アフロ・キューバン・ララバイJ.マーシャル編使用写真撮影者 : 学生時代に安いデジカメで撮影したものですギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214夏になると海を思いながら無性に弾きたくなる曲です。カリブ海の明るい日差しと、アフリカのリフのように繰り返される単調なメロディーが融合したよ...
クラシック音楽を自分の心が感じたそのままに記す事をモットーにしています。 クラシック・ギターのアナリーゼの考察実践の練習風景や、作品演奏動画、自作品をアップしています。 お知らせ下さればフォローいたします。
DAWソフトに詳しい方、是非お友達になってください。 オンラインで一緒にジャンル問わず何でもありのバンド演奏も如何ですか? 私はアコギ、エレキ、ベース、クラシック・ギターは演奏可能です。 自作品への参加も、お手伝いしてくださると助かります。
ケルティック・ハープと聴き比べると、スパニッシュ・バロック・ハープは金属的、そして少しダルシマーのような感じもします。何と言っても、この写本がハープの独奏や、伴奏で録音されている事による雰囲気と、統一感は独特で新鮮でした。そして、何より歌唱が濃厚に歌われても、一音一音がぼやける事無く粒となる明快な清々しさはこのアルバムの魅力だと感じました。17世紀の後半にマドリードで編纂されたグエッラの写本からの音...
交響曲 第2番 ハ長調 op.61(5)/R.シューマン/バーンスタイン(1985)
今年は24節気72候に助けられた・・ような気がする夏でした。8月の最も熱い頃に立秋となり、暑中の耐えられない猛暑を「もうすぐ秋になる」と耐えさせ、やがて「もうすぐお盆だから・・そこまでくれば」となり、今週は「処暑にやっとなってくれた」と夏バテの辛さにもうひと頑張りをくれるように感じたのです。急なにわか雨の中、今までの「濡れないように」はやめて「濡れてもいいや・・」と家路に向かう裏道にはそれまで見えなか...
これまでボイレン写本やイートン・クワイア・ブック、個人的な所蔵による写本などを記して来ました。本来バラバラであった作品が纏められる事により、時代に埋もれてしまう作曲家やその作品が、また作者不詳ながら当時盛んに歌い継がれた作品たちを知る事が出来るようになりました。かなり古くより(1960年代?)それらの作品は試行錯誤されながら演奏されていたのですが、それが実を結び現在では考証がさらに深まり、新たな写本も加...
交響曲 第2番 ハ長調 op.61(4)/R.シューマン/クレンペラー(1968)
確かに秋の風を感じるようになったこの頃・・。それは薪で沸かしたお風呂のような、火が消えてからもいつまでも熱いお湯ではなく、電気温水器で沸かしたように、温度は同じでも温かさの勢いを削がれて直ぐにぬるくなるような感覚に近くなったと肌が教えてくれます。意識せずとも夏バテが出て午後が気怠くなる時に、半分寝たような夢うつつの中に聴こえる音楽は、窓から吹き込む風と溶け合って、汗ばみながらも心地良いと感じるよう...
交響曲 第2番 ハ長調 op.61(3)/R.シューマン/カラヤン(1971)
カラヤンの第1楽章出だしは、聴く度に「ツァラトゥストラ」のようだと感じます。そのまろやかで粘りある響きが、あくまで私個人の感覚ですが第2番に持つイメージとは異質と感じるのですが、それでもあれだけ響きにあれこれと言われるシューマンからこれだけ美しい響きを聴かせるのは驚きでもあります。カラヤンは美しく響けばマーラー編であろうとなかろうと、そちらを選択するのではないでしょうか。最初の印象的な主題が、まるで...
ナイトハルト・フォン・ロイエンタールの影響力と原初的音楽との接点
それまで知る範囲であった(少なくとも学校で習い、よく知る作曲家たちという一般的なイメージの)クラシック音楽が、実はバロック様式のほぼ全てから古典派様式、そして前期ロマン派までも江戸時代(1603-1868)に作曲された事に驚いたのはつい最近のような・・。ギターの世界で意識せずとも接する事になったそれらより遥か昔のルネサンス様式も、室町(1336-1573)・戦国(1467-1603)時代と、一般的な歴史年表の半分以後の事である事に...
交響曲 第2番 ハ長調 op.61(2)/R.シューマン/セル(1960+夢の52)
セル/クリーヴランド管によるシューマンの第2番が今は最も好きな演奏だと記しました。ブログの大切なお友達であり尊敬する大先輩Y-XYZ様よりセルの52年盤の存在をお教え頂き、その一端に触れる事が出来た事はより第2番でのセルの素晴らしさを確信させてくれるものでした。シューマンから澱を濾過するばかりでなく、それによって人間的な尊い想いまでも香り立たせる見事さに感動します。もはやシューマンを聴く事にバリケードを用意...
心の日曜日(14)/「カヴァレリア・ルスティカーナ」:間奏曲よりお気に入りの3枚を/カラヤン(1967)/バルビローリ(1931/58)
幼少時代に暮らした田舎から県庁のある市まで出る時には、バスかJRでお出かけするのでしたが、そこはずっと長い海岸を通るので潮の匂いがして夕方だとオレンジ色のどよーんとした気怠く素敵な景色が続きます。今回、この「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲を記そうと思ったのは、その列車のガタン・ゴトンという音のようなSPの周期的なノイズと共に聴こえて来るバルビローリの1931年のMONO盤にその時の景色が蘇り、同じくSTER...
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アフロ・キューバン・ララバイJ.マーシャル編使用写真撮影者 : 学生時代に安いデジカメで撮影したものですギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214夏になると海を思いながら無性に弾きたくなる曲です。カリブ海の明るい日差しと、アフリカのリフのように繰り返される単調なメロディーが融合したよ...
チャイコフスキーの交響曲は、ドヴォルザークのそれらと同じく、後期の3曲辺りが発売される事が多いように思っています。私はどの作曲家も第1番にそのルーツを見るような気がしていて、それが例えマイナーで入手困難であっても可能な限り揃えるようにしているのですが、そこには大成する前の初々しさ等と共に、彼等独自の感性の根源に必ず出会うようにも思っています。第4番から第6番「悲愴」は本当に録音が多いのですが、初期の標...
ヴィヴァルディの良さの一つに、情に深入りせずサラッと聴かせる、それでいて風景や喜怒哀楽の描写には強い共感を覚えるという事もあるのではないでしょうか。必要に迫られて実用音楽・教育(孤児院施設での)に大量生産した彼は、既に作られた自作品を変奏曲のように様々に料理できる才能に恵まれていたと感じたのです。いえ・・、もしかするとその需要こそが彼の素材を多種に展開する腕を磨いたのかも知れませんね。ですから、変奏...
もう使わずベッドの下に眠るだけのBOX・・。希少なものを集めていると自負する私は、誰かに聴かれる方が・・、欲しいと思っている人の手に委ねる方が・・、と思うようになりました。それは最近までこのブログでも単盤で貰い手を募っていたCDたちへの想いと同じです。中にはamazonに現在99,970円というとんでもない値段で並んでいるもの、3-4万のものなども多くあるのですが、オークションには10,000円程で次の日曜まで並んでいま...
当ブログで出会うことの出来ました皆様からの優しさ、記事のないままご訪問くださいます事に申し訳ない気持ちと感謝で胸一杯です。この場を借りてお礼申し上げます。アトリエ・バロック・フランセーズの臼井先生のブログからいつも前に進もうというお力を頂き、助けて頂いていたという事も記させてください。まだ暫くは徹夜に近い仕事に追われる毎日が続きますが、その甲斐あってもう一つの大きなプロジェクトにも参入出来る運びと...
ニ長調のワルツ作曲 : F.ターレガ使用写真撮影者 : ヒロサカ様 https://tomoyan10.blog.ss-blog.jp/ギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214昨年は介護のために爪を伸ばせなくなり録音する事が出来ませんでした。それでも毎日、基本練習だけはサボらずにしていたのですが、それまで染み込ませた感...
鍵盤楽器が独奏楽器として普及する前、それを担ったのが指で直接弾くギター族(仮)であった事は西欧音楽史の最初の方に記されています。ミランやナルバエス・・、スカルラッティたちが活躍する以前のスペイン宮廷で独奏楽器や歌曲の伴奏楽器としてのビウェラを用いて時代の音を響かせた彼らを知る音楽愛好家はまだ少ないのではないでしょうか。今回はビウェラ、リュート、ギターで弾かれるミラン作品を集めてみました。ルイス・デ・...
いみじき時 (歌曲集「灰色の歌」より)詞 : P.ヴェルレーヌ作曲 : 1892年葡萄摘みの3日間詞 : A.ドーデーリラの葉影の夜うぐいす (または「リラに来るうぐいす」)詞 : L.ドーファン恋する乙女詞 : ド・プリヴィユR.アーン Reynaldo Hahn (1874-19447 仏)マスネー風の甘美な旋律性により知られ、歌劇を含む80曲の劇場作品や、協奏曲、室内楽曲もあるが、104曲の歌曲がすぐれている。(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)※各アルバ...
フィヨルドの雄大な晩秋を感じる「秋に」は、演奏会用序曲としてのスケールと、グリーグの細やかで繊細な描写を併せ持つ作品ではないでしょうか。この作品でのグリーグの書法は明快であり、描くものが例えば下降音型であれば吹きすさぶ北風であったりと、ノルウェーの自然と密接な繋がりを感じます。それは短い秋に既に冬の厳しさが窺え、彼の家の立つフィヨルドを望む山と海とが一緒になった切り立った崖の壮観さとなるように思い...
ギター作品「セゴヴィア-ナ op.366」に聴く近代パリの街並みを思わせる雰囲気から知る事となったミヨーは、プーランク(ギター作品「ギターのためのサラバンド FP179」)やメシアンたちと同じ時代を生きた作曲家ですが、その作風はより馴染み良い特徴を持つと感じます。同じくギター作品を書いたルーセル(ギター作品「セゴヴィアop.29」)は印象主義からバーバリズム、新古典派へと作風が移り変わって行くように、当時のフランスは様...
この二つは書法的に正反対の作品ですが、驚く事に感覚として伝わるものは共通するのです。調性の持つ色、そこから生まれる音度差の作る情というものが、それを失ってなおベルクの世界を描いて見せる事に驚くのです。ベルク作品の場合は無機質なものとならず原子にまで分解されてもなお本質を残し続ける事に魅せられました。「私の眼を閉じさせて」の第1作は木や土壁、或いは程良く古びた壁紙に柔らかな灯かりの燈るカフェの片隅、...
バルビローリが現ワーナーに録音したモーツァルトの交響曲は29番と41番しかないという事に驚きます。そこで数年に渡る批評誌を持つ友人に29番とジュピターの様子を訊ねてみるのですが、そこには彼の録音はどの年度にも挙がっていないようでそれにも驚いたのです。何故って、29番の愉悦感、響きの美しさは私の持つ何れよりも美しく、しかも録音も優秀であった事を示すように目の前に浮かび上がって来る音場のどの角度もまんべんなく...
いきなり文として成り立ちませんが、楷書による一筆書きのような演奏、それがワルターの29番だと思います。それは[端正で明確な意思を持つ]楷書による[その運びにより]一筆書きと感じたからです。演奏速度が私の持つ盤では最も軽やかで爽快、しかし弾き崩さない清潔感を保ったままでそれを成し得る事に驚きます。ワルター盤とコープマン盤はモダンとピリオドでの29番の理想像・・と、わたし自身は勝手に思っているのですが(なんと💦...
ケテルビーの描く世界は、実際はその土地っぽくリズムとメロディーを工夫したイメージ音楽である事に気付きます。それは映画などでも聴く独自のヴァーチャルな世界観を持つもので、その作曲書法はガヴォットを用いたりと、兎に角馴染み易い西欧のフォーマットを基本としたものである事が感じられました。しかし、子供の時に夢の世界へ連れて行ってくれた音の世界は魅力的であり、その楽しみはクラシックの下でも上でもない確固とし...
モーツァルト作品の魅力の一つに心地良い快速性を含めるとすると、29番はまさにそれに当てはまる交響曲だと思うのですが、クレンペラーは優雅に描き、そこに漂うニュアンスが細やかな表情を見せて愛らしいものになっています。これはベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」で触れた近寄り難いクレンペラーとはまるで別人のように思えたのも驚きの一つでした。クレンペラーはベートーヴェンとモーツァルトの違いをハッキリと描き分けた指揮...
私はモーツァルトの第29番を最もチャーミングな交響曲と思っています。彼の交響曲で最も大好きなのは第39番だと言うのは既に記しましたが、劇的な第25番や第40番の印象が強かったモーツァルトが、コープマンによる第29番との最初の出会いにより友人のような近しさを覚える事となりました。イ長調はギターではよく用いられる調で、その派手さと力強い輝きが特徴ですが、同主調のイ短調が組み合わされた時の響き、そのイ短調がハ長調...
オルガンもオーケストラも、その土地の響きを持つとするならば、今回の2組の演奏は見事にそれを表していると思います。録音年だけを見て、タイトルの通りどちらが現代風で、どちらが古風と考えられるでしょうか?実はカントロフ盤の響きというものが、案外バッハ達ドイツの作曲家の作品によって意識下に影響を受けているのではないかと思ったのもフランスの近・現代作品であるプーランク作品だからなのかも知れません。オルガン、弦...
複雑で心を騒ぎ立たせるロマン派の作品を楽しんでいると、たまに聴きたくなるのがただひたすら純粋な中世~ルネサンスの作品、あるいはPOPSやBlues.ROCKやJAZZであったりします。そして思います、遥か昔の世俗歌曲と現代の(広義での)POPSの共通点を。これらはいつの時代も変わらない人々の暮らしの一部として、或いは気軽な友達のようにずっと身近に在りつづけて来たのだと。何より曲によって使い分けられるリュートによるメロディ...
心はロマン派にあり、手法は古典派の先輩方への敬愛を示すシューベルトが残したピアノ三重奏曲は4曲あるそうです。しかし、辞典に記され演奏で聴くのは第1・2番と呼ばれる最晩年の作品2曲となっています。それら第1番・第2番と呼ばれるものは何れも最晩年に書かれていますが、第1番の方が第2番の後に作曲された(?)とも記されており現在でもはっきりとはしていないとあります。第1番が1828だとすると、それはシューベルト没年(1797-...
もしかすると人は愛しいもの(人だけではない)を想う時には美しい旋律を、別れる・離れる時には哀しさを堪えるために無機質(寂しい・虚しい/太陽は昇っているのに温かさを感じない/味がしない/周りが別世界に思える等)と感じるのでしょうか・・。それらと一緒に過ごせた喜びという想い出となった時に「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のように美しく漂い、同時にそれが過去形である事の切なさも心に固まりとなって存在する事...
チャイコフスキーの交響曲は、ドヴォルザークのそれらと同じく、後期の3曲辺りが発売される事が多いように思っています。私はどの作曲家も第1番にそのルーツを見るような気がしていて、それが例えマイナーで入手困難であっても可能な限り揃えるようにしているのですが、そこには大成する前の初々しさ等と共に、彼等独自の感性の根源に必ず出会うようにも思っています。第4番から第6番「悲愴」は本当に録音が多いのですが、初期の標...
ヴィヴァルディの良さの一つに、情に深入りせずサラッと聴かせる、それでいて風景や喜怒哀楽の描写には強い共感を覚えるという事もあるのではないでしょうか。必要に迫られて実用音楽・教育(孤児院施設での)に大量生産した彼は、既に作られた自作品を変奏曲のように様々に料理できる才能に恵まれていたと感じたのです。いえ・・、もしかするとその需要こそが彼の素材を多種に展開する腕を磨いたのかも知れませんね。ですから、変奏...
もう使わずベッドの下に眠るだけのBOX・・。希少なものを集めていると自負する私は、誰かに聴かれる方が・・、欲しいと思っている人の手に委ねる方が・・、と思うようになりました。それは最近までこのブログでも単盤で貰い手を募っていたCDたちへの想いと同じです。中にはamazonに現在99,970円というとんでもない値段で並んでいるもの、3-4万のものなども多くあるのですが、オークションには10,000円程で次の日曜まで並んでいま...
当ブログで出会うことの出来ました皆様からの優しさ、記事のないままご訪問くださいます事に申し訳ない気持ちと感謝で胸一杯です。この場を借りてお礼申し上げます。アトリエ・バロック・フランセーズの臼井先生のブログからいつも前に進もうというお力を頂き、助けて頂いていたという事も記させてください。まだ暫くは徹夜に近い仕事に追われる毎日が続きますが、その甲斐あってもう一つの大きなプロジェクトにも参入出来る運びと...
ニ長調のワルツ作曲 : F.ターレガ使用写真撮影者 : ヒロサカ様 https://tomoyan10.blog.ss-blog.jp/ギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214昨年は介護のために爪を伸ばせなくなり録音する事が出来ませんでした。それでも毎日、基本練習だけはサボらずにしていたのですが、それまで染み込ませた感...
鍵盤楽器が独奏楽器として普及する前、それを担ったのが指で直接弾くギター族(仮)であった事は西欧音楽史の最初の方に記されています。ミランやナルバエス・・、スカルラッティたちが活躍する以前のスペイン宮廷で独奏楽器や歌曲の伴奏楽器としてのビウェラを用いて時代の音を響かせた彼らを知る音楽愛好家はまだ少ないのではないでしょうか。今回はビウェラ、リュート、ギターで弾かれるミラン作品を集めてみました。ルイス・デ・...
いみじき時 (歌曲集「灰色の歌」より)詞 : P.ヴェルレーヌ作曲 : 1892年葡萄摘みの3日間詞 : A.ドーデーリラの葉影の夜うぐいす (または「リラに来るうぐいす」)詞 : L.ドーファン恋する乙女詞 : ド・プリヴィユR.アーン Reynaldo Hahn (1874-19447 仏)マスネー風の甘美な旋律性により知られ、歌劇を含む80曲の劇場作品や、協奏曲、室内楽曲もあるが、104曲の歌曲がすぐれている。(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)※各アルバ...
フィヨルドの雄大な晩秋を感じる「秋に」は、演奏会用序曲としてのスケールと、グリーグの細やかで繊細な描写を併せ持つ作品ではないでしょうか。この作品でのグリーグの書法は明快であり、描くものが例えば下降音型であれば吹きすさぶ北風であったりと、ノルウェーの自然と密接な繋がりを感じます。それは短い秋に既に冬の厳しさが窺え、彼の家の立つフィヨルドを望む山と海とが一緒になった切り立った崖の壮観さとなるように思い...
ギター作品「セゴヴィア-ナ op.366」に聴く近代パリの街並みを思わせる雰囲気から知る事となったミヨーは、プーランク(ギター作品「ギターのためのサラバンド FP179」)やメシアンたちと同じ時代を生きた作曲家ですが、その作風はより馴染み良い特徴を持つと感じます。同じくギター作品を書いたルーセル(ギター作品「セゴヴィアop.29」)は印象主義からバーバリズム、新古典派へと作風が移り変わって行くように、当時のフランスは様...
この二つは書法的に正反対の作品ですが、驚く事に感覚として伝わるものは共通するのです。調性の持つ色、そこから生まれる音度差の作る情というものが、それを失ってなおベルクの世界を描いて見せる事に驚くのです。ベルク作品の場合は無機質なものとならず原子にまで分解されてもなお本質を残し続ける事に魅せられました。「私の眼を閉じさせて」の第1作は木や土壁、或いは程良く古びた壁紙に柔らかな灯かりの燈るカフェの片隅、...
バルビローリが現ワーナーに録音したモーツァルトの交響曲は29番と41番しかないという事に驚きます。そこで数年に渡る批評誌を持つ友人に29番とジュピターの様子を訊ねてみるのですが、そこには彼の録音はどの年度にも挙がっていないようでそれにも驚いたのです。何故って、29番の愉悦感、響きの美しさは私の持つ何れよりも美しく、しかも録音も優秀であった事を示すように目の前に浮かび上がって来る音場のどの角度もまんべんなく...
いきなり文として成り立ちませんが、楷書による一筆書きのような演奏、それがワルターの29番だと思います。それは[端正で明確な意思を持つ]楷書による[その運びにより]一筆書きと感じたからです。演奏速度が私の持つ盤では最も軽やかで爽快、しかし弾き崩さない清潔感を保ったままでそれを成し得る事に驚きます。ワルター盤とコープマン盤はモダンとピリオドでの29番の理想像・・と、わたし自身は勝手に思っているのですが(なんと💦...
ケテルビーの描く世界は、実際はその土地っぽくリズムとメロディーを工夫したイメージ音楽である事に気付きます。それは映画などでも聴く独自のヴァーチャルな世界観を持つもので、その作曲書法はガヴォットを用いたりと、兎に角馴染み易い西欧のフォーマットを基本としたものである事が感じられました。しかし、子供の時に夢の世界へ連れて行ってくれた音の世界は魅力的であり、その楽しみはクラシックの下でも上でもない確固とし...
モーツァルト作品の魅力の一つに心地良い快速性を含めるとすると、29番はまさにそれに当てはまる交響曲だと思うのですが、クレンペラーは優雅に描き、そこに漂うニュアンスが細やかな表情を見せて愛らしいものになっています。これはベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」で触れた近寄り難いクレンペラーとはまるで別人のように思えたのも驚きの一つでした。クレンペラーはベートーヴェンとモーツァルトの違いをハッキリと描き分けた指揮...
私はモーツァルトの第29番を最もチャーミングな交響曲と思っています。彼の交響曲で最も大好きなのは第39番だと言うのは既に記しましたが、劇的な第25番や第40番の印象が強かったモーツァルトが、コープマンによる第29番との最初の出会いにより友人のような近しさを覚える事となりました。イ長調はギターではよく用いられる調で、その派手さと力強い輝きが特徴ですが、同主調のイ短調が組み合わされた時の響き、そのイ短調がハ長調...
オルガンもオーケストラも、その土地の響きを持つとするならば、今回の2組の演奏は見事にそれを表していると思います。録音年だけを見て、タイトルの通りどちらが現代風で、どちらが古風と考えられるでしょうか?実はカントロフ盤の響きというものが、案外バッハ達ドイツの作曲家の作品によって意識下に影響を受けているのではないかと思ったのもフランスの近・現代作品であるプーランク作品だからなのかも知れません。オルガン、弦...
複雑で心を騒ぎ立たせるロマン派の作品を楽しんでいると、たまに聴きたくなるのがただひたすら純粋な中世~ルネサンスの作品、あるいはPOPSやBlues.ROCKやJAZZであったりします。そして思います、遥か昔の世俗歌曲と現代の(広義での)POPSの共通点を。これらはいつの時代も変わらない人々の暮らしの一部として、或いは気軽な友達のようにずっと身近に在りつづけて来たのだと。何より曲によって使い分けられるリュートによるメロディ...
心はロマン派にあり、手法は古典派の先輩方への敬愛を示すシューベルトが残したピアノ三重奏曲は4曲あるそうです。しかし、辞典に記され演奏で聴くのは第1・2番と呼ばれる最晩年の作品2曲となっています。それら第1番・第2番と呼ばれるものは何れも最晩年に書かれていますが、第1番の方が第2番の後に作曲された(?)とも記されており現在でもはっきりとはしていないとあります。第1番が1828だとすると、それはシューベルト没年(1797-...
もしかすると人は愛しいもの(人だけではない)を想う時には美しい旋律を、別れる・離れる時には哀しさを堪えるために無機質(寂しい・虚しい/太陽は昇っているのに温かさを感じない/味がしない/周りが別世界に思える等)と感じるのでしょうか・・。それらと一緒に過ごせた喜びという想い出となった時に「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のように美しく漂い、同時にそれが過去形である事の切なさも心に固まりとなって存在する事...
前回記したメシアンの無調性による[美しい定旋律]を持たない世界のまさに逆、膨らんだ機能和声の極致[トリスタン和声]と濃厚な情念が湧き上がるワーグナー(特にトリスタンとイゾルデ)の固定観念を持つ旋律・・。そのどちらにも深い陶酔の世界がある事を知ってしまいました。「トリスタンとイゾルデ」第3幕開始のコーラングレと共に吹き過ぎる心が荒涼とした冷たく寂しい情景はワーグナーの世界の中でも特に好きな部分です。その習...