清州公園 「清洲城天守」 清州城周辺散策・清州宿本陣 感想 アクセス 概要 1405年尾張守護であった斯波義重により築かれたとされます。当時守護所であった下津城の別郭であったとされますが、147…

  • 百名城 名古屋城 (44・名古屋市中区) 3/3-二之丸に残る見どころへ

    名古屋城散策の記事も三回目。一見よくある城址公園ですが、実はそこかしこに見どころがある二之丸を回ります。 東門から入った際、目の前に見える天守に惹かれる気持ちは分かりますが、一目散に向かうのは実にもったいないです。 お城:名古屋城(44)名古屋市中区HP:名古屋城公式ウェブサイト訪問日:2017年7月、2022年2月 訪問記 西之丸大手枡形 二之丸 二之丸庭園 二之丸西、東鉄門 感想 アクセス 訪問記 西之丸大手枡形 本丸を見終えて帰ってきました西之丸。この部分は、かつては西之丸ではなく本丸大手馬出でした。 痕跡は少ないですが、二之丸側には不思議な立地になってしまった石垣が残ります。二之丸側か…

  • 百名城 名古屋城 (44・名古屋市中区) 2/3-キラキラピカピカの本丸御殿へ

    引き続き、名古屋城を散策です。 いよいよ本丸。天守は入れなくても本丸御殿に入れるので、普通に観光の目玉になります。キラキラピカピカ、贅の限りを尽くした御殿は当時をよく再現されていて、素人でも十分にすごさが分かる造りでした。いやはや。 お城:名古屋城(44)名古屋市中区HP:名古屋城公式ウェブサイト訪問日:2017年7月、2022年2月 訪問記 本丸 本丸御殿 訪問記 本丸 引き続き本丸を巡ります。天守と御殿に目が行きがちですが、もちろんほかにも見どころがあります。 こちらは、本丸に3つあった虎口のうち搦手にあたる東門の枡形。大手と見紛う規模の枡形虎口かつては、今いる南側に東一の門と呼ばれる櫓門…

  • 百名城 名古屋城 (44・名古屋市中区) 1/3- 西之丸、御深井丸から本丸へ

    有名な有名な名城、名古屋城へ。尾張名古屋は城で持つ、であり、三名城であり、そのエピソードには事欠きません。 ただ、この趣味にハマってから見に行くのは初めて。隈なく回って、名城の名城たるゆえんを感じに行きますよ。天守には入れませんが。 お城:名古屋城(44)名古屋市中区HP:名古屋城公式ウェブサイト訪問日:2017年7月、2022年2月 概要 訪問記 西之丸 御深井丸 概要 1610年、家康の命により、今川氏の那古野城が置かれていた地に築かれました。西への備え、清州に代わる尾張の中心として、西国大名に天下普請が命じられました。 金鯱を載せた五重の天守を中心とした巨城が築かれ、三名城にも数えられま…

  • 2022年振り返り 今年もありがとうございました

    2022年も気づけば年の瀬。あわただしい師走の毎日、皆さんいかがお過ごしでしょうか。 こんな場末のブログものらりくらりと3回目の年越しを迎えました。今年も自分の中では恒例の一年の振り返りをしていきたいと思います。 本題の前にこちらも自分の中では慣例に倣い、まずはこの記事でお伝えしたいことから。 今年も1年、拙い記事をお読みいただき、スター、コメントなどで反応していただき、ありがとうございました。 いろいろあって遠出もできておらず、投稿頻度も右肩下がりですが、きっと一時的なものと信じて、来年もマイペースに続けていけたらと思います。まずは遠出を再開するところからかな。 こちらは2022マイベスト写…

  • 続百名城 石垣山城 (126・神奈川県小田原市) -かの有名な一夜城へ

    数多くの逸話を持つ小田原の石垣山一夜城へ。 さすがに一夜というのは盛っているにしても伝わる話もなかなかすごい。さらにその規模もかなりすごく、これを小田原城から見たときの気分たるや。。。 小田原城からあと一歩足を延ばさないともったいない名城です。 お城:石垣山城(126)神奈川県小田原市HP:小田原市 石垣山一夜城訪問日:2022年6月 概要 訪問記 南曲輪・西曲輪 本丸・天守台 二の丸 井戸曲輪 感想 アクセス 概要 1590年、小田原攻めで秀吉により築かれた陣城で、東国最初の総石垣の近世城郭です。小田原城を望む笠懸山山頂に、わずか80日で築かれました。 一夜城伝説も伝わりますが、小田原城…

  • 続百名城 小机城 (125・横浜市港北区) 2/2-都会の森に残る空堀 北の空堀と西郭へ

    前回に引き続き、横浜市の小机城を散策です。 最初に見た南の空堀も本当に深くてすごい。。。と思いましたが、それをさらに越えてくる北の空堀。 本当によくこんな空堀を作ったものです。そしてそんな素晴らしい遺構がよく住宅街に残ってくれたものです。 前編はこちら tmtmz.hatenablog.com 訪問記 北側の空堀 つなぎの郭・本丸(西郭) 富士仙元 感想 アクセス 訪問記 北側の空堀 二の丸まで見たのが1回目。後編では二の丸から降りて、北側の空堀を見ていきます。 最初に通った南側の空堀よりさらに規模感を感じる空堀へ。いやーすごいどこまでも続く深く広い空堀。本来は到底のんびりしてられない場所です…

  • 続百名城 小机城 (125・横浜市港北区) 1/2-都会の森に残る深い空堀 南の空堀と東郭を巡る

    新横浜から一駅。素晴らしいアクセスの続百名城・小机城へ。 完全な住宅街を抜けると、深い堀に囲まれた素晴らしい遺構が待っていました。訪問の際は虫よけを忘れずに。 お城:小机城 横浜市港北区HP:市民の森・ふれあいの樹林ガイドマップ 横浜市訪問日:2019年9月、2022年6月 概要 訪問記 城内へ 二の丸(東郭) 概要 築城年代は定かではありませんが、15世紀半ばまでと考えられています。 1478年の長尾景春の乱で景春方が立てこもり、扇谷上杉方の太田道灌が攻略しました。上杉氏の領地となりますが、後北条氏の進出で廃城。後に改めて整備されたと考えられています。 小田原征伐でも合戦はなく、落城。その後…

  • 深草館 (山梨県北杜市) -危なっかしい橋の向こうの土塁に囲まれた館跡

    この趣味を始めて、指定史跡の区分を意識するようになりました。指定されていないより市町村、都道府県、国指定史跡は見応えがあることが多いから。 今回訪れた深草館は県指定史跡国とまでは行かなくても、県のお墨付きがあるのは違う、はずでした。 そもそもどうやって入るのコレ お城:深草館 山梨県北杜市HP:公式のものはありません訪問日:2022年2月 概要 訪問記 深草館 金生遺跡 感想 アクセス 概要 逸見清光築城とされる谷戸城の居館、または逸見清光の嫡男光長の居館ともされます。その後、清光の家臣、堀内下総守の居館となり、主税助の頃に落城しました。 北、東、南に堀を持ち、西には川が流れる立地に、土塁に囲…

  • 谷戸城 (山梨県北杜市) -土塁内側の空堀の意図は?

    要害山城に引き続き訪問したのは、北杜市にある谷戸城 古い時代に築かれた城ですが、ここも良い残り具合。整備も行き届いていて、気になる遺構をじっくり見ることができました。 ちなみにタイトルの疑問は結局疑問のまま。誰か教えてください。 お城:谷戸城 山梨県北杜市HP:谷戸城址(やとじょうし) ほくとナビ訪問日:2022年2月 概要 訪問記 駐車場~北側斜面 四の郭、五の郭 三の郭〜一の郭 南帯郭~搦手~西帯郭 感想 アクセス 概要 平安時代末期に甲斐源氏3代当主、逸見清光が築城したと伝わります。清光の子、武田信義は武田氏の初代当主です。 その後、武田氏の信濃侵攻や天正壬午の乱での北条氏の陣に使わ…

  • 続百名城 要害山城 (128・山梨県甲府市) 2/2 -武田信玄出生の地を二か所回る

    引き続き、要害山城を巡ります。主郭から東側の搦手にあたる方面、そのあと戻って麓の積翠寺へ。 遺構の多かった前半に引き続き、今回も良好な遺構がたくさん見られます。本当に頑張って登った甲斐ありました。 あと、ようやく武田信玄出生の地の碑を見られました。2カ所で。信玄は二人いたのか笑 訪問記 主郭 東側尾根 積翠寺 感想 アクセス 訪問記 主郭 主郭に辿り着いたところで区切りとしましたので、改めて主郭を一望。大手の通路に数多あった曲輪たちと比べてもずっと広い曲輪。また、ピークにあるため、背景もよく開けていて間違いなく主郭と言った趣です。 主郭周囲は土塁に囲まれていて、西側の門の周囲は今も十分な高さを…

  • 続百名城 要害山城 (128・山梨県甲府市) 1/2 -武田信玄出生の地・主郭へ

    武田家本拠の躑躅ヶ崎館、の詰城、要害山城へ 続百名城には本格的な山城も選ばれており、ここもそのひとつそれなりに山を登ることになりました。 とはいえ、遺構を考えると登らないのはもったいない。スタンプは駅前ですが、もう一声行きたいところです。 お城:要害山城(128)山梨県甲府市HP:甲府市/要害山(ようがいさん)訪問日:2022年2月 概要 訪問記 スタンプ@甲府駅前 藤村記念館 登山口~諏訪の水 諏訪の水~主郭西側の門 概要 1519年、武田信虎が甲府の躑躅が崎館(訪問記)に居館を移しました。翌年、詰城として築いたのが要害山城です。 1521年、今川氏軍勢の甲斐侵攻を受けて、正室が要害山城に避…

  • 長浜城 (静岡県沼津市) -櫓から臨むは三枚橋城か富士山か 北条水軍の本拠地へ

    伊豆半島の付け根、駿河湾沿いにある長浜城へ。 長浜城で調べると滋賀の長浜城がよくヒットしますが、こちらも負けないくらい面白いんじゃないかな。よく整備されて、小さい中に北条家の築城意図が詰まっている気がしました。 滋賀の長浜城はまだ行ったこと無いんですけどね。 お城:長浜城 静岡県沼津市HP:長浜城跡(ながはまじょうあと)/沼津市訪問日:2022年1月 概要 訪問記 第四曲輪~櫓~第一曲輪 腰曲輪~田久留和 田久留輪・安宅船模型 感想 アクセス 概要 15世紀後半ごろに築城されたと推定されます。 1579年、武田信玄が今の沼津市に三枚橋城を築いたことを受けて、北条氏は国境を守る城を築城。海からの…

  • 狩野城 (静岡県伊豆市) -絵師 狩野派の発祥の地

    伊豆半島の真ん中あたり、伊豆市の狩野城へ。 伊豆市にあった狩野荘を本拠とした狩野氏の狩野城。この狩野氏は有名な絵師の狩野派につながる系譜ともされています。 まぁ当たり前ですが城跡には大きな看板以外に絵師の痕跡はありませんので、絵に造詣が無くても大丈夫です。その分(?)整備された遺構が残っていて見どころアリ。絵師の名を借りなくても有名になってよいお城です。 お城:狩野城 静岡県伊豆市HP:伊豆市 観光情報 特設サイト訪問日:2022年1月 概要 訪問記 感想 アクセス 概要 平安時代末期に狩野氏によって築かれました。 1180年、時の城主、狩野茂光は子の親光とともに源頼朝の下で石橋山の戦いに参戦…

  • 坂本城 (滋賀県大津市) -琵琶湖に沈んだ幻の石垣を探して

    関西遠征最後は滋賀県の坂本城へ。2021年冬に話題になっていたあの石垣を見に行きます。 一列に並んだ石列は少しでも、あると無いとで大違い。今につながる大きな手掛かり、良いものでした。 お城:坂本城 滋賀県大津市HP:坂本城址 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!訪問日:2021年12月 概要 訪問記 明智塚 湖に残る石垣 坂本城址公園 感想 アクセス 概要 1571年、比叡山焼き討ちの後、織田信長の命を受けて明智光秀が築城しました。安土城と並び称される壮大な城郭でした。 本能寺の変の後、山崎の戦いで敗れた明智光秀は坂本城に戻る道中で命を落とします。安土城にいた明智…

  • 百名城 明石城 (58・兵庫県明石市) 2/2-三重櫓が残る本丸へ

    明石城訪問2回目は本丸へ。 石垣と櫓にばかり目が行くところですが、本丸手前の深い空堀や櫓台など随所に想像力を刺激してくれます。最後には美味しい明石焼きも食べて、大満足の訪問でした。 お城:明石城(58)兵庫県明石市HP:明石城 公式ウェブサイト訪問日:2021年12月 訪問記 本丸 おまけ・明石公園で明石焼きを 感想 アクセス 訪問記 本丸 改めて二ノ丸最西部に帰ってきました。ここから中央下(西)の本丸、稲荷曲輪を見ていきます。 始まりは本丸とをつなぐ土橋から。 どうしても辰巳櫓に目が行きますが、 足元の堀切もなかなかなもの石垣がふんだんな平山城ですが、土橋に堀とこの辺りはかなり山城的。まだま…

  • 百名城 明石城 (58・兵庫県明石市) 1/2-三重櫓を三ノ丸から見上げる

    関西城めぐりその3は少し飛んで兵庫県の明石城へ。 元地元民としては、明石といえばタコ、鯛、明石海峡大橋、子午線が先に浮かんでしまいますが、駅からも見える三重櫓は貴重な現存櫓でそれはそれは立派でした。もっと推していいような。実はもう推しているのかな お城:明石城(58)兵庫県明石市HP:明石城 公式ウェブサイト訪問日:2021年12月 概要 訪問記 三ノ丸 二ノ丸、東ノ丸 概要 1617年、時の松本城主、小笠原忠真が明石に入ります。翌18年、徳川秀忠より命を受け、西国監視のために築城開始。1620年に完成しました。 本丸には天守台も築かれたものの天守は建てられず、四隅に三重櫓が設けられました。 …

  • 百名城 和歌山城 (62・和歌山県和歌山市) 3/3-御殿と御橋廊下と西の丸庭園と。

    和歌山城の訪問記も3回目。今回は西の丸、二の丸の御殿跡を見て回ります。 御殿自体は残っていなくても西の丸庭園に御橋廊下に、たくさんの復元整備施設を見ていたら御殿の様子も少し見えるような。 お城:和歌山城(62)和歌山県和歌山市HP:トップ|史跡和歌山城訪問日:2021年12月 訪問記 西の丸〜二の丸 二の丸 裏坂・大手門 感想 アクセス 訪問記 三度地図をもとに場所を確認です。前回下りたのが、天守から下に伸びる新裏坂今回は、左上の黄緑、西の丸庭園から黄緑ゾーンを右手に二の丸方面へ進みます。 西の丸〜二の丸 という訳で、現在地は西の丸庭園入り口西の丸庭園は、徳川頼宣が西の丸御殿に築いた庭園です。…

  • 百名城 和歌山城 (62・和歌山県和歌山市) 2/3-いざ名城の天守へ

    和歌山城その2。ようやく天守に向けて山を登ります。元国宝の天守を外観復元された今の天守は、美しい。和歌山のシンボルですね。 山頂の天守への道も、石垣や眼下の曲輪群を見ながら登ると、あっという間です。まぁそこまでの高さではないというのもありますが。 お城:和歌山城(62)和歌山県和歌山市HP:トップ|史跡和歌山城訪問日:2021年12月 訪問記 南の丸~表坂 天守曲輪 新裏坂の刻印石 訪問記 南の丸~表坂 その1の締めとなった岡口門から城内に入り、天守方面へ足を向けます。 改めて地図でルートを確認最初に南の丸を見て、引き返して右下の岡中門、表坂から中央の天守へと向かいます。 という訳で南の丸に、…

  • 百名城 和歌山城 (62・和歌山県和歌山市) 1/3-紀州徳川家の居城・かつての大手門へ

    関西遠征第2弾は和歌山城へ。 紀州徳川家のお膝元ですが、個人的には和歌山観光はラーメンやらパンダやらばかりで(パンダは和歌山市ですらないですが)、城下町の印象はなく。実際に訪れて印象を大きく覆されました。 今回は外周の石垣を見ながら現存の門を見ていきます。有名な天守に至るまでにも見どころがたくさんありました。 お城:和歌山城(62)和歌山県和歌山市HP:トップ|史跡和歌山城訪問日:2021年12月 概要 訪問記 和歌山城公園へ 砂の丸・追廻門 不明門・岡口門 概要 1585年、羽柴秀長が秀吉の命により虎伏山に城を築いたことが始まりです。秀長は大和郡山城を居城としたため、桑山重晴が家老として城代…

  • 続百名城 岸和田城 (161・大阪府岸和田市) -住宅街に溶け込んだ水堀と石垣と復興天守

    昨年末の関西遠征を振り返っていきます。最初は続百名城の岸和田城。 岸和田と聞いてもだんじりくらいしか浮かばない人間でしたが、なかなか立派な復興天守に水堀に石垣そりゃ駅でおススメされるだけはありますね。 お城:岸和田城(161)大阪府岸和田市HP:岸和田城特設サイト- 岸和田市公式ウェブサイト訪問日:2021年12月 概要 訪問記 おまけ:特急ひのとりで大阪南部へ 感想 アクセス 概要 築城時期は不明ですが、岸和田古城から戦国時代に現地に移ったとみられます。 1585年には羽柴秀吉の紀州討伐の後、秀吉の叔父、小出秀政が整備し、5層の天守も築かれました。その後の歴代城主たちも、惣構えや城下、外堀や…

  • 加納城(岐阜県岐阜市)-岐阜城に代わる天下普請の城

    岐阜城に引き続き、岐阜駅前の加納城へ。岐阜城の廃城後に、天守や石垣が移されたと伝わっています。 明確な遺構は住宅街に公園として残された本丸の周りだけですが、その本丸には立派な石垣が残されていて、往時を伝えてくれています。 お城:加納城 岐阜県岐阜市HP:オフィシャルなものは見つけられませんでした。訪問日:2020年10月 概要 訪問記 感想 アクセス 概要 中世加納城は1445年に斎藤利永によって築城されますが、1538年に廃城となりました。 関ケ原の戦い後の1601年、徳川家康の命により中世加納城の跡地に築城されました。初代城主、奥平信昌のあとは譜代大名が入れ替わり、明治維新の際に廃城となり…

  • 百名城 岐阜城 (39・岐阜県岐阜市) -信長居館跡

    岐阜城山頂部の天守と遺構に引き続き、麓の居館跡へ 山頂部の訪問記はこちらから。tmtmz.hatenablog.com 存在感ある岐阜城天守に惹かれてサクッとロープウェーに乗ってしまうと見忘れるかもしれませんが、なかなか広大。復原はなくとも華やかなりし極楽と呼ばれた姿を伝えていて見ないともったいない。すぐにたどり着けますしね。 岐阜公園へ 信長居館跡 岐阜公園へ 岐阜城山頂部を見た後、ロープウェーで降りるところから再開です。 リス村に行っていたわけではなくて、リス村の隣がロープウェー乗り場だったのです。 ロープウェーの眺めも素晴らしくてついつい遠くを見てしまいますが、足元を見ると向かって左手、…

  • 百名城 岐阜城 (39・岐阜県岐阜市) -斎藤道三、織田信長の夢の跡

    岐阜の名城、岐阜城へ。金華山登山も考えましたが、今回はロープウェーでさくっと登城です。その分、山頂をゆっくり回りましたので。 信長に道三、積み重ねた歴史が深い名城ですが、明治維新以降も面白い歴史が重ねられていました。地元のシンボルとなる名城って良いですよね。 お城:岐阜城 岐阜県岐阜市HP:岐阜城天守閣|岐阜市公式ホームページ訪問日:2018年2月、2021年12月 概要 訪問記 伝一ノ門跡 天守 感想 アクセス 概要 鎌倉時代、二階堂行政が築城したとされますが、詳細は不明です。 一度廃城となりますが、斎藤氏が修復。斎藤道三が山頂部分に稲葉山城を築城、城下も整備します。 1567年、織田信長が…

  • 蓮華寺池公園 (静岡県藤枝市) -桜直後の藤まつり

    GW直前に訪問した藤枝市、蓮華寺池公園の藤まつりを振り返ります。 メインとなる池の周りのフジ以上に、山向こうのフジ広場の多種多様なフジたちがとても綺麗で、さすがは藤枝の名前を持つ市の藤まつりでした。 長い藤棚もあって、インフィニティ藤棚的な写真も撮れるんじゃないかな。聞いたことないけど。 蓮華寺池公園 藤まつり 山向こうの藤広場 蓮華寺池公園 蓮華寺池公園はその名の通り、江戸時代のため池、蓮華寺池の周りに広がる公園です。大きな池、長い滑り台やスワンボートなど気になる施設がたくさんあり、老若男女問わず地元住民の憩いの場となっていました。 「とんがりぼう」という名前の、旧藤枝製茶貿易商館の一部を利…

  • 設楽原決戦場 信長戦地本陣跡 (愛知県新城市) - 高速PA直結の本陣跡

    設楽原決戦場散策その2は信長本陣跡へ。長篠の戦いを通じて何度か陣を移動した信長の、設楽原決戦における陣地です。 信長だから別記事、という思い入れではなくて、ここだけは場所が全然違って新東名高速の長篠設楽原PA下り線に直結だから別立てにしてみました。 PA直結でも下道からもアクセス可能。遠くの方も近くの方もアクセス便利な立地です。まぁ言うまでもなくあとから高速が近くに来ただけですけど。 長篠設楽原PA 信長本陣 アクセス 長篠設楽原PA 設楽原決戦場散策に続けて訪問。 信長本陣自体は、新東名での休憩で何回も看板を目にして気になっていましたが、なかなか寄り道する時間が取れず。下道からも訪問できるこ…

  • 設楽原決戦場 (愛知県新城市) -武田軍対織田徳川連合軍 激戦の地

    長篠城の後は、設楽原で古戦場巡り大きな戦いの地でさすがに広い。周りがいがありました。 今は石碑のみの場所ばかりですが、今の景色からも当時を想像しながら足がだるくなるまで散策しましょう。 1. 設楽原歴史資料館 2. 信玄塚 3. 岡部竹雲斎・岩手左馬之助胤英の墓 4. 首洗池 5. 勝楽寺 6. 家康本陣 7. 家康物見塚 8. 竹広激戦地 9. 山縣昌景墓 10. 小幡信貞墓 11. 甘利信康墓 12. 柳田前激戦地 13. 復元馬防柵 14. 内藤昌豊墓 設楽原歴史資料館 周辺散策へ 信玄塚・首洗池・勝楽寺 家康本陣・家康物見塚 山縣昌景・小幡信貞・甘利信康墓 復元馬防柵 武田勝頼公指揮の…

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